夢月1



新ろだ956


正月を祝う習慣は、生まれた時から既にあった。
子どものころはよく親に連れられて、近くの神社に初詣など行ったものだ。
そんな記憶が懐かしく思い出されるのは、単純に年を重ねたから。

――それに加えて、洋館の門前に角松が飾ってあるこの光景が奇妙すぎたせいで、
  思わず自分の知る元旦のイメージと比べてしまっていたからだろう。



些細なことから幻想郷に迷いこんでしまった俺は、今、この世界でも指折りに異質な場所に身を寄せている。
洋館と言ったが、霧の湖に浮かぶ紅色のそれではない。
確かに湖こそあれど、その湖も、そしてこの館でさえも、とある悪魔が作り出したもの。
夢幻世界の夢幻館。それが、今俺がいる館の名前だ。



「何これぇ、味うすっ。具少なっ」

朝の散歩を終えて玄関に足を踏み入れるなり、聞こえてきたのは甲高い少女の声。
台所へ行くと、そこでは予想通りに天使のような悪魔が騒いでいた。
彼女の名は幻月。
この悪魔の館で正月を楽しみたいと戯れだした張本人である。
夢幻世界を作り出した一人であり、戦闘能力においても最強クラスの実力を誇るのだが――――
―――如何せん、『お雑煮』を箸でかき混ぜながらぶーたれているその姿からは想像もつかない。

そして、

「その汁物はそういうものらしいわよ。
 あ。それと、お餅っていうのが喉に詰まりやすいらしいから一応気をつけて」

幻月に声をかけながら、てきぱきと机にお節を並べていくメイドのような悪魔が一人。
彼女の名は夢月。
この悪魔の館で正月を楽しみたいと戯れだした原因の妹で、夢幻世界を作り出した一人でもある。
夢月と幻月。彼女たちの名前から、一つずつ取って夢幻世界。
何とも素敵なセンス、何より発想力と行動力だ。

机の端では、門番のエリーと吸血鬼のくるみが、運ばれてきた伊達巻きなんかに舌鼓を打っている。

いずれも西洋風な悪魔の面々。
幻月さんの気紛れがなければ、正月などとは生涯縁も無かっただろう。

ちなみに、俺をここへ連れて来た花の妖怪の姿はなかった。
昨日の昼には角松を運んでいる姿を見た気がするが………今は神社で、酒盛りでもしているに違いない。


「あ、○○」

俺が部屋に入って来たことに気付いて、幻月さんがとてとてと向かって来る。
手にはお椀を握ったまま。

「おはようございます、幻月さん」
「ねえ、外の世界じゃおめでたい日にこんなの食べてるの?」

しかめ面を隠しもせずに言う。
こんなの、とは雑煮のことだろう。
お椀の中には、餅に汁、そして具材は小松菜だけ。

「ええ、まぁ。外の世界じゃ地方によって具が変わるんですけどね。
 俺の地元じゃこんなのが一般的です」

お節料理を知らない夢月さんに、おおよその作り方を提供したのは俺だ。
だから雑煮もこうなっている。

「新年早々貧乏くさいの食べて、節約しようってワケ?」
「どちらかと言えば、餅をメインに据えただけじゃないですかね。
 それに、お節は雑煮だけじゃないですから」
「黒い豆とか黄色いのとか?
 あんまり美味しいとは思えないんだけど」
「一つひとつに意味があるんですよ。願懸けしたり」
「人間てよくわかんないわ」

それきり興味を失ったのか、それとも他に興味が移ったのか、幻月さんは机に戻っていく。
手近な海老に齧りつこうとしていた。

そんな彼女を眺めていると、不意に横から溜め息が聞こえた。
振り返ってみると、案の定夢月さんが疲れた顔で食卓を眺めている。


「お疲れ様です、夢月さん」
「ほんとにね。
 どこかの人間が、"もうすぐ正月ですね"とか馬鹿なことさえ言わなければ。姉さんもやりたいなんて言わなかったのに」
「はは………」

