サグメ1
今宵、あなたと夢の中で 1(Megalith 2017/01/22)
ふっと己が落ちていく感覚。
落下しているような感触と、それとは反する不思議な浮遊感。
辺りは満天の星空。
ふと気づけば、俺はある者と向かい合わせに座っていた。
濃い紫のドレスワンピースの上に白いジャケット、胸元には赤いリボン。
特徴的なのは左手で口元を覆い隠す癖。
それと何よりも――
「……三日ぶりだな?」
控えめに、だがしっかりと存在感を主張する真っ白なその片翼。
勝手知ったる、といった感じで、俺は目の前にある自分のグラスに手を付けた。
「…………」
先程の呆れ気味の呟きに返答はなく。
どこからか現れていたグラスを彼女も静かに傾けた。琥珀色の酒らしい液体が彼女の口に流れる。
ここは夢の世界。彼女の対面を務めているのが、なぜ俺なのかは未だに少し分かりかねている。
なぜこうなっているのか。事態は少々前に遡る。
今から三ヶ月程前。なにやら月だのなんだのと騒ぎがあった時期から、確かちょうど一年くらい経ったくらいだろうか。
人里の少し外れたところで居酒屋を仕切る身である俺にとって異変は結構身近な存在だ。力のある者もない者も等しく客と取るのだから、異変がどうの妖怪がどうのなど今更な話である。
むしろ異変の後は新しい顔が里に馴染むことも多い。だから、そういう意味では結構助かっていると言えなくもないか。その度に騒がしくなるのは……この際ご愛嬌だ。
最近というほど最近でもないが、一番新しい顔だと新しく玉兎が二人、いや二羽だろうか。増えたくらいで身近な変化は途切れている。
だから本当に近頃はこれといって何もなく、比較的平和な時期であった。
平和だったはずだったのに。
始まりはある夢だった。
――気がつくと辺りは星空だった。
そう、辺りが、だ。
空ではなく辺り一面、景色と呼ぶようなところが暗黒に塗りつぶされ、小さな光が散らされていた。
一応立ってはいるものの、足元も同様の景色が広がっている。
そして周りをよくよく見れば、最初に向いていた方向と逆の方向にそれなりに大きな――都と呼んで差し支えないような場所も見えた。
――また気がつくと目の前にはテーブル、そして二脚の椅子が現れていて。
都のようなものが見えたと思えば、次は真っ白なスペースのテーブルに座っていた。
ご丁寧に飲み物と軽食までついている。しかも飲み物はまだ湯気が立つほど暖かく、軽食も同様に作りたてなのだろう。
一気に事態が変わって、俺は軽い思考停止に陥っていた。
――そしてそこには先客がいた。
思考停止から我に返ると、俺の対面に誰かいることに漸く気付いた。
一応弁解しておくが俺は別に間抜けでも鈍感でもない。……と自負している。
その女……なぜか片翼の女。彼女は名前を稀神サグメと名乗った。
彼女の言うことを鵜呑みにしておくと、彼女は月に住む者であり、神霊なのだという。
まあ神霊と言っても実質的には俺の周りにいる神や鬼と対して変わらないらしいが。
そして厄介な、本当に厄介なその能力も説明された。
「失礼を承知で頼まれて欲しいの」
――ひとしきり説明が終わると、突然彼女は頼みを投げてきた。
簡潔にいえば、話し相手になって欲しい、というものだった。
新しくお得意さんになっていた玉兎の二羽からの話を聞いて、俺なら引き受けてくれるのではないか、と考えたという。
下手に近くの者よりも、遥か彼方の縁もへったくれもない者の方が安心して話せる、というのもあったらしい。
――嫌だと首を横に振ろうとして、面倒だと断ろうとして、結局出来なかった。
我ながらお人好し、というか情に絆される馬鹿だな、と思う。
でも、出来るわけないだろう。あんな悲しそうで寂しそうな目をされたら。
結局俺は最終的に頷いた。
それから、多い時は週に二、三度、少なければ月に二、三度くらいのペースでこの夢の場所に呼びつけられるようになった。
そして今に至る。
「悪いが、現実で来てくれなきゃなにも出せないぞ。まあいいけどな。で、今度は何があったんだ」
今夜も、こちらのいつものような軽口から始まった。
が、
「…………」
サグメが待って、と手で告げる。理由は既に分かりきっている。まだ、現実での自分が眠りきってないのだ。
彼女の能力、『口に出すと事態を逆転させる程度の能力』は完全に寝付いていれば問題ないらしい。
といっても、俺にはそれによってどんな事態が起こるのかはよく分かっていない。
しかし、彼女の話を聞いている限りだと、一々あらゆる発言に気を遣わなければならない面倒を背負い、だが役に立つかも、という状況でも本当に狙い通りになるかが本人にも分からない。
