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ついんずランチ

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匿名ユーザー

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だれでも歓迎! 編集
 チャイムが鳴った。
 昼休みだ。
 無愛想な物理教師は「む」と一音もらした以外は何も言わず、面倒くさそうに教材を片付け始める。
 それを尻目に何人かの男子たちが勢いよく教室を飛び出していった。学食にでも行くのだろう。
 私もノートをざっと点検してから、鞄を開いてお弁当を取り出す。
「それじゃ、峰岸――」
 と、前の席の友人に声をかけようとしたところで、元気のカタマリがやってきた。
「ひーらギー!」
 ハスキーなのに舌っ足らずな、妙に耳に残る声。日下部だ。
 私同様、手に弁当箱をぶらさげている。ってゆーか振り回してる。人に当たったらどうすんだ。
「なに? 今日は私、向こうで――」
「わあってるって! あたし部の方行くから!」
 いちいち叫ぶな。
 あと全部喋らせろ。
「知ってるわよ。引継ぎだっけ?」
 こいつが今日、所属している陸上部の人たちと昼食をとるということは、昨日の時点で本人から聞いて
 知っている。もうすぐ引退だから色々とやることがあるとかなんとか。
「うん! 何やんのか知んないけど」
「知らないのかよ!」
「イーんだよ。他のヤツが知ってっから。とりあえず顔だけ出せって言われただけだし」
 そんなことでいいのか最上級生。
「じゃな! ひーらギ、あやの! 行ってきます!」
 胸中のツッコミが届くはずもなく、日下部は元気よく(良すぎだ)叫ぶと
 腕をぶんぶん振りながら(だからなぜ弁当箱を持っている方を振る)去っていった。
「ちびっ子と仲良くな! ひーらギー!」
「なっ……!」
 そんなの言われるまでも……ってなんでだ!
 いやそりゃ仲良くするけど。いちいち喧嘩とかしないけど。友だちなんだし。
 ってゆーかそもそも何をしに来たんだアイツは。
「挨拶したかっただけなんじゃないかな」
 と、いつの間にか隣に来ていた友人、その挨拶とやらを私とともに受けた峰岸が言った。
 あんたには届くのか。それはそれでどうかと思うんだけど。
「……通訳どうも。ついでにもうちょっとなんとかならない、アイツ?」
「う~ん……」
 相変わらずの優しげな微笑みの、その眉だけが困ったように下がる。
「でもみさちゃん、最近頑張ってるじゃない」
「それは……まあ、ね」
 確かに。それは認めよう。
 ここ最近の日下部は、なんと驚いたことに、勉強面での頑張りを見せているのだ。
 成果も少しずつだけど上がっている。
 ただ、その反動なのかなんなのか、常に上がりっぱなしなあのテンションには正直参る。
 どこからそのエネルギーを捻り出してるんだか。
「まあまあ。あれがみさちゃんの良いところなんだから、ね?」
 私の肩に手を置いて、いたわるように言う峰岸。
 自分も少しは疲れてるだろうに、この子もこの子で底が知れないわね……ん?
「峰岸、お弁当は?」
 よく見れば、彼女は手ぶらだった。机の上にも昼食と思われるものは見当たらない。

「あ、うん。今日は学食。一人だしね、さぼっちゃった」
「そう。……なんか、悪いわね」
「どうして? おかげでいつもよりちょっとだけお寝坊できたわ」
 柔らかな物腰とはこういうのを言うのだろう。
 なんとなく謝っただけなのに、そんなに綺麗にフォローされると逆に余計に申し訳なくなってくるわね。
「そんなことより、柊ちゃん。早く行かないと、また泉ちゃんが迎えに来ちゃうよ?」
「あ、うん。……って、向こうから来たことなんてないじゃない。放課後ならともかく」
 日下部との約束に従って、自分のクラスに留まる時間を増やすようになってから二週間。
 それ以前まで多くの時間をともに過ごしていた隣のクラスの友人、泉こなたは、
 特に何かを言うでもなく大人しくしている。
 一度だけ理由を訊かれたけど、それも適当にはぐらかしたら「ふぅん」とあっさり納得してしまった。
 なんていうか、少し、拍子抜け。
「ん~……そうだったかしら」
「そうよ。ってゆーか、私はつかさに会いに行ってるのっ。なんでこなたが出てくるのよ」
 こいつもか。まったく。
 なんだって誰も彼もアイツの名前ばっかり出すのよ。
 ちょっと睨んでやると、峰岸はまた少し眉を下げた。
「だって、」
 しかしどちらかと言えば、ひるんでいるのではなく嗜めるように言葉を続ける。
「柊ちゃんはそのつもりでも、泉ちゃんが柊ちゃんを待ってるのは確かだし、別問題なんじゃないかな」
「む……」
 まあ、確かに。
 私が何を思って行動するかと、それをこなたが――他の人間がどう思うのかは、別の問題だ。
 だけど、繰り返すけどこなたは別に待ってない。
 峰岸の人物評はあてにならないのよ。あの日下部を「良い子」の一言で表すぐらいなんだから。
 それに、そもそもそんなことは、
「……どうでもいいわよ」




