桜流し  ◆j1I31zelYA



もう二度と会えないなんて信じられない。

まだ何も伝えてない。
まだ何も伝えてない。




温泉ペンギンの亡骸は、ツインタワービルの中に安置することにした。

元からディパックにいた支給品とはいえ、目から血を流す遺体を荷物のようにディパックに入れてガタゴト運ぶような扱いはできない。
かといって抱え持って歩くには重たすぎるし、何よりも誰かと出会った際にショックを与えすぎる。
いずれ碇シンジには返さないといけないが、今は置きざりにするしかなかった。

「高坂さんは、これからどうするんスか?」
「ここで秋瀬を待つ手もあるけど、雪輝のバカも探したいからな……。
菊地とかいうヤツは神崎の知り合いっぽいし、しばらくはお前らと一緒に行ってやるよ」
「そりゃどーも」
「おいこら、そこはもうちょっと嬉しそうなリアクションを……まぁ、いいや。
秋瀬への伝言を書いてくるから、先に行ってるぞ」

ペンギンを抱きかかえて置き場所を探す越前に何かを察したのか、高坂は文句を中断して場を離れていった。
ペンペンに関しては高坂より二人のほうが長く付き合っていただけ遠慮をしたのかもしれない、と綾波は自分なりの分析をする。
高坂の話によれば、神崎麗美は度胸があって頭の良さそうな少女だったという。なので、どちらかと言うとその豹変が気がかりらしい。

「ん、しょっと……」

スタッフルームのソファの上に、越前がペンペンを寝かせた。
しゃがみこみ、綾波が差し出したジャージ(元は越前のものだが)を広げてふわりと亡骸にかける。
最後にジャージの上から亡骸を撫でて、言った。

「ごめん」

二回目の謝罪だった。
背後からそろそろと表情をうかがえば、強く唇を噛んでいるのが見える。

悲しい。悔しい。苦しい。
本に書かれていた感情のことを思い出して。
レイ自身にもある胸のうずきと重ねてみる。
知り合いがまた一人死んだのだと言われた。
それも、自分に銃口を向ける少女から、この手で殺したのだと言われた。
いろいろな思いを否定されて、その少女を撃とうとしてしまった。
少女を排除できずに、ペンペンを死なせてしまった。

「辛いの?」
「別に……どうすれば良かったのかとか、いろいろ考えてただけ」

否定が嘘だということは分かる。でも、それ以上のことが分からない。

「越前くん」
「ん?」

それでも、まずは言わなければいけないことがあった。

「ありがとう。助けてくれて」

越前が顔を上げる。口からえ、とか、ふぇ、に似た音を漏らした。

「……なんで、今?」
「まだ言ってなかったから。
あなたがいなかったら、私はもっと前に死んでた」

白井黒子の一件や神崎麗美のことを経た後では、言葉の通りだと実感できる。
越前がいなければ、綾波は遠くないどこかで危険人物を殺そうとして逆に殺されるような、あっけない結末だった。
アスカ・ラングレーに助けられた時は、ただその善意をありがたいと思うだけだった。
白井黒子から守られた時は、越前の助けを頼りにした自分自身に驚いていた。
しかし神崎麗美に撃たれそうになった時には、困惑と混乱と葛藤があった。
己の身を盾にして、庇われた。

「瑕疵はあったかもしれない。でも、あなたは無力でもない」

いつだって綾波レイは守る立場だった。
その対象が碇シンジになってからも、その為に命を投げ出せるのが当たり前だった。
守ったシンジや、ゲンドウから血相を変えて心配してもらったことはある。
その時にもらったゲンドウの壊れたメガネは、大切に保管している。
しかし、命を賭けてでも守られたのは初めてのことだった。
そのことが不思議で、感謝だけでなく恐怖もあって、自分のことも越前のことも図りかねている。

「だから、次からは自分の身を守ることも考えて」

高坂王子が見つけてきたシンジの音楽プレイヤーを、越前の左手に握らせる。
どのみちシンジの手に返すならば、越前の手から渡すほうが負い目を解きやすいと思えたからだ。

越前は握りしめたS-DATプレイヤーを見下ろし、しばらく黙っていた。
驚いた様子からバツの悪そうな顔へ、つづけて神妙そうな面持ちへと細かく変化を刻む。
そして、そそくさと後方を向いて歩き出しながら、
つまり、わざわざ自分の顔が見えないようにしてから。
レイにも聞こえる声で「ちぃース!」と答えた。




