問題が解決した、としてもまだまだ終わりではない。当然だ。大元を断ったとはいえども、まだまだやるべきことは残っている。
 だからまだここに居続けている。この屋敷に居座り、今も尚その日々は続く。それだけのことに過ぎなかった。
 そう。あの激動の日々と問題を抱え続けた日々とは違うけれど、ようやく腰を下ろせるだけの状況に移り変わったのだ。
 何でも無い、平坦すぎて飽きてしまうような一日。でも、それが今は何より有難いこと。何よりも願ったことでもある。
 のんびりと過ごしていようが構わない。もう誰にも、自分にも急かされることも無い。自由を手に入れた今は、とても平和なのだ。 



 「どうかしました?」


 
 いや、それは少し違うのか。平和ではあるが、何もかもがいつも通りに戻った訳ではない。
 出会ってからこれまでを経て、何も変わらないはずがないのだ。むしろ変わっていくモノばかり、今もその通りだ。
 時が進めば人も変わる。大きい小さいの差はあっても、確実に何かしら変化が訪れる。最初と見比べてみれば、如実に表れる。
 振り返ってみればいい。何処から何処まで来たのか、その足跡を辿っていけば、どう動いてきたのかが分かるはずだ。
 忘れるものか。あんな出来事があったのに忘れるものか。消える訳が無い。俺を揺るがしたのに、無視することは出来ない。


 
 「………ああ、いや。なんでもないんだ、うん。なんでもない」



 その最大の原因である彼女、八雲藍は最近何処かぎこちないようだ。というのも、どうもあの日以来からだろうか。
 "狐の嫁入り"があったあの日からというもの、何だか落ち着きが足りていない。本当に珍しいことだ。
 いつも冷静で、並大抵のことでは狼狽えもしなかった。そんな場面をいくらでも見てきたからか、この変わりように驚いている。
 当初は、問題を解決してから日も浅かったこともある。張り詰めた緊張の糸が、上手く抜けきらないからだと思っていた。
 だが、あれから既に何度も日は昇っているのだ。いい加減気持ちの切り替えが着く頃だとは思うのだが、それでも駄目なのか。
  
 あるいは全く別の要因か。それはやっぱり、あのやりとりをしたからだろうか。最後に交わした言葉、本心を隠すことをしなかった。

 
 
 
 『まあなんだ、その。何故か、お前といると不思議と心を許してしまうんだ。あれこれと気にかけてやりたくなるんだ。
  
  そうだ、なんというか………そこにいて安心するんだ。私の居場所は、此処………だと、な』


 
 『…………藍さん』

 『…………何だ?』

 『俺、此処に来て――――――藍さんといて、良かったと思っていますよ』




 『――――私もだ』
 



 今思えばかなり恥ずかしいことではある。だけど、それは本当のことだから。今更覆そうなどとは思わない。
 時間を戻しても同じことを言うだけだ。別にそれは構わないことだ。ただ、この何とも言えない空気をどうにかしたい。
 妙に甘ったるいような、思わず全身を掻き毟りたくなるような、このむず痒い雰囲気が連日続いているのだ。
 精神衛生上あまり宜しくない。唯一、紫さんがその場にいれば消えるのだが、再びいなくなればまた始まるのだ。
 二人きりであればあるほど、より加速して膨らんでいく。止められる者がいなければ、何処までも。

 

 「………なあ」

 「何でしょう?」
 
 
 
 それは多分、止められるのは俺だから。俺しかいないからなのだろう。他に誰もいないのだから、当たり前のこと。
 狐に魅入られた、見定められた、憑かれた俺で無ければ出来ないこと。紫さんと博麗神社で話をした時に分かったんだ。
 代わりなどいない。誰にもその役目は果たせないし、何をどうしたとしても、その役に足りうる訳が無い。
 決めたのは全部藍さんだから。彼女が肯定しない限り無理な話であって、その椅子に座れるのは一人だけ。



 「その、買い物に行くんだ。お前も一緒に来ないか?」

 「………」



 選ばれたのだ。現実も幻想も超えて、その場所に辿り着いた。それが紛れもない証明であって、今も目の前にある。
 たったそれだけのこと。でも何より望み、願ってもいたことだ。どんなに逆立ちした所で、絶対に届かない領域に踏み出せる。
 それが幸福であるか、不幸であるかは個人によって委ねられる。何を思うか、どう思うかは完全に人それぞれだ。
 もし、知らぬ場所で生きなければならないことが不幸であるならば、その後のことも全て不幸だとも言えるのだろう。
 だが俺はそうは思わない。確かに何もかもが上手く出来た訳じゃない。でも、それでも俺は不幸だとは思いもしないんだ。
 その度に答える言葉は一つ、あの時に藍さんに向けた思いをもう一度伝えるだけ。分かるまで繰り返し続けるだけだ。
 
 ああ、だから。そんな顔をしないで欲しい。不安そうな表情を浮かべられても、どうにかしようと思ってしまうじゃないか。


 
 「いいですよ」

 「―――そうか!じゃあ準備をしてくるから、少し待ってくれ!」
 
 

 満面の笑みで、そう返ってきた返答に苦笑を抑えられない。でも嬉しかった。不安そうな表情を変えることが出来て良かった。
 何度もその顔を見る度に悔しい思いをしてきた。でも、今は自分一人の力で変えることが出来た。こんなに嬉しいことは無い。
 そう思わざるを得ない。そして、今更になって気がついたことが一つ。本当に、何故今まで気がつかなかったのか。

 俺も、笑っていたんだ。
 
 

 











 見上げた空は今度こそ晴天だった。本日は晴天なり。実にいい天気、出かけるには最高と言っていいだろう。
 雲一つない景色。青一面だけの空がそこにある。そしてその青空の下、目的地まで目指して歩き続けている。
 隣にいるのは藍さん。幻想郷の各地を回った時のように並びながら、お互いの歩調を合わせて前へと進んでいた。
 人里へと向かう真っ直ぐな道を右、左、右、左。二人三脚をしている訳でもないのに、全く同じタイミングで踏み出している。
 不思議なものだ。もうわざわざそんなことを意識しなくても合わせられる。いや、合ってしまうのだ。
 目線を少し正面からずらして見れば、本当によく見える。当たり前だ。一番近い場所にいるのだから、見えない訳が無かった。

 

 「………」

 
 
 何がそんなに嬉しいのか、何かいいことでもあったのか、と思わず問いかけてしまいたくなるような笑顔がある。
 これまでそんな顔を見てこなかった訳じゃないが、ここまで満面の笑みを見たのはほんの数回しかない。
 覚えている限りでは、確か稲荷寿司を作った時。そして、藍さんが問題の解決方法を編み出した時。その位しかなかったはずだ。
 買い物に付き合う程度でこんな顔をするのか。内心驚きつつもそれを隠しながら、もう一度藍さんを一目見るのだった。 
 


 「……………」

 「――――!」



 だが、見ているのが俺だけとは限らない。それもそうだ、視線を向けてくるのは何も俺だけでは無いのだ。
 先程まで都合よく前を向いていただけ、偶然それにかち合わなかっただけ、上手くすれ違っただけのこと。
 見る回数が増えれば、いつか重なり合う時が来る。少し考えれば分かることだ、今がどうなるかが簡単に想像がつく。
 目と目で見つめ合う、そんな状況が作り上げられるということ。俺と藍さんによって、生み出されるのだ。
 


 「――――」

 

 もう逃げられない。その視線を外すことが出来ない。目を背けることが許されない。
 始めて会った時からそうだった。藍さんの瞳を見ると、不思議なくらいに強く惹きつけられてしまう。
 瞬きすることでさえも惜しいと思うくらい、それくらい見続けていたいと、そう体が動いてしまうのだ。
 今回もその法則に抗うことが出来ぬまま、自分の欲望に素直になったまま、自分の目は動くことは無い。
 
 目線の先にあるのは黒い縦長の瞳孔、黄金色の虹彩。その二つの水晶体という名のレンズに映るのは、唯一つ。
 焦点を絞って、目標を定めていたんだ。始めからそれしか見ていなかった、それ以外は映りもしなかったんだ。
 こちらからは正確には見える訳じゃない。でも、そこにある影を見れば。藍さんの目に誰が見えているのか、分かるんだ。
 


 「――――っ!」



 開始の掛け声すらかかっていない睨めっこ。視線が合った時から始まったそれは、最初に逸らした奴が白旗を上げる。
 具体的に言えば、その頬を赤く染めてそっぽを向くということ。そしてもう一つ、見続けた奴は最後までそれを拝めるということ。
 勝者は敗者を眺め、敗者は勝者を眺められない。では、どちらが最後まで見続けたか。既に勝負は決している。
 俺の目に藍さんが映っている。ならば、その逆はあり得ないだけの話。藍さんの目には、今の俺が見えていないのだ。



 「………な、何だ。そんなに見るな」

 「藍さん、それは無理です。見られているのに見るなって言うのが無理です」



 苦し紛れの一言を切り捨てた。そうすると、次に出す言葉すら出てこないのか、そのまま黙りこくってしまうのだった。
 正直なことを言おう―――――凄く楽しい。楽しくて止められない、藍さんの尻尾も中々だったが、これはこれで中毒になりそうだ。
 ある意味夢中になっている。いつもやられっぱなしだからだろう。その分だけやらずにはいられない。こんな機会は早々無い。
 一度目ならず二度目もこうして先を取れる。いや、向こうが勝手に自滅しているような気もしないでもないが。
 あの八雲藍がこうもあっさりと陥落するのか。俄かには信じがたい話ではあるが、それは、目の前にあるのだった。

 

