音石明というチンピラの死から、宮本輝之輔の身にはアクシデント続き、最低最悪のジェットコースター気分。
 いっそ、あのまま本にされ湿っぽくて薄暗い図書館の棚に収まっていたほうが、何倍幸せだったか知れなかった。
 それならば、耳たぶの肉を根こそぎ『指先で削り取られる』などという経験をすることもなかったろうに。

 音も無く滴る血の筋を、輝之助は頬に感じる。
 周囲は薄暗く、闇に慣れない目を限界まで見開いても、まともな景色を認識できない。 
 何処かの地下らしいということだけは分かったが、紙の中で震えていた彼には、現在位置など推測しようにも無理な話だった。
 どこかも分からないような陰気な、土の下の空間に、二メートル近くある大男と二人きり。

 ――頭がくらくらする。

 なぜこうなってしまったのだろう。紙の中にいれば安全だとばかり思っていたのに。
 あの殺人事件の後、わけがわからないまま紙の中に収まっていたら、こんな取り返しの付かない事になってしまった。

 全ては第一回放送後、短い時間に起こったこと。

 出てこないならば破いて捨てると、『エニグマ』の性質も知らないはずなのに、その弱点を押さえられた。
 人間離れした勘の鋭さは、スタンド使いになったばかりの少年にはショックが甚大、恐怖のボルテージははちきれそうに高まる。 
 渋々紙から出てきてみれば、襟首を掴み上げられ、主催者との関係を問いただされて、何も知らなくて、震えて上手く喋れなくて。
 口からは、意味のない音を吐き出すしかできなかった。

 その結果がこれだ。
 大男の指先が米神をかすったと思うと、頬を伝い口の中に侵入してくる血。
 耳をやわやわと襲う痛み。
 鉄の味のぬるい液体が、震える舌をさらにこわばらせる。
 死のイメージを呼び覚ます、この生暖かさ。

「あ、あ……」
「俺が人間に触れるとこのように、な。わかったのなら知っていることを話せ」

 人間を超越した種族と名乗った『ワムウ』は、煩わしそうな声で言う。

 恐怖の中でのっそりと起き上がった痛みに、恐れが限界点を超えた輝之助は、デタラメに暴れだした。
 襟首を掴まれた状態でじたばたともがき、哀れ『エニグマの少年』は、苦労の末、懐から拳銃を取り出す事に成功する。
 その浅黒い手のひらに収まったコルト・パイソンが、闇雲に動いて、かろうじてワムウの体を捉えた。
 硬い銃口が男の顎にあてがわれたのを視界の隅で捕らえるが早いか、輝之助の指先は冷たいトリガーを押す。
 破裂音が静かな地下に響いた。空間を伝わり、どこかへと広がっていく。

 反響するその音が闇に吸われて消える頃、輝之助の顔は、拳銃を撃つ前のそれよりもより強い恐怖に引き攣っていた。

「は。な、んであんた、何だそれ、顔撃ったのに、血も流れてない……?」

 軽蔑の色をたたえて、男はふ、と全身をこわばらせた。
 弾丸の型にめり込んだ皮膚から、スイカの種でも吐き出すように、潰れた鉛玉が飛び出てくる。
 乾いた音を立てて転がる、ひしゃげた金属。

「全く呆れ果てる。こんなチャチな武器なぞで、このワムウに傷を負わせることができると? 人間という種族は、幾世紀を経てもこの程度か。
 武器の見てくれと手軽さが変わっただけで、性能はまるで石槍と変わらんな」

 おしまいだ、と固く目を閉じた輝之助の耳に、怪物の独白めいた言葉が落ちてきた。

「ここまで差し迫っても吐かんとは……貴様、真実何も知らんのか」

「い、い、い、いや……たしかに、なんで僕の能力が、支給品に使われてるかのは知らない、けど……けど」

 やっと絞り出せた声は、輝之助自身が思った以上に震えている。
 ここで自分に価値がないと分かれば、まるでろうそくの炎を消すような手軽さで、命を吹き飛ばされるだろう。
 何とか生き残るための言葉、情報、理由を絞り出さなくては。しかし焦るほどに思考が空回る。

「殺す気はない……貴様の能力は使える。それに、依然主催者との関わりが全くないと判明しきったわけでもない。
 貴様があの忌々しい老人への『道』となるかもしれんのだからな」

