焦土作戦

登録日:2018/10/10 Wed 23:54:04
更新日:2023/11/10 Fri 19:39:27
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◎概要

焦土作戦とは、敵に攻め込まれた国などが、あえて自国の建物・食糧などを焼き払う作戦である。*1
戦略レベルで用いる場合も戦術レベルで用いる場合もあるので、この記事ではまとめて焦土作戦で統一する。


焦土作戦の凄さは、焦土作戦が成果を出した次の例を見てもらえればわかるだろう。



◎ナポレオンのロシア遠征


1812年、ナポレオン率いるフランスと諸国の同盟軍、合計70万名ほどの大陸軍がロシアに遠征。
いざ戦闘となれば大陸軍は当時世界最強であり、ロシア軍を破りついに首都モスクワに入った。

だが、モスクワにはロシア軍が火を放ってしまっており、市内に備蓄されているであろう食料や物資は焦土と化して失われてしまった。
ロシア軍は実際には東に逃げただけでまだまだ戦うつもりである。
既に大陸軍の後方連絡線(要は補給ルート)は限界にきており(この状態を「攻勢限界」という)、モスクワでの物資調達の当てが外れた大陸軍は物資不足に苦しみ始めた。
このままでは逆襲された時に勝ち目がないと見た大陸軍はついに撤退を開始。
ところが、場所はロシア、時は10月も下旬。撤退する大陸軍を襲ったのは、極寒のロシアの冬。
馬が倒れ、飢えに苦しんだ兵たちは倒れた馬を食糧にし、結果更に徒歩で進軍しなければならないという悪循環が発生。
そこを寒さに慣れたロシア軍に襲われては、大陸軍に勝機などあろうはずもなかった。
70万もいた大陸軍のうちヨーロッパに逃げ帰ることができたのはわずか2万人であった。

ロシア軍が意図して焦土作戦をしたというよりは、単純に負けていたのをロシア軍が後から焦土作戦として宣伝していたという説もあるが、どちらであれ焦土作戦に近い形でロシアが勝利を得たことには変わりないと言える。
このロシア遠征の戦いは、チャイコフスキー作曲の大序曲、『1812年』という楽曲で讃えられている。
演奏に大砲をぶっ放すと言う代物であるが、このため自衛隊の楽隊がイベントでマジモンの大砲をぶっぱなして演奏することがある。
興味があったら自衛隊の演習にでも行って是非聞いてみよう。


◎ファビアン戦略

ハンニバル・バルカも、第二次ポエニ戦争で勝利を積み重ねながら、ローマの焦土作戦も交えた戦わない戦略「ファビアン戦略」により撤退に追い込まれている。(ハンニバルの項目に詳しいので詳細はそちらを参照)


このように、焦土作戦は、ナポレオンやハンニバルのように人類史に名を残す優秀な将帥すら苦しめた、まさに最強の戦術と言っても過言ではない。
これからも、焦土作戦は駆使され続けることだろう。























上記は一応嘘はついていない。
だが色々と説明不足であることは間違いない。
なぜ焦土作戦というものが考案されたのか、どういう条件で有効なのか、
何故ナポレオンやハンニバルにクリティカルヒットしたのか。
順番に考えていこう。


◎なぜ戦争で物資の略奪や徴発をするのか?


人間の軍である以上、食糧・水や武器・弾薬・燃料・医薬品・衣服などと言った物資は絶対不可欠であり、どこかから調達しなければならない。
兵個々人が携帯して持ち運べる量などたかが知れている。

基本的には自分の勢力圏から輜重兵を用いてこれらを輸送して調達することになるが、そうすると
  • 輸送にあたる兵や馬のためにさらに追加の食料が必要になることもある。
  • こうした輸送部隊は大量の荷物を持つ以上速度が出せない。加えて輸送の効率を考えると重い装備を運ぶことは出来ず、部隊の戦力は限定的なものとなる。
  • これはつまり敵に攻められた時の抵抗力に乏しく、特に敵地に攻め込んでいる際には格好の標的になりやすい。
  • 前線の兵と輜重兵を一緒に行軍させれば比較的安全だが、そうすると前線兵たちも輜重兵に合わせた鈍重な動きしかできず、「神速を尊ぶ」兵の運用に支障が出る。
  • 安全な基地を作りながら安全な補給線を築いていくのが理想的だが時間がかかる
こんな風に、「物資を自分の勢力圏から運ぶ」と言うのはリスクが大きく、実際そこを狙われて大損害というケースも歴史上枚挙に暇がない。

