◇ ◇ ◇



 ぱちぱちぱち……―――



 ◇ ◇ ◇



直後、順を追って三つの影が動いた。
ワムウが隙をついてツェペリに襲いかかる。ノーモーションから足の筋肉だけで跳躍、水平方向に跳ぶように彼は獲物に向かっていく。
次に動いたのはウィル・A・ツェペリ。襲撃に気づいた彼は距離をとるように後ろに飛び下がり、同時に波紋を込めた水滴を解き放つ。
練りに練った波紋を円盤状に。波紋カッターがワムウを迎撃せんと宙を飛ぶ。

そして三つ目の影は―――

「なッ!?」
「…………ほゥ」

ツェペリが驚きのあまり帽子を落としかけた。ワムウは興味深そうにそう唸った。
ワムウの行く手を遮り、ツェペリが放った円盤は地にたたき落とされた。ジャイロ・ツェペリと名乗る、謎の男によって放たれた鉄球によって。
ホールが沈黙に包まれる。その沈黙は場違いなほど明るい男の声によって破られた。

「おっと、お取り込み中、4・2・0~! 横やりしてしまってすまんが、少しだけ俺の話を聞いてくれない?
 いやいや、そぉんな時間はかからな……―――」

男が全てを言い切る前に、またも三つの影が動きだした。
飛びかかるワムウ、とっさに防御姿勢をとったジャイロ、そして二人に割ってはいるように飛来した波紋カッター。

「こいつは手荒い歓迎なことでッ」

憎まれ口を言い切る暇もなく、彼は身を翻す。凶悪な笑顔を浮かべ、ワムウが来訪者に襲いかかっていた。

ワムウは一目見てジャイロを気に入ったのだ。
飄々とした態度の後ろに隠れる確かな実力と自信。それはワムウにあの男、ジョセフ・ジョースターのことを思い出させたのだ。
誇り高き『ツェペリ』の姓。それはワムウにとって、もう一人の認めるべき男、シーザー・アントニオ・ツェペリを思い出させたのだ。
魂を震わせた二人を思い出させる男の登場はワムウの心を揺さぶった。咄嗟に身体が戦いを求めるほどに。

ワムウの頭から垂れ下がる髪が、飛びかかるカッターの軌道をほんの少しだけずらしていった。ツェペリの攻撃はかわされた。
ワムウはジャイロに向かって一目散に向かっていく。ジャイロは柱の男の蹴りを避け、続く拳をしゃがんでかわす。
悪態ぐらいつかせてくれてもいいじゃねーか! そんなジャイロの悲鳴を無視し、柱の男はなおも攻勢をかける。
素早い連撃、呼吸すらする暇もなく攻め立てていく。柱の男が大きく構えをとった。体勢を崩したジャイロが膝をつく。大技で勝負を決めんとするワムウ……ッ!

「―――!」

だが、直後、男は持ち上げた両腕を交差させ、防御態勢をとった。
一筋の風が吹き、ウィル・A・ツェペリが豹のように柱の男に飛びかかっていた。
同時にその脇をすり抜け、ワムウを狙って投じられた鉄球。どちらも食らえば手痛いダメージは確実だ。

ツェペリに対しては牽制の意味も込め、カウンターの拳。鉄球に対しては、直感的に避けたほうがいいとみて、関節外し。
鉄球が凶暴な声をあげ、ワムウの皮膚を掠めていった。人間離れした回避方法に、ジャイロはあっと声をあげ、驚いた。
ワムウの拳はツェペリを捕えられず、空振りに終わる。そして同じく、ツェペリの拳もワムウを捕えることはなかった。
直前で身体を捻り柱の男が反撃、シルクハットが拳圧で吹き飛んだ。

戦いは再び振り出しに戻る。ワムウが後ろに跳び下がると、一旦距離をとり、場を落ち着かせる。
唸りをあげた鉄球が、ホルスターへと納め直された。風に煽られ浮かんだシルクハットを、宙で掴むと、かぶりなおす。
誰一人傷つかず。誰一人息を乱さず。全てが一瞬のうちに起きた出来事であった。
当事者を覗いて、その場にいたものは呆気にとられ、ただ目の前の戦闘に釘付けとなるほかなかった。