棘のある言葉に笑うことしかできない。
俺自身、まさかこのお節フルコースを、彼女一人で作るとは思いもしなかったのだ。否、誰も手伝えないとは思いもしなかったのだ。

「新しく増えた居候も、料理が出来るわけじゃなかったし……」
「まぁまぁ、せっかくですしいただきましょうよ」

話を逸らすように席に着く。
なんだかんだで夢月さんも座る。

「んじゃ、いただきます」
「いただきます」

ちゃんと手を合わせて唱和する。少しだけ出遅れたが、俺達も食べ始めた。
どうでも良いが、箸を持つ感覚そのものが随分久しぶりのように感じた。



                 *                  *                     *



「で、いわゆる"正月"イベントはこれで終わりと考えて良いのね?」


食後。キッチンにて。
大方の洗い物を片付けて、一息ついたところで夢月さんにそう訊かれた。

「あー、後は神社へ参拝に行ったりするんですけどね。
 ここの人たちにはあんまり関係ないかも」
「それだけは姉さんに言っちゃダメよ」
「わかってますって」

お年玉だの何だのは黙っておくことにするかな。
貰うどころか、何を奪われるかわかったものじゃないし。
美味いお節を楽しめたし、ここは何事もなく終わっておくのが得策だろう。
きっと、夢月さんもそれを望んでいるはず。

「そう、終わりなのね……」

と、思いきや。
意外に思案気な様子の夢月さん。

「ん、どうしました?」
「いいえ、ただ新年を迎える祭りのようなものだと思っていたから」
「拍子ぬけ、ですか?」

こくりと頷く。
まぁ、確かに夢月さんにしてみれば、お節づくりの徒労感だけが残っているんだろうな。

「なんでしたら、行きますか?神社」

だから、ちょっとだけ期待しながら誘ってみる。
しかし返ってきたのは、冷たく細められた夢月さんの眼差しだった。



「随分簡単に誘ってくるわね」

軽く睨まれる。実際のところ、この反応は予想通り。
夢幻館の中でも、特に夢月さんはこちらからの誘いに応じることがほとんどない。

「いや、すいません。やっぱ唐突でしたね」
「わかっていながら訊く神経が理解できないわ」
「一縷の希望ってやつです」

だから、内心の気落ちを隠すようにあえて砕けた口調で返した。
だが、その目論見は外れたようだ。夢月さんの瞳が、さらに切れ味を増す。

「………一度、訊いておきたかったんだけど」

あぁ、お怒りだな。そう思わせるような、間の開け方だった。

「貴方、怖くないの?」
「何がですか?」
「ここがどういう種族の集まる場所か、わかっているんでしょう」
「あぁ……はい。大丈夫ですよ」
「へえ……」

仄かに光る夢月さんの右手。

「と、いうと若干の語弊がありますか。こう考えるようにしています」

本気で攻撃されそうだったので、言い方を多少穏やかなものに変える。
流石に腕一本でも吹き飛ばされた後では、同じことを言おうとしても説得力に欠ける。

「夢月さんたちが俺を殺す動機はない。つまり、夢月さんたちは俺を殺さない。
 だから怖くないってね」
「悪魔は残忍で気紛れよ。動機なんていらない。
 "そこにいた"。"眼があった"。"飽きた"。"壊したくなった"。それだけで充分」
「『人間』が『悪魔』に襲われる理由はそうだとしても、『俺』が『夢月さん』に殺される理由にはなりませんよ」
「私は悪魔で、貴方は人間なのに?」
「種族は関係ないんです。『俺』と『夢月さん』なら………大丈夫だと、思っているんで」
「呑気なものね」

夢月さんは頭を振って、右手の魔力を拡散させた。

「そういうもんじゃないんですかね」
「それで、貴方はこれから新しい悪魔に出会うたびに、"『俺』と『貴方』なら大丈夫だ"なんて寝言を言い張っていくつもりかしら」
「寝言はひどいなぁ。夢月さん、わかってくれたんじゃなかったんですか?」
「悪魔に契約以外での信頼を求めるのが無理なのよ」

