- 戦前まで吉田家(吉田神道)に伝来した神祇官文書に、大伴家持の自筆の署名がある
772年(宝亀三年)正月十三日づけの太政官符があった。
同官符は、前年十二月に行われた
光仁天皇の
御体御卜(ごたいのみうら)の結果、
双栗神(なみくりのかみ、『延喜式』神名、山城国久世郡「双栗神社三座」)と
乙訓神(おとくにのかみ、『延喜式』神名、山城国乙訓郡「乙訓坐火雷神社」)の祟りが判明し、
神田・神戸と幣帛が奉られた事を記す。
同文書は、御体御卜の執行に関する確実な最古の史料だったとか。
(『日本神道史』岡田壮司)
最終更新:2011年12月11日 02:02