戦時猛獣処分

登録日:2018/04/25 Wed 23:50:53
更新日:2023/12/13 Wed 14:17:00
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戦時猛獣処分とは、戦争の際に動物園やサーカスに飼われていた猛獣が処分されることである。

現代でも万一動物園で飼育している猛獣が逃げ出せば、原因はどうであれ殺処分やむなしの決断が下される。
だが、戦時猛獣処分は、特に逃げ出したりしなくても、猛獣であるというだけで先に処分するというものであった。

本項目では、太平洋戦争の際のそれを中心に記述する。



時代背景


日本が太平洋戦争に入ったのは1941年12月。

実は動物園における猛獣の処分は戦前から検討されていた。
とはいえ、これは日本本土と言うよりは外地、つまり台湾などが舞台になることが想定されていた面が強い。

しかし、アメリカとの全面戦争が近づくと日本本土も無関係ではいられなくなり、「いざ猛獣が逃げ出したときには殺処分をする」ことは既に決まっていた。



1942年4月、ドゥーリットル空襲で本土が損害を受ける。
更に6月にミッドウェー海戦で日本が敗れ、太平洋方面の制海権がいよいよピンチになり始める。

日本で戦時猛獣処分が行われたのは、1943年以降。上野動物園でゾウの殺処分が決まったのが最初。
危険度に応じて、クマ・ライオン・トラ・大蛇・ゾウ等が次々殺されていった。エチオピアの国王から天皇陛下に寄贈されたライオンすら毒殺されてしまった。
方法は毒殺がメインであったが、感電・餓死・絞殺などもあった。*1
亡骸は食肉にされたり、軍部に解剖用の素材として提供された。

もちろん、必死になって猛獣処分に抵抗した動物園もあったようである。
みすみす市民の娯楽を殺すのが適切なのか、逆に日本が戦争に負けかねないことを印象付ける結果となるのではないかという反論もあった。

だが、

「国民の命が失われるようなことになったら責任をとれるのか!国民の命なんかよりも猛獣の命の方がそんなに大事か!」

と言われては、動物園側も押し黙るしかなかった。

こうした記録は、戦後70年以上が経過して少なからず散逸してしまっている。
殺されなくとも、餌不足で餓死、暖房の燃料不足で凍死、空襲死、もう処分なのか普通の死なのか区別も難しくなったと言うこともあったと思われる。
時を経て動物園自体が廃園になっていたり、記録上「処分した」としか書かれておらず、調査しようにも何をどう処分したのか分からないケースもあった。実際サーカスの猛獣は、処分の記録がほとんど残っていない。
関係者も忌まわしい記録を残したくないため意図的に記録を残さず記憶の隅に封印したのではないかと言う意見もある。
明確な記録が残っているものは戦争の記憶の例として積極的な展示なども行われているが、それは動物園関係者が心の痛みに耐えながら記録を残した故のこと。
関係者に記録の散逸の責任を問うのはあまりにも酷であろう。

なお、1951年、朝鮮戦争が起こった際にも戦時に動物をどうしようかと言うことは検討され、疎開計画が作られていたが、このときは幸い日本が戦場になることはなく、僅か6年での悲劇の再現は避けられた。

ちなみに、創作物だと軍部が悪いように描かれているが、軍部が動物園に殺すよう直接命令した…と言うことは皆無でこそないもののほとんどなかったとされる。
多くは地方自治体や警察などの行政機関が命令したり、動物園が周囲に迫られて「自主的に(棒)殺処分」したものである。
もちろん、軍部が間接的な圧力をかけていた可能性や、生き延びさせようとすれば軍部が命令を出していた可能性はある*2が、この問題で軍部ばかりを悪者にするのは適切ではないであろう。




なぜ戦時に猛獣を処分するのか?


基本的な理屈はこうであった。

「空襲に遭った時に檻が壊れたら、猛獣が逃げ出してしまう。
逃げた猛獣が人々に危害をくわえたらどうするのか」

猛獣が逃げた時に真っ先に対処する猟友会などは、しばしばこの理屈で動物園に殺処分を迫っていた。
檻が壊れるほどの空爆なら、猛獣といえども檻の中とは言え生き残れないだろう。逃げてしまったら射殺することはやむを得ないにしても、事前に殺してかかる必要があるのか、と言う問題はあった。
しかし、名古屋市・東山動物園では実際に空襲で檻が破壊され、飼育されていた猛牛が手負い状態で逃げ出して射殺されたこともある。
空襲でパニックが起これば、「危険な動物が逃げた!!」というデマが流れる可能性もある*3

空襲のリスクのない動物園への疎開も検討されたが、動物園はどうしても都市部におかれがち。空襲リスクはなくならない上、設備などの問題で猛獣を飼うことのできる動物園自体が限られている。
シカやサルのように日本の野山に普通にいる動物なら、いっそ野山に帰すという手も使えた可能性はあるが、ゾウやライオン、大蛇などは帰しに行けるような場所でない。
日本産のツキノワグマなら日本の野山にもいるが、人に慣れ=人を恐れなくなったクマが里に下りてきて人に危害を加え、それが動物園のだと分かってしまえば、動物園の責任は厳しく追及される。もちろんホッキョクグマとか論外。
結局、安全性確保という観点からは、殺すのが安全確実だったのは間違いない。