 「う、うるさい!た、たまたま視線が合っただけだ!」


 
 今まで見てきた、知ってきた藍さんの姿とは大きくかけ離れている。こうも変わることなど一度もなかった。
 いや、そもそもこうも変貌するとは想像もしなかった。そうだ、まるで生まれ変わったかのように。殻を一つ破ったかのように。
 時が経てば変わっていく。それは藍さんとて例外ではなかった。そう認める他は無いのだろう。それ以外には無いのだ。
 では何がそうさせたのか、理由や原因を考える必要は無い。もう答えは出ているのだから、いらない。






 


 



 こうして今日も同じように人里へ赴く。これまでと同じように、でもこれまでとは違った目的を持って歩き出す。
 だからだろうか。その隣にいる買い物という提案をした片割れは、とても珍しい、いつもとは違う顔をしていたのだ。
 当初はまあ随分と恥ずかしそうにしていた。しかし、それものいつの間にか普段通りになるものだと思っていた。
 思い込んでいたのだ。だが、その期待は裏切られた。笑っているのだ、ずっと。買い物に行くと承諾した時から、変わらないままで。
 これほどまで喜ぶとは思いもよらなかったことだ。内心で笑うことを抑えられないまま、誤魔化すために話しかけることにした。

 

 「そういえば、何を買うんです?」

 「え?………ああ、そうだな」
 
 
 
 いきなり話しかけてきたことに驚いたのか、あるいは心ここに非ずといった所なのか。すぐには反応が返って来なかった。
 どちらなのかは分からない。しかし背中より向こうにある、あの立派な尻尾の動きを見れば、少しは分かりそうだった。
 うねうねと、それぞれが独立して動く。まるで生き物のように蠢く九本は、その本体の意思を持っているようにも見える。
 それとは対照的に、いつも通りの表情をしているが―――その少し前。こちらを見て焦るような仕草をしていた。
 一瞬だったが、確かにこの目で見たのだ。必死に取り繕う一連の流れを。誤魔化そうとしたその姿を。
 
 

 「―――――まあ、いろいろとあるんだ。少しばかりの荷物になりそうなくらいかな」
 
 「それで、俺を誘った訳ですか」

 「そういうことだ。すまないが、お前にも働いてもらうぞ?」

 「了解です」


 
 今も多分そう。一拍置いてからのこの反応。正に今考えたかのような、そんな素振りを見せていた。
 目を凝らして、よく見なければ分からない。少しでも目を逸らしていれば気がつかない、本当に僅かなモノ。だけど、見えている。
 細かい部分、今まで見えてこなかった部分が、どうしてかはっきりと分かる。それはもう、嫌ってくらいにまで。
 もはやワザとやっているんじゃないかと疑いもしたが、その後の姿を見たところで、結局何も変わらなかった。
 分からないのではない。むしろ分かったのだ。分かってしまったのだ。気がつかない方がおかしいのだ。


 ―――――――まだ俺を見ていたんだ。



 「――――」



 横目で少し見てみれば分かる。時々、こちらを伺うように度々見ては目を逸らす。そしてまた見る、逸らす。
 その繰り返し。飽きもしないで、止まることなくやり続けている。その瞬間に合わせて声を上げれば、驚くのも無理はない。
 見ているはずが無いと思っていたのに、まさかこちらに注目するなんて。そんなことは思いもしないだろう。
 尻尾を始めて触ったあの日。その時と構図は似ているけれど、違う。どちらが問い詰めるか、問い詰められるか。
 立場は全く正反対、入れ替わりだ。ならばあの日と同じように、その再現が役割を変えて果たされるのだ。
 
 

 「藍さん」

 「………何だ?」


 
 気がついているのだろうか?冷静さを装っても、普段通りを決め込んでも、その声は明らかに違っていることに。
 自分の姿が見えていれば分かるだろう。ほら、その尻尾は動いている。忙しなく動くもふもふは、行き場を失ったかのよう。
 目の前にあるものが全てでは無い、それを自分でひっくり返してみればいい。本当かどうかは、その後に分かるから。
 確かめるだけだ。自分の考えが間違ってないか、その答え合わせをするだけ。少しだけ、尋ねるだけのことだ。
 


 「先程からずっと見ているようですが、何か用でも?」
 
 「…………何を言っているんだ、お前は」



 白々しすぎるほどに、呆れる位に、そういう反応が返ってきた。でも分かっていたことだ。何度もそうやって来たんだ。
 その度に誤魔化されて、煙に巻かれて。反撃を喰らって負けるのだ。それがいつものパターン。お約束だった。
 けれど、今回ばかりはそうもいかない。いい加減にこのやりとりを終わらせなければいけない。身が持たないのだ。
 一度目の通告はした。その次にあるのは二度目。聞き入れなければ、先に進むだけ。一を終わらせて二が始まる。
 何、単純なことだ。俺が勝って、藍さんが負けるか。藍さんが勝って、俺が負けるか。どちらか二つに一つだ。

 

 「その割には、落ち着きが無いように見えますが」

 「気の所為だろう、私はいつも通りだぞ?」

 「………」
 
 
 
 一度目ならず、二度目もこうして敗れた。だが、まだ最後の一つは残っている。終わっていない、むしろこれからだ。
 この一撃が全てになる。この一回が全てを決める。この一言が全てを変える。それだけ意味があり、大きな価値を持つ。
 でもこれで決着がつくと信じて疑わない。だって、見ていたのは藍さんだけじゃないんだ。もう一人いるから。
 隣にいれば分かるから。一番近い場所でこれまでを眺めてきたんだから、見えない訳が無い。



 「そんなに気になりますか?」

 「………何のことだ?」



 嘘をついている。その反応はそれを裏付けるには事足りる。シラを切り続けているけれど、もう見えてしまっている。
 手という言葉を聞いた瞬間、藍さんの目がピクリと動いた。そして、その後は一瞬だけ時が止まったかのように固まっていたのだ。
 であれば後はもう決まったようなもの。一気に畳みかけるだけ。そうすれば、答えがすぐそこに現れるから。



 「ずっと見てましたよね。もう繋がなくなったから、気になるんでしょう?」

 「………」


 
 そうだ。俺を見ていたのは確かだ。だが、それをもっと細かくしていくと、最終的に行きついたのは"手"だった。
 一度俺の顔を見た後、徐々に視線を下げていき――――手を見て一旦止まった後、視線を逸らすのだ。
 ここまであからさまだと、逆にわざとやっているんじゃないか。誘導されているんじゃないかと思ってしまう。
 でもどうだ。これまでのことを振り返ってみれば、藍さんはそれを狙っている訳じゃないと分かった。
 随分と回りくどい真似をしたものだが、逆に言えばこうまでしないと無理なのだ。全く、手を焼かされるというものだ。

 

 「………ああ」


 
 長い長い沈黙の後、藍さんは僅かに呟いた。聞こえるか、聞こえないかという境界線のギリギリの声量で、そう答えた。
 やっとその化けの皮を剥がすことに成功した。長かった。出会ってからというもの、一度たりとも成し得なかったことだ。
 本当に厄介だ、でもそれだけ凄かったということだ。流石と言うべき他は無いし、恐らく次は無いだろう。
 そして今も、次にどうなるかは分かったものではない。気を抜くことは許されない。だから、これで終わらせることにした。
 反撃を封じるため。そして、そのしょげた顔を変えるために。一つだけ、あの日と同じことをするのだ。



 「なら、繋ぎましょうか?」

 「………どういう、ことだ?」

 「いえ、そうしたいからですよ――――繋ぎますか、繋ぎませんか?」

 「………」


 
 差し出した手と共に問いかける。返ってきた言葉は無かったけれど、それでも何も返って来なかった訳じゃない。
 言葉では無く、行動で。手のひらにあるのはもう一つの手。それをゆっくりと握って、後はそのまま力を抜いて落としていく。
 そうすればいつも通りだ。藍さんといろんな場所を巡っては歩いた、その時と同じ姿が出来上がる。あの日と同じ姿が蘇る。
 今は昔じゃないけれど、状況はそのままだ。そんな差異を気にしなければ、全てその通りになる。
 


 「…………し、仕方なくだ。お前がそう言うからだ」

 「………そうですか」



 ただ、それでも違うことが一つある。少し赤い顔をして、顔を背ける狐が生まれたのだった。
 
 
 




 
 



 
 

 そんなやりとりをしながら、ようやく人里の入口にまで辿り着いた。長いようで短く、短いようで長い不思議な時間だった。
 ただ手を繋いで歩く。それだけのことだったのに、どうしてこうもいろいろと起こり得るのか。忙しいことこの上ない。
 けれど、悪い気はしない。むしろ嬉しかった。百面相のように、ころころと表情を変えていくその様を見ることが出来た。
 得をしたと言うべきだろう。誰にも見せられないし、見せたくは無い。俺だけに向けられた顔なのだ、ならば俺だけのものだ。
 そう、今もこうして人里を歩いている時に見せる顔も、その一つだ。

 

 「………いつもと違うな、妙に視線を感じる」

 「それはそうでしょう」



 人通りはそれなりだとはいえ、この時間であれば人が消えることは無い。行く人、向かう人。それぞれが行きたい方向へと向かう。
 一人もいれば、複数人もいる。男もいれば女もいる。人もいれば妖怪も歩いている。知った顔もあれば、知らぬ顔もある。
 多種多様な奴らがいる。しかし、それでも例外は存在する。必ずしも何処かで、同じ奴らがいる訳ではないのだ。

 男と女が並んで歩く、そこまではいい。だが、人と妖怪という言葉を付け加えると、それは更に範囲が狭くなる。
 そして最後にもう一つ。手を繋いで歩く、となるともはや誰もいない。そんなことをしているのは、俺と藍さんしかいない。
 珍しいものを見つければ、自然と注目が集まるのは当たり前のこと。人だろうと妖怪だろうと、気にしないはずがない。

