ワールド・イズ・エネミー ◆g4HD7T2Nls















声がする。


















敗北者の声がする。
何者でもない何かが、何か、言ってる。













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月明かりの下、少女の声が野風に乗って響く。


「これから、どこにいくんですか?」


ぼそりと、久寿川ささらはそう切り出した。
落ちた日。
訪れた夜が深く沈みいく過程、僅かな期間の一場面。
冷たい月光に照らされたあぜ道を、三人の女性が歩いていた。
柚原春夏と久寿川ささらが並んで前を、
二人の後ろから、香月ちはやが少し遅れて進んでいる。

「んーそれじゃあ、どこに行きましょうか?」

小気味良い調子で隣人にそう切り返したのは柚原春夏である。
三人の中で最も年長者であり、中心に立つ者。
たとえ、殺すものから守るものへと変じようと、これからもそれは変わらない。
洋館を出てから数分ほど経った現在、ささらはそう信じていた。
彼女に追従するように進んできた。

「……決めて、ないんですか?」

だからこそ憔悴を滲ませるささらの声が、夜のどこか生暖かい空気に染みわたる。
ささらは困惑していた。
自身を導いてくれると確信していた女性の、任を放棄するような言葉。
どこか不安を煽るような夜気。
目を細める春夏を見上げながら、
ささらは制服の袖を握り締め、怪訝な表情を浮かべる。
それはしかし、怯えの濃く滲む、泣き顔に近いものだった。

「ええ。決めてないわ」

だからその、春夏の返答はある種、容赦のないものだった。
少なくともささらにとっては。

「決めてるわけないわよー。
 どこに行くのかも、どこで何をするのかも、ね。
 だって全部、これからじゃない?」

言葉には緩みが無い。
ささらの不安を拭う為の、甘さ。
漂う諦念を誤魔化す為の、気休め。
何一つ含まず、ただただ笑顔で、朗らかに、
そして突き放すように、春夏は言っている。

「だからほら、どうするのか、春夏さんに教えて?」
「でも……春夏さんの意見も――」
「ああ、それは駄目よ」

この先の道に標は無い。

「考えなさい、あなたが、自分で」

甘えるな、と。
ほんの一瞬、厳しく色を変えた春夏の瞳に、

「…………っ」

押し黙り、俯く、ささらの歩みが僅かに遅くなる。
見透かされたような羞恥か、あるいは春夏の言葉が重く心に沈んだ結果か。
ぎゅっ、ぎゅっ、と短く二度、握り締められた制服の袖に、数本の皺が走った。

「確認するわ。もう、止めるのよね。人を殺すのは」
「……はい。」

自分で決めたことだった。
己には続けられぬと知った道だった。
日の光に背く、暗い重い陰惨な生き方。
想像するだに怖気が走り、もう二度と、戻れるとは思えない。
人から奪って生き延びるという、ぐずぐずと肉を潰すような、消せぬ感覚。

「罪を背負って生きる。殺さずに生きる。
 今からは、正しく生きると、あなたは選んだ」

だからそうやって生きると言う事の、なんと簡単な事だったろうか。
そして実行するという事の、どれだけ難しい事なのか。
罪を罪として受け止める苦痛を、身をもって今、理解している。