憎むなというのは、無理だった。
人間じゃないとはいえ、ずっと一緒にいた同行者みたいなのを殺されて。
強くあろうとしたら、その強さが人を傷つけると理不尽な主張をされて。
それでも、やり方を間違えたことに責任はある。高坂や跡部の仲間だった人を傷つけたことに、後悔もある。
思いを乗せれば、私はそんなに強くなれないと卑屈になった。
ついて来てほしくても、もう頑張れないと拒まれて、願い下げだと殺されそうになった。
だったら、神崎麗美の胸がすくように、『勝ち』を諦めればいいのか。
誰も傷つけないように、じっと蹲っていればいいのか。
違う。
それだけは絶対に、違う。

初めて会う人種だからとか、考えが違うからとか。
そんな理由で関心をなくしたら、高坂とも綾波とも、過去に出会った多くの人たちとも、楽しくなれなかった。
高坂は、神崎のことがあったのに煙たがらずに『付いて行ってやる』と言う。
綾波は、道を踏み外さないように止めてくれて、彼女なりに慰めてくれて、とにかく何度も助けてくれた。

だから。
前に進みたいところだから。

だから。
その名前が呼ばれたら、いけないんだ。







『碇シンジ』







いけないのに。

ビルから続くアスファルトの地面の上を、涼しい風が通過する。
木々のざわめく音がまるで聞こえずに、時間が止まったような気がした。
聴覚のすべてが、携帯電話から聞こえてくる名前を受け止めるので精一杯だった。

まだ出会っていない人物の名前だったけれど。
その名前が、呼ばれたら駄目な名前だということは知っていた。

『桐山和雄』

しかし、やはり時間は止まってなどいなかった。
次の名前が読みあげられて、やっと綾波の様子を確かめなければと気づく。
少女のいる方に、顔を向ける。
そこには、凍り付いた少女がいた。
無表情、ではない。
ゼロと氷点下の間には決定的な違いがあって、それは『冷たい』と感じるかどうかだ。
『どうしよう』と焦るしかできなかった。

『真田弦一郎』

その次に呼ばれた名前は、リョーマもよく知った人物だった。
思ったのは、なんで、という疑問。
なんで、こんな時に。
こんな時に死んで、動揺する暇も与えてくれないような頼りない人じゃなかったのに。

そして。
綾波の瞳から、焦点がふっと抜け落ちた。
白く細い指から、するりと携帯電話を持つ力が抜け、それを落下させる。

倒れる。
思った瞬間には駆け寄り、両腕に綾波の体重がのしかかってきた。

「綾波さん! 綾波さんっ」


卒倒した少女に呼びかける声は、らしくもなく引きつっていた。
糸の切れたように意識を失った体は、触ってみるとやはり冷たく、軽かった。




綾波レイは、近くにあったベンチに運ばれた。
ビルの一階にあったソファは、ペンギンを寝かせるのに提供してしまっていたからだ。
自動販売機がすぐ近くにあり、どうやら高坂が越前たちに助けられた時に、発見された場所から近いらしい。

彼女が横になっただけでベンチが満席状態なので、越前はすぐそばの地面にじかに座っている。
腰をおろすと目線の高さが綾波とほぼ同じところにあり、じーっと観察するかのように見つめていた。
無愛想な目つきで口をへの字にしているから読み取れないが、心配しているのだろう。

ここが殺し合いの真っ最中ではなく怪我や風邪で寝こんだだけなら、熱いねぇと冷やかしのひとつでも叩くシチュエーションだが、
彼女の命を賭けてでも守ろうとした思い人が死んでしまったとなれば、深刻にならずにはいられなかった。

「おい……綾波のヤツ、大丈夫か?」
「大丈夫じゃないから倒れたんじゃないの」
「そういうことじゃなくて、起きてからの行動だよ。
あの放送で妙な気を起こしたりしねぇだろうな」
「妙な?」

おそるおそるだが、その懸念を口にしてみる。

「たとえば……碇ってヤツを生き返らせるために殺し合いに乗るとか」
「それ、どうゆう発想っすか」
「オレだって考えたくねぇけどよ……じゃあお前、彼氏に死なれた女がどうなるかとか分かるのかよ?」
「…………」

彼女いない暦約14年の高坂王子だけれど、世の中には恋心から破滅的なほどの暴走をする女子がいることは知っていた。
いや、我妻由乃のパターンが少数派なことは理解しているが、いかんせん生前の碇シンジと綾波レイの関係を客観的に見たことがないのだから、前知識がない。

「だけど……だからって、俺たち含めて皆殺しは無いっスよ。
そこまで勝手な人なら、とっくに乗ってるはずだし……乗りかけたけど」
「待てコラ、乗りかけたとか初めて聞いたぞ」
「だって聞かれなかったから」

