淳和天皇

  • 840年(承和七年)五月六日、淳和上皇命じて
   「予聞く、人歿して精魂天に帰す。而して空しく冢墓(ちょうぼ)を存す。
    鬼物焉に憑る。終に及ち崇を為し、長く後累を残す。
    今宜しく骨を砕き粉と為し、之を山中に散ずべし」と

  • これにより、死後、御骨を砕き、大原野西山嶺上に散じ奉ったという。

(『日本陰陽道史総説』村山修一)



最終更新:2011年08月08日 10:40