 ◇ ◇ ◇



「J・ガイル、宮本を連れて地下から脱出しろ。今すぐにだッ!」
「それをわしがさせるとでも?」
「おいおい、戦いはいけないよ、戦いは。お二人さんよォ、落ち着いて。ね?
 まずは話し合いから……―――ッと!」

暴風のような風が吹き抜け、思わずジャイロは身をすくませた。
そしてそれが二人の男が激突した時に生まれたものだと気づき、彼の口から呆れた様な言葉が漏れ出した。
同時に背中にじんわりと嫌な汗をかく。直接戦いに巻き込まれたらひとたまりもない。さっきは幸運だっただけで、また巻き込まれたら命がいくつあっても物足りない。

戦線離脱、ジャイロは二人の戦いから隙を見て抜け出す。俺は戦いたくてここにきたわけでもないんだ。情報だ、情報。
そう一人ブツブツつぶやきながら、男は頭を下げ、瓦礫や家具に隠れホールを横切っていく。
その隣をワムウとツェペリが、ほとんど影のようになりながら駆け抜けていった。

まるで鉄をぶつけ合っているような鋭い打撃音がホール中に響く。
老人と巨人は踊るように部屋を横切り、飛び跳ね、くるりと回り、戦い続ける。
これだから戦闘狂は困る。拳を持って語らい合えば、なーんていうがナンセンスだぜ。
せっかく口があるんだ。言葉で話し合えば、もっと簡単に、穏便に済むって言うのによォ。
ジャイロの独り言はなおも続く。誰に聞かせるわけでもなく、若干私情が混じっているのは否めなかった。

さてさて、それでは他の参加者さんたちにお聞きしましょうか、と。身を伏せ、地面を這い、なんとか安全地帯まで切り抜けたジャイロ・ツェペリ。
ほっと一息つくと、彼は顔をあげた。しかし案の定と言うべきか、さっきまでそこに見えた四つの人影は誰一人、もう残ってなどいなかった。

戦いを離れた場所で見ていたのは四人の男たち。彼らはとうに、身の危険を感じ、この戦場を離れていた。
指示を出されたJ・ガイルが引きずるように宮本を地下へと引っ張っていき、それを止めるためにトニオが後を追っていった。
スティーリー・ダンはこんな部屋にいてたまるか! と言わんばかりに、トニオにくっつきこの場を離れていった。
そうして最後、ポツン……とホールに取り残されたのはジャイロ・ツェペリ、ただ一人だったのだ。

せっかく意気揚々とこのホテルにやって来たというのに。
わざわざ危険を冒してまで、あの二人が戦い狂う舞台を潜り抜けてきたというのに。

なんてこったい、そう嘆いたジャイロの脇をツェペリの放った波紋カッターが再度かすめていく。
慌ててその場にしゃがみ込み、彼は深い深いため息をついた。
殺人者を求め、『納得』を求め、はるばるやってきた彼だったが、燃え盛っていた使命感や義務感が、少しだけなびいた。
楽天家で気分屋の面もあるが、ジャイロは元来真面目な性分だ。
少年の死に関わる情報を期待していただけに、この肩すかしはおおいに彼を落胆させた。人が多くいて期待値も高かっただけに、その落差も大きかった。
微かな疲労と上手くいかない苛立ち。だがこれぐらいではへこたれていられない。それでも前向きに行こうと、彼は自身を奮い立たせる。

ジャイロはそっと息を吐き ――― 刹那、後ろ髪が逆立つような気配に、反射的に、振りかえった。


「―――ッ」


戦いはいよいよ勢いを増し、二人はまるで暴風のようにホールを縦横無尽に駆け巡っていた。腕と腕が絡み合い、脚と脚が錯綜する。
第六感が命じるままにジャイロは飛びあがった。そして考えるより先に、彼は鉄球を投げた。
鉄球はワムウに向けて投じられる。ワムウは振り上げかけた拳を引き、咄嗟に回避行動をとるしかなかった。

