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二輪の花 第14話

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【第14話:空のむこう側に】

その日は一日中雨が降りしきっていた。朝かがみが目覚めて、カーテンを開ける前から雨音は勢いを増している。
 午前中はずっとその調子だったが、午後になってやっと弱まった。しかし天気予報の通り、この雨は明日の明朝まで続くだろう。
 朝、ゆたかからのメールに、かがみは放心気味に本文を読んでいた。いつものことか、と自嘲気味に笑い、疲れるだろうからと、昼食をとった後またベッドに入った。
 少なくても眠っている間は何にも考えずにいられる。
 ここ最近の目まぐるしい状況が、こなたが関わることによってさらに複雑に混ざった、こなたとゆたかの関係に、起床中をほとんど平時にいたって精神を磨耗してしまっている。
 このままでは壊れてしまう、そんな無意識の命令をかがみが敏感に感じたのかもしれない。
 床にに入ってから深い睡眠に陥るまでの間、寝てばっかりでまるでつかさみたいだと、かがみはほとんど自嘲に近い、乾いたような笑いが自然におこしていた。
 正直のところ、もうどうでもよかった。これからもこれまでも。

 ☆

「先輩、こんばんは」
「……」
「つかさ先輩は、どうしたんですか?」
「お母さんとお父さんと一緒にでかけてる」
「そうですか、都合の良いですね」
「私にとっては最低だけどね。あんたと一緒なんて」
「……そういわれると、少しは傷つきます」
「それは光栄だわ」
「――紅茶、いれますよ」
「いい。私で入れるから」
「私の分もお願いできますか?」
「……まあいいわ」
 居間から台所に向かい、下の収納棚から薬缶を持ってくる。じゃばじゃばと水を入れ、ガスコンロの電源を入れた。
 しばらくとすると薬缶がけただましい音を立てるので、スイッチを切り、棚からTパックを取り出した。
 そういえば、あの時もアールグレイだったか、とかがみはラベルを見ながら思った。
 ドンっとおくと、振動で紅茶がもれた。
「かがみ先輩の家は、古風ですね」
「別に初めてでもあるまいし」
「隣の部屋は?」
「姉さんの部屋」
「かがみ先輩の部屋は?」
「二階」
「玄関にあった電話、いまどき珍しいですね」
「悪い?」
 受け答えをするだけでもかがみは神経を尖らせる。
 なんだか何もかも、あの時と同じみたいだ。
 それならば、その後はどうなるんだろうと、かすかな恐怖と、いまさら何がどうなろうとという諦観がかがみの中で渦巻いて、ぐちゃぐちゃ混ざっていた。
「かがみ先輩の部屋にいって、いいですか?」
「好き勝手すれば」
 ゆっくりと歩くゆたかをかがみは横目で見た。
 居間を抜けるとき「階段を登ってすぐが私の部屋」と告げた。つかさの部屋で待っていられても困る。
 アールグレイの特徴的な香りが、Tカップから漏れて、鼻腔をくすぐる。
 楽しかった日々、こなたやつかさと遊んでいたあの日は、いつの間にか霞んでしまって、情景となって、ぼんやりと靄につつまれた欠けた思い出だった。
 ずずずと音を立てて飲んだとき、ため息も一緒に飲み干した。


 シンシンと雨が降り注ぎ、湿気の高いかがみの部屋に卑猥な音が鳴り響く。
 ゆたかは意識して反応を見せないようにしているかがみに対し、ほほにキスした後、今度は唇と唇を重ね合わせる。
 「ん…」とかがみのもれた音を聞きながらゆたかは下を入れて、嘗め回した。
 身長差は20センチあり、ゆたかが爪先立ちをしてもまだかがみの方が高い。
 ゆたかはかがみに「座ってくださいね」といい、抱きしめながらキスをした。
「……満足?」
 かがみはぶっきらぼうに、ゆたかに問いかけた。
 ゆたかは、曖昧に笑いながら、
「できれば、もう少し優しくしてほしいですけれど」
「……ごめんだわ」
 予想通りの言葉にゆたかは苦笑しながら、よく発育された胸を揉み解し、そのまま押し倒す。
 その際かがみの長い髪がゆたかの顔に当たり、くすぐったかった。
 かがみは、体を成すがままに任せながら、ぎゅっと唇を噛み、何も言わまいと決めた。

