山月記(小説)

登録日:2020/04/26 Sun 20:25:57
更新日:2023/11/27 Mon 18:11:14
所要時間:約 7 分で読めます







山月記』とは、中島敦の短編小説の1つ。
高校の現代文の教科書にも採用されているため、知っている人も多いだろう。
漢文を下地にして作り上げられた物語で、清朝の説話集『唐人説薈』における『人虎伝』が素材になっている。



あらすじ




狂気、そして失踪。



隴西に住む李徴は、科挙に若くして合格するなど才能に満ち溢れていた。
だが、大変な自信家で、かつ役人としてではなく詩人として大成することを夢見ていた。
しかしなかなか大成せず生活は徐々に困窮。生活のため仕方なく官吏を務めたが、果てには公用の旅の途中のとある夜、突如発狂したかと思うと叫びながら夜の闇の中をかけだして消息を絶ってしまった。
もちろんその後の彼の事を知る者はいない。

その1年後、監察御史、陳郡の袁傪が勅命により嶺南に向かっていた。
途中、商於に辿り着いて夜明け前に再び出ようとするときに「この先では人食い虎が出る」との噂を聞き、朝まで待つことを勧められる。
袁傪はそれでも出発するが、道中で噂通り虎が出現。
彼に襲いかかろうとするが、すんでの所で引き返して草むらへ。

するとその草むらから「危ない所だった」という声が漏れ出てきたのだ。
しかし袁傪が驚いたのは虎が人語を話したということではない。(いやそっちに驚かないの?)
その声には聞き覚えがあったからだ。彼は問う。

その声は、我が友、李徴子*1ではないか?

そう、その聞き覚えのある声の主は虎と化した李徴だったのだ
彼と袁傪は旧友で、李徴の方も友を覚えていた。
しかし大きな虎と化してしまった李徴は、彼の前に姿を見せない。

袁傪はこの奇妙な状況を不思議と受け入れ、彼と話を交わし始めた。
始めはたわいもない物から。そして……



1年前…



袁傪は李徴になぜ虎に変貌してしまったのかを問うた。

李徴によるとやはり話は1年前の失踪から始まった。
周囲からは発狂して突然走り出した結果の失踪とされていたが、李徴によるとこの時彼は彼を呼ぶ声が聞こえ、外に出てみると声の主は闇から自分を招いている。
彼はその招きのままに走りだした。始めは普通の人の走りだったが、その内に何故か両手で地を掴み始め、体から力が漲り、大きな岩も軽々と飛び越えるようになった。
そして極めつけは何故か体から多くの毛が生えている。怪訝に思い月明かりで当たりが少し明るくなった時に自らの姿を見ると、すでにその姿は虎へと変貌していた

もちろん初めは信じられず、「これは夢だ」と何度も頭で念じたが、それが無駄だと解り、李徴は激しいショックを受けた。
なぜ突然姿が変わったのか、この不条理を受けてどうすればいいのか、そんなことを考えている時、一匹のが近くを通りかかった。
すると「李徴」の中から「人」が消え去り、残骸である「虎」が兎に牙を剥いた。

それからの李徴は、噂にある「人食い虎」の通りになった。
それもこれもその身体より成った獣が為した結果……。
それでも1日の内に数時間程度は人の心が戻って来るが、その自制も徐々に効かなくなりつつあり、自分が「李徴」ですらない「ただの虎」になるのも時間の問題だった。
虎になったことを怪しんでいたはずの彼だが、今では「なぜかつての自分は人間だったのか」とすら考え始め、人の理性の残りカスのせいで苦しむようになり、完全に心が虎になった方が気持ちとしてはマシなのではないかとすら思うようになっていた。

袁傪の一行は息をのみながら李徴の告白に耳を傾けた。
そんな中で彼は偶然出会うことのできた旧友に「自分の理性が消えないうちにやっておきたいことがある」と、袁傪に頼みごとをする。


詩人になれなかった者


李徴の願い……それは自分が人の時に書いた詩のうち、思い付きはしたものの書き記すことのなかった数十編の記録である。
詩人として大成する事を夢見ていた彼だったが、その夢がかなうことはもはやない。
だが自分が生み出した詩、そしてそれに噛り付いた自分の執着をせめて誰かに知ってほしかったのだ。

