虚無と獣王-33

33  虚無と伝説の剣

クロコダインはルイズをその背に隠すような形のポジションを確保すると、4人のワルドをその隻眼で睨みつけた。
肩に乗っていたフレイムはブレスを吐いた後、素早く床へと降り立ち、床に座り込んでいたキュルケのもとへと駆けつけている。
途中まで同行していたサンドリオンの『遍在』は、現在レコンキスタ艦隊所属の竜騎士たちを相手にしている筈だ。
礼拝堂へと急ぐ道筋において、時間最優先でいくつかのフネをフライパスしてきたのだが、相手がこちらを見逃してくれる訳がない。
不用意に近付いてきたメイジを通常の3倍近い長さのブレイドで斬って落としたサンドリオンは、なんとそのまま主のない火竜に飛び移った挙げ句、気性の荒い事で知られるそれを尋常ではない目の力だけで服従させた。
「必ず追いつく。先に礼拝堂へ!」
短く告げる言葉の中に焦りの様なものと、それを押さえつけて最善を尽くそうとする意志を感じ取ったクロコダインは、短く「恩に着る」とだけ言い残してその場を後にする。
その後、礼拝堂の大きさからして翼竜は身動きが取りにくく敵の的になると判断し、ワイバーンを『魔法の筒』に格納した上で屋根を突き破り──現在に至るという訳である。

ルイズの目を通して大体の事情は把握していたクロコダインだが、視界が同調していたからこそ判らない事もあった。
ルイズの心身状態である。
ざっと見たところ大きな怪我はなさそうで密かに胸を撫で下ろすクロコダインだが、だからといって裏切りを働いた男を許す理由にはならない。
体の怪我はある程度見れば判るが、心の傷は外からは判らないからだ。
ワルドを露ほども疑っていなかったルイズにとって、この背信はいかほどの衝撃であったかは想像に難くない。
故にクロコダインは無言のまま腰のデルフリンガーを抜き放ち、その切っ先をワルドへと向けた。
「相棒といると飽きなくていいねえ、今度のお相手はスクエアメイジかい!」
カタカタと陽気な声で鍔を震わせる大剣は、既に刀身を輝かせた実戦モードだ。
「フレイム、キュルケをルイズたちと合流させろ。そこの御仁、すまんがまだ戦えるだろうか?」
ウェールズとはこれが初対面となるクロコダインである。
「この程度で音を上げる様では物笑いの種となってしまうな。父や部下たちに指を指して笑われるのが目に浮かぶよ」
余りにも突然現れた見た事もない獣人に最初は驚き警戒した王子だったが、『遍在』の一人を鮮やかに消滅させた手並みを見れば味方であるのは瞭然だ。
正直に言えば精神力の限界が近いのだが、ウェールズにも意地というものがある。
「無理はして下さるな。身を守るのが最優先でいい」
一旦言葉を区切り、クロコダインはルイズに語りかけた。
「後はオレの仕事だ。遅れてしまった分は、戦働きで返そう」


ルイズは己の使い魔に、何を言えばいいのか判らなかった。
純白のマントは黒く焼け焦げ、身を覆う防具もよく見れば欠けたりひび割れたりしている。
ラ・ロシェールでフネから見えたライトニング・クラウドは、やはりクロコダインに対するものだったらしい。
鎧の下の体がどうなっているかは判らないが、無傷であろう筈がなかった。そんな状態の彼が遅参を詫び、更に戦おうとしているのである。
これ以上傷ついてほしくない自分と、クロコダインの言葉を聞いて確かに安堵している自分がいる事に、ルイズは自己嫌悪を覚えていた。

