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俗・人として袖が触れている 2話

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  • 2.ノブレス・オブリージュ


 不思議だ、とみさおは頭を抱えていた。
 彼の眼に乱暴に朝の光が差し込み、一睡も出来なかった事を教えてくれる。
 昨日の事がまるでついさっきの事のように、頭に蘇る。
 勇気を出して、意中の人に顔を合わせた。
 そして、言われた。
「文なんか……貰ってない、か」
 確かに、渡せてはいない。
 受け取ってもらえなかったのだから当然だ。
 それはもう数ヶ月前の、ある邸の車宿。
 少し情緒がない場所での彼女……かがみとの思い出。
 その時の光景を思い出し、みさおの頬が少し染まる。
 しかしその熱も、邸の中の喧騒で冷めていくのが彼にも分かる。
 日も出ないうちから彼の邸の中では女房や雑色が騒がしく走り回っていた。
 春宮の入内ともなれば、不備は許されない。
 その為に本人以外は徹夜でそれの準備に追われている。
 入内にはまず、男女が三日間一夜を共にする必要がある。
 そのために陰陽道で日取りを占い、今日から三日が吉日と出た。
 あとはその三日間一夜を共にした後に露顕を済ませれば、全ての過程が終了する。
 そう、今日……みさおは一晩を共にする。
 大納言家の一人娘、こなたと。
 その事実がかがみの思い出と混じり、みさおの頭痛が酷くなる。
 普段の彼なら、そんな小さい事は気にしないはずだった。
 しかし想い人の涙が、彼の胸をただ締め付けていた。
 最低だな、と自分を嘲笑うみさお。
 結局かがみに会いに行った事に、意味はなかった。
 謝る事も出来ずにそのまま、あやのと岐路に着いた。
 その帰りの牛車でしこたま彼女に怒られたわけだが、その時からこの放心状態は続いている。
「まぁ……そりゃそうか」
 彼女から受け取った言葉を脳が再生する。
 渡そうとしたはずの文。
 その存在さえも末梢する彼女の言葉。
 それをみさおは、拒絶と受け取る他なかった。
 彼に負い目があった所為でもある。
 それだけの事を彼女にしたのだから怒って居ないはずがない。
 彼女の大切な人を奪ったのだから当然だ、と。
 そう自分に言い聞かせ、彼は一度瞼を閉じた。
 窓から指す朝日を無視し、睡魔にただ身を任せていった。


