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人として袖が触れている 16話

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「ようやく会えたわね」
 荘厳な満月が空に輝き、辺りを照らす。
 私と対峙するのは、人の力を超えた少女。
 哀れな少女。愚かな少女。
 まぁ……本当を言うとまだ、半信半疑ではある。
 あの惚けた神様が言うわけだから仕方ないか。
 このまま、何も言わないでくれればまたとっちめに行くけど……そうはいかないみたい。
 少女が笑う。
 笑うはずのない少女が、声をあげて。
 ああ、やっぱり本当だったか。
 そうよね、貴方しかいないか……私を憎む存在なんて。
 ……いいわ、憎みたければ憎めばいい。
 もう怖くない。
 足も震えてない。
 さぁ、見据えろ。
 少女の目を……その目で、その体で。
 でもその体は一つじゃない。
 皆が、私の後ろには居るんだ。
 かけがえのない、皆が。


 朝日がまだ眩しく照らす邸の廊下を、せっせと女房達が行き交う。
 それに指示を出しているのはおじさん。
 昨日の嗚咽は何処吹く風。
 毅然とした態度でテキパキと指示を出していく。
 今日は観月の宴。
 つまりはお月見ね……皮肉な事に。
 その準備で邸中の女房や雑色も大忙し。
 もちろん、私やつかさも例外ではない。
 寝殿の隅から隅まで掃除し、食事を並べ……ああ、最後の日なのに何してんだか。
「もうすぐ宴だ。そろそろこなたを頼む」
「はい」
 最後に任されたのはもちろん、こなたの世話。
 というより装飾ね。
 いくら御簾で姿は見えなくても、綺麗に着飾らなきゃ。
 それが礼儀ってやつよ。
「お姉ちゃん……大丈夫?」
「……」
 こなたの対屋に向かいながら、つかさが心配そうに私の顔を覗き込んでくる。
 それも仕方ないか。昨日、あんな別れ方をしたんだから。
「あの後もね、こなちゃんずっと心配してたよ?」
 で、あんたはどうせずっと泣きついてたんでしょ。
 まぁ、追いかけてこられても日下部との誤解一直線シーンを見られるだけだったからいいけど。
 さすがにあれは、弁解出来ないわ。
「……もう、その話はいいわ」
「で、でもっ」
 つかさを追い抜き、一人こなたの対屋に向かう。
 それに慌てて足並みを揃えるつかさ。
「もう決まった事よ、グダグダ言っても仕方ないでしょ」
「……説得力ないよお姉ちゃん」
「う、うっさい!」
 顔を真っ赤にして一喝する。
 まぁ、あれだけ泣き叫べばね。
「こなた、入るわよ」
 戸を押し開け、つかさと中に入る。
「あ……かがみ」
 中に居たこなたと目が合う。
 それと同時に、私の心臓が跳ね上がる。
 ……はぁ、辛いならつかさに任せればいいのに。
 やっぱり生真面目、馬鹿がつくほどね。
「宴の仕度、するわよ」
 視線をこなたから外す。
 それにこなたも気付いたのか、表情を少し暗くする。
「う……うん」
「あっ、ほ、ほらこなちゃん。さっさと終わらせれば宴まで少しは暇だからさっ、それまで遊べるよ?」
 私とこなたの間に流れた不穏な空気に反応し、つかさが慌てて割って入る。
「そんな暇ないわよ、寝殿に直行よ」
「で、でもさっ」
「いーよつかさ、私も今日はそういう気分じゃないんだ」
「うぅ……」
 表情の暗い私とこなたに挟まれ、苦悩するつかさ。
 まぁつかさじゃ難しいか……昔から要領悪いし。
「……着付け、しましょ」
「うん……お願い」
 暗い雰囲気のまま、こなたの着付けを手伝う。
 つかさはまだその空気をどうにかしようと奮闘してる。
 気持ちは嬉しいけど……あんたにそういうのは向いてないわよ。
「あ、も、もう色々新調したんだねっ。さすが大臣様っ」
