夢月3
Megalith 2010/12/26
和を基調とした人里に、似つかわしくない金色の髪。
しかし行き交う人々は、誰もそれを気に留めない。
理由は至極簡単だ。
今、里にはもっと似つかわしくない装飾が施されているのだから。
広場を中心に、家伝いで放射状に広がった『イルミネーション』。
それが、人里における今冬最大の目玉であり、人妖問わずデートスポットに抜擢される一番の理由であった。
【待ち人二人】
日も暮れかかった夕暮れ時。
昔から、『逢魔が刻』と恐れられたこの時間だというのに、出歩く人々の表情は明るい。
「少し見ない間に、人間もたくましくなったものね」
半ば呆れたような冷めた声。
その一言を聞いて、この寒い中、メイド服にロングコートを羽織っただけの貴方も大概たくましいと心の中で突っ込みつつ、
「まぁ、恋人にとって今日は大切な一日ですからね。
妖怪が出歩く時間といえども、ロマンには変えられないんでしょう」
「それがたくましいって言ってるんだけれどね」
「それなら、こうして夢月さんと歩いている俺も変わらないですね」
夢月の横に立つ○○は、軽く笑って答えた。
* * *
「ねー夢月。今日は何の日か知ってる?」
きっかけは、起き抜けに交わした、姉―――幻月との会話だった。
「ええ、もちろん」
さして興味もなさ気に答える。
「西洋人の希望の源となった、イエス・キリストの誕生祭」
「それは本当は明日だけれど、
当時のユダヤ歴が日付の境目を日没に定めていたためことから『イヴ(前夜祭)』が開かれるようになった―――――
―――――早い話がクリスマスでしょう。今年もやるの?」
「もっちろん」
「あ、そう」
意気揚々と答える幻月に、夢月は思わず眉間を押さえる。
退屈を極度に厭う姉が、目敏くイベントを見つけては、催すことはいつも通りだ。
が、こうして悪魔にまで誕生祭を祝われるのは、流石のキリストと言えども想像できなかったことだろう。
「それも毎年………」
「ま、良いじゃない。私なりの餞別ってやつよ」
漏らした小さな呟きは、聞こえているのかいないのか。
「人間って、ひ弱なくせに思わぬところで力を見せたりするじゃない?
その最たる例だった彼――――――キリストに向けての、私なりの意趣的な、ね」
殊勝なのか皮肉なのか、らしくないことを言う。
しかし今度は、夢月が「はいはい」と言って聞き流す。
姉の言っていることの本質はこうだ。
『退屈しのぎにパーティを催したい』。
そのために、頭に浮かんだ尤もらしい理由を、片っ端から並べているに過ぎないのだから。
「はぁ………。
それじゃ、後で里まで買い出しに行かないとね」
「よろしくねー。
そういえば、今里はクリスマスモードで、イルミネーションがつけられてるって」
「イルミ………ネーション……?」
「んー。綺麗なヤツっていうのかな。
ま、行ってみればわかるんじゃない?」
* * *
そんな駄々草な説明を受け、実際に里にやってきたが、どうにも人の多さに辟易する。
里に来てすぐの内は、
「離れないように着いていらっしゃいよ、○○」
「はい。夢月さんも気を付けて下さいね」
「わかってる」
などと言いながら、二人で人込みをかき分けて買い出しへ繰り出していたのだが―――――――
「――――――もう。これじゃ前に進めないじゃない」
予想以上の数の人間に揉まれて、目当ての店にはなかなか辿りつけないでいた。
「他の人たちは、買い出しが目的じゃありませんからね……。
イルミネーションが点灯するのを待って、ぶらぶらしている場合が多いでしょうし」
そうなのだ。
ほとんどのカップルの目的は、きっと夜空に輝く色取り取りの装飾を見に来ただけ。
ただ立ち止まっていては寒いから、少しだけ身体を動かしている、というだけに過ぎない。
「一軒ずつ回ってたら、夕食の準備に間に合わないわね。
――――○○、」
不意に夢月が、思いついたように後ろを振り返る。
「ここは、手分けして当たりましょう。
買うものはメモに挟んでおいたから、貴方は七面鳥をお願い」
「それが効率的ですね……。わかりました」
苦笑いしながら、○○もうなずく。
この状況では、その提案が最も効率的なように思えた。
「終わったら、里の入り口で落ち合うわよ」