 でも……という言葉がかがみに脳裏によぎる。
――それでどうなるのだろうか、と。
 だって……と振って沸いた疑問に答えようと必死になるが、答えなんてでてこなかった。
――もう意味がないんじゃないの? こなたに知られた。こなたは、私とゆたかが付き合ってると思っている。
 じゃあ私は、何のために、こうして我慢しているの?
 もし私がゆたかに気を許せば、こうした関係も改善するし、つまらない自尊心を捨てて快楽と厭世に身を任せれば、こんな壊れた世界で結んだ壊れた関係だって、楽しめる。

 どう転んでもゆたかを好きになることはない、とかがみは思う。それでも、こなたがかがみになびくことも、もうないんじゃないかとかがみは思う。
「あはは、あははは……っ」
「かがみ先輩――?」
 たまらなくかがみは自棄して笑った。
「別に……なんでもないわよ」
 次に訪れた鬱屈とした感情とともに、かがみは搾り出すように言った。
「これ、きれいです」
 ポケットから造花を取り出した。かがみがゆたかにあげた、カーネーションの花弁と茎。黄色のカーネーション。

「そうね」
 かがみは嬉しそうに見せるゆたかの顔を一瞥しながら、一人高笑いした。もう一ヶ月くらいはたったと思うのに、未だに気づいていないのか。
 かがみはこなたにあげた、もう一輪のカーネーションを思った。真っ白なカーネーション。かがみの気持ちをこめた、白いカーネーションを――。
 そう思うと、厭世思考がかがみを支配する。ゆたかが気づいていたないのと同じように、こなたが気づいていないのだから、ゆたかと私なんて同じようなものか、と。
 もともとかがみも期待なんてしていなかったから、叶わぬ願いだということはわかりきっていたのに、どうして改めて事実に直面すると、こうも辛くなるのだろう。

「……私は、かがみ先輩のことが好きです」
「みなみちゃんは、どうするのよ」
「みなみちゃんは私の親友です。でも、それだけです。大事な友達だけど、好きな人じゃない。いい人、ですけど」
「利用しているんでしょ?」
「……そういうつもりはありません。ただみなみちゃんは私に協力してくれています。だからそれに頼っているだけです」
「ものはいいようね。そりゃあ私とあんたの関係を『付き合っている』と解釈できるんだからあんたの都合の良い解釈は尊敬に値するわ」
 思い切り皮肉を言ってやった。
「尊敬をいただけるなんて、嬉しいです」
 皮肉には皮肉で返された。かがみはそっぽを向きながら、だまった。エアコンの機械音と酸素不足にぜいぜいとせわしくあえぐ音が不自然に耳朶に響く。
 ん……あ、ああんっ……
 むき出しになった乳房がゆたかの舌が撫で回す。呼吸が乱れて、顔を手で覆い、感情を隠そうとした。
「先輩は相変わらずきれいです」
 嬉しくなんてない。胸に感じる刺激と、心に引っかかるつっかえ。
 目を閉じた時、目の前にいるのがこなたのような気がした。
――たわいもない幻想。
 体重も身長もゆたかとこなたはそれほど変わらない。しかしゆたかの声を聞くと現実に戻された。

 思えばあの時もつまらない自責を考えてたか、とかがみは思った。先々週だっただろうか。
 まさかこなたに知られた。
 あるいは知られていたなんてかがみは思わなかったから、そのときのことは自分はなんて滑稽なピエロだったんだろうと思わずにいられない。
 必死に隠して、必死に我慢してきて、結果があんなんだ。
 せめて平素の時くらいは、こなたと馬鹿なことをやって、それを心の糧としようと思っていたのに、それすらもかなわなくなった。
 当たり前だ。当然だ。求めるほうが間違っている。それでもと思ってしまう。弱いと自覚していてもすがってしまう。
 なんて馬鹿なんだろう。