でも、と夢月さんは続ける。
先程とは異なり、少しだけ柔らかい表情を浮かべながら。

「私が飽きるまでは、貴方がその寝言をどこまで押し通せるか、見ていてあげるわ。
 悪魔らしく、興味本位でね」
「はは……ありがとうございます」

そう言って、夢月さんはキッチンから踵を返した。
どうやら、一応俺と夢月さんとの間で、この件は決着がついたようだ。

俺が思うに、人間が色々いるように、悪魔にも色々いるのだろう。
そしてそれは、時間をかけてゆっくり歩み寄れば、きっと打ち解けることができる。
独り相撲だとかはこの際関係ない。
後悔しないように、全力でぶつかっていくしかないのだと、改めて誓う。



「……そうね。せっかくだし、神社に行きましょう」

不意に夢月さんが、何かに思い至ったように振り返った。

「夢月さん?」
「この一年、貴方が生きていられるように。貴方の神に祈ってあげるわ」
「縁起でもないこと言わんで下さいよ……」


軽く苦笑いを浮かべながら、結果的に夢月さんが誘いを受けてくれたことに顔が綻ぶ。
悪魔の館に住み着いた人間の生は、幸いにもまだしばらく、それも明るく続けることができそうだ。



新ろだ967



「むう……」

朝食後の静かなひと時。
いつも通りに食器洗いを済ませた俺は、テーブルの上に置かれた新聞を持ちあげるなり小さく唸った。

唸らせた原因は、新聞の間に挟まれた小さな用紙。端的に言えば、アンケートだ。
愛を叫べ!と小っ恥ずかしい見出しの下に書かれたそれは、今自分が交際している相手について、
『なぜその人を選んだのか』の理由を語るまさに存分にのろけるが良いと言わんばかりの内容である。


「まぁ、編集者が彼らだしなぁ……」

用紙の右下に小さく書かれた名前を見て、付き合い始めて長いであろう人間の青年と、烏天狗の文屋を思い浮かべる。
昨年末の砂糖異変に少なからず関与していたあの二人のことだ。
今もきっと、幸せの最中にいることだろう。


しかし、自分は。
そう思って、先ほどの溜息の理由まで思考が逆戻りする。

そう。俺は今、交際相手がいない。
もっと厳密にいえば、叶うかも微妙な片想いの真っただ中である。


眼を瞑れば浮かんでくる、ホワイトブリムの悪魔の姿。
夢月。
それが、俺の惚れた女性の名だ。
夢幻館でお世話になっている俺にしてみれば、家族であり上司であり、つまりはそんな近しい関係にあるんだろうと思う。
しかしどうにもガードが堅い。というよりは、相手にされているのかも怪しい。
まぁでも彼女は夢を司る悪魔だ。妄想するくらいは許してくれるだろう。

俺は夢月さんの姿を思い浮かべつつ、アンケートの下の方に眼を移していった。




Q. 殿方にお聞きします。彼女の長所は何でしょう?


……いきなり糖度の高い質問だ。
彼女の長所。何だろうか。ありすぎて挙げきれない。
俺は整理すべく、手近にあったペンを握る。
するとペンはまるでそれ自体に意思があるのではないかと思えるほど速やかに、スラスラとその筆跡を残していった。



まず、彼女を語る上で欠かせないのが「うぐ~」だ。
これは他で言うところの「みょん」であったり、「むきゅー」であったりするセリフなのだが、
彼女の場合、近いのは小野塚女史の「きゃん!」だろうと思う。

つまりはギャップだ。

狂い者ぞろいの夢幻館の家事炊事一切を切り盛りし、時には姉・幻月の暴走を抑えるべく尽力する理性の要。
どこか冷めたようなその視点は、絶対の自信の裏打ちであるからして、力の足りぬものが下手に挑めば