 教室の入り口で峰岸と別れ、つかさのいる隣のクラスへと向かう。
「おーっす、来たよー……って、あら?」
 挨拶の言葉が、途中で止まった。
 つかさの席、およびその周りには、つかさしかいなかった。
 峰岸との話題に出てきたアイツと、もう一人の友人、高良みゆき。その二人の姿がない。
「あ、お姉ちゃん」
 つかさが朗らかな声を上げる。
 とりあえず歩み寄り、定位置に腰掛けながら一応教室を見回してみたけど、やっぱりいない。
「こなたとみゆきは?」
「こなちゃんはパン買いに行って、ゆきちゃんは、えっと、委員会の人が呼びに来て、行っちゃった」
 尋ねると意外にも、って言ったらアレだけど、我が妹は明瞭な答えを返してくれた。
 そういえば、今朝言ってたっけ、こなた。パン買い忘れたって。
 でもみゆきの方はなんだろう。
 彼女も私と同じで委員会の仕事をしているから、昼休みに席を外すことはこれまでにも何度かあった。
 しかし事前に何のアナウンスもないというのは、少し珍しい。
「そうなの? 私は何も聞いてないけど……」
「へ?」
 つかさがきょとんとする。
 分かりやすく意外そうな顔。そんな顔されても、本当に何も聞いてないんだけど。
「こなちゃん、朝言ってたよ? パン買うの忘れたーって」
 ってそっちかよ! あんたもかよ!

「違うわよっ。みゆきの方。委員会の仕事なんて聞いてないって言ってるの」
「え? ……あ、そっか。あはは……」
 頭のリボンをふにゃりと垂らして縮こまるつかさ。
 まったく。
 頬杖を付いて机に体重を預ける。自然と教室の扉を眺める形になった。
 あ、誰か入ってきた。
 けどこなたじゃない。……みゆきでもない。
「……」
 なんとなく、左右を入れ替えた。今度は窓と、その向こうの青空が目に入る。いい天気だわ。
「ねぇ、お姉ちゃん……」
 つかさの問いかけ。
 視線で続きを促す。
「えっと、その……食べないの?」
 なんでそんな、ハレモノに触るみたいな言い方なのよ。まあちょっとイライラしてるけど。
「……そうね」
 ため息をもらし、姿勢を正す。けど弁当箱に手は伸びない。
 おなかは空いてるけど、イライラのせいか、あまり食欲がわかない。
 今日は私が作った貧相な中身だから尚更かも知れない。
「あ、そっか。こなちゃん――と、ゆきちゃん、待った方がいいよねっ。あ、でもゆきちゃんの方は
時間かかるかも。ど、どうしよっか」
 一生懸命に沈黙を埋めるつかさ。
 ああ、もう。
 何やってるのよ私は。こんな八つ当たりみたいな態度とって。この子は何も悪くないってのに。
 もう一つ、大きくため息。
 イライラまでは追い出せなかったけど、少し落ち着いた。つかさに笑いかけてあげられる程度には。
「そうね。じゃ、少し待とうか」
「う、うんっ!」
 一転して嬉しそうなうなずきが返ってきた。犬だったら尻尾を振りまくっているところだろう。
 ああ、もう。
 ほんと可愛いなあこの子は。




