芦屋道満

登録日:2019/07/28 Mon 03:16:51
更新日:2022/12/12 Mon 01:12:38
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芦屋(あしや)道満(どうまん)は生没年不明。播磨の人と伝えられる陰陽師、呪術師。
平安時代に実在していたとも言われる在野の法師陰陽師で、異説もあるが道摩(どうま)法師と同一人物とされる。

なお、表記には“蘆”屋の文字が使われる場合もあるが、本項目では“芦”屋で統一する。

主に大陰陽師・安倍晴明の伝承における仇役として知られ、晴明と同じくらいに強力な陰陽師であったとして紹介されている。

創作などでは青年晴明に対し、親子ほども年齢が上の人物として描かれることが多いが、道満を天徳2年(西暦958年)の生まれとする資料も存在しており、晴明を史実通りの生年(西暦921年)とすると、反対に晴明の方が37歳も年上となる。


江戸時代に編纂された地元の郷土誌『播磨鑑』によれば、播磨国岸村(兵庫県加古川市西神吉町岸)の出まれ。
同誌では播磨国の民間陰陽師集団の出身とされている。そうした集団は、仏教道教の知識や学問が正式に伝来する以前より日本に入り込んでいた、雑密や占術やらの大陸伝来の知識と、日本に元よりあった宗教的儀礼とが混合した、独自の知識や修法を有していたと思われる。

道摩法師と同一視されることからもわかるように、道満は法師陰陽師(僧であるが陰陽道を使う者)であり、頭を丸めた僧形、入道の姿であったのだろうと思われる。
晴明と同じく陰陽師であるということから黒い狩衣姿で烏帽子を被った姿でイメージされることもあるが、道満が宮廷に仕えていたというのは一部の創作のみの話であり、いわば乞食坊主、行者の類であったのだろう。
一方、出身国の播磨は陰陽師(というか呪術師全般)の本場だったらしく、このころの陰陽道隆盛の世では「僧侶でも陰陽師の姿をしなければ話も聞いてもらえない」とまで言われていたそうだ。

実際に、初期には宮廷に仕えるほどの優秀な人材も排出していたようだが、陰陽道宗家となった賀茂家に始まり、京に住む宮仕えの陰陽師の数が出揃うと先祖の出身はどうあれ、地方から人材を集めるような動きも無くなった。
そして、大概の民間の法師陰陽師は頭に粗末な紙冠を付けただけで陰陽師である証としたのだという。
(紙冠とは、中世以降の死者の死装束の定番の一つとなった、現在ではテンプレ的幽霊の付けてるイメージしかない頭の三角のアレのことである。)


そんなわけで、汚い格好をした、むさ苦しい法師陰陽師が頭に間抜けな紙冠を付けただけで陰陽博士気取りで偉そうに講釈を垂れたり、悪霊祓いなんぞをしているのは見識ある人からすれば滑稽だったらしく、清少納言や紫式部も自作で法師陰陽師への嫌悪感を記している。
こうした怪しい連中が当時から京にはいっぱい集まっていたようで、情報から読み取ると道満もそうした一人であったということになる。


……しかし、道満が実在したかしていなかったか、事実か虚構かはともかく、「芦屋道満」の名前が現在までも残っているのは、人々のイメージの中で完全無欠の超人と化していった晴明と互角と評される道満の呪術の腕があったこそであった。


晴明が一条天皇や藤原道長に重用されていたのは史実からの事実であるが、対する道満は藤原顕光に重用されていたといわれる。
もっともこれは顕光が死後、権力争いに破れて無念の内に薨去し、死後祟りを為して「悪霊左府」と呼ばれたという俗説から生じたものと思われ、恐らくは後世の創作であろう。
道満が顕光に仕えたことは、鎌倉時代中期の『十訓集』に出てくる。


また、道満以外に名の知られた播磨出身の高名な法師陰陽師として智徳法師がいる。
『今昔物語』によれば、法師は海賊に襲われて荷物を取られた船主を助け、陰陽の術で海賊を捕らえ荷物を取り返したとされるが、晴明には敵わなかったとわざわざ注釈されている。

何事かというと、晴明の噂を耳にした智徳法師は「術比べをしてやろう」と嘗めきった態度で晴明の屋敷を訪れて術の指南を請うた。
法師は、その時に自分の式神を男女の童子として連れていた。
法師の意図を見抜いた晴明は、即座に法師の式神を隠すと日を改めましょうと言って一旦帰した。
法師も様子見のつもりだったのか素直に下がったのだが、途中で童子が居ないことに気付いて慌てて戻り、トボける晴明に懇願して負けを認めたという。
法師は晴明の弟子になったともいわれるが、後述の道満のエピソードとのシチュエーションの酷似から、智徳法師を道満と同一人物であるとする考えもある。


