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炉心融解

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匿名ユーザー

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 ベランダに立って、町の明かりを見ていた。
地方だというのに、夜は華やかな彩りをこの目に映してくれる。
でも決して明るいのが好きなわけじゃない。
光は闇を照らし、隠しているものを人前に晒し出して浮き彫りにしてしまうから。
私には、隠しておきたい想いがあった。
人目に晒されたくない、想いが。
別に神聖なものにしておきたいから隠していたいワケじゃない。
迫害の憂き目に遭いたくないから、という卑屈な理由からだ。
だがそれも無理のない話だ、と我ながら思う。
同性を愛している、というだけでも充分過ぎる程に世間からは逸脱と看做されるのに、
それが双子の妹なら尚の事だ。
 もう午前二時だというのに、街を照らす街路灯は煌々と灯り、
遥かこの家のこの部屋の窓からですら、その華やかさが視認できた。
ああ、こんな深夜の闇ですら、光の前では隠す用を為さない。
誰かが私に光を当てたのなら、この想いが直ぐに看破されやしないだろうか。
不安が募る。
「つかさぁ…」
 呟く。想い人の名を。
この想いを、本当はつかさに伝えてしまいたい。
そしてこの後ろめたい感情を、つかさと共有したかった。
世間はおろか親や姉からも隠し通して、共犯者となりたかった。
でも、拒絶されるのが怖くてそれも出来ない。
 つかさの事を思う度、私の背筋が凍るように冷え、
代わりに心が爆発するように燃え上がる。
まるでジエチル・エーテルだ。つかさの事を考える度、私は冷たい引火物と化してしまう。
 眠気覚ましに一服点けようと、どうせ吸えないと分かっている煙草を咥えると、
ジッポライターのフリント・ホイールを勢いよく回した。
鉄と石が激しく摩擦する音と共に火花が散ったが、火柱は上がらなかった。
オイル切れか。構わない、どうせ咳き込むばかりで満足に吸う事もできないから。
 代わりに、私はブラックコーヒーの缶を一本手に取って、プルタブを弾いた。
既に机の上には、同じ種類の空き缶が数本置かれている。眠気に抗った痕跡だ。
私はコーヒーに口を吐け、一息に胃に流し込んだ。
と、同時に、強烈な吐き気が胃を見舞った。
焼きつくような痛みが、胃に奔る。
無理も無い、コーヒーを短時間にこれだけ飲めば、胃も凭れる。
それでも私が無理に眠気に抗っているのは、夢を見る事に対する恐怖心が生まれたから。
別にこんな時間まで夜通し起きていたワケではなかった。
一度は、眠りに就いた。だが、どうしようも無いふざけた悪夢のお陰で、
飛び起きる羽目になってしまったのだ。
ああ、本当に酷い夢だった。ああ、本当に夢で良かった。
残酷な事実を告げられた後で、その事実は嘘だと告白された人のように、
私は改めて安堵の思いに浸る。
ああ、でも本当は全てが、
つかさに対するこの想いを含めた全てが、そう嘘や夢なら本当に良かったのに。

 その夢は、夢とは思えないほどにリアリティを持っていた。
そして、夢にしても有り得ないほど不快にして恐ろしいものだった。
あろう事か私は…夢の中とはいえ、愛しき愛しき者を殺めようとしていたのだから。
そう私は…つかさの首を絞める夢を見た。
光の溢れる昼下がりの中で、木漏れ日に包まれながら私はつかさの首を絞めていた。
木漏れ日の光によって斑状に彩られたつかさの顔があまりにも美しく、
酷く幻想的な雰囲気を彼女に添えていた。
その幻想的な世界の中で私がリアリティを感じたのは、曇ってゆく視界だった。
泣き出しそうな眼でつかさを見下ろしながら、視界が霞んでいくのを感じていた。
ぼやけていく視野が、まるで本当に泣いているかのような感覚を添えていたのだ。
そして、つかさの細い首が跳ねたのを合図に、私も夢から覚めた。
ゆっくりと覚醒するのではなく、夢の中のつかさの細い首の動きをトレースするように、
跳ねるように飛び起きた。
 酷い夢だった。罪悪感と羞恥心が綯い交ぜになったような感覚が、
今も胸に残っている。いや、深く深く根付いている。
いっその事、核融合炉に飛び込んでしまいたいとさえ思える。
真っ青な光に包まれて浄化されてしまいたい、この下らない命ごと。
核融合炉に飛び込んでみたら…そしたら…すべて許されるのではないだろうか。
胸に深く強烈な罪悪感を根付かせた夢を見た事も、
同性を愛した事も、妹を愛した事も、全て許されるような気がした。
 ああ、瞼が重い。異様に重い。
これ以上の思考を阻むように、胃を痛めてまで摂取したカフェインを嘲笑うかのように、
瞼が重く重く下がってくる。
そのまま私は、抗い切れずに暗闇へと落ちた。
どうか…どうかもう夢なんて見ませんように。朝まで光の差さない暗い世界の中で、
せめてもの安眠を貪れますように。