しれっと意味深なことを口走ってはいるが、信頼はしているようだった。
単純に『今までずっと一緒にいた綾波がそんなことをするとは思えない』からと否定したのだろう。
それより、目を覚ました綾波にどう接するか悩んでいる風だった。

日野が死んだ時の高坂への態度とずいぶん違うじゃないかと腹も立ったけれど、そう言えばあの会話では綾波がフォローに入ろうとしていた。
越前が高坂の神経を逆立てるようなことを言えば、すかさず綾波が会話に割って入り。
逆に、綾波が難しい用語やずれた言動を使った時には、越前がやれやれと説明に入る。
そんな風に、不器用ながらも助け合おうとしている関係がうかがえた。

自分だって色々あったり知り合いが死んで凹んでいるところなのに、無理するじゃないか。
そう評してみて、かく言う高坂自身は何かしようとしただろうかと省みる。
ツインタワービルを探索して輝いた成果は残したけれど、こういった女ごころや精神的なことはまるでお手上げだった。
手が届くことなら、俄然と張り切れる。
だが、誰に言われずとも雪輝を助けようと動く日野日向や、その日向の為にできることは何でもする野々宮まおのように、
みずから他人のために行動するような積極さを要求されると困ってしまう。
少なくとも秋瀬や日向や野々宮らは、高坂のように『面倒くさい』とか『嫌々ながらも』という態度で事件に関わることがなかった。
自分だけを予知する『高坂KING日記』から、周囲に目を向けた『Neo高坂KING日記』に改めた時にも、それは薄々と感じていた。

べつに怠惰でも不人情でもないぞと、反論は色々とできる。
君子危うきに近寄らず。
頭のネジのぶっ飛んだような連中の殺し合いなど、好んで関わりたいものか。
かつて監禁事件や8thとの戦いで雪輝に協力したのも、日野日向の父親をめぐる事件で助けられた借りがあったから。
そして秋瀬や日向やまおが雪輝を助けようとしたので、それに付き合ったから。
それでも、高坂KING日記の力に目覚めて、予知能力者になれた時は嬉しかった。
その予知能力で『あの』我妻由乃と対峙した時に、ヒーローになったような高揚感を覚えたりもした。

輝いていたいのに、顧みればどうにも半端者だった気がする。
この殺し合いでも、同じ一般人Aなのに『白紙の未来を守る』と宣言した神崎や、『勝ってみせる』と豪語した越前らの方が、しっかりした芯があるように見えた。
もう生存者は半数ぐらいになってしまって、『秋瀬に任せれば何とかなるかも』なんて言ってられないはずだ。
神崎を見て。
越前を見て。
綾波を見て。
彼女らと自分の違いについて、高坂も少し思うところがあった。
それは――

「あ――」

越前の口から、緊張をはらんだ声が漏れる。
綾波の瞼が、目を覚ます前兆のように小刻みに震えていた。




風がすこし、吹いている。
日差しが強くて、目を細める。

知らない場所にいた。

あたたかそうな茶色の煉瓦で組み上げられた、図書館のような建物がそこにある。
ふかふかした芝生のじゅうたんを歩き、煉瓦へと手を触れてみた。

本は嫌いじゃない。よく読んでいる。
空気はあたたかくてぽかぽかするし、ここは嫌いな場所ではない。
そんな感想を持ちながら図書館の周りを歩き、日差しで体をあたためた。
外壁のひとつに人ひとりは通れそうな大きさの穴があいていて、何があったのだろうと小首をかしげてしまう。

呼ばれたような気がして、左へと顔を向けた。
芝生のじゅうたんの先にいくつかの遊具が置かれていて、公園のようになっている。

その公園のいちばん向こう側に、薄桃色をした珍しい花がたくさん咲いていた。
大きな、ふとい幹をした、大木から咲き誇っている。
文献で見たことがある。
『桜』という木の花だった。

咲いたばかりで、すぐに散ってしまう。
そういう花だと、本には書かれていた。

寿命の短い花が咲く、その木の根元で。
白いシャツを着て黒い学生服のズボンをはいた、小柄な少年が立っていた。

ぽかぽかとした光に包まれて、はにかむように笑っていた。

碇くん。
そう、名前を呼んだ。

名前を呼ばれ、少年が頷く。

少年の口が動き、何かを言おうとする。
それを、彼女は待った。
綾波、と。
名前を呼ばれるのを、待った。

その時、景色が変わった。

ざぁっと、風がひときわ強く吹く。
たくさんの、薄紅色をした花びらが散っていく。

散りゆく花弁が巻き上げられ、全ての花をちらさんとばかりに、吹き散らされる。
花びらの嵐に耐えられず、眼をつぶった。

桜も、緑も、日差しも、図書館も、景色からいなくなる。

眼を開ける。
少年は、消えていた。

何もない、真っ白な世界だけが残った。



いなくなってしまった。



何故なら、碇シンジは死んだのだから。



死なないなんて、思っていたはずがない。
でも、先に世界から消えるとしたら綾波レイの方だと思っていた。

それが『正しい順番』だと、漠然と信じていた。

何がいけなかったのか。
どこで間違えたのか。

自分がいなくなった後の世界を心配したことはなかったのに。
彼が世界から消えてしまったと知ると、どうしようもない『寒さ』に襲われた。
全部が全部、凍り付いてしまったような。

