◇ ◇ ◇


 ふう――と。
 適当に入った宿泊施設の屋上で、空条承太郎は大きく息を吐き出した。
 吐息は白く染まっており、空中を僅かに漂ってから大気に溶け込んだ。
 呼気に含まれる水蒸気が冷たい外気に触れてしまったことにより、急速に冷えて一種の結露が生じた――というワケではない。
 満月が真上に浮かんでいるような時間でこそあるが、気温は決して低くない。かといって暑くもなく、ほどよい温度と言える。
 ならばなぜ吐息が白かったのかといえば、それは吐き出されるより前の時点からすでに白かったからに他ならない。
 承太郎はこの地にて煙草とライターを発見し、ちょうどいま一服し始めたところなのである。

 臭いは完全に密閉しない限り、辺りに流れていってしまう。
 限られた狭いエリアでの殺し合いを命じられている現状、軽率に煙草など吸ってしまうべきではない。
 周囲に臭いを振り撒くのは、他者に居場所を教えているのと変わらないのだ。
 にもかかわらず喫煙する輩となれば、人種はおのずと限られてくる。
 危険性に気付かぬ愚か者。死を望む自殺志願。己の命に執着のない達観者。喫煙衝動を抑えられぬヘヴィスモーカー。居場所を知られたところで意に介さぬ、あるいは自ら明かそうとする自信家。
 空条承太郎は、そのいずれかでもなかった。
 危うい行動を取っているとの自覚はあるし、命を捨てる気もなければ悟っているのでもない。
 煙草を覚えた年齢こそ早かったが、禁煙を成功させて久しい。もはや、長らく喫煙欲求は沸いていない。
 また彼は、自身の『スタンド』たる『スタープラチナ』を最強のスタンドであると判断していたが、あくまで冷静にそう分析しただけである。
 近接戦闘で一対一ならば、『時を止められる』スタープラチナは無類の強さを誇るものの、遠距離からの狙撃などには対応できない。近距離であろうと、不意を突かれれば戦闘での強さなど無関係だ。
 所持する最強のスタンドの弱点を踏まえた上で、落ち着いて事態に対処してきたのである。
 愚か者も、自殺志願も、達観者も、ヘヴィスモーカーも、自信家も――この地にて喫煙するであろう人種を示す単語すべてが、空条承太郎からは程遠い。

 ――それでも、彼にはあえていま喫煙せねばならない理由があるのだ。

 再度、承太郎は煙草を咥える。
 タールを肺に染み込ませながら、グリーンがかった瞳をまぶたで覆う。
 フラッシュバックするのは、先ほどの惨状である。
 初老の男性が『バトル・ロワイアル』という百人超の人間による殺し合いの開催を宣言し、参加者にはめた首輪の効力を示すように三人が殺された。
 ジョセフ・ジョースターと、空条承太郎自身と、ジョルノ・ジョバァーナの――三人が死んだ。
 奇妙な話である。
 承太郎はこうして生きているし、ジョセフは『あんなに若くない』。
 ジョルノも実際より幼かったし、承太郎も多少肌に艶があったが、ジョセフだけは『少し若く見える』どころではなかった。
 何せ、実物はもう九十歳を迎えた老人だというのに、殺されたのは筋骨隆々な精悍な青年であったのだから。
 そもそも初めにジョセフがライトに照らされた時点では、承太郎はてっきり他人の空似かと思っていた。
 むかし祖父に見せられた若き日の写真とあまりにも似ていたが、偶然ということもあるだろう、と。
 しかし、続いて現れたのが承太郎とジョルノである。
 ジョースター一族とDIOの一世紀以上に渡る因縁に、もっとも関わっている二人と言えよう。
 ならば、だ。
 その二人と並んで殺された彼だけが、まったく繋がりのない他人ということがありうるだろうか。
 考えかけて、承太郎は即座に自ら否定する。
 間違いなく、アレはジョセフ・ジョースターとして見せたのだ。
 年齢がだいぶ離れている以上、当人であろうはずがないが、主催者の老人はジョセフが死んだと思わせようとしている。
 承太郎に関しても、同じである。彼はここに生きているのだから、死んだのは偽物だ。
 ジョルノだけは分からない。唯一本人であった可能性もあるし、違うのかもしれない。いま結論を出すことはできない。