「く……、ぬぅん!」

押されていたツェペリが足元の瓦礫につまづき、致命的な隙を生んでいた。ジャイロは瞬間的に、彼を助けるために鉄球を放っていたのだ。
ジャイロの加勢がなければ、ワムウの拳は胸を貫き、戦いは柱の男の勝利で終わっていたに違いない。
鉄球を右腕に受け、ワムウの表情が痛みと、そして驚きに強張る。ツェペリはすかさず危機から脱出し、ワムウより大きく距離をとった。

なぜ自分はこの紳士を助けてしまったのかはわからなかった。だが考えるでもなく、魂が反応したとでもいうのだろうか。
ジャイロはひとまず湧き出た疑問を横に置き、舞い戻ってきた鉄球を受け止める。
冷たくツルツルとした鉄球の感触が、ジャイロの思考をクリアに、そしてクールにさせてくれた。
まぁ、理由が何であれ、誰か人を助けられたのはいいことだろう。楽観的な彼は深く考えずにそう結論付ける。
だが鉄球を投げ、戦いに足を踏み入れたという行為。ジャイロは覚悟した。それが意味することは、ひとつだ。
この戦いは避けられない。ここは引いていい場面ではない、と。

ツェペリは乱れた呼吸を整える。言葉も言えぬほどに疲弊していた彼は目線と表情で感謝の気持ちを示した
ジャイロは手を挙げ返事を返す。視線を逸らすことができなかったのだ。
少しでも警戒心を緩めれば、筋骨隆々のあの男が襲いかかって来るに違いない。ジャイロにはそれがわかっていた。

ワムウがニヤリと口角を釣り上げる。冷たいナイフのような殺気と部屋が縮むかと錯覚させる圧迫感。
ジャイロが低く腰をさげ、戦いの構えをとった。それを見てワムウは益々笑顔を色濃くした。
レース前、スタートの瞬間を待つような、異様な雰囲気が辺りを漂い始めていた。

「ったく、なんでこんな面倒な事に巻き込まれちまったんてんだ」

唐突にジャイロはそう言い、不満げに顔をしかめた。
俺はただ情報が欲しかっただけなのによォー、そうぼやいたジャイロ。ツェペリは自然と隣に並び立つと、彼を庇うように一歩前に踏み出した。
申し訳なさそうな、困った笑顔を浮かべた英国紳士。軽い気持ちで言っただけにジャイロは慌てて、まぁ、仕方ねェよな、そう付け加えた。
隣でツェペリが、お詫びと言ってはなんだが、そう切り出し、戦いの後に一緒に朝食でもどうかね、と持ちかけてきた。
ジャイロは何も言わなかったが、ニカッ、と金歯を輝かせ笑顔を返した。
つられてツェペリも柔らかな笑みを返す。ジャイロのほうをちらりと見据え、彼はこう付け加えた。

「ジャイロ君、実を言うとわしも『ツェペリ』なんじゃよ。
 改めて自己紹介といこうか。ウィル、ウィル・A・ツェペリだ。よろしく」
「ジャイロだ。ジャイロ・ツェペリ。よろしくな、ウィル。ニョホホホ……!」

ツェペリの姓を聞き、ジャイロは驚き、目を見開いた。
しかし彼は、何事もなかったように差し出された手を握り、男たちは肩を並べ柱の男と向き合った。
今語るにはあまりに時間がない。それが二人が抱いた共通の思いだった。
時代を超えても血縁は結びつく。言葉に出さずとも、それが男たちには理解できたのだ。
大切なのは共に戦える事。詳しい御託は朝食の時にでもとっておこう。

「わしが前、君は後ろでいこう」
「任せた。それから、ぎっくり腰になっても任せておけ。こう見えても俺は医者なんだぜ?」
「それはそれは頼もしいことで!」

ツェペリがクスクスと笑いを漏らす。帽子をかぶり直しながら、ジャイロも面白そうに肩を揺らしている。
戦いを前にして、程よい緊張感が二人の間を漂っていた。強張りすぎるでもなく、緩みきるでもない。
ワムウが獣のように、歯をむき出しにした。凶暴な笑みが戦いの合図だった。

