文献の中の鬼

   『三代実録』

  • 仁和二年(886年)七月二十九日夜亥時、紫宸殿前に長人あり、
   往還徘徊するところを内豎司の伝点者(時刻を報ずる者)が
   見つけ驚いて失神した。右近衛陣前で燈火を燃す者もこれに気付いたが、
   後、左近衛陣のあたりで、絞者に似た声が聞こえた。
   世にこれを鬼絞というと。


  • 仁和三年(887年)八月十七日、武徳殿の東縁の松原(宴の松原と呼ぶ)の
   西に美しい女性三人が歩いていたところ、松樹下に容色端麗の男子あり、
   一人の女性の手をとり松樹下へ連れていき、相語らい睦まじくなった。
   しばらくの間物音もせず、怪しんで見に行くと、女性の手足のみ折れて
   地上にあり、首・胴体はなかった。
   これを聞いた宿侍がかけつけた時には屍も男もなかった。
   世人は鬼の仕業と噂したという。



   『大鏡』

  • 関白藤原忠平、紫宸殿の御帳の後ろを通ったとき、何者かに石突を捉えられた。
   捉えた手を探るに毛が生え、爪は長く刀の刃のようであったので、
   鬼と知り、太刀を抜いて一喝すると鬼は驚いて艮(うしとら)の隅へ逃げて行った。



   『古今著聞集』

  • 承平元年(931年)六月二十八日未の刻に、一丈ほどもある衣冠姿の鬼が
   弘徽殿の東の欄の辺に現れた。



   『梁塵秘抄』
  • 「われを頼めて来ぬ男 角三つ生ひたる鬼になれ
  さて人に疎まれよ」(以下略)
(zsphereコメント:「角が三本の鬼」「鬼が人に疎まれるものとされていること」
           「通いに来ない男への呪詛として鬼になれ、と言っている」ことなど
           色々と興味深い事が読み取れる)
最終更新:2015年06月20日 00:41