103系直流通勤型電車

登録日:2021/03/19 Fri 00:41:19
更新日:2023/04/27 Thu 11:09:48
所要時間:約 8 分で読めます




103系直流通勤型電車とは、1963年に国鉄が開発・導入した通勤型電車である。
前身の101系を元に、経済性を重視して設計された。


概要

初の新性能電車である101系は、消費電力の大きさやモーターの熱容量(詳細は101系の項目で)など幾つか問題を抱えていたが、それらを改善し101系の低コスト・高信頼性版としたのがこの103系である。

101系を基本に、駅間距離の短い路線(例えば山手線大阪環状線など)に最適化した性能とし、なおかつMT1:1(動力車と無動力車が同じ比率)でも使えるようにした。

合計3400両以上が製造され、首都圏・中京圏・関西圏・福岡圏と4大都市圏に導入され、高度経済成長期以降の日本の通勤輸送を支えた国鉄の顔といえる車両である。

仕様

電気方式 直流1500V
制御方式 抵抗制御(1000番台はバーニア抵抗制御)
主電動機 MT55直流直巻電動機(110kW)
歯車比 91:15=1:6.07 ※車輪径が910mmのため、860mm径閑散で1:5.73相当
起動加速度 2.0km/h/s~3.3km/h/s

車体のデザインなど基本構成は101系を元にしているが、主電動機はMT55(110kW)に変更し、ギア比も15:91=1:6.07と大きく取り加速性能に振ってある*1
その一方で、ある程度駅間距離の長い路線でも使えるように、弱め界磁領域の調整などで中距離電車の111系並の高速性能も持たせている。

最初に投入されたのが山手線だったことや、明確に「駅間距離の短い路線向け」と言われていることから、時折「山手線専用機として設計された」なんて言われることがあるが、そんなことはない。
本当に山手線専用だったら初期のものとは言え中電並みの高速性能なんて要らないはずだ。
飽くまで「101系の問題点を洗い出し是正した車両」なのである。

主電動機は新型のMT55を採用。出力は110kWとほんの少しパワーアップしている。
歯車比は先述の通り、1:6.07と大きめに取り、スタートダッシュに振った設定。

103系の最高速度は100km/hとされているが、性能面での実用上は95km/h程度が限度とされており、なおかつ高速走行時の激しい騒音からMT55は「煩いだけの低性能なモーター」と言われることもあるが、
実際のところは許容回転数はMT46どころかその後継機のMT54をも上回っており、なおかつ一番の足かせだった熱容量も改善されている。
回転数辺りのパワーでもMT46辺りとならタメ張れる。
ただ単に、103系という電車が加速性能全振りのギア比で、高速になるとすぐにパワーが落ちてしまうだけだったのである。

実戦投入

1963年に試作車が登場し、9ヶ月間の試運転を行った後12月末から営業運転に入る。
翌年の1964年から量産が開始され、各通勤路線の輸送改善及び新性能化が図られることとなった。

またこの過程で京阪神緩行線や、京浜東北線常磐線のような比較的駅間距離の長い路線にも103系を投入することが決定したが、そもそもが加速性能に振った車両であり、このような路線に使えるかどうか疑問な面もあった。
それに加えて大阪鉄道管理局、つまり大阪支社にとって見れば快速などから逃げ切る必要もある。
東京・大阪共に「…これで大丈夫か?」と疑問に思っていたのだろう。
このような長距離路線に対応した「特注品」の103系を導入する話も上がった。
例えば、ギア比を101系と同じ5.6にした、高速型にするとか。
例えば、モーターをMT54に交換し、中速域以降の性能を高めるとか。

…しかし実際に計算したところ、どちらも電力消費が大きくなることが判明し、ボツ案となった模様。
そもそも103系自体、設計の時点で111系並の高速性能は持たせてあるんだ。
なお、このボツ案の一つの「MT54搭載型103系」は、「105系」という仮称であったことを追記しておく。