床を滑るように浮いた巨体。ツェペリが雄叫びをあげ、柱の男と激突する。ジャイロが後ろで叫び、鉄球が空を裂く。
時代を超えた戦いが、今、始まった。



 ◇ ◇ ◇



「トニオさん……、トニオさん! 待って、待って下さい……ッ」

後ろから悲鳴のような懇願する声が聞こえてきた。だがトニオは脚を止めなかった。
普段運動し慣れていない身体を目一杯動かし、なんとかJ・ガイルに食らいつく。
見た目に反し、J・ガイルは身軽な様子で軽快に先を進んでいく。だが諦めてなるものか。自分を励まし、トニオは駆けていく。
歯を食いしばり、身体に鞭打ち、男を追った。床を蹴り、階段を駆け下り、いつしか辺りの様子はすっかり変わっていた。

ホテルを抜け、地下に潜り、更に進んだころになってようやくトニオはJ・ガイルに追い付いた。
突然止まった影に、トニオは少し離れた位置で同じく脚を止めた。心臓がドクドクト脈打ち、今にも破裂しそうだと思った。
苦しそうに胸に手をやるトニオを、J・ガイルは面白そうに眺めている。トニオは何も言わなかったし、何も言えなかった。
滴る汗をぬぐい、息をつく。二人に後れをとっていたスティーリー・ダンが、ようやく追いついた。

ニヤニヤ笑って余裕を見せるJ・ガイルに対し、二人の男は息も絶え絶え。呼吸を落ち着けるまでに、少し時間を要した。
脇腹に鋭い痛みを感じる。ほんの少し走っただけだというのに脚がつりそうだ。
トニオ以上にダンは疲れている様子だった。ぜぇぜぇ、と息を弾ませ、膝に手をつき、苦しそうに喘ぐ。
トニオは横目で心配そうにその様子を伺っていたが、今はそれより急がなければいけないことがある。
彼は顔をあげると、J・ガイルに話しかけた。

「戻りまショウ、J・ガイルサン。戻ってワムウサンを説得して……もう一度話し合うンデス。
 全部誤解なんデス。冷静になって、素直に話し合エバ……きっとうまくイキマス」

J・ガイルは笑いながら、ポケットへと手を伸ばす。これ見ようがしに膨らんだポケットを叩くJ・ガイルを見て、トニオは宮本のことを思った。
走っている途中から宮本の姿が見えなくなっていたことには気がついていた。きっとスタンド能力で紙になったのだろう。
人質のつもりなのだろうか。トニオが唇を噛みしめるのを見て、J・ガイルの笑いが大きくなった。
男が返事を返してきた。何が面白いのか、彼は終始笑いっぱなしだった。

「ククク……なァに言ってんだい、トニオさん。もう状況はどうにもならねェぐらい悪化してるんだぜ?
 ワムウの奴が暴れ出したら、気が済むまでアイツは戦い続けるだろう。突然の横やりには驚いたが、まぁ、終わりには変わりないさ。
 ホテル大連立はこれにてお終い。最初から、手をとりあって、なんてのは夢物語だったのさ」
「ちがいマス! まだ間に合いマス! きっと話し合えば私タチはわかりあえますヨ!」
「ククク……音石を殺した奴がいるってのにか? 人が死んでんだぜ! 馬鹿言っちゃいけねェよ、トニオさん!
 少なくとも俺は御免だ。この先殺人狂と一緒なんて命がいくつあっても足りやしねェ。
 ましてや手を組むだなんて、そんなことするのは馬鹿がすることだ。
 そんなことするぐらいなら強いものの味方について、醜くても、汚くても、俺は生き延びようって思うぜ。
 死にたくないから俺はそうするんだ。それが俺の選択なら、アンタに一体何の権利があって口をはさむんだい? エエ?」
「それハ……ッ!」
「トニオさん……」

割り込むように、トニオの後ろから声が聞こえてきた。その声は冷たく、突き放すような口調だった。
ようやく落ち着いたダンが口を挟んできたのだ。トニオの肩にそっと手を置き、彼はコックの耳元に語りかける。