この他、芦屋道満の名が現在の学会では偽書の類とされる、古代近畿地方で高度な文明を誇っていたとされる中国文明の祖だとか国津神の末だとからしいカタカムナ人の長であるアシアトウアン(●●●●●●●)に由来しているとの説がある。
……というか、反対に道満の名前から思い付いたんだろこれ
この説に従えば芦屋道満とは播摩の呪術師集団の長が引き継いでいた名だ……とする、マロンも香ばしい説もあるにはある。


……いずれにせよ、実在の人物とする話もあるものの、晴明よりもさらに実像が確認出来ない人物であることは確かなようである *1


ちなみに道満の直系かは不明だが、芦屋道薫、道仙、道善など芦屋の姓を持つ陰陽師は後世にも存在している。


【道満伝説】

最初に名前が登場するのは晴明自身が編纂したと伝えられる『金烏玉兎集』の注釈書である『簠簋抄』での記述であるという。
以下に、道満の登場する説話集の紹介。


簠簋抄(『金烏玉兎集』注釈書)

『簠簋抄』に寄れば、幼少のころより陰陽の術が噂になっていた晴明に挑戦するべく上京し、内裏で帝の御前にて人も集めて呪術勝負をすることになった。

勝負は長持の中に隠した物当てで行われることとなり、帝自らが道満と晴明には見せずに長持の中に蜜柑を15個入れて観客の大臣や公卿に示した。

合図が下りると、道満はすぐに蜜柑が15個と答えを出したが、少年晴明はややあってから鼠が15匹と答えた。
普段より晴明の神童ぶりに触れていた公卿や大臣たちは落胆したが、蓋を開けてみると本当に鼠が四方八方に走り出し、道満はこれも晴明の術が自分より上であることの証明として晴明の弟子となったという。

しかし、晴明が大人になるころには道満も弟子の身の上に我慢出来なくなっていた。
晴明が遣唐使として大陸に修行に行っていた留守中に晴明の妻の梨子を籠絡してNTRした道満は、晴明が伯道上人との修行の末に持ち帰っていた、秘伝の『金烏玉兎集』の隠し場所を梨子から聞き出してこれを奪い、晴明に対して秘伝書の所持の有無を懸けた問答に持ち込んだ。
晴明は挑発する道満に対して、あの書はお前などが持てるものではないが持てたなら首をやると言わされてしまい、道満は懐中に忍ばせていた秘伝書を示すと、晴明自身の約束に従わせる形で斬首して殺した。
しかし、これを察知した伯道上人はすぐに日本に飛んで来ると晴明を復活させる。
そして、なに食わぬ顔で晴明の屋敷に陣取る道満に対して晴明が生きているのを証明できたら首をやるという約束を言わせ、復活させた晴明を呼び寄せた。
こうして、約束に従わせる形で、今度は道満と、道満に付いたメスブタを斬首して復讐を果たしたという。


宇治拾遺物語

藤原道長の愛犬が主人の外出を必死に止めたことがあった。
不審に思った道長が懇意にしている晴明を呼んで問うと、犬は道長に式神の呪いがかけられそうになったのに気付き止めたもので、そんな知識を持っているのは自分の他には道満以外にいないという。
そこで道満は捕らえられて生まれた播磨への流罪に処されたという。
このとき道満に呪詛を依頼したのが、上記の藤原顕光とされる。
同じ話は『十訓集』『古事談』にも見られる。


峯相記

播磨国の地誌であるこの書には、道満が藤原伊周の命令を受けて道長の通る道の途中に呪物を埋めて呪を掛けようとしたが、晴明に見破られて播磨国に流されて没したとの話が記されている。
恐らくは上記の説話からの派生であろう。


芦屋道満大内鑑

江戸時代中期に晴明誕生譚として伝わる『しのだづま』から生まれた浄瑠璃脚本で、翌年からは歌舞伎でも『葛の葉』として上演されるようになった。
タイトルからも解るように、元ネタとなった先行する説話集とは違い、道満が主人公の一人となっている(意味合いとしては“芦屋道満は御内裏で働く人”といった感じとなる)。

ただし、本来は全五段からなる演目の中で道満が主人公となるのは第三段なのだが、歌舞伎や、浄瑠璃でも明治以降の公演では第三段が省かれているために、なにが“芦屋道満(●●●●)大内鑑”なのかわからないことになってしまっている。
本作が『葛の葉』や『保名』と改題されていることがあるのはこのためである。

また、このせいで本作では本来は悪人ではない道満がそれがわかる部分が演じられないために、替わりに徹底した悪人として描かれている場合もあるという。

本来の『芦屋道満大内鑑』では、道満は『しのだづま』系統の話での晴明の父親である安倍保名と共に、加茂保憲*2の最も有力な弟子となっている。

道満自身には野心は無いのだが、道満と保名のそれぞれの主君が東宮(皇太子、親王)の二人の后のそれぞれの父親であった関係から、皇家の外戚の地位を狙う主君の陰謀に巻き込まれ、保憲の後継者に譲られる陰陽の秘伝書『金烏玉兎集』を策謀によって書を入手していた主君方の義父より授けられることになる。