加えて言えば、大軍を食わせるだけの物資の調達というのは前近代はもちろん、近代国家でも軽視出来ない重い負担になる。
例えば鉄道網を駆使した兵員の動員と輸送で名を馳せた普仏戦争(1870~1871)当時のプロイセンですら「物資を集めて前線へ配布する」という作業までは手に負えず前線の兵士は現地調達に頼ることとなる。
また国の倉庫に十分な備蓄があればそれを吐き出せばよいが、それが無かったり使い果たしたら、増税や国債、適当な理由を付けての強制徴用などの手段で自国民から奪うしか手段はなくなる。
戦争に限らずこういった収奪はしばしば時の権力者の支持を低下させ、反乱や政権崩壊の原因の一つとなったことは言うまでもないだろう。

それならば「自分の勢力圏から運ぶのではなく、現地にあるものから調達してしまおう」という発想が生まれる。

現地調達の方法として、水ならきれいな川や湖でもあればある程度までの人数は問題なく供給できる。
(もちろん水の調達の意識は必要であり、意識せずに大チョンボをやらかした登山家もいるが)
だが、食料はそうはいかない。
野生動物や野山の植物などを狩って食糧にする手もなくはないが、大人数を養うとなると一時しのぎにしかならないだろう。
兵の体力も無限ではないので、食糧確保のために兵を疲れさせることは可能なら避けたい。
現地で兵に農作業をさせて食糧を確保することもあるがこれも時間がかかってしまう。

結果として、戦争では現地の役所や民家などから略奪が行われることがある。
真っ当な軍だと略奪はしないが、現地住民に金銭などを払って買い付ける(徴発)という形で現地調達を行うこともある。*2

守備側はそういった攻撃側にどう対応するか。
敵に使われる物資や食料品などを持ち逃げできればよいが、持ち逃げしようとすると大荷物になってしまい、急いで逃げることが出来ない。

焦土作戦とは、自分で持ち逃げすることを諦め、自ら火を放つことで上記のような「現地での物資の調達をさせない」ための作戦なのである。
ちなみに水は略奪などしなくても比較的調達しやすいが、水源に毒を投げ込むというのも一種の焦土作戦である。
そうすると、敵は上記のような不安定な補給ルートを使うしかなくなり、そこに勝機が生まれるのである。

なお、近代以前の戦争では略奪は「給与の現物支給」という側面もある。
士族階級ならばともかく、農民を徴兵した兵士は「集合場所までの交通費すら自己負担」レベルだったのでまともな給料など存在しなかったのだ。
そのため、「現地での略奪行為を黙認する」という形で勝った場合の褒美を用意していたのである。
織田信長はこのような行為を戒め、職業軍人を多く雇用し、「一銭斬り」として「一銭だろうが盗んだら死罪」という苛烈なやり方で統制したと言われる。

◎焦土作戦はどんな時に有効なのか?