「お姉ちゃん、顔色悪いけど……大丈夫?」
「え? あ、ええ……」
 声に気がつき、かがみは妹に返事をする。
 放心していた頭に眠気が混じり、一度顔を叩いて自らを起こす。
 そろそろ朝日が昇り、彼女の居る邸にもその光を振り下ろそうという時間。
 それでも彼女達の仕事は終わらない。
 対屋という対屋を綺麗にし、御簾という御簾を磨き上げる。
 もちろんその一箇所でも不手際があることは許されない。
 何故なら今夜、この邸に一人の男性が訪れる。
 その一人のために、今この大納言家は総出で邸を清掃しているわけだ。
「ちょっと昨日、遅くまで写本読んじゃってさ」
 照れ笑いをしながら作業に戻るかがみ。
 本当なら昨日、この仕事のために睡眠をとっておくはずだった。
 だが予期せぬ来訪のため、その時間が少し削られてしまったのだ。
「そういえば、昨日みさおさん着てたもんね」
 少し笑いながら、つかさも作業を進める。
 二人の仕事はこの寝室の片付け。
 寝室……つまり、こなたと春宮が一夜を過ごす場所。
 それもあってか、あまり仕事ははかどらない。
 むしろ効率の悪い方法で、少しでもこの部屋を綺麗にさせまいとでもしてるかのように手が勝手に動く。
 それをみっともない、とかがみは自嘲する。
 そんな事に意味がないのは、彼女も分かっているつもりだ。
「それで、どうだったの? お姉ちゃん」
「……何が?」
 それに気を取られていた所為で、彼女は気がつくのが遅れた。
 妹のつかさが、妙な笑顔をしていた事を。
「だってほら、凄い久しぶりじゃないかな。みさおさんに会ったの」
「……んああ、そうだっけ」
 最後に会ったのは、と思い出す。
 だがすぐに思い出さなければ良かったと後悔し、顔の熱を誤魔化す。
 彼の腕の中で泣き喚いたのが最後。
 その困惑が顔に熱となって現れる。
「ど、どうって別に……そういや何しに来たんだろ、あいつ」
「何しにって、何したの?」
「本……読んでただけ、かな」
 他は何だっけ、と昨日の事を思い返す。
 部屋にやってきた彼を招きいれ、一緒に本を読んだ。
 それを思い返すと、思いのほか顔が近かったのを思い出す。
 そして、その後。
「もう一回、文送ったら……かぁ」
「ふぇ? 何?」
 その小さい声に、つかさが耳を寄せる。
 それに答えられず、誤魔化す。。
「あっ……えと、何でもない」
 彼の言葉を思い返し、多少なりとも動悸が早くなるのをかがみも感じていた。
 あの言葉は、告白も同義。
 その真偽はどうあれ、その意思を彼自身の口から告げられた。
 もしかしたら本当に送ったのかも、と少し反省する。
 いつも扉に挟まれ、不躾に送られてくる手紙。
 それを見ずに捨てる事だって稀にある。
 その中の一つが彼のものだったのかもしれない。
 それどころかあの大雑把な彼の事だから入れたつもりで持って帰ったんじゃ、などと彼女なりに邪推する。
「喧嘩でもしたのかと思って心配してたんだ、お姉ちゃんって気が強いから」
「どういう意味よっ! つーか何であんたが気にするのよ!」
 妹は何処か抜けてるからなぁ、と頭を抱えるかがみ。
 だが次の質問で、空気が固まった。
「だってお姉ちゃんの恋人だもんっ、未来のお兄さんかも」
「はぁ? 何よそ……」
 持っていた螺鈿の櫛箱が、勢いよく地面に落下した。
 それと同時だった。
「なっ……こ、恋人!?」
 妹の言葉をようやく飲み込み、かがみの顔が熱を持つ。
 前にもそういえば誤解一直線の光景を見られていたのを思い出し、さらに沸騰。
「あれ? 違うの?」
「ち、違うわよ! あんな奴がなんでそんな……」
 そこまで言って、もう一度先程の告白が頭を過ぎった。
 それの所為で言葉が詰まり、妹にまで笑われる。
「隠さなくてもいいよー、みさおさん良い人だし」
「つ、つかさぁっ!」
 妹にからかわれている事にようやく気がつき、いつもの怒声が部屋に響く。
 その声が耳を劈いたのを確認し、ようやくつかさが普通の笑顔をこぼす。
「ふふっ、やっとお姉ちゃんらしくなったね」
「えっ……」
「そんな顔してたら、こなちゃんも心配しちゃうよ」
 そう言い残して、つかさは部屋を出て行った。
 その言葉が脳の中で往復した後にようやく、かがみも気がつく。
 妹にまで、気を遣われていた事に。
「……はぁ」
 双子なのだから、お互いの事はよく知っている。
 だがあの抜けた妹にまで気を遣われるぐらいに落ち込んでいた事が分かり、自己嫌悪。
 理由は、こなたの事以外に考えられない。
 どうにもならない事だというのも分かっている。
 どうやったって、何も変えられない事。
 彼女はずっとそうやって自分に言い聞かせ続けてきた。
 だが理屈が分かっていても、心は納得してくれるはずがない。
 今日、この場所で大切な人が知らない誰かのものになる。
 それを頭の中で租借するたびに、惨めな嫉妬心が顔を出す。
「……馬鹿だな、私」
 その気持ちを胸の奥に隠し、かがみはまた自分の作業に戻った。


