虚無と獣王-08

8 盾と獣王 もしくは 常識人と獣王

トリステイン魔法学院・アルヴィーズの食堂は、戦場と化していた。
唐突な出だしに戸惑われる方もいるだろうが、それが事実である以上そのまま伝えるしかない。
貴族を貴族として教育するための場所、平民は一生入る事のないだろう貴族の為の学院の豪華な食堂は、今、確かに戦場と化していた。
もっとも、通常の戦場とは異なる部分がある。
飛び交うのはエア・ハンマーやフレイム・ボールではなく、プラム・タルトやカスタード・パイであった。
振るわれるのは鋼鉄の剣ではなく、練り上げた長いパンであった。
人の体に当たるのは鉛の銃弾ではなく、甘い砂糖菓子であった。
流れるのは赤い血ではなく、ヴィンテージ物のワインであった。
騒ぎを聞きつけたのか、食堂の入口から顔を出した獣人───確か、隣のクラスのミス・ヴァリエールが召喚した使い魔だ───が、食堂の隅に避難していたぼくたちの方を向いて、言った。
「これは一体、どうした事なんだ?」
だからぼく、トリステイン魔法学院二年生のレイナールは、彼に今までの流れを説明する事にした。
人に物事を教えるのは嫌いではなかったし、数少ない避難組の中で、説明できそうなのはぼく位しかいなかったから。

ぼくが食堂へ入った時、隣のクラスの人間は既にテーブルについていたように思う。
どうやら午前の授業が自習になったらしい。
自習と言われてそのまま自習する生徒は少ない。大半の生徒は遊んでいたようだが、大丈夫か?試験前に苦しむのは君たちだと思うのだが。
まあそんな事を気にしていても仕方がないか。忠告する義務も義理もこちらにはない。ああはなるまいとは思ったが。
そんな事をぼんやりと考えているうちに食事の時間が来た。
始祖と女王陛下への祈りを捧げた後、昼食を摂る。しかしこの量は、ぼくたち男子には丁度いいんだが女子にとっては少し重くはないのだろうか。
そう思い少し周りを見回してみると、ぼくたちよりも2・3歳は年下のように見える青髪の同級生の少女が、凄い勢いで料理を腹に入れていた。
ぼくの心配はどうやら杞憂だったらしい。
メインが終了しデザートを待つ頃になると、生徒たちの間では私語が多くなる。あまり行儀の良い事ではないが、誰一人喋らない食堂というのも不気味ではある。
その会話が耳に入ったのは、ぼくの周りの生徒たちがデザートに取り掛かり始めたからだろう。
やや離れた席にて何かを得意げに話しているのは、隣のクラスに所属するギーシュ・ド・グラモンという男だった。
あまり親しくはないのだが、トリステインの軍人貴族の四男で土のドットメイジだったと記憶している。あと、少しナルシストの傾向があると。
デザートを待つ間、彼らの話を聞くともなしに聞いていたのだが、どうやらグラモンが今誰と付き合っているかで盛り上がっているらしい。
まあ、客観的に見て女の子に受ける様な顔つきであるのは認めるけど、そのフリフリのブラウスは正直どうかと思う。
だがそれがいい、と感じる女生徒には謝っておこう。スミマセン。
「つきあう?僕にそのような特定の女性はいないのだ。薔薇は多くの人を楽しませるために咲くのだからね」
思わず彼の近くに酒瓶が転がってないか探してしまったが、残念な事に見つけられなかった。つまり素面で言っているのだな。
彼の印象が変わった。少しナルシストではなく、かなりナルシストだ。

