マヌエル・ノイアー

登録日:2015/04/10 Fri 22:57:13
更新日:2024/02/21 Wed 07:27:35
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マヌエル・ノイアー(Manuel Neuer, 1986年3月27日生まれ・ドイツ・ゲルゼンキルヒェン出身のサッカー選手である。身長193cm、ポジションはゴールキーパー。
GKながら極めて特徴的なプレースタイルによって活躍する、2010年代を代表するGKである。


経歴


クラブ


地元ゲルゼンキルヒェンに本拠地を置く名門クラブ・シャルケ04のユース出身。
ブンデスリーガ1部でのデビューは2006-07シーズンであり、20歳にして瞬く間に正GKの座を確保した。
翌2007-08シーズンはブンデスリーガで全試合出場、UEFAチャンピオンズリーグ(以降CL)では決勝トーナメント1回戦のポルト戦で2本のPKを止め、クラブ初のベスト8に貢献した。
2010-11シーズンには主将に就任、チームはブンデスリーガでは低迷したもののCLでは初のベスト4入りを果たし、DFBポカール(ドイツの国内サッカーカップ戦)で優勝した。

2011年夏にブンデスリーガ随一の強豪バイエルン・ミュンヘンに移籍
シャルケサポーターからは当然裏切り者と罵倒され、更にバイエルンサポーターもシャルケ生え抜きのイメージが強いからか「僕らが君を受け入れることはない」という横断幕を掲げられるなど、両チームのサポーターから非難をされた。更にバイエルンでのデビュー戦では自身のミスにより0-1で敗れるなど、ほろ苦いスタートであった。しかし、このシーズンにリーグ戦8試合・770分間連続無失点、公式戦12試合・1140分間連続無失点を記録するなど安定したパフォーマンスを見せ、サポーターの信頼を勝ち取った。
CLでは準決勝のレアル・マドリード戦2ndレグでCロナウドとカカのPKを止め決勝進出の立役者になった。チェルシーとの決勝戦でもPK戦に縺れ込み、自らキッカーを務めてシュートを成功させたが、最終的に惜しくも4-3で敗れた。

2012-13シーズンはチームがまさに絶好調の極みであり、新記録となる勝ち点91を叩き出してうどんが去った後のボルシア・ドルトムントから3季ぶりにマイスターシャーレを奪還、CLでもドルトムントを倒し優勝、DFBポカールでもシュトゥットガルトとの決勝戦を制し、ドイツ史上初の三冠に輝いた。ノイアー自身は31試合をブンデスリーガ最少記録の18失点に抑え、この快進撃に大きく貢献した。

2014年には、後述のW杯での活躍もあり、FIFAバロンドールの有力候補と見なされていた。
最終的にはCロナウドが受賞したが、ノイアーは得票率で2位のメッシと僅差の3位であった。

シュヴァインシュタイガーの退団により、2015-16シーズンから副主将に就任。
ラームが2016-17シーズンをもって選手生活から引退したため、バイエルンの新たな主将に就任した。GKの主将はオリバー・カーン以来である。




ドイツ代表


かつてはゼップ・マイヤー、ボド・イルクナー、アンドレアス・ケプケ、2000年代にはオリバー・カーン、イェンス・レーマンなど、伝統的に数々の優れたゴールキーパーを輩出してきたドイツ。彼らの流れを汲み、ノイアーは2010年代のドイツ代表に君臨するGKとなった。

ユース時代はU-18~U-21で代表を経験。2009年のUEFA U-21欧州選手権では5試合4失点で優勝している。

2010年のワールドカップ南アフリカ大会を控えた中、それまで代表の正GKであったロベルト・エンケが自殺したという悲しいニュースが入る。更に正GK候補であったレネ・アドラーの負傷により、2010年W杯までA代表としての出場が2試合のみだったノイアーが正GKとして大会に臨んだ。
その南アフリカW杯では3位決定戦以外の6試合で3失点という成績を残しチームは3位となり、優勝こそならなかったもののミュラー・エジル・ケディラなどの若手と共に評価を上げ、代表正GKの地位を確実なものとした。

そして2014年のブラジルW杯で、ノイアーは世界一のキーパーという名声を得ることになる。
決勝までの7試合で4失点という成績、この数字以上の圧倒的なパフォーマンスでドイツの優勝に貢献し、最優秀GK賞に輝いた。
決勝トーナメント1回戦のアルジェリア戦で見せたペナルティエリア外へ飛び出してのカットや、準々決勝フランス戦や準決勝ブラジル戦での数々のスーパーセーブなどは、各国のゴールキーパーが見せた好プレーの中でも特に際立ったものとして世界中のサッカーファンに記憶されていることだろう。

ラームの代表引退後は、シュヴァインシュタイガーの不在時にキャプテンマークを巻いてプレーするようになる。
2016年夏にシュヴァインシュタイガーが代表引退したことにより、正式にドイツ代表の新キャプテンに就任した。

しかし、この頃には6歳下のマルク=アンドレ・テア・シュテーゲンがFCバルセロナの守護神となるまでに成長。
対照的にノイアーは不調が目立つようになるが、そんな中でも負傷離脱の時期を除けば一貫して正GKはノイアーとされ、正GK議論の対象として槍玉にあげられるようになった。

結局その後も正GKの座を保ち続けているが、2022年カタールW杯ではドイツが失意の2連続グループステージ敗退を遂げてしまった後、気晴らしに行ったスキーで脚を骨折、今シーズン(下半期)絶望と試合の外で盛大にやらかしてしまう。これは日本のせいじゃないって!!