 近くの螺鈿(らでん)の鏡台に気がつき、わざとらしくつかさが声を上げる。
 よく見れば他にも蒔絵(まきえ)の櫛箱に、新しい黒塗りの髪箱さえ。
 結婚が決まれば、これらの調度品……まぁ家具とかを新調していくのがならわしってわけね。
 鏡台(きょうだい)と櫛箱(くしばこ)は分かるわよね、ただの鏡と櫛入れよ。
 髪箱(かみばこ)って言うのは今じゃ使わないか。
 この頃は髪が長いのが美徳。
 でもそれじゃ寝るときに邪魔だから、箱に髪を入れて枕の横に置いて寝たわけ。
 その箱の事ね、簡単に言えば。
「そうね」
「そうだね」
 私やこなたから帰って来る言葉も、何所か中身がない。
 それに撃沈され、肩を落とすつかさ。
「うぅ……私、もう寝殿のほうに行ってるね」
 結局耐えられなくなったのか、対屋から逃げ出すつかさ。
 おかげで……こなたと、二人。
「……」
 まぁ、雰囲気は最悪なわけですよ。
 どっちも一言も喋らずに、黙々と作業だけ進んでいくだけ。
「あの、さ」
 着付けも終了し、櫛で髪を梳かしている時だった。
 ようやくこなたが重い口を開く。
 その瞬間、心臓の音が早くなるのが分かる。
「……何?」
「なんか私、ね……変なんだ」
 声が震えてる気がする。
「変?」
 それに気がついたのか、私も髪を梳く手を止める。
「私、その……」
 ゆっくりと振り返ったこなたと視線が合う。
 私の体の動悸が早くなった気がする。
 こなたの顔は、私の目の前。
 少し顔を前にすれば、唇が触れ合いそうな距離。
 う……な、何で私まで動揺して……。
「こなた、居ますか?」
「!」
 蔀戸の外から聞こえた声に、私の体が反応する。
 慌ててこなたから視線を外し、距離をとる。
「……母さま」
 出やがったこの空気詠み人知らず!
 ああもう、今いい空気だったのに!
「今準備、終わったところだよ」
 こなたも私から離れる。
 まぁ大量に単を纏ってるわけだから、そこまで機敏じゃないけど。
「綺麗ですよ、こなた」
「うん、ありがと」
 かなたさんに褒められ、喜ぶこなた。
 まぁそうね、大納言家の一人娘として出しても恥ずかしくないとは思うわ。
「そろそろ宴が始まります、寝殿でそう君が待ってますよ」
「うん……行こっ、かがみ」
 戸を開き、外に出ようとするこなた。
「あ、かがみには用事があります。一人で行けますね、こなた」
「えっ……あ、うん。分かった」
 そして一緒に出て行こうとした私を、かなたさんが呼び止める。
 空にはもう、闇が広がり始めていた。


「……何よ、また何か言い忘れてたわけ?」
「うぅ、相変わらず敬ってませんね」
 窓から空を見上げると、綺麗な満月が荘厳と辺りを照らす。
 暗闇を照らす優しい月光を身に浴び、手足の感覚を確かめる。
「あんたに構ってる暇はないの、用ならさっさとして」
 寝殿のほうからはすでに琴や筝の音色が流れてきている。
 ああ、もう宴が始まったみたいね。
 こなたやつかさはちゃんとやれてるかしら……特につかさは鈍くさいし、心配だわ。
「……会うんですね、とうとう『彼女』に」
「ええ、全部……終わらせてみせるわ」
「見つけたんですか? 貴方の、失くしたもの」
「……」
 こればっかりは、隠しても仕方がないか。
 どうせ、最後なんだしね。
「ずっと考えてたわ、朝から……今も、ね」
 こうやって月が出るまでは、どうせ暇だしね。
 そりゃもう考えたわ、必死に。
 ……結局無駄骨だったけど。
「じゃあ、まだなんですね……」
「……生憎、ね」
 はぁ、とため息をつくかなたさん。
 し、仕方無いでしょ!?
 そんな簡単に分かれば苦労はしないわよ!
 つーかこいつだけ分かってるのがなんかムカツク!
「うぅ……またぶったぁ」
 ふぅ、少しスッキリ。
「仕方ないでしょ、こうなったら出たとこ勝負よ」
 無理を通して道理を引っ込める! それだけよ!