焦土作戦は、実際には有効な場合も効果がない場合もある。
ロシア遠征の大陸軍に焦土作戦がクリティカルヒットした理由を考えると、以下の要素が重なっていた。

  • 大陸軍がモスクワという自国から遠い所に攻め込んでおり、本拠地から遠いロシアの前線軍に物資を運ぶのは元々リスクが大きい。
    自国のすぐそばであったとしたら、焦土作戦をされても自国から運ばれる物資でどうにでもなったことだろう。
    (なお、ハンニバルもアルプスを越えていたため補給路は築きようがなく、物資調達は現地での略奪頼みであった。ただしナポレオンのケースとは異なり、非ローマ支配地域との協力関係もあったり膠着状況に移行しただけであり焦土作戦のみによって窮地に追い込まれたわけではない)
  • ナポレオンはもともと機動性ある兵の指揮に定評のある将帥である。
    その指揮の下でうまく動かすためには、兵をある程度身軽にする必要があった。
    そのため、ナポレオンは兵に対しての食糧現地調達を推奨していた*3
  • ナポレオンもロシア遠征に当たっては大軍を持たせるために食糧の輸送をしており、かなりの組織化もされていた。
    だが、大陸軍の後方連絡線はロシア軍に度々攻撃を受け、それを守るために多数の兵を割かざるを得なくなっており、ナポレオンの攻勢そのものに限界が近づいていた。
  • 冬のロシアに何万人もの大軍の胃袋を賄えるような作物や野生動物などあるはずがない。
    馬でさえ、ロシアの馬なら現地の食糧で問題ないが、フランスの馬は餌から輸送しなければならなかった。


ナポレオンが焦土作戦に敗れたのは、こうしたいくつもの条件が重なり、「焦土作戦をされたら物資を手に入れようがない状態」であった故のことである。



◎焦土作戦の問題点


焦土作戦は実効性以外にもう一つ大きな問題を抱えている。
焦土作戦は、守備側としてみれば自分たちの財産を台無しにすることと同義なのである。

それは公有財産に限らず、本来守るべき現地住民に危害を加えることに他ならない。
公有財産だけを焼き払っても、現地住民の財産が略奪・徴発されれば焦土作戦の意味は半減してしまうからだ。
焼き払うのはもちろん、水に毒を入れるのも現地住民から飲み水や耕作・河川漁業も奪うことになる。

巻き込まれた現地住民の立場から見れば、焦土作戦によって自分の財産を味方によって理不尽に奪われることになる。
真っ当な国が焦土作戦をする場合ならば、戦後に補償などが約束されるケースもあるが、守備側の場合そもそも攻め込まれている戦争であり、焦土作戦を取ること自体が苦戦の証拠である。
例え勝ったとしても守備側は得るものがない場合が多く、補償金など払いたくても払えないのである。*4

結局、焦土作戦に巻き込まれた現地住民は何の補償も受けられないまま全てを奪われ、泣き寝入りをさせられることになる。
そんなこんなで守備側に住民から不満が溜まることは確実なため、住民は攻撃側にさっさと降参してしまうことだろうし、仮に勝ったとしても国内での反乱の種になりかねない。

それだけでなく、作物や財産を焼き払えば、自国の経済は停滞してしまう。
例え焦土作戦で勝ったとしても、自分たちの国が貧乏に転落していくのでは、最悪戦争に負けた方がマシということになりかねない。

 第二次ポエニ戦争でハンニバル相手に焦土作戦を行ったローマは兵力供給の中核であった富農や中堅自作農階級の財産に大打撃を与えてしまう。さらに一部の貴族騎士(騎兵を提供できる富裕層)が戦勝で得た国有地の安価貸し出し制度と、戦争捕虜の奴隷化による大規模農場経営に走ったこともあり、価格競争に負けて没落する農家が続出。
 第二次ポエニ戦争勝利の立役者である大スキピオの孫のティベリウス・グラックスの時代には、それまでは軍の主力を任せる資力が無いと見做されていた貧農まで第一線に徴兵した結果、さらに破産者続出の惨事を現出することになった。
(当時の戦争では最低限の食費は支給されるものの武器は自弁、出征中は女子供と奴隷が農地の管理をすることになる。もちろん奴隷たちの忠誠を確保するには待遇改善が必要。よって武器の調達・奴隷の人件費など、それなりの資産がなければ兵士にはなれなかった。貧農に兵役を科すというのは無理だったのだ)


◎現代の焦土作戦


上記から見ても分かるように、焦土作戦は基本的に苦し紛れの策である。
特に現代の戦争においてはこうした焦土作戦が役に立つ可能性は相当限定されていることは間違いないだろう。