これらの状況も踏まえ、1965年から関西圏では初となる阪和線へ103系が導入され、本形式では初となる快速列車での使用も開始された。

1968年、山手線に103系による10両編成が出現。
今は11両だが、10両でも当時としては破格の長編成だったのだ。
そして、これだけやらないと増え続ける乗客に対応できない。

国鉄がJRになった後、常磐快速線で遂に103系による15両編成が出現した。エメラルドグリーンの高運転台車をKATOがフライングしていたのは内緒だ

増備仕様

クハ103形500番台

京浜東北線では検修スペースの都合から7両+3両という編成を組まざるを得ず、新たに制御電動車のクモハ103という形式が起こされた。
相方となる偶数向き固定の先頭車は500番台と区別され、外観上は正面右下のジャンパ連結器納めが省略されているのが差異となっている。

1次改良車

1971年から導入された0番台の増備車。
前照灯のシールドビーム化、側面窓のユニットサッシ化が実施されているのが特徴。
途中からは車両冷房も搭載されるようになった。
大半の車両が京阪神地区に新造または転属*2で導入されたため、2010年代以降も残存した103系はこのグループが多かった。
103系はこれ以降も随所に改良が実施されているが、改良車と公式に呼ばれているのはこのグループのみ。

103系高運転台車

1974年から登場。
運転台が高く窓が小さくなり、窓下にステンレスの飾り帯が追加された。
山手線・京浜東北線を中心に首都圏に大量導入されたため、
「関東の103系=高運転台」というイメージを持つ人も多いことだろう。
よく間違われるが「高運転台=ATC車」ではない。
ATC車と従来車との違いは乗務員室後方。ATC装置搭載のため乗務員室が拡張され、後方の戸袋窓が潰されているのが特徴。
末期にはATCを搭載しない高運転台車も登場し、こちらは関西地区にも導入された。

103系910番台

加減速時の空転防止を目的に制御装置のステップ数を通常型の力行(加速)29段から力行55段・ブレーキ51段と刻みを細かくした超多段バーニア式制御装置を搭載した試作型。電動車ユニット3ユニットのみが製造され、得られたデータを元に1000・1200番台が製造された。

103系1000番台・1200番台

地下鉄乗り入れ用の103系。
1000番台は千代田線-常磐緩行線用、1200番台は東西線-中央・総武緩行線用。
地下鉄乗り入れ車両に求められる「A-A基準」に適合させるために、正面に非常脱出用のドアが付けられているのが最大の特徴。
また制御装置はバーニア抵抗制御となり、急加速の際の空転を抑えている。
動力車の比率も地上用と比べて高くなっており、高加速に対応している。
1200番台は301系と編成を合わせるため、新造車では唯一クモハ102形が製造された。

千代田線に導入された1000番台は1984年から203系による置き換えが開始。
登場からわずか13年での置き換えに至ったのは、千代田線のトンネル内で排熱による温度上昇が頻発し、特に夏季は車両冷房もないことから車内が蒸し風呂状態になるという事態に*3。このことから「鉄板焼き電車」という汚名が付いたことでも知られる。
また、温度上昇に伴い床下機器の故障も問題視されたほか、制御方式の違いから国鉄が営団に支払う電力使用料の是正も迫られていた。
離脱した103系は順次常磐快速線に転用されたほか、一部は後述する105系に改造、東西線に転用された編成も存在する。
東西線用の1000番台・1200番台は共にE231系に置き換えられ引退した。

103系1500番台

筑肥線と福岡市地下鉄の直通用に開発された103系。
形式と足回りは103系だが、車体は同時期に増備されていた201系をベースとしたもの。
なんでこんな妙なものが生まれたかと言えば、201系の時代に作られた103系だからである
加えて乗り入れ先である福岡市地下鉄の車両(1000系)は国鉄の車両設計事務所が設計・開発を担当したため*4、国鉄の面子的にも大都市圏に新車を導入→そこからねん出した中古車を転属させるという地方線区の定型パターンが適用できなかったという事情もある。
筑肥線の田園地帯も走るんじゃチョッパ車にするメリットは薄いし、安く済む103系でいいんじゃね*5、て感じでこうなった。