 *

 誰かが階段を登ってくる音で、私は眼を覚ました。
頭が異様に重い。また、何か禄でもない夢を見た気がする。
だがその夢の内容を、私は覚えていない。
一度目の夢の内容は、今も鮮明に脳裏に焼き付いている。
つかさの首に、手をかけた感触すら残っているようだ。
だが…その後もう一度眠りに落ちた後に見た夢、それが思い出せない。
よもや一晩につかさの首を絞める夢を二度も見るわけはないが、
それに迫るくらいの深刻さを訴える夢だったように思う。
記憶を弄ろうとして、止めた。禄でもない夢、という事は分かっている。
なら、具体的に思い出す必要なんてないだろう。
 私は気を紛らわせるように、カーテンを開け放ちベランダの向こう側へと眼を転じた。
と、同時に階段を登る足音は、廊下を歩く足音へと音質を転じた。
その足音は、私の部屋の前で止まり、代わりにこの部屋のドアを叩く音が響く。
「お姉ちゃん、起きてる?」
 ああ、可愛らしい声だ。囀るようなつかさの声。
この声を聞くだけで、私の胸は熱く滾った。
「起きてるわよ」
 寝起き間際だというのに、つかさと声を交わしているだけで
細胞の一つ一つまで覚醒してゆくかのようだ。
「入るね」
 遠慮がちな声と共にドアノブが回され、柔和な表情を浮かべたつかさが顔を覗かせた。
「お姉ちゃん、今日はお寝坊さんだね。いつもは私の方がのんびり起きるのに」
「そうね」
 言葉短く、それだけ答えた。
アンタの首絞める夢見て魘されて跳ね起きて、眠るの怖くなって夜更かししたから、
なんて当の本人目の前にして言うべきではないだろう。
つかさと話していると偶に…いや最近は頻繁に理性が飛びそうになるが、
この程度の判断はまだ辛うじてできた。
「具合悪いとか、ないよね?」
 ベランダの向こうの陰り出した空を見つめながら、
私は答えた。
「至って健康よ」
──身体は。
心の中で、そう付け加えた。
「そっか。良かった。ん?」
 つかさは訝しげな声を発しながら、テーブルの上に所狭しと並べられた缶コーヒーの
空き缶を指差した。
「これ、どうしたの?まさか昨夜、これ全部飲んだの?」
「まー、ね。ちょっと、コーヒーが無性に飲みたくなって」
「それでこんなに大量に飲んだの?そういえば、この前箱買いしてたっけね」
 まさか、こんな形で役に立つとは思わなかったけど。
いや、何の役も為しては居なかったか。眠気なんて、飛びやしなかったんだから。
「ま、コレは後で片付けないとね」
「でも、凄いね。コーヒー飲みたいから、っていう理由だけでこんだけ開けちゃうなんて」
 つかさに悪意は無いのだろうが、
『自制心が足りない』と詰られている気分になった。
自制心があるから、アンタを襲わないでいられる、つかさを穢さないでいられる、
そう怒鳴ってやりたくさえなる。
でも、堪えた。
「そんな気分になる日も、あるのよ」
「あはは、お姉ちゃんにも、変なトコあるんだね」
 その言葉もまた、つかさに悪意は無いのだろう。
いや、悪意を推察する私がどうかしている。
どう考えても、一晩にこれだけ缶コーヒーを飲んだ事に対して、
変だとつかさは言ったのだ。
それでも…それを分かっていながらも
──実の妹に対して抱いている恋愛感情を変だと形容された気がして──
私の背筋が冷えた。
「そ、変なトコあるわよ」
 自嘲を込めて、そう言葉を発した。
陰りだした空が窓ガラスを割ってこの部屋に落ちてきたかのように、
私は陰鬱な雲に包まれていた。
「あ、じゃあそろそろご飯用意してくるね」
 部屋に立ち込めた雲に気付く事無く、つかさが部屋を出ようと私に背を向けた。
その背に、声を投げかける。
「ごめん、つかさ。私今は要らないわ。
もうちょっとだけ、眠るから」
「大丈夫?」
 心配そうなつかさの声に、私はまた嘘を重ねた。
「大丈夫よ」
 更にもう一つ、嘘を重ねる。
「昨夜コーヒー飲みすぎちゃって、胃が凭れちゃってるのよ」
 別に、凭れてなどいないのに。
「そっか。分かった。じゃ、お大事にね」
 つかさが出て行くと、私はベッドに身体を投げた。
「大丈夫、なワケないわ」
 独り言を呟く。あのままつかさと会話を続けていたら、
前後すら忘れて襲い掛かっていたかもしれない。
夢で見たように、首を絞めていたかもしれない。
「睡眠、足りないのかしら」
 何気ないつかさの言葉すら悪意が込められているように解釈してしまったのは、
まだまだ睡眠が不足しているせいだろうか。
 私は瞼を閉じて、もう一度眠気が訪れるのを静かに待った。
今度もまた、夢を見るのだろうか。