 間もなく待ち人が戻ってきた。
 ただし一人だけ。
「あ、ゆきちゃん。おかえり」
「おかえり、みゆき」
「はい。お待たせしてしまって申し訳ありません。かがみさん、つかささん」
 優等生のお嬢様は、峰岸とはまた一味違った柔和な態度で頭を下げる。そしてふと周囲を見渡して、
「泉さんは、まだ戻っていらっしゃらないのですか?」
「ええ。混んでるのかしらね」
「そうなんですか……せっかくかがみさんが来ていらしてますのに……」
 ……あんたもかよ。
 ああもう、付き合ってらんないわ。
「関係ないでしょっ。それより、委員会の仕事とやらは終わったの?」
「はい。生徒会の引き継ぎに関する単純な確認作業でしたので。おかげさまで、滞りなく……」
 私の質問に丁寧に答えたみゆきだが、言い終わりぎわに言葉を濁すと、困ったように頬に手を添え、
 首をかしげた。

「どうしたの? ゆきちゃん」
 鏡合わせのように同じ角度に首を傾けながら、つかさが問う。
 返ってきたのは、引き続き戸惑ったような声。
「はい。仕事は終わったのですが……それとは別に、ちょっとした頼まれごとをしてしまいまして……」
「頼まれごと?」
 鸚鵡返しに訊き返す。
 なんだか曖昧な言い方ね。
 みゆきがこんなふうに言いよどむなんて珍しい。
「はい。それが……少し時間がかかるそうでして、その……せっかくかがみさんに来ていただいたのに
申し訳ないのですが、席を外させてもらってもよろしいでしょうか……?」
 いや、聞いたのは頼まれごととやらの内容なんだけど。
 でもそんな本気で申し訳なさそうに言われると、訊き直しづらいわね。……とはいえ、
「えぇ~~?」
 いや、つかさよ?
 私じゃないわよ?
 まあ、気持ちは私も同じだし、可愛い妹にそんな声を出されちゃあ、
 あっさりとハイサヨナラってわけにもいかないわよね。
 ただし一応甘やかし過ぎないように「つかさ」と嗜めてから、みゆきに向き直る。
「私は別にいいけど、なんなの? よかったら手伝うわよ?」
「えっ! あ、いえ。私一人に、その、個人的に聞きたいことがあるとのことですから」
 すると何故だか頬を染めて、みゆきは両手を突き出して出して制してきた。
 ……んん?
 これは、ひょっとして……そういうこと?
「みゆき」
 一応、確認しておくか。
「は、はい」
「その、相手っていうのは、ひとり?」
「? ……ええ。一年生の――」
「名前はいいわ」
 口を滑らせかけたみゆきを、遮って止める。野暮をするつもりはない。
 ま、あとで聞くけど。
 っていうか、つかさ。あんまり疑問符飛ばしてこないで。あとで説明してあげるから。
「ちなみに、場所は?」
「ええと……生徒会室で、と……」
 生徒会室? 職員室のすぐそばじゃない。
 また妙なところを選んだもんね。安全性のアピールでもしてるつもりかしら。まあいいわ。
「わかった」
「ちょ、ちょっとお姉ちゃん?」
 我慢できなくなったのか、つかさが割り込んできた。
 もう、少しは空気読みなさいよ。
「あんたは黙ってなさい。大丈夫だから。――みゆき」
「あ、はい」
「行っていいわよ。ってゆーか、行ってあげなさい。待たせてるんでしょ?」
「いえ、あの……かがみさん?」
 なるべく優しく促したのだけど、みゆきはまだ少しためらっている様子だ。
 私の名前を呼びながらも、つかさの方をちらちらとうかがっている。
 そのつかさも、私とみゆきを交互に、不満そうに不安そうに見比べている。本当しょうがない子ね。
「いいでしょ、つかさ?」
「でも……」
「いいじゃない。みゆきのわがままなんて、めったに聞けるもんじゃないんだから」
 少し冗談めかして言ってやると、ようやくつかさは渋々ながらうなずいた。