「変わった人間ね。

 よりによって私を?」

と一笑に付されるのは間違いない。
そしてそれに相応しく、実力はやはり高い。
幻影を使った高速移動から織りなされる弾幕は、珠の色こそシンプルだが、円と線の織りなす形がとてもきれいだ。
ただ勝つだけにこだわらない、彼女の性がよく表れている。


そんな彼女であるからこそ。
ふとした際に見せる「うぐ~」はどこかかわいらしく、そして何より近い存在に感じる一面になり得るのだと思う。



続いての一点は、彼女が姿だけとはいえメイドであるということだ。

メイドというのは誰かに仕える身分の表れであり、そこにあるのは主への確かな信頼。
夢月さんは幻月さんの妹であるからして厳密にはメイドでないのだが、彼女が姉に寄せる信頼は本物である。

「二人で一人前」

この言葉は決して彼女たちが半人前という意味では無く、そういった点に帰属されるのではないか。

そして、彼女が姉に対し信頼の念を抱いているということは、つまり彼女にはそういった感情があるということに他ならない。
そのことに気づいた時、自分の中にあった彼女の人間像(悪魔像?)が、「冷血で無慈悲な悪魔」から大きく変貌を遂げたのを覚えている。



さらに………と続きを書こうとして、質問の用紙の枠を超過しそうになっていることに気づく。
ふむ。スペースが足りない。
それとも俺にまとめる能力がないのか。
仕方がないので下に進む。次に眼についたのは、これだ。


Q. ズバリ、彼女のチャームポイントは?


チャームポイント。割とこれは、考え込む人が多いんじゃないだろうか。
自分の心に決めた女性は全てが素晴らしく見えるものだ。一点に絞ることはなかなかどうして難しい。

夢月さんの場合、頭にホワイトブリムも、少しだけつり上がったオリーブの瞳も、
悪魔らしからぬ白い肌も、それに見合った金色の髪も。
いずれもチャームポイントである。

これをひとつにまとめ挙げる要素は、俺の知る限りでは、ひとつしかない。

「メイド幻想 ~ Icemilk Magic」

彼女の、いわゆるテーマソングだ。

夢月さんは夜になると、稀に自室のピアノでこの曲を弾く。
題名に背かない幻想的な音の流れは、奏でられることで夢幻館の雰囲気が一変したような不思議な感覚に包まれる。

出だしの夜の静けさを思わせるようなもの寂しさが、中盤、後半へと移るに従って激しさとスピードを増す。
それはまるで、闇夜の舞踏会。
夢幻世界という隔絶された空間で開かれる、密やかで、それでいて魅惑的な、禁じざるを得ない遊戯だ。

一度だけピアノを弾く夢月さんの姿を見たことがあるが、
窓の向こうに浮かぶ月の明かりに照らされて、この世のものとは思えぬ美しさに言葉を失ってしまったことを覚えている。

だからこそ、彼女を象徴するものといえば俺の中ではこの一曲だ。
例え本人が戯れのつもりであったとしても。
俺にとっての夢月さんを意味する、大切な一要素なのだ。



Q. 最後に。貴方から、想い人に向かって愛を叫んでください!!


結局なんで俺が夢月さんに惚れたかって。
そりゃあれだ。

「最凶最悪の悪魔姉妹」という触れ込みの割に変に律義で常識的だし、
「人間なんて命を何とも思ってないのよ?」とか言ってるにしては、俺は今日に至るまで五体満足だ。
その気になればやることくらいできるんだろうけど、そうしないのは一重に彼女が「力を使わない」賢さを身につけているからで。
それができる彼女だからこそ、姉や夢幻館の皆とも、うまくやっていくことができるのだろう。

