とある魔術の禁書目録 Index SSまとめ

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匿名ユーザー

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「一応聞いておきたいンだが」
「なんだい?」
 少年の病室へと向かう廊下で。
 一方通行は隣を歩く、難しい顔をしたままのカエル顔の医者に問いかける。
「学習装置を三十分内で、回数を分けてあの野郎の頭に入力するってのはダメなのか?」
「ダメだね」
 即答だった。
「それができれば一〇〇三二号さんは、入力時間を算出する必要は無くなるよ」
「何故だ?」
「今回、強制入力するのが『知識』ではなく『経験』だからだ」
「あン?」
 一方通行がいぶかしげな声を漏らすが、カエル顔の医者は前を向いたまま続ける。
「人はどうやって形成されていくか、知っているかい?」
「なンだそりゃ? ンなもン、歳を経ていく過程で得る知識と、取り巻く生活環境という経験で培われるものだろうが」
「その通りだ。では、その『経験則』が二つも三つもあったらどうなるかな?」
「はァ? なンだそりゃ?」
「今の上条くんは、前の上条くんではない、それは理解できるよね?」
「まアな。記憶がねえンだから、あア、そうか、そういうことか。記憶を書き込むって表現は間違いじゃねエが、言ってみりゃ、アイツは前のアイツの記憶を、一冊の本にして頭に植え付けるってようなものか」
 カツン、カツン、と廊下に三人の足音だけが響く。
 軽くはない。この一歩一歩が上条当麻の病室へと近づいていくのだ。一方通行はともかく、御坂妹の足取りは次第に重くなっていく。
「そうだ。そこで聞くが、仮に君の経験談を二つの物語に分けて、別の誰かに別々に読ませたとしたら、その人物は君をどう判断すると思う?」
「俺の経験談?」
「難しい話じゃない。八月二十一日以前と八月二十一日以後で構わないだろう」
 ――!!
 一方通行は立ち止まった。カエル顔の後頭部を殺気漲る目で睨みつける。
「……どォいう意味だ?」
「何、その二冊の経験談を読んだ、その別の誰かは君をどう思うか、というだけだ」
 カエル顔の医者も立ち止まる。しかし、一方通行とは違い、その表情にはまだ余裕がある。
 それはこの医者が一方通行という少年を理解しているから、とでも言おうか。
 一方通行にこの話をしても、一方通行は決してカエル顔の医者に牙を向くことはない、と。
「おそらく、その別の誰かは、こう思うんじゃないかな? 『一方通行という人物は二人いる』と」
「くっ……!」
 カエル顔の医者の言うとおり、一方通のはその日を境に、まるで違う二人がいるようなものだ。
 本人であれば、どちらも『自分である』と断言できる。それは『一方通行という一つ経験の流れの中で起こった出来事』だからこそ、『過去があって未来がある』という風に解釈できるからだ。
 しかし、まったく一方通行のことを知らない第三者が、この二つの経験談を別々に見せられたら、『現在』の一方通行が、どっちの一方通行か判断できない。
 ゆえに、二つの物語があるということは、『一方通行は二人いる』という誤った答えに辿り着いてしまう。
「さて、そうなると、『記憶を書き込まれる』上条くんの場合だが、現在の『彼』は、皆が知る『上条当麻』ではない。『上条当麻』はあくまで、『上条当麻』という一つの経験の流れの中で培われるものだ。そして、失われた『上条当麻』の物語を、複数回に分けられて見せられるだけならまだしも、脳に書き込まれたら『彼』はどう判断するだろうか」
「なるほどな……『複数の経験談(物語)』が存在してしまい、本当の自分が分からなくなる、ってことか……」
「解離性同一性障害、多重人格の自覚版を引き起こすだろうね。どれが本当の自分なのか分からないわけだから、その後に待っているのは自我の崩壊だよ。別の誰かが君の物語を二つに分けて読むだけで、君が二人居ると思ってしまうのだから、学習装置使用限度三十分だとしても、仮に今回の場合は入力時間が二時間だから、少なくとも四つの『上条当麻』の記憶が書き込まれることになる」
「それを一つにできねエのか? たとえば誰かに時系列順に説明してもらうとかして」
「誰が説明するんだい? 人によって上条くんという人物の捉え方は違うものだ。そこには正解なんて存在しないし、人間は、基本的に自分以上に他人を信用することはあり得ない。結果的に、上条くんは『書き込まれた記憶』から自分を判断することになるわけだから、四つ経験談(物語)があれば、四つの人格と誤認してしまう。それがどんなに似たような経験談だろうと、それらを一括りにはできない」
「なるほどな。つーことは、一回でやらなきゃ、『一つの経験の流れ』ってことにならねエから、本当の意味での『アイツ』にはならねエ、ってことか」
「そういうことだ」
 二人は再び歩き出す。
 随分、先に行ったのか。
 御坂妹はすでに、二人の目の前にはいなかった。