――あの時も、こんな風にゆたかから受ける辱めに耐えながら。あの後。
 あの後か。
「そろそろ、ですか」
「……相変わらず回りくどいわね」
「先輩の意思を尊重したいんです」
「あっそ……」
 かがみの股の舌あたりに顔をうずめるゆたかがいる。シャンプーの匂い――あるいは香水だろうか? 不快でしかない匂いがツンと鼻をさす。
 そう。
 あのときだってそうだった。
 ならば今日は?
 なんてくだらない御伽話にかがみが思いはせた時、そんな時に扉の外から聞こえる明朗な声。
 幾度なく聞いた。忘れてしまいたかったけど、忘れられなかった――。

 ☆

「残念だけど、そこまでだよ」
 かがみが聞いたその声。愛しくて、懐かしい声。忘れることなんてできなかった、あの調子。抑揚のつけ方。声色。
「……誰?」
 不快な声をはらませてゆたかが扉の外に問いかける。その際にかがみは乱れていた衣服を整えた。
 何がおきているかはわからなかったし、その後の展開が以前よりひどくなるとしても、今はいい。
 一万から二万になることなんて、ゼロから一になった時を考えれば、まったくをもって取るに足らないことだ。
 ゆたかの顔をかがみが盗み見すると、苛立っているように見えた。
 ゆたかとて、付き合いは長いから、その声の主はわかっているはずだ。だからゆたかの言葉も反語に過ぎない。
 扉がぎいぎいと古めかしい音を響かせ、開く。
 泉こなたが、いた。
 今一番会いたかった人。一番かがみの気持ちを知ってほしかった人。
 そして、一番大好きな人。

 こなたは厳しい目をしながら、一歩一歩歩いてくる。ベッドに座る二人の目の前に立つ。

 誰も声を発しないかがみの部屋に鳴り響く、エアコンの起動音がさらに大きくなった気がした。
 こなたは二人を交互に見た後、辛そうに目をそらした。
 拳が硬く握られていた。

「……こなたお姉ちゃん? 何の用」
 その場を取り巻く無言を破ったのは、やはりゆたかだった。表情に驚嘆をなじませながらもゆたかは、余裕そうに、惚けてたずねた。
「ゆーちゃん」
 こなたは言葉を切り、それから、
「やりすぎだよ。わかってるの? これ犯罪だよ」
「……なんのこと?」
「こうしてかがみと――なんていえばいいかはわからないけど――一緒にいることだよ」
「なんで? 好きな人と一緒にいることは、いいことだと思うよ」
「好きな人? 笑わせないで」
「どうしてそんなことがこなたお姉ちゃんにいえるの? ねえ、かがみ先輩?」
 文末の抑揚をあげながら、ゆたかはかがみの法に向き、賛成を促す。
 嘘――本当のことをいって。言わないと、写真、ばらまくよ? その目がそう告げていて、かがみはブルッと身震いする。
「私は」
 私は。
 なんていえばいいのだろうか?
 こなたの目をみると、訴えるようにかがみを見つめ返してきた。本当のことをいって、と。ゆたかの顔を見ると、勝算があるのか、勝ち誇っているように見えた。

 こなたに嘘をつきたくない。それはかがみの心の底からの気持ちだった。
 でも、と何度も頭の中でイメージした最悪の展開がかがみを渋らせる。
 かがみは弱みを握られている。こなたの部屋で自慰をした写真をとられている。その後のこともだ。
 それをこなたに話されるのは辛いし、それ以上に写真をインターネットに流出されるのは、怖い。
 想像するだけで気が狂いそうになる。死のうとも思う……。
 こなたと一緒にすごしていたせいで、インターネットという環境の恐ろしさをかがみは重々承知していた。一度流れたものは二度と消せない。
 いつまでも、大人になっても、消えることのない。

