亀と改元

  • 文武天皇の代、瑞祥として様々なものが現れた最後に霊亀が現れた。
   左京人大初位下高田首久比麻呂が献じたもので、
   長さ七寸、広さ六寸、左目白く右目赤く首に三公、背に七星をあらわし、
   前脚に離の卦、後ろ脚に一爻あり、腹下には赤白二点あり。
   この亀の献上により、間もなく元正天皇即位されると「霊亀」と改元された。

  • 養老七年十月十一日、左京人紀朝臣家が白亀を献上。
   長さ一寸半、広さ一寸、両目とも赤く、これをもって
   元正天皇は翌年聖武天皇に譲位し、同時に「神亀」と改元した。

  • 神亀六年六月二十日、河内国古市郡の賀茂子虫により長さ五寸三分、
   広さ四寸五分、背に「天王貴平知百年」の文ある亀を発見、
   同八月五日に天皇より「天平」と改元する詔発せられる。
   子虫はこれにより従六位上、子虫に瑞亀の献上を示唆した唐僧道栄
   従五位下の階に準じ緋色の袈裟を賜ったと。
   (この河内国古市郡からは天平十八年にも白亀が尾張王なる者によって発見、献上されており、
    これによる改元はなかったが、同地での発見は偶然とは思われない由)

  • 孝謙天皇の代にも白亀献上二件あり、もって元号は天平宝字となる。

  • 光仁天皇即位後の改元「宝亀」も、肥後国葦北郡の日奉(ひまつり)部広主売
   および同国益城郡の山稲主なる人が白亀を献じたのによるという。

  • 848年(承和十五年)五月、豊後国大分郡より白亀の献上あり。
   嘉祥と改元される。

  • 850年(嘉祥三年)七月、備前国磐梨郡石生郷神河より白亀、
   石見国安農郡河合郷より甘露の献上あり。
   よって翌年四月、仁寿と改元。

(『日本陰陽道史総説』)
最終更新:2011年03月07日 19:44