はたて1



新ろだ2-303



「え~っと……霧の湖があっちなんだから紅魔館は……ああ、もう!
久しぶりの外は方角が狂うわね」

 そう呟きながら周囲を見渡す天狗の少女……
姫海棠 はたては手元にあるメモに書かれた道順を確認し、
カメラに移る景色と現在地を見比べてみる。
と、道順など言っているが天狗一族は基本的に歩きなんてしないので、
それは地上にある目標物(例えば川や巨木、大岩等ちょっとした事では無くなったり見失わない物)
からどの方角に飛んだ方向等と、アバウトと言うレベルじゃない説明方法であった。

「あ~も~……ええっと、あれがそうなんだからこっちで良いのよね?」


「本日も晴天、雲ひとつ無い晴れか」
「おはようございます、○○さん」
「紅か、おはよう」
「暑くなりそうですね~……立っていると熱射病になるくらいに」
「まあ……ちゃんと水分は取る様に、それから体調が悪くなったら無理しないで十六夜に……」

 突然手を口に当てクスクスッ……と笑う紅。
何かおかしい事でも言ったであろうか?

「何かおかしい事でも言ったかな?」
「クスクスッ……いえ、その、心配してくれるのは嬉しいのですけど、
私は妖怪ですからご安心を。 人間と違いましてそう簡単には倒れませんし」
「その油断が一番怖いんだ、私は大丈夫等と言っている人ほど……」
「はいはい、気を付けますよ」

 ……まあ、大丈夫だと言っている以上大丈夫なんだろうが……
まあ良いか、さて今日はどうしようか……

「おや? あれなんでしょう○○さん」
「ん?」
「ほら、あれですよ。 あれ」

 紅が指さす方向を見てみると、何かが空中を飛んでいる。
この幻想郷では珍しくも無い光景だし、恐らくそう言った意味で言ったのではないだろう。
フラフラと頼りなさげ……と言うより、おっかなびっくりに飛んでいる様に見えるのだ。

「……あ、こっちに来ますね」
「ん……と言うか急に速度がh」
「失礼致しますが、ここは紅魔館で貴方は○○さんと言われる軍人でしょうか!?」

 ……これはまた急な事で。


 青年事情聴取中……少女説明中……

「……と言う事で○○さんをお貸し願いたいのです」

 と、レミリア様の前に立つ姫海棠。
要約すると、妖怪の山の大天狗……まあ、天狗族の長らしい。 から、
私を貸して貰う様に紅魔館に願い出てこい と言う事の様だ。
プライドの高い天狗族にしては珍しい事ね……とは十六夜の弁。

「まあ、貸し出すも貸し出さないもあいつは物では無く人間だからな……好きにしろ」
「お話が早くて助かります、スカーレット殿」
「○○、そう言う事だ。 協力するもしないも好きにしろ」
「承りました閣下、では外出して参ります」
「ああ、行ってこい……それと閣下じゃない」
「はい、レミリア様」

 ちなみに、何故かレミリア様はスカーレット様と呼ばれる事を好まない。
恐らくフランドール様と混同しやすいからなのだろうが……まあ良いか。


「それでは参りましょうか?」
「ああ、しかし妖怪の山まで歩くなら準備をしないと……」
「いえ、ご心配なく。 私が妖怪の山まで運びますし、依頼も私が口頭でお伝えしますので」
「必要な物は?」
「貴官の頭と知識、それから見る為の瞳と書き綴る為の手、後は地から足を離す心構えですかね」
「了解、なら何時でも良いよ」

 そう言い私を見る○○さん。
あっさりと何時でも良いと言うけど……それの意味分かっているの?

「あの……分かってるの? 空を飛ぶのよ?」
「ああ、やはりそうだよね? 私は飛べないから運んでもらう事になるが……」
「いえ、そうじゃなくて貴方、私に命握られるんですよ? 私妖怪なんですよ?
幾らスカーレット殿……まあ、レミリアさんにお伺い立てていますけど、
嘘吐いて貴方を食らう事も出来るんですよ?」

 そう私が言うと、何故かキョトンとした顔をする彼。
え、まさか全く想像してなかったとか?