だが、上記は建前に過ぎず、本当の目的は「国民全体の戦時意識を引き締めることにあった」とも言われている。
というのも、上野動物園のゾウは受け入れ先として仙台の動物園と話がつき、疎開の見通しが立っていたにもかかわらず東京都長官からの圧力で沙汰止みとなってしまったことがあった*4
また本土空襲の本格化はアメリカがパラオ、マリアナの島々を攻略した1944年も後半に入って以降。対して戦時猛獣処分が実行されたのはそれ以前。最前線の戦況はともかく本土の感覚では1942年にドゥーリットル強襲があった程度ということも、この仮説を裏付けている。

戦時中、銃後の意識を引き締めることが国民には求められ、あるいは国民自らがそうした戦時意識を強めていった。
「ぜいたくは敵だ」「欲しがりません勝つまでは」と言った標語に代表される国民の戦時意識の矛先は個人のペットの犬猫にすら向けられていた状況*5
ましてや猛獣となれば肉しか食べられない。ゾウは草食だが代わりにとんでもない量を食う。
「ぜいたくは敵」ならば、動物園の動物と言う「ぜいたく」は市民に目の敵にされるには十分だったのである。

結果として、本来娯楽として動物を楽しむ市民の側が動物を守ろうとしないどころか、逆に市民が動物園に動物の殺処分を要求する例すら珍しいものではなかった。
上野動物園のゾウを殺処分に追いやった東京都長官も、市民全体から動物を守るべきと言う声が上がれば、「下手に殺せば、逆に市民に無意味な不安を与えかねない」という説得が可能だったかもしれない。
猛獣たちを死に追いやったのは、猛獣を守ろうとしなかった市民たちだった…といっても、戦時中という緊迫した状況下で、市民が不安や苛立ちの心理を持つことをどうして咎められようか。
根本的な原因はと言えば、市民をそんな心理状態に追い込んだ戦争そのものと言う外ないであろう。

戦時猛獣処分が描かれた作品


処分対象になったのは猛獣全般であるが、作品類ではゾウが描かれることが多い。
「かわいそうなぞう」があまりにも有名になったのもあるが、サーカスや動物園での一番人気であったが故であろう。

かわいそうなぞう


上野動物園でのゾウの殺処分を描いた、戦時猛獣処分と聞いて多くの人が思い浮かべると思われる作品。*6
多くの動物たちが毒餌を食べさせられ殺されていった上野動物園。
そんな中、ジョン・ワンリー(花子)・トンキーの三頭のゾウは、毒餌を見抜いて食べなかったため、餌を与えず餓死と言う措置がとられた。
ワンリーとトンキーは芸をすれば餌がもらえると信じ、芸当のポーズをしながら死んでいった…*7

なお、上野動物園には、動物の慰霊碑がある。
戦時猛獣処分以外にも死んだ動物たちを慰霊しているので、上野動物園に行く機会があったら足を運んでみてもいいだろう。
上野動物園でのゾウの処分は本作の他にも様々な映像化がされている。

ぞうとおじさん(ドラえもん)


ゾウ・ハナ夫の飼育員のおじさんとハナ夫の物語にのび太とドラえもんが絡む。
時代背景の変遷に伴い一部の演出や表現がリメイクされたがその度に高評価を獲得する名作。
モチーフが「かわいそうなぞう」であるが、そこはドラえもんの道具で救いのある結末に仕上がっている。
詳細は項目で。


ぞうれっしゃがやってきた


名古屋市・東山動物園で戦後までたった2頭生き残っていたゾウ、「エルド」「マカニー」。*8*9

日本中の動物園に小動物しか残されていない中、エルドとマカニーの生存は子どもたちを勇気づけた。
ぜひ日本中の子どもたちに生き残ったゾウ達を見せて元気づけたいが、エルド・マカニーとも高齢な上にエサ不足で弱っており、運び出すのが難しい。
それなら子どもたちの方に名古屋まで来てもらおう、ということで1949年6月に象列車が運行された実話を元に描いている。「ぞうれっしゃよはしれ」と言う歌も作られている。
この年の9月には上野動物園にインドから「インディラ」が、タイから「はな子」が寄贈されている。*10

心温まるエピソードとして書かれているのでぜひ手に取ってみたいところである。
なお、エルドは1963年9月に死亡。マカニーも後を追うように同年10月に死亡。天寿を全うした。