「……うん、わかった。――ごめんね、ゆきちゃん」
「いえっ、とんでもないです。こちらこそ申し訳ありません、つかささん、かがみさん」
「いいって。まあ、何かあったら呼んでよ。携帯、持ってるでしょ?」
 言いつつ、スカートのポケットから自分の携帯電話を取り出す。
 机の上に置いて、いつでも駆けつけるわよとアピール。
「はい。それでは、失礼いたします。お手数ですが、泉さんにもよろしくお伝えください」
「うん。しっかりね」
「……? はい」
 いや、首かしげてんじゃないわよ。
 大丈夫か本当に。




「お姉ちゃん……」
 みゆきの姿が扉の向こうに消えて完全に見えなくなったところで、つかさが低く問いかけてきた。
 いよいよ不満そうな面持ちだ。
「わかってるわよ。ちゃんと説明してあげる。でも、いい? 驚いて大きな声出すんじゃないわよ?」
 やや身を乗り出して、潜めた声で前置き。
 つかさも同じだけ前に出て、戸惑い半分、緊張半分でうなずいた。
「う、うん」
「よし」
 うなずいて返し、一応周囲を確認して、さらに身を乗り出して声を潜める。
「告白よ、告白」
「……」
 つかさの目が点になった。
 呼吸も、まばたきすら止めて。
 一拍、二拍。……三拍。

「ふえぇぇぇぇぇぇえ~~~~!?!」

「っ……! でかいよの声が……!」
 キーンと痛む耳を押さえつつ、目覚まし時計よりも強烈な一撃をくれた妹にささやき声で怒鳴り返す。
「な、なんで!? ゆきちゃんが?! 誰に!?」
 聞いちゃいないよこの子は。
 てかマジで想像だにしてなかったのか。
「落ち着きなさいっ。大声出すなって言ったでしょっ」
「あ――う……」
 ぐいぐい迫ってくる身体を押し返しながら言ってやると、ようやくつかさは止まってくれた。
 ううっ、教室中から注目されてるじゃない。恥ずかしい。
「ごめんなさい……で、でもなんで? 誰になの?」
「誰かなんて知らないわよ。ってかみゆきはされる側でしょ」
「うそっ!?」
 つかさは愕然として、すでに見開いていた目をさらに見開く。人間の目ってここまで開くもんなのね。
 ってゆーか何気に失礼じゃない?
「何がウソよ。別に不思議でもなんでもないでしょ。むしろ今までなかったのが不思議なぐらいだわ」
「それは……でもぉ……」
 心の底から情けなくうめいてうなだれるつかさ。
 ちょっとちょっと、まさか泣くんじゃないでしょうね。
 いくらなんでも動揺しすぎだ。

「……ま、まあ、そうと決まったわけじゃないけどね。私の勘違いかも知れないし」
 十中八九間違いないだろうけど、ここはあえてそう言ってやる。
 するとつかさは勢いよく頭を跳ね上げた。
「そっ――そうだよねっ! 勘違いだよっ!」
「う、うん」
「そうだよ。勘違いだよ。そんなこと、あるわけ……」
 自分に言い聞かせるように、ってか実際そうだろう。つかさは口の中でモグモグとつぶやく。
 なにムキになってんのよ。先を越されて悔しいとでも思ってるのかしら。
 まあ、これがこなただったら私もそんなふうに思うかも知れないけど、みゆきだしねぇ。
 こなただったら……こなただったら?
「……」
 いやいや。
 ないない。
 それこそ、そんなことあるわけ、よ。あはは。
「……」
 そーいや、遅いわね、あいつ。
 時間を確認しようと携帯を手に取った――と、同時にそれが震えだす。
「わっ?」
 反射的に通話ボタンを押してしまう。おかげで発信者の名前が確認できなかった。けど、
『もしもーし、かがみー?』
 聞こえてきたノンキな声に、違和感は全く覚えなかった。
「おー、こなたー。どうしたの? パン買えた?」
『うん、買えた買えた』
「だったら電話なんかしてないで早く帰ってきなさいよ。待ってるんだから。食べられないじゃない」
 なに似合わない几帳面なことしてんのよ。みゆきじゃあるまいし……みゆき?
 え?
 ちょっと待って。なんで今、私この電話をこなたからのだと思ったの?
 みゆきの可能性だってあったのに。ってゆーかそっちの方が高いのに。
 ……あれ?
『え? 食べないで待ってくれてるの?』
「――」
 唐突に湧いて出てきた疑問の数々は、その意外そうな、けどどこか嬉しそうでもある声によって掻き消された。
 ってゆーか両者が正面衝突を起こして私の中で爆発した。
「つっ――つかさが言ったのよ! 待とうって! わ、私は早く食べたいんだからねっ!」
 思わず怒鳴り返して、ハッとする。
 恐る恐る周囲をうかがってみると……再び注目を集めてしまっていた。
 ううっ、これじゃつかさのこと言えないわ。
『そっかそっかー』
 電話の向こうからもニヤニヤと笑う気配。こんにゃろう。戻ってきたら、憶えてなさいよ。
『でも悪いけど食べちゃっていいよー。私こっちで食べるし』
「そうする――……はァ? なんだって?」
『だから、このまま食堂で食べていくから。オナカすいちゃってもう一歩も動けないんだよねー』
「元気そうな声で何言ってんだ。さっさと戻ってこい」
 元気そうっていうか、明らかに何かたくらんでる声じゃない。
 なんだか知らないけど、わざわざ乗ってやるものかと無視してやった。すると、
『そーゆーコトなんで。つかさとみゆきさんにも謝っといて? じゃにー』
 無視し返された。
 こっちの声など聞こえませんとばかりに噛み合わないことを一気に喋ると、
 こなたはそのまま電話を切ってしまった。
「え? ちょっとなに本気なの? 待ちなさいよこなた! こなた!?」