 

 「そ、そうか?」

 「ええ、見られない方がおかしいかと。目立ちますから」



 そして何より、飽きるほどに人里を訪ねたのだ。人間の大多数が此処に住む。ならば、名前は知らなくとも覚えがつくはずだ。
 ただ通り過ぎていくだけでは無い。人里の守護者である慧音さんと、毎回のように話しかけてはいくのだ。
 代表とも言うべき人物と接触する奴ら、となるとその周りにいる人たちも気にする。慕われている分だけ、より人が集まる。
 あれは誰だと、何故妖怪と話すのかと、知らない男だが見たことが無いと、人々が話を広げていく。
 一日や二日の話ではない。積み上げた分だけ、よりその行動に興味を示すのだろう。結局は、彼らが面白いと思えば思うほどに。
   
 

 「こうも違えば、誰だってそう思いますよ」

 「…………」



 今もそうだ。そういう反応をすることで、余計に注目を浴びる。好奇の視線を呼び寄せる。見世物を見ているかのように、集まる。
 明らかに噛み合わない、ちぐはぐなモノがある。それが動けばどうなるかなど、既に分かり切ったことだった。
 俺であろうと、藍さんであろうと止めることは出来ない。止めようとすればするだけ、より見られるのだから。
 どんなものよりも、一番性質の悪いモノに囲まれている。抜け出す術は無く、ただ収まるのを待つ以外には方法は無い。
 

 
 「ならその、お前はどう思うんだ?」

 「どう、とは?」 
 
 「私と一緒にいて…………こういう視線を向けられて――――嫌じゃないのか?」


 
 だが、この状況をどう思うかについて。誰と一緒にいるのか、ということに関してを考えるなら、話は別だ。
 良いも悪いも全て、その一点だけに集約される。たったそれだけのこと。でも、何よりもどんなものよりも大切なことだ。
 絶対に外すことの出来ない、物事の根幹そのものを成すモノだ。誰がどうしようと、何が言おうと、それは関係ない。
 自分自身が思うことだ。今ここにいる俺が決めることであって、答えが出るのは自分だけ。出せるのは唯一人だ。
 そして今、問いかけられている。他でもないその相手に、藍さんに。私はどうなのだと、お前にとってどうなのかと。

 分かり切ったことだ、始めから分かっていることだ。言うべきことなんて最初から一つしかない。
 手を離さなかった時から決めていたんだ、既にそれは行動で示されている。ならば、次は言葉にするだけのこと。

 

 「もしそうなら、もうとっくに手を離してますよ」

 「…………」
 
 
 
 言葉は無かった。ただ、返ってきたのは握り返した手の強さだけ。それ以外には何も無かった。
 だがそれでいいのだ。それさえ分かっていれば充分。後は見ればいい。藍さんの今の姿を一目見れば、全て理解できる。
 いや、そうでもないか。何も言葉が返って来ないことこそが、何よりの証か。沈黙は肯定とみなしていいのだろう。
 この場に限っては、その考えは間違ってないのだ。けれど、する必要ない答え合わせをやらずにはいられなかった。
 
 ほんの少しだけ正面から視線をずらせば、やっぱり予想通り。頭の中で思い浮かべた表情がそこにある。
 それでも、一つだけ予想と違ったことがある。想像で作り上げた虚像よりも、目の前にある本物とではインパクトが違いすぎた。
 曖昧に描いたモノよりも、明確に存在しているモノとでは、比べること自体に意味が無い。自分の目を通して分かることがあるのだ。


 
 「そう、か……ふふ…………」


 
 この耳で聞いたこの声でさえも、スピーカーやイヤホンを通じて聞こえてくるような安物では無い。
 生の声にどれだけの価値があるか。どれだけの意味があるかだ。今だからというだけで、大きな力を持っている。
 心が揺れ動く。走り出したいような衝動に駆られる。何とも言えない、もどかしい気持ちが満たしていく。
 ――――まただ。また始まった。あの甘ったるい空気を思い出させるかの如く、何とも言えないむず痒さが再び蘇りつつある。
 意識すれば意識するほどに、考えば考えるほどに、思えば思うほどに、何処までも広がっていった。

 
 
 「嬉しいよ。お前がそんなことを言ってくれるなんてな」

 「…………」


 
 返す言葉に困る。どうすればいいのかが分からなくなった。一瞬で何かが切り替わったみたいに、動かなくなった。
 熱に浮かされたのだ。隣を見ているとそうなる。病気を貰ったかのように、考えることを諦めていく。
 その笑顔を見ると、その言葉を聞くと、もう何も出てこないのだ。ただ、歩くことだけしか出来ないでいる。
 重症だ。負けたのは俺だ。自分から墓穴を掘ってしまった。自らが起こした所業、それが今になって返ってきた。
 

 
 「でも、何だ―――その」

 
 
 けれど視線を外せないでいる。外したら負けな気もするのもそうなのだが、逸らすことが許されない気がするのだ。
 他でもない俺が、俺自身が逃げることを拒否している。遠ざかりたいはずなのに、近づきたいと願っている。
 それはきっと、最後まで聞けと言うことなのだろう。当事者だけに許されたモノを見届けることが、俺の役目か。
 とてつもなく今の姿がレアだと知っているから、そうそう拝めはしないと分かっているからだ。全く、仕方のないことだ。 



 「照れる、な」

 「………そうですか」

 
 
 ギリギリで稼働し始めた頭で叩きだした言葉は、とても短かった。それが精一杯、それ以上は到底無理なことだった。
 肯定の意を示すだけが限界。だが、言えないよりは言えるほうが遥かにマシ。そう割り切るしかない。
 これまでの一連の藍さんの姿を見てしまえば、そうなる他は無いから。だから、どうしようもないんだという言い訳が浮かぶ。
 ――――でも本当は知っているのだ。ただ、恥ずかしいだけに過ぎないのだと。



 「………目を逸らすな、恥ずかしいのか?」

 「…………」

 「全く、そういう所は変わらないんだな。ちょっと安心したよ」



 返す言葉が無いので黙っているしかない。得意げな顔をした藍さんが、見てもいないのに思い浮かぶ。
 ただ、その口調を聞いて何処か安心したような、やっと何かを取り戻したかのような、そんな気がしてならなかった。


 
 「行くぞ、買いたいモノは沢山あるんだ」

 「………分かってますよ」 



 一瞬だけ藍さんの顔を見てみれば、得意げな顔をしたいつもどおりな姿が、そこにあったのだった。





 








 

 「お前はどっちだ?」

 「こっちで」



 藍さんの右手と左手。その手にそれぞれ収まった一つずつ。二つの内のどれかを尋ねられた。
 あまり迷うことは無かった。一目見た瞬間に、どちらがいいかを直感で決断した。問いの前に、既に答えは決まっていた。
 考える時間はそんなに必要無い。悩むかどうかは、本当に甲乙つけ難い時のみだ。それ以外は最初から分かっているようなものだ。
 故に今も同じなだけのこと。俺の頭の中にある天秤。重りを両方に載せられたそれは、水平を保つこと無く簡単に傾いた。
 


 「ふむ、なら………これはどうだろう?」

 「ああ、それはそっちですね」


 
 先程とは違うものが出てくる。だがそれも同じ、一発で終わらせた。僅か数秒程度の出来事。
 差し出す度に、反射的に言葉が思い浮かんでくるのだ。後は、ただそれを辿っていくだけの作業に過ぎない。
 だがそれがいいのだ。あれでもない、これでもないと選定するのは面白い。次々に出てくるモノを眺めるだけでもだ。
 例えどんなにつまらないものであろうと、別にどうでもいいものであろうと構わない。遥かに下らなくたっていい。
 


 「藍さんはどうです、どれを選びますか?」

 「そうだな…………これはお前と同じモノを選ぶが、逆にこっちは迷っているんだよ」

  

 楽しいのだから何も問題は無い。一人で買い物をするよりも二人で買い物をした方が、また違ったものがあるのだ。  
 悪戯に時間ばかりを食って、結局は無駄足に終わることだってあるだろう。でも不思議なことに、それでもいいかと思えてしまう。
 正に今がそう。買い物の真っ最中。どれを選ぼうか、どれを買おうかと模索している。その数、種類は様々だ。
 あれでもない、これでもないと繰り返した数は覚えていない。もう忘れた。いや、そもそも数えてもいなかったか。
 そんなことよりも、もっといいことがあるんだから。ならば、つまらないことに頭を使う必要は無い。今を満喫するのだ。

 藍さんと一緒に買い物をするというこの時間を。平和な、何処にでもありそうで無い今を。
 いつも通りの姿を取り戻した藍さんと、存分に楽しむのだ。

 
 
 「…………いっそ両方というのはどうかな」

 「ちなみにお金は?」

 

 二択に一択ではなく、両方を取りに来るという。欲張りとも言えるが、藍さんの中ではどちらも選ばないには惜しいのだろう。
 耐久性を取るか、機能を取るか。モノを選ぶ時によくある、非常に難しい問題。どっちがいいのか、頭を悩まして当然のことだ。
 だが、それには二つ分の金額が必要になる。単純計算しても二倍だ。比較的高価なモノだけあって、出費はよりかさむのは当たり前。
 そんな余裕はあるはずが無いとは分かってはいたが、反射的に答え続けたからか、思わず聞かずにはいられなかった。
 


