橋本真也

登録日:2011/08/27 (土) 03:22:46
更新日:2024/03/14 Thu 16:43:36
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●橋本真也

橋本(はしもと)真也(しんや)」は日本の元男性プロレスラー(※05年7月11日没)。
かの「闘魂三銃士」の一人にして、90年代の黄金期にあった「新日本プロレス」の屋台骨を支えた大エースであった。
メディアへの露出も多く、本人が特撮ヒーロー好きであったという事情から『ウルトラマンガイア』への本人役での出演等を通じて、未だに記憶している方も多いかと思われる。
全盛期の輝かしい活躍に比して、晩年は余り幸福とは言い難い人生であったが、
90年代最強と呼べる程の実力者であり、今もプロレスファンからは忘れ得ぬ名レスラーとして語り継がれている。
11年に遺児である橋本大地が父の志を継ぐべく「ZERO1」よりデビュー。
盟友蝶野正洋が直々にデビュー戦の相手を務めた事も話題になった。


【プロフィール】

通称:「破壊王」「戦う渡辺徹*1
生年月日:1965年7月3日(享年40)
出身地:岐阜県土岐市
血液型:AB型
身長:183cm
体重:135kg(全盛期)
プロレス以前のスポーツ歴:柔道 空手
入場テーマ曲:「爆勝宣言」

父親が幼少期に失踪し(※後に父親とは某TV番組を通じて再会している)、母と祖母に育てられる。
尚、その母親を持病の高血圧により早くに亡くしているが、これは同じ体質(肥満体型)を引き継いだ橋本自身の死因(脳幹出血)にも関わると考えられている。
高校時代は当初、柔道に打ち込んでおり一年生にしてメキメキと力を付けていたが、母親を喪った事情もあってか次の一年には休部している。
本人によれば、この休んでいた一年でライバルはみんな国体レベルで活躍する様になったとの事。
コーチからは才能を惜しまれたが、本人は休部中に空手を学ぶ等、憧れであったアントニオ猪木を目指し修行……高校卒業と共に「新日本プロレス」に入門する。

84年9月1日に年長であった後の盟友武藤敬司と蝶野正洋を差し置いて同期の中では一番にデビューを果たす。
武藤は別格としても、格闘技経験の有無の差もあり若手時代の戦績は蝶野らよりも遥かに上であったが、
出世を賭けた87年のヤングライオン杯では当の蝶野に敗れて、海外遠征の機会を失う事となる。
……後に海外遠征に出されるも、女に狂っていたり、向こうで色々やらかしたりして干される等、
海外でスターとなった武藤や、小さいテリトリー乍らも団体でトップを張った蝶野に比べると余り良い思い出は無かった様である。
……本領を発揮し始めたのは武藤と蝶野が帰国し「闘魂三銃士」が日本に定着して以降で、
対「WAR(天龍源一郎)」戦を経て評価を上げ、グレートムタとしてIWGPを獲得していた武藤に続き、同タイトルを奪取(※中邑真輔に抜かれるまでの最年少記録)。
群雄割拠する当時の「新日本プロレス」の中にあっても、圧倒的な強さを見せつけた事により、Mr.IWGPの異名を取った。
……記録自体(V9)は後に永田裕志に抜かれるも(V10)、引き分けを含む永田の防衛記録に対して、常に勝利し続けた橋本こそが真のMr.IWGPであるとする声も多い。

……近年、以前からプロレスファンには定番ネタであった東京ドーム大会(猪木 坂口VS橋本 蝶野)で橋本が発した「時は来た」の台詞が『アメトーーク』等により、
改めて一般層にも知られる様になった。


アントニオ猪木との確執】

武藤と蝶野が猪木とは一定の距離を置いていたのに対して、橋本は憧れの人であった猪木に近づこうとして、逆に仇を受けた経験が多い。
特に97年に猪木がプロ格闘技の世界に引き抜いた小川直也との抗争は当人同士というより、猪木と新日本との遺恨に端を発しており、
小川がセメントマッチを仕掛けて来た際に、橋本がプロとして試合を止めようとしたものの試合が続行……結果的に戦闘不能に追い込まれた「事件」等が有名である。