 当然のように答えはない。
 ほんとに切れた。
 ……なによそれ。
 しばし、茫然。
「どうしたの? お姉ちゃん」
 つかさの声。
 我に帰った。
 ひとまず終了ボタンを押して、携帯をポケットに仕舞う。――ああ、違う。机の上に置いとかなきゃ。
「……学食で食べてくる、ってさ」
「ええっ!? どうしてぇ?」
 ……いちいち叫ばないでよ。
 日下部かあんたは。
「知らないわよ。……おなかが空いて歩けないとか、ふざけたこと言ってたけど」
「そ、そうなの? え? でもさっきは元気そうだったよ……?」
 うるさいわね。
 そうよ。
 うるさいのよ。あんたは。くだらないことで、いちいちいちいち――

 ――バンッ!!

 感情のままに、手の平を机に叩きつけた。そして怒鳴る。
「知らないって言ってるでしょ!!」
「ひっ!?」
 引きつったような声。――え?
 私、今なにを……
「あ……」
 つかさの顔が驚愕に固まった。見開かれた目に涙がたまっていく。ゆっくりとうつむいて、肩を震わせて。
「ご、ごめっ……ごめん、つかさ」
 慌ててなだめにかかるも、もう遅い。決壊してしまった。
「うっ……ふぅっ……」
 声だけは押し殺しているけど、机の上にぽたぽたとこぼれる雫を見れば、
 前髪に隠されたその両目がどんな状態になっているかは手に取るように分かる。
 やってしまった。
 罪悪感と焦燥が湧き上がる。
「つ、つかさ。ちょっと……落ち着きなさいよ。怒鳴ったりして悪かったから。ね?」


 三度、注目が集まる。
 見なくても分かる。頬や後頭部にチクチクと視線を感じるし、ひそひそと囁き合ってる声も聞こえてくる。
 ケンカがどうとか、イジメがどうとか、修羅場がどうとか……ああ! もう!
 うっさいのよアンタら!!
『……!』
 全方位を睨んでやった。
 途端に静まり返る教室。絡み付いてきていた視線が端から逃げていく。
 ふんっ、ヘタレ野次馬どもが。
「――つかさ」
 手を伸ばし、机の上で固く握りこまれたちっちゃなコブシにそっと添える。
 できれば抱きしめてやりたいけど、さすがに周りの目もあるしね。
 だからってどこかに連れ出そうなんてしたら、「やだ! ここでこなちゃんとゆきちゃん待ってる!」とか
 言い出すに決まってるし。
「ごめんね。言い過ぎたわ。ちょっとイライラしてたの。だから――完全に私が悪い。謝るから。
あんたは何も悪くないから、だから落ち着いて?」
 もう一方の手も伸ばし、両手で両手を包み込みながら、できる限り優しく言い聞かせる。

