穣子2



うpろだ1211


朝起きると枕元に穣子が正座して座っている。
その形相は幽鬼のようで、普段の様子とは全く異なっていた。
何も怒られるようなことをした覚えはないが、それでも非常に不安になる。
とりあえず何を怒っているのかと訊いてみると、雨が少ないと怒られた。
確かに梅雨だというのに少ないが、そんなことを自分に言われてもどうしようもない。
このままでは作物が取れるか心配だと言われたが、苦情は山の上の神様にでも言って貰いたいものだ。
さてそんなに心配ならば川の様子でも見に行くかと誘う。
里の近郊にも川は流れているし、沼やら何やら沢山ある。
そいつらを見てやれば幾らか気も和らぐだろう。
この誘いに穣子は二つ返事で乗ってきた。


曇り空の下、川原を揃って歩く。山の方までかかる雲は薄く、雨の降りそうな気色はない。
川原は丸石が多く歩き辛いが足を取られるほどではない。
しかし穣子にはそうでも無いようで、彼女は自分の腕に掴まりながら歩いている。
流れる川の水は満々とは言えないがそれでも量は多く、干上がる様子は微塵も無い。
ここに着く前に農業用の溜池や水田もあったが、その水も豊富であった。
川の水量を見て安心したか、穣子は水面を覗き込んで魚などを見ている。
里に来るまでの間に川なり無かったかと思うが、山の麓から道順によっては水場は無かった。
沢はあるが、それには普段から水はちろちろと流れるだけである。
これでは水の量なんぞ判らんよな、と子供らの声を後ろに思う。


いつの間にか山にかかっていた雲も失せ、日が覗く様になっていた。
晴れてみれば酷い日照りで、何時に無く暑くなりそうな気配がする。
穣子は川に入って子供らと水の掛け合いなどをして遊んでいて、自分はそれを川原で傍観している。
淵のほうではすでに水に浸かっている子もいて、全く梅雨らしくない。
さて奴さんは川原を歩くのも恐る恐るだったのに、果たして滑った石の上に立っていられるのだろうか。
そう思いながら見ていると、案の定水飛沫を身を捩って避けようとした拍子に釣合を崩して転んでしまった。
びしょ濡れになって半泣きで岸まで戻る穣子を走って迎える。
手拭はあるが所詮汗を拭くためのもので、体を拭ける位に大きなものではない。
幸い日はまだ照り続けているし雲も無いので、服はすぐに乾くし、体が冷えることも無いだろう。
とは言えずっと濡鼠のままと言う訳にも行かないので、急いで上着を脱がせる。
着替えを取って来ようかとも考えたが、時間がかかるので自分の着物を着させることにした。
草叢の中で着替えさせている最中、さて下はどうしようかと思ったがはてどうしよう。

結論としては穣子にとっては些か問題はあるが、大方問題無かった。
代わりに着させた上着は十分大きく十分長く、何とか腿の辺りまでは隠し通せることが出来たのだ。
穣子は非常に恥ずかしがっていたが、なんにせよ火急なので仕様が無い。
濡れた服を持って急いで家に帰る。穣子が後ろに隠れているので非常に歩き辛い。
この辺りは仕事場にも近く暇つぶしによく歩くところであるので、人目に付きにくい裏道はよく知っている。
そのような道を選んでやれば、彼女の格好を余人に見せずに着くだろう。

道中穣子はしきりに謝っていたが、予想通りのことである。寧ろ注意しなかった自分にも非があるとしてもいい。
既に滅多に人の通らない古い農業路に入っており、穣子は背中から離れている。
別段気にしていないと言うと穣子は安心したように笑い、前を向いて歩き始めた。
やはりあの格好は恥ずかしいのか、首を回して人がいないかを確認している。
後ろには対して注意を払っていない様なので、先ほど背に張り付かれた分張り付き返す。
素っ頓狂な声を上げて慌てふためく穣子は予想通りなので一切気にしない。
暫く抱き締めながら歩いていたら観念したのか狼狽えるのをやめ、体をこちらに預けてきた。
穣子の水に落ちた体はまだ少し冷たかったが、擦り合わせた頬だけは熱病に罹ったように熱かった。