そんな体たらくとくれば、百害あって一利くらいしか無いのはまあ分かる。
ちなみに、前にこちらの世界で起きてるだろう、という疑問を投げてみたが、
「別に問題ない。本質的には眠っている」
と回答が返ってきた。どうやらその本質的な部分が大事で、経験則から寝言は逆転しないから寝付けばそれが適用される、とのこと。
多分がついていたのが怖いが、俺のことでは無いからどうしようもない。
本人曰く、こんな能力などいらないらしい。
はっきり言ってしまうと確かにいらないと思う。
口は災いの元、とは言うけれど、それを地で行くのだから大変さは計り知れないし、別にそんな便利そうでもない。
さっきも言っているが、百害あって一利のみ、である。
「……そろそろ大丈夫だ。すまない、待たせてしまった」
「いや、もう慣れたよ」
少し遠慮がちな相手にため息をついて間を取りつつ、それでも少し足りないようで目の前のグラスに口をつけた。
どこかツンとした甘さが喉を伝う。ゆっくり二口でグラスを置くと、サグメは既にいつもの調子に戻っていた。
「早速だけど」
「ん、どうぞ」
いつも、といっても夢の中の俺の前で見せているいつもに過ぎないが、と変わらない口調で話が始まる。
それはまるで機密事項でも伝える密会のような、そんな重々しい口調だった。
でも、その実そうではない。
「……最近、またあの純化した妖精達がうろつき始めていて面倒くさい」
ただの愚痴に付き合わされるだけである。
今宵も物言えぬ神様のささやかなガス抜きが始まった。
遅ればせながらあけましておめでとうございます。
取り敢えずもう一話続くんじゃよ。
今宵、あなたと夢の中で 2(Megalith 2017/02/01)
私は生まれるべきでなかった。
片翼なのはその証だろう。
だって、こんな舌禍をもたらす出来損ないなど、誰も必要としないのだから。
そう、私の口はパンドラの箱。益が出るか災が出るか、それは開けてみるまで私にも分からない。
不安定で不確定で不自由な能力。それも未来を左右するのにこの体たらくだ。
……一体誰がそんな者を求めるだろうか。
そんな物好き、居るわけが――
「大丈夫か」
虚を突かれるくらい近くの声と視界に入ってきた知っている目に、サグメはふっと我に返った。
俯いているところを覗き込まれたらしい。
どうやら気を遣わせたらしく、かけられた声には随分と心配の色が混じっていた。
近くに映った相手の顔も含めて、僅かにこそばゆい感じがした。
心配か。久し振りにされたような気がするが、最後はいつだっただろうか。
――少なくとも、あんなことを思うようになってからはされてなくて久しいな、なんて。
そんなことを考えてる自分が少し可笑しくて、そしてなぜだか少しだけ熱くなった顔を誤魔化そうと苦笑した。
「……もう大丈夫そうだな?」
「もう、もなにも最初から大丈夫よ」
「いい加減俺以外に喋れる奴を作れよ。俺の意思はともかくとしても、いつでもお前に構ってはなれないんだぞ。それ以前の問題として、お前と俺じゃ歩む時間が違うし」
「別にいいの。吐き出せるのは楽だけれど、吐き出せなくてもやれるもの。どんなことでも」
「そうか。まあ、貴女がそんな強くて器用だとは思えないが」
「必要に駆られなきゃ、強くある理由も無いのよ。弱さを見せられる場所なら弱く在る方が楽だもの」
生まれて何度目かの頼られ方をした昨年から既に丸一年は経とうとしているが、未だ雑務は山積していた。
おまけにまだこの件に本格的に絡んでいるのはもう私くらいで人手は足りない。書類仕事は勿論だが、偽の月の都の処遇も目処は立っていないし、純化妖精の残党も未だにチラホラと姿を見かける。
とは言え、恨み言を投げられる対象はいない。
強いて言えば純狐とかいう奴らだが、あれはあれでこっちの事情の被害者でもあるみたいだから仕方ない、と思えなくもない。思いたいわけでもないが。
それに、上にとって私の関わっていることは既に終わったことなのだから、それ以上人員を投入しないのは合理的な考えといえる。
そして何より、"私"という常に燻り続けている問題の種をこうして棚上げ出来るのだから、彼らはテコでも穢れでも動かないだろう。
だから、現状は"仕方ない"のだ。
――と自分を誤魔化すのも、正直そろそろ限界である。
だからだろうか。中身を意識したのは言ってから、なんて調子でその言葉は零れ落ちていた。
「……もし、もしもだ。私が――人だったら、お前はどうしてた?」
「と、言うと?」
不意な問いかけ。それも随分言葉足らずなそれに、対面の男は生真面目な口調で言葉を促した。