だが、それはいうなれば縁の下の力持ちってやつだ。
いざとなっては幻月さんをたてる彼女が、表舞台に立つことは実際かなり少ないんじゃないか。


そんな夢月さんに、俺から送りたい言葉は一つ。


「もっと見せてくれ!貴方のことを!!」


なーんて。こんなところに落ち着くんじゃないかな。





「で、貴方はさっきから何をしているのかしら」




後ろから声を掛けられて飛び上がりそうになる。
振り返るとそこには案の定、さっきまで思い浮かべていた意中の人の姿が。


「何にもありませんよ」
「なら別に良いけど。貴方が新聞を読むっていうのも珍しいわね」

カツカツと歩み寄って来て、夢月さんの細い指が新聞を掴んだ。
振り返りざまにアンケート用紙を抜き取っておいて正解だった。何食わぬ顔で、上着のポケットにねじ込む。

「んじゃ、ちょっと散歩にでも行ってきます」

夢月さんの意識は文々。新聞に向けられたまま。
こっそり、しかし不自然にならないよう丁寧な動作を心掛け、俺は台所を後にした。




その後、アンケート用紙は投函してしまった。
あんなものを肌身離さず持っているわけにもいかず、部屋に隠しておくのも危険が付きまとったためだ。
付き合っているというわけじゃないが、まぁ、これからの抱負というにはちょうど良い。
文章としてまとまってなかった気もするし、勢いに任せて凄いことを書いていた気もするが、全ては後の祭り。
後で読もうと新聞を置いておいたエリーだけがアンケート用紙の紛失に気づいて首を傾げたが、これも別の話ということにさせてもらおう。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


資料が少なくて敵わん。
もっと見せてくれ!貴方のことを!!


新ろだ1018



「そういえば、そろそろバレンタインの時期ね」

少しずつ暖かくなりはじめた2月中旬の昼下がり。
久しぶりに夢幻館へ帰ってきた幽香は、ティータイムの折りにそんなことを言い出した。


「………なにそれ」
「あぁ、夢月は知らないか」

軽く話題に乗ってみると、彼女は少しだけ声を潜めて話し出す。
別に今は二人しかいないんだから、そんな必要ないのに。ふふっと小さく微笑むその様子は、彼女にしては珍しく、随分と楽しそうだ。

「かい摘まんで言えば、親しい異性にプレゼントを贈る日よ。外の世界の慣習らしいわ」
「へぇ」

しかし私は、返ってきた答えにさして興味も示さずそう漏らした。
だって、実際私には関係のない話だと思ったから。
というより、幽香ってこんな話で盛り上がるようなタイプだったっけ?むしろそっちの方が気にかかった。
交流をもって早数百年。
長いこと女世帯で暮らしてきたが、夢幻館では、そうした話題が上ることは滅多にない。
理由は簡単。興味がないから。
そしてそれは私だけでなく、姉さんや、幽香にとっても同じことだと思っていたのだけれど。

適当に話を切り上げる算段を練りながら、そんなことを考えていると、ふと目の前の妖怪のおかしな視線が目に止まった。

「………なによ」

それを見て、軽く目を細める。
私の正面で、幽香が気味の悪い笑みを浮かべながらこっちを見ていたのだ。

彼女がこういう顔をするのはだいたい決まっている。
――――何か、良からぬことを考えているときだ。

「こういう話って、幽香は特に興味無いものと思ってたわ」
「私自身はね。ただ、それを聞いた貴方がどうするのか、それには少し興味があるわ」
「別にどうもしないけど」
「せっかく親しい異性がいるのに?」

そう言われて、私は返答に窮してしまう。
彼女の言わんとすることが、わかってしまったからだ。
なるほど、ともすれば幽香は別にいつもと変わらない。自分自身がイベントを楽しむつもりじゃないわけか。


「〇〇の気持ち、わからないわけじゃないでしょうに」


そして、追い打ちをかけるように続けられる言葉。
そこに含まれていた名前を聞いて、私は眉間に皺がよるのを感じていた。



秋に幽香が連れ込んだ居候、〇〇。
はじめはどういうつもりかと疑ったが、今となっては彼と私たちの関係も、おおよそにして良好であると思う。
悪魔ばかりの住む館にも独自の人間性で順応し、今ではそれなりに、夢幻館の誰とでも馴染んでいると言える。
その中でも、家事を一切引き受けている私は、色々雑用を任せている○○と関わる機会が特に多い。
だからだろう。それが、〇〇が私に抱く想いのきっかけになったのは、容易に想像もつくわけで。