そんな彼に近寄っていく女生徒がいた。マントの色からして一年生だ。栗色の髪をしたその子は、ここから見ても分かるほど引き攣った笑顔で、グラモンに何か差し出した。
「落されましたよ、ギーシュ様」
なんだろう。流石に人が邪魔で見えない。
「おお?その香水は、もしや、モンモランシーの香水じゃないのか?」
「そうだ!その鮮やかな紫色は、モンモランシーが自分のためだけに調合している香水だぞ!」
「ということは今お前はモンモランシーと付き合っているんだな?そうだな?」
解説有り難う、グラモンの友人諸君。あと、これは純粋にただのお節介なんだが、少し友の為に空気を読んだ方がいい。
見る間に栗色の髪の少女の目に涙が溜まっていく。どうするんだこれ。
すると、一年女子の肩に優しく手を置く者がいた。この重苦しい場を救う救世主かと思ったら、実は地獄からの使者だったようだ。
「ちょぉぉぉぉっっっと詳しい話を聞かせてくれないかしら?ミスタ・グラモン」
見事な金髪の巻き毛を揺らし、全く眼が笑っていない笑顔で件の香水の製作者、モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシがその舞台に上がった。上がってしまった。
2人の女生徒を前に、当のグラモンは目を泳がせながら脂汗をかいている。駄目だなこれは。何が駄目かって、何もかもが駄目だ。
ここでトリステインでは珍しい黒髪のメイドが、色とりどりのケーキをトレイに乗せて近寄ってきた。そういえばデザートの時間だった、すっかり忘れてたけど。
近寄るにつれ修羅場な雰囲気に気付いた様だが、なるべく刺激しない感じで彼女は仕事を続行した。メイドの鑑だ。
ここに宣言しておくが、このメイドは決して悪くない。悪いのは貴族の側であるとはっきりと明言しておく。
だって、モンモランシが突然ケーキを鷲掴みにしてグラモンにぶん投げるなんて、一体誰に想像出来るというのか。
さらに一年女子がメイドからトレイごとケーキをひったくり、グラモンに投げつけようとしたけど手がすっぽ抜けて、近くに座っていたギムリに命中するなんて、そんな事判るわけがない。
おまけにそのギムリは、昨夜片思いのツェルプストーにこっぴどく振られ、今日の授業ではギトー先生に散々イヤミを言われていて、精神的に追い詰められていたという事実はブリミルだってわからなかっただろう。
ギムリが笑顔でゆぅらりと立ち上がるのが見える。モンモランシの様に眼は笑っていない。だけど彼女の様に怒っているのではなく、ただただ虚ろな眼をしていた。
彼は徐に、周囲のテーブルに乗っていた極上のデザートたちを、無差別かつ迅速に投げつけ始めた。貼りついた笑顔のままで。