「だって……だって……」
 しばらくして、嗚咽の隙間からか細い声が聞こえてきた。
「……なに?」
「こなちゃん、言ったのに。すぐ戻るから、待ってて、って……」
「そう……」
 ひどいヤツね、とか、そういうことは言わない。
 そういう悪感情には、つかさは反発してしまうから。
 こなたを庇って、そのために、せっかく吐き出そうとしているモノをまた飲み込んでしまう。
「……ゆきちゃんも……行っちゃうし」
「うん。……私が行かせちゃったのよね。ごめん」
 ふるふる、つかさが首を横に振る。
 ちょっと下手に出すぎたか?
「まあ、二人ともすぐに戻ってくるわよ」
「……ほんとぅ?」
 少しだけ、顔が上がった。
「たぶん。……ううん、ごめん。わからない」
 眉が寄る。
「でも、今日だけよ。今日はたまたま、二人とも間が悪かっただけ。だから大丈夫。
それにさ、私がいるじゃない。私はどこにも行かないわ。それとも、私一人だけじゃ、不満? いや?」
 ふるふる。
「そんなこと……ない、けど……」
「そう? よかった。ありがとう」
 にっこりと、精一杯の笑顔を向ける。
 ……うう、さすがにちょっと恥ずかしいわね。
「でも……またどうせ、明日は来てくれないんでしょ……?」
「う……」
 しまった。つい気を逸らしてしまった。
「そ、それは――……そうね。ごめん。でも――あー、えっと、今日は、その……」
 ああ、もう。
 どっか行け羞恥心!
「その、ね? だから今日は、アレよ。チャンスなのよ」
 つかさがきょとんとなる。
「だから――姉妹二人きりで、水入らずで過ごすチャンス。めったにないわよ? ひょっとして中学以来?」
 引き続き、きょとん。
「ほ……ほぉら、お姉ちゃんを独り占めだぞぉ?」
「……」
 うつむいた!
 ちょ、ちょっと子ども扱いしすぎたかしら。
 っていうか、そうよね。高校三年生に向かって言うセリフじゃないわ。
「……お姉ちゃん」
 低い声。
「な……なに?」
「子ども扱い、しすぎだよ」
「う、うん。ごめん」
 自分もうつむく。
 手を引っ込めようとして――掴まれた。
「でも、ありがと」
「へ?」

 顔を戻す。
 つかさの笑顔に出迎えられた。
 まだ涙のあとが残っているけど、それでもつかさらしい、可愛くて優しい笑顔。
「そうだよね。うん、お姉ちゃんと二人きりでお昼なんて、ほんと久しぶり」
 いや、潤んだ目元が逆にアクセントになっていて、さらに直前まで泣いていたということもあって、
 通常の三割増しぐらいの綺麗な顔だ。思わず見惚れそうになる。
「でも、中学以来じゃないよ?」
「へ」
 やばい。聞いてなかった。
「あ、え? そ、そう?」
「……どうしたの? お姉ちゃん」
「な、なんでもないわよ」
 居住まいを正して、スマイルスマイル。
 でも、たぶんちょっと引きつってるわね。つかさが不思議そうな顔してるし。
「それより、もう食べましょ。」
「あ、うん。そうだね」
 つかさの手が離れる。
 ちょっと名残惜し……いやいや。早く食べないとね。色々なことに時間を使いすぎてしまったわ。
「いただきまーす」
「いただきます。……それで、なんだっけ?」
「ん? ……だから、陵桜に上がってからも、あったよ? 二人だけでお昼」
 ああ、その話ね。
 でも、そうだっけ? ずっとこなたかみゆきが、少なくともどっちかがいたはずだけど。
「入学したてのころ……最初の一ヶ月くらいかな? 
私がこなちゃんと仲良くなる前は、しばらくお姉ちゃんと二人きりだったよ。……あは、なんか懐かしい」
「……そっか。そーいや、そうだったわね」
「私も忘れちゃってた。こなちゃんやゆきちゃんと出会ってから、楽しすぎたせいかな……」
 どこか遠い目になって、つかさは言う。
 まあ、同感かな。
 あのころのことは、まだ中学の延長みたいな感じがする。
 こなたやみゆきと出会って、仲良くなって、そこで初めて高校生活がスタートした――そんな感覚。
「でも、それももうすぐ終わっちゃうんだね……あと、半年か……」
「……、そうね」
 卒業。
 正直、そっちにはまだ実感が湧かない。言われてようやく思い出したほどだ。
 まったく……やっぱり私も、つかさのこと言えないわ。
「そうなのよね。それを考えると、今日のは良い予行演習になったのかも知れないわ」
「え?」
 辛気臭い話はやめときたいところだけど。
 ついでだし、良い機会だしね。
「私たちも、どれだけ仲が良くても、いつかは離れ離れにならなきゃいけない日が来る。
仮に一生友達でいられたとしても、今みたいな密度でずっといられるわけじゃないわ。
でもそんなのは――つかさ、まだ先のことだと思ってたでしょ」
「うん……」
 漠然としたものでしかなかった不安が、こなたとみゆきが揃っていなくなったことで
 急に現実味を帯びて、怖くなった。そこに私にまで怒鳴られて。
 だから泣くほど動揺しちゃった、ってところかしら?
「うん。私も思ってた。でもそうじゃないのよね。一年のころのことが昨日みたいに思えるのと同じ。
先だ先だと思ってたら、意外とあっという間に来ちゃうんだから」
 つかさが箸を止め、ジッと見てくる。
 私は構わず動かし続けた。そうすると、つかさもノロノロと付いてくる。

