埋もれた歴史 四国の蜂起


したらば資料集より。
スレ77~91

「埋もれた歴史 四国の蜂起」(はじめに) 2010年 9月3日~、アルゴラブ氏

これより紹介する記録は、今から19年前、幸福の科学(以下HS)がミラクル伝道やフライデー事件を展開し、教団が大きく変質した年に、四国の高知県内のミニ教祖に関わる会員の混乱を始まりとして、やがて四国本部全体を巻き込む状況に発展した問題の核心に触れる文書です。
かれこれ20年も経過しようとする、いち地方本部内の出来事ですが、本件の中にはHSについて考える上で、重要な要素をいくつか含んでいると思います。健全な良心と理性による批判的精神をもって、自己の責任において主体的判断を下すことを躊躇わない、受け入れる準備を整えた方々にこの記録を提供します。
前置きが少々堅苦しいですが、まとまった情報公開はこれが初めなので、一応キチンとしておきたい信条です。またこの記録には本来伏字などありませんので、実名の是非はかなり考えましたが、当時立ち上がった方々は、その時点で真剣であった訳であり、その後紆余曲折して仮に心変わりされているとしても、この時の覚悟に対する敬意として、可能な限り実名で行います。
この件の総体を案内するため、かなり長文になりますので、投稿は分けて行います。それでは参ります・・・

「埋もれた歴史 四国の蜂起」Ⅰ

1992(平成3)年11月の末、徳島市内に住む善川三朗顧問氏は、前日までは予期していなかった慌ただしい朝を迎えたことでしょう。同県の職員であり、HS草創期からの古参の会員でもある安田一男氏の文責による直訴状が届けられたからです。まず、以下にその全文を公開します。

「真の聖地四国の発展を願って -決意及び提言書ー 」
徳島支部課長補佐 安田一男
以下賛同
高松支部名誉財務部長 朝日俊彦
高知支部支部長    山崎節郎
高松支部支部長    新開敏正
徳島支部支部長    近藤 晋
聖地四国本部主任   長船幸治
同右職員       庄野昌美
徳島支部主任     辻 秀樹
同右職員       安井幾美
〃          後藤田安子
〃          中野賀津子
〃          池田英恵
〃          黒田和子    (※それぞれ署名捺印)

現在「宗教法人 幸福の科学」という団体そのものが危機的状況に直面している最中、今こうした行動の挙に出ることの是非につき私もずいぶん悩みました。しかし、私自身が現在も活動の足場とする聖地四国本部に対し、その組織展開の過程に少なからず関与してきた者として自らの責任を示すとともに、今こそ勇気を持ってこの組織内部に一石を投ずる行動を起こすことを決意いたしました。
この件によって生ずる私への責任は全て受ける所存であります。今までこうした決意なくして批判するのみに終始していた自分こそ「弱々しき善人」として恥ずべきであったと思い至りました。私の全生命をこの徳島に、聖地四国に捧げるつもりです。
切にご理解いただきたい点は、これが混乱を引き起こすための扇動では断じてないということであります。この徳島を、聖地四国をよりよくするための意見が徹底して議論される余地と、自浄作用の効果に大きく期待するものあっての決断であります。

ー聖地四国本部幹部職員についての感慨ー
聖地四国本部におきまして、現S本部長、T課長がこれまで各立場にてご尽力されてきたことには、充分敬意を払うに値するものがありますが、反面現在に至るまで生じてきた他のマイナス面、あるいは歪みについて、もはやこれを正さなければならない重大な局面にきていると思われるのです。いうならば一種の専制とも独裁ともいえる体制が、組織の硬直化を引き起こしてしまっているということです。
まず、本年度の地方拠点展開と本部組織編成時において、ほとんど無計画的に支部を作り、各支部現場に起きた人材の流出が、支部の発展期において、組織の弱体化を招いてしまった事実があります。このことは、現場の状況を無視した人材配置と不適当な時期の人事異動によって、有望な人材がその能力を生かされず、その時点において限られた人員がさらに必要以上に四国から流出してしまったことに主な原因があると思われます。
また、四国の各地に優秀な人材が居ながらも、各支部基本組織に不活性をきたしている要因は、仏陀様への信仰心としての数字のみで完全に上意下達が優先していることが第一にあげられます。その上意下達式命令系統により、自由闊達で建設的な意見を提言しにくく、提案しても汲み取られずに、常に「信仰心」を盾とした偏向的とも思われる論理によって切り捨てられてしまうのです。そうした、苦言もままならない重苦しく暗い雰囲気が本部幹部職員にあるところに、こうした愛なき威圧と裁きそのものの実態があるのです。
事実、切り捨てられ、排除されて、一線を退いてしまった方々には、もっと幸福の科学の発展にとってお力を発揮していただきたい人材がいるのです。
そうした事の弊害が、現在四国各地に面従腹背を横行させ、一致団結した聖戦への戦意を喪失させ、結果として今ではもはや、集金実績第一主義の、まことにすっきりしない波動がこの聖地四国を覆っているのです。
本部幹部職員はこの現実を厳しく受けとめ、その愛なき指導力と指導方針に大いなる反省が必要です。
(提言書P1 続)

