まるで泥の中を進んでいるかのようだ。ナルシソ・アナスイはそう思った。
進めど進めど先は見えず、足は不安に取られ、混乱が頭をかすめていく。
激しく動いたわけでもないのに動悸が止まらず、何度かこみ上げた吐き気をアナスイは気合でこらえた。
こんなところで時間を無駄にするわけにはいかない、そんな気持ちで耐えていた。

もし、ジョニィ・ジョースターと遭遇していなければ。
もし、ジョニィ・ジョースターとの情報交換の中で、“その可能性”が沸き起こっていなければ。
何を馬鹿な。アナスイはそう呟くが、心の靄は一層濃くなり、脳をよぎるノイズは収まるどころか、増すばかり。
結果論でしかない、そう言い聞かせ、男は彼女を見つけるために止まっていた足を動かし始める。
湧き上がる不安を、押し隠すように。

アナスイの知らない空条徐倫、その可能性が彼の眼を曇らせた。
彼の知る徐倫は強い人だ。いつだって彼女は自ら決着ゥつけるため戦い、そして勝利してきた。
運命を前にしてもひるむことなく拳を握り締め、どんな障害だってなぎ倒し、ねじ伏せ、切り開いていく。
アナスイの知る徐倫はそんな女性だった。聖母のように慈愛にあふれ、優しさゆえに誰かを傷つける人を決して許さない。
空条徐倫はそんな女性だった。そしてそんな彼女を、アナスイはたまらないほどに、愛していた。
いつだって未来を見据える、力強い瞳。アナスイは、その目に恋していた。


アナスイは沈んでいく。くるりくるりと底なしの不安の海の中に、彼はどこまでも落ちていく。
胃の中が空っぽで、奇妙な動きを繰り返す。えづくように喉が震え、げぇげぇと犬のように吠え声をあげた。

だがそうじゃない徐倫だったら? 戦う術もことも知らない徐倫が、今、ここにいたとしたら?
空条徐倫は強い人だ。自分の知る徐倫はそうだった。だがそれは、彼の知る徐倫 “は”、 だ。
守る必要もないくらいに彼女は強く、守ることを拒むほどに孤高で誇り高い人だった。
だが、そうじゃない徐倫もいるはずだ。彼の知らない、弱気で泣き虫で、立ち上がることすらできない、空条徐倫もいるのである。

もしも今、この瞬間にでも『そんな徐倫』が膝を抱え、震えていたならば。
仮に数十年先、幸せな未来で老い、満足に動くことすらできなくなった『彼女』がこの場にいたとしたならば。
子供よりも幼く、無垢で無知な赤子の『空条徐倫』が呼び出されていたとしたならば。

寒くもないのに鳥肌が背を伝い、カタカタと腕が振るえた。
恐ろしかった。それはナルシソ・アナスイが生涯で一度も経験したことのない、まったくの混じり気なしの純粋な恐怖だった。
ナルシソ・アナスイの知らない空条徐倫がいるという事実に、彼は恐怖した。
間違いなく空条徐倫であるはずなのに、そうと呼んでいいかもわからない女性が存在することに、彼は恐怖した。

大丈夫、大丈夫だ。根拠も理由も、何もない言葉を必死で言い聞かせる。彼は強がらざるを得なかった。
自分に必死に言い聞かせなければ、心が折れ、迷いが生まれ、足は止まってしまう。
それだけはダメだ。例えそうなることが当然だとしても、それでも駄目だ。どんなことになろうとも、そうなってはならないと、誓ったはずではないか。
彼女を愛せるのは俺だけだ。彼女を愛せないなんて、そんなのは、もう俺じゃない。

アナスイはひたすらに叫んだ。効率だとか、合理性だとか、そんなことはどうでもよかった。
何度か轟音が聞こえてきた。幾度となく、背後で眩い閃光が過ぎ去っていった気がした。
だがそれでもアナスイは声を張り上げ、住宅街を疾走し、愛しの彼女を助けるために走り続けた。

そうだ、アナスイの知る徐倫は強い人だ。そんな強い彼女ならば、必ず生き残る。
なら俺にできることは、そんな彼女を信じ、ただひたすらに“そうじゃない”彼女を守ることだ。
無力な彼女を守り、守り、そして守り抜く。今の俺にできることは、すべきことは、もうこれだけだ。

「信じているよ、徐倫……」

彼のつぶやきは風に紛れ、かき消される。ふと足を止めていたことに気付くと、男は再び走り、叫び始めた。
いるかもわからない、愛しの彼女を探すため。不安や絶望に、押しつぶされぬように。
囚われ人は脇目も振らず、纏わりつく不安を振り払い、そしてまた走り出す。






まるで淀んだ霧の中を歩いているかのようだ。ジョンガリ・Aはそう思った。
建物に手をつき、男は息が整うまでその場に立ち尽くす。熱を持たない、冷えたレンガの壁が次第に心を落ち着かせる。
顔をあげ、男は息を吐く。身体は落ち着いた。だが動悸は激しく、心は定まらない。
渦巻く不安は霞み消えることなく、留まり続ける。燻った不安の火は、消えはしなかった。

