彼女と一緒にお茶と会話を楽しむ。
空は晴れて、この庭のような場所もよく手入れされている。
「おいしいです。」

『そう?』

「やっぱり淹れ方が違うのかなぁ。」
「自分じゃこうはできませんよ。」

『淹れ方じゃないわ。』
『何事も気持ちよ。』
いつもどおりの天使のような笑顔。

「そうですか。」

『えぇ。』
『…あら、いけない。』
『残念だけど時間のようよ。』

「…。」
「もう一時間ぐら『駄目。』

『またココに来れるわよ。』
『それまでは駄目。』

「わかりました。」
「じゃあ、また今度。」
僕は彼女に手を振って庭を出た。


ジリリリリリリン!

ジリリリリリリン!

ジリリリ ガンッ!

河童手製の時計を叩く。
寝坊しなくなったのはありがたいが少しばかりうるさい。
着替えて仕事へ行く。

「ねぇー○○ちゃん。」

「おやっさん…ちゃんって付けるのやめてくださいよ。」

「いやー、こればっかりは癖だからねぇ。」
「でさっ、不思議だったんだけどさっ。」
「○○ちゃん恋人とかいないのぉ。」

「え?」

「いゃあ、いないんならさっ。」
「紹介するよぉ。」
「いやぁ、実はさぁ。」
「うちの従兄の同僚のの妻の子供の友達がねぇ。」
「これがまた美人さんなのよぉ。」
「でその人がお見合いしたがってんだよぉ。」
「いやぁ、羨ましいねこのっこのっ。」

「すみませんけど…。」
「お断りしますよ。」

「えぇっ!」
「なんだぁ相手がいるなら先にいってよぉ。」
「んでっ誰なの誰なのっ。」

「いや、それは…。」

「わかった、ぃんやわかった。」
「言いたくないならいいよぉ。」
「んでさぁ、どんな子なのかなぁ?」

「それは…。」
「優しくて、綺麗で、料理も上手で。」
「天使みたいな人です。」

「天使みたいねぇ。」
「いやぁ残念だねぇ。」
「でも気になる人がいるんじやぁ仕方ないね。」
「んじゃっ先戻ってるよっ。」

「じゃあ食べ終わったら戻ります。」
「…。」
「…。」
「夢の中の人だけどね…。」


○○はティーテーブルで私を待っている。
私はティーポットに熱い紅茶を入れる。
○○は庭の景色を見ている。
私は気付かれないように近づいた。
そして手に持ったティーポットを思い切り振りかぶって…。

「・・さん。」
「姉さん!」

『っ!?』
『どうしたの夢月?』

「どうしたのって…。」
「姉さんこそどうしたのよ。」
「最近、何かで悩んでるじゃないの。」

『何でもないわ。』
『何でもないのよ…。』

「もしかして、あの人間のこと?」
「どうして?」
「何でいつもみたいにしないの?」
「気に入ったなら自分のものにすればいいじゃないの。」
「そうして飽きたら捨てて。」
「どうしていつもみたいにしないのよ?」

『心配してくれてありがとう。』
『でも駄目なのよ、それじゃ。』
『だってあの人が好きなのは…。』

「姉さん…。」
「わかった。」
「私、応援してるわ。」
「でも、どうしても駄目になったら。」
「私を頼って。」
「…たった一人の家族なんだから。」

『ありがとう…夢月。』


追われている。
見慣れた里を逃げている。
里のはずなのに誰も居ない。
家々に明かりすら点いていない。
後ろを振り向く。
何かが追いかけている。
でも何かは判らない。
見た筈なのに判らない。
追いつかれたらどうなるだろう。
わからない。
わからないけど漠然と●ぬ。
追いつかれたら●ぬという確信がある。
里を抜けて森を走る。
だけど徐々に差はうまっていく。
木の根でつまづいた。
打ち所が悪かったのか足が動かない。
何かがジリジリと近づいてくる。
何かが僕を襲おうとしたところで目を瞑った。
……………?
何も起きない。
それどころか足も痛くない。
そよ風が肌を触り空気も暖かい。
そして何よりこの匂いは…。

