矢野謙次

1980年9月21日生まれ 東京都出身
2002年ドラフト6位で國學院大學から巨人へ入団。

2004年にプロ入り初安打が初ホームランとなる。翌年はライトとセンターで85試合に出場。
06年に左足小指の骨折が判明、7月に復帰も故障の影響で成績が落ちる。
08年に右ひじを疲労骨折して出遅れ、秋に右ひざ関節を痛めてオフに手術。09年シーズン前半はリハビリに費やす。
10年に2年ぶりにスタメン復帰、シーズン後半は主に代打の切り札として活躍する。
12年に開幕前の親善試合で左足を捻挫、シーズン後半に復帰。
13年は代打の切り札として活躍、代打成績は53打数19安打、打率.358。シーズン代打安打19は球団新記録を達成する。

15年6月10日に須永と共に矢貫との交換トレードでハムに入団。
翌日6月11日に入団会見、更にその翌日に早速1軍昇格、3安打を放ち猛打賞(しかも全て二塁打)でお立ち台にも立つ。
FA取得者で去就が注目されていたが、同年11月2日に16年シーズンもハムでプレーすることを発表。
17年シーズンは代打中心で44試合に出場も、チーム成績の低迷によるチーム事情(若手中心起用)もあり後半は2軍調整の日々。海外FA権も取得していたが残留した。
18年シーズンは1軍出場は18試合にとどまり、7月30日に抹消になって以降は2軍暮らし。同年9月28日に現役を引退することが発表、同年10月10日に昇格して対ロッテにて7回に代打で登場、ヒットで有終の美を飾る。
引退後はチーム統轄本部特命コーチとしてテキサス・レンジャーズにコーチ留学、19年10月21日に20年シーズンより1軍の外野守備兼打撃コーチ補佐に就任。
20年11月24日に上田の古巣復帰に伴い、21年シーズンより2軍打撃コーチへ配置転換、22年11月3日に契約満了に伴い退任が発表、同年11月25日にアマスカウトとなった。
23年10月27日に退任が発表され、翌日の28日には古巣巨人の打撃コーチに就任した。

エピソード

  • 07年6月11日に勝さんから決勝ホームランを放った。
  • 同じく07年5月のソフトバンク戦で代打の代打で逆転満塁ホームランを放つ(史上8人目)。
  • 13年シーズンに代打の切り札として活躍していた時に原監督から「神様」と賞賛された。
  • 15年6月12日の試合でお立ち台に立った時に「ファイターズ最高!!」と発言、早速名言Tシャツとなり販売されることに。
  • その3日後の6月14日の試合でお立ち台に立った時に、実は息子と共に大谷に憧れていたことを告白。

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最終更新:2023年10月29日 16:51