「だったら、進む方向を私に聞くのは止めなさい。
 あなた自身の選択を、あなた自身の責任で、行動にしなさい」
「……」

諭すような春夏の言葉。
罪科を、ささらは知った。
知ったからこそ、無意識に押し付けようとした責任に、恥じる。
己の卑しさを、己の口で、滅茶苦茶に詰りたくなる。

「…………」

僅か、ほんの僅か、静寂が流れた。
力を込めて握る袖と、唇を噛む小さな音が、静かなあぜ道では誰の耳にも届いて。

「あのねぇ」
「?」
「えいっ!」

掛け声が一つ。

「――ひゃあ!?」

ばしっ、と鳴る音と、軽い衝撃。
遅れて脚の付け根のあたりがジンと、痺れる感触。

「……っ」

スカート越しに、平手で尻を叩かれる。
自分の口から飛び出した間の抜けた声に顔を赤くしながら、
ささらはその唐突な展開に困惑していた。

「なぁ、なにを……っ?」

するんだ、と。
混乱交じりに見上げた、その人物はやはり、笑んでいた。

「そうそう、ちゃんと顔上げて、前を見る」
「……春夏さん」

朗らかに、未だ突き放すように、けれど確かに、優しく。
春夏はささらの目を見ていた。

不意にまた、俯きたくなる衝動が湧き上がる。
頼りそうになってしまうから、甘えそうになってしまうから。
この先の自分に、自身が持てないから。

「もう、また下向いてる」
「……」
「しょうがない子」

だから、肩を抱き寄せられたとき、
ささらは思わず身を捩りそうになっていた。
情けなくて、払いのけて、走りだしたくなる衝動がある。

「怖いわね。強く、正しく生きようとするのって」

それでも包むように回された腕は暖かく。
浸りたいという衝動に、どうしても抗えない。

「もう……取り返し、つかないんですよね……?」

甘えた思いが、止まない。
弱い言葉を、止められない。

「そうね、償うも何も、今更っておはなし。
 人をひとり、私たちは死なせたわ。
 わたしも、あなたも、それは変えられない事実。
 特にあなたには、長い人生でこのさき一生の重荷になる。
 まったく……最後までやりきる覚悟も無いくせに、馬鹿なことやったのね」

支えてくれる女性の声は、厳しく残酷だけれども、
ぽん、ぽん、と、肩を叩く手の平の感触に心が安らいだ。
たった数時間前のこと、初めて出会った時とは別人のような、春夏の表情。

「それでも、あなたのこれからは、続いていく」

まるで優しい母親が支えてくれているように思えて、また泣きそうになる。
甘えそうになる。
縋りつきたい衝動をなんとか耐えきったとき、
けれど続けられた言葉が、あった。

「私はね、あなたのお母さんじゃないわ」

それは当然のこと。

「あなたはね、このみじゃない、私の娘じゃない」

知っていたこと。
だけどもしかしたら、逃げ道だったかもしれない、そんな思い。

「だから私はね、あなたが全てだって、一番大切だって、言ってあげられない」
「分ってます。私は自分で生きなきゃいけなくて、自分で償わなきゃいけなくて……」

だから掠れた声で、強がろうとして。

「でもね」

遮られる、声に。

「私はあなたを助けてあげたいって、思ってる」
「……っ」

結局それだけで、簡単に、感情が決壊しそうなる。
自分が嫌になる。
弱い人間なのだと、自覚させられるから。

「行き先は、あなたが決めなさい。生きたいなら、諦めないなら」

厳しい言葉だった。
もしかすると本当の母親以上に、厳しい言葉だった。
そして同時に、空虚な言葉でもあった。

「少なくとも生きるんだって、
 決めたのは、決める事が出来たのは私じゃなくて、あなたでしょう?
 私には、自分の為に出来ることなんて、もう見つけられないけれど」

だけど正しくて、そして今はどこか空虚なこの女性の、残り火が暖かい。

「あなたにはまだ、あるんでしょう?」

硬く、強い、自分を取り戻すには、ささらにはまだ時間が足りず。

「守りたいもの、生きる理由がある。そうでしょう?」

だから、一言。


「……はい」


噛み締めるように答えて、涙を拭う。
それが今のささらにとっての、精一杯。
ゆっくりと正しい道を歩き始めた、一歩だった。





















― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―














声がする。










「…………なのでひとまずは道沿いに歩き、道中で情報を集めましょう。
 あの館のように地図に載っていない要所も存在するでしょうし」
「なるほどね、途中で他の人に出会っちゃった場合はどうするのかしら?」
「攻撃の意志のない人ならば、情報交換からですね、まずは」
「じゃあ、来ヶ谷ちゃんみたいに、攻撃的な子に見つかっちゃったら?」
「……逃げるとか、説得するとか、とにかく努力して生き残ります」
「そっか、それがささらちゃんの考えってことか」
「はい」
「じゃあ春夏さん、了解したわ。行きましょうか」






敗北者の声がする。
何者でもない何物かが、何か、言ってる。






「ちはやちゃんも、それでいいかしら?」






そう呼んで、私の方を振り向いた二人の女性に、私は黙って首をかしげた。
あまりにもつまらなくて。
茶番すぎて、情けなさすら感じてしまって、なんだか苦笑すら浮かばなかった。

単純な疑問。
どうしてこの人たちは、こんなにも気楽にしているのだろう。
憑き物の落ちたような表情で、清清しさすら纏って、からっぽの言葉の羅列を並べていられるのは、何故か。

私には理解できなかった。
したくも、なかったけれど。
少しだけ聞いてみたくもなった。

ねえ、どうして?
どうして、そんなにも無様な有様で、そんなにも安らいでいられるの?
どうして、そんなにも見当違いの綺麗ごとを呟いて、馬鹿みたいに笑っていられるの?