『おかえり。』
あの庭だ。

「幻月さん…。」

『ごめんなさいね。』
『あなたを探すのに少し手間取っちゃって。』
『はい、これ。』
そう言いながら僕の器にお茶を注いだ。

「やっぱり優しいですね。」

『え…。』

「こうしてここで〝てぃーたいむ〟を楽しませてくれるし。」
「悪い夢の時はすぐに助けてくれるじゃないですか。」
「さっきだって。」

『○○…。』
彼女はいつものように笑顔だ。

「本当に天使のようですよ。」

『……………ッ!』
彼女は一瞬、顔を強張らせ、後ろを向いて。
『それはそうよ。』
また笑顔で振り向いた。
『だって私は天使なんだから。』
『…ねぇ○○。』
『お菓子はいるかしら?』

「はい。」
「いただきます。」


○○が私を呼んでいる。
○○は私が居なきゃ何もできない。
食事も着替えることも何もかも。
私は○○の部屋に入る。
私は私の名前と少しの言葉しか使えない○○に近寄る。
そして…。

駄目だ。
そんなのはいけない。
確かに今までは無理やり心を奪ってきた。
それに飽きてそれらを捨ててきた。
○○は違う。
○○はもう私を好いてくれている。
そんなことはできない。
……………。
でも○○はありのままの私が好きなんじゃない。
○○が好きなのは悪魔じゃない。
○○が好きなのは天使としての優しい私だ。
私は…。

『私は天使でいなきゃいけない。』

○○は満足してくれただろうか。
もっと○○を満足させたい。
あなたが見たこともない綺麗な景色も見せたい。
舌が蕩けてしまうような料理も食べさせたい。
心の全てを満たしてあげたい。
どうすればいいかしら…。




いつもどおりの庭で〝てぃーたいむ〟。
彼女の作った〝くっきー〟もおいしい。
彼女との会話も…。
『ねぇ○○。』

「なんですか?」

『ここに泊まってみる気はない?』

「え…。」

『そんなに考えすぎなくてもいいわ。』
『前にもう少しここに居たいって言ったでしょ?』
『そうね…ちょっとした旅行と思って。』

「旅行…ですか。」

『えぇ。』
『おいしいものを食べたり、』
『近くを散歩したり、』
『色んな所を回ったり。』
『…駄目かしら…?』

「…意地悪ですね。」
「そんな話、断る理由が無いじゃないですか。」

『ふふ、ありがと。』
『じゃあ少しここで待ってて。』
『泊まる部屋創っておくから。』

「つくる?」

『えーっと…。』
『お客様用の部屋を使うのが久しぶりで。』
『少し片付けなくちゃ使えないの。』

「そんなに気遣わなくても…。」

『駄目よ。』
『○○はお客さんなんだから。』
『旅行に来て宿屋がよくなかったら嫌でしょ?』
『大丈夫。』
『多分すぐに終わるから少し待ってて。』


『夢月。』
『部屋を創るの手伝って欲しいんだけど。』

「…そう、よかったわ。」
「いつも通りの姉さんで。」

『え?』

「やっぱり壁は石よね。」
「そこにベットと器具をおいて。」
「窓も無くして…。」
「でも二度と出られない外を見せるのもいいわね…。」

『夢月…。』
『違うの。』
『私は○○の泊まる部屋を創りたいの。』

「ッ!…。」
「…………。」
「…姉さん。」
「姉さんが人間をどうするのかは自由だし。」
「私はそれには口出しはしない。」
「…でも無理はしないで。」
「もしどうしようもなかったら。」

『あなたに相談するわ。』
『でも今は別の用なの。』
『こういう部屋を創るのは初めてだから。』
『夢月に手伝って欲しいの。』

「わかった。」
「いい部屋にしましょう。」
「でも、あくまでお客様用の部屋だからね?」

『えぇ。』


ここに泊まって何日くらい経ったろうか。
何かとても重要なことを忘れている気がする。
一体何だったかな…。
「…朝か。」
周りを見渡す。
この部屋は随分広い。
自分の家より広い部屋にいるというのは不思議な感じだ。
…………?
自分の家?
ここが自分の家じゃないか。
一体何を考えているのだか…。

