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スペースインベーダー - (2020/12/25 (金) 11:34:59) のソース

*スペースインベーダー
【すぺーすいんべーだー】
|ジャンル|シューティング|~|
//&image(http://www26.atwiki.jp/gcmatome?cmd=upload&act=open&pageid=3106&file=Space+Invaders.bmp)
|対応機種|アーケード|~|
|発売・開発元|タイトー|~|
|稼働開始日|1978年7月|~|
|プレイ人数|1~2人(交互プレイ)|~|
|レーティング|CERO:A(全年齢対象)&br;※バーチャルコンソール版より付加|~|
|配信|バーチャルコンソール&br;【Wii】2009年4月7日/500Wiiポイント(税5%込)|~|
|判定|BGCOLOR(lightgreen):''良作''|~|
|ポイント|ブロック崩しからの発展形&br()日本製STGの始祖の一つ&br()全国で社会現象を巻き起こした|~|
|>|>|CENTER:''[[スペースインベーダーシリーズ]]''|
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#contents(fromhere)
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**概要
もはや説明不要とも思われる程の日本ゲーム業界史の金字塔であり、多くのシューティングゲームのご先祖様にあたる。~
敵キャラクターが攻撃を仕掛けてくるゲームで初めてヒットした作品。

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**システム
-即死残機制の固定画面型縦方向シューティング。自機である砲台の移動は左右に限られており、敵は画面上部から徐々に降りてくるのである意味「擬似縦スクロール」と言える。
--砲台が敵の攻撃に当るとミスで残機が1機減る。
---ただし、撃ち漏らしたインベーダーが砲台のいるラインまで到達すると残り機数に関係なくゲームオーバーになる。設定上は「インベーダー到達=惑星が侵略されたから」と理由付けされている。アップライト版の背景で分かるとおり舞台は月面である。
--敵は表面上ランダムに弾を撃って来る。弾は自機の弾で相殺することができる(相殺できない弾もある)。
---実際には本作には乱数は一切使われていないため、少なくとも何らかの法則性は存在すると思われる。実際、弾を撃ってくる確率の高い列が存在したりする。
--画面内に自機のショットは一発しか存在できない。そのため、無駄弾を撃つと緊急時に相殺することができない。ちなみに、敵弾は3種類各一発(=合計3発)まで。
---弾を撃ってくるのはそれぞれの列の最下段のみ。敵弾はインベーダー、つまり(敵から見て)味方に命中しても消滅する。
---外見の異なる敵弾は、それぞれ「ショットで相殺できる」「ショットで一方的に打ち消して貫通できる」「ショットで打ち消せずこちらのショットだけが遮られる」の3種類。

-自機少し上に障害物(シールド)が設置されている。シールドは自機のショットや敵弾で徐々に削れていく。
--意図的にシールドを破壊してこちらの攻撃を確実に当てるのも戦法の一つ。
--シールドは敵の接触でも削れて行く。そのため、敵が画面下部ギリギリ(制限時間ギリギリ)まで降りてくるとシールドは完全消滅する。

-敵は縦横にずらりと並んだ状態で出現し、隊列を崩さずに攻めてくる。最初はゆっくりとした動きだが、数が減っていくと徐々に高速化する。全て倒せば面クリア。
--並ぶ敵はタコ型(スコア10点)、カニ型(20点)、イカ型(30点)の3種類。
--時折画面最上部に円盤(UFO)が出現する。円盤は横切るだけで特別攻撃を仕掛けてくることはないが、これも自機のショットで破壊できる。
---円盤のスコアは敵よりも高い。一定の条件を満たして破壊すると、更にスコアが増加する。

-全9面で、9面クリア後は2面に戻り以後2~9面をループする。
--ループするのは実はバグであり、本来は9面以降もインベーダーの初期位置が下がり続け、最終的にはクリア不可能になるはずだった。4桁のスコア表示も元々はそれを念頭に置いた設計である(円盤を撃たなければ10面で9900点になる)。
---次回作『スペースインベーダー・パートII』では、全9面ループが正式な仕様として採用された。