 見透かしたように怪物はしめくくり、掴んでいた襟首を離す。間抜けな音と一緒に尻餅をついた。
 ようやく布地の圧迫から逃れるが、輝之助の胸中は窒息しそうなほど恐れおののいている。

 それは延命宣告であり処刑宣告だった。
 ひとまず殺されることはない代わりに、この怪物にいいように引きずり回され、用無しとなれば殺されるのだ。
 疑いなく、殺される。それだけの凄み、怪物の『表情』から読み取ることができる。
 今は、情報提供がこの乱暴者の求めることだとわかったのなら、輝之助にそれを拒む理由はない。
 自分がここに来る前、何をしていたのか。誰の命令で、どんな事情で。
 微に入り細を穿って、事細かに並べ立てていく。隠せば命はないと悟り、自分のスタンド能力さえも。

「……ていう、感じ、でした」

 腕を組みうつむきながら聞いていたワムウは、輝之助の語りが終わったと見るや、すぐに名簿を取り出して言った。

「第一の異常は、死者が生存しているらしいということ……名簿を率直に信じるならば。
 貴様の言う『虹村兄弟』。死んでいるはずの兄が生存者と数えられ、弟が死者として発表されている?
 そして、エシディシ様が、『サンタナ』と人間どもに呼ばれていたあいつが! 死亡者、として数えられているということは、生者としてこの地にあったということ!
 さらに、『シーザー・ツェペリ』! なぜ生きている? このワムウが確かに葬ったはず。これがスタンド能力によるものだというのかッ」

 矢継ぎ早に立ち上がる疑念と、激しい怒りの感情がせめぎ合っている様は嵐のよう。
 輝之助は圧倒され、ぽかんと口を開けたまま、ワムウを凝視するしかできなかった。
 『人間を超越した種族』は、伝書鳩が運んだ名簿を握りしめ、思いの丈を表し続ける。

「そして、最も怪奇極まりないと同時に、俺に対する最大の嘲りである、この名簿の内容……」

 ギリ、と歯の軋む音。

「『ジョセフ・ジョースター』! 生存者として記載されているのはどういうことだ!? 俺はたしかにあの広場で見届けたぞ、奴の鮮血がほとばしるさまを。
 名簿に載っているのは、JOJOの名を騙る者!?」

 その怒り、突風が巻き起こらんばかりの凄まじさ。
 輝之助は逃げ出したい衝動にかられながらも、動けない。男の覇気の激しさに足が震え、立ち上がることもままならない。
 何より、その常軌を逸した『体質』、人間に触れるだけでその肉を吸収してしまうとあれば、すこしでも変な動きをみられただけで、命取りになりかねない。きっとなる。
 名簿が引き裂けるかというほどの力で掴み、わずかに震えながら、ワムウは憎悪の言葉を吐いた。

「憎いぞ、このような座興を企んだ存在……スティーブン・スティールッ! 決闘に水を差すだけでは飽きたらず、奴の偽物まで創り出したのかッ!?
 ……いや、JOJOに会うことがない限りどうにもわからん。『蘇り』を可能にする能力があるかも知れぬのだから。
 しかし、第二の異常『動かされた地形』……第三は『年代の著しい隔たり』……第一、第二、第三と、各種の異常に共通点が無い。
 我ら柱の一族にとっても奇想天外な能力の産物か。どうであれ、許さん。よくもこの戦闘の天才たるワムウの、誇りある戦いを、これほどまでに侮辱できたものだな……」

 頭部から垂れ下がった幾本もの紐を振り乱し、ワムウは今や立ち上がって同じ場所を歩き回っていた。
 まるで、得物に狙いを定める獣のように。
 柱の男の独白は続く。

「俺も、シーザーも、JOJOもたった一つの命をかけて戦っていた。エシディシ様や『サンタナ』とて同じ事。
 それを、まるで遊技盤の駒を右から左へ動かすように生き返らせ、あるいは殺し……これは、戦いの中にその身を置く者の『尊厳』に対する侮辱と見なすッ!」