「何故わざわざそんな事を?」
「え、だって貴方は人間で私は妖怪なんですよ? 少しくらい……と言うか、
怖かったり怪しいとか思わないんですか?」
「レミリア様が好きにしろと仰られた方だ、私は疑ったりはしていない。
それはレミリア様を疑う事でもあるし、何より協力を要請してきた君の上司にも失礼だ」

 は、はあ……変わった人間ね。 まあ一応筋は通っているけど……
まあ、変わった人間じゃないとこんな場所に飛ばされる訳無いか。
改めて彼を見てみると、変わらずまっすぐな瞳でこちらを見ていた。
あんな事を話した直後、不安や不信感を露わにしても良さそうなものなのだが……

「……まあ良いわ。 それじゃあ行きますよ?」
「何時でもどうぞ」

 そう言い、彼の脇の下に手を入れて抱き抱える様に固定する。
幾らなんでも首根っこを捕まえて運ぶ訳にもいかないし、背中に乗せると言う事は物理的に無理だ。
あの文が言っていた白黒魔法使いなら、箒に乗せる事も出来るだろうが……


「……おお」

 地面から足が離れ、空中に自身が持ち上げられるのが分かる。
地上と違い、風が若干強い気がするが真夏の今ではそれが心地よい。
空から降りる(ヘリからロープで降下する事)事は外の世界で経験した事があるが、
飛ぶと言う事は経験がない。
 それに飛ぶ事があったとしてもそれは落下であって、
この様に装備も無しに空に居る事はありえない。

「依頼と言うのは簡単な事です、貴官から見て私達の住む妖怪の山……の麓ですが、
そこから考えられる侵攻ルートと迎撃方法の意見を頂きたいのです」
「私は外の世界……まあ、君たちの言う外界しか知らないから、
あまり役に立たない気がするんだが……それに私は対人戦闘しか考えられないよ?」
「いえ、だからこそ良いのです。 妖怪は弾幕勝負は出来ますし弱い人間を食らう事は出来ます。
しかし対策を施された武装集団を相手にするには、どうすれば良いかの知識が無いですから」

 それはつまり、妖怪対人間を考えた事……なのかな?

「ああ、ご安心下さい。 特に戦おうとか人間を滅ぼそうとかそう言った事ではありませんので。
将来そう言った事が起こった際の保険 と言う事らしいです」
「自衛の為に、対策を考えて置こうと言う事だよね」
「まあ、貴官の様な知識のある人が居るのならどう考えるかを知りたい、
と言うのも本音みたいなのですがね」

 まあ、少なくとも人里や他の妖怪の住みかの攻略作戦を考えろって訳でも無いんだ。
それなら特に問題は無いか……こちらから手を出さなければ良いだけの問題なのだから。

「さて、着きましたが……どうしましょうか?」
「天狗達の地図とかはあるのかい? あれば見せて貰いたいんだけど……
ああ、それがダメなら山道や獣道、川や渓谷等のある場所等を描いた簡略図でも良いよ。
出来れば傾斜とかが分かる地形図が欲しい所だけど……」
「え~と……こんな物ですが良いですかね?」

 姫海棠から渡された地図に目を通し、バインダーにその地図を挟んで赤、
蒼色のペンで矢印や記号を描いて行く。
上から見た状況や、気が付いた事もその地図の隅の空いた場所に書きこんでゆく。

「その矢印等は何ですか?」
「赤い矢印や文字は地図で見た場合の考えられる侵攻ルート、つまり攻撃側の事。
蒼色は防御側の机上での最適な防衛配置」
「見ただけで考えられるのですか?」
「人間は歩かないといけないからね、空を飛ぶのと違ってある程度限られてきちゃうんだよ。
それに大軍を動かすとなると補給も考えないといけないし、
見つかり易い山道を避けると森を進軍するしか無くなるが、
森を進軍するとそれだけで迷子になる部隊も出たりもする。
 森ってのはあんまり目印になる物が少ないし、
自分達が何処に向かっているかはっきりしない可能性が高い。
勿論コンパスとかである程度補えるだろうが限界はあるだろう」


 地図に記号と文字をサラサラと書き続ける彼。
紅魔館で見た時はどこかのんびりした雰囲気を感じたのだが、
今の彼からはその気配は微塵にも感じられない。
真剣な表情で地図と下に広がる山と森を見比べては地図に記号を書き込んでゆく。

「姫海棠」
「あ、はい。 何でしょう?」
「降りる事は出来るかな? 一応机上で考えられる事は考えたけど、
現地を見た方が詳しく出来るんだが……ダメかな?」
「あ~……一応許可は貰ってますから平気だと思いますが」
「それじゃあ、あの場に……」

