秋吉亮

1989年3月21日生まれ。東京都出身
2013年にドラフト3位で社会人を経てヤクルトに指名。

小学校より野球を始め、中学では軟式野球と軟式のシニアに所属。内野と外野をこなし、キャッチャーもやっていた。
高校は試合に出ることを考えて公立(都立/後述)高校に進学、当初はファーストだったがその後投手に転向、2年時の秋の大会で早稲田実業高校と対戦、敗れたものの途中までノーノー(後述)。最高は東東京都予選のベスト4であった。
大学(中央学院大学)で14勝を挙げて卒業後は社会人パナソニックへ進む。エース格として都市対抗ベスト8と日本選手権ベスト4、アジア野球選手権日本代表(3勝)と結果を残してドラフト候補に挙がるも会社事情で残留。
13年も都市対抗と日本選手権共にベスト8と好成績を残す原動力となった。

ヤクルト入団後、14年のオープン戦で結果を残して開幕ローテーション入りを果たして同年4月1日に初先発も結果を残せず中継ぎに配置転換、同年5月13日の対巨人でプロ初勝利、同年5月26日には初セーブをあげる。救援陣の不調等もあってこの年はチームトップの61試合に登板した。
15年は序盤の不調から持ち直して調子を上げ、終わってみるとチームトップの74試合22ホールドを上げて優勝に貢献。16年は当初セットアッパーもチーム事情でクローザーに転向、通算200登板を達成し(入団3年目では稲尾さんに次いで2人目)て最終的に19セーブをあげた。またこの年の2月と10月に侍ジャパン強化指定試合の代表にも選出された。
17年はシーズン当初は抑えも同年6月30日に負傷離脱、復帰後はセットアッパーも故障の影響で登板が43試合に留まり安定感を欠く投球となった。またこの年の3月にはWBCの日本代表にも選出されてキューバ戦で勝ち投手となった。
18年は開幕当初はセットアッパーも調子があがらず、他の投手などの台頭もあってロングリリーフや敗戦処理が中心となり何度かの降格も経験した。
シーズン終了後の同年12月11日に谷内と共に高梨裕稔太田賢吾との交換トレードでハム入りが発表。
19年春季キャンプはアリゾナ組。同年の開幕メンバーに名前を連ねた。当初はセットアッパーからスタートも石川直の登録抹消もあり、クローザーとして登板。安定した登板を続けていたが同年6月9日の交流戦(対阪神)でサヨナラ負けを喫する。その2日後の6月11日に右足内側広筋および内転筋の肉離れ(共に2度)と診断、1か月半かかるということであったが回復が早く同年7月2日のイースタン(対西武)で復帰して3三振、同年7月5日の対楽天では昇格して即9回に登板してセーブをあげた。同年7月16日の対ソフトバンクで9回に登板、3人で締めて12球団全てセーブをあげた。

エピソード

  • 高校2年時の秋の大会で早稲田実業高校と対戦、佑ちゃんと対戦したことがある。
  • 都立高校出身者のドラフト指名は05年の高校生ドラフト(中日高江)以来のことであり、WBCに選出されたのは初めてのことであった。
  • 顔が長い方で、ヤクルト時代のニックネームは似ていることから「なすび」。
  • 19年2月23日のFFFFFより、アリゾナキャンプにおいてバネさんと対面した時に「お前フェイス会な」と言われてフェイス会構成員となった。

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最終更新:2019年07月16日 22:56