-後にこれら「画面固定型、敵が上から攻めてくる、自機は基本横移動しかできない、敵の全滅が目的」と言うルールのSTGをインベーダータイプと分類する場合がある。

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**評価点
-シンプルなルールと操作方法。
--基本的なルールは「敵をショットで全滅させればクリア」という単純なものなのでとてもわかりやすい。
---とはいえ、当時のビデオゲームは、ブロック崩しのような『[[ポン>Pong]]』発展型のゲームか、時間内の命中数を競う射的ゲーム(ガンシューティング)が主流であり、対戦型ゲームでもないのに敵が攻撃してくるゲームはほとんどなかった。そのため、当時としては「敵を(敵の攻撃を避けながら)(敵が進軍を終えて侵略する前に)ショットで全滅させる」の()内は充分に複雑な要素であり、実際に発売前は受け入れられるかどうか危惧されていた。
--操作方法も「左右移動とショット」の3種類のみで混乱することもない。
--また、筐体を操作せずに放置しておくと、敵の撃破時の得点の一覧表が表示されるほか、デモプレイも流れるため、これがどういったゲームなのかもなんとなくわかるようになっている。

-時折出現するUFOにより、ルールは単純ながらも意外と戦略性のある内容となっている。
--画面上部のUFOが狙いやすくなるように、横一面に並んだインベーダーを倒して空間を作る必要がある。
--また、UFOの撃破時の得点はランダムだが、ショットの回数によって50~300点に変動する擬似的なものである。

-お遊び要素のあるデモ画面。
--敵の撃破時の得点の一覧表が表示される際、「PLA人」(Yが逆さま)、「INSERT CCOIN」と表示されることがあり、それを敵キャラであるインベーダーが直しにくるといったお遊び要素がある。この姿は敵キャラながらもなかなかかわいらしい。

-敵が攻撃してくる
--それまでのアーケードゲームは、お祭りの射的屋台をモチーフにした『Carnival』やボールをパドルで打ち返す『Brakeout』(ブロックくずし)、あるいは銃で標的を狙い撃つガンシューティングゲーム(射的ゲーム。後述する『ブルーシャーク』もそのひとつ)のように、ミスせずプレイを続けて高スコアを取るものがほとんどであった。
--しかし本作では、敵もこちらに向けて弾を撃ってくる。やるかやられるかの「ゲームとの戦い」はまさに画期的な体験であり、プレイヤーに新鮮な興奮をもたらした。
--さらに、インベーダーが画面最下段まで到達すると侵略されて残機にかかわらず即ゲームオーバーというルールも斬新であった。~
敵数が減っても決して気を抜けず、高速化した敵を的確に撃ち落とさなくてはならない。

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**問題点
-敵の攻撃に当たってミスした後復帰する際の問題点。
--現在の多くのゲームと違い復帰時に無敵時間等が存在しないうえに、必ず左端に復帰するという関係上、初見で自機がどこに復帰するかわかっていない場合や、インベーダーが復帰場所の近くにいる場合等には、復帰後に自機を操作する間がないうちに再び攻撃を喰らって連続ミスになってしまう場合がある。
---ミス後は敵が進軍と攻撃を停止し、敵弾が画面上から消えてからの復帰となるため、完全な「詰み」は目前までインベーダーが迫っていたり侵略寸前だったりしない限り発生しない。

-普通は一段ずつ下がってくるインベーダーが、後述の「レインボー」発生時にごく稀にいきなり一番下にまで落ちてくる場合がある。
--運悪くこれが起こってしまった場合、当然ながら残り機数に関係なく即ゲームオーバーになってしまう。
---レインボーを発生させる位置が関係しているという説があるが、本当の原因は不明。