「埋もれた歴史 四国の蜂起」Ⅱ

ー提言ー
右の感慨を持つ者として、今後私が切に希望していることは、本部幹部職員の中でもS本部長、T課長に、もっと真剣に各支部の支部長、職員、他の会員の率直な意見というものを聞いていただきたい。その中から教訓に足るものを抽出していただきたい。今だ表面には出てこないが、心の中に意見をお持ちの方々の話を聞いていただきたいということなのです。
こうした人心の乖離と荒廃をどう考えておられるのでしょうか。もうこれ以上の事態の悪化は許されません。
今こそ心と心の交流という、神理の団体の原点から出発すべきです。その上でこれからの聖地四国をどうするべきかという合意のもとで、心から1つにまとまった聖地四国を再建すべきであると考えます。

S本部長の理念である「最も愛と光に満ちた聖地四国」が現在の状態で本当に浸透しているのか疑問であります。会員に対して、自分の意にそわない者は会員であることをやめていただきたいとまで言うことは、恐怖感をもって服従させているのであって、そこに心の通い合う余地はありえないのです。このことに対する無言の抵抗が、各支部のブロック長やチーム長をして、自ら役職を退くという事態につながってしまったのです。
かつて私は、これほど愛なき四国の状態を知りません。ともすれば上に篤く下に権威主義的な抑圧をかけるという、そこに愛の欠如を感じざるをえません。決してこのことは私個人の偏見でもないことを知っていただくためにも、他の多くの方々の意識調査をされたらよいかと思います。どれほどの不満が今、会員間で語られているかを知るべきです。

当地におきましては、善川顧問先生が常々この聖地四国の趨勢にお心を砕いてくださっています。しかし、現在その顧問先生の貴重なご意見がどれほど聖地四国に反映されているのか。良い情報はお耳に入れるが良くない情報は操作して隠そうとすることを多くの会員は知っています。そしてご指示は表面上でしか実行されていない。こうしたことは目に余るものがあります。
例えば「フライデー事件」の、会員や一般の方に対するタイムリーな状況説明の取り組み方がそうであります。そうせよというお声が無視された形でありました。「反省瞑想修法」の実態しかりであります。これも顧問先生の意にはそいかねるものであったはずです。一体この「反省瞑想修法」とは何であったのでしょうか。総合本部の活動方針ではないはずのものを最優先していたのではないでしょうか。機を見るに敏であられる顧問先生のご意見というものを、もっと尊重し実践に役立たせてこそ、感謝の意を表し報恩していくことではあるまいか。

心ある多くの会員は聖地四国におはす顧問先生を慕い、熱意ある活動をして今の幸福の科学を財政面でも懸命に助力してくださっていますが、現時点まで各人にどれ程の負担をおかけしているかの情報収集をし、会員に対するしかるべき感謝と、そして1人1人を大切にしているかということを検討されるべきであります。

先日、坂口統括部長によって、今のこの現状に対し総合本部側からのこれまでに至る事情説明と反省の弁が発表されたが、残念ながら今だ聖地四国本部より、そのことに相応した反省の弁が聞かれないのはいささか納得しがたいものがあります。数以外の理想もなく無理な計画を圧力で実行し、ことここに至るまでには聖地四国本部としてもその指導方針が万全であったとは認めがたいものがあると思われます。
(提言書P2 続)