 と指を差す方向を見る。
山道の一つで、天狗の集落へと続く道の一つであり防衛の要所ではあるのだろう。
って、あれ? 誰かがこっちに来るような……


「あやや、誰かが誰かを連れていると思ったらあなたでしたか」
「あら、また妄想記事でもお探しかしら? 文」
「そう言うあなたこそ珍しいわね、外に出ているなんて……それに人間を連れている事も」
「こっちは大天狗様直々の仕事よ、それに引きこもりみたいな事言わないでくれない?」
「事実を言って何か悪いですかね?」

 と、現れた少女と険悪な状況に陥る姫海棠。
表面は笑顔だが瞼辺りがピクピクと引き攣っている。 それは対面の文と呼ばれた少女もだ。

「それはそうと、そこの貴方。 外界から来た人間とは貴方の事ですよね?
どうですか、こんなつまらない事よりも私に取材させて頂けませんかね?
勿論ただでとは言いませんし、人里の茶屋にでも赴いて……」
「ちょっと文!?」
「あ~……すまないが、今は姫海棠が優先だ。 先に依頼があったのは彼女だからな。
その依頼が終わるまではそちらの事は出来ない。 それにだ」

 一呼吸置き、正面の烏天狗をしっかりと見る。

「今の彼女はバディ パートナーだ。 余り悪口は言わないで欲しい」
「……へえ~、そうですか~……」

 と、彼女の瞳の色が変わる。 あ、何となくだが地雷を踏んだ気がする。
ゆらり……と彼女が動くのだが、幽鬼の様な雰囲気があるのは気のせいだろうか?

「こちとらパパラッチだとか三流新聞記者だとか、
捏造文屋だとかで異性はおろか同性にすら嫌煙されているのに……
それなのに、何であんたは異性に庇って貰えるのかしらねえ……パルパルパルパル……」
「あ、あの~……文?」
「……一人身の怨念を思い知れええ!!!」
「それ八つ当たりと言うか勘違い!! 落ち着いて話を「問答無用ぉぉぉ! 射命丸 文、参る!!」
駄目ね、完璧に頭に血が上っちゃったわ……動くから舌噛まないでよ!!」

 姫海棠に答える間もなく、自身の体は思いっきり振られる。
後ろから風を裂く音と同時に、青い空に色とりどりな弾幕が張られていく。
被弾してはいないようだが、姫海棠の息遣いが先程と比べようも無く荒くなってゆく。
それはそうだろう、後ろに気を使いながら私にも弾が当たらない様に動き、
それに人一人を抱えながら飛んでいるのだ、何時もと違い体力の消耗も激しいのだろう。

「姫海棠、低空に逃げて私を離して逃げろ!」
「……そ、んなことしたら……はあっはあっ……死にますよ? 一体どのくらいの……
スピー…とんでるt……はあっ……」
「だがこのままじゃ……なら、私を後ろに向けれるか!?」
「一度離して……空中でキャッチする事が……でき…ッ…」
「ならそれで構わん、そうすれば後ろを私が見て避ける指示を出せる!」
「……失敗したら……そのまま…地面でミンチで……」
「姫海棠なら受け取れるだろ? ……信じろ、多分平気だ」

 迷う様な瞳を見せる姫海棠に微笑む。
その笑みに後押しされたか、一度上昇し始める彼女。

「……いきます!」
「了解」

 パッ と肩に回されていた腕が離され重力に引かれ落下を始める自身。
降下する場合、地面に垂直に立った状態だと空気抵抗が少なくなり降下スピードは速くなる。
が、その姿勢でないと姫海棠は受け取れないだろう。

「あやや!? 気でも狂いましたか!? 流石に人殺しするのは幾らなんでも後味が……」
「そう言う訳でもない」

 自由落下から、両手をしっかりと握られる感触。
その衝撃があまり感じなかったのは何かしらの力が働いたからなのだろうか?

「ナイスキャッチ!」
「……そこまで平然と出来るのは凄いと思いますけどね……」

 両手首を握った姫海棠が、呆れた様な表情で私を見ている。
ただ、その中に柔らかい笑みが含まれていた様な気がするのは私の気のせいだろうか?