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**総評
シンプルながらも当時としては個性的かつ戦略性に富んだ内容で、当時のゲーマーを強く引き付ける魅力を持ち、一大ムーブメントを起こすとともにタイトーの顔ともいうべき代表作となった。

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**余談
-古いゲームながら「名古屋撃ち」「レインボー」といった、仕様の穴を突いた裏技の発見もあった。
--「名古屋撃ち」は、「インベーダーの弾は本体より1キャラ下から出る」という仕様により、「侵略成立直前のインベーダーからの攻撃は当たらない(砲台より後ろに弾が出る)」という事を利用して、ギリギリまで侵略させて闘うというものである。ただし、失敗=即侵略(ゲームオーバー)につながるためリスクも兼ねた裏技であった。
---各縦列の最下段以外は攻撃しないので「上段のインベーダーからの攻撃」は存在しない。そもそもマシン性能(主に容量)の問題で弾の区別が付かない仕様なので、上段のインベーダーが攻撃すると下段のインベーダーを殺してしまう(実際に何らかの理由でインベーダーに敵弾が命中しても弾だけが消滅しインベーダーは死なない。インベーダーの消し方次第で発生する)。弾が離れた位置から出る仕様なのも似た理由で自爆しかねないから。砲台だけは専用の喰らい判定を持っている(砲台からの弾はインベーダー側と同じ仕様)ので自分の弾に当たることは無い。
---ちなみに、ゲームセンターあらし掲載時にナゴヤ撃ちに該当する必殺技として「不死鳥」とネーミングされている。その後に「ナゴヤ撃ち」と名前が広まっているが、特に「名古屋発祥」とされる訳では無い様だ。((「ナゴヤ撃ち」と広まる前に既に東京で知られていた裏技である。))
--「レインボー」は、「最後の1匹に10点インベーダーを残した場合、移動したとき左端1ドット分が残像として残ってしまう」バグのこと。この様子があたかも虹のように見えたことが由来。
---10点インベーダーは他のインベーダーより横幅が1ドット広く、最後の1匹時の高速移動の際に残像を消しきれないことが原因で発生するバグだった。

-乱数表が知れ渡ると、UFO撃破時に最高得点の300点を取るため、ショットの回数を考えながら狙い撃つという勘所になっていった。
--当時西角氏は乱数の作り方がわからなかったそうで((そもそもCPUを使わないロジック回路でゲームを作るのが当たり前だった世代である))、当然にして本作に乱数は搭載されていない。
--亜流の中には本当にランダムなものも存在する。

-大量生産された為、ハードのバージョン違いも多い。
--当初は立ったままプレイするアップライト筐体で登場。画面表示は、ハーフミラーで背景絵と合成するものが主流だった。
---操作パネルは当初左右移動をボタン2つで行ない、射撃ボタンを加えて3ボタン式だったが、途中から移動用2方向レバー+1ボタン形式に切り替わった。
--後にテーブル筐体が登場し大流行する(「余談」参照)。画面表示は「白黒」「セロハン」「カラー」の3バージョン。
---「セロハン」とは、白黒のモニターにカラーセロファンを貼り付けて疑似カラー化したものを指す。当時はカラーモニターが高価だったため、画面表示の主流の一つだった。
--上記の基本4バージョン(アップライト+テーブル3種)の他、スコアを5桁にした修正版、ライセンス生産であるサミー版(最終的に許諾された中で最初からライセンス生産だったのはサミーのみ)がある。
---更にブームに便乗した他社が出したコピー版も含めるとバージョンは数十種類に。コピーゲームを出したメーカーの中には任天堂やコナミ((当時はレジャック名義で販売))、セガといった現代のゲーム業界大手も多く含まれている(インベーダーをそのまま模倣するのではなく、それを超えようとして『[[ギャラクシアン]]』を開発したナムコは、例外中の例外だったと言える)。