「埋もれた歴史 四国の蜂起」Ⅲ

ー聖地四国本部に係る責任の具体項目ー
  • バブル伝道の推進とその責任。(個人の実績評価への執着が潜在)
  • 戦略、戦術面において、現時点での組織の実力とあまりにもかけ離れた作戦の企画と、その欠陥による責任。(ありんこ作戦)
  • 経済面における会員の尊い布施の心に無配慮な、経費等の無駄使いと無計画な乱費(過度な出張と宿泊費等)が、今日の財政難に及ぼす影響は大きい。(この件に関し1部資料あり)
  • 前途ある人材である1職員(愛媛のI氏)を休職に追い込んでしまったことの責任。他の職員(本部の長船氏)に対する冷淡な扱いと処遇、一方的な処置。職員は休日なしとする一方的措置。
  • 拠点展開における戦略の失敗と、現在も続く拠点費用の無駄使い。(幡多支部存続、四国本部2フロア分家賃、本部職員寮空室の件)
  • 高知支部のF女史とその周辺の人物に対する誤った認識に基づく、不当な肩入れが招いた当地の混乱。(証言者の資料あり)
  • 不適当な人事異動による、高松、松山、両支部の地盤沈下の責任。

ーS本部長に対する見解ー
  • 「中道の精神」、「八割二割」の考え方が無視された近視眼的発想。
  • 法を伝える講師としての資質は評価できるが、リーダーとしての資質に欠ける。
  • 総じて不振の責任を他に転化し、活動の目標管理においても必達出来なかった時点で、指導した側の反省がまったくない。これでは全体の調和も発展もなく、人の心にあきらめと敗北感のみが残るように思う。

ー希望を託するための提案ー
  • 本部課長職の権限行使範囲の適正化。
  • 支部長の権限の確立。
  • 愛と信頼の人間関係をとりもどす。
  • 思いきった本部内部の刷新を計り、どうすればよりよくなるかの再建策を練る。

平成3年春まで感じられていた、南国四国にふさわしい、あの暖かい雰囲気がなくなって久しい。
周囲を海に囲まれ、1つの島の4つの郷に住み、家庭的で笑顔のなかで活動していた仲間たちがいとおしい。
1日も早く本来の姿を取り戻して、仏陀様のために皆が心から満足と感謝のうちで活躍できる聖地四国としたい。
(提言書P3 続)

「埋もれた歴史 四国の蜂起」Ⅳ

ー敬愛いたします顧問先生ー
ついにやむにやまれぬ思いで、このような形で直訴させていただくことをどうかお許し願います。
先日はこちらの道場でとり行われました、古希を迎えられての感謝祭で、久々にお顔を拝見することができました。たいへんお元気なご様子と、また予想をはるかに超えて、先生を敬慕する会員の多くに参集していただけたことが、何よりもうれしく思いました。
私自身、初転法輪よりこの5年間のことがいろいろ思い出され、万感の思いでした。
徳島の地に赴任してからまもなく3年目。先生に名付けていただいた息子のMも満2歳となり、その元気さには私どもも驚かされることたびたびです。先生には今後ともますますご健在で、聖地四国の柱としてもご指導くださいますようにお願いいたします。
さて、ご報告も届いたかと思いますが、私どもの、この道場からの移居につきまして先日、顧問先生感謝祭の終了後にS本部長より話を聞かされました。その内容は次のとおりです。

S「安田さんには、私の周囲の方々の意見を聞き、この道場から移っていただくことにしましたので、上申書を提出します。決まりましたら徳島市内のマンションを借りてください。」
安田「突然の話ですからすぐには承服できません。県外に赴任という話ならばまだわかりますが。それにこの時期、費用がかかることをなぜですか。ここからも徳島の事務所に通っております。」
S「安田さん、それはあなたの自我我欲というものです。全託すべきです。後任はもう決まっておりますので早急に上申書を上げます。」
安田「そもそも徳島に住んでいた時は、この道場の管理人室よりも広いマンションに住んでいましたが、道場の管理人が早く決まらないと顧問先生もご心配なので、私どもが引っ越してきたといういきさつがあります。しかし住んでみて今では、子育てにも良い環境であったと満足しています。」
S「そんなことはわかってますよ。ここにいれば家賃もいらないし、管理手当も8万ですか、もらっているでしょう。」
安田「はい。そのことに関しましても感謝しております。」
S「子供も1人じゃだめです。法帰依ということもあるでしょう。もっと発展的にならなきゃだめです。」
安田「時期もあるので、私の希望としてはまだここに置いていただきたい。」