死んだ人間が、がんばりしだいで帰ってくるかもしれないと語られた。
そうかもしれない、と思う。
しかし、同時にそうではないだろうと思う。

ほかならぬ『アヤナミレイたち』がそうであるが故に。
それがまったく不可能ではないと知っているし、同時に不可能だろうと知っている。

もしもの話。
仮に、碇シンジが『綾波シリーズ』と同じように生まれ直したとして。
『二人目』の碇シンジが、目の前に現れたとして。
カケラも笑わない『碇シンジ』に、初対面の人間を見るように見られたとして。

綾波も、ほかの誰も、きっと碇くんが生き返ったと喜ぶことなんてできないだろう。
だから、どうにかなるわけがない。

もっとも、それは碇シンジだけの話であって、綾波レイにとっては違うだろうけれど。

これも、もしもの話。
碇シンジからすれば、『新しいアヤナミレイ』が現れたところで、違う人間だと見分けがつかないんじゃないか。
同じものがたくさんあるということは、要らないものがたくさんあるということだから。

この場所に来て、綾波レイという人間に代わりはいないと言われた。
だから、代わりがいない人間らしくなってみようとした。
だが、彼に対して何かをすることができただろうか。
会えなかった。
何も、できていなかった。
何も、伝えられていなかった。
知らないところで、知らないうちに死なせてしまった。

あなたは死なないわ。
わたしが守るもの。

そう、言ったのに。
彼を守れなかった。



――碇シンジのいない世界で、綾波レイは目覚めた。




幾度かの瞬きを繰り返し、視界がクリアになる。
意識が戻って最初に感じたことは、どこか固い椅子の上に寝かされているらしいこと。
そして、神妙な眼差しで見つめている、越前リョーマ。
殺し合いが始まってから、ずっと一緒にいた同行者。

「わたし……」

そして、認識した瞬間に、思い出していく。
放送で、碇シンジの名前が呼ばれたこと。
綾波レイが、エヴァのパイロットとしてではなく、
ただの綾波レイとして生きる目的だった人を、喪ってしまったということ。

「……何もできなかった」

力の入らない体で、起き上がることもできないまま。
ぽつりと言葉は漏れた。

「そんなことない」

即答は、越前の口から返って来た。

「綾波さん、頑張ったじゃん。できることは全部やって。
人を助けるのに戦おうとしたり、しゃべるの苦手なのに長く話したり、強くなろうとして……」

初めて見るんじゃないかというぐらい一生懸命そうに反論していたけれど、
やがて言葉を途切れさせ、うつむいて口にする。

「オレが、碇さんのところまで連れていくって言ったのに……」
「ううん。それは無い。」

彼らに料理などを作ったりしている間にシンジがどこかで死んだのだと思えば、心臓にたくさんの針が刺さったような感覚になる。
しかし彼らの探索に付き合わず、シンジを探していればよかったとは思えない。
おそらく白井黒子や変わってしまった神崎麗美のような相手に出会って、何もできずに殺されるのが落ちだっただろう。
その証左に、一人では、ここまで生きていられなかったのだから。

「越前くんにも、たぶん高坂くんにも、感謝してる」
「『たぶん』って何だよオイ」

後ろに立っていた高坂に文句を言われたが、『たぶん』を付けざるを得ない気がするのだから仕方がない。

どうにか腕に力をいれて身を起こし、ベンチに座る。
まるで自分の腕ではないように、体がぐらぐらした。
いや、おかしいのは綾波レイの全部で、気温は低くないのに体も心もすごく寒い。
それでも、二人に対する感謝は本当だから。
ぺこりと、小さく頭を下げて言った。