 *

「お姉ちゃん、もう夕方だよ?」
 つかさの声で、私は目を覚ました。
身体はまだ気だるさを訴えていたが、容赦せずに私は上半身を起こす。
「そう、もうそんな時間なの。寝過ぎたわ」
 外に眼を転じると、山に落ちていく燃えるような太陽の赤が、
夕暮れ時である事を告げていた。
先ほど空に陰りを与えた雲は、拡散する夕焼けの光に照らされて、
泣き腫らした後の眼のように赤く映えている。
 それにしても…結局今日一日眠って過ごしてしまった。
今日私が眠っている間に、世界はどれだけ変わっただろうか。
私が惰眠を貪っている一日の間に、どれだけの人々が結ばれただろうか。
一つ言える事は、同性愛や姉妹恋愛に対する冷たい視線は融かされていないという事だ。
そこまで、都合良く世界は動いてくれない。
寧ろ、人がやがては老いて死んでゆくように、世界もまた少し死へと近づいたのではないだろうか。
融けるように少しづつ、少しづつ死んでゆく世界の中で、私達は生きている。
その死へ向かう一方通行の時間軸からは、誰も逃れられない。
なら、いっその事、愛しき者くらい、この手で自由に死を操る事くらいはできないだろうか。
どうせこの恋慕の情が世間から許される事はないのだ、
なら生命そのものを押し潰して、せめて他の誰かにつかさを盗られる事だけは避けたい。
 気がつけば、つかさの首を絞めていた。
春風に揺れるカーテンが、窓を閉め忘れたまま眠りに就いてしまった事を教えていた。
でも、今更窓を閉めようなどと思わない。今閉めるべきは窓ではなく、
今締めるべきはこの細い細い首だ。
 それでも私は、薄々勘付いていた。どうせこれは夢だと。
また私は、つかさを殺す夢を見ている。
つかさの体温すらこの手に感じるほどの、リアリティに溢れた夢を、また見ている。
いっその事、今度は最期まで見てみようか?
この夢、最期まで見てしまおうか?
ほら、こうやって手に力をどんどん加えていってさ。
「ぉねぃ…ちゃんっ…」
 つかさの乾いた唇から、弱々しい声が漏れ出た。
黙れ。
「おっ」
 更に力が加えられたせいか、つかさの言葉はそこで途切れた。
つかさは強く強く唇を噛み締めた。血が、泣き腫らした眼の色よりも、
あの陽の赤よりも深みを持った赤い血が、唇から流れた。
そのあまりの鮮やかさに、思わず私の手の力が緩んだ。
その隙を見計らうかのように、つかさはもう一度呼んだ。私を。
私を、呼んだ。
「ぉっ、ねえちゃぁんっ」
 乾いた唇から、切れた唇から零れる言葉は、
泡のように弱々しく頼りなかった。
それでも、私に一撃を加えるには充分すぎた。
これは夢ではなく現だと、私に教えるには申し分のない一撃だった。
「っ」
 私は絶句と共に、つかさの首から手を離した。
激しく咳き込むつかさと、狼狽のあまり口が固まった私。
互いに声を出せない状況が、暫く続いた。
「お姉ちゃん…一体どうしちゃったの?」
 先に声を発したのは、つかさだった。
その声は、詰る様でも責める風でもなかった。
「ごめん、つかさ…私、どうかしちゃってるわ」
 赤い跡が未だ残っているつかさの首筋を見つめながら、
私は言葉を返した。
「お姉ちゃん、本当に大丈夫?いっぱい眠ったり、コーヒーいっぱい飲んだりとか、
色々と心配な行動多いけど…。本当は身体の具合、悪いの?」
 その声からは、本当に私を気遣っているという優しさが感じられた。
詰ってくれた方が、いっそのこと楽だ。
だって私はつかさに…これだけの暴行を働いたのだから。
「身体は大丈夫、大丈夫だから。疲れてる…みたい」
 その優しさが痛くて、耳朶にも鼓膜にも心にも痛くて、
私は言葉足らずな返答で凌ぐ。
疲れてる、という首を絞めた理由としては到底納得を得られない言い訳にも関わらず、
つかさはその優しい態度を崩すことは無かった。
「そう…。無理、しないでね。お粥だけでも、持ってこようか?」
 私は手を振って拒絶の意を示す。
無理だ、何も胃を通らない。無理に食道に押し流しても、逆流の憂き目を見るだけだ。
 つかさは心底残念そうな苦笑いを浮かべると、
「お大事にね、くれぐれも無理しちゃ駄目だよ?」
念を押すように私を気遣って、部屋から出て行った。
…つかさが背を向ける際、私は確かに見た。
つかさの瞳の端に浮かんだ、涙の粒を。
その映像を罪悪の証として、私はこの目に焼付け、脳髄に刻み込んだ。
 ああ、本当に核融合炉に飛び込んでしまいたい。
つかさの首を絞めた記憶はもとより、つかさへの恋慕の情すらも
融かして消えてしまいたい。そうすればもう、つかさを傷つける事はないから。
 核融合炉に飛び込んでみたい。飛び込んでみたら、
また昔みたいに仲の良い姉妹に戻れて、
そして悪夢を恐れる事無く眠れるような…そんな気がして。