 こんこん、と部屋を二回ノックする御坂妹。
 内に秘めたる思いと供に。
 どうぞ、と声がした。
 その声を聞いて、そっと部屋のドアを開ける。
 視線の先には、こちらを向いている上条当麻が居る。
「どうした? もうすぐ就寝の時間になるから、あまり長くは相手できないけど」
 言って、少年はにかっと笑う。その笑顔は『知らない人に対する愛想笑い』ではない。『知り合いに見せる安堵した笑顔』だ。
 御坂妹は上条当麻に意識が戻って以来、何度も何度も足しげく、この病室に通っていた。
「あなたに少し残念なお知らせがあります、と、ミサカは心苦しい心境を吐露します」
「……残念なお知らせ?」
「はい、ミサカが先ほど言いました記憶回復の方法ですが、ミサカが考えていたやり方は不可能になりました、と、ミサカはあなたの目を見ることができないので伏せ目になります」
「は?」
 実のところ、上条当麻の意識が戻ったのは救出されてすぐだった。
 日数に直せば、三日ぐらい。
 しかし、御坂妹を始めとしたミサカネットワークはその情報を、あえて公開しなかった。
 少年を独占したかったからではない。
 少年が記憶喪失だったからではない。
 御坂美琴の状態が最悪だったがために公開できなかったのだ。
 ミサカネットワークにとっては、上条当麻と同じくらい御坂美琴も大切な存在だ。
 上条当麻の無事を知って喜ぶ者がいるだろう。しかし、反対に御坂美琴の危険を知って嘆き悲しむ者もいる。
 ミサカネットワークとしては、双方供に無事であることを知らせたかったのだ。
 だからこそ、美琴が、峠を越すまで待っていた。
 そのことに、カエル顔の医者も同意してくれた。
 少年には、周囲に告げるのは、状態がもっと安定してからと嘘を吐いて同意してもらった。
 だから、カエル顔の医者はインデックスに一つ『嘘』を吐いた。
 『昨日までのことを思い出すことはない』と言ったのは、前回と同じ印象を与えて、上条当麻が一ヶ月以上前から目が覚めていたことを悟らせないようにするための方便だったのだ。
 と言っても、記憶喪失の少年を放置するわけもなく、孤独で透明な少年の心を癒すために御坂妹は、それこそ毎日、時間の許す限り通っていた。
「ですが、あなたの脳に、あなたの記憶を書き込んでくれる能力者が来てくれましたので、ミサカが用意する予定だった機材を使用することなく、ミサカが先に提示した方法での記憶回復は可能です、と、ミサカは、まずは事実のみをあなたにお伝えします。
「そ、そうか? なら、別に問題はないってことだよな?」
「方法自体は問題ありません、と、ミサカは率直にあなたにお伝えします。ここから先は、あなたの脳に記憶を書き込んでくれる能力者が説明いたします、と、ミサカは、もうすぐここに来る能力者に託します」
「能力者?」
 結果、透明な少年にとって、御坂妹は、初めてできた友達、心を許せる存在。不安を取り除いてくれる姉か母親のような人になっていたのだ。
 今の会話にしても、上条は少し疑問を抱いたが、御坂妹の言うことであれば、たいてい信用しているので、とりあえず、御坂妹が呼んだという能力者を待つことができるくらいに。
 唯一、御坂妹が語らなかったのは御坂美琴のことだけだった。
 これも、上条当麻を独占したいからではない。
 もう一度言うが、御坂美琴が峠を越したのは、つい最近。
 もし、上条当麻が御坂美琴の危険な状態を知ったなら。
 もし、それが、上条当麻を助けたためだと、知ったなら。
 記憶を失くしても上条当麻は上条当麻のままだったのだ。
 鈍感で直情的で、自分のことよりも他人の心配ばかりする大馬鹿者のままだったのだ。
 そんな彼が美琴をことを知ると心を痛めるなんてものじゃない。絶対に絶望する。心に甚大な損傷を及ぼす。未来永劫、その罪を背負ってしまう。
 だから、御坂妹は美琴のことを伝えなかった。
 みんなが笑って、みんなが望む、そんな最高な世界。
 そこには上条当麻だって含まれる。
 知らないなら知らないままの方が幸せだってこともある。
 だから、御坂妹は美琴のことを伝えなかったのだ。