「だから、今までありがとう。さようなら」



「は…………?」

越前がけげんそうな声をだし、眉をひそめる。
おかしなことを言ったつもりはない。だから意外な反応だった。

「何言ってんの?」
「碇くんを探す目的はなくなった。
だから、お世話になるのは終わり」

自然かつ当然の帰結。
それに、今の綾波レイではおそらく足手まといになるだろう。
暗くて寒くて大きな穴があいたような、体じゅうがそんな感覚に縛られている。

「だからっ……。それっておかしくないっスか。
だって綾波さん一人だと危ないし、こっちのやることに首つっこんでおいて、今さら全部やめるとか無しだよ」

そう言えば、彼にはさっきも命懸けで助けられたばかりだった。
どうしてそこまで大切にしてくれたのかは分からないままだったけれど、
ヱヴァと関係のないところで、そこまで絆を作れたのだとしたら、おそらく意味のあることだった。
そこまでのことをしてもらえたのに無しにするのは、きっと失礼なことだろう。

「いいの。碇君が死んでしまったら、もう全部いいの」

できるだけ平素どおりに伝えると、越前が表情をゆがめた。
初めて目にする顔だった。知り合いが死んだ時も、こんな顔はしていなかった。
これは、この顔は、違う。
別れを選びたくても、傷つけたかったはずがない。
ただ、傷つけないように言葉を選ぶことができないだけだ。

「私が頑張ろうとしたのは、碇くんのため。
碇くんがいなくなったから、もういいの」

目的がなくても、この少年たちについていけば、まだ寒さを埋められるかもしれない。
越前と、高坂王子と過ごした時間は……悪いものではなかった。
違う。
良いものだった。
碇シンジに感じたぽかぽかとは少し違うけれど、浮かされるような、熱のような感覚を知ることもできた。

でも、その未来を選ぶことは恐ろしかった。

あたたかくしてくれる人なら、碇くんじゃなくても誰でもいいの?

心の内側にいる、意地悪な綾波レイがそう言っている。
それを否定したくて、たまらない。
それに、まだ恐ろしいことがある。
碇シンジを助けられなかった綾波レイが、彼のいない世界で、彼のことを忘れて笑っている。
そんな未来が、とても怖い。
それに、綾波レイが元の世界に帰還しなくても、別のアヤナミレイがエヴァに乗るだろう。
だから、綾波にはもう役割がない。

「わたしには、もう何もないの。
何もないし、何もしたくない」

越前が両の手を強く握りしめ、震わせていた。
自暴自棄な言葉を、わざと投げつけられて。
これでは、まるでさっきの神崎麗美がしたことに似ている。心が痛んだ。

だからなのかも、と想像する。
死んでほしくなかった人たちをたくさん失ったからこそ。
これ以上、失うのが嫌になったから自棄になった。
そして、置いていった眩しい人たちを恨むようになった。
だとしたら、やっぱりそうなるのは嫌だ。
神崎麗美のように、碇シンジを恨むような未来は嫌だから。

だから、ここで終わりにしてもいいはずだ。

「だから、あなたたちも必要ない」

きっぱりと要らないと言われて、少年はまっすぐに怒った顔をする。
いや、傷ついたのか、悲しんでいるのか。
とにかく、その顔は『かっとなった』ように見えた。
これは見捨てられる、と思う。
何を言われても、もう受け取れないけれど。

「あっそう。そんなに一人が――」



「何もないだぁ!? 嫌味言ってんじゃねぇよこのリア充がっ!!」



謎の暴言を食らい、遮られた。

リア充。
その意味はよく分からないけれど、とんでもない侮蔑を吐かれた気がして。

考えていたことが白紙になり、驚きとともにその人物を注視する。
腰に手をあて、胸をそらす。
高坂王子、その人だった。




曲りなりにも仲間である綾波がひどく沈んでいる。
全てを投げ出し、自殺行為同然のことをしようとしている。
仲間が危ういのに何もしない人間など、とうてい輝いているとは言えないだろう。
だから、どうにかしようという気持ちが無いではなかった。

神崎麗美のことが、気にかかっていたこともある。
短い付き合いとはいえ、命の恩人なのだから。
高坂を逃がそうと単独行動した結果、ああなったのだから、何があったのか知りたいし、後悔だってする。
だから、目の前で嫌な方向に堕ちそうになっている仲間を見過ごすのは後味が悪いという思いもあった。
しかし、それだけでは面倒に思いこそすれど苛立ちはしない。

私には、何もない。
その言葉だけは、我慢ならなかった。
高坂王子からすれば、綾波レイは十分に『輝いてる』人間だったのだから。

「言っとくけどなぁ! この中でいちばん『何もない』のは絶対にこの高坂王子様だぞ!
周りにいる女が変人かブサイクばっかりでフラグも立たねぇし!
戦闘機パイロットになって人類を守ったりもしてねぇし!
学校じゃあ陸上部の補欠で、しかもうちの学校は全国大会とか夢のまた夢だしよぉ!
雪輝みたいに特別な戦いに巻き込まれたりもしてないし、秋瀬みたいに事件の調査もやったことねぇ。
認めたくねぇけど、正真正銘のどこにでもいる一般人Aなんだからな!」
「高坂くん?」
「な、何言ってんの……?」