「私は……」
 かがみは語尾を尻すぼみになりながら、結局黙った。
「ねえかがみ」
 かがみにこなたが問いかける。心をなんとか保ちながら、こなたの顔を見た。
 普段のやる気のない表情からは程遠い、真剣な顔に、一抹の不安をにじませている。かがみは不謹慎だとは思ったけれど、やっぱり愛しくて、可愛くて、大好きだと思った。
「本当のことをいってよ。かがみ。かがみは、この関係、間違っていると思っているんだよね?」
「そんなことないよ。私とかがみ先輩は両思い。だからお姉ちゃん、邪魔しないで。邪魔だから」
「……うるさいよ。ゆーちゃんは黙ってて」
「相変わらずだね。こなたお姉ちゃんは不利なことがあるとすぐに、大声をだして、言葉を濁す。前にも言わなかった?――喫茶店のときだっけ。それって自覚している証拠だって」
「口の減らないねゆーちゃんも。黙ってて言ったのがわからなかった? まさか意味がわからないような年でもないでしょ。見た目はともかく」
「あっそ……最後の、自嘲のつもり?」
 ゆたかはこなたを憎しみの目でみたあと、それから一人ふふっと自信の満ちた笑みをこなたにみせたまま黙った。
 エアコンの作動音が耳障りざった。


 どうすればいいのだろう。かがみはこなたの真摯の顔を正視しながら、ひたすらに考えをめぐらす。
 答えは明白だった。
 それまでもこうしてきたのは、写真があったから。それは本当の終わりだ。
 こなたに嫌われたとしても、かがみにとっては痛手しかない。
 いつまでも引きずるような、悔恨が残るだけの犠牲だとしても、それでもこなたに真実を話したときの、かがみの身に起こることと天秤にかけたとき、均衡を保つようなことはない。
 だから……胸を引き裂かれるような激痛があったとしても、
「私は……うん、間違ってないと思う」
 かがみは、あはは、と必死に笑顔を作って、顔を赤らめて、こなたに笑いかける。涙が頬を伝って口に入ってしょっぱかった。

「嘘でしょ!? かがみ! 本当のことを言ってよ! 私知っているよ!
 かがみが今まで辛い目にあってきたこと。私、かがみのためならなんでもするからさ。ねえかがみ。本当のこといって。お願いだから。お願いだから――っ!」
 涙をにじませたこなたの訴えが刃となってかがみの心をずたぼろに引き裂く。お願いだから、そんな目を見せないで。
 辛い。泣きたい。死にたいんだから。
 だけれども首を横にふった。
「本当に、なんでもないから」
「嘘、だよ」
 ゆたかが嫌らしい笑顔をみせて、
「わかった? これが真実なの」
「……」
 こなたは押し黙った。それもつかの間だ。
「ねえかがみ。もしかして―ー写真のこと? それがかがみの足かせになっているの?」
「………」
 ゆたかとかがみの表情が俄かに固くなった。
「そんなこと」
 かがみが否定しようとしたのをこなたはさえぎり―――

「――それなら、心配はいらないよ」
 え?
 こなたのウインクがかがみに触れる。こなたはゆたかを敵視して、
「かがみを縛っているのは、写真だよね」
「なんのこと、かな」
「とぼけても無駄だよ。全部わかっているから」
「それが本当だったとしたらどうするの? かがみ先輩は私と付き合っている。その事実は変わらないでしょ。ね、かがみ先輩?」
「……」
「変わるよ。だってそれはかがみがゆーちゃんのことを好きじゃないってことだから」
「そっか、ぜんぶわかってたか」
 ゆたかはこなたを馬鹿にするようにあざ笑う。こなたは激情して、床を強く踏んだ。
「ふざけないで! 笑っていられる時だと思うの?」
「――なおさら、こなたお姉ちゃんはかがみ先輩の気持ちを踏みにじることになるよ?
 わかっているんでしょ? 私が写真を弱みに握って、かがみ先輩と『付き合っている』こと。もしその関係が崩れたら、どうなるかも」
「残念だけど――」
 こなたは瞳に浮かべた涙を指でぬぐった。

「どうにもならないよ」
「どうして?」
「ゆーちゃんのパソコン、悪いけど壊しちゃった」
「はあ?―――あはは、こなたお姉ちゃんも思い切ったことするね。あれいくらすると思っているの?
 お姉ちゃんは仕事用にパソコンをもっているから、私用とはいえ十万はくだらないよ?
 それこそ私がこなたおねえちゃんを告訴できるよ? 以前にかがみ先輩と裁判所にいきましたよね」