「……はぁ」


思わず溜め息が漏れる。
〇〇のことは嫌いというわけではない。
人間という枠の中ではよく働くし、一応夢幻館のメンバーの一人としては大切に思っているつもり。

それでも、彼の望むような関係になれるかと言われれば、答えは否だ。
私自身が、それを望まない。
所詮、彼は人間で、私は悪魔。
何の因果か同じ屋根の下に暮らしているが、本来は住むべき世界さえ違うのだ。
だから、私の方から変に贈り物なんて思わせ振りなことをして、勘違いされても困る。


「どういうつもりよ………」

溜息とともに出たそれは、割と本心に近い言葉だった。
なぜなら、まさか幽香にこんなことを言われるとは思っていなかったから。
○○を応援しているというわけでもないはず。だとすれば、純粋に私をからかっている?
しかし、相変わらず目の前のこいつは、嫌な笑みを顔に浮かべたまま。

「ちょっと乙女な夢月を見てみたいと思って」
「無理だってわかってて言ってるでしょう」
「そうでもないわよ?」

はぐらかすようにそう言われて、私は睨むように幽香を見る。

「○○のこと、別に嫌いというわけじゃないんでしょう?」
「まぁ、ね……。一応、よく働いてるし」
「でも特別好きというわけでもない」
「……いまさら、それが何だっていうのよ」

いい加減疲れてきた。
そんな私の機嫌を見計らってか、幽香が急に調子を変える。


「じゃあ、そんな煮え切らない夢月ちゃんにひとつアドバイスをあげる」


即席で作った神妙な顔。だけど、仕方ないと思いながらそれを聞いてしまうのは、私の弱さなんだろう。


「バレンタインはね、別に恋人だけのイベントってわけじゃないの。
 さっきも言ったように、『親しい異性』への贈り物なんだからね。
 外の世界では本命の他に、日ごろお世話になっている人への『義理チョコ』っていうのも存在するらしいわよ」

幽香は満足気に頷きながら、声を潜めて言った。
その顔には再び、確信的とさえとれる笑顔が張り付いていた。






その日の午後、結局私は厨房に立っていた。
理由は幽香の言った『義理チョコ』の存在が、私を行動に踏み切らせたから。
世に言うところの本命でさえなければ、私が用意しても不自然じゃないと思ったのだ。
それに、日ごろから彼がまじめに働いているのは知っている。
こういう機会に感謝の気持ちを伝えるくらいなら、良いのかもしれない。


「さて、と。準備はこんなもので良いかな」

手元にそろった材料を眺めて頷く。

卵にバター、生クリームに薄力粉。
それらと砂糖、牛乳なんかはともかくとして、ココアバターやカカオマスはあれから里で買ってきたものだ。

普段なら手に入りにくいであろうこの二つも、里ではずいぶん景気良く売り捌かれているように見えた。
つまり、それだけ大きなイベントということなんだろう。この、バレンタインというのは。


「じゃあ始めようかしら」

ついでに里で買ってきたレシピの本を開きつつ、落ちないように髪の毛を結い止める。
準備万端。
お菓子作り自体は嫌いじゃないし、こうやってレパートリーが増えるならばそれはそれで悪くはない。
そんな考えが浮かんできたことを、自分でも少し意外に思いながら。私は目の前の材料の山に向かい合うことにした。



チョコレートを作るのは初めてだったけれど、作業は思いの他順調だった。

カカオマスと牛乳、砂糖、ココアバターを混ぜて『チョコレート』の原型を作ると、冷やすために氷の中へ沈めておく。
その間に卵黄と砂糖をボウルに入れ、全体が白くなるまで混ぜ合わせ。
それが終わったら今度は別のボウルに卵白と砂糖を入れ、メレンゲを作るために泡立て器でかき混ぜ始めた。