 はぁ……もうちょっと建設的に生きられないのか私は。
「無理です……見つからなければ、彼女には打ち勝てない。彼女は、救えない」
「……まだ、救う気でいるわけ?」
 その少女は、神を裏切った。
 救いの手を差し伸べた神の手を払いのけ、身勝手に私を巻き込んだ。
 それでもまだ、許せるわけ?
「ええ、それが私の願い……彼女を救い、貴方も救いたい」
 はぁ……心意気だけは嬉しいわ。
 もうちょっと具体的に何かしてくれると嬉しいんだけどね。
「これが、最後の確認です」
「うん?」
 かなたさんに視線を向ける。
 少しその表情は暗い。
「期限はあと数時間……空の月が、全て沈むまでです。それまでに、どうか……」
「……ええ、分かってるわ」
 だから時間がないって言ってるじゃない。
 今日のために昨日の時間を削ってまで休んだんだから。
「もしそれを過ぎれば……」
「永遠に平安の夜に囚われる、でしょ?」
 かなたさんの言葉を遮る。
 トラウマになったあの一文ね。
 これは、帰れない……と解釈していいわよね。
 つまりこうやって、毎晩毎晩月が雲に隠れないかどうか心配する日々が死ぬまで続くってわけ。
「……」
 だが、かなたさんの表情が曇る。
 そして何かを言いかけるように私を見るが、言葉が続かない。
「? 何よ」
「いえ……ごめんなさい」
 何故か、謝られた。
 何か言いたいことでもあったのかしらね。
 まぁいいわ、深く突っ込んでる時間はないんだ。
「それであんたはどーすんのよ、宴にでも出るわけ?」
「いいえ……私がこの世界に干渉出来るのは、ここまでです。最後にそれを伝えにきました」
 へぇ、それはそれは……。
 って何だって!? もっと早く伝えようなそういうことは!
「い、痛いですっ! 千切れますっ!」
「じゃあ何、騒ぎの張本人のあんたは尻尾巻いて逃げ出すわけっ!?」
 無責任にも程があるわっ!
 ノコギリを誰か! 体の出っ張った部分全部切り落としてやるっ!
「ち、違いますっ。私も、やれるだけの事はやってみますからっ」
「……」
「あ、し、信じてませんねっ!?」
 疑いの眼差しで見てたのがばれたか。
 まぁ今更これ信じろって言われてもねぇ。
「これ扱い!?」
 まだ調教した猿のが賢そうだし。
「酷っ!」
 こらこら、人の心を読むな。神の特権か!
「はぁ……分かったわよ、期待せずに待っとくわ」
「期待しておいてください! 絶対ですよ! 絶対!」
 はいはい、分かった分かった。
 時間がないんだから、速めにお願いね。
「……最後に、かがみ」
「?」
 涙目で頬を膨らませていた顔が一変。
 慈悲を含んだ、優しい笑顔。
 ……ったく、だから卑怯よその顔は。
 怒りもどっか行っちゃったわ。
「どのような結末だろうと……貴方は懸命に戦ってきました。貴方を取り囲んだ辛い運命と……」
 ……そっか。
 全部、見守っててくれたんだっけね。
 まぁ……感謝はしてるわ。
 諸悪の根源が誰なのかは忘れないけど。
「それを私は誇りに思います。どうか最後のその一瞬まで……自分を、見失わないように」
「ええ、分かってるわよ。言われなくてもね」
「ふふ……やっぱり貴方は、強い子」
 そう言って笑顔を見せるかなたさんが、光に包まれる。
 淡い、月の光にも似たそれが辺りを滲ませる。
 まるでVFX。
 ああ、そうよね。
 散々忘れそうになるけど……やっぱり神様なんだ、この人は。
「それではどうか……貴方の世界で、会えることを」
 そのまま滲んだ光が淡く揺れ、泡のように弾けていく。
 それはまるで洗い流したキャンパス。
 もう何も……残ってはいない。
 かなたさんは消えたんだ、『この世界』から。
 彼女の言っていた『拗れ』も、これで元に戻ったのかしら。
 ……まぁ、今更感は否めないが。確かめてる時間もないし。
 いいや、私は私の出来ることをしよう。
 もう全ての舞台は、整ったのだから。
 あとは、勇気。
 全てを打ち破るための、一歩。
 舞台は平安。
 踊るはその世界に巻き込まれた哀れな私。
 でも、孤独じゃない。
 さぁ……反撃のトリルを打ち鳴らそう。
「待たせたわね」
 一度深呼吸をした後に、言葉を紡ぐ。
 私の『背後』に居た少女に、その言葉を突きつける。
「聞いてたんでしょ? 全部」
 辺りを支配するのは、静寂と暗闇。
 窓から漏れる光も、照らしてくれるのはほんの微か。
 私の見上げる満月の反対側に……『居た』
『そいつ』はずっと、そこに居たんだ。
 ふふ、『ここ』が何処か覚えてる?