「弁償するよ。たかだか二十万やそこら」
 現実的にはこなたのお財布事情は現状芳しくなく、お金のことはみゆき頼りだった。きわめて良心的にみゆきは万単位のお金を、無利子でこなたに貸してくれた。
 こなたはそれに心から感謝しながら、いくつかのオタクグッズを売り払い、また15日に入るバイト代も全額返還にあてようと決めていた。
「それとこなたお姉ちゃん、嘘をつくんだね。かがみ先輩のことを諦めるかわりに、超プレミア物のグッズをあげたのに」
「あんなの貰った次の日には捨てた。それに諦めるなんていってないし」
「あれ、いくらすると思っているの?」
「どーせみなみちゃんがかかわってるんでしょ? それもほしいならいくらでも弁償するわ」
「そっか。まあどうでもいいんだけどね。そんなことよりこなたお姉ちゃん。それだけ? それがこなたおねえちゃんの作戦?」」
「だとしたら?」
 ゆたかは堪えきれず大笑いした。
「あははは、あははっ!」
 エアコンの設定温度を間違えたのか、寒いぐりあに冷えたかがみの部屋に、不快な笑い声が響き渡る。
「残念。私を甘くみてるよ。私だって少しは対策しているんだよ。例えばインターネット上に作ってある自作ホームページに保存、とか」
「な!?」
 かがみの驚愕する声にゆたかは「ああ」とだるそうに、
「大丈夫だよきちんとパスワードはかけてあるし、企業が使うような強力なやつだから。少なくてもアクセス解析するかぎり、アクセスもゼロだし。
 そりゃあ私が作ったようなそもそも誰も知らないところにおいてあるだけだから、当たり前だけどね」

 かがみは安堵のため息と、不安の波を同時に押し寄せてきて、こなたの顔をすがるように見る。
 やはり無理ではないかとかがみは思う。
 ゆたかは驚くほど狡猾だ。多少のことでは周章狼狽などしない。いつも二手三手を考えたてある。
 今ならまだ間に合う。ねじれにねじれた一本の糸はまだ切れていない。
 すがるように見たかがみは、こなたはまだ自信を持っていたことに驚いた。
「――ゆーちゃんこそ、私のことを甘く見てるよ。オタク暦18年の私がそんなこと予測しなかったと思っているの?」
 それは自慢することか、と得意の突っ込みを場にそぐわずかがみは思ったが、言葉をつぐんだ。
「だったらどうするつもり? こなたお姉ちゃんは言ったよね。壊したって。もう私しかURLは知らないよ」
「…yutaka-minami-ryouou.ne.jpだって。センスがないね」
「………当たり」
「ゆーちゃん、前に私にパソコンのファイルを入れるように頼んだよね。あの時リモートコントロールできるソフト――これ自体はウイルスでもなんでもないけど――を紛れ込ませてこませていたんだよ。それで操作しただけ」

「……さすがはこなたお姉ちゃん。用意周到だね」
 それでもゆたかは余裕を捨てない。
 こなたも負けじと強気になる。
「ftpにアクセスして削除したから、ゆーちゃんのいっているものはもうパソコン上にはないよ。
ついでにゆーちゃんの部屋を探してみたけど、CD-Rもなかったから」
「――そっかあ。よかったね、かがみ先輩」
「……」
 ねっとりとした嫌な笑いをかがみにゆたかは見せた。悪寒が全身を覆う。

 こなたはそれを無視して、
「――だからさ、かがみ。本当のことを言って。かがみがいえないなら、私が先に言うよ? 私は、かがみんのこと大好きだよ」
 ……本当に?
 かがみは目の前で恥ずかしのをこらえて、思いを告白したこなたをぼうっしながら見つめた。
 こなたが、私のこと?
 私は、ゆたかと一緒にいたけど……。
「――あはは」
 そんな幸せなエピローグも、ゆたかのによってさえぎられる。
「惜しいけどね…」
 ゆたかは笑いすぎて瞳にたまった液体をぬぐい、
「…保険が生きるとは、ね」
「保険?」
「田村さんと、パトリシアさん。それにみなみちゃんにも同一のファイルを保存してあるんだよ。
 まさかこなたお姉ちゃんも、親戚である私はともかく、その三人のパソコンを壊すわけにはいかないよね?」
「……」