「本当に君がやるのかい?」
「さアな、そりゃ、ヒーロー次第だろうよ」
 カエル顔の医者の溜息に、一方通行は、瞳を伏せた不敵な笑みを浮かべて答えていた。
「確かに君ならば、あの少年の脳に記憶を入力できるだろう。脳を読み取る分にはあの少年の右手は影響しない。しかし、学習装置は、能力としては低いとは言えないにしろ、かと言って常盤台中学に入学できるがどうか微妙な高さでしかないが、それでも君に勝るとも劣らない優秀な『頭脳』を持つ少女が開発したものだ。それゆえ、君であっても、学習装置と同じで、入力時間に二時間は必要になる」
「俺の電極型チョーカーのことか? 今のこいつは能力使用モード、三十分だ」
 二人が会話しているのは、少年の部屋の外、ドアの影になっている場所だ。
 小声なだけに上条には聞こえない。
「残り一時間半はどうする? 強制入力は途中で止めることはできない。パソコンにソフトをインストールしている最中に中断するのとは訳が違う。あれはインストール自体を無かったことにできるが、脳への強制入力はやり切らないと、脳に重大な障害を及ぼす。最悪、脳死状態にさえなる」
「だから言ってンだろ? ヒーロー次第だっつーの。それとも何か? テメエが、この俺に協力してくれるってか?」
「……入院患者はあの少年だけではない。少しでも停止できない機器も多数ある」
「だろうが。今のテメエはあいつらに協力することしかできねエよ」
 言って、杖を持っていない方の手、左手をヒラヒラさせて一方通行も中に入っていく。
 電灯の光とは言え、明るい部屋の中へと。
「……僕が心配しているのは君のことだったんだけどね。君もあの少年同様、自分のことはどうでもいいのかい?」
 カエル顔の医者が暗闇で呟いた言葉は誰にも聞こえない。




「一方通行!?」
 上条当麻は思わず声を上げた。
 記憶を書き込む、って話だったから、てっきり精神操作系の能力者でも呼んだのかと踏んでいたので、まさか、こんな大物が来るとは思わなかったのだ。
 まあ、御坂妹は『能力者』としか言わなかったから、精神操作系の能力者が来るとは限らないのも間違いではないのだが。
 そして、そんな上条の声に疑問を持ったのは、一方通行本人と御坂妹の二人。
 上条当麻は記憶喪失だ。
 一方通行と面識があった思い出を失くしているはずの上条がどうして一方通行を知っているのだろうか。
「オイ、テメエ、俺のことを覚えてンのか?」
 珍しく、目を丸くして問う一方通行。
 その横では、御坂妹も驚きで目を見開いている。
「お、覚えているんじゃなくて、あんたは俺みたいな無能力者でも知っている、全てのベクトルを操る学園都市の第一位、最強のレベル5だろうが! 学園都市で生活している奴なら知らない奴の方がいないんじゃないか!?」
 ただ不幸中の幸いと言おうか、上条当麻は記憶喪失なのだが、それは前回と同じで、ダメージを受けたのはエピソード記憶であって、意味記憶や手続き記憶までには及んでいなかった。それは、上条が言葉自体は知っていたり、起きたり歩いたりできることでも証明されている。
「アア、そうか、そういうことか。イイねイイね最っ高だねエ、オマエ! これは是非ともオマエの記憶を戻してやりたくなったぜ!」
 あの一方通行が腹を抱えて笑っている。
(何が面白いのでしょう、とミサカは疑問に思います)
 御坂妹はそれが不思議でならなかった。
「あの……いったい何があなた様のツボに嵌ったのでしょうか……?」
 上条当麻は恐る恐る、引きつった愛想笑いを浮かべて問いかける。
「クックックックック……俺が? 最強、さいきょう、サイキョーってか? そりゃ確かにそォだったな、俺はこの街で一番強い能力者だった、そりゃつまり、世界で最高の能力者って事だったろォけどなァ……」
 ひとしきり笑った後、一方通行は、なんとも本当に面白そうな、それでいて凶悪な笑顔を浮かべて言った。
 上条当麻の目をまっすぐ見て。


