ネガティブコンディション ◆7VvSZc3DiQ



僕があのとき選んだのは、甘美な夢に浸ることでも、輝いていた過去に縋ることでもなかった。
僕が選んだのは――

 ◇

気を失った天野雪輝を背負いながら、遠山金太郎は疾走する。
何処に向かっているのかは、金太郎自身でさえ分かっていない。
今はただ、危機から脱するために目についた道を当てずっぽうに進んでいた。
さしあたって優先すべきは、雪輝を襲った謎の女から逃げることだ。
行き当たりばったりに走りまわった挙句にまた別の危険人物に出会ってしまう可能性も考えはしたが、今からそんな心配をしたところでしょうがない。
そういうのは天野が目を覚ましてからのほうがええやろ、三人寄れば文殊の知恵ってよく言うしな!と、自分一人で考えこむことをばっさりと切り捨てる。
金太郎の頭は、物事を深く考えるようには出来ていないのだ。

しかし……と、そんな金太郎でも頭を悩ます問題があった。
謎の女から逃げ出したこの状況を、どうやって雪輝に伝えたものか。
ひとくちに説明するのが難しい、難解な状況だというわけではない。むしろ状況そのものはシンプル極まりない。
女が出会い頭にスタンガンを雪輝へ向け、雪輝はそのまま気絶した。
女が雪輝から拳銃を奪い、そのまま射殺しようとしたので金太郎が女の凶行を止め、雪輝を連れて逃げ出した。
脳内で文章にしてみれば数行で終わってしまう、短い邂逅だった。
それを雪輝に伝えることを惑う理由は、

(多分、あの女は天野の知り合いで……しかも、天野はあの女と会えたことに涙出るほど喜んどったのに……
 どう伝えたらええんやろ、あの女が天野を殺そうとしたから逃げ出したなんて)

スタンガンを当てられてすぐに気絶してしまった雪輝は、自分が殺されようとしていたことを知らないはずだ。
一目逢えただけで涙をこぼすほどの相手に殺されかけたと知れば、雪輝はいったいどう思うだろうか。
少なくとも良い気はしないはずだ。おそらく、女と出会ったときのあれだけの喜びが、そのまま悲しみの感情に置き換えられることになるだろう。
そのときのことを考えるだけで、金太郎まで気持ちが沈むのだった。

(それにしても分からんのは、天野とあの女の関係やなぁ。
 天野がほんまに神様っていうんなら、あの女は神様と知り合いってことになって……
 んン? もしかしたらあの女も神様みたいなもんなんか?)

うーん……と頭をひねったところで、「ゆの」と呼ばれた少女の正体については皆目見当もつかない。
ならば思考のリソースは、少しでも有効活用すべきだろう。如何にして雪輝を傷つけずに事実を伝えるかという一点に、金太郎の思考は集中する。
あれも違う、これも違うとぶつぶつと呟きながら走る金太郎は、眼前にそれまでと毛色の違う建造物を見つけた。
鉄骨で組まれた橋が、水流で隔たれた二つの陸地を繋いでいた。
視界の開けた橋の上に人影はない。あの橋の上ならば、誰かが近づいてきたとしてもすぐに気付くことが出来るだろう。
雪輝を介抱するにはうってつけの場所だ。ここが最後のひと踏ん張りと、金太郎は更に速度を上げた。

 ◇

目を覚ましたとき、雪輝の視界に入ってきたのは心配そうにこちらを覗き込む金太郎の顔だった。
ぼんやりと霞んだ目を幾度かまばたかせれば、金太郎の表情に喜びが生まれた。

「おおー、起きたか天野ーっ! このまま目を覚まさんかったらどないしようかーって心配してたところやったんやで」

金太郎の安堵の声を聞いて、雪輝の意識が一段階覚醒する。それと同時に、意識を手放す寸前まで見ていた光景が脳裏に浮かび上がった。
桃色の髪が風に揺れていた。一万年という、永遠にも思えた永い刻の中でずっと恋焦がれていた少女の姿が、其処にあったはずだ。
交わした言葉は少なくとも、その言葉の中で彼女は確かに雪輝のことを『ユッキー』と――そう呼んでくれた。
涙が溢れる寸前の、鼻先にツンとくるあの感覚だって思い出せる。雪輝はあのとき、涙をぼろぼろとこぼしながら、一歩ずつ、一歩ずつ近づいていたのだから。
あともう少しで触れられる距離まで近づいた。そのはずだった。