簡単にまとめると右のような一方的な会話の内容でした。
道場の管理はそれなりに落ち度なくやってまいりました。現在は徳島支部のサービス課員として11月には250万円の書籍、テープ、ビデオの注文確約をとり、資金推進も400万円借り入れることができました。天使の学校の講師としても県内を飛び回っております。第一この時期、私どもには恥ずかしながらお金がありませんし、引っ越し費用が出れば、今のこの幸福の科学の財政危機に供出したいくらいです。事実、11月も鳴門ブロック分200万円の資金推進で少しばかり協力したばかりなのです。先日行われました東京での神理学検定試験の優秀者表彰式も、経済的理由で出席をみあわせました。こうしたはなはだ個人的問題にも直面しておりますが、先日の顧問先生のご慈愛あふれるお言葉に深く感謝し、情勢が整い次第、鳴門もしくは徳島で新しく頑張ってみたいと思います。
さて、そのことを別にしましても、これまでの組織内部の諸問題に対し、もはや熟慮断行の時至ったと感ずる次第であります。真の聖地四国の発展を願い、他の心ある方々と連携しまして提言書を作成いたしました。ぜひお目をお通しいただければと思います。
断じてこの聖地四国を発展させ、顧問先生を真心よりお護りするとの心をもってのことであります。
どうかよきご裁断をお願いいたします。

平成3年11月29日    徳島支部課長補佐 安田一男


以上が安田氏ほか賛同者による直訴状の全文です。
そしてこの書面に対して、善川三朗顧問は即座にレスポンスをします。
(次に続)

「埋もれた歴史 四国の蜂起」Ⅴ

届けられた直訴状に対して、善川顧問はすぐに状況把握に乗り出した。
11月30日の土曜日、秘書を同行させ午後12時半過ぎから約2時間にかけて、聖地四国本部にて職員6名から聴取を行っている。
その時の記録を紹介します。

徳島支部会員サービス部 安田課長補佐
  • 四国各所で歪みがでている。もう爆発寸前である。(特に高知支部)
  • T課長は自分の仕事ができるということで他を見下している。
  • S本部長は顧問先生のご指示を頂いているにもかかわらず全然実行しようとしていない。自分勝手にやっている。
  • 意見を言っても反省が感じられない。
  • 12月1日(日)徳島池田にて賛同者が集まり、今後の聖地四国本部の新体制及び改善案等の決定を行う。私たちは破壊のための破壊をやるのではなく、よりよくなる体制、方針を考えている。会議の議事録については後日、顧問先生へ提出する予定。

徳島支部 近藤支部長
  • 11月29日(金)ポリバーンにて安田氏より意見書を見せられた。(辻主任同席)
  • 女子職員の心は離れてしまっている。
  • 今までお互いに話し合える空気はなかった。
  • S本部長は人の心の痛みがわかっておられない。人事面においてそれがよく現れている。
  • 指示の降ろし方、物の言い方に問題があり、人の意見を聞くというようなところはなかった。
  • 支部長を無視して指示を出し、責任だけを支部長に取らせるというのは問題である。
  • S本部長は自分自身を見失っている。部下の心がわからなくなってきている。一生懸命にやっていながら職員の心が離れていくというのは自分自身を見失っているということ。

徳島支部 辻主任
  • 意見書をみせてもらったとき内容は納得できたし、この通りである。
  • 四国には愛が感じられない。特に今年6月から感じられ、フライデー事件の時も非常に厳しく、一度話をしなければならないと思っていた。

聖地四国本部 長船主任
  • 本部長から後藤田さんとの婚約に対する反対があった。
  • 無理やりな課長主導体制をしき、S本部長の性格で、人事が勝手に行われている。
  • 支部長を無視した課長の行動は問題である。
  • T課長が各支部主任をどなりちらしている。結果、各主任が地区長に数字を厳しく降ろしていくために活動会員が離れていった。愛、慈悲なく厳しさだけでやっていた。
  • S本部長、T課長の人を追い詰めていくやり方は問題である。
  • 意見を吸い上げる土壌がなく、意見を言えば、人事異動を行うという独裁は問題である。
  • フライデー事件以降、2週間に1度の休日体制となり、その体制に対して意見を言うと、「それはあなたの怠け心だ。私は本部講師である。私の言うことが聞けないのか」と言ってきた。○○支部のM主任は疲労のため交通事故を起こしている。
  • S本部長、T課長の経費に対する認識がおかしい。S本部長については本部の財政状況を考えず、一方的に本部長権限で無駄使いをやっている。課長は徳島に赴任してすぐマンションに入るべきなのに2~3月間ホテル住まいをして40万近く浪費している。

聖地四国本部 庄野職員
  • 3~4日前、長船主任から今回の件を聞かされました。
  • 強制的人事、職員に対する言葉に問題があるように感じます。そこまでひどく言う必要があるのかと思えるものが多くあるように感じます。
  • 今回の事件がきっかけとなって四国が良くなればという気持ちです。

