虚無と獣王-34

34  王子と獣王

クロコダインの肩を貫いていた『ブレイド』の刃が、突然消失した。
それはルイズの『ディスペル』がもたらしたものであったが、効果はそれだけに留まらなかった。
杖剣にかけられた『硬化』及び『固定化』の魔法はおろか、契約儀式による魔法発動の為のアイテムとしての効果も解除されている。
ただの杖剣になってしまっているので、仮に今呪文を唱えたとしても発動しないだろう。
そしてルイズの一番の望みである、ワルドの体を操っていた先住の魔法も完全に消え去っていた。とはいえ、ワルドが体を自分の意志で動かす事はまだ叶わない。
『焼けつく息』に含まれる麻痺成分は魔法とは無縁である。当然『ディスペル』でその効果が消える訳がなかった。

自分の魔法が発動したのを確認したルイズは、その余韻に浸る間もなくクロコダインに駆け寄る。
体中傷だらけの使い魔に、彼女は半泣きで頭を下げた。
「ごめんなさい、ごめんね、クロコダイン! ああ、どうしよう、こんなに火傷して……!」
元々クロコダインはこの世界には縁のない存在である。それが隣国の内乱騒ぎに巻き込まれたあげく、こんな傷を負ったのは全て自分のせいであると、彼女はそう思った。
「なに、この程度の傷など蚊に刺された様なものだ。どうという事もないさ」
そう言ってクロコダインは笑うのだが、『ライトニング・クラウド』10発を含め多くの風魔法を喰らっている以上、説得力には欠けた。
「それより謝らねばならんのはこちらの方だ。肝心な時に側にいれず、危ない目に遭わせてしまったな。本当にすまない」
「そんな事……!」
律儀な使い魔の言葉に、泣くまいと我慢していたルイズの涙腺がついに決壊した。


泣きじゃくる少女を前にしたクロコダインは、どうしたものかと困惑する。
多くの戦いを経てきた彼にとって分身する魔法使いと闘う事は別段苦にもならないのだが、自分の事を心配して泣く少女という存在はどうにも手が余る。
そんな中、天井に開いた大穴からひとつの影が飛び降りてきた。
その影はワルドの姿を捕捉すると、躊躇とか逡巡とか全くない感じで『ブレイド』を突き刺そうとしたので、クロコダインは慌てて制止する。
「待ってくれ、サンドリオン殿! 彼は単に操られていただけだ!」
その声のお陰か、『ブレイド』は硬直したままのワルドの首を皮1枚斬ったところでギリギリ停止した。
あと数秒声かけが遅かったら華麗に首が宙を舞っていたかもしれない。
体は麻痺しているが意識はある為、ワルドは内心冷や汗にまみれまくっているのだが、残念ながら外からそれが判る訳もなかった。
とりあえず刃を納めたサンドリオンはルイズの無事を確認し、仮面の奥で表情を緩ませる。
もっとも、目立った怪我がないのはルイズだけだ。
ウェールズは傷は塞がっているものの左肩には夥しい血痕が残っているし、キュルケも細かい擦過傷や小さな火傷は数知れず、髪も不自然に斬り落とされている。
なによりルイズが抱きついて離れないクロコダインは全身に火傷を負い、上半身の鎧はほとんど砕け散っている有様だ。
傷からの流血は止まりつつあるが、落雷の影響で体からは未だ小さな煙が上がっている。人間ならば生きているのが不思議なくらいの重傷であった。
「こちらは何とかなったが、上の様子は?」
怪我を意にも介さぬ様子のクロコダインの問いに、サンドリオンは敬意と畏怖を感じながらもそれを表には出さずに答える。
「差し当たって追ってきた竜騎士たちは全て墜としておいた。だがフネがこちらに侵攻しつつある。早く離脱するに越した事はないだろう」
さらっと言ってのけたが、実は追っ手の竜騎士は10を軽く越えている。それを短時間で全滅させているのだからサンドリオンの実力は相当なものだと言えた。
「失礼だが、そちらは……?」
デルフリンガーを杖の如く支えにしているウェールズの問いに軽く自己紹介する仮面のメイジを見て、クロコダインはそっと一息ついた。
いつの間にかルイズは泣きやんでくれている。後はギーシュ、タバサ達となんとか合流すればいい。
実を言うと、先刻から尋常ではない倦怠感と疲労が彼の体を襲っている。戦闘中に感じた身の軽さや汲めども尽きぬ様な闘気は、とある大魔王の空中宮殿の如く空の彼方へ消え去った様に思えた。
出来ればこの場で大の字になって寝てしまいたい位なのだが、これ以上ルイズに心配を掛ける訳にはいかないという一心で、クロコダインは努めて平静を装い続けた。