『○○。』
『どうかしたの?』

「いえ、大丈夫です。」

『ならいいんだけど。』
『起きたところで悪いんだけどね。』
『ピクニックに行かない?』

「〝ぴくにっく〟…て何ですか?」

『えっとね。』
『外で食事することかな。』
『近くの湖でもどうかしら?』

「そうですね。」
「じゃあ、少し準備しておきます。」
「…まだ寝巻きですし…。」

『わかったわ。』
『じゃあ門の前で待ってるから。』
そう言った彼女の笑顔はまさに天使だった。


準備も終わった。
彼女も待っているだろう。

「ねぇ、○○…だったかしら。」

「え…。」
「あの…あなたは?」

彼女は自分を隅々まで見ながら周りを何度か回ると。
「やっぱり解らないわ。」
「姉さんはこんな奴のどこがいいんだか…。」

「あの、もしかして幻月さんの妹さん…?」

「えぇ、そうよ。」
「…姉さんのことはいいわ。」
「で?」
「あなたは姉さんのどこが好きなの?」

「好きっていうか…何というか…。」
「…………。」
「やっぱり…優しいし。」
「綺麗だし…。」
「料理も上手だし…。」
「こういうと何ですけど。」
「天使みたいというか…。」

「…天使?」
「それは私達への嫌味かしら?」

「え。」
「あの、何か悪いことを言いましたか…?」

「あなた私の口から言わせる気?」
「わかってるくせに、とことん嫌味ね。」
「私と姉さんはねぇ…………。」


○○喜んでくれるかしら。
サンドイッチは具にもこだわったし。
お水だってわざわざ上流まで汲んだ。
湖だって向こうの湖より綺麗なはずだもの。
きっと○○も満足してくれるわ。
○○早く来ないかしら。


怖い。
幻月の妹の話を聞いて自分は走りだした。
そんなの関係ない。
頭では解ってても怖い。
幻月は。
彼女は。
天使じゃなかった。
あの姉妹は悪魔だったんだ。
でも幻月は自分に優しかった。
でも怖い。
あの優しさの裏で。
あの笑顔の裏で。
あの天使のような振る舞いの裏で。
何を考えていたんだろう。
解らない。
でも怖い。
逃げたい。
自分の部屋に駆け込んだ。
持っていたものを全て投げ出し服も脱いだ。
自分の最初に着ていた着物を羽織り急いで屋敷を出る。
庭を抜け、柵を越え、壁を登り、奥の森を走る。
逃げて、逃げて、逃げて。
…………?
どこに逃げるんだ?
自分の居場所はここなのに。
どこに?
どこに?
ど…こに…?
どこ……………。



「…………んん。」

「おぉ○○ちゃん。」
「目をさましたのかい。」

誰だ…?
確かどこかで…。
「…ぉゃっさん…?」

「よかったねぇ…。」
「あ、そうだそうだ。」
そう言っておやっさんは隣の女性に話しかけた。
「いやほんとありがとうございますぅ。」
「ほら○○ちゃんも感謝してっ。」

「いえいえ、困ったときはお互い様ですよ。」

この人は…。
確か前に山に越して来たとかいう神社の巫女だったか…?

「いぃやそんな滅相もないっ。」
「お礼は後々で用意しますんで。」

「別にいいですよ、お礼なんて…。」

「いゃあほんと優しいねぇ。」
「ほらっ○○も感謝感謝。」

「…あの…おやっさん。」

「ん?何だい?」

「…状況が飲み込めないんですけど。」
「一体、何があったんですか?」

「何があったじゃないよっまったくもぉ。」
「○○ちゃん半月も寝てたんだよぉ。」

「半…月?」

「○○さんは何かに憑かれてたみたいです。」
「何か心当たりはありませんか?」

「それは憶えています。」
「  さんが…!?」
なんだ?
憶えていたはずなのに。
確かに顔も名前も憶えて…。
「思い出せない…。」
「漠然とですけど…。」
「途中までは楽しかったけど…何か怖くなって…。」