「……お姉ちゃんも、そのつもりだったの?」
「うん?」
「最近、なんだかヘンに冷たかったことだよ。姉妹離れの予行演習、だったの?」
「……」
 あ、ミリン干し生焼け。
「お姉ちゃん?」
「あ……あ、うん。まあ、そうね」
「……違うんだ」
 ぐっ。
 ああ、もう。余計なところだけは鋭いんだから。
「なんでなの? 何かあったの? ……こなちゃんも気にしてるんだよ?」
「……だったらなんで、あいつは戻ってこないのよ」
 言って、内心で舌打ちする。
 何よこの言い方。これじゃまるで私の方が気にしてるみたいじゃない。
「たぶん、仕返しのつもりだよ。こなちゃん、意外とそんなとこあるし」
「……みゆきの名前は出ないのね」
「ゆきちゃんには話したんでしょ? わかるよ、それぐらい」
 だから、なんで、そんな余計なところだけ鋭いのよ。察して欲しいところは分からないくせに。
 昔からそうなのよね。
 思えば、この子に対して何かを隠し通せたことなんて、ほとんどなかったわ。
 仕方がない。また泣かれても困るし、覚悟を決めるしかないか。
「分かったわ。教えてあげる」
 そして私は話し始めた。
 ことの始まりは、夏休みのあの日、あの夜。
 私の携帯電話に残された、日下部からの一件の留守電メッセージから――




「会いたいって、言われてね。話があるからって。
何の用かは言わなかったんだけど、どうせまた宿題見せろってことだろうと思ったから、
一応用意して行ったんだけど……なに笑ってんのよ。
まったく。――で、家に行ってコレでしょって見せたら、そんなのいらないって言うのよ。そうじゃないって。
なんか妙に真剣な顔して…………ああ!、もう! 恥ずかしいのよアイツは!
あ、ごめん。それで、だから、その……友情がどうとか、もっと私を見てくれだとか。それ系のを、色々と。
よくあんな恥ずかしいこと真顔で言えるわ。
それで、賭けをすることになったの。アイツが宿題を自力で終わらせられたら、もっと構ってやるってね。
――違うわよっ! 言い出したのは向こう! ……私が言うわけないでしょそんなこと。
え? ああ、ううん。ダメだった。
いや、結局私には頼らなかったんだけど、峰岸がね。うん、そう。丸写しさせたわけじゃないらしいけど。
だったらって……だから、私は最初からそんなつもりはなかったんだってば。
アイツが頑張ったのは確かだし。それに、その……長い付き合いでもあるし。峰岸にも頼まれたしね」