初めて、口に出して認める。
今までの自分が、イマイチ輝けていなかったことを。

高坂は碇という少年を知らないから、二人の関係について何も言えない。
だが少なくとも、綾波レイは碇シンジという少年を助けたいという“芯”があり、それに基づいて行動方針を決めていた。
それは、半端者だった高坂には無いものだった。
しかも、恋愛している男女を雪輝と我妻由乃のいびつな関係ぐらいしか知らない高坂には、とても新鮮に写るものだった。

「でもなぁ、そんな俺様だって輝こうとして日々頑張ったりしてるんだよ!
走るのが早くなるように新しいシューズを勝って走り込みしたり!
かっこいい形の棒を拾ったらコレクションにして、日記につけたり!
何もなくたって、自分にもできること探して頑張ってんだよ」
「かっこいい、棒?」

心なしか越前の反応が『うわ、こいつ引くわー』な感じになっているが、無視した。

「それに、オレだって彼女の一人ぐらい欲しいかなーと思ったことぐれーあるんだよ!
でも周りの女が彼氏持ちとかレズとかブサイクしかいねぇからできねぇんだよ!
それなのに、好きな男がいたお前は、そいつが死んじまったからもう全部やめるってのかよ。
だったら恋愛とかしたことない俺たちはどうすりゃいいんだ。
死んだり別れるたびにそんなんになるなら、怖くて恋愛のひとつもできやしねーじゃねぇか!」

言ってみて、ウザいのを通り越して割と最低だった。
大切な人を喪って暗く沈んでいる少女に、『リア充爆発しろ』と言っているようなものである。
(綾波たちがリア充という概念を知っているかはともかく)

何となく、見えてきた。
天野雪輝や、秋瀬或や、神崎麗美や、越前リョーマや、綾波レイにあって、高坂にないもの。
高坂王子には、芯がなかった。
輝いている“何”になりたいのか。
その場に応じて格好をつけていただけで、なりたい自分像がなかった。
天野雪輝をサバイバルゲームの中心人物(しゅじんこう)たらしめ、高坂王子があくまで部外者(わきやく)である、その決定的な違い。
雪輝は泣き虫で気弱で、自分でしたことの責任も取れないようないい加減なヤツだったけれど。
少なくとも、我妻由乃と幸せになりたいという思いだけは本当だったのかもしれない。
あれだけの監禁事件に遭わされて、まだ別れなかったのだから。

そんな高坂でも、ツインタワービルに乗り込もうと決めた時はそうじゃなかった。
初めて、自分自身の意思で、関わらなくとも誰も責めない条件下で、関わることを選んだのだ。
無力でも、一般人でも、なりたい自分ぐらいは自分で決められる。
何もなくたって、お先真っ暗というわけじゃないはずだ。

「何もないってことは、俺様と同じじゃねぇか。これから探しゃいいんだよ。
俺様と同じってことは、つまり輝ける人間だってことなんだぜ?」
「高坂さんと同類にされるってむしろ嫌な「テメーは黙ってろ」

それに……さっきまで和気藹々としていたのに、亡き人との二人の世界に突入されて腹が立ったのもある。
越前も少なからず同じ理由で怒ったはずだし、一緒にいた時間の長いだけにいっそう何を言うか分からない。
そう、これは越前に任せられないという気遣いなのだ、気遣い。

「だいたい、俺の周りの女はどうして『あなたが死んだら生きていけない』って方向に行くんだよ。
好きな男の為に何かしてやりたいなら、もっと他にできることあるだろうが。
殺し合いから生き残って、そいつの親に遺体を持ち帰ってやるとか。
死ぬ前にそいつが何をしてたのか聞いて、心に刻んでおくとかよ。
そっちの方が健気でいい女してると思うぜ?」

「好き……?」

高坂の剣幕にぽかーんとしていた綾波が、初めて反応を見せた。
尋ねかけるように、呟く。

「私は……碇くんのことが、好きだったの?」

小首を傾げていた。

呆れた。
まさか、あれだけ碇くん碇くんと言いながら、こいつは自覚がなかったのか。
重い役目を背負っていたくせに、何も知らないんじゃないか。

「好きでもない男を、そこまで必死に守ろうとするヤツがいるかよ。
そいつがいないならもうどうでもいいとか、傍目から見て重すぎるぐらいだっつーの」

しゃべり過ぎて疲れてきたので、ふぅと息を吐く。

「好き……」と噛みしめるようにつぶやいて、綾波は目を丸くしていた。
どういう思考回路をしているのか分からないが、重苦しい空気をぶち壊すことには成功したらしい。
ぐいぐい、と越前が服を引っ張り、もういいから下がれと無言で示していた。