クロコダインの宣言が終わるのとほぼ同時に、3方向から絶妙にタイミングをずらした『エア・カッター』が襲いかかる。
どの方向にかわしても一つは必ず直撃するコースで、うち2つは避ければルイズやウェールズに当たりかねない。
「唸れ、疾風!」
グレイトアックスから放たれた呪文は風の刃の2つを相殺し、残りの1つは敢えてかわさずそのままその身で受け止めた。
既に罅が入っていた鎧の左胴部分が砕けるが、その下の鱗にはうっすらと傷が浮かび上がるに留まっている。
「唸れ、炎よ!」
お返しとばかりに大戦斧からラインスペルに相当する炎熱系呪文が発動しワルドへと向かったが、これは2人分のエア・ハンマーによって軌道が逸らされてしまった。
更に一瞬の間をおいてフレイムのブレス攻撃があったが、こちらはレビテーションで回避される。
そのまま浮かび上がったワルドと正面に立っているワルド、こちらから見て左手側にいるワルドが同時にエア・ハンマーを放つが、標的となったクロコダインは『気』を防御に回してブロック、文字通りその身を盾にしてルイズを庇った。
しかし間髪入れず一番奥、ブリミル像の真下に陣取ったワルドが『マジック・アロー』を唱える。
直撃すれば屈強な戦士でも即死する強力な呪文を立て続けに5発、飛竜すら撃墜可能な魔法攻撃だった。
『閃光』の二つ名は伊達ではないと言わんばかりの詠唱速度である。
対して、クロコダインに攻撃をかわすという選択肢は存在しない。背後にルイズやキュルケたちがいる限りは。
今までの風魔法とは異なり、『マジック・アロー』は熱量を矢として相手にぶつける魔法である。クロコダインの防御力がいくら高くとも確実にダメージを与える事が出来ると踏んだ上での攻撃だ。
とっさに急所のみをガードしようとするクロコダインだったが、そこへ異を唱える声が上がった。左手に握られたデルフリンガーである。
「大丈夫だ相棒、そのまま俺をかざしな!」
反射的に大剣を前に突き出すと、あろうことか魔法の矢は淡く光るデルフリンガーの刀身に吸い込まれ、跡形もなく消滅しまった。
「いや、すっかり忘れてたぜ! こいつが俺の力の一つよ! 『ガンダールヴの左手』デルフリンガー様のなぁ!」
「デルフ、まさか、魔法を吸収できるのか!?」
「おうよ! ちゃちな魔法なんぞどうという事もねぇさ。大船に乗った気分でいいぜ、相棒!」
ノリノリな大剣の返答に、クロコダインは素直に感心する。
元いた世界には雷系以外の魔法を完全無効化する攻防一体型の武器が存在したが、魔法そのものを吸収してしまう剣というのは見た事も聞いた事もない。
ともあれ、これは予想外の幸運であった。思えばラ・ロシェールの戦いで2度のライトニング・クラウドの直撃に耐えられたのも、デルフリンガーがある程度威力を緩和していたからであろう。
なんにせよ、メイジにとっては天敵といえる剣を前に、これまでほとんど無表情だったワルドは微妙に顔を歪めていた。
逆に後ろで見ていたルイズは胸を撫で下ろしている。
先程の攻防では『エア・カッター』や『エア・ハンマー』が己の使い魔に直撃するたび、生きた心地がしなかったのだ。
いくらクロコダインがタフであっても、自分を守るために傷ついているのは紛れもない事実である。
しかしデルフリンガーの能力があれば、もうそんな心配も必要ない。
全く、よくも武器屋からこの剣を賭けチェスの賞金代わりに巻き上げてくれたものだと、ルイズはオールド・オスマンに感謝した。
しかし、ルイズのそんな心情を知ってか知らずか、クロコダインはワルドを目で牽制しつつデルフリンガーを逆手に持ち、そのまま後方──即ちウェールズの足下へ投擲した。
「デルフ、すまんが皆のことを頼むぞ」