適当にお茶を濁そうとしたが、その眼差しの真剣さにその場凌ぎのの言い訳は紙を吹いたように飛んでしまった。
それに、ある程度の付き合いがあって、こいつが優しいのが分かっていたのが運の尽き。
仕方なく、いや、縋り付くように私は言葉の続きを吐き出していた。
「もしも、でいい。もし、私がこんなじゃなくて普通の人間だったらって思って。
……例えば、貴方のやっているっていう店に顔を出せたら、こんな風に話せただろうかなって思ったから」
「……別に変わらんだろうな。それが仕事だし、対価をもらうならこちらも相応の対応を返さなきゃならないのが筋だ。
まあそれ以前に俺は人の話聞くの、結構好きだから。変わらないと思うぞ」
そのせいでいらん世話を焼いちまうがな、と男は顔をしかめる。
だが、きっと相手からすればその"いらん世話"はありがたいだろう。
少なくとも今、私は彼に頼ってしまっているし、頼らせてもらえるのはありがたい。
自分の良さを卑下するのはいつになっても変わらない人の性、ということなのだろうか。
「夢なのに酔ったか? 目が惚けてるぞ」
「……ちょっと眠たくなっただけよ。そろそろ起きる時間みたい」
ドレミー曰く、こちらでは睡眠関連の感覚は現実と鏡写になっているという。現実で眠ければこちらが冴え、現実で目覚めるならその逆だ。
しかし、夢での体感時間は人によってまちまち。眠りの深さやその時の体調によっても変わるらしい。
自分の経験上、今夜はかなり短かったようだ。
「そうか。……まあその、なんだ。ちょっと頭貸せ」
「うん? いいけど――」
言われるままに首を傾け、頭を男に差し出した。
「なにか付いてた? 夢なのに?」
「いやまあ、労いとおまじないってとこだよ」
なにやら言い訳じみた調子の言葉が返ってくると同時に、頭にぽん、と軽く手が乗った。
「……子供扱いしたいの?」
「他意はねぇよ。お疲れさんってのと、潰れんなってことだよ」
言いながらも手は止まらず、くしゃりと控えめに撫でられて、思わず目を閉じた。
……異性から頭を撫でられるとか、初めてなのだけれど。
「こういうのは慣れないか?」
「そ、そうではない」
「そうか。まあ、あんまり根詰めすぎないようにな」
苦笑気味な言葉とともに撫でられていた手が離れた。
無くなった感触が少しだけ名残惜しかった。でもそれを気取られるのはなんとなく気恥ずかしくて、取り繕うように別れの返事をした。
「大きなお世話。……まあでもありがとうね。それじゃあ目覚めるわ。ごゆっくり」
「ん。頑張ってな」
ふっと感じるふわふわした浮遊感。
目覚めと寝入り特有のよく分からない感覚に見を任せながら、憂鬱な現実から逃げたくならないように腹をくくった。
――目を開くといつもの天井。ではなく、横向きに寝ていたので目に入ったのは白のシーツ。
時間を見ると、今日は随分と早く目覚めたらしい。気怠げな身体をむくりと起こして、ゆったりと身支度を始めた。
こうして今日も、舌禍の女神――稀神サグメとしての一日が始まるのだった。
だいぶ遅れてしまって申し訳ない。
もう少し続くかもしれないのでよければお付き合いください。
今宵、あなたと夢の中で 3(Megalith 2017/02/19)
目覚める前のぼんやりとした浮遊感を感じて、男は内心ため息を吐いた。
彼女に付き合って夢の世界に慣れた、というのだろうか。
少しずつ、自分がいる場所が夢なのかそうでないのか、そして起きるのかまだ寝ているのかが分かるようになっていた。
そして今夜も――いや、今朝も? とにかく、今回も無事に朝を迎えた。
「……今日も、呼ばれなかったか」
ぽつりと呟くと、男は寝起きの気怠い体に鞭打って上半身を起こした。
頭の高さが変わって、鈍い頭痛がぐわんぐわんと脳に響く。
飲み過ぎか、と一瞬だけ疑って、昨日は結局客とは飲んでいないことを思い出した。
答えは単純。ただの寝不足である。眠りが浅い、と言い換えた方が的確なのかもしれない。
「どうも調子が狂うな」
二日酔いにも似た鈍痛を振り払うように頭を振ってから男は立ち上がった。
どんな状態であれ、仕事は待ってはくれないし客は待たせてはならない。
取り敢えず眠気を覚まさないとな、と独り言をこぼしながら男は自分の日常を開始する。
最後に彼女と会ってから三ヶ月。
パッタリと途絶えた"ガス抜き"に、男は少々以上の戸惑いと喪失感を覚えていた。
*
「今日も、か」
ゆっくりベッドから体を起こして呟く。
その声が少し枯れているのは、恐らく疲れが溜まっているのだろう。肉体的にも、精神的にもだ。
それに昨日も少し寝付きが悪かったようで、サグメはふぁ、と小さくあくびした。