 *

 あれから何日が過ぎただろうか。
日付の感覚すら、曖昧だ。時の経過に、本当に鈍感になった。
時計の秒針が、時を刻んでいく音が耳に届く。
でも、その音は鼓膜を揺らすだけで、私を急かす事は無かった。
あの音に追いかけられながら生きている人間が、
この世界には多く存在しているというのに。
 何気なしにつけたテレビに映る司会者は、冗談を飛ばし、スタジオを沸かせていた。
笑いに包まれている、液晶の向こう側。
そこにいるけど見えない誰か達が、笑い声を反響させているのだろう。
飽和状態に達しているんじゃないかと思うくらいに、笑い声が反響している。
あれだけ笑えるという事は、
幸福、なのだろうか。笑い声を提供している人たちは、幸福なのだろうか。
そこにいるけど見えない誰か達は、禁忌に触れるような愛に身を焦らし、
世間への不条理を感じる事はないのだろうか。
もし、あの中に私の仲間が居たら…それはきっと、
私がまだ笑える事の証明になる。そんな気が、一瞬だけした。
そんな錯覚を、一瞬だけ抱いた。
 居るわけが、ない。どちらかというと、私のような者を迫害する側なのだろう。
異性愛を押し付け、近親愛が倫理に触れるものだとする宗教を支持する、
アチラガワの人間達なのだろう。だからこそ、ああやって笑ってられるんだ。
生産性が無いものは、悪ですか?
周囲と同じような事ができないのは、害ですか?
問いかけたい。この問いを叩きつけてやりたいっ。
 いや、本当は…許されたいだけなのかもしれない。
 それを認めたく無かったから、
笑い声を響かせる彼等をじっと睥睨するように、テレビの液晶画面を睨みつけた。
羨みと妬みを込めた下卑た視線で、睨みつけてやった。
「ただいまー」
 突如、明るい声が響き渡る。
つかさの、声だ。そういえば今日は、姉さん達も親も居ない。
つかさと、二人っきりだ。あの時の、首を絞めた夕暮れの時のように、二人っきりだ。
「お帰り、つかさ」
 笑顔で迎える。あのスタジオに居る連中に負けないくらいの笑顔を表情に漲らせようと努めて。
「ただいま、お姉ちゃん」
 つかさもにこやかな笑みを私に向けて返してきた。
あの日あんな事があったにも関わらず、つかさが私に対する態度を変える事は無かった。
「あ、テレビ見てたんだー」
「別に。退屈しのぎに流してただけよ」
 私は自分の言を裏付けるように、テレビのスイッチを切った。
笑い声は、途端に止まった。
「お笑い番組?」
「だったみたいね。つまんなかったわ」
それはもう、不快になるくらいに。
憎悪を覚えるくらいに。
「あはは、お姉ちゃん、笑いには煩そうだもんね」
 つかさはジャケットを脱ぐと、ソファに座った。
薄着の下から、小振りながらも形の良い胸がその存在を主張している。
──今、この家には私とつかさ二人っきりだ
その囁きが、突如として私の脳裏に反響した。
悪魔の誘惑と言ってもいいくらいの、甘美な囁きだった。
「つかさ…」
 私はつかさの隣に座った。
「何、お姉ちゃん?」
 つかさは無邪気な笑みを私に寄越しながら、そう言った。
信頼に満ちた無警戒な瞳が私を射抜く。
あれだけの仕打ちを受けながら、なおもつかさは私を信頼している。
これはつまり…つかさも少なからず私に好意の感情を抱いているからではないだろうか。
それも姉妹愛という家族愛の一種ではなく、恋情に近い想いを、
私に対して抱いているからではないだろうか。
でなければ、いくら姉妹と言えどもここまでの信頼はすまい。
 都合のいい妄想が、私の脳内を巡る。
そう、分かっている。都合のいい解釈だって事くらい。
でも、五割くらいは、自分の推理を信じていた。
「つかさっ」
 私は意を決して、つかさを押し倒した。
私は五割に賭けた。もしこの賭けに勝てば、つかさは私の物だ。
世間は許さないだろう。でも、どうせこのまま自分の心を抑えつけていても、
何れ崩落するのは目に見えていた。
なら、親にも社会にもこの愛が露見せず、
そしてつかさが私を受け入れる可能性に賭けるのも、悪くないような気がした。
認識がない限り、世間は私に攻撃の矛先を向ける事はできない。
露見さえしなければいい。出来れば恥じる事無く、
公明正大なものとして赤裸々に振舞いたいのだけれど。
「お姉ちゃっ?」
 驚愕に見開かれたつかさの表情が、この視野に映った。
構わず私は、つかさの唇を自分の唇で塞ぎ、両腕で胸部を弄った。
「ぷはっ。お、お姉ちゃん…。どうしちゃったのっ?」
「アンタが好き…」
「…え?」
「アンタが、好き。家族愛とかじゃなくって、一人の女として、アンタが好き」
「お姉ちゃ…」
 つかさにそれ以上喋る隙を与えないように、
乱暴につかさの上着を捲くり上げて直接乳房を掴む。
ああ、胸部の下着が邪魔だ。一々ホックを外すのももどかしい。
私は乱暴に下着を剥ぎ取ると、綺麗な桃色の乳首にしゃぶりつき、
白い乳房を念入に揉みしだいた。
 秒針と、つかさの荒い呼吸と、衣擦れと、唾液の音が部屋に響く。
と、同時に大きな笑い声が耳骨内に響いていくのを感じた。
この笑い声には聞き覚えがある。先ほどテレビから流れていた、あの笑い声だ。
私の行為を嘲るように、その笑い声はだんだんと大きさを増してゆき、
容赦なく私の鼓膜を嬲った。
視線を移せば、確かにテレビは消えている。笑い声が聞こえてくる事など、
有り得ない。つかさが笑っているわけでもない。
なら、この鼓膜を叩く笑い声は一体何なのだろう。
幻聴…いや、耳鳴りだ。耳鳴りにさえ、あの笑い声を重ね合わせてしまっている自分に気付き、
私は愕然となった。やはり、私は世間の目が怖いのだ。
もしつかさがこのまま私を受け入れたとして、露見してしまえば世間からの蔑視に晒される。
それが、怖いのだ。だからこそ、同性愛・近親相姦を弾く世間の象徴として感じたあの笑い声が、
耳鳴りの姿を借りて私の脳内にリフレインしているのだ。
 愕然としながらも、私は行為を続けた。
つかさに感じてほしかった。喘いで欲しかった。快感のあまり発狂して、
叫喚のような笑い声を上げて欲しかった。
そうすれば、つかさの声に押されて耳鳴りがかき消されるような気がしたから。
だから、私は一心不乱に行為を続けた。つかさの乳首を摘まみ、噛み、吸い上げ、
そして舌で転がした。
つかさの呼吸は荒々しさを増したが、それでも耳鳴りを相殺するにはまだ足りない。
やはり、絶頂に達した時の獣の如き咆哮でなければ、
この笑い声に似た耳鳴りを消し去るには不十分なのだろう。
そう考えると、つかさの身体が楽器のようにすら思えてきた。
私が上手く演奏すれば、鳴いてくれる楽器。
「アレグロ」
 速く鳴かせろ、その意を込めて、私はそう口にした。
「アジテート」
 自らを煽動するように、そう口にした。
「アレグロッアジテートッ」
 その言葉と共に、つかさの身体を這う手の動きを加速させる。
「アレグロ、アジテート」
 呪文のように、この言葉を口にしながら、加速させる。
「アレグロ・アジテート」
──それでも
「アレグロ・アジテート」
楽器は鳴いてくれなかった耳鳴りは消えてくれなかった──
「アレグロ・アジテート」
 耳鳴りが消えない止まない。
「アレグロ・アジテート」
 耳鳴りが消えないっ止まないっ
「アレグロッッアジテートッッ」
耳鳴りが消えない!止まない!