「ってちょっと待て! そりゃあねぇだろ、相棒!」
「クロコダイン!?」
「そんな、無茶よ!」
一瞬の間も置かず、剣と2人の少女が叫ぶ。
デルフリンガーはやっと巡り会えた相棒、神の盾ガンダールヴにこれから振るわれるのだとばかり思っていたし、ルイズとキュルケはどうしてクロコダインが自分に不利となる行動に出たのか判らなかったのだ。
一方、ウェールズは、床に刺さった大剣を右腕で引き抜くと、左肩の痛みを無視してゆっくりと構えを取った。
「……確か、デルフリンガーと言ったね。すまないが協力してくれないかな」
ウェールズには朧気ながらクロコダインの真意が見えている。
クロコダインに魔法が効かないとなれば、ワルドは確実に自分たちを標的としてくるだろう。元々ウェールズ殺害が目的の様であったし、ルイズやキュルケが人質に取られたらその時点でチェックメイトだ。
それを防ぐには先程までのようにクロコダインが防御に専念しなければならず、しかしそれでは攻撃に移れない。
だが、こちらに魔法吸収能力などというレアな能力持ちのインテリジェンス・ソードがあれば、また話は変わってくる。
相手がこちらへの魔法攻撃は無駄だと判断すれば、クロコダインが足を止めて盾役に徹する必要もなくなるのだ。
とはいえ懸念がない訳ではない。
少なくとも風系の遠距離魔法は吸収できていたが、デルフリンガーがどこまでの性能を持っているかは未知数だ。
またウェールズには剣の心得があるのだが、それはあくまで近距離戦闘魔法のブレイドを用いるのが前提である。
実体剣などはあくまで平民が使う武器であり、しかも150サントもあるデルフリンガーを自在に操る自信など彼の内には存在していなかった。
もっとも、これが自分の役目であるという事をウェールズは認識している。剣と同じくらいの身長のルイズは論外としても、キュルケにも大剣が扱えるとは思えなかったからだ。
まあ仮に彼女らがメイジ殺しの様な実力の持ち主だったとしても、戦いを押しつける様な真似などできはしなかっただろうが。

「ああ、もう仕方ねえ! 魔法はこっちに任しとけ、隙があったら斬りかかってもいいからな!?」
ウェールズの手に収まったデルフリンガーはそんな愚痴めいた台詞をこぼした。
手に取った者の能力を読み取れる能力を持ったこの剣はウェールズに対してさほど期待を抱いてはいなかったが、床に刺さったままよりは遙かにましであろう。
6000年の長き時を経ているせいか、普段は昔の事や自分の能力等には霞がかかった様な状態であるのだが、今日は違う。何故かはわからないが絶好調と言っていい。
だから、デルフリンガーは敵であるワルドに対してどこか違和感を覚え、手負いのウェールズをフォローするべく自分の柄を握ったルイズの能力を自動でスキャンし、結果として心の底から驚いたのだった。


ルイズという少女は、心の中にひとつの理想像を持っている。それは魔法に熟達し、弱き者を助け、敵に決して背を向けない立派な貴族の姿だ。
それは『貴族とはかくあるべし』という両親の教育の成果であり、また両親の背から自分で学び取ったものでもある。
しかし幼い頃はルイズにとっての目標であったそれが、魔法発動率が限りなくゼロに近いと揶揄される様になってからは重圧となっていた。
故に彼女は座学においては常に学年トップの座を譲り渡さぬ位熱心に勉強してきたし、実技においても『どうせ失敗するのだから』などという理由を付けて手を抜く様な事など考えもしなかったものである。
クロコダインの召還に成功してからは些かその重圧も薄れていたが、先日のフーケ討伐において人質になってからは自分の魔法について再考せざるを得ない状態となっていた。
ルイズにとって、誰かの足手まといになるのは最大の禁忌であり、敵に対しては何としてでも一矢を報いたいと思う。
──それが、10年前から心の支えの一つであった婚約者であったとしても。

クロコダインは敢えて自分に攻撃を集中させようとしている。
それはこのメンバーの中で耐久力が一番高いのが己であるという自覚があったからだが、他にもいくつかの理由があった。
今、彼の心の中には怒りが満ちている。
それはよりにもよって主であるルイズを裏切ったワルドに向けたものでもあるが、ルイズを危険に晒した自分に向けたものでもあった。
もしキュルケがこの場にいなかったら、もし自分の到着がほんの少し遅れていたら、間違いなくルイズの命はなかっただろう。
それを考えれば、自分が魔法吸収能力を持つデルフリンガーを使える道理がなかった。
少しはこの身が痛い目に合わねばルイズに申し訳が立たないと、無骨な獣人は本気で思っていたのである。