●攻撃側の事情


  • 略奪は現代なら戦時国際法違反*5であり、徴発も略奪との区別が難しい。河川や湖の水のようにいくらでも出て来るものを除けば物資の現地調達を行うことは国際的な非難を受けかねないので、攻撃側としてはあまりやりたい手法ではない。
  • 現代の戦争においては燃料や装備の重要性が極めて高く、加えてこれらは規格化され、民間には流通していなかったり一見似たようなものでも品質が違うことも珍しくはない。
    食糧程度の消耗品なら略奪や徴発で何とかなる場合があるが、軍を機能させるだけの燃料・弾薬・装備などを、略奪や徴発で賄うことはほぼ不可能である。
  • 物資の運搬手段が現代ではかなり発達している。攻撃側は大量の物資を輸送ヘリなどを用いることで少人数・スピーディー・比較的安全に運搬できるので、焦土作戦をされても自分たちでもってきた物資を使うことが可能。
  • 焦土作戦をしなければならない程守備側が追い込まれているということは大抵の場合攻撃側は制空権も持っており、ヘリ輸送が失敗する可能性はかなり低い(多少撃ち落とされても、全体として輸送が成功していれば十分)。
  • 無線通信の発達により、優勢な状態なら比較的安全な輸送ルートの発見にもさほど苦労しない。
  • 兵站学の発展により、限られた資材や人手でどのように兵站を賄うかが非常に効率的に考えられるようになっている。

●守備側の事情


  • 略奪や徴発で軍が成り立たない中で、全うな司令部が機能している軍が攻撃側なら、現地調達に頼らなくとも物資を調達できる当てがあるからこそ攻めてきている可能性が高く、だとすれば焦土作戦はするだけ無駄になるリスクが高い。
  • 反政府ゲリラのような小規模勢力なら戦時国際法も守らず、輸送ができる装備がなく略奪頼りになることもあるが、全うに機能している国家の正規軍や先進国から派兵されている軍が相手なら、焦土作戦をされる前に初めから正面対決で圧倒されてしまう。
  • 特に民主的な政治形態を採用している国においては、焦土作戦で国民から反発を買えば国民からの戦争反対の声が強くなり、それが戦争継続を不可能にする可能性が高い。
    無論独裁国家でも、国民の声は簡単に無視できるものではないし、反政府ゲリラでさえ国民からの支持を完全に失えば瓦解する可能性が高い。
  • 冷戦終結後、戦争が国家同士の戦争から非対称戦争(国家正規軍対ゲリラ・テロリスト)メインになっており、守備側の特定の土地・住民への統治権を前提とした焦土作戦を行うことが難しい。

こうして、焦土作戦は現代においては限定的であまり出番もない作戦となっている。

反政府ゲリラなどに襲われかねない現地住民を物資ともども安全地帯に避難させることが焦土作戦になりえると思われるが、
これも焦土作戦というよりは人道的な住民保護が目的であり、焦土作戦のような効果は基本的に副産物であろう。


焦土作戦に関連するエピソード


ガリア戦争

カエサル率いる古代ローマ軍がガリア(現在のフランス)を侵略した戦争。その末期に起きた「アウァリクム包囲戦」の少し前の出来事である。
この年、新たにガリア軍の指揮官に就いたヴェルキンゲトリクスは戦闘方針を大きくを転換、長期戦を狙い焦土作戦を展開する。
それによりガリア軍はローマ軍の侵攻ルート上にあった町のほとんどを焼き払い、
巨大な軍隊を率い、かつ補給は侵攻した町から徴発する前提のローマ軍を食糧難に追い込む事に一旦は成功する。
しかしルート上の町の一つ、アウァリクムだけは現地住民からの嘆願と地形等の要因で攻め落とすのは不可能という主張により、焦土化を免れた。
果たして、そこでローマ軍を迎え撃ったアウァリクム兵であったが結果は敗北、アウァリクムは陥落してしまう。
しかも、食糧不足によって溜まりに溜まったフラストレーションを爆発させたローマ兵は、
アウァリクム占拠後に略奪どころか住民約4万人を虐殺にかかり、脱出に成功した僅か約800人を除いて尽くが殺戮されたという。
結果的に、迎撃し切れなかったどころか折角弱体化させたローマ軍に補給を許す形となり、焦土作戦は失敗に終わった。