もしもンドゥ―ルと出会っていなければ。
もしもンドゥ―ルとの会話で、“その可能性”に辿りついていなければ。
落ち着け、落ち着け。繰り返しそう言い聞かせた。だが呼吸は乱れ、火照った身体は収まらない。
クソ、そう悪態をつく。現状が変わるわけでもないが、そう言いでもしなければ気持ちがおさまらない。
手を離すことなく、壁伝いに脚を進めていく。ジョンガリ・Aは街をどこへともなく進んでいく。
歩みは次第に早まり、そして走りへ変わった。男は声を張り上げ、夜の街に声を張り上げる。
沈んだ空気が、男の叫びに切り裂かれていった。

その不安はまるで陽が沈み、夜がやって来るようにひっそりと、当たり前のように彼の心に忍び込んできた。
熱気も活気も気がつけば消え、沈んだ冷気が這いいるように、ジョンガリ・Aは不安にさいなまれていた。
仕えるべき唯一の人物。光無き目に光をもたらす希望そのもの。“DIO”が、彼の知らない“DIO”である不安に。

光を宿さず、もはや用をなさない目をギュッと瞑った。より深く、より完全な闇が男を見返していた。
いつもはそれを切り裂く、一筋の光が、なぜだか今、、“観”ることができなかった。
男はたちまち込み上げた焦燥に、頭をかきむしる。情けなく、頼り気なく、弱弱しい盲目者の悲鳴を、彼はあげた。

ンドゥ―ルが死んだ。それはとりたて男の心を震わせるような事実ではなかった。だがその男が死んだ、その事実。
死という救いのない終わりが、氷のように冷静な彼の心に、大きなヒビを入れていった。そう、死以上の恐怖が、彼を蝕んでいた。
もしもDIO様が、自分のことを知らなかったならば。
あの絶対的で、圧倒的で、当方もないはずの方が、そうなられる前の時から呼び出されたとしたら。
もはや自分のことなど必要とすることのない、かの方が望んだ世界から連れ出されていたとしたら。

風が吹いたわけでもないのに、彼の分身は大きく傾き、危うく地面に激突するところだった。
寸前で立て直し、なんとか宙に舞い戻る。気がつけばびっしょりと汗をかいていた。男はもつれるように動かし続けた脚を止め、もう一度壁を背に息を整える。
嫌だ。それだけは、嫌だ。誰にともなくジョンガリ・Aは言う。
死ぬことは怖くない。人を殺すことも、犯罪も、何をしたって平気だった。
だがこの人だけには、そのお方だけには殺されたくない。そう心から、初めて思えたのだ。
ならばもしも自分が不要だと言われたならば。もしも自分の知らぬ、あのお方が、冷徹で無機質にそう声をかけてきたならば。


―― もう君に頼む仕事はないんだ、ジョンガリ・A。ああ、そうだよ……、君はもういらなくなってしまったんだ。


また駆けだす。スタンドの射程範囲を最大にまでに伸ばし、蟻一匹見逃すことのないように気流を読み取っていく。
ただひたすらに恐ろしかった。見捨てられることが怖かった。彼にとってそのお方から興味を失われ、必要とされなくなることは紛れもなく、純粋な恐怖だった。
ジョンガリ・Aは気流を読む。自分にできること、そしてそれを褒めてくれた主を探し、彼は街をさまよい歩き続ける。

「DIO様……」

拾い上げたデイパックが手の中で軋んだ。あまりに強く握り締めた革の握り手が、男の掌に食い込んだ。
バラバラになりそうな心を必死で繋ぎとめ、彼はもう一度呼吸を繰り返す。
崩れ落ちそうな身体と魂を抱え、盲目者は夜の街へ、どこへともなく消えていった。






【D-8 杜王駅前路地 / 1日目 早朝】
【ナルシソ・アナスイ】
[スタンド]:『ダイバー・ダウン』
[時間軸]:SO17巻 空条承太郎に徐倫との結婚の許しを乞う直前
[状態]:体力消耗(小)精神消耗(中)、不安、混乱、狼狽
[装備]:なし
[道具]:基本支給品、ランダム支給品1~2(確認済)
[思考・状況]
基本行動方針:空条徐倫を守る。
0.徐倫……。
1.徐倫を探す。
2.味方になりそうな人間とは行動を共にする。ただしケースバイケース。今は協力者を増やす。
[備考]
参戦時期は SO17巻 空条承太郎に徐倫との結婚の許しを乞う直前 でした。
移動経路は 岸辺露伴の家→広瀬家→靴のムカデ屋→カメユーマーケット です。
移動中、近くの騒音を耳にしましたが、無視しました。

【D-5 南部 / 1日目 早朝】
【ジョンガリ・A】
[スタンド]:『マンハッタン・トランスファー』
[時間軸]:SO2巻 1発目の狙撃直後
[状態]:体力消耗(小)精神消耗(中)、不安、混乱、狼狽
[装備]:ジョンガリ・Aのライフル(35/40)
[道具]:基本支給品、ランダム支給品1~2(確認済み/タルカスのもの)
[思考・状況]
基本的思考:DIO様のためになる行動をとる。
0.DIO様……。
1.ジョースターの一族を根絶やしに。
2.DIO様に似たあの青年は一体?
3.この殺し合いはDIO様を慕う者が仕組んだ?
[備考]
D-5にあったタルカスのランダム支給品を回収しました。
ジョンガリ・Aへのランダム支給品は ジョンガリ・Aのライフル だけでした。





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前話 登場キャラクター 次話
042:名もなき君にささぐ唄 ナルシソ・アナスイ 110:石作りの海を越えて行け
044:killing me softly ジョンガリ・A 128:目に映りしものは偽

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最終更新:2012年12月27日 16:34