MiG-25

登録日: 2011/02/25(金) 07:11:43
更新日:2024/02/04 Sun 10:48:47
所要時間:約 6 分で読めます




MiG-25


NATOコードネーム:フォックスバット

乗員:1及び2
全長:19.75m
全幅:14.0m
全高:6.5m
エンジン:ソユーズ・ツマンスキー R-15BD-300×2
最大速度:マッハ3.2
航続距離:1730km

概要

ソ連のミグ設計局が国土防空軍向けに開発したマッハ3級の戦闘機。
元々、1950年代のアメリカ合衆国ではB-58(後のB-1)、XB-70、SR-71といった超音速機が開発されていた。
特にソ連はB-58などの戦略爆撃機による高高度からの侵入・核攻撃を警戒しており、
「このままじゃ迎撃出来ずに祖国が焼け野原にされちゃう!」
といった具合でミグ設計局に「高度2万メートル以上をマッハ3級の速度で飛行できる戦闘機」を依頼した。

開発は迎撃型のYe-155P、偵察型のYe-155Rが制作され、それぞれMiG-25P、Mig-25Rと名付けられた。
MiG-25Pはこれまでの迎撃機Su-9、Su-11を代替してソ連防空軍の主力となり。一方のMiG-25Rもまた偵察機として前線に配備されるようになっていった。
練習・偵察用の複座型も開発されたが元々のコクピットも狭く拡張する余裕もなかったことから、一般的な操縦席後方ではなく機首に席が増設されている。

その存在が初めて公になったのは1967年に行われたモスクワの航空ショー。
MiG-23・Su-15なども展示されていた会場上空を高速で通過、これが西側諸国に与えた衝撃は大きかった。
この頃は情報に乏しかったこともありMiG-25をMiG-23と誤認していた。


アメリカの反応

中でもこれにビビッたのが升国家アメリカ合衆国。
MiG-25はイスラエルのレーダーにマッハ3.2、中東ではマッハ3.4を記録(実用化された戦闘機では最速)し、
その高速度やノズル、空気取入口のサイズからアメリカはターボファンエンジンを搭載した航続距離の長い非常に高性能な機体であると被害妄想を始め、
「もしかしてウチの持ってる戦闘機だと勝てないかも」
と勝手に結論を出し、早急に機動性の高い新戦闘機の開発に着手した。
この結果誕生したのがF-15である。


誰も予想できなかった事件
ところが1976年9月6日、ここ日本で世界が驚愕する事件が起きる。
ソ連のヴィクトル・ベレンコ中尉がチェグエフカ空軍基地からMig-25Pに乗って函館空港に強行着陸、アメリカへ亡命を希望するというベレンコ中尉亡命事件が発生。

ベレンコ中尉は軍内部の堕落と不正の横行を上官に上申、だが公になることを恐れた上官は彼を軍規違反を理由に拘束した。
これは短期間に終わるも本人の意向で第一線へと転属となった、しかし地方はそれ以上に防空軍兵士の待遇は劣悪。
彼は既婚者だったが浪費家の妻との関係は冷え切っており、それが最終的に亡命へと繋がったと言われている。
念入りに計画を練り、訓練中の墜落を装いソ連のレーダー網を抜け低空で日本領空に侵入。
自衛隊のF-4スクランブル発進したがルックダウン能力*1が低いF-4では侵犯機をとらえることが出来なかった。
当初千歳空港への着陸を試みるも悪天候と天候回復を待っていたら燃料が残っていなかったため函館空港に強行着陸した。
事実機体に残っていた燃料は僅か30秒分ほどでまさに墜落寸前であった。


MiG-25の詳細を知られたくないソ連はMiG-25の引き渡しを求め

日本「そう かんけいないね(日本に決定権が無い意味で)」
ソ連「殺してでも うばいとる(そのままの意味で)」
米国「ゆずってくれ たのむ!!(圧力的な意味で)」

となり、あわや戦争といった事態となったが、米軍の動きにより最悪の事態は回避された。
本当に「な、なにをするきさまらー」なことにならなくてよかった。
一方、そのころ日本では北海道警察が自衛隊を道路不法占拠および道路交通法違反で告訴していた。
ニッポン平和ボケしすぎだろ……
あまりの危機状況に、ある連隊では実弾配備し臨戦態勢を連隊長が指示してしまい、ひと悶着あったりもしたが、これはまた別の話。


MiG-25の実態

その後分解調査をしたところ、
  • チタニウムを大量に使っていると思ったら、実際にはニッケル鋼が大半だった。
    これでは機体表面が300℃にもなるマッハ3での飛行に耐えられず、MiG-25が安全に飛行できる最高速度はマッハ2.83程度。
    もし実行した場合には機体を徹底的に整備をしないと飛行不能になる。
    ニッケルを多用していることから重量が重く軽量化のために射出座席も未装備、巨大な主翼も機動性を得るためではなく揚力を得るためのものだった

  • 迎撃に特化した戦闘機であり、運動性(旋回性能など)はそれほど高くない。
    もともとソ連の防空システムにおける航空機の役割は、地上管制による誘導を受けて長射程ミサイルを目標付近まで輸送し発射するという
    ミサイルキャリアーに近いものであったため、運動性に関しては重視されておらず、前述の重量の問題もあってか機銃も未装備だった。

  • 巨大なエアインテークとノズルは当初予想されていたターボファンエンジンやターボラムジェットでは無く、
    高速飛行時のラム圧縮効果をあらかじめ見込んで圧縮比を低く設定したターボジェットエンジンの採用だった。

  • 電子機器はハイテクを駆使していると思ったら、実際にはオーソドックスな真空管だった。
    ちなみにレーダーの出力は600kwと極めて大きく、相手方の妨害電波に打ち勝って有効だったらしい。

