虚無と獣王-07

7 ゼロと獣王

ルイズ・フランソワーズ・ド・ラ・ヴァリエールの朝は、いつも遅い。
トリステインの貴族の多くは宵っ張りの朝寝坊をモットーとしており、大貴族の三女であるルイズもその例に洩れなかった。
そんな夜遅くまで、果たして彼女は何をしているのだろうか?
根が生真面目なルイズは、大抵の場合座学の予習・復習をしている。
因みに召喚の儀式の前には、最新の参考書から過去の学院生たちが召喚した動物の統計書類にまで目を通していた。
もっとも勉学だけではなく、たまに趣味の裁縫をしては結果として謎のオブジェを作成してしまったり、メイドに勧められた小説を読んで首まで真っ赤になったりもしている。
そんなルイズの朝は低血圧な体質も手伝っていつも遅いのだが、今日は様子が違っていた。
メイドの一声でベッドから跳ね起きるなど、かつてない異常事態であるといえよう。
異常事態の原因は、ルイズが召喚した使い魔にあった。
忌々しい二つ名を返上して余りある、誰が見ても褒め称える様な獣人。
今日の授業は生徒たちが召喚した使い魔のお披露目をする機会でもある。クロコダインを見て今まで自分を馬鹿にしてきた連中はどんな顔をするだろうか。
召喚魔法が成功した以上、他の魔法も使えるようになっている筈である。もう貴族とは名ばかりとか平民貴族などとは呼ばせまい。
ルイズはいたって機嫌よく制服に着替え、起こしに来てくれたシエスタに礼を言い、待っていたクロコダインと共に食堂へ向かった。
天気は快晴、いつもより早く起きたお陰で何かと煩い隣室の天敵(先祖代々)とは顔を合わせる事もなく、朝食のデザートは好物のクックベリーパイ。
今日のわたしはツイている!
ルイズ・フランソワーズ・ド・ラ・ヴァリエールの心は、希望と決意に燃えていた。

余談ではあるが、トリステイン魔法学院の歴史は古い。
そして、古い学校には真偽の知れぬ、怖い話やおかしな逸話が後を絶たない。
『二年教室の扉』も、そんな話の一つだ。
二年生に進み、始めて教室に入った生徒は、皆一様に同じ疑問を持つ。
「なんで一年の時の教室に比べ、二年の教室の扉はこんなにも大きいんだろう?」
確かに一年と三年の教室の扉はあくまで人間サイズなのに、二年の教室の扉は4メイル×2.5メイルとかなり大きい。
この件に関し教師陣は沈黙を守っているが、生徒たちの間にはこんな話が伝わっている。

ずいぶん昔、生徒の中にとても大きな使い魔を召喚した者がいました。
その生徒は使い魔を溺愛し、どこへ行くにも連れて歩こうとしましたが、しかし、大きな使い魔は残念ながら教室のドアを通る事が出来無ませんでした。
悲しんだ生徒は、そこで一計を講じました。
その生徒は裕福な貴族だったので、実家で土のメイジを複数雇い、錬金と固定化を駆使して扉を大きくさせてしまったのです。
次の日、学院は生徒を放校処分としました。始祖に連なる王家から賜りし学院を勝手に改造するとは何事か!というわけです。
生徒は実家へ帰り、後には大きな二年の教室の扉だけが残されたといいます。

ルイズは一年の時この話を聞いて、「ホントかウソか知らないけど、下らない貴族がいたものね」と思った。
朝食後、二年生に進級してクロコダインと扉を通った時、「ホントかウソか知らないけど、裕福な生徒グッジョブ!」と思った。
そして今────