「そうですか…。」

「○○ちゃんに憑くなんてねぇ。」
「ひでぇやつだよ。」
「でもよかったねぇ○○ちゃん。」
「ほんとしんじゃうかとおもったよ。」

「安心はできません…。」
「今回は偶然戻ってこれたけど。」
「近々…いえ今日また引き込まれるかもしれません。」

「そんな…どうすればいいんです?」

「正体がわからない以上…。」
「古典的ですけど近づけないようにすることですね。」
「一応、戸と窓に御札をはっておきます。」

「お、お願いしますっ!」


朝、起きると御札は無かった。
全て地面に落ちていた。
剥がしたあとも無い。
しかし自分は無事だ。
でも。
逆にそれが怖い。
御札を破る…いや、きれいに剥がすことができる奴だ。
それなら何故、自分を襲わなかったのだろう。
…………。
「おなかすいたな…。」
そういえば昨日は御札の貼り付けとかで忙しかったんだ。
起きてから何も食べてないんだな…。
「…ん?」
おやっさんの差し入れだろうか。
多分おやっさんのカミさんのだろう。
竹の子ご飯か。
カミさんのつくる竹の子ご飯は本当においし…。
「………え…?」
もう一度ご飯を口に運ぶ。
もう一度。
もう一度。
「…まずい。」
どうしてだろう。
カミさんのご飯はおいしいのに。
どうしてまずいと感じるんだ?


あの後、定食屋に行ってみた。
どことなく主人がよそよそしい。
日替わり定食を頼んで食べる。
やはりまずい。
味覚がおかしくなったわけではない。
まずいというか…何か物足りない感じだ。
腹ごなしに散歩に出てみた。
季節の花は咲いてたし綺麗だとは思う。
でも…やっぱり何か物足りない。
あっちの景色のほうが…。
あっち?
あっちってどこだ?
自分は生まれてから里を出たことは無いはずだ。
なのに、あっち?
思い出せない…。


朝起きて戸を開けると向かいで話していた数人が話しをやめた。
昨日貼り直したはずの御札が一枚残らず剥がれてた。
御札を全て広い集めて戸を閉める。
すると、また外から話し声が聞こえてきた。
どうやら自分に関する話題らしい。
曰く、○○は何かに憑かれている。
曰く、御札をきれいに剥がすほどの力を持っている。
曰く、近づいたらとばっちりを受けるかもしれない。
皆がよそよそしかったり避けたりしていたのはそのせいか。
嫌な気分だ。
もう一眠りしよう。
こういうときは寝るに限る。


追われている。
見慣れた里を逃げている。
里のはずなのに誰も居ない。
家々に明かりすら点いていない。
後ろを振り向く。
何かが追いかけている。
でも何かは判らない。
見た筈なのに判らない。
追いつかれたらどうなるだろう。
わからない。
わからないけど漠然と●ぬ。
追いつかれたら●ぬという確信がある。
里を抜けて森を走る。
だけど徐々に差はうまっていく。
木の根でつまづいた。
打ち所が悪かったのか足が動かない。
何かがジリジリと近づいてくる。
何かが僕を襲おうとしたところで目を瞑った。
何かの腕が自分を貫いた。
腹から血が流れる。
だんだんと意識が遠くなっていき目の前が…。
「幻…つ…さ……。」


久しぶりに嫌な夢をみた。
いつもの夢なのだが、いつもと違う。
いつもだったら彼女が…。
…まただ。
〝あっち〟とか〝彼女〟って一体何なんだ。
思い出せない…。
「…ん?」
戸が開かない。
何かにつっかえてる感じだ。
ガラッ!ピシャンッ!
「!?」
一瞬、何が起きたかわからなかった。
窓を開けてすぐ閉めたみたいだ。
もう窓は戸のように何かにつっかかって開かない。
窓の下に封筒が落ちている。
どうやらこれを投げ入れたらしい。
封筒を開けると一枚紙が入っていた。
「病状の悪化を防ぐため無期の自宅療養を命ずる…!?」
そんなの体のいい禁錮じゃないか…。
…………。
どうやら村の寄り合いで決まったらしい。
病気は建前だろう。
巫女さんの言っていた憑き物が老達の耳に入ったのだろう。
若い衆から妖怪との友好の話も出ているけど、まだ隔たりはある。
老達からすれば疑いのある者には蓋をしたいようだ。
…………。
ご飯は定時に来るみたいだから飢え死には無いだろう。
外には出られないけど本は読めるし。
少し前向きに考えよう。
さて…どう暇をつぶそうかな…。
まずは…効果は無いと思うが一応、内側から御札を貼るとしよう。



