川田利明

登録日:2012/03/23 (金) 01:19:33
更新日:2020/12/27 Sun 15:26:11
所要時間:約 7 分で読めます





◆川田利明
ニックネーム:デンジャラスK、俺だけの王道

【公称データ】
身長183cm
体重105kg
誕生日1963年12月8日
出身地:栃木県下都賀郡大平町(現:栃木市)
所属:無所属
スポーツ歴:レスリング、相撲、野球
代表的入場曲「Holy War」

「川田利明(かわだ としあき)」は日本のプロレスラー。
90年代に圧倒的な人気と実力を誇り業界に君臨した全日本プロレス四天王の一人。
82年に高校の先輩である三沢を追い全日本プロレスに入団。
ギネス記録にもなったデビュー以来208連敗(引き分け挟む)を乗り越え、トップレスラーにまで上り詰めた苦労人。
四天王時代には田上明との「聖鬼軍」コンビにより、タッグ戦線の頂点にも立っていた。

四天王では事実上、三沢光晴との2トップであり、天龍が去り、馬場が一線を退き、鶴田が病に倒れてから後の、真の意味で小橋や秋山らが台頭して来るまでの時間を先輩三沢と共に全日本プロレスの屋台骨を背負っていた(三沢、川田時代とも呼ばれる)。

2000年の選手大量離脱問題の際にも、渕、太陽ケアと共に四天王ではただ一人残留。
鎖国と呼ばれた頃とは打って変わり、他団体との交流を活発にする他、迷走する新日本プロレスから新天地を求め移籍して来た天才・武藤敬司や小島聡と共に“新生”全日本プロレスを盛り上げる。

04年から始まった「ハッスル!」にも参加し、初期は小川直也、橋本真也(橋本の長期休業および没後は大谷晋二郎)率いるハッスル軍の中核を担っていたがのちにモンスター軍にヒールターンし、幹部としてハッスル軍や外敵レスラーを苦しめた。昔からは想像できないコミカルな試合もこなす他に、「控え室劇場」に代表されるコントや人気芸人とのコラボで観客を沸かせ、共演した江頭2:50からは「あいつ一人でいいじゃねえか!」と最大の賛辞を受けている。

一方で、レスラーとしては同時期より「無所属」宣言をして全日本プロレスからの離脱を表明。
……実際には大量離脱問題が起きる以前から、立場上はフリー参戦だったとの事で、以降も変わらずに全日本プロレスへの参戦も継続していた。

05年にファンからはタブー視されていた「NOAH」マットに遂に参戦。
この、節目の戦いにて袂を分かった先輩にして最大のライバル、生涯の目標である三沢と5年振りに対戦。

「四天王プロレス」を完成させた二人だけに、全盛期を知るファンからすれば物足りない内容だったが、川田自身は再戦を呼びかける等、前向きなアピールを発した。

……しかし、兼ねてから「NOAH」に参戦したレスラー、関係者には川田アンチが多いとの噂通り、舵取り役の一人である仲田龍リングアナから「今後の川田の参戦は無い」と正式発表。

川田もマイクアピールとは逆に試合後のコメントでは「これまでの5年間が無駄になった」と発言し、かつての同胞達との久々の邂逅はしんみりした物になってしまった。

……その後も「ハッスル!」が活動休止に追い込まれる等の憂き目に遭いつつも、川田自身は更に参加団体の枠を広げる等「四天王プロレス」の伝播に貢献。

自分達に続く次次世代とも言うべき中邑真輔らとも名勝負を繰り出す等、活躍。

……が、09年に永遠のライバル三沢光晴が試合中のアクシデントにより死去。

川田も前述の「NOAH」サイドの発表を覆す形で追悼試合にて全日本プロレス時代に猛威を振るった田上明との「聖鬼軍」を復活させて参戦。

これ以降「NOAH」新世代との交流も生まれていたのだが、10年6月より“ラーメンを出す居酒屋”「麺ジャラスK」を開店。

以降は、同店の経営を主にしてプロレスからはセミリタイヤ状態にある(川田自らが厨房に立つ)。

……インタビューによれば、矢張り三沢の死による精神的なショックと、それが原因なのかレスラーとしての肉体を維持出来ない等、コンディション管理が出来なくなってしまった事を明かしている(※体重も15㎏も減っているとの事)。


【人物】

全日本時代は寡黙で冗談の通じない人物と思われていたが、実はギミック(設定付け)で、実際にはダチョウ倶楽部を始めとして多くの芸人とも親交のある明るく、面倒見の良い性格の人物。
一方で、様々に原因はある様だが先輩である三沢始め「NOAH」移籍組からは嫌われている面もあるらしく、デンジャラスKの通り名から想像出来る様に試合で厳しい洗礼を受けた小橋や秋山から「恨み節」が出た事もある。