 私はまだ、この部屋に来てから動いてないわよ。
 ここはそう、ある人の部屋。
 そこには、『何』がある?
 じゃあ、最後の知恵比べと行きましょうか。
 ――後ろの正面だぁれ?


 その花は綺麗というには、何処か不恰好で。
 優雅というには、何処か粗暴で。
 華やかという言葉からは、一番離れているような花。
 その花を折りたくて。
 その花を手に入れたくて。
 でも、私は知っている。
 その花が気高く、優しく……愛くるしいことを。
 まるでそう、咲き誇る梅の花。
 見上げる空を朱に染める、高貴な紅梅。
 その花がどんなに枝を下ろしていても。
 その花がどんなに狂い咲いても。
 私の手に、届く事はない。


「ようやく会えたわね」
 振り返り、少女を見る。
 私の運命に立ちはだかる少女を。
 ……何てことはないじゃないか。
 私のよく知ってるその姿に、畏怖を感じるはずがない。
 彼女は私の知ってる彼女。
 見慣れたその容姿に感じる違和感は、一つだけ。
 まぁそうね、『こっち』に来てから見るのは始めてか。
 彼女は私を憎んでいる。
 私を呪っている。
 あの何処か抜けてる神様が言った時に気がつくべきだった。
 神様は言う。
 絶望する彼女に、『私』を見せたと。
 私が他の世界とは『違う』から。
 私を見て、希望を持って欲しかったから。
 あの『花』にもう一度、手を伸ばして欲しかったから。
 月の光が伸び、彼女の姿を照らしていく。
 見覚えのある衣装。背まで伸びた髪。
 見慣れたようで見慣れないその姿は――、

「かがみ、でいいわよね?」
 自分で言って、心で自嘲する。
 自分の名前をそうやって呼ぶ日が来るなんて、思ってもいなかった。
 でも、そこには確かに『居る』
 こなたの新調された調度品、螺鈿の鏡台に映し出された……『私』が。
『そうね』
 ニコリと、鏡の中の私が笑う。
 私の顔は笑ってなんかいない、笑うはずがない。
 こんな光景を目にしているのだから。
『私も、話がしたかったわ』
 鏡の中の私の口が言葉を紡ぎ、私の耳に響く。
 ああ、本当なんだ……と、心が叫ぶ。
 こいつが、祭りを始めた張本人。
 私を憎み続ける存在。
 この世界を生きる……体の私。平安の私。
 考えてみれば簡単でしょ? 誰が、一番私を憎んでるのかって。
 あの神様が『私』に見せたのは、『違う』私。
 そしてきっと、こう言ったんだろう。
 諦めちゃ駄目だって。
 こんな世界もあるのだから、ってあの笑顔でね。
 でも私が感じたのは……憎悪。憎しみの、黒い炎。
『あんたが羨ましかった……身分もない世界に生きる、あんたが』
「今更誤魔化さなくてもいいわよ」
 羨ましい? それは少し違うでしょ?