小川直也とはデビュー戦を含め相性が悪くシングルでは負け越し……ゴールデンで放送された引退を賭けた試合でも敗れている。
後に小川とは自身の新団体「ZERO-ONE」で猪木を抜きとして盟友となり「OH砲」を結成。
初期「ハッスル」を支える等、同志と呼べる存在になるが、一連の経緯が橋本の晩年に影を落とした事は間違いない……。

橋本の「ZERO-ONE」は大谷晋二郎らとの考え方の違いにより、橋本が負債を被る形で分裂「ZERO-ONE MAX」が誕生する事になるが、
原因として橋本の新日本や猪木への拘りも指摘されている。


【ファイトスタイル】

アンコ型の肥満体型に見えるが、実際には極めて高い身体能力と運動神経を誇り、Jrヘビーに匹敵するスピードを誇った。
92年頃の越中詩郎戦で足を痛めてからは若手時代の速さは失ったものの、圧倒的な破壊力の打撃と一撃必殺のD.D.T、柔道の経験から関節技も得意とする等、一切の隙が無かった。
しかし00年に「新日本プロレス」を退団してからの最晩年は周囲の混乱に見舞われたり脱臼癖が付いた肩の負傷を治療する暇が無い等、精細を欠いてしまっており、
嘗て切望された元「全日本プロレス四天王」の三沢光晴川田利明との対戦は不完全燃焼に終わっている。


【得意技】

◆キック
「t」の衝撃を誇ると讃えられた「破壊王」の異名の元となった重爆キック。
説得力は勿論、実際の破壊力にも当然優れる。*2
……挙げ句に橋本は自身が平気なのを良い事にレガースも付けずに他人を蹴りまくったので武藤や蝶野は怒っていた。
因みに蝶野のケンカキックは橋本のキックへの報復から生まれた技である。

◆袈裟斬りチョップ
90年代後半から使用する様になり、瞬く間にキックと並ぶ主力装備となった。
飛んできたヘビー級選手を易々と叩き落とす威力を誇る。

◆燕返し(ローリング袈裟斬りチョップ)
対小川直也戦にて開発された。
ヘビー級をも一撃で薙ぎ倒す威力を持つ。
※袈裟斬りチョップ(ローリング式含む)は、元々小橋健太の得意技として知られていたが、橋本はそのイメージを一掃させてしまった程。

◆水面蹴り
米国のヘビー級ボクサー、トニー・ホームとの抗争の中で、本場中国で身に付けた拳法式の足払い。
96年の高田延彦戦でのハイキックへのカウンターで決めた場面が有名。

◆フライング・ニールキック
元祖の前田日明の影響で使い始めた技で、D.D.T以前のフィニッシュ技。
同技のモーションを完成、流行させたのは橋本であり、重量級にも拘らず、相手の頭上を飛び越える様な打点を誇っていた。

◆三角絞め
元は柔道技だが、橋本は横方向から入るという独自の形で使用。
裏技的な扱いの橋本の関節技の中では、例外的に必殺技に数えられている。

◆D.D.T
日本に於ける元祖は天龍だが、橋本は海外遠征で見掛けたこの技を自分の体型に併せる形でアレンジ、瞬殺技から一撃必殺の重爆技へと進化させた。
相手の首をガッチリと抱え込み、ロックを外さずに自分の体重を利用してマットに引きずり込むのが特徴で、他のレスラーが使う同技とは全く破壊力が違うらしい。
上背が足りない分は、首のロックのついでに腕を固定する事で安定感を増していた。
飛び付き式(ダッシュ式)や、裏D.D.T(リバース式)も存在。

◆フィッシャーマンズD.D.T
相手の片方のひざ裏に手を回し、抱え上げるような体制から垂直落下で落とすD.D.T。
所謂フィッシャーマンズバスターと同系の技だが、橋本いわく「ステップの形がD.D.T」なので、便宜上別個の技として紹介する。
後述の垂直落下式D.D.T以前はフィニッシュ技としても用いられ、IWGP戦でこの技を食らった馳は一撃でK.Oされた。