 こなたが黙ると、忘れていた体温の感覚をかがみは覚えた。
 部屋にゆたかをつれたとき、使用したエアコンのリモコンがかがみの手の届くとところに放り出されていた。
 こなたとゆたかがお互いににらみ合っていて、かがみはそれに釘付けになっていたが、あまりにも寒かったのでエアコンをディスプレイを除いてみると、設定温度が23度になっていた。
 普段は25―28度に設定しているのに、操作をあやまったのだろうか。
 冷たい部屋に、切り裂くような冷たい張り詰めた空気が流れている。息をするのも憚れるほどだった。
 こなたは真一文に結んだ唇を、ふっと割り――

「ゆーちゃん。やっぱり私のことをなめてるね」
「な!?」
 今度こそ、ゆたかの顔が驚きを帯びた。
 こなたはそれに勝算を感じ、
「メイドウイルスって知ってる?」
「なによ、それ……」
 そう突っ込んだのはかがみ。
 こなたは関西弁で思わず突っ込んだが、この張り詰めた空気にもかかわらず、やはりかがみも突っ込まずにはいられなかった。
「ないす突っ込み――ってそれはどうでもいいよ。ゆーちゃんは知ってる?」

「知らないよ」
「そっか。実はね、みなみちゃんの家にはみゆきさんが、ひよりんとパティの家にはつかさが、この二週間のうちに訪れていたこと、知ってた?」
「二人が?――みなみちゃんは、言ってたと思う。二人って、近所だし、別段不思議でもないと思った」
「そう。そのときね、メイドウィルスを二人にスパイウェアとして侵入させたわけ」
「メイドウイルスって何」
「ファイル除去ソフト――かな。それもとびきり強力で、対策ソフトでも対策が追いついていないもの。
 それってね、たとえば『メイド』と入力すれば、それに関連するファイル『だけ』を的確に選び出して削除――ハードディスク、ftp、その他諸々から完全に消去する機能。
 復元はもちろん不可能。これを『かがみ』とか先に調べたネットであったファイル名を入力すれば――どうなると思う?」
 ゆたかの顔が暗くなったのを、こなたは見逃さなかった。
「悪いとは思っているけど、ゆーちゃんのパソコンにも忍び込ませてもらったよ。
 携帯電話との接続ケーブルがあったから、携帯電話のフォルダにもアクセスして、以前に見せてくれたような写真は全部消去されているだろうね」
 ゆたかは慌てて携帯電話を見て、愕然とする。

「でもかがみ先輩は、私のこと―ー好きじゃないことは、わかってるけど――カーネーションの花を贈ってくれた。その気持ちは、嘘じゃないはず」
 ゆたかはカーネーションの花を見つめた。黄色のカーネーションの造花を。
「ゆーちゃん、私もカーネーションの花、貰ったの知っているよね」
「知ってるよ」
「私がかがみが、間違っているって信じられたのはカーネーションだよ」
「でも、カーネーションは私にも送られていた!」
 こなたは哀れみながら、
「花言葉にはね、花の色によっても花言葉が変わることあるんだよ。例えば白には『純愛』 そして黄色は『侮蔑』――」
「そんな……私、かがみ先輩から貰っていたとき舞い上がって喜んでたのに」
 打ちのめされようにゆたかは肩を落とした。
 嫌われていたことはわかっていたけれど、貰った日は興奮であまり眠れなかったそのカーネーションをもって拒絶されていたと思うと、こみ上げてくる思いが爆発する。

「かがみが言葉にできないSOS、気持ちをカーネーションで伝えてくれたことを知ったから、私は行動を起こした。ヒロインというよりギャルゲーの主人公みたいだけど、それならかがみを助けたいから」 
 呆然と、時折涙を交えているゆたか、怒気を孕みながら、落ちこうとしているこなた、無表情のかがみ。
 三者三様の空気を取りまとめて、つなぎとめているのは、轟々となるエアコンだけだった。