 消えろ、そう念じても消えない。乳首じゃ駄目だ。
今更その事に気付く。私はつかさの下着へ手を滑り込ませ、性器を撫でた。
「んっ」
 楽器は僅かながら、鳴いた。
続いて私は、陰核を摘まみ上げた。
「んぁっ」
 今度はよりはっきりと、鳴いた。
今度こそ、耳鳴りを消そう。嘲笑と混同しそうな、この耳鳴りを。
耳鳴りだけじゃない。私とつかさ以外、全て消えてくれても構わなかった。
寧ろ、その方が都合が良かった。嘲り虐げ、引き裂こうと目論むのなら、
世間も社会も世界も消えてしまえ。
その憎悪が心に芽を覗かせた時、私はふいに記憶が蘇るのを感じた。
そう、あの日見た夢の記憶が蘇ったのだ。
つかさの首を締める夢の後、もう一度眠った時に見た夢が、
今更ながら鮮明なる映像で以って脳に再生されてゆく。

 あれは、誰も皆消えていく夢だった。
まつり姉さんも、いのり姉さんも、お母さんも、お父さんも、
こなたも、みゆきも、消えていく夢だった。
つかさと私以外の全てが、消えていく夢だった。
誰も居ない世界で、つかさと二人きりで誰からも邪魔されずに愛を育める理想郷の夢だった。
他にも色々と消えた。みなみちゃんも、ゆたかちゃんも、峰岸も、そして日下…
誰だっけ?ああ、大切な友達だった気がする。
夢から消えただけではなく、今や私の記憶からも、
つかさ以外の全てが消されようとしているのだろうか。
 ああ、でも冷静に考えれば、この世界は二人では寂しくなるくらいには広い。
私とつかさ以外の存在を消すことまで、
果たして私は例え深層心理の底であっても望むだろうか。
 真夜中のこの部屋でさえ、こうしてつかさと二人居るだけでも広いのに。
部屋の広さが胸に痞えて、呼吸すら困難になる程なのに。
 なのに、友人や家族を含めた全存在を消すことを望むだろうか。
私が本当に望んでいるのは、許容される事であるはずだ。
姉妹同士の同性愛が、許される事を望んでいるはずだ。
なのに、峰岸やみゆきを消すなんて…。いや、他にも二人居たはずだ。
うち一人は、ついさっきまで覚えていたはずだ。
私の背筋を、冷たい恐怖が走り抜けた。今こうしている間にも、
存在を消している。勿論、彼女が消えたわけではないだろう。
だが、私の中では、最早名前も思い出せない赤の他人となっている。
まるで、つかさ以外要らないと私の何処かで判断して、不要なものを廃棄しているかの如く。
…そういえば、峰岸なんて本当に実在したか?
みゆきは確かに居たと思うけど、友達だったっけ?
私の姉は、二人だっけ?一人だっけ?
お父さんの名前、なんだっけ?お母さん、まだ生きてたっけ?
 夢の内容をトレースするように、私の中から一人、また一人と消えていく。
怖い。恐怖が肺を圧迫して、上手に息ができない。
喘ぐように呼吸するのが精一杯だ。