 窓から漏れていた朝日が、次第に夕日に変わっていくのをこなたはずっと目で追っていた。
 少しずつその時間が近づいていくのが分かり、もう出尽くしたはずの溜息を漏らす。
 人間これだけ、憂鬱になれるものだなぁと一人で考えて苦笑した。
「こなちゃん、そろそろ仕度しよっか」
 蔀戸が開く音が耳に届き、少し心が高揚して振り返る。
 だけどすぐに、消沈。
「あれ……かがみは?」
 そこに居たのは、女房の一人のつかさ。
 それが期待した人物ではなかったので、少しこなたも残念がる。
「お姉ちゃんね、ちょっと具合悪いんだって」
「ふぇ? だ、大丈夫なのっ!?」
 突然聞かされた言葉に思わずこなたも身を乗り出す。
 その勢いに押され、つかさも思わず慌てる。
「あ、ううんっ。ただの寝不足……昨日遅くまで、本読んでたんだって」
「そ……そっか」
 ふぅ、と激しくなった動悸を落ち着ける。
 それを確認してからつかさもこなたの仕度の準備に入る。
「でも珍しいね……かがみがそういうのって」
 こなたからすれば、少し意外だった。
 確かにかがみが随筆などが好きなのは知っていた。
 だが仕事に支障がない程度にいつもは抑えているはずだった。
「ああ、ほら昨日さっ」
 こなたの髪を櫛で梳かしながら、つかさが妙な笑顔を見せる。
 その笑顔の意味が分からず、こなたが首を傾げる。
「みさおさんが来てたよね」
「ふぇ? ……うん、居たよね」
 昨日はこなたの友人であるあやのが邸まで来ていた。
 そこに一緒に来ていた男性、みさお。
 あまり遊んでは貰えなかったが、最後に挨拶ぐらいした覚えはこなたにもあった。
「それが?」
 だが、その男性とかがみの不調が上手くこなたの中で繋がらなかった。
 その次の、つかさの言葉を聴くまでは。
「あのねっ、あの二人って……恋仲なんだよ!」
「へぇ、そうなん……」
 なるほど、と納得しそうになった刹那。
 こなたの頭の中で、閃光が走った。


 暗闇の中を牛車が揺れる。
 その振動は、少しずつ大納言家の邸に近づいていることを示していた。
 その中でみさおは一人、暗闇に染まる空を睨む。
 時間は一方通行にしか流れない。
 だから、いつかはこの日が来るのは彼も分かっていた。
 大納言家の娘、こなたに恋文を出したあの日から。
 そういえば、とみさおは思い出す。
 かがみに謝れなかっただけではない。
 こなたにも、あの妹にもまだ自分の正体を明かしていなかった。
 まぁ些細なことか、と自嘲したところで牛車の揺れが止まった。
 それは、その時間がやって来た事を示していた。
「どうぞ、春宮様」
「……ん」
 豪勢な牛車から降りると、大勢の雑色が迎えてくれた。
 この大勢が牛車についてきたのかと思うと申し訳なくも思う。
 その群れを掻き分けるように現れたのは、見覚えのない女房。
 その彼女が深く礼をする。
「ようこそいらっしゃいました、春宮様」
 彼女は大納言家の女房でも大納言付きの高位な女房。
 前に迎えてくれたのがつかさだったので、みさおも少し安心する。
 彼に見覚えがないのだから、向こうも同じだと考えたからだ。
 その女性に導かれ、邸の中に足を踏み入れる。
 これから、一人の女性と一夜を共にする。
 それに対しての好奇心がなかったわけじゃない。
 それでも、その行為によって引き寄せられる結果のほうが怖かった。
「こちらです」
「ん……ご苦労さん」
 寝室らしき前で、案内役の女性も消える。
 あとは、この目の前の蔀戸を開くだけ。
 そこにはきっと……いや必ず『彼女』が居る。
 みさおが今からその腕に抱く、こなたが。
 だが、彼はその戸を開こうとはしない。
 それは、最後の一線。
 最後の最後……『彼女』に謝れる、最後の機会だった。
 この扉を開ければきっと、もうその機会はない。
 それを考えると彼の足は自然に、違う場所を目指した。
 たまに現れる雑色や女房などから身を隠しつつ、少しずつ一つの対屋を目指す。
 彼も、自分の愚行には気がついていた。
 本当なら今すぐにでも、こなたの元に行くべきだった。
 だが今の彼はそんな掟よりも、ただ大切な人の事を思い浮かべていた。
 今は深夜。
 そんな時間に女性の部屋を訪れる事の意味を、彼も分かっている。
 それの所為か、彼は自分の顔が熱を持っていくのを感じていた。
 不順な気持ちがない、といえば嘘になる。
 だから彼女の部屋の前まで来て、いまだに彼の心は暴れていた。
「……か、かがみ?」
 部屋の主の名前を呼ぶ。
 だが、返事はない。
 少し待ってもう一度声をかけたが、やはり返事はなかった。
 それを不審に感じ、思わず戸に手をかける。
 そしてその戸を、開いてしまった。
「あ……」
 月が綺麗な夜だった。
 その光が開いた戸から中に侵入し、その情景を淡く染め上げる。
 そこに出てきた光景に、少しみさおの頬が染まる。
 その顔の熱に自分で気が付き、慌てて首を振り自制する。
 耳を澄ませば聞こえてくるのは、繰り返す小さな呼吸音。
 畳の上で衣服を身体に羽織り、彼女が寝息をたてていた。
 足音を殺し、その中にゆっくりと進む。
 そしてその枕元に、袂から取り出した本を置く。
 その寝顔を覗き込むと、数ヶ月前の事が頭を過ぎる。
 あの時もこんな、月の綺麗な夜だった。
「……ごめん、な」
 彼女には、届かない言葉。
 だかそれは、彼なりのけじめ。
 不器用で大雑把な彼に出来る、精一杯の言葉だった。
 これで良かったと、みさおは自分に言い聞かせる。
 昨日、彼女に突きつけられた拒絶の言葉。
 その言葉を租借した後に、自然とみさおの口が言葉を紡いだ。
「……『我が恋に』、だったかな」
 頭の中を舞ったのは、歌。
 それをゆっくりと思い出し、紡いでいく。
「『我が恋にくらぶの山の桜花、間なく散るとも数はまさらじ』」
 それは、いつか渡せなかった恋文。
 せめてそれだけを、最後に受け取って欲しかった。
「……」
 言い終わった後に、顔が熱を持つ。
 そのまま踵を返すと、開かれた蔀戸に向かう。
 だがその足が止まった。
 いや……止められた。