「――そっか。全部お見通しか」
 涙が収まったゆたかは諦観気味に、ゆたかは呟いた。
「――さすがはこなたお姉ちゃん。私の負け。私の方策は全部こなたおねえちゃんに見破られていたみたい」
「ふざけないで。
 ゆーちゃん、さっきもいったけど、これ、犯罪だよ? わかってる?」
「わかってるよ、そんなこと!」
 急に、逆に癇癪を起こされて、こなたは一瞬たじろいだが、すぐにきっと睨み返した。
「わかってた。でも、私はかがみ先輩のこと、好きだから。好きだから、仕方ないじゃない」
「仕方ないじゃないよ。かがみがどれだけ、どれだけ辛い思いしていたと思ってるの?
 自分の欲望のためだけに、かがみを慰みものにして。いくら従妹でも、私は許せないよ」
「……好きにしていいよ」
 ゆたかは自嘲しながら、黙った。
 こなたは怒り収まらず、といった風だったが、それでもゆたかから視線をずらし、かがみの顔を向き、一歩歩いた。

 ☆

「かがみん」
 愛しいと素直に思った。
 何年も聞けなかった気がする、こなたの声を聞いた。
 理由もなく立ち上がった。こなたを立たせたままにするのに気が引けた。
「かがみ――私は、かがみんのこと大好きだよ。友達という意味じゃなくて、恋人として」
「馬鹿…」
 夢で繰り返した、こなたがかがみのことを好いてくれているという幻想。それが現実で起こっていることに、かがみはどう返せばいいか悩んだ。
「馬鹿――私の気持ちなんて、決まっているじゃない」
「できれば、口でいってほしいよ」
「恥ずかしいよ」
「それがいいんだよ」
「もう、わかったわよ。こなた、大好き。大好きだよ」
 その言葉とともに、かがみは体を傾ける。こなたと唇と唇が触れた。
 ファーストキスでもなければ、恋人通しがする甘いキスでもない、汚れたキスだ。
 それなのに、かがみは涙で周りが良く見えなくなるくらい、世界で一番愛しいキスの味だと思った。
「もう我慢しなくていいよ、かがみ。かがみはがんばったから、かがみが悩んで苦しんで、涙したこと、これからは一緒に泣いてあげるから」
「う、うん……っ」
 その優しい言葉が引き金となって、かがみは際限なく泣き出した。
 「こなた……こなたあ……っ」とうめきながら、自分よりもふた周りくらい小さいこなたの胸に伏す。
 どんなものよりも、何よりも暖かった。

「さてと」
 しばらくそうして、かがみの悲しみを受け止めたこなたは、かがみが落ち着くのを待ち、部屋の隅っこでさめざめと泣くゆたかのほうに顔を向けた。
「わかってるよね、ゆーちゃん」
「……」
「何度もいったけど、これ犯罪だよ。警察に訴えれば、ゆーちゃんは未成年だから刑法にのっとって処罰されることはないだろうけど、犯罪にはかわりないから」
「……うん、わかってる」
 ゆたかは子供のように素直に、従い、押し黙った。

 再び沈黙。
 その沈黙は、意外な音で破られた。
 扉がまた開いたのだった。

 突然の来訪者に、一同が顔を向けると、岩崎みなみが立っていた。
 肩で息をしていて、衣服はずぶぬれだった。
「みなみちゃん……?」
 かがみは一瞬「不法侵入のような」と思ったけれど、空気を読んで、大好きなこなたの腕をぎゅっとつかんだ。

「――ごめんなさい、泉先輩、柊先輩」
 乱れた息を整えるまもなく、みなみは頭を目一杯下げた。
「……みなみちゃんが謝ることはないよ。実行したのは全部私だし」
「ううん、ゆたかをとめなかった私が悪い。私がゆたかに嫌われることを恐れなければ――私は、このこと、ずっと前から知っていたのに」
「……かがみ先輩」
 不意にかがみの方に向き、問いかける。その声は昔、そうゆたかを痴漢から助けたときのような、純粋な訴えだった。
「なに?」
「みなみちゃんのことは、許してください。悪いのは全部私ですから」
「違う! 私も悪い! ゆたかのやったことはどうしようもないことだけど、私も一緒に罪を受ける。そうしないと、私が耐えられない。だって」
 だって、といいながらみなみは駆けていき、そのままゆたかを抱きしめた。
「ごめん、ゆたか。あの時――ゆたかが痴漢にあっているとき、助けられなかった。それが私の罪となって陰を落としてた。
 もしあの時、ゆたかと一緒にいられたら、ゆたかを助けられたら、何も狂わなかったのに」
「みなみちゃんは関係ないよ。あの電車に帰路にみなみちゃんがいないのは、関係なかったし。
――当然だから」
「それでも、ゆたか、ごめんね……」