地味にJR九州へ受け継がれた唯一の103系兼直流車だったりする。
JR九州発足後、塗装が玄界灘を思わせるスカイブルーから、側面は白、前面とドアはコーポレートカラーの赤色に変更した上で前面には103の数字が掲げられる同社らしい派手な車体となった。
また筑前前原-西唐津の短編成化に伴って一部編成のモハ102とモハ103を先頭車へ改造。クハ103-モハ103-クモハ102とクモハ103-モハ102-クハ103の3両編成2本へ分割した。

103系2000番台

新造車と101系改造車の2種類が存在する。
前者は新造車・・と書いたが、実はただの0番台増備車。
モハ102は大量に製造されたため増備途中で番号が足りなくなり、
899の次の番号は試作車の900番台・地下鉄直通用に使用されていた1000番台を飛ばし2000番台となった。

後者は国鉄末期に関西線阪和線の増発用に101系の先頭車を改造して編入したもの。
見た目は101系そのままなのでマニアにはすぐに見分けがついた。
ちなみに、101系からの改造車は首都圏にもサハを改造した車両が存在したが、
こちらは700・750番台を名乗っていた。この複雑さが103系の103系たる所以でもある。

103系3000番台

103系史上最大の異端児。
元々は旧型国電の72系の車体を103系と同じものに載せ替えた、当時の大手私鉄で見られた吊りかけ更新車の国鉄版と言えるもの。
登場から仙石線で運用されていたが1985年に運用終了。離脱後廃車解体を待つだけ・・と思われていたその矢先、埼京線開業に伴い電化が決まった川越線に転用されることが決まり、同時に余剰部品を使った新性能化も実施されることに。
旧型国電の新性能化という国鉄有数の魔改造車となった。
見た目は103系の高運転台車に準じているが、ドアエンジンの形状から側扉上部の形状が異なるなど異端児の面影を残していた。
ちなみに72系の更新車には113系と同様の車体に載せ替えた62系という車両も存在したが、こちらは転用されることなく10年ほどで廃車となった。

JR西日本体質改善工事車

1996年に登場。
103系を引き継いだJR各社では内装や機器類の更新工事を実施していたが、例によって新車を入れるお金のないJR西日本ではさらに一歩踏み込んだリニューアルを実施した。
具体的には内外装の仕上げを新車と同等に合わせるもので、荷棚や蛍光灯類の交換、外観ではベンチレーターの撤去や側面雨樋の張り上げ屋根化、前面窓の1枚ガラス化で大きく印象を変えている。
この工事はのちのJR西日本車両更新の基礎となったもので、以降113系・キハ40系・201系・205系・221系・207系で同様の工事を実施することとなる。
但し103系では後述の播但線・加古川線向けを除いて1両単位で工事が実施されたため、編成内で体質改善車と未更新車が混じる旧型国電のような編成も頻繁に見られた。

103系3500番台

JR東日本・JR西日本に導入された。同じ番台区分ながら改造内容・外観・形式などが異なる。
JR東日本向けは八高線高麗川電化開業時に用意された編成で、0番台4両編成を種車にドアの半自動回路追設を行ったが、それ以外外見の変化はない。
JR西日本向けは播但線寺前電化開業時に用意されたもので、クモハ103-2500+モハ102-0のユニットを改造したもの。改造内容はモハ102への運転台設置、前述の体質改善工事の施工、クモハ103の一部のWパンタ化、ワンマン運転対応機器の整備など。
車体塗装はかつて同線で使用されていた50系客車をイメージしたワインレッドに変更された。