徳島支部 サービス部 後藤田職員
  • 職場に愛が感じられません。以前の職場(出家以前の勤務先)の上司の方がまだ部下のことを考えてくれていたように思います。神理を知らない人でありましたが部下を生かそうとしてくれていました。
  • 仕事をしていても裁かれている気持ちがしています。冗談1つも言えず、笑うことさえ出来ない状態です。

こうした聞き取りが進み、補足として本部長と課長の使用経費の詳細や、また高知のミニ教祖問題に関する一般会員からの報告書、またそのミニ教祖の霊現象を記録したテープが渡された。

そのほか安田氏の話の中にあった、新体制への会議は予定通り12月1日に池田かんぽ保養センターにて行われ
  • S本部長に対する退陣要求3名。執行猶予2名。暫定措置3名。中立1名
  • T課長には反省表明のうえ残留を認め、課長権限縮小または支部長へ降格等
上記を主なところとする提案が追って顧問に届けられることとなる。

この聴取から予想以上の事態の深刻さに気付いた善川顧問は、さらに多角的な状況把握のために行動をしていく。
(次に続)

「埋もれた歴史 四国の蜂起」Ⅵ

安田氏をはじめとする直訴状は、本質的には四国に限らず、この頃であれば全国的に多かれ少なかれ同様の状況であった現場の現実に対する蜂起となることは、この時期を経験した者であれば実感をもって読めると考えます。ただし当時の四国の場合は、それ以前にミニ教祖に係る問題で、総合本部も絡めた形で混乱や不信感が潜在していた点があることを先に紹介しました。直訴状には詳しく記載されていないこの件について別に報告された文書をもって、簡単に説明をしておきたいと思います。
なお、この文責も安田氏によります。

ー高知支部 F・W 問題についてー
善川三朗顧問先生
今回の決起に至りました元凶ともいうべき、高知支部におけるF・Wグループ問題について、詳細をご説明いたします。
WはFが経営する○○病院の看護婦婦長であるとともに、以前より霊現象のできるミニ教祖として、密かに周辺のGLA会員の信望を集めていた人物です。F女史がW女史の一番弟子として、かねてよりW女史の交霊会に参加し、数々の霊道現象に接してきたという事実は、高知会員のKさん提供の録音テープで明らかとなっています。F女史が幸福の科学に入会後、やや遅れてW女史も入会いたしました。
やがて幸福の科学の活動が活発になるにつれて、F・Wコンビの周囲には親FW派とでもいうような集まりが形成され始め、特に1989年の伝道開始宣言を境にそれがひとつの批判グループとなって表面化してきました。そのグループは約15名ほどのものでサンガーに帰依せず、(F女史は自らサンガーの帰依の拒否を公言)伝道もあまりせず、当時地区長であった深谷氏も悩まされていました。
1990年10月、当時の細川本部長がこのグループの実情を探るために、田原主任を高知に滞在させ、ついにその実体をつかみましたが、これの具体的処分にまで至りませんでした。
前田本部長もこれにさんざん悩まされ、意を決して総合本部活動推進局の藤井統括次長を高知に入らせ、W女史の除名、F女史の支部講師活動停止を断行しました。
現S本部長は、活動推進局次長当時よりF女史とホットラインで通じ、聖地四国本部次長として四国入りするや、積極的にF・Wグループへのアプローチを開始し、本部内のさまざまな情報を流していました。本部長となってからは、今まで高知の屋台骨として実績を築いてきた深谷氏や、大伝道期を支えていた活動会員らに対し、F・Wグループを裁いていると決めつけ、抑圧をはかりました。それがために高知会員の間に不信感と不満が錯綜し、当地に混乱を引き起こしていちじるしく組織力が弱められたのです。
S本部長はこのミニ教祖グループの霊的実体を見抜けず、そればかりか逆にその勢力を助長するような、執拗な働きかけを繰り返し、このグループの背後と霊的パイプをつなげてしまうことになりました。このことは、S本部長指導の「反省瞑想修法」により、各地に悪い霊作用が起きていることで推察できます。(W女史が以前より行っている交霊会では、エル・ランティ、大天使ミカエル、守護霊などの霊言を現象として演じていたが、それが幸福の科学の会員になってからも、会員の学習会と称して同様のものを行っていたのである)
今回、聖地四国の内部改革に立ち上がった根本の動機は、この元凶の一掃にあたり、認識力と霊的戦いがその裏でくり広げられていたことをご理解ください。
これが私だけの思い込みでないことを示すために、次の方々からも事情聴取されたらよろしいかと思います。
  • 細川 前四国統括支部長
  • 前田 前聖地四国本部長
  • 田原 前聖地四国本部主任兼顧問先生秘書