「もう無理ですよ、トニオさん。諦めましょう。
 J・ガイルさんの言う通りとは言いませんが、私も皆が仲良く、なんて出来るとは思っていませんでしたよ」
「ダンさんまで……ッ!」
「さぁ、早く戻りましょう。ここは暗くて、足場も悪い。無力な僕らにとって、あまり危険です。
 トニオさんはもっと自分のことを大切にしてください。ここは殺し合いの舞台で、いつどこで、襲われるかわからないんですよ?」
「ダンさん、でも……!」

もし、その時トニオが冷静であったなら、何か違和感を感じられたかもしれない。
ダンの呼吸が、やけに乱れていること。J・ガイルの笑みがニヤリと更に深まったこと。
だけどトニオはあまりに人がよすぎた。人を疑わないということは美徳であるが、殺し合いの場ではあまりにそれは美しすぎるものだった。


 ―――ズンッ……


ナイフが肋骨の隙間から滑らかに侵入し、心臓の真中を突き破っていった。
トニオ・トラザルディーの心臓を。スティーリー・ダンの持つナイフが。


「……エ?」
「……だから危険だと言ったでしょ」
「ククク……、ヒヒヒヒヒヒッ! これは傑作だッ! なんてこったい、まさかこうなるとはよォ!」


胸を貫く銀色の刃を、トニオは馬鹿みたいに見つめていた。せりあがってきた液体が口から噴き出る。
真っ白なエプロンに飛び散る赤を見て、自分が吐血したのだと、トニオはようやく気がついた。
それでもわからなかった。考えられなかった。考える間もなく、トニオの体は横に傾いていき、そしてそのままの表情で、彼はその場に倒れ伏した。

後に残されたのは青い表情で、深呼吸を繰り返すスティーリー・ダン。洞窟内に笑い声を響かせるJ・ガイル。
ジメジメとした空気に混ざって、血の臭いが込み上げてきた。
凶器を振るった男は後ずさり、壁に背を突き自分の手を見つめる。肉を抉った生々しい感触が、そこには残っていた。



 ◇ ◇ ◇



その闘いはあまりに熾烈で、大規模だった。
ホテルの壁をぶちぬき、柱をへし折り、三人は場所を変えても、戦い続けていた。

「ぐっ……ヌゥン!」
「それそれそれッ」
「おいおい、あまり無理なさんな、おじいちゃんよッ」

即席コンビの息はぴったりだった。
まるで長年共に戦ってきたかのように阿吽の呼吸で、二人のツェペリはワムウを攻め立てる。
前衛のツェペリはある程度距離を保ちながらも、時折懐に飛びこみ、危険な一撃を浴びせてくる。
床を蹴り、ツェペリが左右にフットワークを刻みながらワムウに迫る。
ジャイロの鉄球を避けることに意識をさいていた柱の男は、いとも簡単に接近をゆるしてしまう。

「波紋疾走ッ!」

関節を外した痛みをッ 波紋で和らげッ ズームパンチッ!
太陽のエネルギーを込めた一撃をガードするわけにもいかなく、柱の男は避けるしかない。
腰から上を水平にするほどに傾け、そのままの体勢で蹴りを放つ。
当たるとは思っていないが、絶えず牽制をしなければツェペリは畳みかけるように襲いかかって来るのだ。

山猫のような身のかわしと俊敏さはシーザーを彷彿させる。しかし彼以上に、ツェペリには長年の戦士としての経験があった。
体力や拳の重さは及ばないが、流れを読む老獪さ。ワムウは敵ながら感心する。
ジャイロも一流の戦士であるが、ツェペリがうまく前後にバランスを整えていることで、このコンビはより凶悪なものとなっていた。

面白い! 強敵との戦いはいつだってワムウの心を震わせてくれる!
拳を完全に避けきることはできず、波紋はワムウの右わき腹を抉った。
煙を上げて溶けた自らの傷口に手をやりながら、それでもワムウは楽しそうにニヤッと笑った。彼は自分が負けるとはこれっぽッちも思っていない。
男はなにもただ考えなしに、防戦に回っていたわけではないのだ。ワムウにも策はあった。