ワルドからは『エア・ハンマー』『マジック・アロー』といった攻撃魔法が矢継ぎ早に放たれていたが、クロコダインは全く防御せずに全ての『闘気』を攻撃に割り振った。
怒りは力に変換され、不可視の槌は一瞬の足止めにすらならず、魔法の矢が鎧を砕き鱗に突き刺さってもまるで意に介さず、大戦斧の一撃が『遍在』の一体を両断する。
鈍重な印象を受けがちな巨体は恐ろしく俊敏に動き回り、『エア・カッター』の半分以上は彼の体を掠める事も出来なかった。
流れ弾の様にルイズたちの方へ向かった魔法は、全てデルフリンガーに吸収されている。
ウェールズが残り少ない精神力で発動させた水系統魔法によって、彼らの周囲にはごく薄い霧が立ちこめており、目に見えない風魔法を捕らえやすくしていたのだ。
左肩の傷が響く王子をフォローするべく、ルイズはインテリジェンス・ソードを彼が取り落とさないよう必死に握りしめていた。
キュルケとフレイムはワルドが格闘戦を挑んできた時に備え、それぞれ本体とも『遍在』ともしれぬ姿から目を離さず警戒する。
こちらからも攻撃を仕掛けたいのは山々なのだが、目まぐるしく動き回るワルドに対する有効な魔法が無かった。
追尾能力がある『フレイム・ボール』は精神力不足で唱えられず、『マジック・アロー』や『ファイヤー・ボール』は風メイジに対しては相性が悪すぎる。
回避されるだけならまだしも、軌道を反らすことでクロコダインに当てられでもしたら目も当てられない。
臍を噛むとはこのことか、と血の気の多いキュルケは美しい顔を歪ませる。
そしてルイズもまた、悪友と同様の思いにとらわれていた。
2体の『遍在』を潰されたワルドは新たに1体の分身を生み出している。1体しか出てこないのはさしもの彼も精神力の限界が近いのか、それとも油断を誘う為の擬態か。
倒した筈の敵が無傷で再び現れるのというのは、精神面において大きなダメージとなる。しかし、ルイズの目に映るクロコダインは臆する素振りなど欠片も見せてはいなかった。
むしろワルドが4人がかりでようやく互角の戦いに持ち込んでいる印象すら受ける。なればこそ、ここで加勢できていれば一気に勝負をつけらける筈なのだ。
唇を噛みしめるルイズに、先程から何故か無言だったデルフリンガーがぼそりと呟いた。
「なあ娘っ子、相棒を助けてぇか」
「当たり前でしょ!」
喰ってかかる様な少女の返答には全く怯まず、そのままの口調であっさりと剣は鍔を鳴らす。
「だったら話は簡単だ。後生大事に抱え込んでるオルゴールの蓋を開けりゃいい。それで全部解決だ」
怪訝な顔をするルイズに、デルフリンガーは言葉を重ねた。


