同書によれば、この式盤は元々、
道光宿祢の家中に安置されていた霊験物で、
陰陽頭
秦文高の話に聞いた
藤原頼通の命で探索され、
道光の孫で内舎人の
明任が所持していたのを発見、進上させた。
経頼は頼通邸でこの式盤を見たと記す。
同式盤は秦文高が宅で預かることになったようだが、そのまま行方不明になった由。
漢代楽浪郡治の遺跡石巌里二〇一号墳から2つ発見されたものが知られる。
径9.4センチ、木心黒漆塗、中央に回転軸を挿し込む穴があり、
中心に
北斗七星、そこから外側に向けて十二月神、干支二十八宿が円状に配される。
もう一つは方13.7センチの方形と径9センチの円形小薄板のセットで、
裏面は黄粉で塗られ、輪郭は朱。円盤には十二月神名、十干十二支を配す。
方盤には八卦、十二支、二十八宿を配する。
方盤の上に円盤を重ね、円盤を回転させて使用したと思われる。
最終更新:2011年08月08日 10:34