「そんな俺にテメエは二勝無敗なンだよ。つーことは、テメエは超能力者(レベル5)以上の絶対能力者(レベル6)ってことになンのかなァ?」


(お、俺が学園都市最強(アクセラレータ)に二勝した? 嘘だろ? どうやって?)
 もちろん、上条当麻にはそんな記憶はない。医者に、自分の右手には『幻想殺し(イマジンブレイカー)』という、異能の力であれば神の奇跡(システム)さえ打ち消せる能力が宿っていることは教えられたが、それだけで、どうやって勝てたのか、当然、予想もつかない。何と言っても右手以外に触れられた終わりなのだ。しかも、一方通行(アクセラレータ)にはぶち切れると全ての能力を凌駕し、全てを破壊し尽くす黒翼もあるのに。
 と、そこまで考えて、上条はふと気づく。
「あれ? 俺はどうして、ここまで詳細に一方通行の能力について知っているんだ?」
 頭上には?マークを点滅させていた。
「それは、あなたが失った記憶はエピソード記憶だからです、とミサカは指摘します」
 上条は即座に御坂妹と一方通行を見た。
「つまりだ、テメエの『思い出』には残ってねエが、体は覚えてるってことだ。これで分っかンねエか? 俺がオマエの記憶を戻してやりたくなったって理由がよ」
「ええっと……つまりは、私めの記憶を戻さないと、お礼参りをした気にはならないと……」
「だろうがァ」
「はははははは……何か記憶が戻らなくてもいいかなぁ、とか思っちゃいましたけど、ダメですか?」
 渇いた愛想笑いを浮かべる上条に、しかし、御坂妹が毅然と言った。
「ならば取り止めましょうか? とミサカはあなたの目をまっすぐ見て推奨します」
 その言葉には侮蔑はない。嘲笑もない。
 本当に真摯な言葉だった。
 感情に乏しいはずの御坂妹が明らかに、まるで懇願するような口調で言ったのだ。


「ここに、あなたに関する記憶があります、と、ミサカはデータスティックをお見せします。もう一つ、この書類の束をお見せします、とミサカは鞄の中から取り出します」
 データスティックはあまりに小さいもの、大きさにして上条の小指ぐらいのものでしかなかった。
 しかし、そこに詰まっているデータは、目の前の、部屋に設置された土産物や花瓶を置くための小さなテーブル、普段は御坂妹の腰くらいまでしかないものに、御坂妹の身長くらい積まれている書類の高さである。
 そしてこれだけではない。
「これは書面になっていますが、Eメールによって海外や学園都市の外から届いた分もあります。それらも印刷してあなたにお渡しします、と、ミサカは提案します」
 上条は黙ってしまった。
 確かに一方通行からの仕返しが怖くない、と言ったら嘘になる。
 だが、それ以上に。
 自分のために、どれだけの人が『上条当麻の記憶』を教えてくれるのか。
 上条当麻という人間が、どれだけの人に愛されていたのか。
 それを踏みにじることなんてことは、『この上条当麻』ならずとも許されるものだろうか。
 この上条当麻も上条当麻なのだ。
 自分のことよりも他人の心配ばかりする学園都市最強のお人好しで大馬鹿者なのだ。
「ミサカが毎日、毎晩、あなたにあなたの記憶を、全ての書面を読んで聞かせます、とミサカは真剣に告げます」
 そしてもう一つ。
 どうして御坂妹が弱気な自分を糾弾しなかったのかも分かってしまった。
 一ヵ月半の付き合いで得た御坂妹の性格を思い出して分かってしまった。
 おそらく、今から行う記憶回復のやり方は相当な危険を伴うものなのだ。
 それも、自分自身の命に関わるような、それくらい危険を伴うものなのだ。
 だから、御坂妹は止めようとしている。
 一方通行による危険な記憶回復ではなく、御坂妹が読んで聞かせる安全な記録暗記へと、方向をシフトさせようとしているのだ。
 上条当麻は考える。
 数日前から、ここに入り浸っていた銀髪碧眼のシスター少女のことを。
 初めて出会ったあの日、号泣しながら『上条当麻』のことを教えてくれた彼女。
 どれだけ辛かっただろう。どれだけ苦しかっただろう。
 それでも、彼女は包み隠さず話してくれた。
 それでも何も思い出せない自分に罪悪感すら感じていた。
 今日、あのシスターと約束した。
 明日になれば、元の記憶を持った上条当麻と再会させると約束した。
「……約束?」
 上条は小さく呟く。
 『約束』という言葉が引っかかった。
 夕方、シスターが帰り際に言った際にも感じたのだが、なぜか『約束』という言葉が気になった。
 何か、とてつもなく大切な何か。
 そんな『約束』を『誰か』と交わしていたのではないか、という思考が過ぎった。
 もちろん、今の上条にはそれが何のかは分からない。
 今の上条には知る由もないが、『インデックスという少女の涙を見たくない』と思ってしまった七月二十九日の上条当麻のように。
 心のどこかで引っかかっているのだ。
 ならば、と思う。