何かに追いかけられる。
徐々に差がうまっていく。
誰も助けてくれない。
木の根でつまづく。
打ち所が悪くて足が動かない。
振り向くと何かがもう自分の目の前に居る。
何かが腕を振りかぶった。
何かの後ろの木のさらにその後ろに誰かが居る。
でも顔がよく見えない。
あの人はどこかで見覚えが…。
何かの爪が自分を抉る。
胸から血が吹き出る。
意識が遠くなっていき目の前が…。
「…ん…き…さ……。」
…………。
…………。
…………ガバッ!

「はぁっ…はぁっ…。」
「夢か…。」


やはり気が滅入る。
貼り直したはずの御札がまた剥がれている。
何で憑き物は自分を狙わないのだろう。
御札を剥がした時点で自分は無防備の筈だ。
前々から不思議に思っていたが…。
何か別の目的でもあるのだろうか。

「わからないことを考えてもしょうがないか。」

御札をまた貼りなおす。
自分には妖怪だの悪霊だのを退ける力は無い。
今の自分の状態を考えると山の巫女さんに会うことも難しいだろう。
確かにこの御札は効果が無さそうだが。
憑き物が自分を襲わないのは事実だ。
やはりこれに縋るほか無い。

「よしっ。」
「…問題はどうやって暇を潰すかだな…。」

そう問題はそれだ。
この自宅療養は無期だ。
怪異を極度に恐れている老達にとっては自分は危険。
いつ頃出られるかわかったものじゃない。
…………。
予告通り戸の内側にお椀がある。
これを食べろということだろう。
おいしそうなうどんだ。
すぐに口に運ぶ。
「…………はぁ…。」
やはり物足りない。
出汁もよくとれてるし、歯ざわりもいい。
でも何か違う。
もっとおいしいものが食べたい。


何かに襲われる。
いつもの場所で追い詰められる。
木の陰に誰かが…いや女の人だ。
でも人じゃない。
背からは羽のようなものが見える。
髪の色は輝くような金色。
顔がよく見えない。
もっと近づけば…。
そう思った時にはもう何かは自分を引き裂いていた。
薄れる意識の中で何かが頭をよぎる。
「…げ…月…ん……。」
…………。
…………。
…………ガバッ!

「はぁっ…はぁっ…。」
「っんっはぁっ…はぁっ…はぁっ…。」


また嫌な夢を見てしまった。
もう子供じゃないんだ。
怖い夢ぐらいなんて事ない筈なのに。
…………。
…………暗い。
夜なのだろうか…それにしては暗すぎる。
いくら夜でも月明かり一つ無いのは異常だ。
手探りに行灯を点ける。
周りが明るくなった。
…案の定、御札は剥がれている。
喉元に包丁を突きつけられた気分だ。
しかし今はあれに頼るしかない。
剥がれた御札を貼りなおそうと戸に近づく。
そうすると声がしてきた。
鳥の鳴く声。
子供達の遊び声。
誰かの雑談…。
…………。
おかしい。
外の音から察するに今は日が出ている。
少なくとも夜ではない筈だ。
それなのにこれはなんだ?
この家には全く明かりが入ってこない。
戸の前に立っているとかすかに雑談が聞こえてきた。