 だって、そんな世界は他にも億千とある。
「はっきり言いなさいよ、憎かったんでしょ? ……こなたを好きじゃない、私が」
『……そう』
 はっ、私を誰だと思ってるのよ。
 あんた自身。私自身。隠し事なんて……無意味に等しいわ。
『憎い……身分のない世界に生きるくせに、それを蔑ろにするあんたがただ……憎い』
「……」
 蔑ろ、か。否定は出来ないわね。
 私はただ甘えていたんだ……世界に。
 与えられた世界に疑問も不満も抱かず、ただ流さてきた。
 それが当然だからと、世界を斜に見ていた。
 今なら分かる。それがどれだけ愚かで、つまらない事なのか。
 でもそれは……。
「それは、あんたも一緒でしょ?」
『……!』
 鏡の中の私の表情が、歪む。
「あんたはただ、自分にないものを持ってる私を妬んだ。自分の世界を蔑ろにしてね」
 私は知ってる。身分なんていう鎖に絡みとられながらも、必死に抗って……戦う事を決意した女性を。
 女房や白拍子の立場にありながらも、一人の女性を好きでい続ける事を決めた二人を。
「あんたはただ逃げたのよ。想いを伝えるのが、想いを拒まれるのが怖かったから……『世界』を言い訳にして逃げた」
『……るさい』
「どっかの呆けた神様は人を超えた、なんて言うけど……私から言わせれば、ただの臆病者ね」
『五月蝿いっ!』
 月夜の世界に、声が響く。綺麗な鏡の向こうから、黒い何かが溢れてくる。
 その威圧に、肌が敏感に反応する。
『うるさいうるさいウルサイウルサイ五月蝿い五月蝿いっ!!!』
 髪を掻き毟り、取り乱す鏡の中の私。
 体を通してその感情が伝わってくる。
 怒り、悲しみ、嫉妬、憎しみ。全ての色が混ざり合って……もう彼女は、黒に染め上がっているんだ。
『あんたには分からないっ! 恵まれた世界に生まれたあんたなんかに、私の気持ちなんてっ!!』
「まぁ、そうね」
 悲しみは、人それぞれ。
 いくら貴方が私でも、違う世界。違う人生を歩んできた私たちは……『違う』んだ。
「私にはあんたの気持ちなんて分からない。悲しみなんてのは……他人には分からないのよ」
 私がこの世界で、学んできた事。それはどんな世界でも変わらない事。
 悲しみの渦がどんなに心に広がろうと、どんなに自らを傷つけようと……それが心の外に出ることはない。
 それに立ち向かえるのはどんなときも、自分だけなんだ。
「あの抜けた神様はきっと……それを伝えたかったはず。その心の黒い炎に、立ち向かって欲しかったのよ」
『……』
 抜けて、愚鈍で、馬鹿だけど……神様だもんね、あれでも。
『はっ』
「?」
 少し大人しくなった彼女から、声が漏れた。
『あはっ、あははははははっ!』
 それは笑い声。鏡の中の私が、醜く表情を歪めて笑う。
『まだあんな神を敬ってるの? あんな抜けて、愚鈍で、馬鹿で、頼りない神を!』
 あー、頼りないは言ってないからな私は。
『教えてあげましょうか……あいつは神なんかじゃない。ただの卑怯者よ』
 それが少し癇に障る。
 卑怯者? 人のこと言えるわけ!?
 確かにあいつは馬鹿だけど……馬鹿すぎる馬鹿神様だけど!
 それでも、私を見守ってくれていた。私を助けてくれた!
『あいつは大切なことを隠してる……とても、とても大切な事』
「な、何よ……それ」
 私の顔がいやらしく笑う。
『知らない方が幸せと思ったんでしょうね……どうせ分からない、どうせ気がつかないからって』
「だから、何のことよ!?」
 クスクスと耳に纏わりつく笑い声が、私を苛立たせる。
『あと数時間で、月は沈む』
 ……何だろう。
 今、心の奥が……ドキンと跳ね上がった。
 そうだ、どうして気が回らなかったんだろう。
 神様は言った。今日が、『最後』だと。でもおかしいじゃないか。
 永遠に平安の夜に囚われる?
 そうだ、何で気がつかなかったんだろう。
 他の手紙はともかく、最初の手紙は実にストレートだった……その一文を除いて。
 そうだ……あの馬鹿には悪い癖があった。
 誤魔化したい時、言いにくいことがあるときは……妙に遠い言い回しをするんだ!
『ずっとこの世界に囚われる……本当にそれだけだと思ってるの? そんなつまらない事で、私が許すと思ってるの?』
 もう一度、心臓が跳ね上がる。
 鼓動が耳を劈くように高鳴り、汗が落ちる。
 こいつは私を、憎んでいる。そう……こんな、人の力を超えるほどに。
 それがこんな、こんな結末で終わると思う?