「ぴゃああああああああっ」
 つかさの猛々しい咆哮で、私は我に返った。
遂に、彼女の身体が絶頂を迎えたのだろうか。
そう一瞬思ったが、違った。単に、破瓜の痛みからの絶叫に過ぎなかったらしい。
私が我を失って発狂寸前の自問自答をしている際、
つかさの性器深くにまで加減せずに指を挿し入れてしまったらしい。
その事を、血で赤く染まった私の右手が示している。
楽器の演奏は、失敗に終わった。壊してしまうようでは、奏者として失格だろう。
だが、耳鳴りを消す、という目的は達していた。
猛るようなつかさの叫喚によって、耳鳴りは止んだ。
だが、目的はもう一つあったはずだ。
つかさの、歓心を買うこと。即ち、つかさは私の愛を受け止めてくれるかどうか。
それが、元来の目的であったはずだ。
「ご、ごめん、つかさ。痛かった?」
 なるだけ優しい声を放ちながら、慈しみを帯びさせた視線でつかさを見つめた。
この視線に期待の色が多少混じっている事も、自覚していた。
そしてこの期待は、
「酷いよ、お姉ちゃん」
見事なまでに
「こんな事するなんて」
粉砕された。
 言葉だけなら、まだ期待の余地くらいは残していられた。
だが、つかさの蔑みに満ちた表情は、その余地を残す事すら許してはいなかった。
「ご、ごめん、つかさ。やっぱり痛かったわよね」
「それだけじゃ…ないよ」
 つかさは憎悪にも似た瞳で私を見据えると、言葉を続けた。
「どうして…こんな事するの?強姦するなんて…酷いよ」
 破瓜の痛みそのものよりも、
了解も得ずに押し倒した事についての怒りの方が勝っているらしい。
「本当にごめんね」
 それでも、それだけなら私はまだ救われた。
期待が粉砕された程度、希望が潰える事に比べればどうという事はない。
まだ私には、つかさの機嫌を直した上で、
次は別のアプローチ方法で迫ろうなどと図々しい事を考えていられた。
つかさの、次の次の言葉を聞くまでは。
「ショックだよ。私の初めてを奪ったことも、
お姉ちゃんが強姦するような人間だったって事もショックだけど。
それ以上に」
次の言葉を聞くまでは。
「お姉ちゃんがそんなアブノーマルな性癖持っていたなんて、信じられないよ。
どうかしてるよ。女同士、増してや姉妹同士で恋慕の情を募らせるなんて。
募らせるのは許せるにしても、その思いを口に出しちゃうなんて。
お姉ちゃんや…同性愛者の人には悪いけど、理解できないよ。
いや、ただの同性愛者なら勝手にやってて下さいって感じだけど、
姉妹で、だなんて、正直気持ち悪いよ…」
 残酷な、拒絶だった。目の前が揺らぐ。
もう、望みの欠片も持たせない拒絶の仕方だ。
性は変えられない、それ以上に、血は変えられない。
原始的なレベルで、つかさは私を拒絶していた。
私の努力では、最早どうにもならない。
 それ以上に深刻な衝撃として私の心を見舞ったのは、
つかさがアチラガワの人達と同じような価値観を持っていたという事だ。
つまり、同性愛や近親恋愛に対して蔑視の眼差しを注ぎ、
弾劾を加えてくる人々の一員に、つかさは属しているらしい。
帰属意識は無いだろうが、私から見ればアチラガワの人間だ。
「そ、そう。尤もね。尤もな意見ね」
 説得したかった。翻心させたかった。
けれど、それは徒労に終わるだろう。
社会深く根ざしたコンセンサスは、正当な論理をすら無効としてしまう。
多数派に属している、という安心感がそうさせるのだ。
だから私は、つかさの言を肯んじて聞き分けの良い姉を演じるしかなかった。
「ごめんね、部屋で、休んでくるわ」
 眩暈が酷い。その為、注意深く階段を昇った。
一段一段、足場を確かめるようにして。
眩暈という段階を通り越して、幻覚の世界を歩いているかのような錯覚にさえ陥る。
昇る階段が、歪んでさえ見える。
ああ、でも、足を踏み外してしまった方がいいのかもしれない。
そのまま頭でも打って、全ての記憶を消失してしまえばいい。