「…ねぇねぇ聞…た。」
「こ…に住んで…た人…んじゃったらし…わよ…。」

「…何…れ…それって…んな話…。」

「知っ…る……てる。」
「た…か半月…眠って………ね…。」

「…か憑き…が……らし…のよ…。」
「…ね、そ…人御札…効か……て憑き…され……しいのよ…。」

「おかーさん。」
「この家どうして戸の前に黒いものがはられてるの?」

戸の近くで声がした。
そうか…。
戸も窓も板が張られてたのか。

「まーちゃん離れなさい!」
「その家はお化けが出るのよ!」

誰か出してくれ。
俺はまだ生きてるぞ。
ここから出してくれ。
俺は必死で戸を叩いた。

ドンッドンッドンッ!
「ひぇっっ!」
「ウェーン!!ウェーン!!」

「まーちゃん!」

「ウェーン!!ウェーン!!」
「ウェーン!ウェーン!」
「ウェーン。ウェーン。」
「ウェーン…ゥェー……。」


自分は倒れて木にもたれている
何かが腕を大きく振りかぶった。
…いやそんなことはどうでもいい。
木の陰でこちらを見ている人…女性だ。
天使のような翼を持っている。
輝く金色の髪をした。
表情はわからない。
自分はこの人と会ったことがある。
彼女は。
何かは腕を自分に向け振り下ろした。
首を狙ったその腕を自分の腕で受ける。
何かの爪で腕が抉られ血が流れる。
自分は何かに向かって足を突き出した。
何かが後ろによろめく。
その隙に何かの後ろへ走り抜ける。
彼女のもとに後数歩の所で自分は足を止める。
彼女はとても悲しそうな表情でこちらを見ていた。
次の瞬間自分の腹から腕が突き出た。
腹から血が流れる。
彼女に手を伸ばすが目の前がグニャリと歪んでいく。
前に倒れこみながら彼女が視界から外れていく。
彼女はとても悲しそうな表情でこちらを見ている。
「幻…月…さ……。」


…………。
布団の周りには物か転がっている。
散らかしたのは自分だが…。
どうやら自分は死んだらしい。
御札は効かなかった。
それほどに強い力を持った憑き物だった。
そうして自分が憑き殺された家には。
憑き物が他の者に危害を与えないように。
老達が命じて戸も窓も全てを塞いだ。
たぶん今頃には物音が鳴るとか声が聞こえるとか。
そんなが噂がされているだろう。
…………。
これは滑稽だ。
自分は今生きている。
生きながら死んだ気分を味わってるんだ。
こりゃあ傑作だ。

「…あはっ。」
「ははっ、はははっ。」
「あははははははっっ、あっはははっははっははははっははっっ!」
「ははっ……は………………………。」
「………………………………………。」
「………………………………………。」

ビリッ!ビリッ!

もうこんな御札も必要ない。
自分は憑き物に殺されたんだ。
それでいいじゃないか。
そうだ。
どうせ死んでしまったのなら。
もう何も恐れる必要もない。
彼女が悪魔でも。
自分はあそこでの生活に満足していた。
彼女は天使のようだった。
彼女は無理やり自分を連れ戻さなかった。
彼女はいつも自分を見守っていた。
あの庭へ。あの部屋へ。あの屋敷へ。
…彼女の元へ帰るらないと。
そのためには…。


追われている。
見慣れた里を逃げている。
里のはずなのに誰も居ない。
家々に明かりすら点いていない。
後ろを振り向く。
何かが追いかけている。
でも何かは判らない。
とにかく何かなのだ。
追いつかれたら●ぬだろう。
でも自分は●なない。
その確信がある。
里を抜けて森を走る。
徐々に差はうまっていく。
そろそろだろう。
木の根でつまづいた。
打ち所が悪く足が動かない。
何かがジリジリと近づいてくる。
何かが腕を振り上げる。
居た。
あの木の後ろに確かに居る。
彼女はとても悲しそうな表情も変わっていない。
何かは腕を自分に向け振り下ろした。
首を狙ったその腕を自分の腕で受ける。
何かの爪で腕が抉られ血が流れる。
自分は何かに向かって足を突き出す。
何かが後ろによろめく。
その隙に何かの後ろへ走り抜ける。
彼女はとても悲しそうな表情でこちらを見る。
それを見ても足を止めずに彼女の元へ走る。
もう少し、もう少しで。
そう思ったところで背中に衝撃。
そのまま地面に頭をぶつけた。
背中が熱い。
背中を庇う様に仰向けになり後ろへ下がる。
何かがこちらに止めを刺そうと近づいてくる。
やっとここまで近づけたのに。
何かが腕を大きく振りかぶる。
あれでは腕じゃ受けられないだろう。
それに腕ももう動かせない。
何かが腕を後ろに捻り勢いをつける。
その腕が自分に向かって振り下ろされ…。
…………!?
一瞬何も考えれなかった。
何かは消えた。
自分の後ろから来た青白い光の流れに掻き消された。
気がつくと自分の背後で足音が遠ざかっていく。
自分はよろめきながら立ち上がり彼女に近づく。
でも彼女のほうが自分より速い。
少しずつ距離は広がる。
やっとここまで来たのだ。
力を振り絞りヨタヨタと走りより怪我をしていない腕で後ろから抱きつく。
いや、抱きつくというよりは倒れこんで彼女に寄りかかった感じだ。
言いたいことは山ほどある。
が、声を出そうとしてもヒューヒュー言うばかりだ。