「そうだったんだ……」
 話を聞き終えたつかさは、神妙な顔でつぶやいた。
 ってか感動してやがるし。まったく、こういうのに弱いんだから、この子は。
「でも、なんで教えてくれなかったの?」
「だからそれは、恥ずかしいからよ。アイツの言い分が。こなたに知られたら何言われるか……」
 ただでさえ人を弄るのが好きなヤツなのに、わざわざ自分から種を提供してたまるもんですか、よ。

「私は何も言わないよ?」
「でも喋るでしょ、こなたに」
「言わないよぉ」
「いーや、言う。仮に言う気がなかったとしても、あんたアイツの追及から逃げ切れるっての?」
 不満げな顔が一気に萎えた。
 この子、約束は守るんだけど、私以上にウソがつけない上に押しにも弱いのよねぇ。
「でも……ゆきちゃんには教えたのに」
「みゆきは、日下部と峰岸にせがまれたって、そう言っただけで納得してくれたわよ」
 ボケてるようで、こういうことには意外と察しがいいのだ、あの子は。
 ま、多少の誤解は与えてしまってるかも知れないけど。
「そうなんだ……」
 いやだから落ち込まないでよ。
 てか赤くなってるのはなんでだ。欠点を自覚して恥じるのは、まあ悪いことじゃないけどさ。
「――あ。だったら、こなちゃんにはもう話していいんだよね?」
「う……別に、いいけど」
 って、ちょっと待てなんだその生き生きとした目は。ガッツポーズは。
「待って。やっぱりダメ」
「ええ~?」
 嫌な予感に手の平を返すと、つかさの顔も同じように反転、情けない声をもらす。
 でもここを譲るわけにはいかない。
「あんたじゃどんなふうに言うか分かったもんじゃないもの。変に捻じ曲がって二度手間になるぐらいなら
私が自分で言うわ。だから、私が話す気になったってことだけなら言っていい」
 どっちにしてもロクな結果にならない気がしないでもないけど、こういうことは自己責任に限る。
 って、なんで余計に嬉しそうな顔になってんのよ。
「うん、わかった。ありがとうお姉ちゃん」
「……待ちなさい。言ってもいいけど、それはこなたから訊いてきたらの話よ? 自分から言っちゃだめ」
 眉が寄る。
 ほんっと分かりやすいわねこの子は。
「いい?」
「……はい」
 ああ、もう。
 そんなガッカリしなくても大丈夫よ。
 アイツのことだから、あんたが知ったってことぐらいすぐに察して、今日にでも聞いてくるって。
「よし。それじゃ、さっさと食べちゃいましょ。昼休み終わっちゃうわ」
「あ。――う、うん。そうだね」
 つかさとともに、止めていた箸を再び動かし始める。
 やれやれ、これで一安心ね。
 なんか肩の荷が下りた気分だわ。最初から言っておけばよかったかも。
 あとはこなたに……言う前に、どう言えば弄られないで済むかを考えなきゃね。
「ねえ、つかさ」
 けど、今は。
「なぁに? お姉ちゃん」
「私の作ったおかず、ちょっとダメ出ししてみてくれない? こなたがいない隙に」
「えっ?」
「アイツがいると茶々入るでしょ。それにやっぱりもうちょっと上達したいしさ。料理人の目線で厳しく頼むわ」
「う、うん。わかった。えっと……あ、ミリン干しが生焼けだよ」
「それは知ってる」
 可愛い妹との二人きりの時間を、存分に楽しもうと思う。













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  • 「ほ……ほぉら、お姉ちゃんを独り占めだぞぉ?」のところが好きすぐるwwかがみんww -- 名無しさん (2009-03-19 06:17:47)
  • MAP兵器なツリ目ww -- 名無しさん (2008-11-20 20:09:39)
  • かがみの威圧‥‥さぞかし怖いんだろうなぁ‥‥‥
    (遠くを見るような目で) -- フウリ (2008-04-04 01:50:24)
  • う〜ん!可愛いw
    姉妹のやり取りがお気に入りです。
    -- 名無しさん (2008-03-30 23:06:37)
  • GJです。

    >『……!』
    > 全方位を睨んでやった。
    さらにGJ! -- 名無しさん (2008-01-06 22:50:05)

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