「────そして今に至る、というわけです」
解説終了。改めて考えなくても相当馬鹿馬鹿しいなこの状況。
戦線はあっというまに拡大した。原因は被害者がすぐさま加害者に立場を変えたからだろう。
ちなみにここにいる避難民はぼくと、件のメイド・シエスタと、図書室の君・タバサの3名だ。
タバサは流れ弾──その多くはハシバミ草のサラダだった──をレビテーションで掬い上げ、自分のものにしていた。ぼくが数えただけで8個目じゃないか?
「あの……食べ過ぎじゃないですか?健康に悪いですよ」
若干青い顔をしてシエスタが忠告すると、タバサは無表情のまま答えた。
「大丈夫」
「そうですか?ならいいんですけど」
「まだ前菜」
「これからが本番ッ!?」
この学年に常識人はいないのだろうか。これからの学園生活が少し不安になる。
ぼくの解説に礼を言ってくれた獣人・クロコダインは、今、広い食堂を見回している。きっと主を探しているのだろう。
ふいにクロコダインが頭を抱えてしまった。どうしたのだろうかと彼が見ていたであろう方を見て、納得した。
彼の主であるところのルイズ・フランソワーズ・ド・ラ・ヴァリエールが、テーブルに仁王立ちになり、左手にクックベリーパイを持ち、右手で誰かを指さしていたのだ。
「さあ!今日こそ積年の因縁に決着をつけてやるわよツェルプストーッ!!」
見ると、反対側のテーブルにはキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーが優雅に足を組んで腰かけていた。
「あら、いくら小さいからってそんな所に登らなくてもちゃんと見えているわよ?ヴァリエール」
「ななな何が小さいってのよツェルプストー!」
「貴女の胸が」
「ムキー!!」
ぼくは怒るときにムキーという人間を初めて見た。
「どどどどうしてここここで胸の話題が出てくるのよ関係ないじゃないそそそんなに胸がありゃいいってもんじゃないわよ牛じゃあるまいし全くふんとにこれだからゲルマニアンはッ!」
「と動揺したところで喰らいなさいっツェルプストーアローッッ!!」
後ろ手に隠し持っていたストロベリー・タルトの一撃を、ヴァリエールは意外な方法で防いで見せた。
「なんのっ、グラモン・シ──ルドッッ!!」
近くに転がっていたグラモンを掴んで盾にしたのである。
「ちょっと!誰を盾にしているのよヴァリエール!」
横から文句をつけたのはモンモランシだった。体のあちこちに戦闘の跡が見て取れる。
「そうだ、もっと言ってやってくれ給えよ愛しのモンモランシー!」
「誰って、これは盾よ?喋るからインテリジェンス・シールドかしら。でも煩いから黙ってて盾」
もはや人間扱いですらない。まあケーキだのクリームだのワインだの残ったスープだのがかかりまくったグラモンは貴族には見えなかったけれど。
「ちょっとヴァリエール!モノ扱いはいくらなんでも酷いでしょ!」
「そうね、確かにモノ扱いは酷いから言いかえるわ。わたしが盾にしたのはサイテーの二股男なんだけど、何か問題ある?」
「特にないわね」
「即答ッ!?」
「でも一応知りたくもなかった知人をモノ扱いされたのだから貴女を攻撃せざるを得ないわヴァリエールでもシールドが邪魔ねまず盾を壊す事にしましょう」
「ちょ、ちょっと待ってワインのビンは死ぬから!ホントに死ぬからやめてくれモンモランシー!」
「盾 は 黙 れ」
「ヒィッ!?」
女という生き物は怒らせるもんじゃないな、としみじみ思う。
その後もヴァリエール・アタックをツェルプストーが小太りバリアーで防いだり、
バリアーが被虐的な何かに目覚めたらしくハァハァ言い出したのでバリアーを床に捨てたりといった寸劇が繰り広げられた。
大丈夫なのかこの学院。ふと横を見るとシエスタが
「ああ、ミス・ヴァリエール……あんなに溌溂とした笑顔で……」
何か感極まっていた。眼には涙。本当に大丈夫なのかこの国。
「ほっほほほほ、このわたしの下僕たちによる3段重ねのバリスタ攻撃、防げるものなら防いでみなさい!」
「はっ、その程度の攻撃でこのグラモン・シールドとモンモランシー・シールドが破れると思ったら大間違いなんだからね!」
うわ、なんかノリノリだな。いつのまにか盾が増えてるし。
「ぼ、ぼくもどうか盾に!オンナノコにシールド扱いされるのがこんなにも快絶だったなんて──!」
ヤバイ、まさに真正だ。感染るといけないので近寄らないでおこう。
奥の厨房ではコック長のマルトー氏が歯ぎしりしているのが見えた。そりゃ精魂込めて作った料理が弾薬になったら怒るだろう、当然。
頭を抱えていたクロコダインもマルトー氏の様子に気がついた様で、ため息を1つつくとぼくたちに忠告をくれた。
「少し騒がしくなる。耳を塞いでいてくれ」
言われたとおりにすると、クロコダインは一歩前へ進み出る。
そして、後ろからでも判るくらい大きく息を吸いこみ、吼えた。
それは、凄まじい咆哮だった。アルヴィーズの食堂だけでなく、学院の全ての塔が震えたのではないかと錯覚するような声だった。
例えるならば、百の獣を統べる王の様な咆哮だったと思う。耳を塞いでいてもそう思ったのだから、他の生徒たちの衝撃は想像に余りあるというものだ。
貴族とはいえぼくたちはまだ学生で、本物の戦場など経験した事もない。皆はかの使い魔の迫力に圧倒され、動くのも忘れてしまった様だった。
沈黙に支配された食堂で、クロコダインは低い声でこう言った。
「食べ物を、粗末にするな」
「…………………」
思わず顔を見合わせる生徒たちに、彼は手に持っていた戦斧の柄を床に叩きつけた。
「返事はッッ!!」
「「「はいぃっっっっっっっっ」」」
その場にいた全員が声を合わせて謝罪した。参加していなかったぼくまで何故か謝ってしまったのは、なんというか、格の違いを肌で感じてしまったからだろう。

その後、おっとり刀で駆けつけてきた教師陣は騒ぎの元となったグラモンやギムリ、騒ぎを拡大させたヴァリエールやツェルプストーに取り敢えず罰掃除を命じた。
取り敢えず、というのはこれから本格的な罰を検討するからそれまで掃除していろ、という事である。
監督役としてクロコダインが選ばれたのは当然と言うべきか、快挙と言うべきか。
そろそろ教室に戻ろうとすると、食堂の片隅ではまだタバサが食事を摂っていて、ぼくは思わず胃の辺りを抑えてしまった。
なんというか、こう、常識人は辛いと感じる昼休みだった。


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最終更新:2008年07月16日 21:54
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