鉄人28号(2004年版) 第十三回「光る物体」


飼育員の八木は戦時中に動物たちを殺処分した記憶、そして自ら手にかけた動物たちが檻の中から自分を見つめ続けているという幻影に苦しめられていた。

終戦から10年後、彼は園長殺害の重要参考人として警察の取り調べを受ける事になった。
園長は体液を吸い尽くされるという奇怪な死を遂げており、生物学者の山岸は事件の犯人が戦前に発見された「光る物体」である可能性を指摘する。
隕石と共に地球へ飛来した「物体」は擬態能力を活かして人々を虐殺したが、ある日弱っていたところを捕獲され、動物園の地下倉庫へ運び込まれていたのだ。

一方、厳しい取り調べを受ける八木は東京大空襲の夜の事を思い出していた。
避難した地下倉庫に閉じ込められた八木は「物体」と遭遇。食糧に乏しい地下において「物体」は八木を吸い尽くそうとはせず、むしろ彼を優しく包み込もうとした。
八木は「物体」に同じ虐殺者としての共感を覚え、彼に自分の生い立ちや仕事のことなど全てを教えていた。孤独な八木にとって「物体」は生涯唯一の友人だったのだ。
事件の犯人が「物体」だとすれば、彼を警察に殺させるわけにはいかない……八木は警視庁からの脱走を敢行する。

やがて八木の住むアパートに巨大なゾウの姿に擬態した「物体」が現れた。
鉄人の腕すら軽々もぎ取る「物体」の怪力に苦戦する正太郎たちだが、「物体」は電線に触れたことで弱点の電気を浴びて弱体化、下水道へと逃げ去った。
一方、「物体」が消えたマンホールの近くで八木の手記を発見した正太郎たちだが、そこには八木すらも気づいていない、恐るべき真実が記されていた……

「ああ、そうか……檻の中から見ていたのは私の方だったのか」



他にもかなりあるのだが、建て主が読むことが出来たのはこれくらい(というか涙腺が耐えられない)のでご存知の方は追記求む。


世界での戦時猛獣処分


戦時に動物園などで飼われていた猛獣を処分するというのは日本に限った話ではない。
イギリスやドイツでも空襲の恐れがある前には動物を殺害していた。19世紀、普仏戦争の際のパリでは、カストル」「ポルックス」の二頭のゾウは食料にされた。
アメリカですら、万一空襲があったら動物を殺処分するマニュアルは作られていた。アメリカ本土空襲が風船爆弾レベルであったので実行に移す必要がなかっただけであった。


猛獣処分とは少々違うが、近年パレスチナ・ガザ地区のカーン・ユニス動物園でも同様の悲劇が発生している。
2014年、イスラエルとパレスチナの戦闘の激化に伴い、飼育員たちが長期に渡り動物園に近づけない状態が発生。
ようやく飼育員達が戻ってきた時には、檻の中では飢えと渇きで死んだ動物たちがそのままの姿でミイラ化していた。
パレスチナの乾燥した気候では、彼らは土に還ることすら許されなかったのである。

250頭あまり居た動物のうち、わずか15頭の生き残りが動物保護団体により救出され世界各地へ引き取られた。
残された動物のミイラはそのまま剥製とされ、墓碑のように残されている。
画像は見るべきと言いたい所であるが、閲覧注意である。グロ的な意味でも精神的な意味でも。


殺処分の必要のない平和な世界を祈りつつ追記・修正を願います。

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最終更新:2023年12月13日 14:17

*1 銃殺もあったが、銃声で周辺住民に不安を与えかねないため避けるケースが多かったようである。

*2 「猛獣が逃げ出した時の対策を報告せよ」と軍部が動物園に要請していたことは確かである。

*3 関東大震災の時には在日朝鮮人が井戸に毒を入れたという流言飛語が流れて自警団のリンチに遭い、近年でも東日本大震災の時には化学工場が被災して有害物質の雨が降るというデマが流れた。

*4 「かわいそうなぞう」では仙台でも空襲があるかもしれないからダメになったとされている。

*5 犬猫の飼い主が犬を食肉や毛皮に出すべき、飼うなんて非国民だと圧力をかけられたことも多かった。なお、当時は他の動物を愛玩目的で飼う事は少なかった。

*6 なお、本文でも適宜触れているが史実から見れば脚色が入っていることに注意。

*7 なお、史実ではトンキーのいた檻は後に空襲で破壊されている。仮に餌のやりくりがついたとしても、空襲で死んだか、逃げて殺処分やむなしになった可能性が高い。

*8 本来は4頭飼われていたが、2頭は戦時中に死んでしまい、他の動物もほとんど死んでしまっていた。

*9 余談だが、事態に同情した軍部の担当者が軍令違反覚悟で動物園側が兵糧置き場となっていた動物園の倉庫からゾウのエサを盗むことを黙認し、置き忘れさせていたと言われている。そんなこととは知らない動物園側は「処分の口実にするワナではないか」と恐れつつも背に腹は代えられず手を出し、真相が分かったのは戦後何年も経って軍部の担当者が死んだ後であった。

*10 ちなみにインディラは丈夫だったようで、上野動物園に入った後の1950年には列車で全国を回っている。