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うpろだ1380


夜半、暑さの所為で目を覚ますと穣子に抱き付かれていた。
仕様の無い奴だと思いながら絡まる腕を解く。
さて寝直そうかというところで障子越しに月明かりが見えた。
汗の引かないまま眠り直すのも気持ち悪いので、丁度良いと思い散歩をする。
空を見上げると、雲にも隠れずに煌々と輝く満月が天頂にいた。
この明るさならば行灯を持たなくても道は十二分に見通せる。
遠出をすれば妖怪に襲われるかもしれないが、近場ならば大丈夫だろう。


外に出ると涼しい風が吹いていた。事前に汗を拭いていなければ腹を下していたことだろう。
適当に家の周りを歩きながら、体の粗熱が取れるのを待つ。
大分汗も出なくなったので家に戻ろうと思ったが、ふと目に付いたので自宅脇の畑に入る。
自分の畑なのだが、長い間世話をせずにいたのでさぞ荒れているだろうと思いきや存外整っていた。
恐らくは穣子が手を入れていたのだろう、畑に植わっている作物はどれも良く生っている。
ただどれも形は見たことのあるのだが、大きさが畸形と言えるほど肥大化していた。
これも穣子の力に依るものなのだろうが、それにしても面妖なことだ。
こんなことをして土が死んだりはしないのだろうかと思いながら、畝の間を歩く。
富有程の大きさになった柿を見上げていると、不意に後ろから声が掛かった。
振り返ると、寝が足りないのか若干不機嫌そうな顔をしている穣子がいる。
何をしているのかと問われたので、眠れないので散歩をしていたと答えた。
なら私も一緒に周るといって、穣子は腕を絡め、しな垂れてくる。
それを断る理由も、振り解く理由も無いので手もつなぎ、連れ立って畑の中を歩いた。

説明されながら歩くと、随分な種類の作物が育てられていることが判った。
外周の、道との境界の辺りには秋桜と金木犀がいる。
畑には似つかわしくないが、庭の延長程度に考えれば問題ない。
多種多量の芋の植わっている地域を抜けると、柿やら梨やら蜜柑やらの苗木が育てられていた。
所々に大きな木があるが、それらは山から適当に持って来たものらしい。
勝手に持って来てよかったのかと聞いたら、一本くらいどうという事も無いそうな。
随分な大雑把さだが、幾らもあるうちの一つなら別段構わないのかもしれない。


家の裏口近くの葡萄棚の下に設えられた長椅子で一休みする。
葡萄の一房一房に白い袋が被せられ、どのくらいまで育っているのか見ることは出来ない。
しかしこれも山から持って来たのだろうが、どうやって持って来たのか全く不明だ。
自生しているもののはずも無いから、自前の品なのだろうがそれにしても大きい。
端まで水の行き渡る限界くらいの大きさなのだから、二人掛でも運ぶのは難しかろう。
そんなことを思いながら葡萄を見ていると、何を考えているのかと穣子に叱るような口調で言われた。
両の手で自分の顔を挟みつけ対面させ、折角の月夜の逢瀬なのだから私を見ていろと宣う。
さていつの間にそんなものに変わったのだろうか、と内心苦笑しながら真直ぐに見つめてやる。
すると向こうもじつと見てくるのだからこうなればもう我慢比べのようなもので、どちらかが恥ずかしくなるまでずっと続いてしまう。
今度の勝負は自分の勝ちで、穣子はふいと下に目線を逸らしそのまま俯いてしまった。
その顔を両手でぐいと持ち上げ、またまじまじと見つめてやる。
月夜の白光に照らされてもなお頬は紅潮しているのが見て取れ、また大分熱い。
頬に添えた手の片方を放し、その手で頭を撫でてやると穣子は気持ち良さそうに目を細めた。
そのまま顔を近づけていくと穣子は細めた目をまた細め、ついには目を閉じる。
それに促されるように更に顔を近づけ、幾分長めの口付けをする。