「あ~……その、私を無視するのは止めて頂けないですかね……」


 その後、○○さんの命を危険に曝してしまった事からか文の頭も冷えたらしく、
後日取材の約束を取りつけて大人しく天狗の里へと飛んで行ってしまった。
私達は今、彼が現地を見たいと言う事だったので先程の場所に戻ってきた所だった。

「そう言えば○○さん」
「なんだい?」

 相変わらず地図と地形を見ながら書きこみ続ける彼。
もう地図には書き切れないらしく、私が使っていた取材用のメモ帳に書き綴っている。

「何故、文にあんな事を言ったんですか?」
「バディの事か? 一緒に仕事をしているんだ。
そのパートナーが悪く言われれば気持ちの良い事じゃないさ。
……まあ、そのせいで姫海棠には迷惑をかけてすまなかった」

 地図から顔を上げ、私に頭を下げる彼。

「ああ、いえ……別にそれは構いません……あともう一個良いですか?」
「幾らでも」
「何故あんな命を駆ける事に躊躇いを感じなかったんですか?」
「? 姫海棠なら受け取れると思ったからだが?」
「……こんな短時間の間一緒に居ただけなのに、何でそこまで信じられるんですか?」

 ふむ……と少し考える仕草を見せる。

「ん~理由を付けるなら、射命丸から弾幕を張られた時に、
しっかりと私の事も考慮してくれた事からかな」
「そんな単純な理由で……」
「そんな単純な理由で良いのさ。 第一に射命丸から弾幕を撃たれた時に、
私を離して逃げるって事だって君には出来たんだ。 それを行わなかったって事もそうだし、
回避行動を取る時に私に一言言っている。
それに私が低空で離せと言った時も身を案じてくれただろ。 こんな所かな?」
「…………」

 彼は本当に軍人だったのだろうか?
こんな……そんな単純な事で自身の命を平然と預ける事が出来て、
一時的かもしれない仕事仲間を庇って……

「貴方って興味が湧きますね、見て居て冷や冷やしますけどどこか楽しいですよ」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
「それに、信じて命を預けてくれた事も嬉しく思います……そうだ、これ貰ってくれませんか?」
「?」

 腰のポシェットから一個の笛を取りだす。

「これは?」
「特殊な笛でしてね、私にしか聞こえない様に細工がされている物です。
何か困った事や私の力が必要な時は吹いて下さい。 直ぐにそちらに向かいますよ」
「……嬉しいんだが、そんな大切そうな物を貰っちゃって良いのかな?」
「はい、貴方に受け取って貰いたいと思います」
「じゃあ、ありがたく……ありがとう、姫海棠」


「はあ……その様な事があったのですか」

 姫海棠との仕事を終え、紅魔館に帰ってきた私は十六夜に紅茶を入れて貰っていた所だ。

「それで、その笛が頂いた物なのですか?」
「うん、不思議な形をしているんだけど……」
「まあ、頂いた物ですし大切にされるのが宜しいかと」
「そうだね、そのうち何かお返ししないとな……」

 むう……しかし天狗って何を送れば喜んでくれるんだろ……


「~♪~~♪」
「おや、ほたてが上機嫌」
「誰がホタテよ!! はたてよ、姫海棠 はたて!!」
「まあそんなどうでもいい事は置いておいて「どうでもよくない!」どうしてそんなに上機嫌なの?」
「……久方ぶりに面白い人を見つけたって事よ」
「ふ~ん……」