 抱き合う二人を、こなたとかがみは呆然しながら見つめていた。どうにも話の腰を折られてしまったが、こなたはこほんとわざとらしく咳をして、
「……盛り上がっているところで悪いけど。話を進めるよ。ねえかがみ。かがみんはどうしたい?」
「私……?」
 急に言葉を振られ、かがみは狼狽する。こなたの意図を計ろうとするが、つかみきれない。
「結局はかがみの問題だから。かがみをゆーちゃんをどうするか、決めて。その決断に私も従うから」
「私は――」
 かがみは今までのこと、ぜんぶ回想する。初めてゆたかに自慰を見られたときの羞恥、絶望。
 それから始まった鬱屈した毎日。情報が流出したと仮定した耐えられない恐怖。
 誰にも内緒でコンビニで購入したカッターナイフ。手首に残るわずかな傷跡。こなたに知られたこと。
 そして、こうしてこなたと結ばれたこと。

「――私は、うん、いいよ。ぜんぶ、なかったことにする」
「本当に、本当にそれでいいの? かがみ? あれだけ辛い目にあってきたんだよ? それを許せるの?」
 こなたが念を押すように、問いかける。
 だって、とかがみは自分を納得させ、こなたに微笑む。
「だって、こなたの従妹でしょ? 大好きな人の身内を犯罪者にはしたくないから。
 それに、あんたがしたことは、確かにひどいことだけど、私を好きになってくれた、その気持ちだけは真実だと思うから。
 だから、ぜんぶ、終わりにしたい。壊れてしまった世界だとしても、私は、できるところから修復していきたい。だからね、私はいいよ、それで」
「かがみん……その、こういう言葉はいいのかわからないけれど、ありがとう。あれでも、私の大事な妹みたいな存在だから――」
「わかってる。私はこなたが嬉しいと思うことがしたい、それだけ。
 やっぱり私はまだあんたを許していない、許せない。
 あんたを憎しみを持ってしか見られない――今だってあんたを見るのは吐き気をするけど……でも、ゆたかちゃん。いつかは仲直り、しようね」

 そういってかがみは、ゆたかに笑いかけた。あの時以来、初めて見せるかがみの優しい笑顔。
「うう…ごめんなさい! かがみせんぱい……」
 みなみに体を抑えられながら、鼻声で、涙まじりにゆたかは謝った。
 かがみは「うん」と、顔を赤らめ、もう一度微笑んだ。










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コメント:
  • 今まで好きだったのに、ゆたかが
    嫌いになりそうです。でも、それだけ
    作者さんが上手なんですね! -- チャムチロ (2012-10-16 12:42:52)
  • ゆたかがひどすぎる・・・・・
    ムカつく -- ユキ (2009-06-30 20:47:47)
  • どうしてゆたかちゃんは死なないんだろ?だろ? -- レナ (2009-03-22 16:52:47)
  • この場面のゆーちゃんが素晴らしすぎる。 -- 名無しさん (2009-01-02 23:59:59)
  • ひよりんはメイドウイルスのせいで漫画のネタが消え一日中放心状態だったそさ -- 名無しさん (2009-01-02 23:33:00)
  • ゆたかにも同情の余地ありだ・・・
    黄色の意味を知った時の絶望は如何なるものか・・・ -- 名無しさん (2008-11-25 01:03:46)
  • ゆうちゃん可愛い -- 名無しさん (2008-09-10 22:01:12)
  • ゆたか黒すぎるwwwwwww -- 名無しさん (2008-08-11 18:43:01)
  • どうしてゆたかは死なないんだろう? -- 名無しさん (2008-08-09 11:27:24)
  • ゆたか死ね -- 名無しさん (2008-07-24 22:23:23)

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