漢中攻防戦

三国志の一幕。
漢中に勢力を張っていた五斗米道の教祖張魯。難民を保護し、罪人もみだりに厳罰にせず、政治家としてはむしろ善良な人物であったとされている。
張魯は曹操に攻められた際、敵わないと見て拠点を捨てる決心をした*6が、この時「持ち運べない物資や財宝は奪われないよう燃やしてしまいましょう」という焦土作戦の提案があった。
ところが張魯は焦土作戦に反対。

「自分はもともと国家に帰順するつもりだった。
物資は国家のものであり、我々が勝手に焼き払うことは許されない。
略奪されないよう倉庫に厳重に鍵をかけるだけにしておけ」

といい、本当に倉庫に鍵をかけただけで逃げて行った。
最終的に張魯は曹操に降伏したが、曹操は勝利に固執せず物資や財宝を守った張魯を評価し、張魯を助命するだけでなく改めて爵位を与え、その後も厚遇した。
(善政を布いていた宗教団体の教祖という立場上占領統治のために生かしておきたいのも事実だったであろうが…)
ちなみに、張魯が強欲な教祖として描かれている演義でも張魯のこの行動は描かれている。

シャーマンの進撃


アメリカ南北戦争の一幕
1864年11月15日~12月20日
アメリカ合衆国(北軍)のウィリアム・T・シャーマン将軍がアメリカ連合国(南軍)の戦争継続能力を断つ為に行った破壊行為。

南北戦争の後半、両陣営は経済、交通網、工業面といった国力を戦争継続のために求められた。

逆に、相手の国力を破壊することが容認された。

南部の綿花は貴重な外貨獲得手段であるため、北軍は見つけたら焼いた。

鉄道、軍事物資を製造する工場、工場労働者が集まる都市も軍事目標となり、破壊対象になった。

シャーマンは特に自軍の勝利の為に、相手の国力を破壊することが相手の戦意を崩壊させる最良の手段と主張する第一人者で、後に北軍全体が戦争終結を早めるための行為は何があっても人道的な手段であり、正当化されるものだと統一された。

特にシャーマンが行った1864年11月15日~12月20日の破壊行為は62000の軍隊を二手に分けて、アトランタから「地方における徴発は自由」という方針の下、南軍をせん滅しながら、都市を廃墟にし、畑を焼き、鉄道や工場を破壊し、約400㎞南東の大西洋岸まで破壊の爪痕を残した。

作戦を達成した際、クリスマス直前だったのでシャーマンはワシントンの北軍政府に

「クリスマスプレゼントを贈る」

と電報を打電した。

この結果、北軍の海上封鎖による輸入物資の締め出しとシャーマンの焦土作戦で、南軍は強烈なインフレーションと物資の欠乏に苛まれていく。



北越戦争


戊辰戦争の一幕。
慶応四年(1868)4月~9月まで繰り広げられる。
特に激しかったのは長岡牧野家の居城・長岡城とその領内で繰り広げられた攻防戦。

守備側の長岡牧野家を中心とする奥羽越列藩同盟側が数で勝る攻撃側の太政官の軍隊に対抗するため、民家や田畑を焼いたりする事(最終的に両軍とも焦土作戦の応酬になり、領内の8割が焼け野原になった)で相手を足止めし、戦場での数的優位を確保して、戦局を優位に進め、最終的に相手を撤退に追い込むことを目的にしたもの。

牧野家が長岡城を奪還した際、現地の太政官幹部の中には撤退論も出ていたくらいだから、心理的には効果はあったのだが、戦況視察で長岡牧野家の司令官・河井継之助が重傷を負い、その後、指揮系統が混乱、その隙を突いて太政官が再奪取、その後の戦局を圧倒した。

牧野家としては焦土作戦の負の部分だけが残り、長岡藩として再興した後、領地の復興もままならず、廃藩置県を前に自ら廃藩を申し出ている。

焦土作戦を行った河井も巻き込まれた被災者・部下の遺族から墓石を壊されたりするなど、恨まれたのは仕方がない。

復興政策を行った太政官も年貢半減令を実行せず、廃仏毀釈運動で仏教徒の多い地域民の反発を受け一揆が勃発するなど、思うように進まず、長岡は維新の主流から外れることになる。