実はルイズが泣きやんだのには理由がある。
サンドリオンと名乗ったメイジがその理由な訳だが、ルイズにしてみればもう泣いている場合ではなかった。
背丈や体格、声、竜騎士を墜としたという話、そして顔の下半分を覆う仮面。
(な、ななな、なななんで母様がここここに!?)
昔も今もトリステインを代表する最強のメイジ、烈風カリン。
火竜山脈のドラゴンをまとめて吹き飛ばし、大規模な反乱をたった一人で鎮圧したとされる、ある種伝説じみた活躍で知られる存在だが、実はその正体がヴァリエール公爵夫人である事実はごく少数の人間にしか知られていなかった。
由来は不明だが『灰かぶり』などというあからさまな偽名を名乗っている以上、正体を開かすつもりはないのだろう。
しかしルイズにしてみれば家庭内ヒエラルキーの頂点にいる人物が突然前触れもなしに現れたのだから、そりゃあ涙も止まろうというものである。

ちなみにその母がアルビオンにいる理由であるが、公爵家の人間として厳しく接してきたものの実際には可愛くて仕方ない、眼に入れても痛くないと断言できる末娘が心配で心配で仕方なかったからだ。
その点では、オスマン学院長らにルイズの護衛を依頼されたのは渡りに船だった。依頼がなければ単独で後を追っていたところである。
内心における娘への溺愛という面においては夫に負けずとも劣らないヴァリエール公夫人であり、実に似た者夫婦であるといえよう。
しかしながら、当然表面上にそんな思いは出した事がない為、ルイズがそんな理由に気付く訳もなかった。

ウェールズと少しの間話していたサンドリオンがこちらを向くのに気付いたルイズは、我知らず背筋を伸ばしていた。
「大使殿、ワルド子爵の扱いは如何なさるおつもりだろうか」
母もルイズに自分の正体がばれていないなどとは思っていいないのだろうが、この場では私事より公の立場(とは言え偽名なのだが)を優先させた様であった。
「い、いい、いつからかは不明ですが、操られていたのは確かな様です。その術も今は解けたので、トリステインまで一緒に帰るつもりでしたが……」
ふむ、とサンドリオンは考え込む素振りを見せる。
ルイズの後ろではフレイムに寄りかかったキュルケが「いっそここで後顧の憂いを断っといた方がいいんじゃない?」などと不穏な事をつぶやいていたが、んな事できるかと思う。
「操られていたにせよ、何らかの情報を知っている可能性は捨てきれないのではないかな。どのみち暫くは動けないのだ、途中で暴れる事もないし連れていってもいいだろう」
主の意を汲み取ったのか、クロコダインも援護を飛ばす。
結局共に脱出するという結論に至ったのだが、念の為にとサンドリオンが外套の後ろから取り出したロープで麻痺状態のまま拘束されるワルドだった。