袁傪はこれを聞き入れ、部下に命じて李徴が詠む約30編の詩を書きとらせた。
また、袁傪はこれらを聞いて彼の素質の高さを感じ取っていたが、同時に一流と呼ぶには足りない「何か」も感じた

その後、李徴は「虎となった今でも自分の詩集が長安風流人士の机の上に置かれている様を、夢に見ることがある」と自嘲しながら話し、即興で今の思いを詩で形にし、「自分が生きているしるし」として袁傪に書きとらせた。


偶因狂疾成殊類 災患相仍不可逃
今日爪牙誰敢敵 当時声跡共相高
我為異物蓬茅下 君已乗軺気勢豪
此夕渓山対明月 不成長嘯但成噑




李徴の自嘲と嘆きを如実に表した即興詩を聞いている内に、夜はだんだんと更け始めていた。



羞恥心・自尊心の末路



李徴は続けた。
なぜ自分が虎になったのか、今では何となくだが心当たりがあると言う。

自分は詩人として大成することを夢み、他の人々との接触を避けていた。
他の人から倨傲だの尊大だのと評されていたが、自分ではそれを「羞恥心」と考えていた。
また、自分は誰かを師として師事する事も、他者と切磋琢磨することも避けてきた。
それでいて俗物の中に甘んじることは良しとしなかった。
彼はそれを「臆病な自尊心」と評した。
「自分はできる」という驕り、そして俗物と評されたくない恐怖。
自分はそんな「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」を持って己を高めようとしなかった結果、まず人々から離れ、自分の「人」からも離れ、その果てに獣の身へと堕ちていったのだ。

「人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短い」と言っておきながら自分は何かをなす為の努力をしてこなかった。
才能は腐り落ち、妻子や友人を傷つけていった無様な結果こそこの虎の姿である。


仮に今から努力をして素晴らしい詩を作ることができたとしても、もうそれを発表することはできない。
そして、それを嘆いても聞いてくれるものはもはやどこにもいない……。



友との別れ、人との別れ



自らの見解を述べ、今の自分の思いを吐き出すだけ吐き出した李徴は自分の意識が再び虎へと移りつつあることに気が付き、袁傪に別れを切り出した。

そしてその際に「帰る時に虢略にいる妻子の所に寄って今夜の出会いは伏せて自分は死んだと伝えること」を依頼する。
本来なら真っ先に頼まなければならないことを別れ際に頼む、そんな自らの浅ましさを恥じ、泣きながら……

袁傪がそれを了承すると、李徴は今度はお願いではなく警告として「帰り道に通った時に自分が「虎」として襲ってこない保証はない」ことを述べて、帰りには別の経路で帰還をするように言った。
最後に、自分に会いたいと思わないよう、「自分の姿を見せるので、ここから離れた後にこの草むらを改めて見て欲しい」と告げ、2人はふけゆく夜の中で別れた。

約束通り袁傪一行が少し離れた丘から先ほどの草むらを見ると、一匹の虎が飛び出してきて光なく、ただ白くそこにあるだけの月へ向かって数回咆哮。その後再び草むらへ帰ってしまった。



「尊大な羞恥心」「臆病な自尊心」


やはり現代文の教科書内でも非常に重要なテーマの1つになっているのは「李徴はなぜ虎になったのか」だろう。
カフカの『変身』を思わせる、彼の虎への変貌。
李徴はその原因を「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」だと考えている。
普通の人なら、「自尊心は尊大なもので、羞恥心は臆病なものじゃないのか?」と考えると思うが、この作品では逆の修飾がされている。
また、それ自体が虎になった原因と考えることもできるし、虎になったのはそれらの気持ちに気が付いても、再起するための道を断つためだという意地の悪い解釈もできる。

これが彼の虎になった直接の理由かどうかはわからないが、この2つの気持ちが本作の重要なカギであることは間違いないだろう。





追記・修正は、人食い虎に襲われないようにしながらお願いします。

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最終更新:2023年11月27日 18:11

*1 ここでの「子」は、男子に対する尊称。