平成3年12月3日       徳島支部 課長補佐  安田一男

この報告書のほか、関係職員や一般会員からの調書が届けられていますが、内容に私的要素を多分に含んでいるがゆえに、掲載は割愛します。
文中にある「反省瞑想修法」とは、S本部長の独断により開催されたセミナーであり、1人7000円の参加費を徴収して実施されています。本部長自身は講義中突然声が変わったり、参加者に体調不良者が続出した様子です。
こうした内容に関しても、その後善川顧問は電話によって事態の把握を行ったようで、この動きが次第に総合本部、やがて大川を刺激して行きます。
(次に続)

「埋もれた歴史 四国の蜂起」Ⅶ

善川顧問は、この現状把握のために関係者から情報の集積をおこなっていますが、その中で賛同者には名を連ねていないものの、当初川島町に暮らしていた顧問を、徳島市内に住めるよう尽力した点でも交流のあった前高知の責任者で当時東京にいた深谷氏からも意見を集めている。安田氏の文責による以外のものとして紹介し、この投稿をまとめていこうと思います。

ー徳島支部 安田課長補佐の決意及び提言書についてー
このたびの聖地四国本部に関する問題につきましては、高知の山崎支部長、徳島支部の安田課長補佐より相談、ならびに報告を受けました。
総合本部が「聖エル・カンターレ祭」へ向けて、全生命を投入し仏陀様をお護りしようとしている時に、数週間前までお預かりしていた支部が混乱に見舞われていることを、自らの責任と深く考えております。
私が決意しましたことは、高知についてご報告申し上げるときに、一切の自分の保身を考えないということであります。自分が正しかったなどという考えは持たないという意味です。しかし、高知の事情をよく知っている人々には、東京在住の人を含めここ1週間の間にそれぞれの見解を求めさせていただきました。
まず、前提となります私の問題は、高知のF女史の結成するグループと2派に分かれていると、厳しくS本部長より批判されてきたことにあります。この問題は、細川、前田、両本部長時代より続いている問題で、すでに藤井次長様より、今年6月に結論を出していただいた問題が、それ以降も私のあらゆる行動や、発言はこの問題に結びつけられて処理されてきました。
しかし、今回相談を受けました高知の山崎支部長からの提言は、まったく今までの問題とは、事の本質が違っております。今、私も、語るべきことは、自らの責任を明確にする上でも語りたいと思います。

①F、W両氏への問題は、S本部長が聖地四国就任発表の時から、始まっているという事実です。今までに支部が経てきた長い間の事情を一切無視し、組織伝達を無視して自らを主張する個人接触を開始し、高知の中に批判グループを結成したということです。現在も支部組織を越え個人接触を続け情報が提供されています。
②これほど聖地四国全体が停滞した原因は、S本部長の常に会員に対する批判、裁き、威圧、おどし的な発言の連続にあったと思います。活動家をねぎらうことは一切ありませんでした。非活動家のすばらしさを強調するのみでした。非活動家とは、F氏を中心とする支部批判グループです。伝道しない者を可愛がるという本部長の指導を私は信じることが出来ません。
③S、Tの両役職者が全県より批判されておりますが、両氏はいつも一緒で、四国中を駆け廻っておりました。この旅費は、莫大なものだろうと当時より支部でうわさされておりましたが、一体、何を指導しようとしていたのかといえば、S本部長への絶対的な服従で、完全な専制、上意下達の「帰依」とでもいうべきものでした。
(深谷氏P1 続)

「埋もれた歴史 四国の蜂起」Ⅷ

④その例えは・・・
  • 今のままでは、幡多支部を除き、高知支部は解体します。
  • 数の必達がなければ、統合し職員は給与面も引かれていきます。
  • ありんこ作戦の動員達成がなければ、主任は、マイナスカウント1、カウント2としていき、カウント3になった場合にはバッジもはずし、退職していただきます。
  • 仏陀様からのご指示です。仏陀様への信仰心を示して下さい。
  • 私はあなたがたに伝道数を伝えました。あとはあなたがたの責任だけです。といったものでした。
⑤この代表的なものは、「反省修法」と呼ばれるわずか10名程度の参加のもので全額\7,000円というものでした。活動家も最初は参加していたのですが、頭痛、不快感、体調を崩しほとんどが参加しなくなりました。この現象は、他の支部でも多くの体験者がおり、会員間の不信を呼びました。現在もまだ企画中という情報があります。
⑥支部の統廃合についても、現状からすれば幡多支部は、高知に統合されるべきものです。それが発想が逆で、高知を解体し、幡多支部にすると威圧する考えは、どうしても会員の納得のいくものではありえないのです。
⑦人事に関しては、独善的で支部長にも聞かず聖地四国全体がバラバラで壊滅状態をつくりましたが、その責任を職員にほとんど転嫁する発言が多かったことです。

