一目小僧

「さらに不思議なのは、江州比叡山にも一眼一足という化物久しく住み、常は西谷と東谷のあいだに於いて人はこれに行き違うが、何の害をもせぬ故に知っている物はこれを怖れないという話がある。「萬世百物語」にはこの事を載せて(後略)」


「今もし両眼の一を盲しているのを名づけて一目というたとすれば、神様の一目も決して珍しい話ではない。また確とした社もないような山神様のみにはかぎらぬのである。
   (中略)
   自分の郷里などでも、何村の氏神さんはかんちぢゃそうなという話を、幼少のおりにしばしば聞いている。それが多くは最初からそうだとは言わず、不思議なことには隣村の鎮守と喧嘩して石を打たれた為というように、いづれも或時怪我をしてそうなったということになっている」

「そんなら如何なる風習があって、それがかくの如き奇抜にして、しかも普通なる伝説を生ずるに至ったかというと、これも無造作に失する断定と評せられるか知らぬが、自分などは或時代まで、祭の日に選ばれて神主となる者が、特にその為に片目を傷つけ潰される定めであったからで、口碑はその痕跡であろうと思っている」
(柳田の”一目”に関する仮説。谷川健一は「フレイザーの影響を多分に受けた考察」と論評しているが……)

「また眼を突くという風習と何かの関係があろうと思われる初春の歩射(ぶしゃ)の神事に、的を射た矢は梅桃柳桑などの枝を用いた社が多く、また葦の茎で作るを例としていたものもあった。」


  • 神が目を傷つけた故に特定の植物を植えぬというのは、元はその神の神事に使うゆえ、一般に育てるのを禁止した(忌む)のが元であろうと柳田は説いている。「忌む」という言葉の意味が時代が下るとともに変わって行ったのだと主張する。
   「忌は即ち独占である」。


(『定本柳田國男集 第五巻』 『一目小僧その他』所収「一目小僧」)
最終更新:2011年04月26日 21:24