 天狗の笛は特注品であり、個人々々ひとつずつ持っている。
それを特定の人物に渡すと言う事は……



Megalith 2011/01/09


 上白沢慧音が脇の時計を気にし始めたので、程なくしておれは本日の聴取を切り上げた。
「大したことを話せなくてすまない」と彼女は謝意を見せたが、すでに必要な情報は十分集まっている。
おそらくこの後に用事でもあるのだろう彼女は、荷物を手早くまとめて足早にこの教室を去っていった。
 雑嚢から帳面を取り出し、一風変わった道具屋の店主と上白沢慧音に対してこの日行った聴取を簡単にまとめていると、しばらくして射命丸文がこの教室に入ってきた。
こちらへ近づく高下駄の音をべつだん気に留めず、黙々と事務作業をこなしていると、面白くないのか彼女はすばやく机から帳面を取り上げた。
おれは抗議の声を上げなかった。
こちらにちょっかいをかける彼女へ反応をしてやるのはなんとなく癪だったし、彼女がその帳面に興味を持ったのなら、あわよくば本職の考えを聞けるのではないかと踏んだからだった。
視線を帳面へ走らせている文の整った横顔を、おれは頬杖をついて眺めていた。
 程なくして文は帳面のあらかたを読み終えると、さも詰まらなさげにそれを机の上に放った。
彼女は「いやらしいわね」と一言くれると、おれの隣の席に腰を下ろした。
別にいいじゃないか、とは言い返せなかった。
聴取の対象を選んだのはおれだったからだ。
 おれが口ごもり眉根をひそめると、文は怒ったような、それでいて困ったような表情を作って、おれの万年筆をひったくった。
「これ、ください」
 やれるわけがない。
どうしてそんな突飛なことをするのかとおれが問うと、文は悪びれずに「わたしのために使ってください」と言った。
彼女がおれの書いた記事を好く評価してくれているのは知っていたが、おれにもおれの職場がある。
おれは「それはできない」と答え、万年筆を返すようにと手のひらを彼女へ向けたが、彼女は冗談めかし膨れて見せるだけだった。
「あの子だけじゃ、そんな新聞らしい新聞作れないですからね」
「記事の方針を決めたのは大天狗の爺ちゃんだ」
 おれが言い返すと、文は今度こそ本当に面白くなさそうな表情を浮かべ、わざとらしくため息なんか吐いて、万年筆をおれに返した。
「それ、どういう意味かわかってますか?」
 当たり前だ。
「近年の人妖カップル増加について」なんて記事を大天狗の爺ちゃんが指図してきたのだから、「そういうこと」に決まっている。
「いいんですか。あなたのこと、まるで自分の孫みたいに思ってますよ、あのひと」
「ずいぶん昔から世話になってるから、そこは。無理に見合いをさせられるわけでもなし、まあ、いいじゃないの」
 大天狗の爺ちゃんが、おれとあいつ──姫海棠はたてをくっつけようとしているのは誰の目にも明らかだった。
おれに特別その気はないし、もちろん彼女だって連れ合いにおれを選ぶ気などないだろう。
彼女は「花果子念報」の編集長であり、仕事上おれの上司にあたるだけの女で、そこにべつだん艶のある話はない。
「じゃあ、結婚しろって言われたら?」
「それは、そのときは、結婚するさ」