 ただ私が、世界に取り残されるだけで……。
『お前は不純物、この世界にあってはいけないもの……この世界の秩序を乱す、毒』
「そんなのは……分かってるわよ」
 でも毒、ってのは言い過ぎよ。
 確かにこの世界をかき乱すことはあった。私が居た所為で、生じた矛盾もあった。でも私のおかげで収束した事件だってあるわよ!
『あははっ、まだ気がついてないのね……自分の愚行に』
 嘲笑う声が耳を劈く。
 愚行? わ、私が何をしたってのよ!
『言ったでしょ、あんたは毒……一滴の毒薬でね、人は殺せるの。世界も……同じよ』
「!」
 世界も、同じ……?
 人は確かに、不純物に対しては酷くもろい。
 一滴の水銀があれば、どれだけの人を殺せると思う?
『あんたが世界に関わるたび、世界の寿命は短くなる……あの馬鹿な神は、全部知ってたのよ。なのにそれを、隠してた』
「それ……じゃあ」
『そう、この世界は『死ぬ』……あの満月が沈む頃には、全てが消える。まるで泡のように、なくなるの』
 ……。
 世界が、死ぬ?
 私の、所為で? 私という毒の所為で?
 私がこの世界で妙な正義感を振りかざして、色んな事に関わってきたから?
 日下部を助けに行って、ゆたかちゃん達の間に介入して……つかさと話して、こなたと話して。
 その全てが、この世界を傷つけていた?
 そんな……そんなはずない。そんなの、そんなの認めない!
『そう、消える……私の憎かったものは、全部消える。あんたも……世界さえも!』
 彼女は全てを恨んでいた。
 私を……そして、世界を。
 これが彼女の目的?
 私という毒で世界を丸ごと、消滅させる。
 それが悲しい世界に生まれた彼女の……私の、復讐。
 身分という悲しい鎖に縛られた世界への、復讐。
 彼女はそのためだけに、私をこの世界に呼び寄せた。
 自らの体を、私に差し出してまで……。
 でも、なんだろう。
 まだ何か、引っかかる。
「あ……あんたはいいわけっ? それで!」
『ええ、それが私の願い。それが私の望む全て』
「つかさもこなたも、消えるのよ!? ……あんただって!」
 そうよ。
 こいつは好きだったじゃないか!
 こなたが……あんなに泣くほど。
 こんなに、狂うほど。
 なのに……それを、消す?
 その矛盾が、私の心に引っ掛かっていたんだ。
『はは、あはははははっ』
 また彼女が声を出して笑い出す。
 その目はもう……私を見てはいなかった。
『大丈夫よ……私はこなたと一緒になる。『あんた』の世界のこなたとね』
「なっ……」
 思わず言葉を失った。
 私の世界、の?
『私は手に入れたの。人を超える力……世界から世界へと渡り歩く、神の力を!』
 神は言った。
―私の力は、私にしか使えない。
 これが、彼女の――鏡の中の私が言う力。
 世界から世界へと、自分を運ぶ力。
 それで私を……この世界へ連れてきた。
 だって、私も『彼女』なんだから。
『こんな世界の……私のものにならないこなたなんて、もう要らない』
 彼女の言葉が頭を通り過ぎていく。
 自分が言ってるのが、分かってるの?
 だって、それは……それは!
『あんたの世界で、私は生きる……あんたの代わりに』
「な、何よそれ!」
 矛盾してる!
 さっき言ったじゃない!
 私はこの世界にとっての、毒。
 じゃああんたも一緒よ、私の世界にとっての毒になる!
『いいのよ、別に……私の世界じゃないんだから』
「で、でもまた消える……それじゃあ一緒よ!」
『簡単な話……世界が滅びる前に、また『別の』世界の私と代わればいい』
「なっ……」
 思わず、言葉に詰まる。
 今……何て?
『その世界が消えれば、また次。それが終わればまたその次……そうやって私は永遠になるの。永遠に、こなたと一緒の存在』
 彼女の目が恍惚に酔いしれ、息が荒くなる。
 そうか……彼女の眼は私を見て居ない訳が分かった。
 彼女はただ、こなただけを見ているんだ。
『そう、永遠の存在……私は神になる。あの愚図に代わって、私が!』
 それが全てを憎んだ彼女の、結論。
 全ての、目的。
 自分の世界を見捨て、他人の世界を永遠に行き交い続ける存在。
 そう、永遠に……。
 それはつまり、神と……同義なのかもしれない。
 彼女の悲しみは……想う力は、それほどだったんだ。
 人を超え、彼女は神となる。
 様々な平行世界を犠牲にして……様々な世界の自分を犠牲にして。
「そんなの……そんなの認めないっ!」
 あんたを神と敬えって?