「俺は、記憶を取り戻す」


 きっぱりと何の迷いもない表情で敢然と口にする。


「そりゃ、どういう意味だ? こっちのクローンに昔話を毎晩読ンでもらうみてエにって意味か? それとも今すぐっつーことか?」
「後者に決まってんだろ」
 即答だった。声には何の迷いも感じられなかった。
「あァ? 本気かオイ。ついさっき、俺の仕返しが怖いって、言ってたンじゃねエのか?」
 一方通行がどこか揶揄っぽく罵って、しかし、上条当麻は怯まない。
「ああ、確かに怖いさ。けどな、それ以上に、俺のために、ここまでしてくれる一〇〇三二号や、数日前から俺のところに来ているシスター、それに、こんなにも俺の記憶を必要としている人がいるんだ。それを無碍にできるわけねえだろうが」
 やはり、この男も上条当麻なのだ。
 こういう『誰かのため』になると誰よりも強く太い芯を持つ上条当麻なのだ。
「ほォ……イイ度胸だ」
 一方通行が目を細める。
「言っとくがなァ、これからやンのは一回こっきりしかチャンスがねエことなんだぜ。二回目はねエ。なんせ、失敗するとテメエがオダブツしちまうからなンだが、そこンとこ、楽しく理解してくれるかァ?」
 一方通行の凶悪な笑みが深くなる。
 上条には、どうして、一方通行がここまで危機感を煽るように言ってくるのかが理解できなかった。
 と言うよりも、それはどうでも良かった。
「それでもだ。どっちみち、俺が記憶を取り戻さないことには、もう誰にも会えねえ。会う資格なんざねえ。だったら、記憶が戻らないなら、そのまま誰にも知られずにいなくなっても構わないんじゃないか?」
 上条は一方通行に鋭い眼光をぶつけて言った。
 そこには強い意志しか感じられなかった。
 御坂妹は知っていた。
 一方通行が、相手を必要以上に怖がらせる理由を知っていた。
 それは、一方通行の優しさなのだ。サインなのだ。
 かつて、自分たちにも向けられていたサイン。
 『これ以上、実験に協力するな』という意味が込められたサイン。
 『もう戦いたくない、と言えよ』という意味が込められたサイン。
 自分たちはそれに気づけなかった。
 それが学園都市最強(アクセラレータ)を学園都市の闇の奥深くまで突き堕としてしまった。
 今でも、それだけはミサカネットワークでも深い傷跡、後悔として残っている。
 もっとも、だからと言って妹達を一万人以上も殺した一方通行の罪が許されるわけでもないのだが。
「カッカッカッカッカッ、なら今すぐやってやンぜ! オイ、コイツに鎮静剤を投与しろ!」
 ひとしきり大笑いしてから一方通行が御坂妹に怒鳴るように促す。
 しばし沈黙。
 それは永遠のような数秒間。
「……いいのですか? と、ミサカは確認します」
「ああ」
「本当によろしいのですか? と、ミサカは再度確認します」
「やってくれ」
「もしかしたら、とは考えないのですか? と、ミサカは最終確認を取ります」
 御坂妹の瞳から涙がこぼれてしまう。
 もう二度と、会えなくなるかもしれないのに。
 今生の別れになってしまうかもしれないのに。
 だからこそ断ってほしい。
 思い止まってほしいのだ。
 上条当麻が、上条当麻自身の命を大切にしてほしいのだ。
 しかし、
「それでも、だ」
 上条の答えは変わらない。
「なぁに、明日になればまた会えるさ。しかも別に今の俺もいなくなるわけじゃないんだろ? そんなに深刻になるんじゃねえよ。なんたって学園都市最強のレベル5だぜ。それも俺に仕返ししたいって奴なんだぜ。失敗するわけねえじゃねえか」
 言って、上条はにかっと笑う。
 左袖をまくって、御坂妹の左肘辺りを軽く握る。
「了解しました、と、ミサカも決断します」
 呟き、少女は少年の左腕上腕に注射器の針を注入した。
 これで後戻りはできない。
 正確に言えば、このまま放置する、という手もあるが、そんなことはできない。
 上条当麻の気持ちを踏みにじるなんてことはできない。
 上条当麻は眠りに就く。
 目覚めのときは明日の朝か、それとも、まったく別の日の朝か。