見たところ、かなり落ち着いているようだ。
もうバトンタッチしてやってもいいだろう。




高坂の言ったことはかなり八つ当たりだったけれど、そのおかげか頭は冷えた。
改めて綾波の前に立つと、互いがしばらく無言になる。

「綾波さん……これから、どうしたい?
『何もしたくない』以外で」
「分からない……二号機の人は、会いたいけど」

要らないと言われた時は頭に血が上ったけれど、冷めるとこれはこれで気まずさがある。
もしかしたら、これは余計なおせっかいかもしれない。
神崎麗美のように、綾波も付いていけないと叫ぶ時が来るかもしれない。

「ごめんなさい……こんな時、どんな顔をすればいいか分からないの」

これには、即答していた。

「泣けばいいと思うよ」

それでも、支えるぐらいのことはしたい。
越前リョーマは『柱』なのだから。
綾波レイは、『柱』についてきてくれた人だから。

「泣き方が、分からない……」

自分が優しい人間だと思ったことなんかないけれど。
今だけは、優しくなりたいと思わなくもない。

「えっと……死んだ人のこと思い出したり、こんなこと考えてたはずだって思ったり。
自然に思い出せるようになったら、泣けてくるんじゃないの?」
「あなたは、そうだったの?」
「…………まぁ」

やばい、割と恥ずかしい。
もしかして高坂は、後から何を言っても恥ずかしくないようにあんなことを言ってくれたのか……いや、それは無い。
さっきのあれは自虐ネタにしても痛々しい。

「わたしは……まだ、泣き方が分からない」

ひと呼吸おいて、寂しげに言った。

「今まで、泣いたことがなかったから」

「綾波さん。嘘でもいいから『まだまだだね』って言ってみて」
「まだ、まだ?」
「うん、まだまだ、これから」

まだまだ。
自分にも言い聞かせるようにつぶやいて、綾波にどうしてほしいのかを思う。

「泣いたからって立ち直れるかは人によるけど、
泣きたいのに泣けないままだと、たぶん思い出すのが辛いよ」

綾波からついて行けないと言われた時には、腹が立った。

「オレも、まだまだ知りたい。跡部さんに何があったのかとか。
撃たずに済ませる方法とか。どうしたら神様に勝てるのかとか」

しかし、そういう自分は一度でも『ついてきてほしい』という意思を示しただろうか。
それを伝えていないなら、きっとフェアじゃない。

「止めてもらえた時は、嬉しかった。
朝ご飯作ってくれた時も、悪くないと思ったし。
神崎さんみたいな人とまた会った時に、綾波さんがいた方が上手く話せそうだし」

話しているうちに、本当に照れ臭くなってきて、帽子のつばをずらした。
表情をなるべく見えないように隠して、意思を伝える。

「オレも、まだまだだから。綾波さんが来てくれた方が、心強い」

『来い』でも『来ればいい』でもなく『来てほしい』なんて、普段はめったに使わない類の言葉だった。
心なしか、顔のあたりに脈拍が集中している感じがする。
もしかして、パートナー関係を作ろうと思ったらいちいちこんなに緊張しないといけないのだろうか。
だとしたら、絶対に自分にダブルスは向かないと確信する。

もう、永遠に返事が来ないんじゃないかというほどの沈黙を挟んで

「分かった方がいいことなら……私は知りたい」

透明な無表情で、綾波が言葉を発した。
良かった。
言葉にはしなかったけれど、代わりに綾波へと、左手をのばす。
握った手にぐい、と力をこめてベンチから立ち上がらせた。

「『来てくれた方が』って……お前ら、俺様も一緒に行くことを忘れてないか?」
「あ、高坂さん。まだいたんだ」
「ずっといたっつーの! 丸く収まったのは誰のおかげだと思ってんだよ」

会話を一部始終聞かれていた気恥ずかしさもあり、わざと冷淡にあしらう。
こっちの感謝は、逆に言葉にしなくてもいいことだった。




高坂の言うことは、よく分からなかった。
それでも、響いたことがある。

何もない人間なんて、どこにでもいるということ。
そして、綾波レイは、碇シンジが好きだったこと。

あたたかくしてくれる、碇シンジの『代わり』なら誰でもよかったのだろうか。
違う。
それだけは違う。
綾波レイは、碇シンジを代わりのいない人間として、そういう感情を持ったはずだから。