『何で?』
『何で私に近づこうとするの?』
『私が悪魔だってわかったから逃げたんでしょ?』

彼女の顔は見えない。
でも声が震えている。
あの悲しそうな表情をしているんだろう。

『私は悪魔なのよ?』
『わかってるの?』

…………。

腕に力を入れる。
彼女の羽が自分の重みで軋んだ。
自分の口を彼女の耳にできるだけ近づける。

「………はい…。」

『私は天使と偽ってあなたを騙してたのよ?』

「……は…い……。」

『私は…悪魔なのよ…?』

「…………ぃ…。」

意識が朦朧としてきた。
寄りかかるのも辛い。
血を流しすぎた。

『…………。』

ついに周りの景色まで歪みだした。
周りがぐるぐる回って…………?
ここは…庭だ。
いつのまに自分はあの庭にいた。
腕も背中も痛くないし自分の足で立っている。
前には…彼女が居る。

「幻月さん…。」
「その…。」
「…ごめんなさい。」

『…………。』

彼女は振り向かない。

「…ごめんなさい…。」
「…ごめんなさい……。」
「…ごめんなさい………。」
「…ごめんな」

『ごめんなさい。』

「えっ…?」

『…私はやっぱり悪魔なの。』

「そんなことは…。」

『…今まで私は欲しいものを手に入れてきた。』
『昔は甘美な言葉で誘惑もした。』
『望むものを与えて死後の魂を取ったりもしたわ。』

「…………。」

『夢の中で暇つぶしにあなたを助けた。』
『そうしたら私のことを天使だっていうんですもの。』
『悪魔の私をね。』
『この人には純粋に私を求めて欲しいと思った。』
『天使になろうと思った。』

「…………。」

『でも、やってることは変わらない。』
『満足させようとして最高のものを与えた。』
『本来のものを霞ませてしまった。』
『あなたを私に夢中にさせて…。』
『元の居場所を忘れさせて…。』
『私でなきゃ満たされないようにして…。』
『こんな天使がどこに居るっていうのよ…!』

彼女は…泣いていた。

「でも…。」

そんなの見たくない。

「自分は満足です。」

彼女には…笑っていて欲しい。

「幻月さんが悪魔でも…自分にとっては天使ですから。」

『…………。』

彼女振り向いた。
背の羽が広がり自分を包み込む。
すぐ傍の彼女は俯いていて表情はわからない。

『…本当にいいの?』
『こんな天使で。』

「はい。」

『私なしじゃ生きていけなくなるわよ?』

「はい。」

『今まで我慢してきたぶん酷いことするわよ?』

「…はい。」

『…………。』
『ありがとう…。』

そうして顔をあげた彼女は。
いつもの天使のような笑顔で。
…………。
暖かい彼女の羽の中で思う。
多分もう向こうに戻れないだろう。
自分も戻りたいとは思わない。
彼女なしでは生きられないけど。
彼女の居ない場所に意味を見つけられない。
自分は彼女からは離れられない。
でも彼女も自分から離れない。
きっとこの天使はいつまでも傍に居てくれるだろう。

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最終更新:2010年08月27日 13:11