プレースタイル


シュートへの反応やハイボールの処理など、ゴールキーパーに必要な基本的な能力だけを取ってもワールドクラスであるが、それに留まらずノイアーを特徴づけているのが、フィールドプレーヤーとしての技術の高さである。

まずは守備範囲の広さ。前述のW杯アルジェリア戦で見せたように、機を見てペナルティエリアの外まで飛び出しボールカットするのである。その様子はGK兼リベロと形容され、対戦相手にとっては11対12で戦っているようなものである。
また、ユース時代にフォワードとしてプレイした経験があるからか、足元の技術も高い。ノイアーが自陣から送るフィードは正確で、攻撃の起点にすらなる。2010年W杯のイングランド戦では、ノイアーのロングフィードを最前線のクローゼが受けてそのまま先制点を決めた他、後述の2011年フランクフルト戦でも同じパターンで決勝ゴールをアシストしている。プレスをかけてきた相手FWを華麗なクライフターンでかわしたこともあり、GK以外のポジションでプレーしていたとしても大成していたのではないかと思わせるほどである。
シュートストッパーであると同時にフィールドプレーヤーでもあるというノイアーのプレースタイルは、新しいゴールキーパー像を築き上げたと言えるのではないだろうか。
実際、2010年代後半にもなるともはやGKに足元の能力が要求されるのは当然という認識が定着した。
それでもなおノイアー並に飛び出すGKはさすがに(少なくともトップレベルでは)見られない。


また、EURO2016予選のグルジア戦ではサイドからスローインを投げ入れる様子まで目撃されている。
貴方はどのポジションの選手なのか(誉め言葉)



ある日本人選手との絆



2010年夏、一人の日本人選手がシャルケに姿を現した。
その日本人は偶然にもノイアーと誕生日が同じ(ノイアーが2歳年上)であったからか、親しみやすい性格だったのか、はたまたイケメンだったからか、あるいは全部か、ノイアーはその日本人選手――内田篤人――と友好な関係を築いていくに至った。
(ちなみに内田はチームメイトであるフンテラール・ヘーヴェデス・ドラクスラーなどと親しくしている様子も見られたことから、打ち解けやすい人物である可能性は高いといえよう)


ということで練習中やプライベートでしょっちゅうイチャイチャしており、どこかで薄い本の題材にされてそうである。
インテルヴェスレイ・スナイデル長友佑都と同様、ワールドクラスの選手とイチャつく日本人選手(?)として話題となった。


ノイアーと内田がチームメイトであったのは2010-11シーズンのみ。
残念ながら2011年夏に前述の通りノイアーはバイエルンへと去っていった…が、その少し前には内田をドライブデートに誘ったらしい。
お気に入りのアイスクリーム屋に案内したり、高速道路のオービスの位置を教えたりしたそうな。

<現在>
言うまでもなくバイエルンとシャルケは同じブンデスリーガに所属しており、それゆえ両チームの対決が1シーズンに2試合はある。
つまり対戦相手として再会する機会があり、その度に二人ともあからさまに嬉しそうなのである。
(例えば2015年2月には、二人が試合前スタジアムの通路で抱き合い、エスコートキッズがそれを興味深そうに覗いているというシーンがあった)
二人の良好な関係はもうしばらく続きそうである。


2011年3月12日


2011年3月11日14時46分。
内田の母国日本が未曾有の災害に襲われた。






東日本大震災である。






津波により多くの尊い命が失われたほか、かつて内田が所属していた鹿島アントラーズの施設も被害を受けたという。



翌日の3月12日。
この日シャルケはアイントラハト・フランクフルトとの試合を控えていた。

母国の状況に心を痛めた内田がジャージにメッセージを書いているところ、ノイアーがそれに気づいたのである。







ノイアー「日本へのメッセージか。今日それを見せるのか」

内田「勝ったら見せようと思う。負けたら見せない」

ノイアー「じゃあ勝つ。僕が守るから今日は勝てる





…かくして、ノイアーは内田と思いを共にして試合に臨んだ。


試合はシャルケがPKで先制するもその後追いつかれ、1-1のまま試合終了がジリジリと近づいてゆく。

すると後半39分。

自陣に転がってきたボールをペナルティエリア外に出たノイアーがロングフィード。何とこれを味方選手が受けてそのままゴールを決めてしまった。試合はそのままシャルケが2-1で4試合振りとなる勝利を挙げる。
ノイアーは自らの力量をもってして内田との約束を果たしたのであった。



日本の皆へ
少しでも多くの命が
救われますように
共に生きよう!

Liebe Freunde in Japan,
in der Hoffnung,
dass viele Leben gerettet werden,
lasst uns zusammenstehen!


試合後カメラの前には、そう書かれたジャージを身に着けた内田の姿があった(このとき内田がカメラに"Danke!"と言った場面があった)。

一方、サポーターの前で勝利を喜ぶシャルケ選手たち。内田は彼らの輪に加わることはできず、そのまま控室に戻ろうとした…。







すると、ノイアーが内田を連れてサポーターの前へ向かい、メッセージを披露させたのである。






この後、「募金をしたい」「チャリティーマッチはやらないのか」など、シャルケサポーターからの反響は大きかったという。
内田本人のみならず、多くの日本人がノイアーの気遣いに感動したに違いない。


その他


○ノイアーが出演しているコカ・コーラのCMに、ゴール前で道着を着て構えているというものがある。
うっちーからインスパイアを受けたのだろうか。

○ディズニーとピクサースタジオ製作の映画「モンスターズ・ユニバーシティ」(これの続編)のドイツ語版ではゲスト声優として出演している。

○バスケットボールの腕前も高いらしい。




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最終更新:2024年02月21日 07:27