わたしは、高知におりながら、何の指示もあたえられず、また会議での発言権もなく高知を2分化した者として閑職のまま、4カ月間おりました。その間自発的に、山崎支部長と天使の学校と献金、また旧会員の掘り起こしをやってきましたが、その私に「閑職はつらいでしょう」という、どう理解すべきかわからない言葉をかけられました。
現在、活動推進局で各支部の状況というものを学ばせていただいております。各支部の比較の中で、支部の持つ悩みを少しづつ理解していますが、しかし今の聖地四国は体験者として異常な状況にあるとははっきり断言出来ます。
わたしは、聖地四国本部の組織的な批判は別にして、今は、全四国が改革を興す時期であると思います。ただただ会員は恐れおののいているばかりではなく、組織の責任は責任として明確にして、仏弟子個人こじんの責任を果たす時であると思います。そのためには、ただ従うだけの意識ではなく、自らの支部を自らの力で創るという本当に良い意味でのつきあげが必要です。
安田課長補佐の提言は聖地四国の、特に高知への革命の提言であると確信します。最初は組織批判的なものでしたが、多くの会員と接した後は、組織的な批判や人事の不満を超えた聖地四国のための危機感からくる使命であると感じるからです。

平成3年12月2日   前聖地四国本部部長 現東京本部会員サービス部長  深谷展弘

善川顧問が集積した意見は、おおむね安田氏の直訴の内容の裏付けになるものでした。
根本的にはこうした直訴のような行動を良しとは思わないものの、大川に比べれば、道理と情に通じた顧問としては、その日に至るまでの会の運営に対する苦々し想いも含めて、この件に対して自らの意見を総合本部に向かって言わずにはいられなくなります。
この四国での善川顧問を通じての職員の蜂起が、その後どういう顛末を迎えるのか。最後に次項で紹介します。
(深谷氏P2 続)

「埋もれた歴史 四国の蜂起」(おしまいに)


善川顧問の意思が、最終的にどのように総合本部、大川らのところに届けられたかは、残念ながら確認する術がありません。しかし、本部長人事が絡んでくることから、必ず安田氏の話や顧問の意見は多少なりとも届いているはずです。この時期はすでに東京の大川サイドと徳島の顧問サイドは没交渉でしたから、この件を伝えた人は骨が折れたことでしょう。
どのように伝えられ、どのように答えたかは不明ですが、結果を見れば意思を知ることができます。

S本部長は、他の地方本部に転勤。ただし降格ではありません。本部講師としては格下げを食らっていたようにも記憶していますが、要は懲戒ではなかったこと。(ここはうろ覚えですが確か北海道だったように思います)
T課長は、そのまま課長職に残留。現場から総批判を受けた訳ですから、権限の縮小はあったでしょうけれども、本部拠点が徳島から高松に移ったりして、さほどダメージなく職員として生き残れました。
一方で賛同した職員の方々、その後1年の内に半数が、財政難や神理学試験の成績評価を理由に退職を余儀なくされています。
また支部活動は、結局数の論理の全体的な流れの中に置かれ、やがて妥協が生まれていきました。
そして安田氏は、当初は道場の管理人から徳島支部勤務の予定が、この件の引責で、表向きは財政難によるサービス部員のリストラ対象としてリストの先頭に載ったところが、善川顧問と東京サービス部長であった深谷氏の人脈に密かにひとまず救われ、東京のサービス部員として転勤します。
東京では、草創期からの歴史を知り、HSの教義体系についても十分すぎる蓄積があったことから、出張講義の依頼を多く受け、また支部が講演会チケットの販売数水増し報告を行ったことによる、会員が無駄な自腹購入を繰り返す事実に直面した時は、徳島でと同じように会員をかばい、支部長や主任に意見するなどして信頼も集めていきました。
こうして東京での生活が軌道に乗るかに見えた矢先、終わりは突然にやってきました。
好評だった出張講義の様子が月刊誌に取り上げられ、それが大川らの目にとまることに。「なんで安田がまだいるんだ?」これで安田氏の職員生命は絶たれることになりました。しかしご本人はご存じないでしょう。「安田一悟」というペンネームで出版した本は、大川を礼賛するものであり、それには気の毒なほどの忠誠心と、また、自身の有り様に悔しさと自己顕示も垣間見る感じがします。