 「無いよ」

 「……駄目じゃないですか」

 「ふふ、そうだな――――冗談だよ」



 俺の突っ込みに対して笑って答えると、藍さんは両方あるうちの片方を、元にあった場所へと戻した。
 そう。その手にあるのは俺が良いと思ったモノがある。さも当然のように選んでしまったからか、本当に迷っていたのかと疑う。
 決断が早いのはいいことだという持論を持ってはいるが、こうもあっさりと決めてくる姿を見ると驚きもする。
 実は迷っている振りをしていたんじゃないか、とそんな考えも浮かぶ。だが、悩んでいた姿を見ていた以上、嘘では無いはずだった。
 …………多分。



 「こっちにしよう。お前が選んだのだから、多分いいはずさ」

 「悪かった場合は?」

 「お前の所為ということだな」


 
 責任を俺に押し付ける形で完結したらしい。なんとも無茶苦茶な話だ。まあ、冗談なのは分かってはいるが。
 人里で歩いていた時――――人目が気になるという話をした辺りから、どうやらいつもの調子が戻ってきているようだ。
 よかった。どうもこれでなければ落ち着かないのだ。この飄々とした掴み所の無い、実に狐らしい藍さんが今此処にある。
 その度に俺が負けるのだが、だがそれでも良いと思ってしまうのだから、相当藍さんに毒されてしまっているのだろう。
 恐ろしい。ああ恐ろしい。これが狐の本領発揮と言ったところか。流石、九尾の狐。人々を魅了するだけのことはある。



 「酷いですね」

 「ああ、すまない。ワザとだよ」



 そう笑って答えてくる辺りが、本当に性質が悪い。分かっているから尚更、それ以上により悪い。非常によろしくない。
 笑顔で簡単に誤魔化されてしまうとお互いに知っているからこそ、容赦なく藍さんは笑顔を向けてくる。
 そしてその通りになる。あっさりと陥落する。いとも容易く納得してしまうのだ、なんと情けないことか。
 抗うことは出来ない。抗ったとしても、どうせ行きつく先は同じ。結局はどうにもならないのだから、大人しく受け入れるだけだ。
 


 「………」

 「………どうした、そんな冷めた目で見て」

 「いえ、そうしないといけない気がしたので」



 だから、ささやかな反撃をした。視線だけを送っておいた。言葉が通じぬならば、それ以外を伝えるしかない。
 結果として、どうやら少しばかりは効果があったらしい。真面目で律義な分だけあって、俺を無視出来なかったのだった。
 じーっと、目を細めて冷やかなモノのみを与え続ける。何を言われようと、何をされようと、止めるつもりは全く無い。
 無言の圧力。全くの無駄だとは分かっていても、やらずにはいられなかった。他でもない、藍さんがそうさせたのだ。



 「………」

 「………いつまでやっている。ほら、会計に行くぞ。次に行くんだからな?」

 「―――はいはい、分かってますよ」


 
 とはいえ、おふざけもこの程度にしておこう。やりすぎると呆れられる。冗談も程々に留めておかねばならない。
 藍さんなら付き合ってくれそうなものだとは思う。しかしその言葉の通り、買い物はまだ続く。次がまだあるのだ。
 ずっと右手で支え続けている袋達。それはまだまだ膨らみそうで、その数は増える一方。終わりまでにはまだまだかかりそうだ。
 早く来いと促す藍さんの方へ、ゆっくりと歩き出す。言葉はいい加減でも、その口元は笑っていた。笑うことを抑えられなかった。

 
 
 「………ん?」



 だがその途中で、ふと目につくものを見つけてしまった。気がつかなければ、そのまま通り過ぎてしまうような一角。
 こじんまりとした、誰も見向きもしない場所に立ち止まる。一見何の特別でも無い場所なのに、何故か興味を抱いてしまった。
 あまりにも小さすぎるスペースの中、唯一つだけ。乱雑にある中で、たった一つだけが強くハッキリと見えてしまった。
 見ているだけでは留まらなかった。手にとって、その形を確かめてしまっていた。目を凝らして、じっくりと見定めるに至った。



 「…………」



 綺麗だった。ただただ、綺麗だった。空の透き通ったような色とは真逆。暗い深海を連想させる、何処までも濃い色をしている。
 一番最初に此処に来てしまったあの日、月も登り切った夜空を思い出すような。そして、そこにいた彼女の名前のような色。
 装飾品としては、首にかけるわけでも無く、指に嵌めるものではない。自分の一部に穴を開けてつけるタイプだ。
 非常にシンプル。したたる一滴、しずくを象ったかのような形をした、小さな二つが手のひらの上にある。


 
 「どうした………何を見て―――ああ、ピアスか」

 
  
 聞こえた声の方向へと顔を向けてみれば、いつの間にか藍さんが傍にまで来ていた。音も無く忍び寄る辺り、流石狐である。
 視線の先には、俺の手のひらの上にあるピアスを見つめている。何を見ているのかが気になったのか、見た後に声を上げた。
 反応としては良くも無く、悪くも無くといった所。興味があるかどうかは、その表情と口調だけでは判別することは難しかった。
 何を思うか、何を考えているのかを読むことは出来ず。次に進まねば、どうなのかは分かりそうもなかった。
 


 「ええ、まあ少し気になってしまって」

 「ほう」


 
 言葉を続けても、やはり先程と対して何も変わらなかった。言葉少なに、一言だけを返すだけに留まった。
 だが、ほんの少しだけ気になるのが一つ。藍さんのその視線は、ずっと手のひらの上のピアスに注がれ続けている。
 じっと見つめ続けて、言葉を返すときもそのまま。集中しているかのように、ピクリと体一つ動かすことすらもなかった。
 多少、藍さんもこれが気になったのだろうか。確かに綺麗だし、装飾品に女性が興味を持つのは、ごくごく当たり前と言える。
 そう軽い気持ちで考えていたら、その予想を上回る答えが返ってくるとは。思いもしなかったことだった。

 

 「欲しいか?」

 「え?…………でも、お金は?」

 「別に特別高いわけじゃないだろう、欲しければ買ってもいいさ」

 

 まさかそうなるとは。いや、欲しいか欲しくないかと聞かれれば、それは確かに欲しいのだけれども。
 意外だった。欲しいと思っていたのは、藍さんかと考えていた。だが逆に藍さんは、俺がこのピアスを欲しいと考えていたのか。
 お互いに考えが完全に行き違っていた。一言で言えばそんなものに過ぎないが、今の俺にとっては驚くことしかない。
 タグについている値段はそれほどではないとはいえ、それなりの値段だ。欲しいとは思うが、本当にそれでいいのだろうか。
 そんな葛藤を見抜いたのか、更に藍さんは言葉を続けてくる。その真意をこちらに知らせてくるのだった。



 「まあ、なんだ。記念だと思ってくれればいい――――その代わり、片方だけ私も貰っていいかな?」

 

 そう言われたならば、言うべき言葉なんて一つしかない。全く、本当に卑怯だ。汚い手を使う。本当に汚い手を使うものだ。
 こちらを伺う表情で心が動く。何も感じず、何も思わないほど無関心でいられはしない。そこにいる以上は無理な話。
 知ってしまったからには、後をどうするかなんて。考えることすらいらない。必要無いから、反射的に返すように答えるだけ。

 

 「………ああ、そういうことですか―――いいですよ」

 「そうか、なら清算しに行こう」



 成すがまま、流れるがままに事が運んでいくのみ。ただ眺めているだけで、全て思い通りに変わっていくのだ。
 藍さんのもふもふを追いかけて歩いていけばいい。そうすれば、あのピアスがこの手に入れることが出来てしまう。
 立って見ているだけだった。ただ、ここで選んだ品物と共に買われ、お金と引き換えになるのを、黙って見ているだけだった。
 そしてそれはすぐに終わった。目の前で自分のモノ、藍さんのモノに変わっていく様を、眺めて終わっていった。

 

 「毎度あり!」

 

 その声が終了の合図。店員の決まり文句を耳にして、ついに買ってしまったのだと実感する。
 いや、買ったのは俺では無いのだが、この際それは些細なこと。あの藍色の片割れは、俺の元へと届いてくるのだから。
 
 
 

 「さて、買ったはいいが………私は右を貰おう。それでいいか?」

 「………了解しました」
 
 
 
 買ったばかりの二つの内、一つを藍さんへと手渡した。残ったのは一つだけ、左用のピアスのみ。
 それをそっと大切にしまった後に、藍さんの方へと目を向けてみれば、いつの間にかもうつけ始めている段階だった。
 随分と早いものだ。そんな感想を持っている間には、既にもう腕を下ろしている所だった。いつの間にか終わっていたらしい。
 遮る手が徐々に消えていくのをスローモーションで感じる。そしてそれが無くなった時、あの小さなしずくが見えた。
 光で反射して輝いている所為もあるだろうが、見立て通りの綺麗さを誇っている。何より、よく似合う。



 「………もうつけたんですか、早いですね」

 「まあ、せっかくだったからな。どうだ?」


 
 少しだけ頭が動いた所為か、僅かに深い青は揺れていた。狐の耳では無く、人の耳に垂れ下がるそれは、確かに其処にある。
 見せびらかすように、そして得意げな表情で、藍さんは俺に向かって問いかけてくる。今か、今かと待っている。
 俺がどう答えてくるのかということに期待しているのだ。今の自分に対する評価を下して欲しいと、そんな顔をしていた。



 「――――ええ、よく似合ってますよ」


 
 そう答えると、藍さんは笑ってくれた。さも満足そうに、これ以上ない喜びを表してくれた。
 俺の目の前で、一番近いその場所で、その表情を存分に見せつけてくれた。目の前にあるのは、俺が一番見たい顔だった。
 
 


 
 
 







 
 
 

 
 



