澤穂希

登録日:2011/06/27 Mon 23:30:15
更新日:2024/04/26 Fri 17:27:47
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なでしこジャパン
それは、サッカー日本女子代表チームの愛称である。
彼女たちの活躍により、今でこそ市民権を得た女子サッカーだが、それよりも前、黎明期より女子サッカーを支え続けている名選手をご存知だろうか?


彼女の名は(さわ) 穂希(ほまれ)

日本が世界に誇る姉御である。



◆プレースタイル
身長は165cmで、パワーやスピードといったフィジカル能力は高くない。
しかし豊富な運動量でピッチのあちこちに顔を出すうえに、パス、ドリブル、シュートなど全ての仕事をハイレベルでこなせる技術を持つ万能MF。
ポジションはトップ下からボランチまでをこなす。
やはり決定的なパスを多く出すことから司令塔と表現されることもあるが、中盤の底で相手の攻撃を潰したかと思えばゴール前ではエースストライカーにも変身する。


◆経歴
1978年9月6日生まれ、東京都府中市出身。
幼い頃、兄の所属していたサッカーチームにコーチの勧めで参加した事が、その長いキャリアのスタートとなる。ちなみに同じチームに中村憲剛がいた。

その後、鮮やかに才能を開花させていった澤は1991年、僅か12歳で日本女子サッカーリーグにデビュー。
日本最高峰のリーグで揉まれながらメキメキと頭角を現し、ついには1993年、現在も最年少記録となる15歳でフル代表に選出された
同時期の男子同様、女子も世界とは厳然たるレベル差のある時代から戦い続けた猛者である。

以降、現役引退まで常に日本の主力として背番号10番を背負い、205の代表キャップを刻み、83得点を記録した。
代表キャップ205という数字、男子だとCR7クラスである。

2011年からはINAC神戸レオネッサ所属。
2015年8月に元ベガルタ仙台のDFで現在はベガルタスタッフの辻上裕章と結婚。
2015年12月16日今季限りでの引退を表明、引退試合となる12月27日の試合で決勝ゴールを挙げ、有終の美を飾った。

2016年3月、イギリスのサッカー専門サイト「Squawka」により「歴代最高の女子フットボーラー10傑」の1人に選出された。
引退後は夫の住む仙台に移住し、2016年7月に第一子を出産して育児をしながら、時々インタビューやイベント出演で公の場に顔を出している。



◆アジアの頂点への道
90年代のアジアの王、中国は次第に衰え、00年代その座を明け渡す事になる。そう、北朝鮮こと朝鮮民主主義人民共和国である。
澤という世界屈指の才能を加えた日本は、アジア最強の座を賭けて北朝鮮と幾度となく死闘を繰り広げていく。

2003年のAFC女子選手権。順調にグループリーグを突破した日本は準決勝で最強北朝鮮と激突する。しかし、このとき両者の間には絶対的な力の差があった。


30

スコア以上の惨敗であった。

リベンジのチャンスは四年後に訪れる。奇しくもAFC女子選手権の舞台。そして、今回は決勝での再戦であった。
北朝鮮に敗れてからの四年。日本は地道に力を蓄えていた。組織の整備、永里などの若手の台頭。今度こそアジアの頂点へ。チームの士気は高かった。
しかし、蓋を開けてみれば北朝鮮に圧倒される試合展開。
澤や、DF陣の奮闘により、どうにか延長戦を無失点で凌ぎきりPK戦に持ち込む事には成功した。しかし、そこまでだった。
延長戦で力を使い果たした日本はPK戦の末、涙を呑んだ。

三度目の挑戦はまたも四年後。因縁のAFC女子選手権で、今回も決勝だった。
試合は互角の展開が続くなか、CKから岩清水がゴール。それが決勝ゴールとなった。北朝鮮の猛攻をかろうじて凌ぎ切った日本はついにアジアの頂点に立ったのだ。
なお、この大会のMVPは主将で大黒柱の澤。代表デビュー時中学生だった彼女は既にチームの最古参となっていた。