「そうしますか。それじゃ、また」
「よろしく」
ヒラヒラと手を振って、夢月が人込みににまぎれていく。
名残惜しげにそれを見送ってから、○○も自分の本分を果たすべく、反対側へ向かって歩き出した。
* * *
――――とんだ無駄足になっちゃったな。
人の多い大通りを抜けて、路地裏の細道に入った折。
そこで○○は一人小さくため息を吐いた。
薄暗く、寒さが増したようなこの道を選んだのは、飾り付けられたイルミネーションが見当たらなかったから。
そして何より、周りを見ても、
どこもかしこもカップルばかりという状況に気が滅入っていたからだ。
イルミネーションがなければ、同時にそれは見物する者もいないということ。
殺風景ではあるが、今の心情にはこちらの道の方が合っている。
――――本当は夢月さんと一緒に、飾り付けられた綺麗な里を歩いてみたかったんだけどな。
その装飾のために、二人別行動を取る羽目になったのでは本末転倒だ。
里の入り口で待ち合わせると言った以上、もうその機会もないと言って良い。
――――あー、くそ。さっさと七面鳥買って帰るか………。
やや自棄気味に頭を振って、裏通りを進む。
店数は表側ほど多くないが、ところどころ点在するおかげで灯りには困らない。
街によっては、秘密の店や、集会所なんかがありそうな、閑散とした裏通り。
目指す七面鳥屋は、もう少し遠い。
と、そんな中。
――――おいおい、あれって…………。
ふと曲がり角を越えた先で、思わぬものを見つけて眼を見開く。
そして次の瞬間には、『それ』に向かって迷うことなく走り出していた。
* * *
「――――遅い」
吹き抜ける風が、一層の冷たさを増す。
夕日が完全に落ちた人里の入り口。ロングコートの上から肩を押さえながら、夢月は一人呟いた。
大通りで別れてから、ゆうに一刻は過ぎている。
彼に頼んだのは七面鳥ひとつだけ。そうそう時間が掛かるはずもないのだが………。
「まさか、道に迷ったわけじゃないでしょうね………」
言って、自分で眩暈を感じる。
そういえば、○○を人里を訪れたのはこれが初めてになる。
地図は渡してあったし、帰りは大通りを真っ直ぐ来るだけ。迷う要素はないはずだが、こうも遅いと可能性として考えざるをえない。
「探しに行って、すれ違うのも馬鹿らしいし。……はぁ」
里の入り口は風の通りが良く、いい加減寒い。
ついでに両手で支えている、買い物袋の野菜も重い。
周りの人間は皆、寒ささえも楽しそうに手を繋ぎながら歩く男女ばかり。
妬ましいと思ったわけではないが、彼らの様子を見ていると、自分が今独りでいることを強く実感させられて不愉快だ。
「全く。こんなことなら昼に来ておけば―――――あら?」
などと愚痴をこぼしながら、ぼんやり眺めていた人込みの先。
不意に、ひとつの影がこちらに向かってくるのが見えて、夢月は目を凝らした。
「――――○○?」
暗くてよく見えないが、影はせわしく辺りを見渡しながら、だんだんこちらに近づいてくる。
「(やっぱり迷ってたのかしら………)」
そう思っていた夢月だったが、次第に影の姿が明らかになるにつれて、考えを改めた。
「……違う」
○○よりも、明らかに小さい。それに髪型も、髪の長さも違う。
向かってくるのは、一人の人間の女だった。
薄い上着を寒そうに羽織り、冷たい風に眼を伏せながら、里の入り口に歩いてくる。
「…………」
「…………」
そして、夢月の前で立ち止まった。
「あ………あの、」
声を掛けられるとまでは思わなかった。
おずおずと切り出した声の主を、ちらり横目で見やる。
それは思っていたより若い――――さらに言えば、幼いとさえ形容できる少女。
「……何?」
突っぱねる程とは言わないまでも、決して優しい声音ではなかったからだろう。
少女は一瞬怯えたように押し黙ったが、意を決したように切り出す。
「あの……、すみません!このくらいの女の子、見ませんでしたか?」
言って、手で示された背丈は夢月の腰を越えたあたり。
少女自身よりもさらに小さなものだ。
だが、ずっと里の入り口にいたとはいえ、夢月はそれの心当たりがない。
「見てないわ」
「そうですか………」
当然のようにそう答える。
少女は落胆を隠しきれないまま、寒さで青くなった唇を微かに動かした。