なのに今、雪輝を迎えてくれているのは金太郎ただひとりだった。
視界の端に映る風景も、さっきまでのそれとは少し違うように見える。
何が起きたのか金太郎に尋ねるには、少しの勇気が必要だった。

金太郎は、雪輝から視線をそらしながら、ぽつぽつと、簡潔に事態のあらましを伝えた。
雪輝は金太郎の言葉を、頷きも、否定もせずにただ呆然と聞くことしか出来なかった。
話を聞いた雪輝の内から湧き上がったのは、無力感と諦観。
自分はまた――取りこぼした。掴むことが出来なかったのだという思いが、胸の奥から溢れそうになる。
しかし同時に、ああ、やっぱりそうなってしまったのか、という諦めを含んだ許容があった。

あのとき僕が選んだ願いが果たされることはなかった。
二周目の由乃が、三周目のあの世界で、僕の目の前で死んだことで、
『夢』でも『過去』でもなく、我妻由乃という『大切な人』を選んだ僕の決意は、全て無駄になったのだ。

「天野……大丈夫か?」
「……ありがとう、心配してくれて。それと、僕を助けてくれて」

雪輝は焦点の定まらない視線を虚空に向けながら、感情のこもらないうつろな声だけを金太郎に返した。
感謝の念はかすかに含まれている。しかしそこに友愛の色はなく、あくまでも儀礼的な、機械的な返答だった。
恒久の時が雪輝の心を磨り減らしていた。わずかに残った最後の感情が、先に由乃に出会ったときに爆発した、それだった。
蝋燭の炎が消える一瞬前にその姿を大きくゆらめかせ、実像以上の巨影を見せるように、雪輝の感情は最後に一つ大きく揺らめき、そして萎んだのだ。

「それで天野……あの女の子は、」金太郎の問いが最後まで呟かれる前に、雪輝は言葉を被せる。
「我妻由乃。あの子の名前は、由乃だよ」
「天野は、あのおねーちゃんと知り合いなんやろ? そんで、会えたことに涙流すほど喜んでた……」
「僕は由乃のことを大事に思っていた。由乃も、僕のことを大事に思っていてくれた。でも……全部終わったことなんだよ」
「そらあんなことされたら、そう思ってしまうのもしゃーないかもしれんけど……」

違う、と雪輝は心の中でうめく。金太郎は勘違いをしている。もうはるか昔に、終わってしまっていたのだ。
天野雪輝は最後まで、我妻由乃という少女のことを理解することが出来なかった。
神の後継者の座を巡るサバイバルゲームにおいて、天野雪輝と我妻由乃は1stと2ndの名で呼ばれ、デスゲームの始まりと終わりを二人で迎えた。
十二人が命を奪い合うデスゲーム――その盤上において、最後の一人となった未来日記所有者は次代の神となることが出来る。
他の十一の命を犠牲にすることが絶対のルールであるそのゲームにおいて、雪輝と由乃の二人は、

十一をはるかに超える数の命を奪い、盤面に残る最後の二人となった。

その殆どは我妻由乃によって為された殺人ではあるが、雪輝自身も少なくない数の命を奪っている。
雪輝が思い浮かべる、殺した人間のリスト。その中には――彼の、数少ない友人たちも名を連ねていた。
本当に彼らを殺さなければいけなかったのか、一万年の思索を経ずとも、答えは出ていた。
あの戦いの中で――必要だった殺人なんて、何一つなかった。許容されていい殺人など、一つもなかった。
泥沼から抜け出すために無関係の人間まで引きずり込んで、誰も彼もを踏み台にして生き長らえた結果が、今なのだ。

誰一人として望まなかった形にしか行き着かなかった。
いや――もしもあのエンディングを望んだ人間が、一人でもいるとすれば、それは。
最後の結末へのフラグを立てた、我妻由乃その人だけだろう。
雪輝に、由乃は理解出来ない。由乃が望んだ終末を、雪輝は望まない。

破綻した関係は、破綻したまま終焉を迎えた。

「もう……どうなってしまったっていい」

全て、終わってしまったことなのだ。


「なぁ、もしかして天野、何か勘違いしとらんか?」
「……は?」
「どうなってしまったっていいことなんかあらへん。どうにもならんことだって、あらへん。
 ちょっとくらい辛いことがあったって、諦めるにはまだ早いねん。だいたい、そんな簡単に諦めるからジジくさく見えるんやで、あまの~」
「でも……」
「あーもう、でももへちまもあらへん! ほれ天野、色々事情があるのは分かったから、ちょっとワイに話してみぃ。
 どうせこっぴどくフラれてもうたとか、そんな話なんやろー?」