 こなたは一人、寝室で息を整えていた。
 少しでも油断すれば、口からは心臓が飛び出しそうなくらいに緊張していた。
 今からここにくるのは、どんな人だろうと何度も想像する。
 しかしそれがどんなに男前でも、優しそうでも。
 最後に想像するのは、いつもただ一人だった。
「恋人、かぁ」
 そういえば、と頭を巡らせる。
 昨日この邸に来ていたはずのみさお。
 だがその姿を見たのは、あやのが帰るその時だけだった。
 それまで何処に居たのか?
 そんなもの、考える必要もなかったらしい。
 二人は一緒に居た。
 そう、恋人同士なのだから。
「……そういえば今日、かがみに会ってないや」
 窓から空を見上げた。
 そこに浮かぶ月が綺麗だった。
 だがすぐに、その円形が歪む。
 その涙を慌てて拭が、なかなか止まらない。
 それで、いいはずだった。
 何度かみさおとも話したことはある。
 遊んでもらった覚えもある。
 何処か大雑把な人間ではあったが、優しい人だった。
 だからきっと、かがみの事も大切にしてくれる。
 それなら彼女は幸せになれる。
 それなら、それなら。
 その言葉を繰り返し、彼女自身の胸に刻んでいく。
 それが本当に、心の臓を貫いてくれればいいのに、と。
 そう願う気持ちも空しく、こなたの嗚咽を堪える声だけが寝室には響いていた。