 馬鹿げてるっ! 何が神よ、何が永遠の存在よ!
 そんなのは子供と一緒!
 気に食わないから、捨てる。
 そして自分の欲しいものだけを手に入れ続ける。
『無駄よ。もう止められない……全部あんたの所為、あんたが馬鹿げた正義感なんか振りかざさなければあるいはもう数日は伸びたかもね』
「そ、そんなの……」
 言葉を返せない。
 それは、事実。
 私はこの世界を、乱し続けてきたんだ。
『ふふ、終わりよ……どうやら『神』も、あんたを見放したみたい』
「!」
 その時だ。
 不意に、体の自由が利かなくなる。
 この感覚は、いつも私が感じるそれのまったく逆。
 目の前の彼女に囚われて、私は見逃していた。
 空を……。
「あんたはもう、終わりなの」
 口が勝手に言葉を紡ぐ。
 気がつけば、辺りを支配するのは暗闇。
 空に輝く満月はもう……その姿に雲の衣を纏っていた。
 厚い雲が空を埋め尽くし、月光を遮ったんだ。
 こんな時に……こんな、最後の最後なのに!
「そこで見てればいいわ。世界が、消えていくのを……最後の最後まで」
 そんな……何も、出来ないの?
 もう口だって動かせない。
 手だって、足だって!
 このまま指をくわえる事も出来ずに、世界の終わりを見ているしか出来ないの!?
 私の……全部、私の所為なのに!?
 い、いやまだよっ! まだ、雲が晴れるかもしれない。
 そうよ、それにかなたさん……神様だっている!
 彼女を信じる……お願い、どうか。どうか!
「本当はあの愚図も、この世界と一緒に消してやるつもりだったのにね……感づいて逃げたか」
 ……逃げた? えっ?
 そ、そんなわけないっ!
 だって、言った! やれるだけの事を、やるって!
 逃げるはずないっ! 居なくなるはずない!
「まぁいいわ、いつかは追い詰めて……消す」
 私の体が勝手に動き、部屋を出る。
 庭に足を踏み入れると、乱暴な篝火が暗闇を照らしていた。
 そして私の足が勝手に何処かに向かう。もう、私の言葉すら届かない。
 いくら叫んでも、いくら怒鳴っても……何も返ってはこない。
 だってそうじゃないか……私たちは、お互い相容れぬ存在。
 あの鏡が、私たちという存在を繋いでいたんだ。
 これが、終わり? 私の……私という歯車の、終わりなの?
「ふふふ……あはは、あはははははっ!」
 彼女が笑う。
 私が笑う。私を笑う。
 愚かな私を、哀れな私を。
 暗闇に広がる声は、まるで前奏曲。
 崩壊への、破滅への……消える世界へのプレリュード。
 奏でるのは偽りの神。
 彼女の奏でる音符は、私。
 その楽曲が世界を飲み込み、全てを無に帰す。
 世界が……終わる。
 私という存在を巻き込んで。
 こなたを、つかさを、おじさんを、女房を、雑色を……全ての人を巻き込んで、。
 そこには何が残ると思う? ……何も、残らない。残るはずがない。
 人の想いも、魂も、肉体も……消える。
 私は、負けた。
 私は、打ち勝てなかった。
 彼女の……人を、こなたを想う気持ちに。
 人を超え、神となった……私自身に。
 運命という、歯車に。
 みんなにありがとう。
 助けてくれて、ありがとう。
 愛を一杯くれて、ありがとう。
 そして、ごめんなさい……。
 私は世界を……壊してしまった。
 みんなという存在を、壊してしまったんだ。
 聞こえるのは、世界の崩れる音。
 今、世界は……終わる。


 その、最後。
 本当にその、最後の最後……。
 全ての希望が消えかけたその時。
 小さくて、ちっぽけで、僅かで……。
 神様ですら起こせない……『奇跡』が起きた。


(続)












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