チャキチャキと小気味良い音が厨房に響く。

ボウルの中身が泡立つまで、しばらくはこのままだ。
こんなとき、疲れ知らずの悪魔の体は良いものだと実感する。
同時に人間の女の子たちのたくましさを、このときばかりは称賛せざるを得ない。

お菓子作りはその甘美なイメージに反して、相当な手間と労力を伴う。
おまけにこの『バレンタイン』。市販のものより手作りの方が、より価値の高まるならわしがあるとか。
意中の相手のため、この日ばかりは慣れないお菓子作りに手を伸ばす子もいることだろう。
そんな彼女たちの苦難や挫折は、きっと私が人間だったとしても計り知れないほど大きなもの。
しかし、そうやって頑張って伝えた想いでさえ、必ずしも実るとは限らないわけで。


冗談じゃない、と思う。気が狂っている、とさえも。



「想いを伝えることに価値があるのよ」と、幽香はそう言っていた。
でも私は、そうまでして気持ちを伝えることに価値を見いだせないし、理解しようとも思わない。
お菓子作りはあくまで実益を伴った趣味でありたい。
気が向いたときに作って、その出来栄えに一喜一憂する。
そしてうまくできたときは、姉さんや、館の皆と一緒にその味を楽しめれば良いじゃないか。


「………違うか」


そんなことを考えていたせいで、ボウルの中身が少しハネた。
エプロンについたそれを眺めながら、私はぼんやり呟く。

世の中のすべての女の子がそういうわけにはいかないことに気付いたから。

皆が皆、お菓子作りを趣味と割り切れるものでもなければ、好きな相手と一緒に食べられるわけでもない。

私にある程度の技術が身について、作ることを純粋に楽しめるようになったのは、悪魔という種族が私に時間を与えてくれたおかげ。
さらに言えば、お菓子を振る舞う相手は、常に私のそばにいる。

なるほど、私は恵まれているんだ。
そんな実感が、確かな事実と一緒に湧いてくる。
しかしそれは人間と比べた場合。私一人を基準にしたとき、そんな比較は何かの役に立つこともない。
そう考えた時、湧き出た思いは私にさほどの優越感を与えることもなく、すとんと落ちて胸の奥へと消えていった。







「……できた」


それからしばらくして。
オーブンの扉を開けると同時に、香ばしい匂いが立ち込める。
私の目の前には、あの大量の材料の山から一転、きれいに焼けた『ガトーショコラ』が並んでいた。

ためしに一つ口にして、確かな甘みと口当たりの良さに笑みがこぼれる。

美味しい。素直にそう思う。
初めてにもかかわらず、このでき具合。外の世界で贈り物に使われるのも納得がいく。

「これなら、姉さんたちの分も確保できそうね」

ひとつつまんでみたとは言え、数はまだ充分にある。
久しぶりに幽香も交えて、お茶会と洒落込むのも悪くない。

が、その前に本分を果たさなくては。

私は焼きあがったガトーショコラのうち、特に形の良いものをふたつほど選び出してラッピングすると、少しだけ上機嫌に台所を後にした。
今頃はきっと、館内の掃除をしている頃だと、頭の中に幾つかの候補を浮かべながら。








さて、出来たは良いがどうやって渡そうか。○○を探しながら、私はそんなことを考える。
いざ渡すとなると、これがなかなかどうして小恥ずかしい。

何も言わずに、さっさと押しつけてしまうのも良いかと思ったけれど、ねぎらいの言葉を添えなければ贈り物の意味が変わってきてしまう。

メッセージカードも嫌。だって、形が残るから。

いっそ「これは義理チョコなんだから、勘違いしないでよね!」とか言ってみる。
………確実に、勘違いされるわね。


日ごろの感謝を伝えるだけなんだから、そんなに身構える必要もないのに。
やはり『バレンタイン』がそういうイベントだと知っているから、余計なことまで考えてしまうんだろう。