 どうにか、部屋に着いた。
ベッドに身を投げると、天井を見上げた。
ああ、本当に核融合炉に飛び込んでしまいたい。
旅客機ハイジャックして、飛び込むのいいかもしれない。
全て巻き込んで、この世界ごと消してしまうのも、いいかもしれない。
 止めた。下らない。原発に突っ込めば大惨事にはなるだろうが、
なお世界は存続し続けるだろう。世界を滅ぼす事に比べれば、
世に蔓延る価値観をシフトさせてしまう事の方が、
或いはつかさを翻意させることの方が、遥かに容易だ。
 それ以上に容易なのは、私が死ぬこと。
社会の価値観を変えてしまう事よりも、社会に馴染めない人間を排斥する事の方が容易なように。
私のような人間、居ない方が社会にとって有益なんだろう。
そうやって、逸脱しかけている人間を受容するのではなく排除する事によって、
歪みの生じているシステムを延命させてきたのが、今の社会なのだろう。
「核融合炉にさ、飛び込んでみたら、そしたら、
きっと眠るように消えていけるんだ…」
 思わず、独り言が漏れる。
 私のいない朝は、世界にとってもつかさにとっても、
今よりずっと素晴らしくて、
全ての歯車が噛み合った、きっと、そんな世界だ。
 排除の論理で延命を続ける、きっと
「そんな世界だ」
 そんな世界を守る為に、散るのではないけれど。
 私は机の抽斗から、カッターナイフを取り出して手首に宛がった。
冷たい刃の感触が、心地よく手首を擽る。
「もっと、心地よくて気持ちいいこと、できたはずなんだけどな…」
 私は、カッターを押し当て、引いた。
鮮血が飛び散り、私の顔と被服に斑状の赤い化粧を添えた。
「痛い…痛いじゃない」
 つかさは破瓜の際、これ以上の痛みを味わったのだろうか。
私に押し倒されている時、今の私以上の絶望を味わっただろうか。
 ああ、それにしても本当に痛い。痛い割に、死ねそうにもない出血量だ。
核融合炉に飛び込んでみたら、きっと眠るように消えていけたろうに。
真っ青な光に包まれて綺麗に、全て許されて消えられるような気がする。
 実際に私を包んだのは、青とは対極を為す赤だった。
いや、包むというよりは、彩を添える程度の出血量か。
 中性子が一つウランにぶつかれば、二つ飛び出す。
それが更にウランにぶつかり、さらに多くの中性子が飛び出していく。
そうやって臨界点を超えれば核分裂を起こし、多大なエネルギーを生み出す。
 人が迫害されていく過程に似ている。一つのコンセンサスと衝突すれば、
連鎖的に次々と糾弾してくる人が増えてくる。
そしてその摩擦の生み出す膨大なエネルギーは、差別となり根付いてゆく。
 だからこそ、核融合炉に飛び込めば全てが許されるような気がした。
似たような課程を辿って生み出されるエネルギーによって消失すれば、
全てが許されるような気がしたのだ。
ああ、そういえば核分裂と核融合は違う現象だったか。
でも、どうせ核融合には核分裂の際のエネルギーが必要となるから、
似たような課程を辿ってはいるだろう。
「お、お姉ちゃんっ?何やってるのっ?」
 静寂に包まれていた部屋を、金切り声が劈く。
「つかさ…?どうして私の部屋に?」
 つかさは私の発した問いかけに答える前に、
私の肘の辺りを自分の服で強く縛った。
その後、
「お姉ちゃんの様子が尋常じゃなかったから、つい心配で来たんだよ…。
そしたら…」
語尾を濁して答えた。
「あは、もう大丈夫じゃない?そんな深く切ったワケじゃないし、
止血措置も施したし」
「良かったー。でも何で、こんな馬鹿な事したの?」
 私は気づいた。つかさの瞳が潤んでいる事に。
不思議だった。つかさには、嫌われていると思っていたのに。
「つかさ、私の事、心配なの?」
 私はつかさの問いに答えずに、質問で返した。
「当ったり前だよ。家族、だもん」
 何処か怒ったように、つかさは答えた。
「さっきの件で、つかさに嫌われたかと思ってたわ」
 ついつい、本音が漏れ出る。
「そりゃ、ショックだったよ。それでも、お姉ちゃんが大切な家族で、
大事な姉である事に変わりはないから」
 ああ、そうか。そういう、理由か。
恋愛対象としては見れないけれど、家族として大切。
いかにも一般人らしい感覚だ。
 私の心の中に、ふと暗い考えが擡げた。
利用、できるんじゃないだろうか。
その心、利用できるんじゃないだろうか。
 核融合炉に飛び込む事が侵入者を拒絶するが故に出来ないならば、
炉心融解させてしまえばいい。向こうから青白い光を放たせてやればいい。
それで、光に包まれる事ができる。融ける事が、できる。
「つかさ、さっきの問いに答えるわね。
どうしてこんな事したか、って問いに」
「うん。是非是非教えて。お姉ちゃんの悩み、私も解決したいから」
 私はなるたけ冷たい表情を作って、つかさを見つめてやった。
そして、呆れたような声でつかさに告げる。
「てかな、つかさからその問いが発された事自体、驚きなんだけどな」
「えっ?」
「アンタに拒絶されたから、に決まってるじゃない。
期待持たせるような態度今まで散々取っておきながら、
いざ勇気だして告白したら冷たい言葉で拒絶、なんて絶望するに決まってるわ」
「じゃ、じゃあ、私のせいだって…言うの?」
 泣き出しそうなつかさの瞳を見るのは、辛かった。
でもそれ以上に、つかさを手に入れたい。
つかさを不幸にしてでも、手に入れたい。
これは愛だろうか。いや、きっとこれも愛だろう。
愛は…増してや恋愛は独占欲の塊に満ち満ちている。
なら、相手の幸福を慮らずとも、成立しうる。一方の勝手な欲望のみでも、それは成り立つ。
「本当に…そんな質問してるの?」