「では、すまないが地下港までご足労願おう」
残っていた秘薬とサンドリオンの『治癒』でとりあえずの応急処置をした一行に、ウェールズはそう言った。
自分が乗る『イーグル』号も、非戦闘員を乗せた『マリー・ガラント』号も地下の秘密港に係留されているのだ。
サンドリオンの話によればレコン・キスタの軍勢はまだ上陸していない。連中の最終通告を信じるなら戦闘開始は正午。まだ時間は残されているが、あの貴族派がそんな約束を守るという保証もなかった。
「……いや、大丈夫だ。このままここにいてくれ」
そう答えたのはサンドリオンである。
早く脱出するべきだと唱えていたのにどういう事かとキュルケが言おうとした時、突然『ライトニング・クラウド』で砕かれた床がぼこりと盛り上がった。
「な、なに!?」
大量の土を押し退けて現れたのは熊ほどの大きさもある巨大なモグラである。モグラは辺りを見渡すと、まっしぐらにルイズに向かっていく。
「わ、ちょ、ちょっと!?」
デジャヴを覚えつつルイズは仰け反った。正確にはこのモグラ、ルイズではなく彼女が持っている『風のルビー』『水のルビー』に反応しているのだが。
「やや、ほんとに辿り着いたのか! 凄いぞヴェルダンデ、流石は僕の使い魔だな!」
そんな台詞を吐きつつ床の穴から顔を出したのはギーシュであった。少年が級友に襲いかかろうとする自分の使い魔を止めている間に、穴からはタバサともう一人のサンドリオンが続けて姿を現す。
「なるほど、地下から最短距離で来たのか」
宝石を好物とするジャイアント・モールの嗅覚を頼りに、港から一直線に掘り進んできたらしい。
「うわ! 何かねクロコダインのその怪我は! ワルド子爵も何か焦げた上に縛られてるし!」
状況がさっぱり飲み込めないギーシュをよそにタバサはキュルケから事の次第を聞き、サンドリオンは『遍在』(空から降りてきた方だ)を解除して情報を共有化した。
「さあ、時間がない。急ぐとしよう」
クロコダインはそう言って、ぐるぐる巻きにされたワルドを抱えあげた。


ヴェルダンデの掘った穴はなんとかクロコダインでも通れる程の大きさだった。戦闘時の緊急回避や移動の時に地下を利用するのは、かつての自分を彷彿とさせる。
キュルケとタバサはフレイムに跨り、ルイズはクロコダインの肩に座る。動けぬワルドは反対側の肩に担ぐ事で一行はかなりのスピードで地下へと進んでいった。
「よし、着いたか」
やがて光る苔に覆われた鍾乳洞へ辿り着いたウェールズたちは、岸壁にまだ2隻のフネが止まっているのを確認し安堵の笑みを浮かべる。
「ここでお別れだ、ラ・ヴァリエール嬢。短い間だったが、迷惑をかけて済まなかったね。……本当に、ありがとう」
「ウェールズ様……」
「このまま我々は『イーグル』号で出撃する。敵の目を引きつけている間に君たちは脱出するんだ」
差し出された右手をおずおずと握り返しながら、ルイズは何と声を掛ければいいか悩んだ。
最早引き留める事が出来ないのは、昨日の時点で判っている。彼らは誇りを抱いたまま死出の旅に出る為ここにいるのだ。
「何か、姫様にお伝えする事はございますか……?」
結局思いついたのは、そんなありふれた質問だった。
「そうだな……。ウェールズは勇敢に戦い、そして死んでいったと、伝えて貰えるかな」
返答もどこかありふれた台詞だったが、その時のウェールズの表情を、ルイズは忘れまいと心に誓った。
「そんな顔をしないでくれ、ラ・ヴァリエール嬢。君のような貴族がアンの近くにいてくれるのなら、きっとトリステインは大丈夫だろう」
再び泣き出しそうになったルイズの頭を軽く撫でた後、亡国の王子はクロコダインに向き直る。
「貴方がいなければきっと私は礼拝堂で死んでいただろう。実に見事な戦い振りだった。出来る事なら、もっと早くに逢いたかったな」
ぐ、と右の拳を突き出すウェールズに、クロコダインもまた握り拳を合わせた。
「誰に何を言われようと、男が信じた道を進めるならばそれでいいとオレは思う。だからこそ、最後まで抗ってみてくれ。──こんな時に言う台詞ではないかもしれんが、ウェールズ殿の武運を祈っている」
「ありがとう」
一瞬、ウェールズが名残惜しそうな顔をした様な気がしたが、それを確認する間もなく彼は『イーグル』号へと駆け寄っていった。