そろそろ攻めるとしようか、ワムウは一呼吸つく人間ども尻目に、自分の中でギアをあげる。
人間と違って飛びぬけたタフネスと体力があるからこそ、ワムウは当初『見』に回っていた。
ジャイロとツェペリの距離感やチームワークを見極め、綻びを探す。
そしてあちらの戦法がある程度定まってきた今、ワムウもまた攻めるべき場所を見つけたのだ。

「フフフ……次は、此方から行かせてもらうぞッ」

二人のツェペリが構えをとった。ジャイロが下がり、ツェペリが前に出る。
当然だろうな、そう風の戦士は思う。見た限りジャイロは波紋使いではない。
高速回転する鉄球は波紋と似た効力を発揮していた。ワムウとて直撃すれば皮膚が爛れ、身体を貫かれる。
だが鉄球と波紋の最大の違いは防御への応用性。
ジャイロは波紋を身に纏わしているわけではない。それはつまり、ワムウがジャイロに触れることができたなら、肉を抉り、『食する』ことは容易なのだ。
それをさせないために、ツェペリが絶えずバランスを取り、ジャイロのガードに回っているのだが。

風の戦士が動いた。今まで退いては押し、絶えず距離をとっていたツェペリに対し、猛然と突っ込んでいく。
肉を切らせて骨を立つ気か。ツェペリはワムウの拳を受け流し、刈り取らんばかりに振るわれた脚を飛び跳ね、よける。
まるで暴風雨を相手しているかのようだ。ツェペリは身を沈め、首元目掛けて蹴りを放った。その攻撃は右腕によって阻まれた。

腕が融ける痛みにも怯まず、ワムウは更に一歩踏み込んだ。
ひたすらに前に、それがワムウの戦法だった。シンプルな力技だが、それだけに対処法も限られてくる。
単純な力技で上回るか、ワムウに撤退を選ばせるほどの攻撃を喰らわせるか。
そしてワムウほどの強者にそうさせるのは、非常に困難であった。

「ウィル!」
「……大丈夫だ! ジャイロ君、君は後ろで堪えておれッ」

ワムウが仕掛けた超近距離戦、それは同時にジャイロの鉄球をも封じる策であった。
ツェペリと密着するように戦われては、ジャイロも鉄球を今までのように投じられない。
攻防一体、ではなく、攻攻一極による戦法。巧みさもあれど、そのシンプルな力比べをワムウは好んだ。

波紋を流され、肌のあちこちが爛れていく。だがその痛みこそが、戦いを実感させてくれる。生きていることを、ワムウに教えてくれる。
脳天目掛け、腕を振るう。間一髪、紙一重でツェペリはこれを逃れる。
だが、避けたはずだというのに次の瞬間、ツェペリの頬を、額を、いくつもの刃が撫でて行った。
ワムウは一枚上手であった。風の流方、拳に纏わせた風が、かまいたちのようにツェペリに襲いかかったのだ。

ジャイロが吠える。血に視界が塞がれたツェペリは勘と聴覚で、危機を察知し、その場を逃れるために跳躍する。
ワムウが踵を振り下ろしたさきには誰もいなく、かわりに飛来した鉄球をさけるために、柱の男はやむなく距離を取る。

血を拭うツェペリ、鉄球でその間をやり過ごすジャイロ。状況はあまり変わってないように思えた。
いや、近距離戦線を逃れられただけに、人間たち有利なのだろうか。
そうではない。ワムウはさらに笑みを深めた。こうなることも、男は計算済み。高速で飛ぶ鉄球を何度もかわし、隙を伺い続けるワムウ。
そして、ジャイロが一瞬だけ攻撃の手を緩めたその時を、彼は見逃さなかった。

ツェペリの目が大きく見開かれる。ジャイロは男の鋭すぎる戦闘センスに、ゾクリと肌を震わせた。
ワムウの両の手、その内側で極小の台風が生まれた。それは風の弾丸、嵐の球体といっていい。
ジャイロの繰り返し投じられた鉄球、黄金の回転を、ワムウはセンスだけで見よう見まねした。そしてそれを一つの技として、確立してしまった。


戦いの天才! 二人のツェペリは恐れおののいた。今二人が対峙する相手は、間違いなく規格外の化け物だった!