といったことが発覚。各国はその正体に深く失望し、過大評価から一転して過小評価をすることになる。
とはいえニッケル鋼は確実性が高く、エンジンも余裕を持った設計、真空管はそもそも開発当時のアメリカでも使っていた、
核戦争での使用も想定していたためハイテク機器では核爆発時に生まれる電子パルスで回路が焼損する恐れがあるなど、革新性よりも信頼性に重点を置いた機体であった。
なおソ連最新鋭機ということもあり機密保持のために電子機器類に自爆装置が取り付けられていたが、これは函館から輸送するための最小限の解体時に外されている。

また、この事件の前からアメリカはMiG-25の正体に気付いていたのではないかとも言われている。
MiG-25に衝撃を受けたと言いながら開発した機体―F-15は最大速度よりも運動性を要求しているなど
「新しい機体を開発したいからソ連の新型機がヤバいように報告するか」
といった内部事情があったのかも知れない。
ちなみに対抗して作ったF-15も機動性を重視しているが、設計自体はMiG-25同様革新性よりも堅実性・信頼性を重視した設計だった。


その後のMiG-25

その後は情報漏洩による防空システムを一新したMiG-25PDが出てきたり、新しい迎撃機のMiG-31を開発したりする一方でMiG-25はインドや中東へと輸出されたりと、
この事件がいかにソ連の防空体制に影響を与えたのかが分かる。
強行着陸を許した日本は低空からの侵入に対応するため、それまで予算の無駄と突っぱねられていた早期警戒機E-2の導入が認可され、日本の防空体制にも大きな影響を与えた。

主だった戦果については湾岸戦争ではアメリカ軍のF/A-18ホーネットを撃墜(これはアメリカのベトナム戦争後30年間で唯一の実戦での空対空被撃墜記録である)したり、
F-14から発射されたフェニックスミサイル2発を回避に成功、2003年3月にはイラクで無人偵察機であるRQ-1 プレデターを初めて撃墜したりと、
決して“使えない子”ではないことを証明してくれている。

レバノン紛争ではMiG-25に対抗して作られたF-15をシリアのMiG-25が奇襲し、撃墜したと発表。
イスラエル側は「撃墜された事実はない」と発表しているので疑惑にとどまっているが、そもそもMiG-25がF-15を奇襲なんて出来るのか……おっと誰か来たようだ。
MiG-25自身の被撃墜記録?言わせんな恥ずかしい!

冷戦が終結し、当面の脅威が薄れるとMiG-25は許容しがたい燃費の悪さや整備の煩雑さから冷遇されていった。
また、現代では高高度からの侵攻よりも低高度からレーダー網をかいくぐった侵攻がメインになってきたため、活躍の場を失い迎撃型は退役していった。
偵察型はある程度長持ちしたもののインド空軍から2006年に引退している。
MiG-31も配備されたものの派生型開発や近代化改修はSu-27ほどは行われず運用数も減少傾向、当初MiG-31ベースになると言われた
後継機MiG-41は新規の設計になることが確定、そのためMiG-25の流れを組む戦闘機は今後消える可能性が高くなっている。


余談

ハセガワは1/72のMig-25を亡命事件直前に発売したが、事件後販売数は爆発的に伸びた。*2
なおこの時期のプラモデルメーカーはキャラクター商品に傾倒していたが、ハセガワだけはこの大ヒットにより軍用機生産を続け、ハセガワが今日のような変態企業に至る切っ掛けになった。
他にも今はなきサニーから1/100、LSから1/144のキットが発売された、LSのキットは現在マイクロエースから発売されている。
ドイツに本社を置く自動車・飛行機モデルメーカーのヘルパ社からも1/200が販売されたが、ベレンコ中尉機もラインナップされた。
他のソ連機やインドの偵察型・イラク軍機なども発売されたが、日本での知名度・人気はベレンコ機の比ではなかったこと・発売から月日が経ちベレンコ機はプレミアがついている。


マッハ3を超える飛行は機体構造上無理・ないし極短時間しかできないと説明したがエンジンにも問題があった。
エンジンはフルパワー運転時の制御が難しく、長時間運転すると燃料どころか燃料系統そのものを吸い込んでしまいエンジンを壊すとんでもない欠陥を抱えていた。
前述のように射出座席もない本機ではまさにもう助からないぞ♡状態に陥る危険性も制限が設けられている理由であった。


冷戦終結後に各基地に貯蔵してあった航空機エンジン等の冷却用のアルコールを関係者らがみな飲んでしまったという話があるが、
中でもMiG-25用のアルコールは極めて純度が高く、とりわけ美味だったと言われている。
ロシア人いい加減にしろ!


航空自衛隊がAWACSを導入する切っ掛け、延いてはE-767が開発される切っ掛けとなったのがベレンコ中尉亡命事件である。
先述の通り、Mig-25が函館に着陸できてしまった事からルックダウン能力の低さが露呈、
高い空中警戒能力を持った装備、即ちAWACSの必要性が取り沙汰され、最終的にE-767の発注という形に落ち着いたのである。*3




同志wiki籠り諸君、10000項目を越えてもなお今までMiG-25の項目が無かったというのは、どういうことかね?

シベリアでタイガ巡りをするか、さっさと追記・修正するか、好きな方を選びたまえ。

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最終更新:2024年02月04日 10:48

*1 自機よりも低い高度の飛翔体をレーダーや目視で発見する能力

*2 ちなみに30年以上たった今でも現役のプラモデルである。

*3 当初はE-3の導入を目論むも当時のアメリカは最新鋭機の輸出には消極的だったことから一度断念、その後はE-3のベース機生産終了により767をベースにした独自のAWACS導入に踏み切った