私は、あなた達を知らない。
だけど――



『怖いわね。強く、正しく生きるって』



ねえ、それが、あなた達が欲しかったものなの?



『もう……取り返し、つかないんですよね……?』



ねえ、それが、あなた達が辿り着きたかった結末なの?



『でもね。あなたを助けてあげたいなって、思ってる』



ねえ、それが、あなた達が本当に守りたかった『何か』なの?




違うよね。
違うくせに。
そんな綺麗ごとを吐くために、生きてきたんじゃないくせに。
そんなつまらない『正しさ』を守る為なんかに、戦ってきたんじゃないくせに。


「聞いてる? ちはやちゃん、それで、いい?」


正しい生き方。
正しい倫理。
正しい言葉。
正しい人としての行い。


「えっと、そうですね。はい。それでいいわけ、ないですよ?」


世界の大半は、正しさで出来ているらしい。
それは、私の忌むべき正しさだった。
外れたものを異端と名指して駆逐する、私、香月ちはやの抗うべき、絶対存在。
きっと彼女たちもこの場所で、一度は対敵したはずの、そういう形の大多数(かせ)。


「でも、好きにしてください」


だけど今はもう――


「お任せします。興味ない、ですから」


負けてしまった、あなた達には、と心中で付け加える。
そう、とどのつまり、彼女たちは負けたのだ。
白旗を揚げて、そういうものに吸収された、何かの残り滓。


あーあ。
残念だな。

ただ、そんな事を思った。
正しさに食われた、在り方。
大多数に呑まれた、その一部にされた者。
それがこの、無様な、見るに耐えない末路なのだろう。
気高き愚かさと間違いはここに、容赦なき現実の前に、くだらない正道へと降された。


「そう? じゃ、好きにするわ。ね、ささらちゃん」
「あ、はい」
「ほらほら、ぼーっとしない」
「ちょっともう……叩くのはやめてくださいって……っ」


敗北者の声がする。
何者でもない、何者でもなくなった何かの残骸、何か、言ってる。
とても、とても、つまらない。


「……ほんと、残念だな」


少しだけ足を止め。
茜色の霞んで消えかけた空を見上げ、私は一言だけ、未練を乗せた。
吐いた余韻が去る前に、きっとこんなものは無くなってしまうのだろうけど。
やっぱりほんの少しだけ、失望は隠せない。
とくにあの人には、ちょっぴり期待していたのだけど。


「ま、いいか。これは戒めということで」


かわりに強く、強く目に焼き付けた。
私の立ち向かうべき、敵(ただしさ)の姿を。
絶対に、こうなるまいと誓う、抗うべき末路の景色を。


「もう一度、最初からかな」


心機一転、残骸の後ろを、私は私のままで、進む。
私はまだ、戦い続けている。それを誇りに。
胸の奥で燻る、私だけの間違いを、愚かさだけを強く抱えて。
どこまでも自分の、自分だけの戦いを、続けよう。


「ワールド・イズ・エネミー……なんてね」



この、途方もなく巨大で、途轍もなく強大な、私の敵と。








【時間:1日目20:00ごろ】
【場所:H-6】

柚原春夏
【持ち物:水・食料一日分】
【状況:健康】

久寿川ささら
【持ち物:水・食料一日分】
【状況:健康】

香月ちはや
【持ち物:鉄パイプ、フェイファー・ツェリザカ(4/5)、予備弾×50、水・食料一日分】
【状況:健康】




136:終わった世界で何もかも終わる 時系列順 :[[]]
139:survive song 投下順 141:Laughing Panther
133:Sorrowless 柚原春夏:[[]]
久寿川ささら :[[]]
香月ちはや :[[]]


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最終更新:2012年06月02日 04:07