103系3550番台

加古川線電化開業時に用意されたもので、体質改善工事を施工したモハ103+モハ102のユニットを改造したもの。改造内容は貫通式の運転台新設、ワンマン化改造、車いす対応大型トイレ設置など。
貫通式運転台としたのは粟生駅で加古川線から神戸電鉄・北条鉄道へ、厄神駅で三木鉄道へ乗り継ぐ利用者が編成先頭の運賃箱でJR線の運賃を精算する必要があり、2編成を併結した時に車内から移動できなくなるのを防ぐため。

訓練車

JR東日本が乗務員の異常時対応訓練や応急処置訓練の実習教材用として、営業から外れていた非冷房の103系3両編成を整備して豊田・浦和・松戸の3箇所の基地へ配置した。
一般車との識別用に白い帯と「訓練車」の表記が入れられ、豊田と浦和に配置された編成は中間のモハ102がドアの締め切りや荷棚の撤去、機材置き場の設置などを行って新形式モヤ102となった。
その後保安装置の関係で本線運転ができないことや夏場の訓練環境改善のため、冷房付の4両編成へと交代。浦和編成は2000年に、豊田編成は2001年に、松戸編成は2006年まで使用された。

なおこれとは別に大宮訓練センターの構内専用教材としてクモハ103-モハ102のユニットから改造された訓練機械があった。モハ102へ廃車となったクハの部品を流用して運転台を取り付け、教官用指令室、運転台へのテレビカメラ設置、模擬ATC搭載などが行われたが、構内専用のため本線走行はしなかった。

DDM試験車

DDMとは継ぎ手・歯車を介さずにモーターと車軸を直結させて駆動するダイレクトドライブモーターの略。
モハ103-502をVVVF制御化&DDM化し、京葉線で活躍していたケヨ304編成の4号車に連結。半年ほど営業運転を行いながらデータ収集を行った。

入換車

工場内での入換作業用に廃車になったクモハ103とクモハ102を入換牽引車へ転用。クモハ103は初期の低運転台車、クモハ102は地下鉄直通用の1200番台で、クモハ103はパンタグラフを運転台側へ移設、クモハ102は正面貫通扉に点検用の小窓を設置。更に両車共に前照灯を増設しており、クモハ102は301系そっくりな顔つきに。

派生形式

105系

地方都市圏・電化ローカル線向けの1M式電車である。
本来は新形式の3ドア車なのだが、金欠にあえいでいた国鉄は新車をホイホイ作ることもできず、余剰となった103系を改造し105系に編入した。
輸送力を適切にするため2両編成で使えるようにして、103系の「電動車は2両一組」を「電動車は1両で完結」するように改造している。
改造元の関係から顔のバリエーションが豊富だった。具体的には
  • 0番台の先頭そのまま
  • 1000番台の先頭そのまま
  • 中間車を先頭車に改造し、新製された105系と同じ顔
である。
仙台地区・奈良・和歌山地区・広島地区に投入されたが、2021年3月までに全車引退した。常磐線で種車を置き換えた203系より長生きした編成も存在した。
乗客からはトイレ無しや騒音などで、あまり評判はいいとは言えなかった面もあるが…

301系

有り体に言ってしまえば「アルミ車体版の103系」。
というより、本形式をダウングレードしたのが103系1000・1200番台と言えよう。
足回りは103系だが、車体はアルミニウム製の軽量なもの。台車も空気ばねが採用された。
国鉄初のアルミカーということで「3」の形式で始まった。
前面は東急の車両のような灯火具配置となっており、初見では103系の亜種とは気づきにくいかもしれない。
落成から東西線直通電車一筋で運用され、103系1200番台と同じくE231系に置き換えられ引退。