 病室に静寂が訪れる。
 嵐の前のひと時の静寂。
 一方通行と御坂妹は待っている。
 何の会話もなくただただ無言で。
 一方通行は、上条当麻の記憶というメモリを小型のパッドに付けてリロードさせて、上条の『記憶』を暗記し、幾度となく確認作業を行いながら。
 御坂妹は、上条当麻の寝顔をずっと眺めながら。
 この場に集合をかけた者たちを待っている。
 三十分の時を経て、病室のドアが開く。
 そこに居たのは三つの影。
「これで役者は揃ったってわけか。テメエら覚悟はイイか?」
 振り返りもせず、真意を問う一方通行。




「はい、と、ミサカ一〇〇三九号は即答します」
「了解、と、ミサカ一三五七七号は首肯します」
「勿論、と、ミサカ一九〇九〇号は宣言します」




 カエル顔の医者は、最大限の協力を了解し、彼女たちの行動を容認した。
 今、このときだけのために。
 この病院にいる妹達に、一方通行の電極型チョーカーに接続できるバッテリー充電用コードを持たせて。
「コイツを寝かしつけたのは、正解だよなア。え? オイ」
「……」
 相手は何も答えない。
「まア、コイツは俺たちがやろうとしてることを知ったら、絶対に止めちまうからなア」
 一方通行はなんとも凶悪な笑みを浮かべている。
 話しかけているのは、隣にいるかつての『敵』。
 それも初めて敗北の辛辣を舐めさせられた相手。
 直接的な原因は全ての異能の力を無効化する少年だったかもしれないが、その決定打を導いたのは、間違いなく目の前の少女だ。
 少女がミサカネットワークを利用して、学園都市中の風を操ることがなかったら、一方通行は負けていなかったことだろう。
 もっとも、今の一方通行にとってはどうでもいいことだ。
 あの操車場の一件が無ければ、今の自分は無かったはずだ。
 あの操車場の一件で自分が敗北していなければ、もっと無残で惨めな自分しかなかったはずだ。
 今、一方通行は自分の生き様を誇りに思うことができる。
 まだまだかもしれないが、あのときよりは数百倍もマシになっている。
「さアて、始めっとすっかァ?」
 振り向く先は、自分を変えた少年。
 学園都市最強の一方通行を二度も破った本物の男。
 そっと、男の額に手を当てる。
 少年が起き上がることは無い。何事も無ければ明日の朝まで決して目が覚めることはない。
 すべては今晩の内に。
 それもチャンスはたった一度だ。