 「…………はぁ―――」

 「少し疲れたか?」

 「正直なことを言えば、そうですね」



 買い物も一段落して、あと少しで終わろうかと言う所まで差しかかってきている。来た時と比べ、かなり時間も過ぎた。
 それと同じように体力も削られていったのだ。いくら楽しいといえども、一度自覚すると止めることは出来ない。
 ドッと一気に襲いかかる疲労感、重いそれを少し和らげるため、ほんの僅かながら休むことにした。
 座り込んだ長い椅子、その横には当然ながら当然の彼女がいる。ただ、やはりその距離は近い。
 触れるか触れないか。あるいはそのギリギリという均衡を上手く保ちながらも、決してそれ以上もそれ以下も無い。
 絶妙な距離感。傍から見ればどう見えるかは、横切っていく度に見ていく人々が知っている。想像するのは難しくはなかった。


 
 「済まないな、予想以上に連れまわすことになってしまったよ」

 「いえ、構いません」


 
 すぐ横を見れば分かる。今までよりもずっと、ずっと近くにいる。その顔がこれまでよりもよく見える。 
 当たり前だ。でも、これまでを経て繰り返す度にそう思ってきていたこと。何度も考えてきたことだった。
 最初は知らないことへの抵抗があった。だがそれもいつしか変わっていって、今はこうしてここにあるのだ。
 思いもよらなかったことだ。振り返っていくと、何がどうしてこうなったのかも笑えてしまうほどに、不思議なことばかりだ。
 


 「いいって言ったのは俺ですから」

 「………そうか」


 
 今が正にそれだ。何度考えてみてもおかしいとしか思わないこと、そんなモノが目の前にある。
 けれど確かにあるのだ。触って、感じて、其処にあると知った。理解を深めていく度に惹かれていった。
 他でもない、狐である藍さんに心奪われたのだ。伝承や御伽話の人々のように、狐に魅入られていくことを止められなかった。
 気がつけばそうなっていたからだろうか。いることの違和感を感じるよりも、いないことの不自然さを感じるようになる。
 随分と変わるものだ。こうもあっさりと移ろいでいくことがおかしいはずなのに、それが当たり前だと思ってしまうのだから。

 

 「まあ、なんだ。あとはゆっくりと見ていけばいい、そう急くことも無いから安心してくれ」
 
 「はい」


 
 声を聞くと、顔を見ると安心する。自分の居場所を見つけたかのような気さえする、そんな錯覚さえ覚えてしまう。
 心の内に常に藍さんがいるのだ。瞼を閉じて思い返すのは容易いこと、歪んだ曖昧なイメージが浮かんだりもしない。
 その時その時の一部分を写真にしたかの如く、実に鮮明に映る。見えても、見えなくても変わったりもしない。
 こうして見ている今も、きっと後になれば見えるはずだ。なんでもないことだって、忘れたりはしないから。
 


 「………それにしても、随分と買いましたね」

 「ん?………ああ、この際だからいろいろと買っておきたかったものとかもあったんだ。だから量が増えたのさ」


 
 買い物袋を両手にしてもまだ足りないくらい。そんな大袋三つを、今座っている長椅子に並べている。
 一つ一つ自体はそう大した重さでもないのだが、数が増えて積み重なれば袋はどんどん大きくなっていく。
 店を巡れば巡る分だけ、より膨らむ。スカスカだった中が、隙間さえ無く詰まりに詰まった大袋へと姿を変えた。
 片手で充分だったのが両手を使うようになり、それ以上は抱えきれないから藍さんも袋を下げていくのだった。
 


 「いつも買い物をするのは、私一人だったからかもしれないな」

 「紫さんや……式神と一緒に来たりはしなかったんですか?」

 「いいや………誰とも来ないよ。ずっと一人だ、皆それぞれやることがあるのさ」


 
 寂しそうに、でもそれがさも当たり前のように藍さんは言い放つ。俺に対して、少しだけ憂鬱な横顔を見せてくる。
 目尻を下げて、視線を地面へと向けるその姿はいつもとは違う。普段の藍さんを知っていれば、似つかわしくない有様だった。 
 これまでの反応から察するに、敢えて多くを聞く必要は無い。それ以上を聞こうとはとても思わなかった。
 ただ、それでも俺が止めようとしても藍さんは続けた。まだ、話は終わってはいなかった。



 「誰もあの屋敷には訪ねる人なんていない。私は式神、言われた事をやるだけに過ぎないよ」

 

 吐き捨てるかの如く、淡々と言ってのけた。純然たる事実をただただ述べ切った。それの後には何も無かった。
 悲しげな表情と共に、抑揚の無い言葉を受け取る。感情を押し殺したかのようで、あまりにも平坦すぎるようにも感じた。
 当然のことだと分かっているのに、残酷だと聞こえた気がした。誰かに教えられたわけでもなく、そう聞こえてしまう。
 これからも続いていくことだと。過去も未来も、全部同じなんだと、言われなくても分かる気がした。
 


 「――――だが以前、"お前が来ていろいろと変わった。その変化も、案外悪くない"と言ったことを覚えているか?」

 「…………ええ、来て間もない頃のことですよね」


 
 しかし、先ほどとは一転して口調が戻る。藍さんの普段通りが少し戻ってきたようにも見えてきた。
 その言葉を覚えているかという問いかけに対しては、肯定をの意を示しざるを得ない。思い返すように言葉を重ねる。
 何故か満足そうな顔をしていたあの日、どうしてが分からなかったあの時。それ以上は必要ないと、考えようとはしなかった。
 見る気が無かったんだ。まだ何も分からなかったから、理解することよりも自分から遠ざかっていったこと。



 「まあ、そういうことなんだ。その言葉の通りなんだよ」


 
 でも、今ならその言葉の意味が分かる。それが本心なんだから、聞いて出て来た答えに間違いは無いんだ。
 敢えて言葉を濁し、最後まで言わなかったことが正にそれだ。曖昧だろうと、もう分からないなんて言えない。
 隠れているはずのモノは見える。その続きがあろうとなかろうと、どっちだって構いやしないことなんだから。
 だけど、それを決めるのは、終わらせるのは俺じゃないから。藍さんはまだ言葉を続けていく。止めることは出来ないのだ。
 

 
 「―――――いや、違うか。本当はお前が来てくれて嬉しかったのかもしれないな」
 
 「嬉しい?」

 「……………分かってくれ、いつだって一人が良い訳じゃないんだ」


 
 長い沈黙の後に吐き出した言葉の後は、視線を向こう側に逸らし、あからさまに目を合わせようとしなくなった。
 今いる場所から見える藍さんの横顔。その表情は隠そうとした所で、到底隠せるようなモノじゃない。
 当たり前だ、隣にいるんだから隠せるわけがない。だから結局藍さんの行動には意味は無いし、やったところで何も変わらない。
 でもそうしたかったんだろう。そうでなければ、何だと言うのだろうか。他に答えが見つからないのだ。

 

 「………似た者同士、だからですか?」
 
 「………そんなところにしておいてくれ」
 


 不思議と心を許してしまう。あれこれと気にかけてやりたくなる。そこにいて安心してしまう。
 似ているから、同じだと錯覚してしまうからなのか。そんな不思議な結びつきは、今日までの俺を助けてきた。
 でも、それは俺だけが助かっていたわけじゃなかった。救われたのは一人だけではない、もう一人いたんだ。
 助けられたと思い込んでいたけれど、本当はそうじゃなかった。思い込んでいただけに過ぎなかった。 


 
 「その、なんだ。お前さえよければ、ずっと……………」

 

 どちらが助けたのか、助けられたのか。立場を理解してしまった今、どれがどれなのか分かったものじゃない。
 来たばかりの頃、右も左も知らなかったあの日から今日に至るまで、幾つもの月日を重ねてきた。
 切って取り分けてみれば、それは小さなモノに過ぎない。でも、どんなにそれが大切だったのか。どれだけ意味があったのか。
 どれだけ価値があったのか。俺の想像よりも、もっと藍さんは思っていてくれたのだった。
 
 

 「………いや、なんでもない。忘れてくれ」


 
 でも言わなくても分かるのが、今だけは憎い。続きが無くても、形にしなくてもいいからこそ、歯がゆさを感じる。
 そんな中途半端さが、まさしく今の俺と藍さんとの関係を示すかのようで、やりきれない気持ちばかりが募っていく。
 お互いにそうなのだ。結局のところ、最後まで踏ん切りがつかない曖昧なままだから、いつまで経ってもそのままだった。

 

 「…………」

 
 
 今までのように此処でやっていけるのか、明日もいつもと似たように生きていけるのか。
 だが、それは何処まで続くのかは分からないけれど、そう長くはないのだと知っていた。
 いつか、帰る日がやってくる。外の世界へと戻る時が来る。そんな予感がした。

 
 
 

 


 




 
 日は沈み始めている。妖怪の山の向こうへと、ゆっくりとその姿を隠そうとしていた。
 青かった空は赤みが増していき、もう夕焼けの空へと変貌を遂げている。今もなお、ゆっくりと動いていた。
 この空を何度見たことか。そして、あと何度見られるだろうか。そんなことばかり考えている。
 問題が片付いた今、ゆっくり腰が下ろせるとはいえども………いつまで続くのかまでは分からないのだ。
 明日か明後日か、あるいは――――今日。突然起こることなんじゃないかと、思い浮かべたりもした。
 


 「………」



 少し忘れていたのだ。でも気がついた。これまでのように行こうとしても、きっとそうはならない。
 今日という同じ日が無いように、明日がどうなるかなんて分からない。なら、次が変わることだってある。
 俺が止まっていようとも、勝手に進んでいくのだ。これまでと同じように、これからも同じように動いていく。
 正直、のんびりしすぎたのかもしれない。悠長に事を構え過ぎていたと、そう思わざるを得なかった。