 突き放すような冷たい声で、質問を返した。
「あぅ…」
 つかさが黙りこくったのを機に、畳み掛けるように私は言葉を続けた。
「つかさの私に対する態度に恋慕の念を感じ取ったから、
私もつかさに対して恋情抱いたのよ。好きになられたら好きになる、ってヤツね」
 勿論、嘘だ。私がつかさの意思など推察せずに、勝手に一方的に惚れたに過ぎない。
「そもそもの原因は、アンタにあったのよ。なのにアンタは…
私の心を、気持ち悪いとまで言った。そりゃ、生きてく気もなくすわね」
「そんな…お姉ちゃん、ごめん。さっきは、言い過ぎたよ」
 謝罪の言葉を引き出した。これでつかさは、罪を認めたも同じだ。
罪悪感という負い目を、その心に根付かせる事に成功したのだ。
さて、ここからが正念場だ。
アレグロ・アジテート。速いテンポによる論理展開により、
思考の暇を与えずに煽動する。こちらの意図通りに、つかさを誘導しなければいけない。
「いや、いいのよ。勘違いしたのは、私の方なんだし。
つかさはただ無邪気に…振舞ってただけなのよね。
その無自覚な無邪気さが、たまたま残酷に作用したってだけの話で」
 一歩退いた態度を見せると、つかさに言葉を挟む余地を与えずに矢継ぎ早に続けた。
「だから、私一人で完結させるわ。胸に巣食う絶望は私一人で、始末を付けるから」
 つかさの肩が激しく跳ねるのが分かった。
「ど、どういう…事?また、自殺しようなんて考えてるの?」
「ま、生きててもしょうがないしね。ほら、つかさには拒絶されちゃったし。
この絶望に始末を付けるには、そうするしかないの」
「だ、駄目だよ。死んだりなんかしちゃあ」
「アンタに止める権利はあるのか?」
「え?」
「そりゃ、アンタの恋慕の態度を勘違いして、アンタに惚れちゃったのは私よ。
だからまぁ、別につかさを責めようなんて考えちゃいないわ。
でも…原因を作ったのはつかさよ?罪悪感を覚える必要はないけど、
原因だけ作って解決策を閉ざそうなんて、幾らなんでもあんまりじゃない?
他の解決策提示して止める、ってんならともかく。
まぁ、他の解決策なんて無いけどな。つかさの代替なんて、居ないわけだし」
「じゃ、じゃあ…」
 つかさは押し黙った。今、彼女の中で二つの心が葛藤しているのが分かった。
今までの人生の中で獲得してきた倫理観と、
家族の命が天秤で量られ、激しく鬩ぎ合っているのが、よく分かった。
そして私の狙い通りに、秤は傾いた。
「じゃ、じゃあ…私がお姉ちゃんと恋仲になれば…それで解決するんじゃないのかな」
 罪悪感という負い目を芽吹かせたのが、決定打となったのだろう。
「それは私にとって最高の解決法だけど…アンタはいいの?」
 質問の形を取ってはいるが、実態はただの確認作業だ。
儀式的な、問いかけに過ぎない。
「うん…。私、実は…よーく考えてみると、お姉ちゃんの事、好きだし。
…恋愛の対象として、好きだし」
 つかさも、儀式に則った答えを返してきた。
「そう。なら、問題ないわね」
 偽りである事など、分かっている。だが、つかさを手に入れた。
私はつかさを抱き寄せると、ベッドに押し倒した。
芳しい髪の香りが、鼻腔を擽る。
「愛してるわ、つかさ…」
 もし、私が死んでいたら…
私のいない朝は、つかさにとって、
ずっと素晴らしくて、全ての歯車が噛み合っていた事だろう。
でもその素晴らしい朝に至る路を私は閉ざした。強引極まりない手段によって。
路を誘導し心を支配した。誘惑、駆け引き、策略、それらの言葉では足りない、
もっと強引な手段によって、だ。
そう、詐術というよりは誘拐に近い。路も心も、かどわかした。
───路心誘拐、してみせた。
 これから先、二人の仲が露見すれば、世間から蔑まれるかもしれない。
それを恐れていたが、今やどうでも良かった。
つかさをアチラガワの世界から引き離した、それが嬉しかったから。
私が恐れていた迫害は、世間一般からの攻撃ではなく、
つかさを含めた世間一般からの攻撃だったのかもしれない。
それにもう、耳鳴りは止んでいる。
「これから私達が歩むのはね、何処かの歯車が狂って、
誰もみんな消えていって、それでも今よりはずっと素晴らしい、
融けるように少しずつ少しずつ死んでゆく──」
 私はつかさを強く強く抱きしめた。
「──きっとそんな世界だ」

<FIN>

















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  • これ何度も読んでしまう… -- 名無しさん (2014-03-27 21:50:11)
  • 解釈は人それぞれだろ?↓ -- 名無しさん (2011-04-11 23:59:45)
  • 炉心融解ってボカロのやつですよね?

    原曲を忠実に再現してほしかったかもです 特に最後
    過去からの脱却を表した前向きな歌(炉心融解のREVIEW参考)なのでハッピーエンドにしてほしかったです

    批判してるわけではないので悪しからず

    長々すみません GJ -- 名無しさん (2009-10-22 03:36:58)
  • 天才現る -- 名有りさん (2009-09-01 02:31:22)
  • こういうの好きだ -- 名無しさん (2009-08-26 08:01:33)
  • ハッピーエンド……じゃないよな -- 名無しさん (2009-08-26 00:20:00)

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