「いいか、相棒は間違いなく『ガンダールヴ』だ。じゃあその相棒を召還したお前さんは何者だ? かつて神の盾を召還したのは一体誰で、どんな魔法が使えたと思う?」
「ちょっと待ってくれ! 君は、ミス・ヴァリエールが虚無の使い手だと、そう言っているのか!?」
周辺への警戒をしながらも、ウェールズの声は上擦っている。もっとも、始祖ブリミルの死後6000年もの間途絶えたとされていた虚無魔法の使い手が自分の隣にいるとなれば、それも無理のない話であった。
「デルフ……それ、本当なの?」
ルイズにしてもまさかという想いの方が強い。確かに自分が虚無の担い手ならば、常に魔法を失敗してしまう現象にも一応の説明はつく。
しかしさしものルイズも自分と始祖を同列に考えてしまえるほど神経が太くはなかった。
「だからよ、オルゴールを鳴らしてみりゃあ分かる話だって。ちゃんと『風のルビー』は填めてるし、『水のルビー』も持ってるだろ?」
どうやらこの剣、自分に触れた者の力量や能力を読みとる力があるらしい。
また『風のルビー』はともかく、『水のルビー』や『始祖のオルゴール』を持っているのに気が付いている辺り、装備品に関しても同様の力が発揮できる様だった。
「ラ・ヴァリエール嬢、残念ながら議論している暇はない。ここは彼の言う通り『始祖のオルゴール』を使ってみてはくれないか」
幸いクロコダインが攻めに転じている為、ウェールズやルイズに対する攻撃は収まっている。
6000年もの間、その使い手がいなかったとされる虚無魔法にどんな効果があるのか全くの未知数ではあるのだが、少なくとも状況が悪化する事はあるまい。
「しかしまあなんだな、あの兄ちゃんも操られて相棒と戦う羽目になるなんざぁ、余っ程ツいてねえんだろうなあ」
王子に促され半信半疑のまま懐のオルゴールに手を伸ばしたルイズは、「あ、また一体やられた」と感心しているデルフリンガーの独白に思わず動きを止めた。
「操られて……って、今そう言ったわね!?」
「ああ、なんてーか今日の俺ぁちょっと冴えててな、色んな事を思い出してんのよ。だからあの風メイジが俺と同じ先住の魔法で動いてんのも判る」
先住魔法。人間のメイジが使う系統魔法とは異なりエルフや翼人などの亜人が得意とする、精霊を使役する術だ。
「もっとも完全に操られている訳じゃねえみたいだがね。いいとこ8割ってとこか?」
細かい理屈はともかく、裏切りが本人の意思ではないとしたら事態はより複雑で対応が困難となった。
これまでクロコダインが倒したワルドは幸か不幸か全て『遍在』だったが、彼が操られていると判明した以上うかつな攻撃はできなくなるのだ。
更に『遍在』は当然本体と瓜二つであり、おまけに戦闘の常として激しく動き回っている。分身だけを潰すのは至難の業であるとルイズなどには思われた。
只でさえ不利な条件で戦っている使い魔になんと声をかけるべきか判らず口ごもるルイズに、しかしクロコダインから背中越しに声が掛けられる。
「大丈夫だ、任せておけ」と。


体が軽い。
フーケ戦の時に感じた、戦闘補助呪文を掛けられたかの様な身体能力の向上効果を、再びクロコダインは感じていた。
しかも、今回は前にも増して力が湧き上がってくるのが分かる。無尽蔵に『闘気』が溢れ出ていると言っても過言ではない。
だがその力を考えなしに揮う訳にはいかなくなった。
ワルドが操られているというデルフリンガーの指摘が彼の耳にも届いていたからだ。
目の前にいる『ワルドたち』は、外見においては全く見分けが付かない。
どれが本体か分からなければ取り押さえる事が出来ず、うっかり『遍在』と思って攻撃したら本体でしたでは笑い話にもならないだろう。
ワルド、もしくは彼を操っている者もそれが分かっているのか、戦いの最中にも巧みに体の位置を換える事で特定されるのを防いでいた。
否、ここは防いでいるつもりだったと言うべきだろう。
なんとなれば、ラ・ロシェールで白い仮面の男と戦った時の様に、クロコダインはワルドの気を探っていたからだ。
本体と同一の姿と能力を生み出す『遍在』の魔法であるが、ハルケギニアでは未知の存在である『気』を模倣するには至らなかった様だった。
本体を見分けられるのは大きなアドバンテージと言えるが、それでも相手を生け捕りにするのは簡単ではない。
普段より速く動けるのは確かだが、残念ながら本領を発揮した風メイジには及ばない。
何体かの『遍在』を倒せたのも、相手の虚を突いたという面が大きいとクロコダインは捉えていた。
決して少なくない戦歴を持っている彼であったが、ここまで動きの良い魔法使いと争ったのは初めてである。
かつて仕えていたが、後に袂を分かった魔王や大魔王、同僚であった竜魔人は体技にも魔法にも秀でていたが、いずれも戦士が基本となっていた感は否めない。
しかし唱える呪文や効果に差はあるものの、共通する部分もまた存在している。クロコダインはそれをルイズと共に出ていた学院の授業で学んでいた。
それを踏まえた上で、彼は以前おそるべき強敵に対して選択した戦術を使うべく、口元に凄絶な笑みを浮かべてこう言い放った。
「ワルド、あの『雷の魔法』で来い……!」