顔を離したときに、ふとある思いが浮かぶ。
以前に一度、冗談交じりに嫁に来ないかと誘ってみたが、今なら受け入れてくれるだろうか。
あの時は体面があると言って断られたが、それももう気にしないでいてくれるだろうか。
まだ顔を持ち上げたまま懊悩していると、穣子に怪訝そうな顔で話しかけられる。
それになんでもないと答えてやり、一息に抱き寄せてやると驚いたのか穣子は体を固くした。
しかしそれも一瞬のことで、すぐに胸の内に安心したように擦り寄ってくる。
暫く頭を撫でてやり、その間に言葉を考えておく。
とはいえ生来気障な性質ではないので、大した文言が浮かぶわけでもない。
仕様がないので、撫でる手を止め顔を上に向けさせる。
やはり不審そうな顔をしてこちらを見上げてくる穣子に、唯うちに嫁に来いとだけ言ってやる。
穣子は数瞬迷ったような表情をすると、二三度周りを見回すように首を回した。
そのうち何かを考えるような仕草をとると、やおら抱きつき場所をあけて置いてくださいとだけ返してくる。
自分は短い返事を返し、そして二人でまた口付けを交わした。

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新ろだ79


 新宿駅というターミナル駅はひとえに巨大である。
 多数のJRの路線に小田急や京王、東京メトロに都営地下鉄まで合わさり、それだけに改札の数は多い。
 更にJRの場合は東口、西口、南口の他にも新南口やサザンテラス口などがある。
 つまるところは待ち合わせに単に改札出てすぐと言っただけでは確実に迷うのだ。
 さて所で自分はちゃんと新宿駅新南口と言っていたであろうか。
 ここは改札機の数が少なく、見通しやすいのはいいことなのだが反面ホームから遠いのでどうにも着きにくい。
 プリペイドの携帯でも持たせておけばこんなに心配しないでもすんだろうにと思いながら、辺りを見回す。
 柱の周りをうろつきながらしきりに腕時計を見つめてやきもきしていると、不意に肩を叩かれる。
 振り返るとそこには長らく待っていたものがいた。
「お待たせ」
 珍しくスキニーのジーンズに白のインナーと黒のカーディガン、黒のショートブーツという出で立ちをした彼女は、自分の正面に回り言った。
「どれくらい待った」
「大体十分くらいかね」
「ちょっと待たせちゃったね」
「このくらいは待つでしょ。それより迷わなかった」
 聞くと彼女は右手を顔の前に持ってくるとぶんぶんと振っていった。
「なかなかどうして、結構迷うわね。東京駅ほどじゃないけど」
「まあ、あそこは別格さね」
 言いながら柱から背中を離す。彼女も下ろしていた鞄を持ち直し、歩く準備をする。
「じゃあ何処に行こうかね、穣子」
 と言いながら左腕をさしだすと、彼女は静かに右腕を絡ませ自分に並んだ。
「今日はこの辺りのデパートめぐり。それで明日は明日で考えましょう」
「ならとりあえず一番近いところに行こうか」
 そう言って改札より一番近いデパートに歩き出した。


 そして入った瞬間に思い出した。ここはどちらかと言うと年寄り向け、金のある人間向けだ。
 しかも入り口から宝石店があるから特に性質が悪いんだったここ。
 ルミネにしとけばよかったかなあ、と思いながらゼロの多さへの覚悟を決めた。

 幸い大きな騒動、と言うか出費は無かった。ただ宝石にはやはり豪く興味を示したようで、随分欲しそうな格好ではあった。
 ああ俺の実入りの少ないばっかりにと反省することしきりで、イミテーションでもいいから後で買ってやろうと決めたのである。

 買い物の途中に、休憩がてら適当なカフェに入りおやつを食べる。
 紅茶を飲みながらケーキを食べるのを見ていると、欲しそうにしていると見て取ったのかフォークに欠片を突き刺して差し出してきた。
 恥ずかしいことこの上ないが、周りは特段気にしている様子もないし、それを受け入れることにした。

「それにしたって、こんなところでよかったのか」と食べながら聞く。
「こんなところって言うと?」
 自分の問いに穣子が聞き返す。都会のど真ん中だろうと言うと得心のいったようで、ああと頷いた。
「都会は怖くて近づけなかったのよ。お姉ちゃんとじゃ不安だし」
「それで知ってる人間がいるから、それに案内させればいいやって?」
「そういうこと。田舎の温泉とかは大抵行ってるしね」
「それは羨ましいねえ」
 茶化し半分羨望半分に言ってやると、穣子は笑顔になって言ってきた。
「それなら来年は箱根にでも行こうか、今からじゃ無理だけど」
「そうだね。二人でしっぽり湯治とでもいこうか」
 そういうと穣子は顔を赤くして俯いてしまった。