 俺にだって残してきたモノは、置いてきたモノはいくらでもある。簡単に切り捨てていいような、そんなものじゃない。
 これまでにサヨウナラと手を振れるほど、思い出も未練も無いような人生を歩んできたわけではないのだ。
 親、兄弟、友達と俺を取り巻く人々は沢山いた。それを切り捨ててまでの価値があるのか、まだ俺には分からない。
 もし、もし帰ることが出来るのならば。その時は――――――――。


 
 
 「なあ」

 「………なんでしょう?」



 呼びかけられた声に応えてそちらを向くが、未だ藍さんは前を向き続けている。
 少し前までとは違う、やけに真面目な顔をしていた。それに加え、夕焼けの光が照らされることで、より神妙な面持ちにも見える。
 元々美女ではあったのだが、それを更に引き立てるような形に見えて仕方なかった。少し恐ろしいくらいに、そう見えた。
 だがそれも一瞬の出来事。すぐに硬い表情を崩して、今日見せてくれたような笑顔をこちらに向けてきた。

 

 「また、一緒に来ような」



 これで終わらないというお誘い。次も、これからもという提案。本当、有難いことだとは思っている。
 それは隣にいる彼女が美女だから、狐だから、一番頼りになるから。その理由はいくらでも見つかるくらいにある。
 でも、それは一つだけじゃない。何もかも、全部ひっくるめて嬉しいのだ。


 

 「――――――」



 だが、本当にその言葉に対して頷くことが出来るのか?明日がどうなるかさえ分からないのに、安易に受けることが正しいのか?
 様々な思いや考えが頭の中をぐるぐると回り続ける。果たして、どうすることがいいのかと悩む。
 でも結局行きついた先は、最初に考えたことと同じことだった。時間の無駄、やるだけ損に過ぎなかった。
 既に決まり切っていた。だから、あとはその通りに。自分の思うがままに従うのみ。




 「―――――――そうですね。また、行きましょうか」

 「ああ」



 
 その約束は叶えられるのかは分からない。これからの未来がどうなるかなんて、俺には分かりそうもない。
 けれど、願いたくなるんだ。明日もまた続きますようにと、今日までの生活がこれで終わってしまわないことを祈るんだ。
 自分から望んできたわけじゃない。むしろ巻きこまれたようなものだけれど、全部が全部最悪だなんて思わない。
 

 
 「約束だ、必ずな」

 「分かってますよ」
 

 
 願わくば、叶いますように。

 


   
 
 
 
 

 
 


 「―――――――――あら、随分と仲良しなのねぇ」
 


 



 なんて、そう上手くいくのだろうか。


 





 「―――――――紫さん?」

 「お久しぶり、あの夜以来かしらね」

 「………ええ、そうですね」

 

 音も無く突然現れる。二度目だからか、それともこの異様な世界に慣れたからなのか、驚くことも無かった。
 かなり毒されている、とそんな感想を抱いたが、それはすぐに頭の中から消え去っていった。
 そんなことよりも、もっと大事なことがある。それは目の前にある。いつだって、すぐ傍に転がっていたのだから。
 この世界は、いつもそうだから。俺の意思など関係無く、勝手気ままに動いていく。



 「さて………悪いけど、本題に入らせて貰うわ」

 「………何か、あるんですか?」

 「そうね。あなたにとって、とても大切なことよ」

 「大切―――――?」









 「帰れるわ、外の世界に」






 
 
 

 






 「え?」
 
 「あら?」



 驚く俺を見てか、逆に紫さんは不思議そうな顔をしていた。何がそんなにおかしいのだろうか。
 俺にとって重要なことであるというのに、突然伝えられてきて困惑する他は無い。あまりにも唐突すぎる。
 いきなりすぎるだろう。どうして、そんなに大事なことを今日、この時になって言うのか。本当に分からない。
 隠すことも出来ず、そのままの姿を曝け出す。でも、そんな姿を見ても紫さんは笑わなかった。俺と同じ、そんな顔をしていた。
 今知ったと言わんばかりの、とても珍しい顔。それを、鏡を眺めているような気分で見ていた。


 
 「あの………どういうことです?」

 「………知らないの?」

 「………ええ」
 
 
 
 尋ねてみても、返ってきた答えは俺を騙すためのモノじゃなかった。本物だった。
 飄々としていて、イマイチ掴みどころのないような――――ここに存在していることすら疑問に思う妖怪が、驚きを隠せていない。
 "俺が外の世界に帰れるようになったことを知っている"と思い込んでいたのに、知らないと返ってきた。
 そんな事実にこうも狼狽えるなどというのは、おかしい。まさか、そんなヘマをするような妖怪ではないのだ。
 ならば、何故?どうしてこうも行き違う?俺も、そして紫さんも知らないなんて、そんなことがあるはずがない。


 
 「………ああ、なるほどね」

 「………?」

 

 ふと、紫さんは向こうへと首を動かした。そして、その後に少しだけ遠くを見つめたかのような仕草の後、ゆっくりと呟いた。
 一体何が分かったのだろうか。もう答えを見つけたのか。なんとなく、紫さんと同じ方向を見てみることにする。
 その向こうに何があるかは分からない。でも、見えなくても何か掴みたい一心で首を、視線を動かしてみる。
 そうして見えた先、首を真横に曲げてみた後、俺の目に映って見えたモノは―――――。



 「―――藍―――――――あなた、彼が帰れること――――――伝えてなかったのね」

 

 夕焼けの空の下、光が照らされるその中。居心地が悪そうに、あからさまに視線を逸らす藍さんだった。
 都合が悪いと、今は何も言いたくないという顔をしている。あの立派な尻尾も、今は元気を無くしているみたいに見えた。
 見つめれば見つめるほど、藍さんは視線を逸らし続けた。かすかに震える唇が、逃げたいという気持ちを示しているかのようで。
 この時ばかりは、あの九尾の狐である藍さんが、いつもよりも小さく見えて仕方なかった。


 
 「………まあいいわ、追及はしないでおくけど――――先延ばしにしたって、何も変わらないわよ」

 「………!」

  
 
 終わったことにホッとしたのか、体の緊張状態を解く。しかし、その後の最後の言葉に体を強張らせた。
 こうも気弱な態度になるなど珍しい。少し前までも俺の近くで珍しい顔を見たものだが、続いて二度目があるとは。
 だが、それは目の前にある。僅かな時間の間の中で、確かに起こったことなのだった。
 


 「――――ごめんなさい、そういうことなの。期限は明日まで。悪いけど帰るか帰らないか、それまでに決めてね」

 「…………」


 
 結局、最初に会った時のように、嵐のように過ぎ去っていった。それだけだった。
 裂けた空間の裂け目に紫さんが消えていくのを――――見送ることだけ。見続けるしか出来ることが無かった。
 それ以上もそれ以下も無く。呆けたように一連の流れが終わっていくことを眺めていた。



 「…………っ」



 けれど、それで終わりじゃない。去っていったのは一つだけ。残っているのは二つ。
 その二つの内の一つが俺だ。だから、もう一つの片割れと帰らなきゃいけない。来た時のように、並んで。
 帰るべき場所に帰るために、今日まで過ごしてきた場所を目指していく。
  

 
 「………帰りましょうか」

 「………ああ」



 今は、その言葉以外に何を言えばいいのかは分からない。けれど、これで間違っていないと思いたかった。














 
 
 「綺麗なピアスね」

 「あ―――ええ、藍さんが買ってくれたんですよ」



 既に日は落ち切っている。暗いようで、何処か青いような夜空が、開いたままの戸の向こうに見えた。
 その青さをもっともっと濃くした、そんなピアスを左の耳につけていたのだが、紫さんに褒められることとなった。
 せっかく貰ったのだ。付けておかねば悪いだろう。欲しがったのは自分なのだから、使わなければならないのは当然。
 例え今日がどういう日かであろうとも、その事実には関係が無い。ならば、ごくごく普通のことだった。



 「記念に、と」

 「………そうなの」


 
 記念だと、藍さんはそう言った。でも、それは去っていく俺に対してではなく、明日も居続ける俺に対してに向けられたものだ。
 何処かで願っていたのかもしれない。明日も同じように、これまでと同じような日々が続いてくれることを。
 俺の隣に藍さんがいて、藍さんの隣に俺がいる。今までと何も変わらない、いつまでも終わらないような時間を。
 けれど、もうそれも終わりが近い。俺は決めなくちゃならなくなった。帰るか、帰らないかの二択。
 急に決まったことではあるが、それでもいつかは来ることだった。それが早く来ただけに過ぎない。
 だが、そうだと頭では分かってはいても、心は理解してくれない。簡単に動くほど、思い入れが無いわけでもない。
 


 「………藍はどう?」

 「部屋に引きこもったままです。しばらく一人にしておいて欲しいって言われました」

 「………そう」 



 藍さんがあえて俺に何も言わなかったのは、黙ったままにしておいたのは、いずれ訪れる現実から目を背けたかったからだ。
 だから俺に告げることをしなかった。きっと、終わることが怖かったから。明日からが違ってしまうことが恐ろしいと思ったのだ。
 そんな予想を立ててみたけれど、多分間違っていないだろうとは思う。自惚れだとか、思い違いなどとは考えない。
 でなければ何もかもおかしいから。そうでなければ、これまでの事実に辻褄の合わないことばかりになるんだ。



 「………その、藍のことを責めないでね、何もあなたに悪戯しようって訳じゃないの」
 
 「………分かってますよ。何故先延ばしにしたのかは――――"そういうこと"だって、言わなくても伝わりましたから」

 「――――じゃあ、私の口から言うことは特にないわ」

 