ワムウの手に出現した風の球体。禍々しいまでに圧縮された空気の塊。
幸運にも、その一撃は空振りに終わった。前に立つツェペリ目掛けて突きだされた右腕は、途中で軌道を変え、地面に叩きつけられてしまった。ワムウ自身も、暴れる風をコントロールしきれていなかったのだ。
だが転がるようにワムウの脇をすり抜け、振り返ったツェペリは、その威力を見て戦慄した。

もうもうと立ち込める砂埃の中、ワムウの技の跡は『完璧な球体』として地面を抉りとっていたのだ。
一ミリの誤差もなく、精密な機械で抉り取ったかのように。あまりの美しさに寒気がするほどだ。
その一撃が直撃したならば、一体どんなこととなるだろう。
嵐にねじ切られ、吹き飛ばされて壁に叩きつけられるか。肉を抉り飛ばされ、身体の半分がミキサーのようにかきまぜられるか。
ジャイロの額をツゥ……と一筋の汗が伝っていった。末恐ろしい、ワムウの戦闘能力。もしも、奴が完璧に黄金の回転を身につけたとしたならば。

「ジャイロ君、前衛と後衛、後退しなァい?」
「アンタが俺みたいにガンガン鉄球投げれるってなら考えてやってもいいけど?」
「やれやれ……最近の若者は手厳しい。直接相手してるのはワシなんだぞ?」

軽口をたたいてはいるが、二人に余裕は一切ない。退いても駄目、押しても駄目。打つ手なし、と言う言葉がジワリと滲み出てきそうになる。

距離を取って引いたならば、ワムウは一気に押しつぶしに来るだろう。
柱の男の大技、『神砂嵐』。あまりに離れすぎてしまっては、二人にこの技を封じる手段がない。
そして二人には、あれを受けきれるほどの体力もタフネスもないのだ。発動されてはその時点で詰みだ。

かといって前に詰めれば今ワムウが見せた圧縮された風の球体がツェペリを襲うだろう。
神砂嵐と違って、ワムウはあれを動きながら繰り出すことができるのだ。
そうなれば前衛を務めるツェペリへの負担が大きすぎる。しかも先にわかった通り、ジャイロも援護射撃がしづらくなる。

余裕を見せるワムウに対し、突破口が見えない二人は動けない。
自分を上回る策と戦法を期待し、静かに待っていたワムウが腕組を解いた。
遊びは終わりだと言わんばかりに、ワムウの身体が膨らんだ。筋肉の膨張、本気の構えで男は二人を『殺り』にくる。
どうする……? どうすればいいんだ……? 二人のツェペリを焦燥感が包んでいた。


その時だった。


“ウォオオオオオム―――ッ!”


「!?」
「なんだ?!」

答えはすぐに眼の前に現れた。
謎の鳴き声が響いた直後、音を立てて天井が崩れ落ちる。
舞い散る木片に紛れる一つの影。人でない何者かが地面に降り立った。

三人の間に割って入ったように現れた影。
爬虫類を想わせる鱗のような肌。獣のように鋭い視線。全身から発せられる人間離れした怪しい妖気。

そう、我々は知っているッ! この少年だったモノの姿をッ 異形の姿に変身した、その本当の姿をッ
これはッ これはッ 『橋沢育朗』だったモノ! 『来訪者バオ―』だッ!
死と戦いの臭いをかぎつけ、超生物バオ―が、今、このサンモリッツ廃ホテルにやってきたッ!

新たに役者が加わり戦いは次の局面へ。
闘争は終わらない。否、更にスピードを上げ、四人はブレーキをなくしたトロッコに乗せられ、加速していく……!