そうこうしているうちに、突き当たりの階段の方にせわしく動く人影を見つけた。
それは予想通り、はき掃除をしている○○の姿だった。



「○○」


私のことには気づいてなかったらしく、呼びかけると驚いたように顔を上げる。

「夢月さん?」
「いつもお疲れさま。はい、これ」

そういって、後ろ手で隠していた包みを出した。中にあるのは、もちろんあのガトーショコラ。
受け取ってもらおうとして、ふと肝心の○○が呆然と立ち尽くしたままであることに気づく。

「……○○?」
「あ、はい!」

上の空な返事。どうやら本当に驚いたらしい。

「…落ち着くまで待っててあげるわ。深呼吸しなさい」
「ああ、いや、……大丈夫です」

何度かぶんぶん頭を振って、私に向き直る。
そんなことをして落ち着くものかと疑問に思ったけれど、まぁあまり深くは追求しないことにした。

「これって、もしかしてバレンタインのですか?」
「そう。外の世界では、そういう習慣があるんでしょう?」
「ええ、ですがあまり縁がなかったもので………うれしいです、ほんとに」

そういう目尻にはうっすらと光が。
本当に嬉しいという気持ちが容易に見て取れて、案外、気紛れに作ったのも悪くなかったんじゃないかとさえ思えてくる。

「一応、わかってると思うけど義理の方だから」
「わかってますって。充分ですよ、むしろこれでも贅沢すぎるくらい」
「殊勝なことね」

幸せそうに包みを見つめる姿に、裏は感じられない。


だからだろう。


「ま、義理じゃない方が欲しければ来年はがんばりなさい」


その言葉は、○○の笑みにつられるようにして、ついつい口から滑り出た。

(あ……、)

言ってから、しまったと思った。
これではまるで、私の方が満更でもないみたいじゃないか。

○○にとっても不意打ちだったのか、ポカンと口をあけて固まってしまっている。
これは耐えられない。

努めて冷静に、「じゃあね」とだけ言って踵を返すと、私は逃げるように台所へ帰ってしまった。
石化したように動かない、○○の姿を振り返ることもないままに。





                *                  *                    *





「で、逃げ帰ってきた、と」
「うぐ~……」

厨房に帰った私を待っていたのは、ちゃっかりショコラをつまみ食いする幽香の姿。
しかしそれを咎めることはできず、どういうわけかこうして、私の方が尋問されている。

「しかし夢月も初心ねぇ……」
「うるさいッ」

睨む。
だいたい、こいつのせいでこんなことになったのだ。
そう思って恨めしい視線を送ったところで、しかしこの図太い妖怪には効果がなく。
涼しい声で、こんなことまで言い出す。

「実際のところ、そんなに変なこと言ったわけでもないわよ」
「……本当?」
「夢月が満更でもないなら、ね」

駄目じゃん。
思わず肩を落とすと、机の向かいからクツクツと笑い声が聞こえてきた。

「何よ……」
「まじめねぇ夢月は。○○も、そんなところに魅かれたのかしら」
「……幽香」
「ま、私としては楽しめたし、美味しい思いもできたから上々ね」
「幽香ぁ~~~~!!!」

ショコラ3つをきれいに平らげた幽香は、悠然とした身のこなしで席を立つ。そしてそのまま、ひらひらと手を振りながら台所を出て行ってしまった。
残されたのは、行き場のない感情に身を震わせる私だけ。


「……馬鹿」


その呟きが、誰に向けてのものだったのかは自分でもわからない。
今日一日でも、夕食の準備、片づけ、まだまだ○○と顔を合わせる機会は残っている。

これから先、どうすれば良いだろう。
気を紛らわすために口に運んだショコラは、さっきと同じはずなのに、強く苦味を感じるものだった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


夢月さんは、自信満々でクールだけど実はお人よしってキャラが良いと思います!
まぁおもくそ某所に影響されてる気がしなくもないけど。。
嫁視点て難しいなオイ…………書いてる人マジすごいよ



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最終更新:2010年08月14日 22:41