-開発にあたり、西角氏によってブラウン管にペン状デバイスで直接描画してデータとして扱うシステムを開発しているが、これに関して特許は取っていない。

-当時、タイトー社内では同時期に作られた射的ゲーム『ブルーシャーク』を推しており((ちなみに国内では同時発売である))、インベーダーは小銭稼ぎ程度の考えで売り込んでいた。しかしこちらが予想外の大ヒットを飛ばすことになり、営業方針を変えることとなった。
--当時のテレビゲーム(ビデオゲーム)はプレイヤーが一方的に攻撃する射的ゲームが一般的であり、敵が反撃してくるインベーダーは当初「すぐにゲームオーバーになって楽しめない」との評価であった。だがこの評価ゆえに修正の期間を確保できたとも言える。
---2018年2月にゲームセンターに登場した『スペースインベーダーフレンジー』では本作による革命を巻き戻したかのように「(侵略される前に)一方的に攻撃する射的ゲーム」に回帰している((画面最下段にまでインベーダーが到達すると侵略されるというルールは残っているが(即ゲームオーバーではなくワンミス)、敵弾は単なる演出であり被弾することはない))。
--ブルーシャークは射的ゲームとしては珍しくX軸しか操作できず、画面の下から上に飛ぶ低速弾(銛)を撃つ形式であり、攻撃方法だけ見ればインベーダーに似ている。
---ちなみに、『ブルーシャーク』は輸入ゲームである。『ブルーシャーク』を作ったメーカーには、代わりにこの『スペースインベーダー』がライセンス提供された。

-驚異的人気により「インベーダーハウス」と呼ばれるゲームセンターが全国各地に乱立し、社会現象にまでなった。
--駄菓子屋や待合室、喫茶店で、テーブル代わりにテーブル筐体を置く店舗が続出。一部のゲームセンターでは、インベーダー及び筐体の貸し出しを行うこともあった。
---現在でもその名残が残っている店がある。
--このインベーダーブームの発生した時期を境にして、PTAが不良の温床であるとしてゲームセンターの存在を問題視し、子ども達の立ち入りを禁止するようになった。
---家庭用ゲーム機が普及、高性能化した現代では考えられないことではあるが(そもそもファミコン登場より5年も前の話である)、ゲームをやる金欲しさにカツアゲをしたり親の財布から金を抜き取るという事件も実際に多数あった。
---さらには当時の百円と今の百円では価値が少なからず違う。当時の一般的な小学生のおこづかいが月1000円程度。初期の『ドラえもん』や『ちびまる子ちゃん』に見られるようにマンガ本一冊買うにも頭を悩ませる時代であった。当然、数千円もするゲーム機(ファミコン登場前なのでLSIゲーム)を誕生日以外に買ってもらえるスネ夫みたいな子なんて極少数だった。
---現在もその考えは未だに根強く残っている。1985年の風営法改正でゲームセンターは風俗営業法で扱われるようになっており、更にゲームセンターの営業にも、様々な制約が課せられている。2016年にやっと保護者同伴の年少者の入店規制が緩和された程度である。((この規制緩和に伴い、保護者同伴を条件に夜10時まで中学生以下(厳密には16歳未満の者)でも入店可となっている。))
---本作のブームによって描かれた漫画『ゲームセンターあらし』でも、このタイトルながらゲームセンターでの話はごく初期の数話のみで、主人公がゲームセンター側から「小学生は入店禁止」と言われ((入店禁止の理由として、電子ライターで誤動作を発生させたり、返却口から重さは違うものの百円玉と同サイズの五円玉を無理矢理逆流させてコインセレクターを突破させたり(現在でもほとんどの自動販売機で五円玉が使えないのはこれが理由。)、コイン投入口からテニスラケットのガットなど硬い紐を挿入してコインスイッチを操作したりといった不正プレイが小学生によって多く行われたことを挙げる描写がある。比較的強固なセキュリティを持ちスラムティルトスイッチまで装備していた純正アップライト筐体では被害を受けなかったが、テーブル筐体はセキュリティが脆弱であったため実際にこれらの不正行為は全国で行われた))((その対策もあってか、数年後の汎用筐体及び、コインリジェクターは不正プレイ防止対策が目に見えてほどこされている。特にコインリジェクターは「針金対策のクレードル」や「糸切り」というパーツ等、当時の不正を知っていればいるほど面白い仕掛けが施されている。))、以後ゲームセンターでバトルする話は一切なくなってしまった。ただし「ゲームセンターでさえなければよい」らしく、歯医者(院長の趣味)とかでアーケードゲーム対決をしたりしている。
--因みに、コミックスでは「インベーダーに始まり、インベーダーに終わる」形で幕を閉じた。