「先に言っておくが」
 振り向きもせず、一方通行は後ろの少女たちに声をかける。
 ここにいるのは妹達四人。
 学園都市内にいる『妹達』は十人ほどだが、ここに駆けつけられるのは、この病院にいた四人だけだった。
 この四人以外の妹達は、現在いる施設からの外出が困難なのだろう。
 明日、シスターに記憶が戻った上で会う、と約束した少年のためにも、この場にいる四人でやるしかない。
「確かに俺は一万人以上の妹達をぶっ殺した。だからってな、残り一万を見殺しにしていいはずがねエンだ。ああ綺麗ごとだってのは分かってる、今さらどの口がそンな事言うンだってのは自分でも分かってる」
 少女たちはこの白い少年たちのセリフを知っている。
 ミサカネットワークを通じて知っている。
 自分たちを虫ケラ同然に殺してきた相手が。
 たった一人の幼い少女の命を守るために。
 無様でも、不恰好でも、場違いでも、不相応でも、何を今さらと罵られたとしても。
 それでも、妹達を救った少年のように立ち上がってくれたことを。
 命を投げ捨ててでも妹達を守るために立ち上がってくれたことを。
「コイツにも言われたんだ、『精一杯生きているオマエらを食い物にしてんじゃねえ』ってな。だからって訳じゃねエが、俺は、許してもらえるはずがねエと分かってたが、自己満足だって分かってたが、それでもおオマエらを今後一切、絶対に食い物にしねえ、誰の食い物にもさせねえと誓っていたンだ」
 妹達は黙って聞いている。
 一方通行がそういう思考で動いていたことは知っている。
「だがなア、悪ィが、これから二時間だけ、それを破らせてもらうぜエ」
 呟き肩越しに振り返る一方通行。
「テメエらはたった今から一人の人間じゃねエ! この俺に力を与えるためだけの動力源になりやがれ!」
 吼えて、四人の返事を聞くことなく、一方通行は、首に巻いてあるチョーカーのスイッチを通常モードから能力使用モードに切り変えた。
 制限時間三十分の、学園都市最強のレベル5が降臨する!


「望むところです、とミサカ一九〇九〇号はバッテリー充電用コードを強く握ります」
 確かに、一方通行は学習装置の代わりができる。少年の脳に、少年の周りの人たちから集めた、『少年の記憶』を入力することが可能だろう。
 それは、八月三十一日に証明されている。
 打ち止めからウイルスコードを排除したときに証明されている。
 しかし、一方通行は能力使用に制限がある。
 現在は電極チョーカーの改良によって、フルパワーでも三十分間なら能力使用が可能となった。
 ただし三十分だけだ。
 三十分経てば、バッテリーが切れる。能力どころか一方通行自身の全ての機能が停止状態に陥る。
 ところが少年の脳に少年の記憶を書き込むのに必要な時間は二時間と算出されている。
 しかも、ここは病院だ。いくらカエル顔の医者の病院だからと言っても、学園都市最強のレベル5である一方通行を支えるバッテリー電源を供給しようとすれば、それは他の入院患者や医療機器の放棄を意味する。
 そして、学園都市でもっとも安全に作業に集中できる場所がここでもある。ここ以外での長時間作業は好ましくない。
 というより、無用なトラブルを確実に持ってくる一方通行が絡んでいる以上、ここ以外の場所ではできない。
 では、残りの一時間半はどうするのか。
 答えは、これだ。
 妹達がバッテリーとなって一方通行を支える。
 欠陥電気(レデイオノイズ)、オリジナルである超電磁砲の二万分の一のスペックだとしても、発電系能力者(エレクトロマスター)であることには変わりない。
 妹達の発電能力を利用して電極のバッテリー切れを防ぐ、が答えだ。
 経験済みとは言え、それでも、これからやろうとしていることは、戦車の砲身にくくりつけたスプーンを操って赤ちゃんに離乳食を食べさせるくらいの曲芸だ。
 電子顕微鏡クラスの、精密な電子信号の狂いが一切許されない狂気の沙汰だ。
 失敗はそのまま、少年の脳を焼き切り、本当の本物の『死』を与えてしまうものだ。
 暴走トラックのブレーキを踏んだところで止められないのと同じように、途中でやめてしまっても、強大で空回りした力が脳に衝撃を与えてしまい、やはり最悪の結末を招いてしまうのだ。
 学習装置(テスタメント)であれば、全て機械が行う。プログラムさえ間違っていなければ、決して失敗することは無かった。
 だが、その手段は失われた。
 残された手段は、一方通行の、学園都市最強の力(ベクトルコントロール)しかなかった。
 妹達は少年が記憶を取り戻す、と言ってほしくなかった。
 しかし、少年は力強く言った。
 記憶を取り戻すと言い切った。
 その思いは踏みにじれない。踏みにじってはいけない。
 妹達は決意する。
 自分たちの命の価値を教えてもらった少年に。
 その恩に報いるために少年の命を握る。
 それも、唯一無二の、正真正銘の『一度きり』。
 失敗は許されない。絶対に許されない。
 何が何でも、自分たちの命に代えても成功させる。
「――行くぜ。愉快に素敵にビビらせてやンよ!」