長沙大火

日中戦争の一幕。
1938年11月13日、中国湖南省の省都の長沙で発生した大火災。
死者は50万の人口のうち2万にも及び市街地や文化財の多くが失われた。

死者多数の大火災に伴う混乱が発生しており諸説ある所ではあるが、長沙大火の発生原因が中国国民党による放火であることは一致している。
何故そんなことをしたのかというと、それは日本軍に対しての焦土作戦である。中国は長沙以外でもあちこちで焦土作戦をやっていた。(清野作戦)
ところが、実際にはこの時点では長沙まで日本軍は進んでいた訳ではない。
「日本軍がやってきた!!」の誤報を真に受け、あるいは不安に駆られた国民党がろくに準備もしないまま火を放って大惨事となってしまったのであった。

ちなみに、一説によるとこの放火は、日本軍に対する焦土戦術よりも中国共産党幹部・周恩来の暗殺*7が目的だったとする説も根強い。
蒋介石が、日本軍との戦いよりも共産党の撲滅の方にこだわっていたことは有名な事実ではある。


黄河決壊事件

上記の長沙火災と同じく、中国国民党が行った焦土戦術。花園口決堤事件ともいう。作業は1939年の6月7日から11日。
黄河の堤防を破壊して洪水を引き起こし、一帯を荒廃させて日本軍を補給も進軍も不可能な状態に追い込み、足止めしようとした。
しかし、結果として日本軍主力は被災地を迂回したために足止めは失敗。
日本軍への被害も、治水や被災者救助に当たった日本軍を奇襲してわずかな兵士を殺したぐらいだった。

そんなことより、これは 一般の中国人に莫大な被害をもたらした という方を重視するべきだろう。

この件で引き起こされた洪水は 三つの省を呑み込み、農地を破壊しつくし、100万~300万の人々を溺死させ、被害を受けた人々は600万~1800万に達した
数字は例によって不正確ではあるものの、いずれも100万単位であることはほぼ確定している。
被害はそれだけでは収まらす、この一件で 黄河の流れが変わり、水利・農業にも多大な悪影響をもたらし、 数年後には大旱魃や大洪水、それによる大飢饉が多発し、死体の肉を食べることまでが横行した

その上に国民党は各地で略奪・暴行・徴発を繰り返した(「長沙大火」も、この堤防破壊の数か月後のことである)ため、大多数の中国人は中華民国を憎み、日本軍に協力した(日本軍はこれらの水害に対し、積極的に救助や支援に当たった)。
その日本軍が敗れてからも、彼らは国民党と戦う中国共産党に協力し、中華人民共和国が大陸を制覇する原動力ともなった(毛沢東は昔から地方農民を重視し、頻繁に視察するなどして、農民と近かった)。

これらの事件は、焦土戦術が一般大衆や国家、歴史に与える被害と影響の大きさをよく示すものと言える。



創作における焦土作戦


帝国領侵攻作戦銀河英雄伝説

田中芳樹氏のSF小説「銀河英雄伝説」内の一幕。
専制政治からの解放を旗印として帝国領侵攻に動き出した自由惑星同盟軍。
これに対し、帝国側の主人公であるラインハルト・フォン・ローエングラムは同盟軍が侵攻するであろう惑星から食料を残らず徹底的に徴収。
結果、ほぼ無抵抗の形で帝国領への侵攻に成功した同盟軍を迎えたのは、専制政治からの解放の喜びではなく食料を求める帝国民衆の声だった。
同盟軍はひとまずとして軍の食料を配給するも補給が足りる筈もなく、イゼルローン要塞に本部を置く侵攻作戦司令部は首都星ハイネセンに補給を申し込む。
だが、ハイネセンから出発した補給鑑はラインハルトの右腕であるジークフリート・キルヒアイス中将率いる奇襲艦隊によって壊滅し、同盟軍の物資困窮は続く。
食料供給を止めれば占領民衆からの反発、しかし食料供給を続ければ軍の部下からは不平不満の声が上がる。
占領軍の幹部が物資困窮に加えて部下と民衆の板挟みにも悩まされる中、やがて帝国軍の反抗作戦が開始。補給が不十分な自由惑星同盟軍はこの戦いで大打撃を受けることとなる。


