堀瑞輝

1998年5月10日生まれ。広島県出身。
2016年にドラフト1巡目(田中正義,佐々木千隼の外れとして)指名。


小学3年の時に軟式野球を始め、中学時代にも軟式野球部に所属。
高校は広島新庄高校へ進学、1年夏よりベンチ入り、秋の県大会で5連続完投を達成(準々決勝で1失点、準決勝で2失点、決勝では完封勝利)。
2年夏の県大会では6戦中5試合を完投(うち2試合は完封)、46回45奪三振で甲子園に出場、
1回戦では8回にふくらはぎをつりながらも2失点完投勝利をあげる。
3年夏の県大会では6試合を44回63奪三振の活躍で甲子園へ出場、3試合を1人で投げぬいて2つの完投、防御率1.20をあげる。
しかし木更津総合(千葉)戦では自責点2に抑えたものの味方から1点の援護も得られず0-2で敗戦、甲子園を去った。
U-18代表に選出されると、3試合で9回2/3を投げて18奪三振無失点と活躍をあげる。

17年3月12日の教育リーグ(対ロッテ)にて7回3番手として登板、1つ三振を奪うもその直後にホームランを打たれてほろ苦デビュー(1安打1三振1四球1失点)。
同年4月6日のファームでの対楽天で6回3番手で登板して2回を投げてプロ初勝利をあげる。その後左ひじの張りで一時戦線を離脱も、2軍では6試合8回を投げて12三振(8/8現在)。
同年8月9日に初の1軍昇格を果たし、同日の対楽天の6回裏でプロ初登板、16球を投げてファーストゴロ、見逃し三振と空振り三振と上々なデビュー。同年8月17日対ロッテにて7回表被弾2を浴び、1軍2軍通じて初失点を喫すもその後は抑える(後述)。翌日に先発調整の為再び2軍へ。同年9月29日に再び1軍へ昇格して対楽天で先発、5回をホームランでの1失点にまとめるも味方の援護なく敗戦投手になる。同年U-24の代表に選出、同年11月16日の対韓国で10回途中で登板してピンチをしのいだ後、味方がサヨナラ勝ちを演出して勝利投手となった。
18年シーズンは先発として調整、6月に一度昇格チャンスも左もも裏を痛めて再び降格。同年7月28日に再び昇格して対オリックスで登板、6回途中で降板も後続投手が点を与えずに1軍初勝利をあげた。同年10月11日の対ロッテにて9回に登板、ピンチもあったがしのいで初セーブをあげた。
19年春季キャンプはアリゾナでスタートも開幕メンバーには選ばれずファームでスタート。同年4月5日に昇格後は主に中継ぎを中心に投球、6月9日に一度抹消も6月20日に再び昇格。その後はいわゆる中継ぎの他にオープナーの使い方をされる。同年8月4日(対ソフトバンク)で予告先発されて1回を投げて3凡後に降板、同年8月6日(対オリックス)でも予告先発されて同様に1回を投げて降板した。中1日での先発となると1978年9月14~15日の間柴茂有以来、実に41年振りのこととなった。
20年シーズン以降は中継ぎに専念して45試合に登板、21年シーズンは60試合に登板して42ホールドポイントをあげて最優秀中継ぎのタイトルを獲得した。

エピソード

  • 177cm72kgと奪三振率の高いスリークォーターの左腕。
  • 両親との3人家族(一人っ子)。
  • ドラフトで指名を受けて取材を受けた際にチームメイトが日本ハムのハーフベーコンを持っていたところが映り、それがツイッターにあがってYahoo話題なうのトップを飾る。
  • 初被弾を喫した試合後、ロッカールームで先輩たちに泣きながら謝罪し、勝利の権利があった加藤に号泣して謝罪も先輩たちに励まされていた。
  • 中島に、「言っちゃったらまた気にするかもなんだけど、みっくんはマウンド上でも打たれたりしたら目をウルウルさせて泣きそうになってる」と暴露される。
  • 近藤に豆腐メンタル、豆腐と呼ばれている。
  • 中継ぎ転向から宮西に弟子入り。オフの自主練を共にしている。
  • 大の漫画好き。
  • ドラフト同期の玉井をアッシーにしている節がある。
  • 選手からもファンからも可愛いと言われることが多いが本人はそろそろ可愛いを卒業したいと思っている。
  • 15年の夏の甲子園で清宮と対戦があり、三振とヒットという結果であった。まさか2年後にドラフト1位でチームメイトになるとは。
  • 22年シーズン、2戦目に予告先発で名前が挙がっていたものの開幕戦の対ソフトバンクにて7回に中継ぎで投げていた。

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最終更新:2022年03月25日 21:56