ずんぐりとした見た目でキックをやるアンバランスさや、前歯を無くしている等、三沢や小橋の様な「華」のある選手では無かった事もあってか評価が低く見られる面もあるが、実は四天王でも屈指の試合巧者であり、初見の相手とも熱い攻防を見せる事が出来た。

最大のパートナーとも呼ぶべき田上や、格闘指向のUスタイル出身ながら、プロレス界の帝王にまで上り詰めた高山善廣がプロレスに目覚める契機を作ったのは川田との一連の試合であった。

四天王プロレス終焉の頃には、大一番の後で負傷を抱え、欠場に追い込まれる事も多かった。


【主な得意技】

■キック
全日系のレスラーとしては珍しくキックを主要武器にした。
余りスピードは感じさせないが、的確に相手を捉えるのが特徴。


■フロントハイキック(ビッグブーツ)
「デイイイイイイイ!」とでも言うべき、独特のかけ声から放たれる前蹴り。
串刺し式は特に痛そう。

■ステップキック
前屈みにさせた相手の顔面を足の甲で連続で蹴り上げる。
パワーボムを堪えられたときや相手を挑発する際に使用した。

■ランニングローキック(サッカーボールキック)
ハーフダウン(尻餅)状態の相手の顔面か延髄を、走り込んで蹴る。
主に2000年代に入ってから決め技に使うようになった。


■ジャンピングハイキック(顔面蹴り)
延髄斬りとほぼ同じ技だが、川田は相手の側頭部から顔面を足の甲で捉えた為にこう呼ばれる様になった。
四天王プロレス時代の代表的な決め技。


ラリアット
ヘビー級としては小柄な川田だが、体毎ぶつけるこの技には拘りを持っていた。

■デンジャラスバックドロップ
スティーブ・ウィリアムスに影響され使い始めた。
相手を真っ逆様に投げ落とすバックドロップ
受け身を取らせ難くする為に極めて危険。


■垂直落下式プレーンバスター
実は使用し始めたのは橋本やライガーより先だが、当時は流行しなかったらしい。
ジャンピング式は決め技の一つ。


■ストレッチプラム
代名詞的なオリジナルの複合関節技。
ドラゴンスリーパー+コブラツイストである。
名前は80年代に活躍していたお笑いトリオ「松竹梅」の梅ちゃんの考案による技の為。
力いっぱい締め上げてからフォールを奪いに行く場合も多い。


パワーボム
自らに躍進の機会を与えた天龍源一郎から伝授された最大の必殺技。
ハイアングルの天龍式である。


■垂直落下式パワーボム(三冠パワーボム)
馬場の逝去前の三沢との三冠王者戦にて飛び出した、超危険技。
三沢のウラカン・ラナを強引にこらえ、パイルドライバーの様に首を無造作に突き刺した。
三沢のダメージも深いが、ヒビが入っていたとは云え、川田自身も自らの腕を衝撃で折ってしまった程。

■聖鬼軍スペシャル'95
田上とのタッグチーム『聖鬼軍』時代に使用した合体技。
川田、田上がそれぞれの得意技であるバックドロップと喉輪落としを同時にかける技で、四天王時代のタッグでは相手を垂直に落としていた。



【余談】

●上記の垂直落下式パワーボムで腕を折ってしまった事で、獲得した三冠王者を返上したばかりか、四天王の中では川田のみ馬場の棺を担げなかった。


●近年のインタビューによれば、旧体制の全日本プロレスでは日本人選手への保険や休場中のケアが十分では無かった為に、自らも「物が二重に見える」等の障害を抱えながらリングに上がっていた事を明かしている。


●三沢同様、受け身の技術も高く超世代軍時代にはジャンボ鶴田から「本気」に近いバックドロップを受けていたと思われる一人。


●四天王では唯一、同じく同時代の象徴であった闘魂三銃士全員とのシングル対決を実現させている。


●上記にもあるように『寡黙』はギミックで、若手が大口を叩くべきではないとの考えからであり、実際はかなり饒舌である。





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そういうことだよ、バッドラックだ!!


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  • 三沢や小橋よりも川田の方が好きだった -- 名無しさん (2013-09-22 15:42:39)
  • この前ラーメン屋についてインタビュー受けてたけどかなり痩せてたな -- 名無しさん (2020-04-08 11:05:00)
  • 「知らなかったそんなの…」の人 -- 名無しさん (2020-12-22 22:59:04)
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最終更新:2020年12月27日 15:26