 4六の地点に打ち込まれた角行が、1三の香車と8二の飛車に手をかけた。
これは、わかりやすく決まった香飛両取りで、序盤の駒組みの際におれが4六歩を突かなかったのはこの手筋を見ていたからだった。
 程なくして、十数手先に詰みを見つけたらしい犬走椛は持ち駒を盤上に放った。
彼女と将棋を指すのは本当に久しぶりのことだったが、昔と変わらず彼女は急戦模様の居飛車党のようで、一つ一つさばくのに苦心させられた。
「振り飛車党になったんだな」
 「ああ」と、椛姉さんが淹れてくれた緑茶を啜りながらおれは答えた。
そういえば、彼女に将棋を習ったばかりのころは、おれも居飛車の将棋を指していた。
人里の爺さまたちと将棋を指すうちに、角行の打ち込みがおもしろい振り飛車を指すようになったのだけれど。
「まさか、おまえが歩で香を叩いてくるだなんて思いもしなかったさ」
「男子三日会わざれば、ってやつだよ」
 おれが空になった湯のみをかたわらの盆に置くと、椛姉さんはおれの陣にあった玉将をひったくり、大橋流に駒を並べ始めた。
「姫海棠が来るまで、まだあるだろう」
 たしかに、姫海棠がこの滝裏の詰め所を訪れるまで、四半刻かそこらある。
王将を受け取ったおれは、やはり大橋流に左金から駒を一つずつ並べ始めた。
 初めて逢ったとき、おれは椛姉さんを恐ろしいひとだと思った。
何せ、その時分のおれはまだ七つやそこらだったし、彼女は妖怪の山の哨戒を勤める天狗なのだから、無理もない話だ。
しかし、おれが好奇心から何度も妖怪の山を訪れるうち、諦めたのか椛姉さんの態度は軟化していき、半年もしたころ、おれはこの滝裏の詰め所の常連となっていた。
むろん、勝手をはたらくことが許されたのは椛姉さんの手の届く範囲でのみだったが、谷河童の集落に連れて行ってもらったり、日がな一日将棋を指したり、いろいろとよくしてもらっていた。
しばらくして、人間の子どもを囲っていることが大天狗の爺ちゃんに露見し、ひと悶着あったのだが、彼の厚情によりお咎めなしとなり、以後節度を持った付き合いが求められたものの、それから数年は、週に一度この滝裏の詰め所を訪れていた。
「手が、大きくなったな」
 おれが妖怪の山を訪れなくなったのは、十だかそこらのときだった。
おれと同じ寺子屋に通っていた、当時のおれより一つか二つちいさな子どもが、里に下りてきた妖怪に食われたことがきっかけだった。
その子と話をしたことは一度だってなかったし、泣いて悲しんでいた大多数の寺子屋の子どもたちと違って、おれには特に感慨らしい感慨がなかった。
今思えば、泣いているふりでも悲しんでいるふりでも見せておけばよかったのだろうけれど、当時のおれはそんなに利口ではなかった。
「男ですから」
 「妖怪」と蔑まれた。
「そうだったな」
 やはり人間の仔であったおれは、それ以降、一人の人間として自立するまで、妖怪の友だちではいられなかった。
「姫海棠の助手はどうだ」
「どうって、あれでいて、食べていくのには困らないよ」
 「そうか」と、9九に玉将を押し込めて椛姉さんは答えた。
 はぐらかして答えた自覚があった。
おれは、この数年おれが妖怪との関わりを避けていたことを、どうしても糊塗したかったのだ。
 「遠いな」と、穴熊模様に組まれた椛姉さんの陣を見ておれは独りごちた。
「なあ」
 この局面で7八金と固めたのは問題手ではないだろうか。
浮いた5七の銀将に狙いをつけて3九に角行を打ち込むと、5八に椛姉さんの飛車が回るから、次の2五飛車がやはり受からない。
2九飛車成りで、ほとんど勝負がついている気がするが、椛姉さんはどうして堅く囲った?
6六歩と突いて6七金将、6五歩と進めれば、おれの3八歩で同じく浮き駒を狙われる。
この場合の最善手は。
「ごめんな」
 おれは手を止めた。
 からんからんと、頭の中、並べていた駒の散らばる音を聴いた気がした。
気づけば椛姉さんは、その澄んだ目でじっとおれを見つめていた。
7八に金が寄って四角くなった穴熊の真意に気づくと、おれはもう、何もかも洗いざらい話して楽になりたい気分だった。
 「おまえがどこで何をしていても、わたしにはお見通しだからな」。
遠い昔、椛姉さんが何度もおれに言い聞かせていた言葉が、胸の中、強く響いていた。
「ぜんぶ、知ってたのか」
 椛姉さんは何も答えず、おれの頭を抱き寄せた。
 ずっと話がしたかったんだ。




 定刻よりも少しだけ早く滝裏の詰め所を訪れた姫海棠は、べつだん事情を訊いたりせずに手巾をおれに渡した。
彼女は、この後すこししたら大天狗さまとの会食があるから、とだけおれに伝えると、急須を持って囲炉裏のほうへ行ってしまった。
彼女の足取りはどこか気丈で、そのときのおれには、その後ろ姿はいつもより大きく見えた。
 「いい女じゃないか」と、隣で椛姉さんが囃した。
おれは、無様な姿を姫海棠に見せ、あまつさえ気まで使わせてしまったのだと思うと、なんだか無性に気恥ずかしくなった。
一度そう意識してしまうと、彼女に渡された手巾もなんだか使う気にはなれず、けっきょくおれは着ていた洋服の袖で乱暴に目元を拭った。
「いい男になったかな」
「それは、もちろん」
 ばしん、と椛姉さんに背中を叩かれたおれは、注がれた茶を運ぶべく、囲炉裏へと向かった。
 趣味のいい紺色の暖簾をくぐると、ちょうど茶が沸いていたらしく、姫海棠が三人分の湯のみにそれを注いでいるのが見えた。
「持っていくよ」
「どうしたのさ、急に」
「いいから」
 そのとき、なぜだかおれは姫海棠の目を見ることができなかったが、彼女は「ふうん」とどこか悪戯っぽく笑って、おれに盆を預けてくれた。
きびすを返し居間に戻ろうとすると、片手で暖簾を上げてくれた姫海棠と目が合って、おれはなんだか変な気分になった。
昼間に寺子屋で文と話したことを、どうにも意識してしまっているようだった。
「感傷的になっているときに女のことを考えるものではないな」と胸中で自戒して、盆をひっくり返さないように、ゆっくりと歩いていった。
 それは、そのときは、結婚するさ。