 要は裏返しなのだ。俺の為にならないことをしているのは、きっと"そういうこと"だからだ。
 言わなくてもいい。これまでの一連の行動こそが、一番分かりやすい証明になる。もう、それ以上何も言わなくてもいい。
 だが、今になって明らかになってしまった以上、もう隠すことも逃げることも許されなくなった。
 俺も、藍さんもお互いに。共倒れのような形になってしまったけれど、それでも良いと思えた。



 「あなたが帰るか、帰らないか。それだけになるわね」

 「ええ………」




 この問題を抱えてしまう以外は、何も問題はない。だがそれが一番問題であって、大変なことだった。
 しかし、此処まで来てしまった以上はもう引くことは出来ない。後は、前を向いて進むのみ。振り返ることは許されない。
 残された時間は多くは無いが、それでも決めなくてはならなかった。自らの手で、自分の行く道を選び取らねばなるまい。
 だけど、そんな大事なことをすぐに決めてしまえる程――――簡単な話では無かった。



 「私としては、あなたがどちらを選ぼうと構わないわ。でも、もし残るのならば、此処に居てもいいと思っているの」

 「え?でも………」

 「別に今までと変わらないだけよ。何より藍を助けてくれたのなら、この程度は何の問題もないのよ」

 「………」


 
 この世界に何の未練も無いのなら、置いていくものが何一つ無いならば、今すぐにでも帰るはずだ。
 だが、今こうしてすぐに答えが返せないことこそが真実。言えないことが、自分の気持ちを推し量るには充分だった。
 紫さんに投げかけられた言葉に揺らいでいるのだ。返す言葉さえ見つからない、何も出てくるモノが無かった。
 限りなく平行に近い。それは、俺がこの世界を元の世界と同じくらい―――気に入っているということに他ならない。 
 そうして一つ、分からなかったことが分かってしまうことが、より頭を悩ませていく。深みへと嵌っていってしまう。

 
 
 「まだ、結論は出せません」

 「いいわ、時間はあるもの…………急だとはいえ、ごめんなさいね」

 「いえ………」



 どうすればいいのか、何を当てにすればいいのかは知っている。自分だけだ。俺だけが、答えを知っている。
 

















 
 こうもあっさりと、明日は変わっていくらしい。それもそうか。一番最初に此処に来てしまったときだって、そうだった。
 いや違うか。一瞬ですり替わったあの時に比べれば、まだ考える時間も選択肢も与えられた今は、とても恵まれている。
 
 ――――分かってはいるのだ。だが、そうだとしてもあまりに急すぎる。突然選べと言われて、すぐには選べない。
 はいそうですか、と簡単にいくならいい。けれど、物事は上手くいく方が珍しいのだ。自分の思い通りにはいかない。
 突拍子も無く現れ、嵐のように場を荒らした揚句、最後は何事も無かったかのように消える。本当、厄介なものだ。
 日が昇ってはあっと言う間に沈んでいくように、気がつけばもう時間は過ぎ去っていく。



 「帰る、帰らない……………明日までに決めろ、か」



 言葉に出してみるが、正直実感があるかないかも分からない。ただ、明日が変わっていくのは分かっている。
 いつも通りの、でも何処かしみじみとした感情を抱かざるを得ないような、そんな日を過ごすのだろう。
 何処にでもあるような些細な出来事だろうと、きっと感傷に浸ってしまう。どう考えても、他になりようがない。
 これが最後だと知ってしまえば、もう戻れないのだと分かってしまえば――――何も感じずにはいられない。

   

 「………………はぁ」


 
 寝転がって暗くなった天井を見上げても、ため息しか出てこない。明日朝を迎えてしまえば、それで最後の日が始まるかもしれない。
 なんとなく、寝るのが惜しい。寝ようと思っても、やはり目が冴えてしまって寝られない。まるで遠足に行く前の子供のようだ。
 ずっと前から布団に入って寝ようとしていても、結局時間だけが過ぎ去っていく。刻々と朝を迎えようとしている。

 ………ああ、そうだった。そういえば此処に来て間もない頃、そういえば寝付けない日があったことを思い出した。
 体は疲れているのに、頭だけが回っていた。冴えに冴え渡るものだから、結局外に出ることを選んだ。
 そこで藍さんと会って、そのまま夜を明かして――――その後は自分の部屋でずっと寝ていたんだったか。
 懐かしい。確かに昔の出来事ではあるけれど、いつしか遠い過去のように感じる。そう遠くもなかったはずなのに、どうしてだろうか。

 

 「―――――」



 止めだ、やっぱり外に出よう。少しは考えが収まるかもしれない。一度頭を落ちつけなければならない。
 そう思って立ち上がる。イグサの畳の上を歩き、襖のまでの距離を真っ直ぐ進み、格子に手をかけて横に引いた。 
 乾いた音と共にスライドしていく戸の向こう、暗い景色になった廊下。その先には、何処までも黒が広がっている。
 ただ、その真ん中に堂々と、狐が立っているとは思いもしなかったが。



 「―――藍さん?」

 「…………」



 呼びかけても答えは無い。打てど響かずの如く、何も返ってはこなかった。
 俺を見ているだけ、それ以外には何もしなかった。微動だにせず、まるで彫刻のように佇んでいるだけだった。
 あの日の夢。最初に出会った時、そのやり直しをしているかのような錯覚を覚える。場所は違っても、そんな気がしてならなかった。 
 


 「え?」
   
 「…………」



 しかし、錯覚は錯覚に過ぎなかった。これは夢じゃない、現実だ。だから手を伸ばそうと思えば、伸ばすことはいくらでも出来る。
 どう動こうが勝手だ。やろうと思えば出来ない訳じゃない。どちらであろうと、この距離ならば先に動いた方が勝つ。 
 相手を動けないように拘束することだって可能だ。正に今がそうなのだ。俺は今、動くことを許されなくなった。
 まるで絡みつくかのように、逃がさないかのように。でも優しく、温かさを感じつつ――――ゆっくりと、抱きすくめられた。
 


 「な、なんで―――」

 「帰るのか?」

 「…………」

 「お前は、帰るのか?」



 左の耳から、囁くように聞こえる。震えるような、掠れたかのような声が、吐息と共に伝わってくる。
 その反応でもう、驚くのを止めてしまった。止めざるを得なくなった。こんな姿を見てしまったら、何もかも変わってしまう。
 これほどまでに弱弱しい藍さんをこれまで見たことがあっただろうか。俺の知っている藍さんは、こんなものではなかった。
 たった一人男が消えていくだけで、こんなにも怯えるなんて。そんなことになるなんて、知らなかった。



 「………」

 「………」

 「………俺、は」  
 
 「………すまない、分かってはいるんだ。まだお前が混乱していることを、まだ決めかねているってことは知っているんだ」
 
 

 何か、何か言うべきなのだ。だから口を開く。無理矢理にでも、ツギハギだらけだろうと言葉にして見せようとする。
 でも止められた。分かっていた。既に知られていた。俺がまだ決めあぐねているのだと、最初から筒抜けだった。
 じゃあ、分かっているのならば何故?理解していることを尋ねに来たのはどうして?その答えは、すぐにやってきた。



 「でも、これだけは聞いて欲しかったんだ。お前が決める前に、どうしても知ってほしかった」

 「…………」

 「私は、お前に―――――行って欲しくないんだ」



 先ほどよりも強く抱きしめられた。体と体がぶつかり合い、より密着度が増していく。
 少しだけ痛い。それはその力の強さなのか、あるいはその言葉が心に突き刺さるからなのか。どちらにせよ、今は痛かった。 
 でも振り解くことは出来ない。振り解いたが最後、自分がどうするかを決定づけてしまう。選んだことになるのだ。
 ならどうするかなんて、どうすることも出来ない。終わるのを待つ他に、何をすればいいか分からなかった。



 「お前が帰る日を知って―――嫌だと思ったから言えなかった。黙っていた。でももう終わりだ。だから、もう曖昧にするのは無しだ」

 「…………」 

 「卑怯だと罵ってくれていい、見捨ててくれたって構わない。ただ、それだけは覚えていてくれ」

 

 それはどっちだ。今こうして何も出来ない自分の方じゃないのか。決めあぐねている俺に向けるべきじゃないのか。
 痛みは更に増す。続いていく言葉が更に心に食いこんでいく。何処までも大きくなっていくかの如く、膨らんでいく。
 でも受け止めるしかない。ただ、今をこうしてやり過ごす以外はない。藍さんの言葉を聞き終わるまで、逃げられないのだから。
 
 

 「じゃあ、おやすみ―――――――――また、明日」  



 一瞬のような、しかし何処までも続く地獄を終えた後は、その言葉と共に回された手を離してきた。
 今、ゆっくりと俺から離れていく。温もりが消えていく。解放されたのに、何処か寂しいとすら思う。
 そうして少しばかり落ち込んだ俺に向けて、頬に少しだけ何かが当たる感触を受け取る。とても柔らかい何か、だった。
 金色の髪が舞いながら、やけに鼻に残る上品な香りを与えつつ、俺から離れていく。

 

 「――――――――――――」



 去っていった後、襖の向こうから入ってくる冷たい風が頬に当たる。
 今は、それが有難かった。火照った顔を元通りにするには、一番良い薬になりそうだったから。





















 


 「どうするか、もう決めた?」

 「はい」




 「そう、決断が早くて助かるわ―――――で、どっち?」
 














 「―――――帰ります」



 
 











 