ルイズ・フランソワーズ・ド・ラ・ヴァリエールの心は、絶望と悪意に沈んでいた。
こんな筈ではなかった。断じて、こんな筈ではなかったのだ。
授業が始まる前、クロコダインを連れたルイズを見て、同級生たちは驚いていた。
実際のところ、自信に充ち溢れたルイズを見て驚いたのか、召喚の儀式の時は別の場所にいたので初めてクロコダインを見て驚いたのか微妙なところだったが。
クロコダインが教室の後ろに立つと、周りにいた使い魔たちが一斉に彼の方を向き、声を合わせて一度だけ吼えた。
その光景を目撃したキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーは後に語る。
まるで王を前にした魔法騎士団が杖を掲げているようだった、と。
授業が始まり、シュヴルーズ教師も立派な使い魔を召喚したと褒めてくれた。
いつもならここで野次の一つや二つ飛んでくるのだが、やたら使い魔たちに懐かれているクロコダインが気になるのか、小太りの生徒も沈黙を守っていた。
ここまでは良かった。
錬金の実践を言い渡された時、ルイズは不安を感じなかったと言えば、それは嘘になる。
失敗したらという思いが心をかすめ、しかしルイズはあえて前を見た。決して後ろは見せない、それが貴族だと彼女は信じていたからだ。
ルイズは完璧な発音で呪文を読み上げ、己の全ての魔力を注ぎこみ────結果として大爆発を引き起こした。
シュヴルーズ教師は気絶、周囲への被害は甚大、ルイズ自身は教室の後ろから跳んできたクロコダインのお陰か怪我はないものの、
沈黙していた分反発の大きな同級生たちの罵詈雑言正論ツッコミその他の声でそのプライドはズタズタになっていた。
授業は自習に変更となり、ルイズには罰として魔法を使わずに教室を片づけるよう言い渡された。魔法の使えないルイズにはあまり意味のない条件だったが。
少女は魔法を使えない自分を呪い、始祖ブリミルを役立たずと罵倒し、黙々と教室の片付けに勤しむ自分の使い魔を見て、深く落ち込んだ。
そして大きな扉を睨みつけ、あの扉が小さければこの醜態を使い魔に見られずに済んだのではないかと思い、「ホントかウソか知らないけど、いらん事すんなバカ生徒!」と八つ当たりをし、再び深く深く落ち込んだ。
いかに心の広い者であっても、今回の失敗で呆れたのではないか。
もし、自分が使い魔だったとしたら、仕えるのは有能な相手がいいと思う。
爆発の後、ルイズに無事かと言ってから、クロコダインが沈黙を守っているのが怖かった。
ひょっとして内心では、魔法の使えない主人に愛想を尽かしているのではないか?いいやそうに決まってる、だってわたしだったらイヤだもの!
生真面目で感情の起伏が激しいルイズは、自虐と疑心暗鬼のデフレスパイラルに陥っていた。
重苦しい雰囲気の中、沈黙に耐えきれなくなった彼女が自暴自棄になった心情を吐露しようとした瞬間。
クロコダインが、その口を開いた。
「ひとつ話をしてもいいか?オレが以前知り合った、2人の魔法使いの話だ」
ルイズの沈黙を許可と受け取ったのか、クロコダインはそのまま話し始めた。
「1人はかつてオレと同じ陣営にいた魔法使いだ。その男は圧倒的な魔力と他人には扱えぬ強力な魔法で、同僚からも一目置かれていた存在だった。
軍団長にまで上り詰めたそいつは、しかし決して前線には出ようとしない男でもあった。
欲と復讐心を煽って同僚を動かし、卑劣な策略をもって敵を罠に嵌め、部下を使い捨ての駒として扱い、実の息子に愛情を注ぐ事もなく実験動物の様に扱った。
自分が生き残る為にかつての上司ですら不意打ちにしたその男は、全く自分を磨こうとはせず、常に安全な位置から謀略を巡らせていた。
その結果誰からも信用されず、同僚からも見捨てられ、強大な力を振るおうとしてそれ以上の力に敗れ去った。
最期は自分が散々利用し、馬鹿にしてきた男にすらその策を見破られ、惨めに死んでいった」
「…………」
「もう1人の男は、どこにでもいるような少年だった。強大な魔力を持っている訳でもなく、特に秀でた力もなく、自分より強い敵に遭ったらすぐさま逃げ出す様な男だった。
だが、そいつは1度は逃げ出しても、なけなしの勇気を振り絞り、友を救う為に戦場に舞い戻った。
自分の力では敵を倒す事は出来ないと知りつつも、友が全力を出せる様に命懸けで敵の策を打ち破って、仲間と協力する事で勝利を掴み取った。
その後も精進を怠る事無く常に最前線に身を置き、最後の最後まで勇者の相棒として戦い続け、勝利をもたらす原動力ともなった。
唯の平民の出でありながら、敵味方を問わずその実力を認められたその男は、若くして大魔導士の称号を得るに至ったのだ」
「…………」
「主どの。いや、ルイズ。お前にはゼロという二つ名が付いているが、これからもずっとゼロのままだとは限らない。
今まで通りの生活でゼロと呼ばれるか、何かを積み上げ続ける事でプラスとするか、何もかもを諦めマイナスにするのか、全ては自分次第だ」
「……………………」
ルイズは、先刻のクロコダインの様に沈黙を守っていたが、その心中は激しく動いていた。
全く、わたしは、なんという使い魔を召喚してしまったのだろう?
人語を解し、歴戦の戦士で、主人が落ちこんだ時には的確な助言をくれる使い魔など、見た事も聞いた事もない。
彼がくれた言葉を、わたしは生涯忘れる事はないだろう。
今まで歩んできた暗く長い道に一条の光が射し込んだ様に思えてならなかった。
知らないうちに目から涙が溢れていた。
これまで、二つ名は自分を縛る鎖でしかなかったが、これからは違う。
何もないという事は、何にでもなれるという事を教わったから。

ルイズは凛とした笑顔で杖を掲げ、己が使い魔にこう宣言した。
「ルイズ・フランソワーズ・ド・ラ・ヴァリエールが今ここに誓う。わたしは、貴方が誇りに想う様な立派な主となると!」
フェオの月、ティワズのエオー。この日はルイズにとって記念すべき日となった。
頼りになる使い魔は彼女が尊敬すべき師となり、同時にその道を照らす太陽となったのであった。


タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2008年07月16日 07:58
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。