 今、妹達の、二時間に渡る死闘が始まる。


 開始三十分。
 一方通行は既に超精神集中(トランス)状態にある。
 超精密作業故、他には構っていられない。
 全身全霊をかけて、少年の記憶を入力していく。
 学園都市最優等生の秀でた頭脳が、膨大な文章を全て0と1で数値化して入力する。それは日本語だろうと外国語だろうと関係なく。
 周りを気にかけるなんてことは不可能だ。
 コマンドは『書き込み』。
 ここまでは、電極チョーカーのバッテリーで動ける。
 ここからは、妹達がバッテリーを支える。
 チョーカーから伸びる充電コードを、まずは一九〇九〇号が強く握る。自身の能力の全てをコードに抽出させる。
 しかし、
「あぐっ……!」
 一九〇九〇号が、まるでロウソクの最後の残り火のように、一瞬、体から火花を散らして、意識を失い、ガタっ!と音を立てて倒れ伏した。
 もちろん、即座に次の一三五七七号がバッテリーコードを握る。
 バッテリー供給は切れなかった。
 それは一方通行のトランス状態が一瞬足りとも途切れなかったことで証明されている。
 一九〇九〇号に限界が来た、それだけだ。
 それだけなのだが。
「……っ!!」
 御坂妹=一〇〇三二号はギョッとした。同時にゾッとした。
 なぜなら、一九〇九〇号が力尽きたのは、供給開始わずか五分後だったのである。
 それはとりもなおさず、一方通行の、学園都市最強のレベル5を支えるためには、自分たちのスペックがあまりに不足していることを意味していたのだ。
 さらに五分が経過し、やはり一三五七七号は倒れ伏す。
 この場にいる妹達(シスターズ)は、一〇〇三二号と倒れ伏した二人を含めて四人。
 経過時間はまだ四十分。
 作業完了までは八十分。
 どう考えても足りない。
 妹達では絶対に届かない。
 休めばある程度回復できるかもしれないが、電池切れを起こした携帯電話を充電させても十五分で満タンにならないように、一人十五分で能力を回復できるはずも無い。
 一〇〇三二号の胸の内に『絶望』の二文字が過ぎる。
(どうする、とミサカは焦燥します)
 一〇〇三九号がバッテリーコードを握って既に三分が経過した。
 実験のときとは違い、『学習』する意味は無い。力の配分や相手の動き云々の話ではないからだ。
 今やっていることは、無我夢中で全速力で走り続けることと同じなのだ。
 どれくらいの時間を、無我夢中で全速力で走り続けることができるか、という話でしかないのだ。
(学園都市には十人ほどミサカたちはいますが、あと五分の内に集めることはできません、とミサカは至極当然の分析をします)
 四分経過。
 一〇〇三九号も、表情からは読みにくいが、一〇〇三二号からすればミサカネットワークの中にいる以上、彼女の状態が分かってしまう。
(ミサカにはあの人を救えないのですか。ミサカではあの人になれないのですか)
 もうすぐ一〇〇三九号も力尽きる寸前だ。
(……って、何を言っているのですか、と、ミサカは自分自身を非難します)
 一〇〇三九号の手がバッテリーコードから離れてしまった。
 即座に一〇〇三二号がその手に掴む。
(ならば、残り七十五分、ミサカが維持すればいい、と、ミサカは決断します。あの人は、どれだけ傷つこうとも、何度倒れても、その度に起き上がってくれたではありませんか、ミサカのために立ち上がってくれたではありませんか、とミサカは自分を鼓舞します)
 コードを握る手に、断固たる決意ともに渾身の力を込める。
(ミサカも、あなたのために、決して諦めることなく耐え抜いてみせます、と、ミサカは決意表明します)

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