 見えない敵、主催者への宣戦布告。
 戦い? 尊厳? 侮辱? 訳の分からぬ内容ながら、輝之助はその極まった激情に、ゴクリと唾を飲み込んだ。

「JOJOとの誇り高き決闘と、奴の生命を汚した罪、エシディシ様やシーザー、すべての戦士達への侮辱、その死を持って以外には贖えぬと知れ……」

 燃え上がるかと思うほど、その瞳は怒気をはらんで煌めている。
 戦士の固く握りしめた大きな拳が、くぐもった音を立てた。

 その拳が、今にも自分に振るわれるのではないかと身構える輝之助をよそに、ワムウは自分のデイパックを掴みあげた。

「ここに長居するつもりはい。本来なら足を運ぶことも避けたかった場所だ」

「な、なんでだよ。とりあえずは安全だろ」

 どもりながら言う輝之助の言葉が聞こえているのかいないのか、怒れる戦士は、ひとりきりの思惑に沈んだ様子。

「エシディシ様と『サンタナ』が逝ってしまった今……ここへ飛ばされる前と同様、残る柱の一族はカーズ様とこのワムウ、たった二人。
 やはり、我らの悲願、赤石を追い求めるカーズ様に、俺の目的を理解していただくことは……」

 輝之助はふと、その表情に織り込まれた『変化』に気がついた。
 恐怖のサインを探し続け、人を観察する能力を極限まで練り上げたといえる彼にのみ、気づくことができたもの。
 何者にも動ずることが無いように思われたこの怪物の、静かな表情のなかに薄く広がった、ごく僅かな。
 これはなんだろう。悲しみ? 怒り? いや、違う。そんな単純なものじゃない。
 強烈な何か、狂おしい何か。
 輝之助は胸中で相応しい言葉を探しあぐねて惑う。
 その訝しげな視線に気付いたのか、ワムウは一点を見つめていた視線をこちらに向けると、毅然とした表情を取り戻して言った。

「……余計な話だった、忘れろ。ともかく、俺はカーズ様にお会いするわけにはいかん故に、ここには留まらん」

「あ、『カーズ』って、ここ確か地図で『カーズのアジト』とか書いてあった場所……カーズ様、って知り合いなのか? なのに会いたくない?」

 慌てて地図を広げる輝之助の言葉には答えず、大男は鼻を鳴らす。

「宮本とやら、貴様は少ない脳みそを使ってあれこれ思い悩む必要はない。
 どうせ太陽の出ているうちは自由に動けぬ身、ならば地下でつながっている『ドレス研究所』まで足を運んでみても損はないだろう」

 さり気なく罵倒されていることを感じつつ、荷物をまとめにかかる。

 怪物にわりと会話が通じるとわかり、震えが幾らか和らいだ。
 紙の中で怯えていて聞き逃した第一回放送も、大体の必要な部分を教えてもらえた。
 おそらく足手まといにしないためで、それ以上でもそれ以下でもないのだろうけど。
 今のところ、能力にも価値があると思ってもらえているらしい。すぐに殺されることも無さそうだ。
 ようやく生きた心地が戻ってきた。
 耳の傷は痛むが、袖の一部を破って手で抑えている。じきに出血も止まるだろう。

 輝之助は考える。
 さっきのワムウの表情、まるで人間のような感情のゆらぎについて。
 この怪物にも感情があるのならば、『恐怖のサイン』も存在する?
 人間を紙にするための条件を話した時も、自分には関係ないとでも思っているかのように、無関心だった。
 だが、感情がある以上、『恐怖』も当然存在するのではないか。

 一抹の望み。
 こいつを紙にさえしてしまえば、煮るのも焼くのも思いのまま、この絶望的な状況から一発逆転も夢ではない。

 だが、なんなのだろう。
 輝之助は胸に違和感を覚え、ワムウの表情を盗み見ながら、そっと手のひらを握り絞める。
 この、自分には窺い知れない深い深い感情の、底知れないゆらぎの名は?
 無表情だと思っていたこの人物は――人ではないが――よくよく見れば、表情豊かだ。
 耳たぶを吸収された痛みも忘れるほどの集中力で、輝之助は怪物を凝視する。

 この世にたった二人しかいなくなったという柱の男は、今は顎に手を当てて思案顔だ。
 やはりこいつ、ずっと無表情に見えてそうでもない。

「貴様を紙に閉じ込めて持ち運んだほうが、俺にとって面倒がないか? どう思う、人間。宮本輝之助よ」
「か、勘弁……話したけど、燃えたり破れたりしたら、中身も駄目になるって言ったろ。
 あんた、戦闘になっても僕を気にして戦ってくれるつもりなんかないだろうし……」
「FUM、俺が戦闘に臨んだ時に、紙ごとどこかへふっ飛ばされてもかなわんな。同じ理由から、荷物を収納することも避けたほうが良かろう。
 ならばせいぜいついてこい。逃げられぬのはわかっているな? 妙な気配を悟った瞬間、貴様の体は消し飛ぶぞ」

 今度はニヤリと笑う、目の前の怪物。恐怖がまた胸に迫り、輝之助はひゅっと悲鳴に近い呼気を漏らす。

 ――僕は、死にたくないんだ! 