 白い吐息を吐きだすと、今度は新鮮な空気を取り込む。
 しばらくぶりだというのに手慣れた動作で、煙草を指で弾いて灰が落とす。脳は、この間も回転させたままだ。
 さて、主催者はどうやって偽物を用意したのか。
 一人ならばともかく二人あるいは三人となれば、似ている人間を探してきたでは片付けられない。
 ほぼ間違いなく、スタンドによるものである。
 他人に成りすますスタンドや、顔を整形させるスタンドの存在を、承太郎は知っている。
 ならば、身体全体を書き換えるスタンドがあってもおかしくはない。
 そう結論付けた上で、承太郎は主催者の思惑を予想する。
 『スピードワゴン財団』と関わりの深いジョセフ、最強のスタンド使いとして裏社会に名を知られている承太郎、巨大なギャング組織を率いるジョルノ。
 参加者たちに三人が死んだものと思い込ませ、混乱を招こうというのだろうか。
 一つの仮説が浮かんだものの、裏付けとなる要素はない。
 承太郎はゆっくりとまぶたを開けると、煙草を口元に運んだ。

「『スタープラチナ』」

 紫煙をくゆらせつつ、承太郎は静かに呟く。
 すると呼びかけに応えるかのように、古代の戦士を思わせる男が出現した。
 その鍛え抜かれた肉体は、二メートル弱の身長を誇る承太郎よりもさらに一回り大きい。
 かすかに透けているそれこそが、スタープラチナ――空条承太郎の精神のヴィジョンである。
 承太郎が眼光を鋭くすると、傍らにいたスタープラチナが一歩前に出る。
 そもそも、彼は煙草を吸うために屋上に出て来たのではない。
 喫煙だけなら、室内でもできる。臭いが壁や天井に阻まれる分、むしろ都合がいい。
 だというのに屋上まで来たのには、理由があるのだ。
 スタンドの視界を自分の視界に共有させて、承太郎は足を進める。
 ぐるりと屋上を一周してから、スタープラチナを戻す。

「地図の通り……か」

 承太郎が屋上まで出て来たのは、周囲の景色を確認するためだったのだ。
 配られた地図はとうに確認したのだが、到底信じられないようなものだった。
 一見ローマのようであったのだが、ところどころにローマには存在し得ないような施設や町が入り混じっている。
 そのため承太郎は地図を疑っていたのだが、どうやら真実であったらしい。
 ローマの景色が広がっているというのに、どうしてだか東には日本の地方都市・杜王町があった。
 地図に記されている通り、なぜかその部分だけがローマの街並みでなくなっており、異なる地域が広がっている。
 まるで、世界地図を切り貼りしたかのように。
 地球上にこのような地域はない。そのはずだ。少なくとも承太郎の知識では。
 この地図全体をスタンドで作り出したのか、はたまた未開の地を切り開いて少しずつ作り出したのか。
 前者ならばそれこそ主催者のスタンドパワーは度を越えているが、もし後者だとしても――現代は宇宙を回る人工衛星によって地球全体が観測されている時代である。
 そんな現代にあって世界中の誰に気付かれることなく、これほど大がかりな工事を進めようものなら、隠し通すのにはスタンドが必須だ。
 どちらにせよ、主催者は侮れない。
 承太郎の脳裏を過るのは、かつてエジプトで戦った宿敵の姿だ。
 彼の名を冠した館が、地図には記載されている。
 いまになって、好き好んで『ヤツ』に館を設けたのだ。
 となれば、明白である。
 死して二十年以上が経ってなお、『ヤツ』が残した遺産は世界に散らばっている。
 『狂信』という名の――負の遺産が。

 承太郎のなかに、またしても仮説が浮かぶ。
 先ほどと違うのは、今度は確信があること。
 『ジョセフ・ジョースター』『空条承太郎』『ジョルノ・ジョバァーナ』を巻き込む理由もある。
 というよりもその三人を巻き込んでおいて、無関係であるほうがおかしいのだ。

 主催者は――――『DIOに仕えていた狂信者』。

 その動機は『ジョースター家と関係者への復讐』。
 参加者にジョースター家に縁があるものが多いのは、死に行く三人の姿が明らかになったときのざわめきで確定している。
 あのとき上がった動揺の声のなかには、確かに彼らの名を呼ぶものがあった。
 バトル・ロワイアルの宣誓などは、すべて惑わすための戯言だ。
 三日間生き残ったところで、願いなど叶えるはずもない。
 DIOを盲信するものが、ジョースター家に関わる人間に幸福をもたらすことなど絶対にない。