カニバル作戦(ACE COMBAT ZERO THE BELKAN WAR

エースコンバットゼロの中盤、MISSION11での出来事。
1995年5月、ベルカによって占拠されていた地域からベルカ軍を一掃する事に成功した連合軍は遂にベルカ国内へと侵攻を開始、
ベルカの主要な工業都市の一つにして、軍事産業の心臓部とも称される都市ホフヌングを攻撃する。
連合軍の無差別爆撃によって一般市民にも被害が出る中、ベルカ軍も防衛不可能と見るや機密保持や軍事施設の奪取を防ぐために自らの町に火を放つ。
その結果、ホフヌングは徹底的に破壊し尽くされれ、軍事関係のみならず一般市民やその施設にも多大な被害を出すことになる。
シリーズ屈指の胸糞悪いミッションにして、ピクシーが連合軍に嫌悪感を示すようになった原因の一つとなったミッションである。


真室川防衛戦(皇国の守護者

皇国の守護者における<皇国>独立捜索剣虎兵第一一大隊(約600人)vs<帝国>東方辺境領鎮定軍先鋒部隊(約8400人)の攻防戦。
天狼会戦の敗北で殲滅の危機に陥った北領鎮台を脱出させるべく、転進支援隊の要請で10日間の後衛・遅滞戦闘を強いられた新城が実施に踏み切った。
輜重軽視かつ兵站維持で略奪を奨励する<帝国>陸軍の進撃を遅らせるための方策で、井戸には毒も投げ込まれて水の確保すら多大な苦労を負わせている。
焦土対象の村々に住む地方人を市邑保護条項が適用される美名津へ避難させるために行った偽装襲撃で撃った弾が偶然少女へ命中して死なせてしまったり、
<帝国>の略奪対象となる真室の穀倉を艦砲射撃で破壊する役割を受け持った水軍の乙型巡洋艦<大瀬>が荒天下の航海中に遭難する一幕もあった。
この遭難によって真室の略奪は阻止できずに敵の増援を許してしまい、大隊は戦力の集中が果たせず、主力は殲滅、予備隊も殲滅寸前まで追い込まれている。
大隊自身による焦土作戦は成功したが、避難先から戻った地方人に気付かれて、<帝国>の宣撫工作に利用されたり敵側の占領統治を円滑ならしめる弊害も伴った。
予め住民を退避させた上で都市や村を焼く戦術が諸将時代に確立していたのだが、一刻も争う状況下で現地人に了解を取り付ける余裕は無かったのである。


アルビオン侵攻作戦(ゼロの使い魔

故・ヤマグチノボル氏のライトノベル内における出来事。
浮遊大陸アルビオンに遠征してきたトリステイン・ゲルマニア連合軍に対して神聖アルビオン共和国の皇帝クロムウェル(実際は黒幕であるガリア王国から派遣された秘書・シェフィールドの傀儡)はトリステイン連合軍を消耗させる作戦を実行。
まず連合軍が上陸した地点から本拠地までの進軍ルートの主力軍を全て引き揚げさせることで短期決戦のためと反撃を予期して陣地を構築した連合軍の兵糧を無駄に消費させ、さらにトリステイン連合軍の中継地点となるシティ・オブ・サウスゴータから食糧を全て取り上げることで限られた兵糧を住民に分け与えざるを得なくなった上に敵地での補給ができなくなる。
連合軍は本国からの補給に加え、さらにこの時期はハルケギニアの新年祭で休戦せざるを得なくなり、敵地の中で足止めをされてしまう。
その間にシェフィールドはサウスゴータの水源にマジックアイテム・アンドバリの指輪の力で魔法の毒を混ぜ、その水を飲んだ連合軍兵達を洗脳。
これによって起きた反乱で連合軍は完全に瓦解し、退却するがこの機に乗じて攻勢を始めたアルビオン軍の主力に加えて反乱によって増えた7万もの大軍に追撃される最悪の状況に陥ってしまう。

