Bf110

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&font(#6495ED){登録日}:2011/01/24 (月) 17:27:07 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 4 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- Bf110とは、1935年から第二次世界大戦後期までナチス・ドイツにて活用された双発汎用戦闘機である。 ◇開発経緯 第一次世界大戦から、1930年頃までは、ドゥーエの空中艦隊論(※1)が主流であり、各国の主力戦闘機は[[Bf109]]のように航続能力に乏しく、敵機の侵攻に対する迎撃能力は優れているが、追撃戦や侵攻には向いていなかった。そこで各国は補助戦闘機として、双発の航続距離のある戦闘機を求めていた。 1935年、ドイツ航空省は「戦略重戦闘機開発仕様書(※2)」を発行し、航空各社に対し開発を要請した。ドイツ航空7社は設計プランを立て、そのうちヘンシェル社(※3)、フォッケウルフ社、バイエルン航空機の3社が審査対象となり、それぞれHs124、Fw57、Bf110として試作された。しかしHs124とFw57は仕様書の要求性能を達成できず、候補から外される。 一方でBf110は仕様書にあった「爆弾倉」を無視したコンパクトな機体プランを提出。軍高官(※4)の後押しによって飛行試験が行われ、512Km/hという高速能力を発揮し、1937年正式採用が決定されました。 採用されたBf110は、駆逐戦闘機と命名され、Bf110を主力とする駆逐航空隊によって運用され、各地で戦線に投入されて行くことになります。 ◇戦果 1939年9月のポーランド侵攻において、当機は初の実戦を体験しました。爆撃こそしなかったものの、大型戦闘機ならではの豊富な武装で、対地対艦攻撃に威力を発揮し大きく評価されました。当時のポーランドに強力な戦闘機は無く、被害は皆無という素晴らしい結果がもたらされました。 しかし、それに続く西部戦線では、イギリス空軍の繰り出した少数の[[ハリケーン]]Mk1と極々少数の[[スピットファイア]]Mk1によって、60機もの被害を出してしまいました。 1940年7月10日、ドイツ空軍とイギリス空軍の間で、イギリス上空及びドーバー海峡における戦闘-バトルオブブリテン-が始まりました。この戦闘に、[[He111]]の随伴護衛機としてBf109及びBf110も参戦しましたが、Bf109はイギリス南東部までしか護衛出来ず、最高速度こそ確かに早いものの、加速性能に劣り旋回能力もイギリスの戦闘機に劣る当機は、次々と撃墜されてしまい、ついには「要らない子(※5)」として護衛任務を外されてしまいました。 1939年に入ると英独軍各軍は、損害の多い昼間爆撃から夜間爆撃に切り替える事となりました。その為、レーダーを搭載した夜間戦闘機が必要となり、大口径砲やレーダーを積み込む拡張性能のある当機は、優れた夜間戦闘機として活躍し、[[He219]]が1942年以降実戦配備されるまで最優秀な夜間戦闘機とされ、活用されていました。   ◇戦闘爆撃機として 駆逐戦闘機及び随伴戦闘機として「役立たず」とされた当機では有りますが、戦闘爆撃機としての運用は極めて成功であったと言えます。高速で低空から進攻するためレーダーに写りにくく、かつ対応が困難で、爆撃後にそのままの快速で速やかに離脱することが出来た事や、高度からの爆撃に対応しにくいピンポイント攻撃の他、急降下爆撃が行えない状況での攻撃が可能で、多大な戦果を上げることが出来たが同時に被害も大きかった。しかし、戦闘爆撃機の有用性が確認されたという点では非常に素晴らしいと言えます。 また、偵察機として改造された機体は、極めて帰還能力な高かったと評価されています。   ◇機体特製及び機体データ(Bf110G-2) 全長 13.05m 全幅 16.25m 全高 4.18m 自重 5090Kg 最大重量 9900Kg 最大速度 550Km/h 巡航速度 500Km/h 航続距離 2100Km 上昇限界 8000m 動力 DB601B-1   ◇脚注 ※1 空中艦隊論とは「(陸上の)戦争においては制空権の保持が必須であり、制空権こそが戦争の中心であり、そのためには敵の主要な軍事基盤に対し総力敵な戦略爆撃を行うべきで、その他は多国からの爆撃機を駆逐・迎撃すべき」という理論 ※2 長距離侵攻が出来る航続力と快速を兼ね備えた爆撃駆逐機であり、双発復座、全金属製単葉機、かつ大口径砲及び爆弾倉を装備したもの ※3 ヘンシェル社は5号戦車他、ティーガー、マルダー、カノーネンヤクトパンツァー、ルクス装甲車などに携わっている。というかむしろそっちが主力 ※4 エルンスト=ウーデットによる圧力があったとされる ※5 バトルオブブリテンの失敗によって、自らの名誉を失いつつあったゲーリングは「あの役立たず」などと発した   貴方様の携帯に、追記・修正というプロパガンダを流し、この項目を刻み付けるのであります! #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600) } #center(){&link_toppage(-アニヲタWiki-)} - 双発重火力戦闘機は基本いらない子だったからなぁ 月光もそうだし、米軍も57mmとか75mmとか20mm×8とかの変態試作機やたら作ってるし 夜戦成功 -- 名無しさん (2014-04-04 17:45:57) #comment
&font(#6495ED){登録日}:2011/01/24 (月) 17:27:07 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 4 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- Bf110とは、1935年から第二次世界大戦後期までナチス・ドイツにて活用された双発汎用戦闘機である。 ▽目次 #contents() *◇開発経緯 第一次世界大戦から、1930年頃までは、ドゥーエの空中艦隊論&footnote(大雑把に言うと「第一次大戦で登場した爆撃機や毒ガスはを複合的に利用した『重要地点の一度かつ徹底的な爆撃』による破壊的効果」と「それが引き起こす恐怖や生存本能といった厭戦機運につながる心理的効果」が今後の戦争を左右し、「それを可能とする制空権と阻止する迎撃能力」を重視した論)が主流であり、各国の主力戦闘機は[[Bf109]]のように航続能力に乏しく、敵機の侵攻に対する迎撃能力は優れているが、追撃戦や侵攻には向いていなかった。 そこで各国は補助戦闘機として、双発の航続距離のある戦闘機を求めていた。 1935年、ドイツ航空省は「戦略重戦闘機開発仕様書&footnote(長距離侵攻が出来る航続力と快速を兼ね備えた爆撃駆逐機であり、双発復座、全金属製単葉機、かつ大口径砲及び爆弾倉を装備したもの)」を発行し、航空各社に対し開発を要請した。 ドイツ航空7社は設計プランを立て、そのうちヘンシェル社&footnote(ヘンシェル社は5号戦車他、ティーガー、マルダー、カノーネンヤクトパンツァー、ルクス装甲車などに携わっている。というかむしろそっちが主力)、フォッケウルフ社、バイエルン航空機の3社が審査対象となり、それぞれHs124、Fw57、Bf110として試作された。 しかしHs124とFw57は仕様書の要求性能を達成できず、候補から外される。 一方でBf110は仕様書にあった「爆弾倉」を無視したコンパクトな機体プランを提出。 メッサーシュミットの社長と仲が良かった空軍高官、エルンスト=ウーデットの後押しがあったとかで仕様書無視ながら行われた飛行試験で、Bf110は512Km/hという高速能力を発揮。%%仕様書を無視してあれもこれもそぎ落とし重量を5.7tに纏め上げれば、8.3tのFw57や7.2tのHs124をぶっちぎれるのは当たり前である%% 1937年正式採用が決定されました。 採用されたBf110は、駆逐戦闘機と命名され、Bf110を主力とする駆逐航空隊によって運用され、各地で戦線に投入されて行くことになります。 *◇戦果 1939年9月のポーランド侵攻において、当機は初の実戦を体験しました。爆撃こそしなかったものの、大型戦闘機ならではの豊富な武装で、対地対艦攻撃に威力を発揮し大きく評価されました。