去就

新製なら3400両、101系からの改造も含めれば3500両を超える数の大所帯になった103系だが、
時代が進むにつれ電力消費の多さや騒音、高速性能の弱さなどが問題となり、次々に新型へと置き換わっていった。
まず最初に見切りを付けたと言えるのはJR東海である。
座席モケットの張替え、冷房化などサービス面での改善は行っていたものの、性能的にダイヤ上のネックとなるため当時からほぼ中央線の朝夕ラッシュ専用のような状態だったが、313系に置き換えられ2001年に全車引退となった。

JR東日本でも、209系やE231系、或いはそれらにより転出した205系などに置き換えられて数を減らし、仙石線を最後に全車引退となった。
尚、武蔵野線で運用されていたオレンジ色・8両のE38編成が引退後にJR西日本に譲渡された他、仙石線の103系は2004年に一旦運転終了をした後、2007年に高架化工事の関係で一時的に復帰したことが特筆される。

JR西日本においては、前述した体質改善工事車も含めて大阪環状線や阪和線といった近畿圏の各線で主力として活躍していたが、2015年から323系・225系の導入に伴う本格的な置き換えが開始された。
環状線では2014年に玉造駅を103系を模した駅舎にしてしまったのに、それからわずか3年でオレンジバーミリオンは全滅した。惨い。
ただし、支線区などでは短編成の103系がまだ現役を務めている。

JR九州においては、老朽化で故障が頻発するようになったため地下鉄直通運用は305系に置き換え。現在は3両編成のみだが相変わらず筑肥線の筑前前原-西唐津の単線区間で使用されている。

総評

101系の改良型として開発され、国鉄最大の所帯を誇った103系。
あまりに数が多すぎる点や、本来の用途に向かない中長距離路線への投入とそれによる高速性能の弱さの露呈、何よりどこでも出てくる電車であったり生産も運用も長期に渡ったなどで「同じ電車ばかりで飽きた」などと鉄道ファンから辛辣な評価すらくだされることもある本形式であるが、
日本の高度経済成長を支えた電車であるのも確かである。
国鉄の状況からすれば、103系のような「安くて、ある程度どこでも使えて、頑丈で直しやすい電車」は最適解どころかなくてはならない電車だったはずである。
戦闘機のP-51マスタングと同じく、「必要な時に必要な数を揃えられた」電車とも言える。
技術的な系譜からすれば、MT46→MT54→MT61の「主流」からは外れた、主要ではない枝かもしれない。
むしろ101系とはまた違った、尖りすぎた設計の車両とも言えるのかも。
だが補機類からすれば、高出力のC-2000型コンプレッサーを初めて採用した車両でもあるし、
101系でもなし得なかったであろう「国電の本格的な冷房化」を実現した電車でもある。
技術面では主流になれなかったとしても、モーターの熱容量など101系の問題を改善した、101系からすれば"兄より優れた弟"でもある。

それに、長らく日本の漫画やアニメで電車といえば103系だったはずだ。
サザエさんで出てくる急ブレーキで定評のある電車とか、昭和時代のゲゲゲの鬼太郎のオープニングとかで、103系は走り回っていた。
駅を示す道路標識でも、ピクトグラムとして使われているのはよく見れば103系だ。
ある一定の世代まで、電車といえば103系と言っても過言ではないのだろう。




兄より優れた弟に追記修正をお願いします。

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最終更新:2023年04月27日 11:09

*1 但し車輪径が101系の860mmから910mmと大きくなったため、実質1:5.73に相当すると言われている

*2 首都圏には山手線や中央快速線にも導入されたが、次述のATC車導入で差し替えられ、新造中間車と合わせて転属している。

*3 これは千代田線のトンネルがシールド式と呼ばれる左右余裕の少ない工法で作られていたことによる。同じ地下鉄でも地上区間もあり、シールドトンネルの少ない東西線ではさほど問題にならず、冷房装置も取り付けられて運用された。

*4 台車や内装などは201系に準じたものが使用されている。

*5 当時の国鉄は中央集権体制が強かったため、(東京から見れば)僻地である筑肥線にわざわざ新形式を起こすことなぞ土台無理な話であった。