矢貫俊之

1983年12月15日生まれ 福島県出身 B型
08年ドラフト3巡目でハムに入団。

190cmの長身投手。
高校、大学時代は無名の選手だったが、社会人野球の名門・三菱ふそう川崎に入社後才能が開花。
その三菱ふそう川崎が08年シーズン限りで休部。指名が無ければ移籍する予定だったそう。
09年は一軍出場はなかったが、10月7日〜11月23日の間アメリカに野球留学し、フェニックス・デザートドッグスの一員としてアリゾナ秋季リーグに参加した。
10年6月29日の西武戦にて先発投手を務め、プロ初勝利をあげる。
同年8月16日に右肘関節内骨片除去手術を受け、その後はリハビリに専念し、二軍でも登板はなかった。
12年8月1日のロッテ戦で延長12回に急遽登板(残っている投手が矢貫と、まだ日本での登板機会が無いモルケンだけだった)。見事プロ初セーブをあげる。
同年8月15日のイーグルス戦で1回裏に八木の危険球退場を受けてスクランブル登板、3回までリードを守り投げ切り勝利投手に(2年ぶりの勝利)。
なおこの日は母校・仙台育英高が甲子園で激闘を繰り広げ、逆転勝ちを収めた日でもあった。

13年開幕戦、先発のマサルさんがアクシデントで降板すると急遽登板し、開幕戦勝利投手となる。
中継ぎでフル回転して大活躍、その活躍が認められたかの如く、この年のオールスターに監督推薦で初出場となる。
その後疲労の為に打ちこまれることが多くなり抹消されるも、自己最多の58試合に登板。
14年シーズンもロングリリーフとして登板もシーズン全体で安定感を欠いて登録と抹消を繰り返す。

15年6月10日に北篤と共に矢野須永との交換トレードで巨人へ移籍することが発表される。


エピソード

  • 仙台育英高校ではベンチ入りできず、公式戦登板無しに終わる。
    • 同校は2001年春の選抜大会で準優勝しているが、このとき矢貫はアルプススタンドで大太鼓を叩く担当だった。
  • しばしば投球時に帽子が脱げ落ちる。時には一人の打者に対しての投球中、3回以上振り落としてしまう事も。
  • 09年オフ結婚。
  • 10年にお菊に弟子入りしてタイへ自主トレに行った。ちなみに11年はムラマサも一緒だったようだ。
  • 巨人への交換トレードが発表された日に札幌ドームのスタンドのファンへあいさつに来た。

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最終更新:2015年06月10日 18:49