 彼は決心したように唇を噛み、思う。

 ――こいつの恐怖のサイン、それを見つけ出す!

 見つけられるだろうか? こんな異形の生物が『恐怖』する瞬間を。 
 自分をバカにして道具扱いした報いを、きっと受けさせてみせる。

 でも、あの一瞬だけ見えた、悲しそうな、苦しそうな表情が、なぜか心に焼き付いてはなれない。
 血がダラダラ流れるほどの怪我を負わされたばかりだというのに、一体何だというのだろう。
 大股に歩き出したワムウの後をつんのめり気味に追いながら、輝之助は心の内を持て余している。
 傲慢な化け物の鼻を明かしてやりたいと思う一方で、人間ではないと豪語する生物の計り知れない感情が、心の中をチラついて消えない。

 ――人の肉をえぐっておいて何も思わないような奴が、悲しむ? 苦しむ? そもそもこいつは、人間じゃあ無いんだ。

 ただそれだけのこと。
 言い聞かせ、振り切るようにぶんぶんと頭を振って思考を保つ。

 地下は静まり返り、二人の歩くヒタヒタという音だけが不気味に響いていた。
 輝之助が付いて来ていることを肩越しに確認し、警戒するように周囲を見渡したワムウは、なぜか同行者のさらに後ろ、影になっている一点を強く睨む。
 釣られた輝之助が不思議そうに振り返ったが、そこには何もなく、薄暗い空間しか見えない。

 「……今は良い。遅れるな、人間」
 「あ、歩くの速……」 

 二人は湿った地下道へと進む。
 少年と怪物が闇に吸い込まれると、少し遅れて、一枚のトランプカードがひらりと舞い落ち、その後を追った。

 これはとある怪物と少年、それぞれの闘いの、ほんの幕の内の物語。

【B-7 カーズのアジト/一日目 朝】

【宮本輝之輔】
[能力]:『エニグマ』
[時間軸]:仗助に本にされる直前
[状態]:恐怖、片方の耳たぶ欠損(どちらの耳かは後の書き手さんにお任せします)
[装備]:コルト・パイソン
[道具]:重ちーのウイスキー
[思考・状況]
基本行動方針:死にたくない
0.ドレス研究所へ
1.ワムウに従うふりをしつつ、紙にするために恐怖のサインを探る。
2.ワムウの表情が心に引っかかっている

※スタンド能力と、バトルロワイヤルに来るまでに何をやっていたかを、ワムウに洗いざらい話しました。
※放送の内容は、紙の中では聞いていませんでしたが、ワムウから教えてもらいました。

【ワムウ】
[能力]:『風の流法』
[時間軸]:第二部、ジョセフが解毒薬を呑んだのを確認し風になる直前
[状態]:疲労(小)、身体ダメージ(小)、身体あちこちに小さな波紋の傷
[装備]:なし
[道具]:基本支給品
[思考・状況]
基本行動方針:JOJOやすべての戦士達の誇りを取り戻すために、メガネの老人(スティーブン・スティール)を殺す。
0.ドレス研究所へ
1.強者との戦い、与する相手を探し地下道を探索。
2.カーズ様には会いたくない。
3.カーズ様に仇なす相手には容赦しない。
4.12時間後、『DIOの館』でJ・ガイルと合流。

※『エニグマ』の能力と、輝之助が参戦するまでの、彼の持っている情報を全て得ました。
 脅しによって吐かせたので嘘はなく、主催者との直接の関わりはないと考えています。

※輝之助についていた『オール・アロング・ウォッチタワー』の追跡に気付きました。今のところ放置。

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095:Panic! At The Disco! (前編) ワムウ 152:新・戦闘潮流
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最終更新:2014年01月31日 21:03