 会食の席で、大天狗の爺ちゃんがおれと姫海棠に伝えたことは、大きく二つだった。
 ひとつは、近く「花果子念報」の評判がうなぎ登りであり、このまま成長を続ければ、射命丸文の「文々。新聞」と肩を並べることも夢ではないということ。
最近の文にどこか本調子を感じないことを差し引いても、おれと姫海棠にとって、この報せは喜ばしいものに違いなかった。
 もうひとつ、大方の予想の通り、大天狗の爺ちゃんはおれに身を落ち着けることを勧めた。
「人間ではなく妖怪の嫁を娶れ」「長きに渡り存在してきた人妖の隔たりへ投じるための一石となれ」とのお達しだった。
以前よりこの大天狗は、天狗社会の厳粛な戒律を心中で疎ましく思っていたらしい。
目をかけてきた孫分に良縁を斡旋しようとする好々爺然とした姿と、組織への態度として婚姻を強要する冷厳な姿が歪に重なり、得体の知れない怖気が背を這い回るのを感じた。
 しかしながら、この日おれが求められたのは「妖怪の娘と結婚すること」のみであり、その相手までも厳密に定められることはなかった。
もしおれが「ねんごろな相手がいない」などと茶を濁すようなことを言っていたら、即座に結婚相手を決められていたに違いない。
 振舞われた酒に酔って眠りこけている姫海棠に上着をかけてやって、涼を求めたおれは縁側へと足を運んだ。
火照った頬を夜風が撫でるのは心地よく、目を瞑って今日の椛姉さんとの対局なんかを並べていると、今にも居眠りをしてしまいそうだった。
 意識を手放したかそうでないかといったところで、後ろからぞんざいに上着がかけられた。
おれの上着だった。
「カッコつけんな。風邪引くよ」
 目を覚ましたらしい姫海棠が、おれの隣に腰を下ろしていた。
たしかに少々肌寒いものがあったので、おとなしく上着に袖を通すことにする。
 二人話すこともなく押し黙っていると、一度だけ強い夜風が吹き抜けて、吊られている風鈴を揺らした。
ちりんちりん、と軽く冷たい音が鳴ると、なぜだか急速に眠気は覚めて、さっき大天狗の爺ちゃんに言われたことが思考の大半を占めていった。
「結婚か」
「結婚、ね」
 おそらく、おれと姫海棠は、今、同じことを考えている。
べつだん艶のある話はないけれど、お互いを憎からず思っているのは、もう否定できない。
今、大天狗の爺ちゃんがおれたち二人の間に立って「結婚しろ」と背中を押したなら、おれは迷いなく姫海棠を娶るだろう。
しかし、今おれたちが何より求めているのは、なんてことはない、その婚姻に愛があるのかどうかの確認だった。
この行程においては人も妖も関係なく、ごくごく一般的な男女の馴れ初めでしかないわけで、それゆえに最初の一歩が踏み出しづらい。
 もう一度、夜風が吹いた。
今度吹いたのは北風の子どもみたいな夜風で、おれと姫海棠の体を大いに冷やしていった。
それが、意気地のないおれの限界だった。
暗に「今日のところはこれくらいにして、また別の機会にでも」とでも言うように、おれは腰を上げた。
が。
「しなさい」
 姫海棠がこちらへ何か語りかけたのがわかった。
吹きすさんだ夜風がそれを妨げたという旨を、呆けた声で姫海棠に伝えると、今度は立ち上がって彼女は伝えた。
「わたしを、お嫁にもらいなさい」
 おれは馬鹿ものに違いなかった。
けっきょく、姫海棠の口から「それ」を言わせてしまったのだ。
おれの胸に頭を預けている彼女の表情をうかがい知ることはできなかったので、彼女の姿を瞼の裏に結んでみる。
ああ。
なるほど、好きだ。
「好きだよ」
 おれが伝える。
「うん」
 はたてが答える。
「世界中の森の木が全部倒れるくらい好きだよ」
 おれが伝える。
「うん」
 はたてが答える。
「山が崩れて海が干上がるくらい好きだよ」
 おれが伝える。
「うん」
 はたてが答える。
「世界中のジャングルの虎がみんな溶けてバターになってしまうくらい好きだよ」
 はたては、もう涙で顔をぐずぐずにしてしまっていた。
 風はいつの間にか止んでいて、火照った頬を冷やすものは何もなかった。