約20年前の記録、その後現在何か変化はしたのでしょうか?
本質が変わらないのですから改善しようがありません。
本稿は資料提供を目的としたものですので、ここにてさらなる検証をすることは致しません。
ただひとつ主張しておきたいことは、大川らは、この愛すべきけなげな人達を軽く切り捨てたということです。

この記録が判断を求める同胞にとって、多少なりとも考える糧を提供するものであることを期待します。
最後に長い記録の投稿をさせて頂きました管理人ウエストさんに感謝します。


  • おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk氏のコメント
やはり佐竹は骨の髄までカルトウイルスにやられてしまってるんだね?
信者騙しのために自分に嘘をつきながら始めた事柄であったにしても、
やがてはその自分の「言の葉」「言霊」によって嘘の自分のつもりが本当になっちゃうの。

但し、そんな佐竹の口を突いて出てくる悪霊言葉に騙されて
”佐竹館長”という権威に踊らされてしまうような無定見な信者が群れを成す有様もおぞましい。

今の幸福の科学、はっきり言って唯物論以上に有害な存在。
ひたすら地獄へ突き進まんとするレミング(北米大陸に生息する旅ネズミ)の死の行進から脱却できない信者らは
そのまま死地に向かうしかないのであろう。

まことに、愚かなことほど罪深いものはない。

  • アイマイミー ◆3PbKvlyfLs氏のコメント
アルゴラブさん ありがとうございました。

たしかに、その事件というか告発がありました。かすかな記憶がよみがえりました。
総合本部では、ひそひそ話の世界だったと思います。
うろおぼえですが、小澤-竹内ラインか、活動推進のラインのどちらかが処理したのでは・・・

狂祖にも、なんらかの報告がいっているはずですが、どういうものかは、覚えていません。
ただ、あのころの狂祖は、講談社との抗争のため、練馬区の自宅をでて、ホテル住まいでしたから
また、鬼嫁が善川顧問を毛嫌いしていましたから、告発そのものは受け入れられていないはずです。


安田氏は、確かに東京に戻って退職しました。挨拶にきたのでびっくりした記憶があります。
善川顧問の秘書は、当時は、U君ですかね。昨夏衆議院選のやる気のない候補者でした。
秘書が東京から派遣したT君だったら、「四国でいやなことがあった」といって退職しましたが・・・

T課長は、いま、四国にいるんじゃないかな?同じく、候補者でした。
深谷氏はお医者さんですよね。善川顧問に家を貸していたひとですね。

少しずつ思い出してきました。この話は実際にあった話です。

  • アルゴラブ氏、アイマイミー氏へのコメント
アイマイミーさん
お読み下さってありがとうございました。
事実のお墨付きを頂き心強いです。
善川顧問の東京との最後のパイプは、小澤氏か勝屋氏かなと推察していました。ご両人ともその後哀しく去っていかれましたね。
安田氏は朴訥として愚直な、良い人柄の方でした。その名誉は守ってあげたかったのです。変な言い方ですが、ペテンに組する器用さはない人です。ただちょっと神理オタク的な感じで、大川を見抜けなかったのだと思えます。
同行した秘書は確かにU氏でした。顧問にずいぶん可愛がられていましたが、まだ職員でいるのは私も選挙時に見ました。色々知っているはずなのに、どこかで折り合いをつけてしまったのでしょうか。
T課長も現役ですね。この人はこの事件後も色々やらかしており、S本部長から交代したH本部長が何かと揉み消していました。結局反省ゼロ(確信的)だったということです。
深谷氏は体格の割には小声で、おだやかな腰の低い方でした。この一連の事件で大変傷ついておられました。
四国には今でもどこか、このトラウマが残っているように感じます。先の選挙時、会員の信仰と投票行動が一致しなかったと苦しい弁明をさせましたが、もともと会員がいないのか、あるいは反骨の土壌が残っているのか、後者なら頼もしいですね。
そうした事もあって、この事件を公開しようと考えていたところ、先の資料の問題も重なり踏み切りました。
ご参考になる点があれば幸いです。

ウエストさん
記録を消さないよう、個人的にもご協力頂けること、とても有難く嬉しいです。
さほど目を引くスキャンダラスな出来事ではなく、地味に蓋をされた事件ですが
日常的な部分で、団体の歪さに悩む方々には、過去を知って頂くことはお役に立つかも知れません。
HSを石もて追われた人達の質は、こういうものだったのだという事実に着目して頂きたい一心です。


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最終更新:2012年09月15日 02:05