話した。未来日記を持つことになった始まりの一日から、神様となって過ごした一万年の記憶を、洗いざらい金太郎に話した。

「……スマン天野、ワイが思ってたのより100倍くらい辛かったわ……」
「いや、そんなにうなだれなくても……それより、これで遠山も分かっただろ。僕と由乃は、もうどうしようもないんだってことを」
「うーん……でもなぁ、ワイにはその……レンアイとか、そーいうのはよくわからんけど、天野はいま、あのおねーちゃんのこと、どう思っとる?
 確かに天野の立場からすれば、もうどうしようもないと思ってしまうかもしれん。でも、それは天野自身の意思とは関係ないはずやで。
 大事なのは、天野がどうしたいのかってことやとワイは思うけどなぁ」
「僕が……どうしたいか?」

一万年前の望みではなく、今の雪輝自身が何を望んでいるのか。
――分からない。ぼんやりと霞む一万年の記憶と共に、雪輝の望みもどこかぼんやりとしてしまっていた。
全ては終わってしまったことなのだと諦めている。そこから前に進もうという意思が、今の雪輝には欠如している。

「……ごめん、やっぱり僕には分からないよ。僕が何をしたいのか……僕自身でさえ、分からなくなってしまってる」
「そっかー……ほな天野、何もやりたいことがないっちゅーんなら、ワイを手伝ってくれんか?」
「僕が、遠山を?」
「そーや。ワイは死にたくないけど、人を殺すのもイヤや。やから誰も死なずにすむような方法を探したい思ってんねん。
 ……天野は、最後の一人になる方法を選んだらしいけど……でもワイは、誰かを殺すようなやり方はイヤやねん。
 みんなが幸せになれる方法があるなら、それが良いに決まっとる。
 天野は神様なんやろ? 神様なら、みんながハッピーになれるようにお願い叶えてくれてもいいんやないか?
 ほら、なんならお賽銭も……って、荷物全部置いてきたんやったー!?」

遠山は、僕の都合なんか一つも聞かずに、べらべらとまくし立てた。
自分勝手だな、とそう思う。自分が望むままに行動して、周りも巻き込もうとする。
この状況下で殺し合いに反逆する意味の重大さも分からないままに、理想だけを語っている。
この調子で行動していれば、遠山は遠くない未来、命を落とすことになるだろう。
何の装備も持たない遠山が殺す側に回った殺戮者に出会ったとき、為す術もなく殺される姿は想像に難くない。
もし殺し合いを経ずに生き残る方法が見つかったとしても、このデスゲームの主催者がそんな手段を許すはずがない。
いずれにせよ、ほぼ間違いなく、遠山は死ぬ。

でも不思議なことに、僕はこう思ったんだ。
遠山を死なせたくない。
どうしてそう思ったのか、それは僕にも分からない。
遠山の言葉が僕の心にわずかに残った、感情の燃えかすみたいなものに火を着けたのかもしれない。
神様を引き合いに出されて、何も神様らしいことはしなかったなと思った気まぐれの心が不意にやる気になったのかもしれない。
聞き慣れない関西弁が、僕の友達に似ていたからかもしれない。

とにかく僕は、うん、分かったと、小さく頷いた。
すんなりと話が通ったことに戸惑って慌てる遠山の姿がおかしくて、僕はすごく久しぶりに、少しだけ笑った。


【黎明/F-2/橋の上】

【遠山金太郎@テニスの王子様】
[状態]:健康
[装備]:無し
[道具]:携帯電話
基本:殺し合いはしない
 1:とにかく天野が仲間になってくれてよかった!
 2:知り合いと合流したい

【天野雪輝@未来日記】
[状態]:健康
[装備]:無し
[道具]:携帯電話
基本:金太郎に協力する
 1:金太郎と一緒に行動する
 2:由乃や或、高坂たちについては一旦保留する

※神になってから1万年後("三週目の世界"の由乃に次元の壁を破壊される前)からの参戦
※神の力、神になってから1万年間の記憶は封印されています



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最終更新:2012年08月05日 20:20