◆なでしこの10。世界への道。
なでしこの名を一躍有名にしたのは、北京五輪の大健闘だろう。
GL最下位で姿を消した男子代表とは異なり、なでしこは4位入賞を果たした。

そのなでしこの躍進の裏にこんなエピソードがある。

うだるような猛暑。
しかも会場は日本と複雑な歴史関係の中国。
日本の対戦相手には拍手を送り、日本には容赦のないブーイングを浴びせる観客(国歌さえブーイングでかき消した。無礼千万!)。
会場の雰囲気に呑まれたのか、およそ公正公平とは言えない審判。
そして、経験の浅い若きなでしこ。

これだけの悪条件のなかで、それでも日本が躍進出来たのは何故か?
あるメンバーは澤のおかげだと答えた。彼女の一言で最後の一秒まで頑張れたと言うのだ。



苦しい時は私の背中を見なさい



十五年、日本の誇りを背負い続けた澤だからこそ言える言葉だった。


◆そして世界の頂点へ
北京五輪での四位入賞。
アジアの王者。
名実ともに、なでしこは世界の強豪となった。


そして2011年6月。
恐らく澤の最後の大舞台が開催された。
ドイツでの女子W杯である。

日本が誇る10番は本気で優勝を狙っていた。
特に今大会での、世界トップレベルの中盤を構成する阪口とのコンビネーションは圧巻であった。

GL第2節メキシコ戦でハットトリックの大活躍。決勝トーナメント進出を決める。
この試合のハットトリックによって、釜本邦茂の持つ日本代表の通算得点75の記録を塗り替え単独一位となった。
姉御…流石です!

準々決勝の相手はW杯2連覇、自国開催のドイツ。
押される展開が続く中、延長後半3分、丸山のゴールで1-0で勝利。初のベスト4進出を決めた。
アシストは澤だった。

準決勝、スウェーデン戦。
立ち上がりこそ先制を許す苦しい展開を強いられたものの、今大会初先発の川澄が2ゴール、
さらに澤が決勝点となる2点目を決める活躍で日本サッカー史上初のW杯決勝進出を決める。

そして決勝のアメリカ戦…
圧倒的な個の力で押し込まれるものの、驚異の粘りで1-1とし延長に持ち込む。
その延長前半、再びアメリカに勝ち越され、万事休すかと思われた。
かつてならここでもう諦めていたかもしれない。だが、今のなでしこ達は違った。
延長後半、宮間のコーナーキックを澤がフリックで流し込む神業同点ゴールを決めPKに持ち込む。
またこのゴールで得点ランキング単独トップに躍り出た。
オウンゴール疑惑があるのは内緒だ。

そしてPKの末、遂にアメリカに勝利。
日本サッカー史上初の、国際大会制覇。
東日本大震災の年、なでしこジャパンはそれを成し遂げることになった。
澤は大会MVPを獲得し、それどころか中盤の選手なのに得点王にまで輝いた
疑いようもなく日本初優勝の立役者、最高のプレーヤーと呼ぶに相応しいものを見せつけた。

そして2012年1月10日、澤はサッカー選手最大の名誉であるバロンドール賞(女子部門)を受賞
これは、日本はもちろん男女含めてアジア人初の快挙である。
正真正銘、「世界最高の女子フットボーラー」澤穂希がここに誕生した。


最後と言ったが、すまんありゃ嘘だった。
その後、病気に苦しみながらも2012年のロンドンオリンピック、それどころか2015年のカナダ女子W杯にも36歳で招集され、後者は流石に途中出場がメインだったものの両大会の準優勝に貢献、女子史上初のW杯6大会出場を果たした。



~澤語録~

  • 苦しい時は私の背中を見なさい

  • 代表の10番は重い。その重さが私を走らせる

  • お前、良い臭いするな(中村俊輔に対して)

  • サッカーの神様などいない、頼れるのは自分だけ

  • ごめん、ミスした分点取るから許して(W杯準決勝のハーフタイムに発言、なお実際に澤はこの15分後に決勝点となる逆転弾を決めている)







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最終更新:2024年04月26日 17:27