 何もかも終わった。ついに終わりを迎えたのだ。
 最後にどちらか一つを選ぶというとんでもない最後が待っていたが、それでも終わったのだ。
 
 見慣れた景色。田んぼばかりで碌に家すら建ち並んでいない。見渡す向こうには山ばかり、緑が一面に広がっている。
 年寄りばかりが溢れ、若者は外に出ていくばかりの寂れていく町、俺が生まれて過ごしてきた場所。
 帰ってきたのだ。ついに、長い長い時間をかけてようやく戻ってきたのだ。


 
 「………」



 ゆっくりと、でも確実に前へと進んでいく。一歩一歩、黒さが抜け落ちたアスファルトの上を歩いていく。
 人工物で出来た堅い地面。それはあの世界では絶対に存在することの無いモノだ。この世界にしかない道だ。
 だが、感慨深いと余韻に浸っている暇は無かった。まだやらなくてはならないことがあるから、立ち止まるわけにはいかない。 
 見慣れた景色をじっくりと眺めるには、時間が足りなさすぎるから。のんびりとするには、一仕事を終えてからだった。


 
 「はぁ……………」
  


 振り返って思い出すのはあの時のこと。どちらか二つに一つを選んだあの瞬間だった。
 頭の中で鮮明に繰り返されるのは、俺の言葉を聞いた時の藍さんの表情。その声ばかりが思い出される。


 『そう、か―――――――』


 落胆の色を隠しきれないと言わんばかりの顔をしていた。夢は叶わなかったと、思い通りにはいかなかったという気持ちが伝わった。
 でも、それでも必死に気丈に振る舞おうとする姿が、とても痛々しく見えた。目を背けたくなるほどだった。
 だがそれでも伝えねばならなかった。どんなことになろうと、それだけは言わねば始まりもしないのだから。
 踏み出す勇気を持った結果がこれだ。これでよかったのか、そんなことは分からない。



 「………さて、どうなることやら」



 今は少しでも気を紛らわせるしか方法が無い。言葉に出して、ちょっとでも和らげるしか他に術が見つからない。
 現実逃避でもしたい所だが、残念ながら許されそうもない。今もこうして、弱音を吐けることも恐らくそうなのだろう。
 だから、今だけはこっそりと叫ぶ。誰もいない今、一人になったこの時だけは、咎める者は誰もいないから。 





















 「―――――――――遅かったわね」

 「そうですか?結構急いだつもりなんですけどね」

 「冗談よ、ちょっとからかってみたかっただけ」



 辿り着いた先には、既に先客がいた。少しばかりの冗談を交えて、合図も無くゆっくりと歩き出す。
 ただ、それは今までのようではなく、先へと進む彼女の少し後を追いかける形で進んでいく。
 近づくことも無く、離れることも無く、その距離を保ちながら向かう。紫さんが目指すべき場所へと、俺も目指すのだ。
 そこに俺が求めていたものがあるから、だから進むのだ。立ち止まっている暇なんて無い。



 「………それにしても、随分と思い切ったことをするものね」

 「そうですか?」

 「そうよ」



 振り返りもせず、自分に向かって来た話について疑問を返す。それに対しての紫さんの反応は、意外だと言わんばかりだった。
 まあ、確かに言われてみればそうなのかもしれない。俺の決断を聞いたあの時、驚いた表情を見せた妖怪がいたのだ。
 今思えば随分レアな顔を拝めた気もするが、その後にいろいろと面倒なことが起こったのだから、簡単なことではないのか。
 飛びつかれて、思いっきり抱きしめられて―――――その後はずっと泣いたままになったのだから。
 


 「まさか――――――――外の世界で生きるの諦めるために、自分という存在を全て消すために、帰るなんてね」

 
 
 どうやら、俺が思っているよりも入れ込まれている。俺も藍さんも同じく、お互いがお互いに思う所がある。
 思えば、藍さんが突然やってきたあの夜。全てはあの日の夜が決め手だったと思う。たった一つの行動で、何もかも決まった。
 

 『私は、お前に―――――行って欲しくないんだ』
 

 買い物をしていた時に言おうとして言わなかった言葉が、最後の最後になって出た。
 何もかも投げ打って、振り返りもしないで、自分の思うがまま、勝手にやりたいことだけを残して去っていった。
 でも、それこそが藍さんの本当の気持ちなんだ。そこまで必死になるのは、それだけ思い入れがあるから。
 簡単に無くしちゃいけないと思ったからだ。だから、言わなかった言葉を形にしてぶつけてきたんだ。


 
 「………それだけ価値があると思ったんです。それよりも、こっちも意外でしたよ」

 「何がかしら?」

 「そんなにあっさりと認めてくれる、とは思いませんでしたから」
 
 

 ならば、その思いに応えなくてはならなかった。俺も、俺なりに出来ることをするしかなかった。
 けじめのようなものだ。単純に、帰るよりも残った方がいいと思ったから、二つに一つの選択肢を選ぶことにしたのだ。
 そうして決めてしまった後は、もう振り返ることも立ち止まりもしなかった。ただ前へと進むだけだった。
 今みたいに、たった一つを目指して歩いていくのみ。自分を信じて、藍さんを信じて事を運ぶのみ。
 しかし、こうまで物事が上手く運んでいくとは、悩むだけ損をした気分にもなりかけたが………それはよしとしよう。
 


 「いいのよ、これまで頑張ったお礼。何より、私はあなたを応援してるって言ったでしょう?」

 「………そうでしたね」

 「ええ、むしろあなたには感謝しているのよ。藍が頑張ったのも、見事私の代わりを果たしてくれたのも、あなたがいたからよ」

 「………だから、ですか」

 
 
 俺自身としては藍さんを助けたという気は無いし、むしろ何かをしてあげられただろうかと思うことばかりだ。
 結果として例え紫さんの言うとおりだったとしても、全く実感すらない。所詮、出来たことなど極僅かなことだとさえ感じている。
 でも、俺がそう思っていたとしても、それが藍さんの助けになったのならば、これほど嬉しいことはない。
 そしてそれが巡り巡って、結局最後に自分を助けることになるとは、本当によく分からないことだ。



 「藍には期待しているの。式神以上になって欲しいと、私の代わりを果たしてほしいと願っていたから、一歩進んだことになるわ」

 「………じゃあ、そのご褒美ということで?」

 「そんなところ。何より、男女の仲を引き裂くのは野暮というものよ」
 

 
 藍さんの思惑通りが俺の思惑と上手く一致した。結果として全ての歯車がかみ合って、お互いに得をした。
 イマイチ腑には落ちないけれど、それでも何もかも思い通り。万々歳で終わろうとしている。それだけは確かなことだった。
 これからも昨日のように、でもちょっとだけ違う今日が始められる。隣に藍さんがいる、そんな日が続いていく。



 「これから色々あると思うけれど、頑張りなさいな」

 「色々、とは?」

 「分かっているでしょう?」


 
 人と妖怪の違い。男と女の問題。他にもたくさんの課題は山積みで、見上げても頂上が見えないくらいだ。
 一生をかけても終わらないかもしれない。俺は途中で脱落して、藍さんだけに背負わせることになるかもしれない。
 その道は長く険しい。地獄にも似たような道を、延々と出口まで歩き続けろということに等しい。
 先に何があるのか、何が見えてくるのか、何処に終わりがあるのか、そんなことだって分からない。

 

 「そうですね、それでも………なんとかなるでしょう」

 「大きく構えてるわね、いいわよ」



 でも、その向こうに希望があると信じている。そうでなければ、明日に価値を見出せない。
 幸せになることを願って生きているのだ。だから、それを目指していくだけのお話。それを勝ち取るだけのお話。
 どんなに苦しくても、辛くても、その壁を乗り越えていく。藍さんと一緒なら、頑張れるはずだから。
 もし本当に俺が"狐憑き"ならば、上手くやれるから。やれないことはない、やってみせる。
 


 「――――さあ、行きましょう。藍が待ってるわ」


 
 突然紫さんは振り返って立ち止まる。偶然か、あの自販機の近くで紫さんは幻想への入口を開いた。
 音も無く、その空間だけが裂けていく。まるで魔法のように、別世界へ行ける扉を作り上げてみせた。
 暗闇の中に広がる無数の目、見れば見るほどおぞましい何か。でも入らなければ、あの場所に帰ることは出来ない。
 一歩、また一歩と、歩いていく。その先に藍さんが待っているならば、行かねばならないから。


 
 










 
 「なんだ、遅かったな」

 「いろいろと手続きやらがあるんですよ。人一人消すってのは、面倒なんです」



 玄関前で待ち迎えていたのは、ずっと待ち望んだ姿があった。多くのモノを捨てた結果が、目の前にある。
 どれだけの助けになったか、どれだけ一緒にいたか。思い返せば色々あるけれど、でも、これからもそれは続いていく。 
 終わりは知らない。願わくば何処までも続いて欲しい。心の底からそう思っている。




 「それに、いろいろ持ってきているようだな」

 「いいでしょう、今日から此処が俺の家になるんですから」

 「………ふふ、そうだったな」



 馬鹿な選択だと人は笑うかもしれない、狂っているとしか思えない所業だと、そう呼ぶのかもしれない。
 だけど、正しいかどうかはどうでもいいのだ。要は、自分が良いと思ったモノを選べばいい。選ぶのは俺自身だ。
 その価値があると思ったから、俺は此処まで来たんだ。藍さんを選んだんだ。後悔など、しない。

 

 「ただいま――――藍さん」


  
 目の前にある笑顔を求めた。ただ、それだけのこと。
 

 
 
 「おかえり」





 一人の男が狐を選んだ、それだけのこと。


うpろだ0062,0063,0065
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最終更新:2014年07月04日 21:06