 いつの間にか口のなかに溜まっていた唾液を、承太郎は飲み込む。
 人知れず殺し合いの会場を作り出し、気付かぬうちに百人以上もの人間を誘拐し、意識を奪い、全員を並べ、首輪をはめ、全員を異なる位置に転送する。
 どこまでがスタンド能力で、どれがスタンドを用いずに行ったことなのかは分からない。
 また、主催者たちが何人のスタンド使いを擁しているのかも不明だ。未だ知らない能力の持ち主だって、いるかもしれない。
 そこまで考えたところで、承太郎は意図せず拳を握っていた。
 敵はあまりにも強大だ。参加者のなかに同志がいれば、行動をともにしたい。
 スタープラチナの視力があれば、バトル・ロワイアルのルールを説明しているうちに参加者から知り合いを見つけ出すことだってできた。
 なのに、それをしなかった。
 あのとき、承太郎はただ一人だけを探していたのだ。
 バトル・ロワイアルに巻き込まれる寸前に、ちょうど迎えに行っていた一人娘の姿のみを。
 あまりにタイミングがよすぎた。
 もう少しで娘と対面できるというところで、見知らぬ空間に追いやられていた。
 そんな状況であったため、承太郎は思ってしまったのである。
 よもや娘まで巻き込まれてしまったのではないか、と。
 百戦錬磨のスタープラチナを持つ空条承太郎と異なり、娘はスタンドに目覚めたのかさえも定かではない。
 彼女の不在を心から願って参加者を見渡したのだが、すぐに見つかってしまった。
 他に誰がいたのかなど、覚えているはずがない。
 危害が及ぶことのないように会いたいのを耐えて避けてきた一人娘が、あろうことかこれほど大規模なスタンド攻撃に巻き込まれてしまったのだから。

 好んで喫煙していたころの承太郎ならば、あの場でもっと冷静に立ち回ることができただろう。
 仲間となりうる参加者を探すだけではない。
 スタープラチナのずば抜けた視力で参加者の反応を観察し、殺し合いに乗るか否かさえ一人ずつ読み取れたかもしれない。
 主催者を注視し続ければ、スタンドのヴィジョンが確認できたかもしれない。
 そのはずなのに、現在の承太郎にはできなかった。
 誰かを強く愛することを知ってしまったばっかりに、かつて行えたはずのことが行えなかった。
 いかなる非常事態であろうとも、動じずクールに解決してきた。
 それは、なにも煙草を吸っていた時期だけの話ではない。
 つい最近だって、決して楽ではない事件に対処したばかりだ。
 そのときは冷静であった。
 唯一愛した女も、一人娘も、まったく関与していなかったのだから。
 元より、彼女たちが危険に身を晒してしまわぬよう、自ら離れたのである。
 だというのに、いま。
 初めて一人娘が危機に陥りかけたとき、承太郎は持ち前のクールさを失った。
 そのせいで、彼女の危機は続行中である。

 ――ゆえに、承太郎は久方ぶりに煙草を吸っているのだ。

 かつての感覚を取り戻すべく。
 DIOと戦ったときの承太郎は、まだ若く、青く、尖っていた。
 あのころならば若い女が殺し合いに巻き込まれていようと、呆然としてしまうことなどなかったはずだ。
 許せないと思いながらも怒りを心で静かに燃やして、表面上はあくまでクールに振る舞っただろう。
 現在の承太郎は、かつての自分となろうとしているのだ。
 ある異性を心から愛し、ともに暮らしきたいと強く願う。
 そんな感情をまったく知らない――時を五秒間も止めることのできた、全盛期の空条承太郎に。

 煙草の火がフィルター部まで到達し、承太郎は二本目を取り出す。
 火を点ける寸前で動きを止めて、屋内に繋がるドアへと振り返った。
 足音が近付いてきたのだ。
 承太郎は咄嗟に臨戦態勢を取るが、すぐに警戒を緩める。
 接近してきているのは、恐れるべき相手ではない。
 気配を隠そうともしていないし、かといって殺気を振り撒いているのでもない。
 また足音から察するに、動作には無駄が多く戦士のそれではない。
 過剰な用心は相手を動転させるだけなので控え、あくまでいつでもスタープラチナを出せるようにする程度にとどめる。
 この落ち着いた判断は、経験を積んだからこそのものだ。かつての自分ならば、臨戦態勢を解きはしなかっただろう。
 承太郎自身がそのことに勘付くと、まだ火の点いてない煙草をつまむ指の力が微かに強くなった。
 下のフロアのドアを片っ端から開けたのち、ついに足音が屋上へと近付いてくる。

 ドアが開かれて見えた人影に、承太郎は目を見張った。
 現れたのが、知っている人間だったのである。
 十数年前に、承太郎は杜王町という地方都市に滞在した。
 そこで知り合った仲間たちとともに、『ある殺人鬼』から杜王町の平和を守った。
 いま承太郎の眼前にいるのは、その殺人鬼の被害者だ。
 名を、川尻しのぶという。