最近、私は夢を見ていない。なんでか、と聞かれてもこうだ、とは答えられない。
ただ、漠然と理由は分かっている。
鏡を見るとやつれた目の下に隈が浮かんでいて、それを見てサグメは少し苦笑した。
最近、純化して暴走した妖精達の処理が追いついておらず、それが連日押し寄せていたから満足に寝られていなかったのだ。
その前からも、書類に追われ、調査に追われ、と最近の仕事量は激化の一途を辿っていた。
……それこそ、あいつに愚痴なんて吐いてられない程度には。
不意に思考回路が脱線して、サグメは慌てて頭を振った。
現在考えるべきは現状への対処法だ。
個々の力は特に問題にはならない。正直、私一人ででも同時に五や十は捌ける。
だが、少々以上数の多さが厄介だった。流石に二十、三十とくるのは反則だ。
奴らは指揮下にあるわけでもないのに、不思議と徒党を組んで波のようにやってくる。
そして、それは流石に私一人では許容量を超えていた。
――これしかないか。
心中でこぼすと、サグメは再びベッドに沈み込んだ。
目をつむり、今度は意識を薄く残したまま眠る。
そして夢に入る瞬間、ある名前を呟いた。
「――ドレミー。いるかしら?」
同時に夢へ入った瞬間、呼ばれたように人影がサグメの前に現れた。
ぼんやりと、ふんわりとしたシルエットだったそれが、瞬く間にその姿が鮮明に現していく。
ぽんぽんのついたワンピースと赤いナイトキャップが特徴的なそれは、面倒そうな目をサグメに向けて口を開いた。
「なんでしょう、サグメさん。私の仕事は終わってますし、あの時の事なら水に流してくれたのでは?」
「そうではない。一つ、お願いがあってきた」
「……なんというか、お願いって空気じゃないですね。そんな顔じゃ、まるで脅迫ですよ」
「いいから。少し、力を貸して欲しい」
端的に状況を告げると、ドレミーは呆れと面倒そう、という表情でやれやれと首を振った。
「少しだけですからね。
それと、大丈夫ですか? 最近、彼と会われてないようですが」
「別に問題――!?」
「あらら、こちらはダメみたいですねぇ」
立場逆転、と言わんばかりにくすりくすりとドレミーが笑った。
流石に嘲りの類は窺えないが、その分露骨にからかいが見え隠れしている。
「も、元より、私はあの者の場所へは行けない。無理を考えても意味はないわ」
「行きたくないわけではないんですね」
「…………そうではない」
「いやいや。そうではない、でしょう?」
「…………」
オウム返しで返された"そうではない"は、正直なところ図星もいいところだった。
確かに会いたい……とは思わなくはない。
愚痴を聞いて欲しい、なんてことも望まないわけではない。
出来れば、一度くらい彼の店に行ってみたい、なんてのも有り得ないのだが、行きたいか行きたくないかで聞かれたら行きたくないわけではない。
ただ、穢れに関わってはならない月の民である以上、それが実現するのは不可能だ。
もっとも、手段を選ばないならば、一人だけ宛はあるのだが、それを実行するのには、恐れ多いあの方に頼らなければならない。
こんな事で力を借りるなど、ゆるされるはずもないのだ
「行けばいいじゃないですか。夢じゃなくとも」
「…………」
サグメが無言で首を振った。方向は横。
ただ、その様子は否定ではなく、諦め、といった感じだったが。
「過ぎたるを望むのは後が辛い」
「そうですか。まあ、例のヤゴコロとかいう天才に頼めば何とかしてくれそうですけどね。
さて、妖精の撃退でしたっけ。それだけ終わったらもう呼び出さないでくださいよ」
「すまない。感謝する」
見せつけるように芝居がかったため息を吐くドレミーにサグメもため息を吐いた。
しかし始め半分のからかいは無視だ。
こういうのは相手にするからつけあがるのであって、無視を決め込めば大したことは――
「まあ別に彼に会いたい、なんて言ってくれるなら夢を繋いであげますから。じゃ、行きましょう」
「なっ……! だからそうではないっ!」
……こんな奴に遊ばれるなんて。
「なんか失礼なこと考えてません?」
「…………」
「まあいいですけど。行きましょう。早く終わらせてしまいます」
上機嫌で歩くドレミーの後ろにつきながら、サグメは何ともいえない感情を持て余した。
……あいつは私のことを待っていたりするだろうか。
不意に思いついたのは反語のような、ある意味出来レースのような自問自答だった。答えは勿論NOで。
あり得ない。
そう結論づけて、サグメは待ち受けているであろう妖精達へと歩みを進めた。
続きました。少しゆっくりですみませんが、おつきあいください。
最終更新:2017年07月23日 18:03