- アリストテレス『動物誌』は、ニワトリは一年中いつでも交尾するし産卵するが、しかし
「
冬至を挟む前後二ヶ月の間だけはしない」と記載している。
- プリニウス『博物誌』第十巻では、オンドリを「最も吉兆を与える鳥」であるとしており、
この鳥の内部、臓腑にいたるまで神々のお気に召すものであるといい、
全世界で得られた
ローマのすべての勝利について前兆を表した、と記している。
この鳥については、鳴くのが遅れたり、一晩中鳴いていたという事も吉兆であるとする。
もし敵に征服されるといった場合には、そもそもこの鳥は鳴かないと。
- 一方メンドリについてプリニウスは、卵を産んだあとに身震いして体をゆすり、ぐるりと回って身を清め、
さらに一本の藁を儀式棒として自分の体と卵を清める一種の宗教儀式を行う、と記述している。
- 『建内記』嘉吉三年六月二三日条に、「異朝の畜鶏は、食物のためなり、本朝その儀なし、ただ時を知るのみ」とあって、その当時の鶏は食用でなかった事がわかる。
鶏が食用として日本で消費されるようになるのは十七世紀頃からと見られる。
- 近世の辞書『和訓栞』には、水死体を探すとき、鶏を船にのせて浮かべると、死体のある所で時を作る、諏訪湖でも沈んだ人のあるとこの方法を用いた、とある。
世阿弥作の「舟橋」に、やはり水死体捜索のために鶏を求める話があり、室町期以来の習慣だったことが知られる。
- 近世京都では、節分の夜、疫払いが市中をまわって銭を乞うており、歳男が大豆と銭をつつんだ包み紙で体をすって、街頭の疫払いに授けると、疫払いは「高声に疫を逐ふ歌詞を唱へてこれを祝す、佯(いつわり)て鶏の為(まね)して去」ったという(『日次紀事』)。
- 古代以来中国では、魔除けとして「画鶏」と呼ばれる鶏の絵を門戸にかかげたという。朝を招く鶏を、陽性の象徴と見てこのようになったのではないかという。
- 「団子浄土」「地蔵浄土」などの昔話で、爺が鶏をまねて酒宴中の鬼を退散させ、遺棄された宝物を得る型が多いのも、こういった鶏の「魔を払う」属性から考えられる。
参考文献
『動物誌(上)』アリストテレス
『プリニウスの博物誌 Ⅱ』
『酒呑童子の誕生』
『要説日本歴史』
最終更新:2016年05月21日 03:49