アルカレイア奇兵戦(かんぱに☆ガールズ

ソーシャルゲーム「かんぱに☆ガールズ」で展開された焦土作戦。
中立国アルカレイア首都を占領すべく王国クオリアで革命を起こした解放会議は内務大臣ハロル・ド・ゴール率いる2万の兵と団長ジーナ・ジェズアルド率いる聖騎士団を派兵する。
兵力に劣るアルカレイア側は首都から住民と食料を丸ごと運び出した上で、クオリア軍主力を首都に引き入れる作戦を決定。
空になった首都を見て、ジーナは焦土作戦を警戒し、郊外に布陣するもハロル率いる主力軍は首都に入城。
直後にアルカレイアを拠点とする傭兵達に輜重部隊が運び込んだ糧食を焼き払われ、アルカレイア軍主力に郊外の聖騎士団との連絡線を分断されてしまう。
そして、アルカレイア側の水源汚染と夜襲、そして態とクオリア兵を半殺しにして看護に人手を割かせる作戦の徹底で、2万の大軍は忽ち飢餓と睡眠不足、水中り、負傷者看護で稼働人数は1割にまで低下、アルカレイア側の降服勧告を救出の最後の機会と判断した聖騎士団の決死の突撃も食い止められ、捕虜になったハロル、ジーナの両大将を含めたクオリア全軍は壊滅する事になった。
この焦土作戦は
  • アルカレイア側の交通・通信インフラが整っており、迅速に住民の避難と食料の運び出しが出来た
  • 古代の要塞の遺跡という絶好の避難場所があり、更に外部への隠匿等の防衛機能の復活にも成功していた
  • 元々下水道周りのトラブルが多く、水源汚染時の対処策が確立されていた
  • 傭兵や貿易商の拠点としてゲリラ戦兵力と資金力、輸送力に余裕があり、尚且つ彼等が反クオリア解放会議で団結した
  • 司令官や参謀にクオリアの内情に詳しい人物が抜擢され、その指示が徹底された
  • クオリア解放会議側の総大将のハロルが無能の極みで、焦土作戦を危険視するジーナ達の意見を悉く退けた
等の要因が焦土作戦の成功に繋がった。





項目は焦土化ではなく追記修正でお願いします。


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最終更新:2023年11月10日 19:39

*1 空襲などで敵国に攻め込む際に敵の領土を焦土にすることもあるが、この項目では取り上げない。

*2 とはいえ、攻撃側が紳士的できちんと交渉のうえ金銭を払っていたとしても、相手が軍である以上怖くて対等な取引にならない場合はあり得る。守備側が現地を奪還した場合現地住民としては対敵協力で厳罰にされかねないため、「略奪されたことにしたい」という問題もあったりするので、買付と略奪を明確に区別することは難しい。

*3 とは言え、略奪などしていては進軍速度が遅れて本末転倒なので、「重量の割に高価な金貨による叩き買い」が基本だった。ナポレオン金貨の採用とバラマキ、国外での製造も進軍速度を速めると同時に、「現地民にフランス規格の金貨に慣れさせて有事の買い付けを円滑化する」為の戦略である。

*4 日本も、第二次大戦後補償を約束して多くの物資などを徴発したものの、敗戦国となって払えないために多くの補償が「払うが全部税として頂く」という形で踏み倒されてしまっている。

*5 ハーグ陸戦条約と呼ばれる条約で禁止されている。戦時国際法に実効性があるのかという問題はあるが。

*6 とっとと降伏することも考えたが、部下から「あんまりあっさり降伏すると軽く見られるのでもうちょい粘りましょう」と言われ、もうちょい粘る方法として逃げたとされる。

*7 戦争の混乱の中、流れ弾、大砲の榴弾の破片、空爆などで「意図しない死」に偽装して死なせるのは、暗殺のメジャーかつ都合のいい手段の一つである。下手人が誰か、狙ってやった事なのか、突き止めようもないからだ。