そしたら、高坂が言った。

それで好きじゃないはずがないだろう、と。
他者から見れば、それは『好き』にしか見えなかったらしい。

アスカ・ラングレーに同じことを聞かれて、答えられなかったことを、
高坂はどう見ても分かると評した。

そのことが新鮮で、胸が痛くて、少し恥ずかしかった。
誰でもわかることを、碇シンジへの想いを、綾波は知らなかった。
それが、綾波レイには無くて、ほかの人間は持っているものだった。

そして、越前は一緒に来てほしいと言った。
守る相手ではなく、頼りにする存在として必要とする言葉だった。
何もすることがないなら、誰かの求めることをするのは。
いけないことではないかもしれない。

シンジを恨むような末路を迎えたくないなら、彼を思って泣けるようになることは、きっと無駄ではないのだろう。
そして一人きりでいたら、それはきっと分からないままだ。

だったら、もう少しだけ歩いてみるのが、正しい終わらせ方じゃないかと思った。

もう立ち上がる力なんて、残っていないはずだったけれど。
分かったことが一つある。
手を繋がれて引っ張られたら、立ち上がるのに必要な力が少なくなった。

何も言わずとも、越前はそのまま、手を引いて歩き始めた。



そう言えば、と思い出す。
殺し合いが始まって間もないころ。
最初に武器を確認した時に、使えないと死蔵した武器があった。
それを使う時は、死ぬ時だから。
だから、碇シンジの身代わりにでもなって死ぬ時でもない限り、使えないはずだった。
武器の名前は、心音爆弾。

もう少し歩いてみたい欲求は、ある。
けれど、そう思わせてくれたのも、歩く力をくれたのも、二人がいたからだ。

だから。
それは、二人を守るために使うことにしよう。

その時が来たら、きっと躊躇わないだろう。




一人が手を引く。
一人が手を引かれる。
一人が付いていく。
そんな風に、三人が三人として歩いていく。



地面に、三人の足跡が残る。




――Everybody finds love in the end.


【H-5/会場南端付近/一日目・昼】

【越前リョーマ@テニスの王子様】
[状態]:決意
[装備]:青学ジャージ(半袖)、太い木の枝@現地調達
リアルテニスボール(ポケットに2個)@現実
[道具]:基本支給品一式(携帯電話に撮影画像)、不明支給品0~1、リアルテニスボール(残り8個)@現実 、自販機で確保した飲料数種類@現地調達、S-DAT@ヱヴァンゲリオン新劇場版
基本行動方針:神サマに勝ってみせる。殺し合いに乗る人間には絶対に負けない。
1:菊地らと合流するために、学校に向かう。
2:1と並行して切原、遠山を探す。
3:ちゃんとしたラケットが欲しい。
4:神崎麗美のことが気になる。

【綾波レイ@エヴァンゲリオン新劇場版】
[状態]:疲労(小) 、傷心
[装備]:白いブラウス@現地調達、 第壱中学校の制服(スカートのみ)
由乃の日本刀@未来日記、ベレッタM92(残弾13)
[道具]:基本支給品一式、 天野雪輝のダーツ(残り7本)@未来日記、第壱中学校の制服(びしょ濡れ)、心音爆弾@未来日記
基本行動方針:今は、もう少し歩いてみる。
1:自分にとって、碇くんはどういう存在だったのか、気になる。
2:二人についていく。
3:いざという時は、躊躇わない。
[備考]
※参戦時期は、少なくとも碇親子との「食事会」を計画している間。

【高坂王子@未来日記】
[状態]:疲労(小)、全身打撲
[装備]:携帯電話(Neo高坂KING日記)、金属バット
[道具]:基本支給品(携帯のメモにビルに関する書き込み)、『未来日記計画』に関する資料@現地調達
基本行動方針:秋瀬たちと合流し、脱出する 
1:輝いた男として、芯を通す。
2:神様を倒す計画に付き合う。
3:雪輝を探し、問い詰める。
4:神崎のことが気になる。

[備考]
参戦時期はツインタワービル攻略直前です。
Neo高坂KING日記の予知には、制限がかかっている可能性があります。
『ブレザーの制服にツインテールの白井黒子という少女』を、危険人物だと認識しました



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枯死 ~絶対危険領域~ 越前リョーマ ルートカドラプル -Before Crysis After Crime-
枯死 ~絶対危険領域~ 綾波レイ ルートカドラプル -Before Crysis After Crime-
枯死 ~絶対危険領域~ 高坂王子 ルートカドラプル -Before Crysis After Crime-


最終更新:2021年09月09日 19:48