 ドサドサッと、耳元で音が跳ねるのをかがみは感じていた。
 その音の所為で虚ろだった意識が少し戻る。
 部屋の中に、誰かが居るのを感じた。
 気の所為かと、かがみがもう一度睡魔に身を投げようとした時だった。
 彼女の耳に、歌が聞こえた。
 聞き覚えのある声でゆっくりと詠われたその言葉を、少しずつ飲み込んでいく。
「坂上是則……古今集、ね」
「ふぇ……」
 それが『彼』だと、かがみには少し分かっていた。
 その理由は分からないが、こんな夜に堂々と部屋に侵入するような人物は一人しか思い浮かばなかった。
「来て……たんだ」
「あ、や……えと」
 彼の、みさおの途惑う言葉が部屋に響く。
 その返事を待つかがみの視界に、枕元の写本が入った。
「これ……届けてくれたの?」
「ああ、えと……まぁ」
 それを頼んだのまだ記憶に新しい、昨日の事だ。
 確かに期待はしていた。
 だがこの行為をどう受け取っていいものかと、かがみは少し迷う。
 露骨に直球な好意は、確かに彼らしいと彼女も感じていた。
 その彼の前に、嬉しさと申し訳なさが拮抗する。
「ば、馬鹿ね……別に、今度来るときで良かった……のに」
 こんな時憎まれ口しか口から出ていかず、彼女の顔も少し熱を持つ。
「や……今日を逃したら多分、来れないと思ってさ。多分、ずっと」
「えっ……」
 その言葉に、少しかがみの心が揺れた。
 理由は、彼女にも分からなかった。
「ずっと?」
「ああ……ずっと」
 耐えられなくなり、みさおが視線を外す。
 今から彼は、彼女の一番大切なものを奪いにいく。
 だから彼も決めていた。
 これで、最後にしようと。
 それが自分に出来る、精一杯の償いだと。
「そう……なん、だ」
 その言葉が耳に届き、不思議な感覚をかがみは覚えた。
 それは、戸惑い。
 その自分の感情を受け止めきれず、また自分の顔の熱が上がっていくのを感じる。
「寂しくなるわね……あんた、五月蝿いし」
「……ん、悪かった」
「こなただって、あんたの事……」
 そう言いかけて、思い出す。
 今日が、どういう日だったのか。
 彼女……こなたが、どうなる日だったのか。
「さ……さっきの歌、だけどさ」
 それが頭を侵食し始め、必死にそれをかき消そうとする。
 黒い感情が胸の奥で滲んでいく。
 いくら自分に言い聞かせても。
 理屈が、理論が分かっていても。
 それだけは……心だけは、抗おうとする。
 それがみっともなくて、悔しかった。
「あ、ああ。あれっ、な……」
 真っ赤になって慌てるみさおを見て、その感情を薄れさせる。
 その理由は、かがみにも分かっていた。
 自分に好意を寄せてくれる男性。
 その真摯な想いを受けて、少しでも惹かれない女性のほうが少ないだろう。
「ほ、本当はもっと……洒落たのが良かったんだけど、その。考え付かなくて……」
「……ううん、あんたらしいわ」
 古今集にも覚えがあるかがみには、その意味が理解出来た。
 それは真摯で一直線で、何処か嫉妬深くて。
 まるで自分にも、共感できるような歌。
「ありがと……直接言ってくれたのは、あんたが初めてかも」
 その笑顔の前に、もはやみさおは言葉が出なかった。
 今日ほど、月夜の光の淡さに感謝した日はないだろう。
 今彼の顔は少し、見れたものではなかったから。
「そ、それじゃ……そろそろ、行くから」
「えっ……もう?」
 声が落ちたのが、かがみにも分かっていた。
 そして、彼女の心臓が跳ねる。
 これが最後だと、みさおは言った。
 もう、会えないと。
 それが、寂しかったから。
 それが、こなたと重なったから。
 思わず彼の手を、掴んでしまった。
「待っ……て」
「……か、かがみ?」
 みさおの口から言葉が漏れる。
 その一文字一文字がゆっくりと耳を劈き、動悸と一緒になって音楽を奏でる。
「お願い……待って」
 自分の行動が、かがみには理解出来なかった。
 掴んだ手が痺れ、脳まで弛緩していく。
 暗闇と微かな月光が支配する空間で、二つの影が重なった。
「今日だけ、今夜だけはお願い……一緒に、居て」
「なっ……」
 今、みさおの胸にはかがみの身が預けられている。
 その意味を、彼は図りかねていた。
 かがみの言った意味。
 それは、つまり……。
「我侭なのは分かってる……だから」
 今からみさおは、こなたと結ばれる。
 それを、みさおはかがみも『知っていると思い込んでいた』。
 だから、揺れる。
 この行為の、意味に。
「だから貴方の気持ちにも……応える、から」
「……っ!」
 胸に埋めていた顔をあげる。
 月夜に照らされて、その顔が淡く暗闇に浮かんだ。
 二人の視線が交わり、お互いの心臓を鼓動が打ち付ける。
「……意味は、分かってるつもり」
 深夜の寝室。
 重なり合う二人の体。
 伝え合った想い。
 もう他に、二人が出来る事は多くはなかった。
 だが、みさおの頭には別の光景が蘇る。
 それは、初めて出会った日の夜の事だ。
 その日……彼女に、迫った事を思い出す。
 それが今の光景と重なった。
「……」
 ゆっくりと、手を伸ばす。
 その手が彼女の頬に触れると、軽く彼女の体が反応する。
 それもあの時と、同じ。
 その手に合わせて、ゆっくりとかがみが目を閉じる。
 その時の彼の頭にはもう、こなたの事は消えていた。
 罪悪感も、背徳も。
 ただ彼女を求め……その唇を、押し付けた。
 二つに枝分かれしていた影。
 その枝が、一つに重なった。

















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  • すれ違う3人!!
    すれ違いが、決定的なものになってしまうのか……… -- 名無しさん (2008-04-03 07:56:56)
  • うわ‥‥三角関係の予感!?というか泥沼!!? -- フウリ (2008-03-31 00:05:51)
  • うおーどーなるんだコレー!気になるー -- 名無しさん (2008-03-30 20:32:01)

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