しかし、主君の側が敵方の后を殺そうとしていることを知った道満は独断で后を救いだすが、自宅に隠して処遇に悩む中で浮気を疑った妻や、判断役の妻だったことから一時的に還された妹、息子の正義を守ろうとする父を巻き込む厄介な事態となる。

己の正義感と、今回の騒動の邪なる黒幕とはいえ主君への忠孝の狭間で苦しむ道満だったが、父の将監の己を犠牲とした謀により救われるも父殺しの罪を背負ってしまい、ほとほと嫌気が差した道満は出家して秘伝書も手放すことを決意するのだった。

後年、居場所を突き止めた保名に秘伝書を渡そうとするが、請われて保名の子に『金烏玉兎集』を伝授し、さらに童子の聡明さに本作では道満が“晴明”の名を与えるのであった。

なお、この保憲の後継者問題から端を発する物語の元ネタは陰陽道宗家を分けた際の安倍晴明と賀茂光栄の対立の話であろうと思われる。



この他、兵庫県佐用郡佐用町大木谷は、上記の伝承や説話からさらに後の話として安倍晴明と芦屋道満が最後の対決をした場所として伝わる。
当地では谷を挟んでの対決を再現するかのように設けられた塚に両者の碑が奉られている。

両者の戦いは期待通りの方術大決戦と伝えられており、両者の操る式神や妖怪変化や無数の鑓が谷の間を飛び交う、超人的なイメージが定着した晴明と道満の伝承の終着点に相応しいものであったらしいが、最後には道満は力尽きて倒れたと伝えられる。


【創作の中の道満とモデルとしたキャラクター】


作中最大のトリックスターで、時として騒動の中心となるも、あくまでも依頼に答えたというスタンスを取るために、対処に追われる晴明から見ても敵とは呼べず、時として同好の士として酒を酌み交わすこともあるという、食えないライバル的存在として活躍する。

悪霊退散!悪霊退散!
陰陽、もののけ、困った時は
どーまん!せーまん!どーまん!せーまん!
すぐに呼びましょ陰陽師!(レッツゴー!)

  • 平安風雲伝
平安時代を舞台としたSFC用シミュレーションRPG。
本作では「道摩」表記で晴明の元弟子という設定。
まつろわぬ民と手を組み、平将門や藤原純友の怨霊を呼び覚まそうと企んでいるらしいが…?

  • あやかしの城
初代GB時代の本格3DRPG。
ラスボスとして登場する。

巳厘野道満の元ネタ。

花岡院家の祖。

山田道茉のモデルと考えられる。

得体の知れない怪人物として登場。
作中でも別格の強さを持つ大物なのだが、その自重しない性格から大物らしからぬ行動を頻繁にとる。詳細はこちら

  • 九怨
フロム・ソフトウェアのPS2ホラーアクションゲーム。
主人公である二人の少女(一人は実の娘・もう一人は入門してきた弟子)の師だが……?

超人ドウマン。
ゲーム中ではコンパチなので裸マントだったがイラストは普通。

リメイク版からの追加クラスとして陰陽師が登場。
ドウマンがセイメイを超える最強の冥術使いとして設定されている。

  • LoVⅢ
蘆屋道満。女性化しており晴明(♀)に好きを込めた挑戦を繰り返す。

+ 一部ストーリーのネタバレにつき格納
キャスター・リンボ
1.5部3章・下総国において安倍晴明を名乗り、英霊剣豪たちを率いて数多の虐殺を繰り返していた。
主人公武蔵ちゃんによって一度は倒されたがまだ生きており、2部4章・ユガ・クシェートラにて再登場。ユガの周期を10日周期に縮めた張本人である。
のちに主人公らによって倒され、復活したアスクレピオスによって倒されたが、この時のリンボは式神だった。
そして2部5.5章にていよいよ本格的に対峙することとなる。

※正体不明だが有名なので他にもいっぱい。


【ドーマン】

古来より伝わる霊的なシンボルのうち、修験道から始まった早九字(片手で刀印を結び横5本、縦4本を横→縦→横→縦…の順番で格子型に空中で描く)の形を示したシンボルを、五芒星をセーマンと呼ぶのに対してドーマンと呼ぶ。
セーマンは晴明紋とも呼ばれ、安倍晴明の印章として有名だが、ドーマンは芦屋道満に由来する印章であると考えられている。
また、セーマンが五芒星であることから六芒星をドーマンとして道満印と呼ぶ人もいるが、本来とは外れた説であろう。
セーマンドーマン、ドーマンセーマンは海女さんの魔除けとしても有名である。




追記修正はドーマンセーマンしてお願い致します。

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最終更新:2022年12月12日 01:12

*1 前述の播磨の法師陰陽師の集団が権威付けのために利用したのは、史実では道満ではなく晴明の名である。道満が実在したならばよりにもよって敵である晴明の名前を持ち出すだろうか?

*2 賀茂保憲。史実では晴明の師匠、または兄弟子。