「…………」
「…………」
そして、再び沈黙。
少女はそれ切り、歩きまわることをやめて道の端で佇んでいた。
無闇に探しに戻らず、探し人がきっと通るであろうこの場所で待つことを選択したのだろう。
それを賢いと思いながらも、しかしそれ以上に夢月が興味を持つことはなく。
賑やかな喧騒に包まれた里の入り口は、まるでそこだけが別世界のであるかのように、二つの影が静かに佇んでいた。
こうして、里の入り口に人間と悪魔の待ち人が二人。
傍から見れば何とも危うい構図であったが、不思議と何事も起きないのは、互いが相手の領域を侵さなかったからだろう。
――――それにしても、遅い。
心の中で、独りごちる。
隣に少女がやって来て、さらに半時ほど過ぎた。
だというのに、未だ○○は姿を現さないでいる。
不意に視界が明るくなる。
同時に聞こえる大きな歓声。待ちに待ったイルミネーションが点けられたのだ。
緩やかに歩いていた連中が、速足になって広場へ向かっていく。
それらには烏天狗、冬の妖怪、土蜘蛛、悟り、竜宮の遣いと様々な種族までもが入り混じっていたが、皆一様に楽しそうな表情を浮かべており――――
「………馬鹿」
思わず洩れた呟きは、紛れもない本心そのもの。
隣で少女が思わず顔を上げたが、すぐに見なていないふりをして俯く。
そんな仕草が、視界の端に映ったことさえ辛かった。
「……妹?」
「え?」
「貴方が探している子よ。背の高さから、そう思ったんだけど」
「……はい。そうです」
思わず話しかけてしまったのは、さっきの呟きを誤魔化すためか。
或いは、行き交うカップルを見て物寂しさを感じたためか。
もしかしたら、そんなことは関係なく、本気で退屈していたからかもしれない。
「はぐれたの?」
「……はい」
「そう。大変ね、お姉ちゃんは」
「………」
尤も、だからと言って交わした会話が、有益でないことはわかっているわけで。
――――全く、らしくない。
夢月は再び視線を外す。通りの奥からは、相変わらず喧騒が聞こえてくる。
イルミネーションが点いたおかげで、人の往来がはっきり見える。
もし流れに逆行してこちらに向かう影があれば、それは当然目立つものになるはずで―――――。
「あ―――――」
急に、隣で声がしたかと思うと、だっと走り去る気配を感じた。
恐らくは妹を見つけたのだろう。良かったじゃないか。
そう、さして大きくない感慨と共に、視線を向けた先。
そこで、知らずの内にため息が洩れた。
「――――いつまで、待たされるのかと思ったわ」
「すみません。………でも、見つかって良かった」
安堵と、疲れがない交ぜになった声。
そこには、待ち人よりもさらに一回り小柄な少女と、その手を繋いで歩く、○○の姿があった。
* * *
「ありがとう、ございました」
ペコリ。礼儀正しく首を垂れる姉を見て、慌てて真似するその妹。
「良いよ。こっちも合流できたし。
見つかって良かった」
静かに微笑んで答えるのは○○だ。
軽く膝をついて、まだベソかいていた跡の残る妹の顔に、視線の高さを合わせて言う。
「今度から、ちゃんと手を繋いで歩くんだぞ。
お姉さんを、心配させちゃダメだ」
「うん………」
「よしよし」
軽く頭を撫でると、少女の顔に笑顔が零れた。
姉を探し歩いている内に絆でも芽生えたのか、楽しそうに指切りまでしている。
「えっと…………それじゃ、失礼しますね」
最後にもう一度だけ礼を言って、姉妹は踵を返した。
しっかりと手を繋いだ二つの影が、人里の奥へ遠ざかっていく。
「あの子の妹を、まさか○○が連れていたなんてね」
やがて姉妹の姿が見えなくなった頃、それまで喋ることのなかった夢月が、不意に口を開いた。
夢月と待っていた姉を探して、その妹は○○と共に、里中を歩き回っていた。
それは希有な偶然だったが、彼女たちにしてみれば至極幸運なことだったのだろう。
「ええ。わんわん泣くものだから、連れ歩くにも苦労しました」
「それでこんな時間になるまで、ねぇ。
見たところ手ぶらだし、七面鳥を買う前に遭遇しちゃった、ってところかしら」
「仰る通りで」
「全く―――――」
無表情だった顔が次第にあきれ顔になり、
「このお人好し」
「すみません。
でも、寒い路地裏で女の子が泣いていたら、そりゃ助けますよ……」