 かつて殺人鬼は彼女の夫を殺害し、スタンド能力によってその夫の顔面と指紋を手に入れた。
 よもや夫の中身が入れ替わっていることなど露ほども思わず、しのぶはしばらく過ごしていたのだ。
 その後、殺人鬼は承太郎と仲間たちに倒され、最期には通りがかった救急車に轢かれて呆気なく死んだ。
 轢死体の顔を判別することは難しく、歯形照合によって整形前の名前を特定された。
 そのため、川尻しのぶは真実をなにも知らない。
 本物の夫の死体は、とうに殺人鬼のスタンドによって消滅していた。
 殺人鬼の死体は、警察の照合によってまったく無関係の人間だと証明されている。
 ゆえに――
 出勤した夫がなぜ行方をくらまし、どうしていつになっても戻ってこないのか。
 スタンドを持たぬしのぶには、永遠に分かる日は来ない。
 もうこの世にいない夫を永久に待ち続けるしかできないのだ。
 あれから十年以上が経とうとも。
 時の流れを思わせぬほど川尻しのぶは若々しかったが、承太郎にはその姿が痛々しく思えた。
 あのときとさほど変わらぬ外見と同じく、彼女の心に開いた空洞も塞がっていないだろう。
 元より寡黙なタチな承太郎には、彼女にかけるべき言葉が見当たらなかった。
 殺人鬼を追っていた承太郎が彼女のことを知っていても、しのぶが承太郎のことを知らないのは分かっている。
 それでも、何食わぬ顔で話しかけることにはためらいがあった。

「ようやく、私以外のひとを見つけた……」

 どう切り出すか迷っている承太郎の前で、川尻しのぶが安堵したように微笑んだ。
 ずっと動いていたのか、肩で息をしている。
 時間をかけて呼気を整えてから、しのぶは再び口を開く。

「アナタ……わたしの夫を見なかった!?
 名前は川尻浩作! ええと、特徴はね――」
「――ッ」

 浴びせられた言葉に、承太郎はつい息を呑んでしまった。
 川尻浩作も、川尻浩作に成りすましていた殺人鬼も、もういない。
 にもかかわらず、やはり川尻しのぶはそのことを知らない。
 告げられる特徴もまた、承太郎の知る姿で間違いない。
 なんと返してよいのか分からず黙っていると、しのぶから予想だにしない一言が零れた。

「あの日から帰ってこなかったけれど……見たのよっ!
 さっき! 人がたくさんいたあそこで、あのひとを! なにも変わらない姿で、あそこにいたのよっ!」

 浮足立っているしのぶをよそに、承太郎は言葉を失った。
 川尻浩作があの場にいるはずがない。
 もう死んだのだから、いる道理がないのだ。
 だが、そのようなことを告げられるはずがない。
 しのぶにとって承太郎は初対面であるのだし、何より――
 いるはずのない夫の存在を疑わぬ女性に、どうやって夫の死を受け入れさせればよいのか。
 スタンドを持たず、初めて異常現象に遭遇したのだ。
 愛していた夫の助けを信じて幻覚を見るのは、決しておかしいことではない。

「なにか……っ! なにか言ってよ!
 アナタはあのひとに会ったの!? 会わなかったの!?」

 承太郎は、全盛期の自分自身を想像する。
 あの頃ならば、こうして声を荒げるしのぶに怒鳴り返していただろう。
 しかし、現在の承太郎にはそんなことは不可能だ。
 彼女の気持ちが、あまりにも理解できてしまった。
 叫びながらも向けられた瞳が、微かに濡れているのが見て取れてしまった。

「いや、すまない。アンタに会ったのが初めてだ。
 アンタが夫を巻き込まれたように、こちらも娘が巻き込まれててな……そのことばかり考えていた」

 あろうことか、承太郎は訊かれてもいない事情まで明かす。
 どうにかしのぶの平静を取り戻そうと、ガラにもなく会話を交える気になってしまった。

「そ、そんな……子どもまで……っ!
 あのひとに目を奪われちゃってたけど、もしかしたら早人も……っ!」

 落ち着かせるつもりの言葉を受けて、しのぶはハッと目を見開く。
 とんだ逆効果になってしまったと、承太郎は胸中で舌を打つ。
 それに、彼女の言った通り川尻早人が参加者にいるとすれば保護せねばならない。
 殺人鬼との戦いにおいて大きな活躍をしたとはいえ、彼はスタンド使いではないのだ。
 もうあのときのように幼くはないだろうが、かといって放っておけるはずもない。