当時のポーランドに強力な戦闘機は無く、被害は皆無という素晴らしい結果がもたらされました。 しかし、それに続く西部戦線では、イギリス空軍の繰り出した少数の[[ハリケーン>ホーカー ハリケーン]]Mk1と極々少数の[[スピットファイア>スーパーマリン スピットファイア]]Mk1によって、60機もの被害を出してしまいました。 1940年7月10日、ドイツ空軍とイギリス空軍の間で、イギリス上空及びドーバー海峡における戦闘-バトルオブブリテン-が始まりました。 この戦闘に、[[He111]]の随伴護衛機としてBf109及びBf110も参戦しましたが、Bf109はイギリス南東部までしか護衛出来ず、最高速度こそ確かに早いものの、加速性能に劣り旋回能力もイギリスの戦闘機に劣る当機は、次々と撃墜されてしまい、ついには「要らない子&footnote(バトルオブブリテンの失敗によって、自らの名誉を失いつつあったゲーリングは「あの役立たず」などと発した)」として護衛任務を外されてしまいました。 1939年に入ると英独軍各軍は、損害の多い昼間爆撃から夜間爆撃に切り替える事となりました。 その為、レーダーを搭載した夜間戦闘機が必要となり、大口径砲やレーダーを積み込む拡張性能のある当機は、優れた夜間戦闘機として活躍し、He219が1942年以降実戦配備されるまで最優秀な夜間戦闘機とされ、活用されていました。 *◇戦闘爆撃機として 駆逐戦闘機及び随伴戦闘機として「役立たず」とされた当機では有りますが、戦闘爆撃機としての運用は極めて成功であったと言えます。 高速で低空から進攻するためレーダーに写りにくく、かつ対応が困難で、爆撃後にそのままの快速で速やかに離脱することが出来た事や、高度からの爆撃に対応しにくいピンポイント攻撃の他、急降下爆撃が行えない状況での攻撃が可能で、多大な戦果を上げることが出来たが同時に被害も大きかった。 しかし、戦闘爆撃機の有用性が確認されたという点では非常に素晴らしいと言えます。 また、偵察機として改造された機体は、極めて帰還能力は高かったと評価されています。 その大きさと汎用性の高さから、この手の機体は結構派生型に恵まれており、ドイツ機の中では必ず挙がる有名な機体になったわけである。現在もドイツ空軍の主力機・・・・まあ今は戦闘機というよりは爆撃機とか偵察機としてですが運用されています。&bold(){後継機に恵まれていないのは内緒だ}。 *◇機体特製及び機体データ(Bf110G-2) 全長 13.05m 全幅 16.25m 全高 4.18m 自重 5090Kg 最大重量 9900Kg 最大速度 550Km/h 巡航速度 500Km/h 航続距離 2100Km 上昇限界 8000m 動力 DB601B-1 貴方様の携帯に、追記・修正というプロパガンダを流し、この項目を刻み付けるのであります! #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,1) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #areaedit() - 双発重火力戦闘機は基本いらない子だったからなぁ 月光もそうだし、米軍も57mmとか75mmとか20mm×8とかの変態試作機やたら作ってるし 夜戦とかへの転用なしで成功したのはP38(一応P82も?)くらいか? -- 名無しさん (2014-04-04 17:45:57) - 戦闘機に護衛される戦闘機とかお笑いすぎて笑えない -- 名無しさん (2014-06-08 22:36:03) - しかもドイツの戦闘機はどいつもこいつも爆撃機の護衛に向かない重戦だしね。随伴機としてはソ連の軽戦寄りの特性が役立った模様(ヤコブレフなど) -- 名無しさん (2014-09-03 00:26:59) - モスキート忘れちゃいやん -- 名無しさん (2015-01-19 17:38:40) - モスキートは元々爆撃機だし -- 名無しさん (2019-01-24 00:50:42) #comment #areaedit(end) }

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