大社義規

1915年2月1日生まれ 香川県出身
元日本ハムファイターズオーナー

1942年に日本ハムの前身である「徳島食肉加工工場」を設立、その後合併を経て1963年に日本ハムに社名を変更。
1973年には、三原脩の勧めにより日拓ホームフライヤーズを買収し、公募で決定した新ニックネームをつけ
「日本ハムファイターズ」としてプロ野球に参戦。オーナーに就任し、チームの躍進とともに企業のイメージアップにつなげた。
02年の狂牛病の一件で第一線から退き、05年4月にこの世を去る。


エピソード

  • 1981年のリーグ優勝の胴上げの時に着ていたユニフォームの背番号100はオーナーとしては史上初の永久欠番となった(09年2月)。
  • 06年にファイターズが44年振りの日本一を果たした際、大社啓二(前オーナー)が持つ遺影という形ではあったが選手によって胴上げされた。
  • 09年1月特別表彰で野球殿堂入りを果たした。
  • 13年1月にはキャンプ地名護に銅像が建立された。

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最終更新:2013年02月02日 19:50