-この頃社会的に100円玉が不足することとなり(但しこれはインベーダーの影響だけではなく、ブーム前から100円玉は不足気味であった)、造幣局が通常よりも多く硬貨を作ることになった。
--ちょうどこの時期に硬貨不足について日本銀行が調査をしている((「ゲームセンターあらしの秘密」より。))ため、何らかの影響はあった可能性が高い。
--当時、インベーダーの筐体から100円玉を集金袋いっぱいに詰めるとそれが約10kgもの重さになり、しかもそれを回収して毎日何十袋も銀行に預けにいかなければ追いつかなかったため、集金担当者(タイトーの社員も含む)の間では腰痛が持病となってしまい、散々悩まされた。
---その集金袋を回収するための車も普通の車では到底追いつかず、とうとう4tトラックを使う羽目になった。しかしそれでも重さに耐え切れず、サスペンションがひん曲がってしまう事故が多発してしまった。
--インベーダーの作者、西角氏が当時を振り返り、「社用車トラックが100円玉の積載オーバーでタイヤが沈み込んでいた」とインタビューで語っている。
//---それに伴い、大量の100円玉の持ち運びを楽にするよう、トラックに電動リフトをつけるようになった。一説によれば、これが車載電動リフトの元祖であるという。
//1965年にはすでにトラックの電動リフトの元祖が別の企業で発明されていたとのことで、どうもこの説は誤りらしいのでCOします。
--都市伝説化しているものでは、インベーダー時代の「新入社員のボーナスが一本(100万円)出た」といわれている。((しかし、作者の西角氏は金一封10万円だけであった。))

-当時ブームだったディスコでは、インベーダーの侵略する様を真似た「インベーダーダンス」なる踊りまで発案された。
--また、当時の話としてルパン三世2nd(通称/赤ジャケルパン)の111話にて「インベーダー金庫は開いたか」等、インベーダーを元にした話の回があるアニメやドラマが作られた。

-1986年公開映画で「スペースインベーダー」という映画がある。異星人による地球征服のまるで関連がありそうな内容だが、これは邦題で原題は「Invaders from Mars」。
--ゲームのヒット時期と公開時期が8年も開いているが、当時の洋画タイトルは原題と邦題で全く違う事が多く(現在でも原題と邦題が全く違うものとしてわかりやすい例が「アナと雪の女王」。)、主に買い付けた配給会社が日本で受け入れやすい名前に変更する為。関連は無いとしても、内容は「ゲームのインベーダーの映画だ!」と言われたらそうだと信じてしまうもので違和感は無かった。
---因みに、この「Invaders from Mars」は1953年に作られた同名映画のリメイクである。

-ある国会議員が「インベーダーの筐体を(選挙の票集めの)見返りに要求された。5000万出すから、こちらに優先的に回せ!」と隠れてタイトーに来たこともあったという(当時のタイトー本社は永田町の近くである平河町にあった)。
--因みに永田町関連で、大平元総理のお孫さんがインベーダーを所有していたというのは有名な話。((ゲームセンターあらしでも「ア~、ウ~…」という大平元総理をモデルにしたキャラと対決する話がある。))