 ◇ ◇ ◇



育朗は走っていた。走って、走って、走って……。
とにかく走ることだけが目的だった。どこへ向かっているなんぞ、考えていなかった。
少年は一刻も早く、その場を離れたかったのだから。

走りながら少年の体が大きく変わっていった。鱗のような肌が全身を覆い、光沢ある髪が空へと向かって伸びていく。
寄生虫バオ―もまた、その場を離れることを望んでいた。橋沢育朗『たち』は、東に向かい、猛スピードで駆けていく。
脇目も振らず走り続け、擦り傷、切り傷ができても止まらない。彼らは止まらなかった。一心不乱に、ただ少年は走り続けていた。

固く閉じた目の裏、真っ暗闇の脳裏に浮ぶ億泰の首。記憶に焼きついたその光景は、どれだけ振り払おうとしても忘れられなかった。
バオ―が、育朗が、どれだけ素早く宙を駆けて行っても。鳥のように、林の間を潜り抜けて行っても。
死んだ億泰の姿は、決して離れることなくついてくる。息を引き取る直前の、あの穏やかな笑顔を浮かべたままで。

せめて億泰が怨んでくれていたならば。よくも殺してくれたなと、憎々しげに呪ってくれたならば。
だが彼は笑ったのだ。全てを成し遂げ笑顔で死んだ。その事が何よりも育朗を苦しめていた。

彼は自分を人間だと言ってくれた。嬉しかった。そうでないのかもしれないが、そう思っていいんだと許された気がしたのだ。
なのにそんな彼を殺したのは“怪物”である自分だ。恐ろしかった。内臓を撒き散らし、血肉を貫き、止めを刺したのは自分なのだ。
自分が殺したのだ。自分のことを人間だ、そう言って笑って励ましてくれた少年を、育朗は殺したのだ……!

育朗は恐ろしい。自分と言うものが何なのかわからなくなり、考えれば考えるほど、自分が自分じゃなくなりそうだった。
“怪物”であるもう一人の自分にいつか全てを奪われるのでは。そんな有りもしない冗談すら、今の育朗には笑い飛ばせなかった。
だから逃げた。だから走った。逃げて走って、そうしていれば考えないで済むと思った。だが心優しい育朗は、忘れることなんぞできなかった。

血肉を貫く感触、真っ赤に染まった自らの手が記憶の中でよみがえった。
目を固く閉じ、育朗は吠える。悶え苦しみの叫び声をあげ、バオ―は空を飛び、地を駆けていく。
場所も知らず、周りを見ず、少年はひたすら走った。何も考えたくない、逃げだしたい。そう一途に思い、彼は走り続けていく。


 ―――誰か助けてくれ “割れるように、頭が痛いんだ”
 ―――考えたくないんだ。自分が人間なのか、怪物なのか。 “張り裂けんばかりに、胸が苦しいんだ”
 ―――僕は自分が、恐ろしい……ッ “一体、何が起きているんだ……”


 “この想いを……”『このにおいを……』  ――― “消してくれ”『消してやる』


その苦しみはッ その悲しみはッ 育朗が人だからこそ 感じ取っているものだというのにッ!
悲しいから泣くのではないッ 恐ろしいから逃げだしたのではないッ
人だッ! 橋沢育朗が、誰よりも人だからこそッ 育朗は今、苦しみ、怒り、涙しているというのにッ!


少年はあまりに若く、あまりに純粋すぎた。無垢な心は罪悪感に蝕まれ、答えを探し、もがき苦しんでいる。
何かにあたり散らさねばならないほどに。やけっぱちな覚悟で、無謀な事をしでかすほどに。
バオ―は木々の先をしならせ、幹を蹴り、林の中をすり抜けていく。一段と大きな木で飛びあがると、彼は遂に目的地へとたどり着いた。
沈みかけた月が、異形の影を屋根へと落とす。バオ―は高く、高く舞い上がる。夜空を背後に、来訪者が空を駆けていった。

バオ―はその臭いを知っていた。風に紛れ、嗅ぎつけたのは自分と同じ、怪物の臭い。
両手首から鋭い刃が飛び出した。空中で回転すると頭から落ちていく。そして刀を振るい、彼は館の屋根を破壊し、中に侵入した。

そうだ、怪物を倒してやる。怪物を倒せば、この悲鳴はやむだろう。
怪物は人間の敵なのだ。怪物がいなければ、億泰は死ぬことなんかなかったのにッ
そうだ……怪物が、怪物がッ! 億泰を殺したのは、怪物だッ!

“ウォオオオオオム―――ッ!”

バオ―が鳴き、叫ぶ。あるいはそれは彼の心があげた悲鳴だったのかもしれない。



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最終更新:2013年05月26日 18:15