そうでもしなければこのオレの首はとれないぞ。
キュルケはそんなセリフを聞いた時、まず自分の耳を疑い、次にこの獣人の正気を疑った。
雷の魔法とは間違いなく『ライトニング・クラウド』の事だろう。
キュルケはお世辞にも真面目な学生ではなかったが、スクエア・クラスのメイジが放つそれがどんな威力を持っているか分からぬ程、愚かでもなかった。
しかもワルドは本体を含めあと3人。残りの精神力がどれくらい残っているかは未知数だが、雷撃が単発で終わると考えるなどという楽観的な予想は出来ない。
ならば、1人でも倒そうと少ない精神力に鞭打って炎球を作り出す彼女だったが、それを放つ前にワルドの呪文は完成していた。
刹那、耳をつんざく様な轟音と目映い光が広い礼拝堂を満たす。
雷は同時に3発がクロコダインに直撃し、更に間を置かず次々と襲いかかった。
『ライトニング・クラウド』の猛威は周囲にも及び、デルフリンガーに守られたルイズやウェールズはともかく、キュルケは危険を察知したフレイムに半分引きずられる形で距離を取らざるを得ない。当然『フレイム・ボール』は中断されている。
放たれた雷は計10発。頑強なトロール鬼を一撃で屠る力を持つ魔法がクロコダインに降り注いだのである。
通常、1体の獣人にここまで魔法が使われる事はない。戦場ではオグル鬼やコボルト鬼の群れ、また砲亀兵を擁した敵軍に使用される場合はあるのだが。
結果、当然の事ながら絨毯が敷かれた床は粉砕され、熱とまだ僅かに残る放電、床石材の土煙で周囲の視界は閉ざされてしまった。
あまりにも速い魔法の連打に思わず言葉を失うキュルケとウェールズだったが、しかし、そうはならなかった者が1人いる。
「ラ・ヴァリエール嬢……?」
当初、ウェールズはこの少女が精神の均衡を崩したのかと思った。
己の使い魔の危機になど意にも介さず、ただ虚空に耳を傾けている様に見えたからである。
しかしすぐにそれは間違いだと悟った。彼女の口からは今まで聞いたことがなく、どの系統魔法にも属さない、けれどしっかりとした文脈の呪文が紡がれていたからだ。
その手には蓋の開けられた『始祖のオルゴール』がある。
ウェールズの耳には何も聞こえないが、もし、デルフリンガーの推測が当たっているとすれば──。

濛々たる土煙の中で、何かが動く気配がした。
ほぼ同時に2人のワルドが反応する。
1人は最短距離を地面スレスレの『フライ』で飛び、もう1人は大きく廻り込む軌跡を描く。
そして後方にいる最後のワルドは、視界を確保し現状を把握する為『ウインド・ブレイク』を放った。
荒々しい風が埃を吹き飛ばすと、そこには顔の前で両手をクロスさせたクロコダインの姿が見える。
頭部、肩、腕の鎧は完全に砕かれマントなどもはや跡形もない。オレンジ色の鱗は黒く焼け焦げ、あちこちから煙を漂わせている。
元の姿を保っているだけでも驚嘆すべき事ではあるが、そのダメージが深刻なのは確かだった。
好機と捉えたのか、正面のワルドは『フライ』を解除し、その勢いのまま『ブレイド』で彼に斬りかかり──クロコダインが投げつけたグレイト・アックスの直撃を受け霞と消えた。
時間差で左側、すなわちクロコダインの死角へと回り込んだワルドは、得物を手放した獣人のリーチ外から攻撃すべく『ブレイド』の長さを延長させ──それを振るう間もないまま淡く輝く闘気弾を頭部に喰らい、『遍在』としての生涯を終えた。
クロコダインの左目はまだルイズと視覚がリンクしており、虚を突いたつもりのワルドの動きは完全に捉えられていたのだ。
更に言えば放出系の闘気は今まで使ってこなかった技であり、いかにスクエア・メイジとて初見で対応はできなかったのである。
残るは本体のワルドのみ、もはや己を守る盾はないこの状態で、グリフォン隊の隊長は敢えて矢面に立つ事を選択していた。
1体目のワルドが撃破された直後、ワルドは風の魔法を応用して天井近くまで跳びあがる。そのまま『ブレイド』を形成すると落下の力を加えた上で勢い良くクロコダインへと突き出した。
杖剣を中心に魔法力を集めて作られた刃はガードしたクロコダインの右掌を容易く貫き、更に肩にまで達したところでようやく止まった。