◆垂直落下式D.D.T
橋本の絶対的フィニッシングホールドであり、プロレス界全体で見ても屈指の超危険技。
見た目はジャンピング式の垂直落下式ブレーンバスターだが、これもまた「D.D.Tのステップ」になっているのが特徴。
数々の強敵を退けてきた橋本最大最強の必殺技であり、
この技を受けてキックアウトしたレスラーは当時米国プロレスのTVチャンピオンだったロード・スティーブン・リーガルただ一人である(これがブックなのか、ブック破りなのか、ブック忘れなのかは定かではない)。
肩を故障する以前は、スーパーヘビー級の選手すらも軽々と持ち上げていた。



※他、体重を活かしたジャンピング(ダイビング)エルボーやフットスタンプ、ドロップキックも得意とした。





【余談】

※闘魂三銃士の中では最もぶっ飛んでおり、その手のエピソードには事欠かない。しかし、そこを加味しても先輩後輩問わず愛される人物ではあった。

※橋本の「新日本プロレス」退団の契機となったのは、橋本が会社内に別組織を立ち上げようとしたのを猪木の息の掛かった長州力に潰されたから……というのが定説。
三銃士は猪木の借金を返し、自分達と共に「新日本プロレス」の黄金期を作り上げた坂口征二が猪木により退任させられた事に怒りを感じていたという。

※女癖が悪く、海外撮影の三銃士の某企画に武藤と蝶野は夫人を同伴したのに、橋本は愛人を連れて参加……二人は痛くない腹を探られる羽目になったらしい。

※海外遠征で干されたのは、ギャンブルにハマり過ぎて試合を忘れたから……とする説と、女児のファンにサインを求められて卑猥な絵(オ○ンコ)を描いた為……とする説が有力。

※長年連れ添った夫人との離婚の要因であり、死の間際に一緒に居たのは、理不尽大王の異名で知られ癌により03年に逝去したプロレスラー冬木弘道氏の元夫人(2016年に結婚詐欺で逮捕)。

※自宅に帰った際は、コレクションであるウルトラマンや怪獣のソフビで遊ぶ事を好んでいた。
長男の橋本大地は幼い頃、この怪獣ごっこ時に勝手に人形を弄った際、「パパが遊んどるやろうが!」と怒られたと思い出を語っていた。

ウルトラマンが好きである余り、実際にシリーズに出演したこともある。
仲のいいスタッフの仲介で撮影現場を訪れ、その際に「自分も出たい」という旨を語ったところ、なんと本人役で出演することになった。
これがウルトラマンガイア34話エピソードとして放映された『魂の激突!』である。

※電動ガンなどのミリタリー用品も好きで、野良猫や当時付き人だった天山を撃つなどの物騒な癖があった。
ボウガンも所持しており、矢ガモ事件があった際に、蝶野が冗談で「警察の者ですが」と電話をかけてきたというエピソードも。

※車好きでもあり、付き人で後にデビューしたKENSOがポルシェを買った時には地下駐車場で自身が運転席に座り、持ち主であるKENSOを助手席に座らせて駐車場を何周もした。
愛車はメルセデス・ベンツの高級車で、少しの傷も放っておかない性分だった。しかし福田雅一(2000年に試合中の事故で死去。橋本が最期を看取っている)が運転した時に福田が付けてしまった傷については思い出ということで残していたという。

※料理がとても上手かった。食材・調理法に相当拘るタイプで、豆腐を素材から選んで自作した時は、一丁の豆腐を作るのに一万円かかってしまったほどだという。
ラーメンなどもダシからとって作るほどの本格派であった。


「時は来た~!!項目立て無くして、追記・修正は無し!!」

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最終更新:2024年03月14日 16:43

*1 古舘伊知郎が命名。破壊王ほど定着しなかったが、橋本はこの呼び名を気にいっており、渡辺徹とのツーショットも実現している

*2 獣神サンダー・ライガーが自身のYoutubeチャンネルで語った際に「蹴られた相手の身体にブーツの紐の後がクッキリと残った」と証言している程