ひょんなことから助手になったんです。



Megalith 2012/04/19



「ん……朝……?」

 もぞもぞと布団から腕を出し、枕元に置いてある携帯カメラ(携帯電話型カメラ?)を開く。
デジタル時計が示した数字は4:00、起きるには早すぎる時間帯だ。

「うわあ……なんでこんな時間に目が覚めるかなあ?」

 朝早くに起きて新聞を書く習慣が付いてしまったからか、はてまた昨日は早めに休んだからだろうか?
とにもかくにも目覚めてしまったのだからしょうがない、二度寝しようと目を閉じて寝転んでみたが一向に眠気は訪れない。

「ん~……あ、そうだ!」

 頭の上に電球が浮かぶと同時に布団を跳ね除け、彼女……姫海棠 はたては出かける支度をし始める。
その表情は、先ほどの憂鬱な表情などでは無く、何処か楽しみと言うか、浮かれたような表情であった。




 所変わってこちらは人里付近のとある家。
特徴など何もないごく一般的な幻想郷に立つ一軒家であり、珍しいのはそこの住人が外来人ということくらいであろうか。
名前は○○といい人当りが良く、専門家には劣るが広く浅く知識を持っており、便利屋みたいな存在であった。
上白沢より与えられた一軒家も、彼女の許可を得ると勝手気ままに改造や改修を繰り返していた。
まあその自由奔放な性格からか、幻想郷に来た時も「現世に帰るよりこちらの方が楽しそうだ。何より初めての経験が多く楽しい!」
等と言い放つ始末であった。

「……ん?」

 そんな彼、○○がふと目が覚めた。
いや、正確に言えば違和感を覚えたと言うところだろうか?
彼は一人暮らしであり、両親は現世で生きている。
なのに何故、今台所から物音がするのだろうか?

(泥棒か……いや、そんな訳無いか。第一に盗る程貴重な物は家にはないしな)

 そっ、と布団から抜け出し、極力物音を立てずに台所に近づく。
寝室のふすまを開けると、見覚えのある背中が台所に立っているようだった。

「……はたて?」

 良くは分からないが上機嫌らしく、鼻歌を歌いながらトントンッ、と小気味良くまな板を叩く音がする。
味噌汁を作っているのか、何処となく良い香りが漂ってくる。

「なにやってるんだ?」
「ん~? おはよう、○○」

 呆然としたというより、呆れた様な表情ではたてを見る○○。
そんな○○を、予想してましたとでも言わんばかりに笑顔を浮かべるはたて。

「……おはよう、で?」
「見て分からない? 料理してるのよ」
「いや、何で私の家で?」
「ん~早起きしたから」
「なんだそれ」

 包丁を扱う手を止め、こちらに歩いてくるはたて。
苦笑しながらも、○○には嫌だという気は感じられなかった。
何時もの服装の上からエプロンを付けたはたては、そのまま彼に抱き着いた。
○○の方もしっかりとはたてを抱き留め、優しく彼女を包み込む。

「本当、どうしたんだ?」
「ん~……別に、早起きして会いたくなったから来ちゃった」
「朝食も作ってくれて?」
「彼女なら当たり前でしょ?」

 頭を優しく撫でると、くすぐったそうにはたては微笑む。
自然、頭を撫でている○○も微笑を浮かべ、そこはかとなく良い雰囲気……なのだが。

「はたて、不味い。鍋が噴いてる」
「えっ? ……あああっ!!?」

 頭に大きな汗を浮かべながら○○は台所の方を見る。
はたても今気づいたのだが、そういえば火を消すのを忘れていたのだ。
(まあガスコンロなんて便利な物は無いので、薪を火掻き棒で分散させる程度だが)
 慌てて○○から離れて台所に駆け寄るはたてを、○○はやれやれ……と言いながらはたてを追いかける。

 恋人以上、夫婦未満なそんな二人の関係。




 久しぶりに投稿してみました。
短い上、イチャ度が少なくて申し訳ありません。
でも、はたてと少しイチャつきたかったんだ……


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最終更新:2012年07月10日 23:42