「ああ、いるかもしれない。安心しろ、俺が必ず見つけ出して保護する」

 だからこの宿泊施設で待っていろ。
 承太郎がそう続けようとしたのを、しのぶの声が遮る。

「アナタも探してくれるのね!?」
「な……ッ、なにを言っている。足手纏いに――」
「そんな! ひとに任せて待ってるなんて、もうできるワケないじゃない!」

 承太郎が言い切るより早く、しのぶが声を張り上げた。
 言われて初めて、承太郎はしくじったと悟った。
 彼女は、もう十年以上も警察を頼って待った身なのだ。
 今さら他人から任せろなどと告げられて、簡単に納得できるはずがなかった。
 有無を言わさず一喝することなど、やはりできなかった。

「そう……か。そうだな。だが約束してくれ、危なくなったら逃げると」
「当たり前じゃない。せっかくあのひとに会えたのに、みすみす死ぬワケにはいかないわ」

 当たり前のように言い切ると、しのぶは先導するように屋上から去ろうとする。
 承太郎はその背中を呼び止めて、煙草とライターを見せる。

「すまないが、一本吸わせてもらってからでいいか。
 これから一仕事あると思うと、一服して気合を入れておきたい」

 とんだ出まかせだったのが、疑う素振りすらされずあっさり受け入れられた。
 意外にも、同行者ができたことに安心しているのかもしれない。
 承太郎が肺をニコチンで満たしていると、遠くを見ているような目つきのしのぶが不意に呟いた。

「あのひとも、煙草を吸ってたっけ……
 壁紙が汚れるからって、私はいつも口うるさく禁煙を勧めてたわ」
「そう、か……」
「いなくなる少し前から、急に煙草を吸わなくなっちゃって……
 なのに私はあのひとにありがとうの一言もかけずに……あんなにしつこく言ってたのに、まるで吸わないのが当たり前みたいに。
 もしかして、そのせいなのかしら……だったら、私のせいで、あのひとは…………」
「……違うな」

 承太郎は煙草をつまんで、口元から離す。
 消え入りそうなしのぶの声は、とても聞き続けることができなかった。

「俺も、娘の前で吸ったことはない」

 先ほどのように長く喋って逆効果にならないよう、承太郎は短く告げる。
 しのぶはしばし目を丸くしたのち、少しだけ口元を緩めた。

「見た目と違って、結構やさしいのね」

 承太郎はその言葉には返さず、煙草を咥え直す。
 視線を合わせていないのに、しのぶがこちらを見て笑っているのが分かった。

(――やれやれだ)

 承太郎は、胸中で呟く。
 ここにいたって、ようやく実感した。
 どんなに煙草を吸ったところで、かつての自分に戻ることはできない。
 いくらあのときの精神を取り戻そうとしても、先ほどから当時にしなかっただろう思考ばかりしている。
 けれど、もう構わない。
 あのころの空条承太郎ならば、川尻しのぶに声をかけることもなかっただろう。
 下手をすれば、まくしたててくる彼女に「やかましい」と怒声を浴びせていたかもしれない。
 しかし現在の承太郎は、彼女を微笑ませることができた。

 そもそも、しようがない話だ。
 人間は変わっていくものなのに、戻ろうというのがどだい無理な話だ。
 長いときを経ても変わらないのは、DIOのような化物だけだ。

 人間である以上、時は止められても――歳は止められない。

 するだけで年老いなくなるという波紋の呼吸をやめて、完全にボケ切ってしまっている祖父の気持ちが、承太郎は少しだけ分かった気がした。



【D-6 宿泊施設屋上/一日目 深夜】

【空条承太郎】
[時間軸]:六部。面会室にて徐倫と対面する直前。
[スタンド]:『星の白金(スタープラチナ)』
[状態]:健康
[装備]:煙草&ライター@現地調達
[道具]:基本支給品、ランダム支給品1~2(確認済み)
[思考・状況]基本行動方針:バトルロワイアルの破壊&娘の保護。
1:川尻しのぶと行動。
2:移動しながら同志を探す。殺し合いに乗っているものには容赦しない。


【川尻しのぶ】
[時間軸]:四部ラストからしばらく。The Bookより前か後かは未定。
[スタンド]:なし
[状態]:疲労ちょい
[装備]:なし
[道具]:基本支給品、ランダム支給品1~2(未確認)
[思考・状況]基本行動方針:夫と合流。いれば息子も。
1:空条承太郎と行動。







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最終更新:2012年07月19日 20:57