-「名古屋撃ち」「レインボー」などは、ゲームにおける裏技の元祖と言われている。

-アーケード史上最も基板が売れたゲームとして知られる。
--公称では純正品10万枚、ライセンス生産品10万枚。それに大量に出回ったコピー基板が30万枚と言われており、全て合計すると50万台にもなる。
--ちなみに、あの[[ゼビウス]]ですら、純正基板は公称で15000枚前後だと言われている。風営法の関係上、今より遥かに置ける場所が多かった時代とはいえ、いかに本作が人気であったかを物語る出来事と言えよう。

-日本の法律では「空筐体(動かない筐体)は「発火しかねない不良品」として法律で販売が禁止されていた」為、動作確認用基板としてタイトー筐体には「ミニベーダー」というソフトが付属していた時期があった。内容はトーチカもスコアも無い、ただただインベーダーを撃つだけのシンプルすぎるものだが何気に難易度はインベーダーより高い。
--同様の扱いとしてはnamco筐体付属の「[[バタリアン>バトルシティー]]」や、セガ筐体付属の「ドットリくん」等がある。コストカットの結果コインカウンター機能が無いので(営業に使えないので)ゲームセンターで遊ぶにはレアだが((筐体を時間制で貸し出す店が基板ラインナップに入れている事はある。))、どのゲームセンターでも捨てるほど余らせていたのでタダで配っていた店さえあった((中古筐体や他社筐体、簡易筐体である「コントロールボックス」しか持っていない人間に需要があった。))。

-同年のYMOのファーストアルバムに「Computer Game -Theme from the invader-」という曲があるが、シンセサイザーによるインベーダーに寄せた演奏である。ある意味ナムコの「ビデオゲームミュージック」より先に扱われた作品とも言える。

-当初一介の貿易企業だったタイトーは、ゲームメーカーとして飛躍するきっかけとなった本作を大事に扱っており、現在もインベーダー25周年やタイトー45周年といった節目にリメイク・アレンジなどの関連作を制作している。特にカニ型の20点インベーダーは最終的に、タイトーの顔役として内外から扱われることになった。
--タイトーがスクウェア・エニックスに吸収された際、当時のスクエニ社長の和田(WD)氏の提案により、長年使用していた三角から玉が飛び出した企業ロゴマーク(青系)からスペースインベーダーのエイリアン(赤系)に一時的に変更することになる。
--後々に創業者(ミハイル・コーガン)が刻印されたメダルゲーム用メダルもインベーダーに変えているが、これは何千枚とあるメダルの材質変更のタイミングと重なっていたためでもあった。((他店のメダルと違い、「磁石にくっつく」「鉄粉が出るほど柔らかい」等欠陥を抱えていた。当時のタイトーのメダルゲームで遊ぶと手が真っ黒になるのは材質の所為。))
---形態によってバラバラだった名称((タイトーステーション、セイタイトー、ハロータイトー、ウイルトークタイトー、タイトーイン…等。))も「タイトーステーション」に統一。こちらも赤の看板にインベーダーマークがトレードマークになった。((ただし、これはブランド化を兼ねている為に、その店に資格があるかテストして受かった所が名乗れる仕組みであった。))

//--しかし、インベーダー貯金とされる内部保留資産をバブル期に作ったテーマパークの「デイトナパーク」「キャノンボールシティ」で食いつぶした…と揶揄されている。主にタイトー初の早期退職募集で退職した方々の声の一つだが、実際にこの二つの施設が怪しくなってきた頃に早期退職を募集し、その後も何度も行なって人材が離れていっている。
//↑インベーダーと関係ない話なのでCO

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**続編
初代が1978年だが、意外な程期間を開けずに平均5年周期で作成・販売・可動している。詳細は『[[スペースインベーダーシリーズ]]』ページを参照。