オルゴールから男のものとも女のものともしれぬ不思議な声が聞こえてくる。
古代語である。ルイズはこれまで自分が真面目に勉強してきて良かったと心から思った。
序文から始まるその声は、デルフリンガーの推測が正解であった証でもある。正直まだ実感が湧かないのだが、どうやら自分は虚無の担い手であるらしい。
眼はクロコダインとワルドを追っているのだが、彼女の神経は完全にオルゴールの声に集中している。
虚無魔法の説明と聖地に関する願い、そして注意事項を告げた後で始祖の名と共に序文は終了した。続いてオルゴールはルイズの一番強い願いを読み取ったかの如く、1つの呪文を紡ぐ。
『ディスペル・マジック(解除)』、それがその呪文の名前だった。

『ブレイド』は魔力で編まれている特性上、実体剣の様に切れ味が落ちたりする事はない。後は肩に食い込んだ刃をそのまま横に薙げばそれでこの戦いは終わる。
しかし、ワルド、もしくはワルドの操り主の予測は脆くも砕け散った。
クロコダインは『ブレイド』に貫かれた右手を引き抜かず、逆に押し込む様に前進しワルドの上腕部を鷲掴みにしたのである。
鍛えられた腕を4本指の右腕が握り潰さんばかりに引っ掴み、驚愕に見開かれる双眸をたった1つの瞳が睨む。
「ようやく捕まえたぞ」
口の端に笑みを浮かべた鰐頭の獣人は、思い切り息を吸い込み──そして吐き出した。クロコダインの奥の手のひとつ、零距離からの『焼けつく息』を。
避ける間もなくワルドの体は高熱で包まれ、しかし熱傷による痛みを無視して後退しようとする。自分の体を守ろうとする意志に欠けた、人形のような動きだ。
ところが意に反して長駆は全く動こうとしない。否、動けないのだ。それは『焼けつく息』に含まれた麻痺成分による効果だった。
ワルドを生かしたまま捕らえるにはこの技しかない。
そう考えたクロコダインはワルドを挑発する事で精神力を消費させ、更に『ライトニング・クラウド』を耐え切りさえすれば相手が接近戦を挑むと踏み、そのように戦いの流れを誘導したのである。

体の中に何かが渦巻いていた。
最初は小さな波の様だったそれは、詠唱が続くにつれ大きくなり、一定のリズムと共に溢れかえりそうになる。
生まれて初めての感覚だったが、ルイズは直感的にそれが呪文が完成する兆しだと確信していた。
得意な系統の呪文を唱えた時に術者が感じる独特のリズムについては彼女も両親や姉たちから聞き及んでいたが、つまりこれがそうなのだろう。
系統魔法のそれに比べかなり長い呪文が完成するのと同時に、ルイズはその魔法の効果を知った。
系統、先住を選ばず、全ての魔法効果を無に帰す虚無呪文。今の自分ならこの礼拝堂はおろかもっと広い範囲にまで効果を与えられるが、そこまでする必要はない。
故に彼女は出来うる限り効果範囲を絞り込み、ワルドの体だけに『ディスペル・マジック』を発動させた。

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最終更新:2010年12月06日 11:03
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