打ち合わせ通りに『イーグル』号が出航する。アルビオンの下から姿を現したフネはたちまちスピードを上げてレコン・キスタ艦隊へと突き進み、それを迎撃すべく敵艦からは火竜や風竜に乗った騎士たちが緊急出動していた。
『マリー・ガラント』号には女官や王党派メイジたちの家族が乗り込んでいたが、その中の1人が鳥の使い魔を斥候代わりに出している。脱出するタイミングを見計らう必要があるからだ。
『イーグル』号が更にスピードを上げたという報告を聞いた船長は、部下たちに出航を命じた。
この港に来る時はガイドが必要だったが、流石は熟練の船乗りたちと言うべきか『マリー・ガラント』号は問題なく濃い雲の中を進んでいく。
船長には王党派が最期にどんな戦法を取るか、おおよその見当がついていた。その考えに間違いがなければ、なるべく早くにこの空域を離れなければならなかった。
幸いというべきか、往路と同じ様に風のスクエアメイジが風石替わりの推進力になってくれている。
その時とは別人だったが文句などあろうはずがない。仮面を付けていようが呪文を唱えたら分身しようが、この非常時には些細な事だ。
それほど時を置かず、フネは雲を抜けた。『イーグル』号が向かったのとは逆方向、最短距離とはいかないが風向きを考えればラ・ロシェールまで行くのに支障はないだろう。
見た限りレコン・キスタ勢が近くに陣取ってはいなかったが、念の為にと風竜に乗った青髪のメイジとマンティコアに乗った仮面のメイジが直掩に当たっていた。
満身創痍の獣人が「ならば自分も」と言い出していたが、主らしいピーチブロンドの少女を始めとした全員に止められていたのはご愛嬌と言ったところか。
後甲板には避難民たちが『白の国』を泣きながら見つめていた。
故国をこんな形で去る事になろうとは、暫く前までは考えてもみなかったのだから、それも無理はない話である。
浮遊大陸がどんどん小さくなっていくと、突然眩い閃光と共に轟音が響き渡った。
衝撃波が軽くフネを揺るがし、副長の指示で船員たちが帆を確認したり乗客たちを落ち着かせる中、船長は帽子を目深に被りそっと黙祷を捧げる。
あの閃光こそが王党派の最期の輝きであると、船乗りとしての直感がそう告げていた。

空に響き渡るその音は、甲板に居るルイズの耳にも届いていた。
傍らには応急措置を施されたクロコダインが座ったままその目を彼方へと向けている。
「クロコダイン……」
ルイズは王女が学院に来た日の朝に見た夢をふと思い出した。
この頼れる使い魔が、自分の手の届かない危険な場所に独りで向かっていく夢。
不安そうな顔をするルイズに、クロコダインは包帯の巻かれた掌でそっと頭を撫でた。
「大丈夫だ、オレはちゃんとここにいる。疲れているだろう? 今は、少し休んだ方がいい」
確かにここ数日は身も心も休まる事はなかった。
久し振りの幼馴染であるアンリエッタ姫との再会、アルビオンへの非公式訪問、突然同行する事になった婚約者、襲撃に次ぐ襲撃、そして虚無の使い手としての覚醒。
大丈夫だという言葉に安堵を覚えたのか、ルイズはそのままクロコダインにもたれかかる。眼を閉じた彼女から寝息が溢れるのに、それほど時間はかからなかった。
せめて、今この時くらいはいい夢を見て欲しいものだと、クロコダインは人間の神に祈るのだった。

アルビオン、ニューカッスル城。
無人と化した筈の城の中に、指に大振りの指輪を嵌めた1人の女が立っていた。フードを目深に被っている為、その表情は窺い知れない。
「はい……はい、そうです。確かに始祖の秘宝を使い、虚無の呪文を発動させていました。ええ、予測通り、彼女がトリステインの『使い手』に間違いありません」
その手には小さな鏡が握られている。マジックアイテムであるそれには、先程まで礼拝堂での死闘がリアルタイムで映しだされていた。
虚空に向けて何者かと話している様子のその女は、やがて深々と頭を下げる。
「はい、では暫くの間は干渉せずに置くのですね……。わかりました。それでは失礼します、ジョセフさま……」

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2010年12月06日 10:59
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。