- 974年(天延ニ年) 祇園感神院、比叡山延暦寺の末寺となる(『日本紀略』)
- 1079年(承暦三年)六月、祇園検校の人事をめぐるトラブルで「叡山僧徒千余口」が
祇園社に集結、訴えへの応答なくば「天神」参詣のため入洛すると迫る。
『大御記』六月二日条によれば、このうち二百人ほどが甲冑、弓箭を
着用していたという。
嗷訴における武装を明記した初見。
- 1105年(長治二年)六月、御霊会が開催されていた祇園社において、
騎馬行列の馬長童と祇園神人がトラブルを起こす。
抜刀して暴れる集団を取り押さえた検非違使は、相手が神人であると知って彼らを釈放したと云々。
(『僧兵 祈りと暴力の力』衣川仁)
最終更新:2011年11月07日 14:56