 軽く食べ終わるとまた腕を組んで二人店内を動く。
 服屋で立ち止まり、宝石屋で立ち止まり、また服屋で立ち止まる。
 途中でハンズに寄ったり、本屋に行ったりしてまったりと時間を消費した。
「そろそろホテルに行こうか」
 空が暗くなったころに、此方から切り出す。
「そうね。場所わかる?」
「さっぱりだ。まあ適当に調べれば出てくるさ」
 穣子はまあいいかという感じでこちらを見ている。
 まだ暗くなったとはいえ早い時間なのだし、時間はたっぷり有るのだから二人で外を歩くのもいいだろう。


 駅の案内板などで調べながら、ゆっくり歩いてホテルを目指す。
 八雲さんより渡された紙に書いてあったそれは随分上等なものだった。
 何時の間に予約なんて取っていたのかと言う疑問は尽きないが、そんな野暮は言いっこ無しか。
 部屋に通されると荷物を置き、すぐにふたりでベッドに横になった。
 投げ出した手同士が触れ合い、どちらとも無く。それを握り締める

「ねえ、明日何処行こうか」
 ベッドの上で穣子が聞いてくる。
「何処でもいいよ。渋谷でも池袋でも秋葉原でも」
「そう、それじゃあ……」
 穣子はそこで言葉を区切り、体を起こして此方の顔を覗き込んだ。
「ねえ、帰りたくなったりしないの?」
「なんで?」
 更に顔を近づけて言う。
「あなたの家に行ってみたいと思って」
「ああ、家ならもう行ったし」
「……おい」
 がっしと肩を掴まれる。言われた方としてみればそんな気分だろう。
「何で一人で行っちゃうのよ。私の紹介は?」
「いや、往復二時間ちょっとだし、時間有るから下見に行こうかなと」
 肩を引き掴んで揺さぶられるが、こればっかりは甘受するより他にない。
 酔うほどに頭を引っ掻き回し、睨む様な調子で此方の顔を見つめてくる。
「下見なら私を親と合わせる気があるのね、無いなんて言わせてたまるもんですか」
 激昂した口調で穣子が言う。
 しかし、全くない、とその考えを打ち砕くとまたも烈火のごとく怒り出した。
「何で紹介しないの。他に誰かいるの?」
「いや、単純にどう言ったらいいものか、考えが浮かばないだけだが」
「そんなの嫁です、って言えばいいだけじゃない」
 またも肩を揺さぶられながら言われ、吐きそうになるのを堪えてそれに返した。
「だって何年も行方不明でふらっと帰ってきて結婚しましたはおかしいだろう」
 あー、と納得したような不満そうな声を出され、身がすくむ。
 表情は幾分穏やかになっているが、それでもまだ怒り顔だ。
「だから親と会うときは、適当なアリバイ作ってもらってからになるな」
 何かを言われる前に先んじて言っておく。本音では全く会いたくないという風に、ため息をつきながら。
「駆け落ちしてました、とかじゃ駄目なの?」
「駄目だと思うなあ。する理由が無いんだもん、態度でばれちまう」
 そう言うと、二人で頭を抱えて何か良い理由がないかと考える。
 とはいえ咄嗟に良い考えなど浮かぶはずも無く、迷宮入りと相成った。
「でも先延ばしにしていてもよくないのよねえ」
「まあ、それはそうなんだけれどもね」
 二人顔を見合わせてまたため息をつく。すると穣子が何かを思いついたらしく呼びかけてきた。
「ねえ、それじゃあやっぱり明日行ってみない?」
「そりゃ後回しにしてもだめとは言ったが、急すぎる」
「まあ、行きたくないならしょうがないんだけれども、」
 そこで一旦言葉を区切り、にっこりと微笑みながら穣子が言った。
「その代わりに明日は銀座で買い物ね」
 ああそうきやがったか。月賦でいろいろ買わせるつもりだろうか、これは後々響いてくる。
 どちらに行っても酷い事になる究極の二択。なかなか辛い明日になりそうだ。

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最終更新:2010年05月09日 21:47