「付き添いの女を何時間も待たせてまで?」
「う…………。いや、ホントすみません」
頭を下げる○○を見ながら、夢月はため息を吐いた。
おかげでこちらは寒い中、尋常じゃない数のカップル共を一人で見送る羽目になったのだ。
だがそれを言ってしまうと、何だか寂しかった自分を認めるようで。
「ま、良いけどね。
もしあっちの子に出会ったのが私だったら、間違いなく放っておかれただろうし」
「『人間の命なんて』、てやつですか」
「ちょっと、馬鹿にしてない?」
だからあえて、気丈な態度を取ることにした。
「契約を交わさない内から、見ず知らずの他人を助けること自体があり得ないの。
わからないかもしれないけど」
「うーん、わからなくはないですよ。外の世界では、人間の中にもそんな風潮が強まっていましたし。
………ただ、そうはわかっていても放っておけない時ってあるんですよ。
途方に暮れた人を見つけた時とか、お互いが相手の存在を認識した時とか。
そういう瞬間まで『見ず知らず』を決め込むのは、なんだかひどく寂しい気がして」
――寂しい。○○の発したその言葉が、ドキリと夢月の胸に刺さる。
成程、お人好しらしい○○の言い草だ。
そう思う反面、その言葉を鼻で笑って済ませられない真実味は、さっきまで近しいものを味わった。
「そう。それじゃ、そんな優しい○○くんは、
独り待ち続けて寂しい思いをした私にどんな埋め合わせをしてくれるのかしら」
だから、わざといたずらっぽく言ってみる。
すると○○は、
「ええ、そんな夢月さんのために、俺からのクリスマスプレゼントです」
罰の悪そうな笑みを浮かべながら、意外にも首を縦に振ってみせた。
コートの下に手を伸ばす。そうして取り出したのは、暗い中でも白とわかる、シンプルな形のブレスレット。
リングは綺麗に整った正円で、余計な装飾がないのはまさに夢月好みだ。
だが、すぐにある問題に気付く。
「ちょっと待って。どうやってつけるの、これ」
直径が、明らかに手を通らない。
恐らくはリングに刻まれた丸い模様がヒントとなるのだろう。が、それがどのようにして正解へと導かれるのかまでは、流石に夢月もわからない。
「ふふふ。実は、このブレスレットは一人じゃ着けられないんですよ」
「は?」
思わず間の抜けた声が出てしまう。そんなもの、どうしろというのか。
「これを使います」
取り出したのは、一本のドライバー。
「さっき店員さんにやり方聞いたんで大丈夫です。
これをこうして………、」
それを使って、ブレスレットに何やらガチャガチャ試している。
「……よし外れた。お手をお借りしますよ」
言われるまま、左手を差し出す。
留め具のビスが、次第にしめられていくのを見ながら、夢月は素直な感想を零した。
「なんとも、面倒なブレスレットね」
「それを良いと思う人が多いから、人気の品なんだそうですよ。
待たせてしまったお詫びにするつもりは、なかったんですがね」
よし。と呟いた○○の手が離れ、ブレスレットはしっかりと腕に収まった。
誰かの手を借りることで身に付けられる―――――カルティエブレスレットという亜種だった。
「これ、もしかして外す時も?」
「はい、呼んでください。どこにいても駆けつけます」
人間の考えるあまりに奇抜なアイデアに、げんなりしそうになる。
しかし、目の前で嬉しそうにしている○○を見ていると、こういうものも悪くないかと思ってしまうのだから不思議なものだ。
「メリークリスマス、夢月さん」
「………メリークリスマス。
もう。こんなの買ってる暇があったなら、ちゃんとおつかいしてきなさいよ」
「じゃあ、いりませんか?」
「…………いる」
紅く染まった頬を膨らませる夢月が愛しくて、○○は思わず笑ってしまう。
「七面鳥、買いに戻らないと。今度こそ、はぐれないでよ」
「了解です」
「………ありがと」
「こちらこそ、ですよ」
すっかり更けてしまった夜の里。
静かな蛍光色に照らされながら、悪魔の女と人間の男が歩いていく。
それは、数多のドラマを生みだした、恋人たちの聖夜の小さな一ページ。
そして、お人好しで引っ込み思案な男と、冷徹になりきれない悪魔に刻まれた、掛け替えのない一ページだった。
最終更新:2011年01月15日 12:37